「見えないものが見える!?」

先日、ある保育園に行ったら、先生がぼくの顔を見てびっくりしていた。人相の悪いぼくに、まだ慣れていないのだろうか。そんなことはない。別のことでびっくりしていたのだ。
というのも、その先生が受け持つ、乳児クラスのひとりの子が「しんちゃんのにおいがする」と突然言ったそうだ。ぼくが園に着く5分くらい前のこと。しばらくしたら、ぼくが現れたというわけ。そりゃあ、びっくりするよね。その子は、ぼくの顔を見ながら「やっぱりね」とでも言いたげにニコニコしている。

目には見えないものが見える子もいる。こういう子はた〜くさんいる。
現に、ぼくは、絵本を読んだあと、こういうことをたまにやる。
まず、全員に、自分の掌を口の前にもってきてもらって、息を吹きかけてもらう。全員が自分の掌に息を感じる。
次にぼくがやってみせる。よ〜く見てもらう。そして、「風(息)が見えた子?」と聞くと、半数以上の子の手が挙がる。どうしても見えない子には特別にヒントを与える。すると、たいてい見えるのだ。
おとなの人たちにも同じことをやってみた。誰ひとり手が挙がらない。
実は、ぼくも見えない。でも、掌に息を感じたんだから、何かあるはずだ。
子どもたちは、その何かを、ちゃ〜んと感じとっているんだと思う。

おとなの人たちと話をしているとき、目に見えているものだけしか話題にのぼらないときがある。とってもつまらないんだ、こういうときは。
確かに、目に見えるものは、現実的だし、わかりやすい。でも、風も、空気も、心も、目には見えないけど、あるよね。確かにある。
あるのに、見えないって、なんだかおもしろそうじゃん。おまけに、子どもたちにはそれが見えてるって、何だか悔しいじゃん。
 
ぼくは、かつて、目に見えるものだけを判断材料にしていた時期がある。今から考えると、そういうときって、いくら見ても、不安なんだよね。
逆に今は、忙しい最中でも、車を停めて、木々が風でザワザワしている様子や、稲穂が風に揺れている様子を、じっとながめているときがある。
見えないものを感じているときって、何だか満たされている。
こういう世界があることに気づかせてくれたのは、子どもたちだ。

 (2006年6月12日)