歩く、歩く、歩く

毎年、大晦日は年越しウォークというイベントを行なう。伊勢神宮から約42キロを遡ったところをスタート地点として、徒歩でお参りに行くのだ。42キロ遡った地点は津になる。朝10時頃に出発して、夜の11時頃に伊勢神宮に到着する。

今年は、40名弱の参加。少林寺拳法の拳士たち、サッカー少年団の子どもたち、朗天狗のファンの人たち、それぞれのつながりで、それぞれの場所から、それぞれの人たちが集まって、ゾロリゾロリとひたすら歩く。

42キロといえば、フルマラソンの距離。一流ランナーなら2時間30分で走る。それを13時間かけて歩くのだから、楽勝、楽勝…と思っていると痛い目に遭う。けっこう大変なのだ。足に豆ができる人もいる。足裏の水ぶくれが破れて足を引きずって歩く人もいる。膝がガクガクになる人もいる。

今年は、寒波が襲来し、すごい強風の中を歩いた。そんな中、何だかんだといいながらも、無事、全員完歩。
さて、この毎年のしんどいイベントにいったい何の意味があるのか。実は、意味がないことをやることに意味があるのだ。歩き終わった伊勢神宮の鳥居の前では、みんなで手をつなぎ輪になってジャーンプ! みんなのそれぞれの笑顔、一体感。これだけで充分じゃないか。ラクなことをしていれば、この笑顔、一体感は得られない。

毎年、歩いている者にとっても、体調、天候、メンバーが変われば、そのときどきのドラマがある。
ぼくは5回目の参加。今年、娘と息子が後半、体調を崩した。帰りのバスの中で、息子が吐きそうになった。路肩に車を停めて、外で吐く。そのとき、ドアのそばにいたのはたいち。すぐに一緒に寒い外に出ていって、介抱してくれた。実は、たいちは、3日前から体調を崩している。歩いている最中も、しんどそう。休憩のときには、グッタリしていた。自分の体調を省みず、息子の介抱をしてくれたのだ。
あるいは、松阪から参加したこのイベントのリーダーである“隊長”。コンビニで夕方の食事タイム。外で食べる。寒い中、駐車場で座り込んで食べていると、ゴミが風に舞っていた。みんな、気がついているけど、しんどいし寒いから立ち上がらない。ぼくもそのひとり。そんな中、隊長が何食わぬ顔で立ち上がってゴミを拾った。ごく自然に。

しんどいときにこそ、その人の本性が出る。思わず、自分を省みた一瞬だった。そんなことを感じた今年の年越しウォーク、濃い一日だった。

 (2008年1月3日)