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「体験する」
地元で、少林寺拳法のぼくの先輩がいる。“にいやん”と呼んでいる。にいやんは自身で道場を開いて、子どもたちや大人に少林寺拳法を教えている。ぼくも時間があるときには、道着を着て指導のお手伝いする。
この夏、ちょっと変わった合宿をやりたいと、にいやんから相談を受けた。いくら少林寺拳法の技術が上達しようと、いくら少林寺拳法の訓えを暗誦しようと、体験をしないとダメだ、とにいやんは言う。そこで、今回の合宿は、子どもたちに、自分でものを考えて行動できる体験をさせる趣旨で行いたいと。「思いっきりしんどいことをしようぜ」と、二つ返事で協力を引き受けた。
合宿初日は、夕方からの練習でスタート。ぼくが指導に立つ。子どもたちはまだちょっと緊張気味。練習後、風呂に行って、戻ってから道場でぼくが絵本を読む。じっくりと話をして、じっくりと聞ける絵本を読んだ。寝床は道場。それぞれ練習用のマットを敷いて寝る。
2日目。起床後、鎮魂行。座禅のようなものだ。その後、ラジオ体操をして朝食。朝食は、ごはんとみそ汁。朝食の準備をするのに指示があるまで動かない子どもたち。にいやんの雷が落ちる。
朝食後、向かいの800坪の空き地の草刈り。猛暑の中、子どもたちはダラダラとする。おとなが範を示すしかない。全員が汗だくになって、800坪の草刈りは終了。
昼食は、朝食の残ったご飯で作ったおにぎり。しんどい思いをして草刈りをやり遂げた達成感があったのか、子どもたちの動きに少し変化が見える。飯の準備を自分たちでやりだした。
午後、10キロ歩いて、川に遊びに行く。行き先はにいやんだけが知っている秘密のスポット。しかし、そこにたどりつくには、この炎天下で10キロを歩かねばならない。歩き出して、すぐに子どもたちの話し声が消えた。しんどいのだ。中にはサンダルのまま来た者もいる。低学年が遅れだす。泣きべそをかきたいのを我慢して、歯を食いしばって歩く。誰も助けないから歩くしかない。1時間半後、ようやく山の中の秘密のスポットに到着。秘境のようなところ。その景色に、子どもたちから大歓声。10キロの疲れもなんのその。水着に着替えてさっそく川遊び。
くたくたになったこの日の夕食は、ごはんとサンマ一尾。もう、何も言わなくても、率先して準備をする。今朝とは動きがまったく違う。しかし、中にはサンマが嫌いな子もいる。代わりのおかずはない。「嫌ならごはんだけを食っとけ」と突き放す。結果、サンマ一尾で、3杯、4杯とおかわりをし、きれいに骨だけになったサンマが子どもたちの前に並んだ。全員がうまそうに食べながら、「あの、川、めっちゃきれかったなあ」「ほんでも、また10キロ歩くのはいやや」などと今日のことを振り返って、楽しそうな会話が続いた。
3日目、最終日。朝食の準備では、なんと低学年までもが、自分で自分のやることを見つけて動いていた。
この日の午後は、合宿のメインイベント。近所の大きなスーパーに移動。子どもたちが、お客さんに自分で声をかけて、困っていることがあったらお手伝いをする、という企画。もちろん、スーパーの協力を得ている。予定時間は3時間。なぜ、こんなに長いかというと、すぐには声をかけることができない子もいるからだ。
案の定、じっとしたまま固まっている子もいる。1時間、固まり続けている子もいる。ようやく、声をかけることができても、お手伝いを断られて意気消沈する子もいる。3時間たって、何度もお手伝いができた子もいれば、やっと一回だけお手伝いができた子もいる。「ありがとう」と言われて、その言葉に満面の笑みを浮かべる。
何もできなかった子もいるが、それはそれでいい。いつか、できるようになるさ。やろうとすることが大事だ。
最終日の晩飯は、子どもたちははじけた。ひとまわりとまでは言わないが、みんな、ほんの少し大きくなったように感じる。
しんどいことをすると、やり遂げたときの達成感がうれしい。
体を動かし、腹が減ると、食べられること自体がしあわせと感じる。
「ありがとう」と言われて、人の役に立つことの快感を知る。
そうやって、子どもたちが変わっていくと、やっぱり子どもはすごいと思う。
おとなのぼくらも、いい体験をした合宿だった。
(2007年8月26日)
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