|
「おれって・・・」

町内で世話になっている先輩がいる。にいやんと呼んでいる。にいやんちには、おじいさんがいる。今年の誕生日で92歳になった。そのおじいさんが、先日、亡くなった。
大往生と言えば、そうなのだが、ぼくには、2つ、悔いが残ることがある。
この町に越してきたのは3年前。にいやんちには、親戚のうちのように、よく行き来している。子どもたちも、時間ができるとにいやんちに行きたがる。ぼくは、にいやんちに行くたびに、ソファーで横になっているおじいさんの足を揉んでいた。
ぼくは、実家にあまり帰れないので、実の親にはあまり親孝行ができない。だから、おじいさんに代役になってもらおうと思ったのだ。
毎週のように、おじいさんの足を揉んでいると、耳が遠いおじいさんだけど、ぼくの声はちゃんと聞きとってくれる。それが、ちょっとしたぼくの自慢だった。ぼくが、出張から戻ってきて、久しぶりにおじいさんの足を揉んでいると、「東京に行っとったんか」と話しかけてくれる。待っていてくれたのが、うれしい。
子どもたちも、おじいさんが大好きだった。
ところが、去年くらいから、ぼくの仕事が忙しくなり、なかなか足を揉んであげられなかった。おじいさんが亡くなったとき、「なんで、おれ、足を揉みに行ってあげなかったんだろう」と悔やんだ。確かに、忙しかったのだが、でも・・・。
おじいさんが入院したその日、仕事の合間に病院に駆けつけた。おじいさんは、意識不明だったが、会えた。夜も遅かったので、家に帰って、子どもたちには「明日、おじいさんのお見舞いに行こうな」と言うと、子どもたちは楽しみにして寝床についた。
翌朝、にいやんから「親父が死んだ」と連絡が入った。
どうして、子どもたちを無理にでも、見舞いに連れて行かなかったんだろう。おれ、何やってんだろう。
お通夜の前に、子どもたちに「おじいさんに手紙を書いて、お棺に入れてもらおうか」と言うと、4人の子どもたちは、素直に「うん」と言って手紙を書き始めた。
小学校1年生の双子の手紙をチラッと見ると、こんなことが書いてあった。
「おじいさん、天国で元気になったら、この手紙をよんでね」
「おじいさん、元気になったら、戻ってきてね。」
まいったね。
おれって、ちっちゃいなあ。
(2007年3月2日)
|