![]()

![]()
追録!追想!追憶! 最後の一言 〜感謝をこめて〜! |
|
このたび 朗天狗の白天狗こと あきひろは 思い出の朗天狗城を降城し、次なるブックドクター修行の旅に出ることになりました。簡単に言うと 辞めるわけです(笑)。別に ケンカ別れをしたわけではないので ご安心ください(笑)。 単なる 僕のわがままを 相方の伸ちゃんが了解してくれたわけです。 伸ちゃん さとかつ タイチは 僕の おやじの骨を拾ってくれた人間やから 僕にとってめちゃくちゃ大事な人間です。 ほんまに、ちょっとの縁では出逢えない男たちや!と思っています。 僕は そんなええ男たちのおかげで、この6年 日本中をわがままに回らせていただきました。 そのおかげで ますます夢を授かりました(笑)。 そんな矢先、親父が逝きました。 それも 僕の本厄のときに・・・。 あれは、僕の人生に、めっちゃ大きかった。 あの日以来 喪に服しながら、なんとも言えない気持ちを かかえるようになりました。 でも、まさか、あの何ともいえない気持ちが、僕の思ってもみなかった、自己発見につながるとは!。 変な心境のまま 子どもたちの前に立って絵本を読ませてもらったり、心の窓で出会った人たちに絵本で処方させてもらったりしていたのですが、なんとそんなときの方が、いや、そんな心境のときの方が、それまで僕がイメージしてたブックドクター像以上の「イイ雰囲気」が、目の前に、その人を通じて視れるようになりました。 僕が100%気合い入れて、人と出逢おうとしたときより、40%ぐらいの気合いしか入ってないときの方が、逢う人逢う人みんな、それまでとは、まるで違う、「元気な形」が現れるもんやからビックリしました!! あれはほんまにうれしいサプライズやった!☆ なんせ、見違えるような元気な姿に変わったり、すぐ目がキラキラ輝き出したりするのがハッキリ見てとれるわけ。一人で車運転して帰っているときに「あぁ、ほんまに今日は来て良かったなぁ。こんな僕が、またお役に立てたなぁ」と心の底から思える実感をたくさんもらえました。 ほんで、これがまた、そういう機会に遭遇することが、親父が逝ってからめちゃくちゃ増えたんょ。あの実感が、僕にますます、次なる夢や野望をいだかせ、さらに次なるフィールドに浪漫を求め出しました。 あの実感を体験したことも、特に僕の人生に大きな影響として重なったと思います。 だから今は、もっと僕自身の能力をパワーアップしたい欲にかられています。 1対1のパフォーマンスだろうが、1対多数の(年齢関係なし)パフォーマンスだろうが、僕の能力を常にアップしておかなければ、どんな人も、元気になってもらえないんじゃないか、と真剣に思うようになりました。 今、僕が描くブックドクター像は、元気のない人に、 ☆一瞬にして その人らしい元気な姿になってもらう!☆、です。 そのためには、まだまだ、全然、体験が足りません。 死ぬまでブックドクターを極め続けるためには、もっといろんな種類、いろんな世界、いろんな人々に出逢うことを、勇気と、ど根性で体験しにいかなあかんなって、真剣に念いました。 そうすると、さっきのパフォーマンスにしても テレビのタレントさんや芸人さんが宿す、お客さんを魅了するパフォーマンスはもちろん、アーティスト(歌手・絵描き・芸術家など)、アスリート(プロ野球、オリンピック選手、格闘家、レーサー、登山家など)、はたまた、博士・教授、職人さん 落語家 作家 名の知れないその土地でみんなに慕われている賢者たち、刑事さんの勘、映画監督の役者さんの演技力を見抜く洞察力、動物の飼育係りをしている人の人間観察力、はたまた裏社会で生きてる方の、あの神がかり的人間統率力、説得力、行動力、執念力、自己抑制力など、良い悪い関係なく、または表社会裏社会、それぞれの道に関係なく、そのフィールドや世界で、なんらかの能力や才能を発揮し、その世界で困っている人たちや、悩んでいる人たちに何らかの"元気になる影響"を及ぼす生き方や体験をしていたり、頼りになる怪物的存在やったり、つまり僕はそんなことをみんな混ぜ合わせた感じのパフォーマンスを、どうしても一個でも多く身につけたいのです。 これからは、最低でも1日1個、何か初体験しようと思っています。そうでないと、決して僕の描くブックドクターにはなれない!と、念っています。 それには、時間がない! つまり、僕は 長生きするタイプやない!からです(笑)。 実は、僕が20歳のとき、バイクに乗っていて「あっ、死ぬ!」と一瞬思うような事故に遭ったのですが、あのときに一日だけ病院のベットで寝ました。 目を開けたとき、生きてたことに驚いて訳も分からず暴れました。 あれ以来、何度も死にかけることが起こるようになりました。 ですがなぜか運良く父なる大空 母なる大地に生かさせてもらっています。 親父が逝ってからますます「今日、死んでも悔いの残らないようにしょ(笑)」と強く思うようになりました。 自殺願望はまったくないのです(笑) でもマジで、そう思うようになってから、ちょっとしたことでも感動することがめちゃ増えたし、それに比例して、よっしゃ今日も、ほんまに死んでもかめへんわぁ!とにかく悔いのない日にしょーっや!って思うようになりました。今も、その思いは、ますますパワーアップしていくばかりです(笑)。 そうすると、うかうかしてられない気持ちに駆られます。 つまり、元気なうちに!とか、命がつきるまでに!とか、そんなに時間がない!って感じに日々駆られるわけです。 だから最近は、その日会った人には,前より手抜きなしに,その日までに僕が持ってるすべての力を出せるよう,よりベストをつくして話したりするように自然になっていってます。食べるのも,たばこ吸うのも,ブラックコーヒー飲むのも,遊ぶのも,読んだり見るのも,人と出逢ったりするのも,いろんなことに対して,より貪欲になりました。 ある絵本作家に「なんで、そんなに醜い生き方を選ぶ?」と訊かれました。 そのとき僕は、無意識に「なんか、オレの性に合ってる気がすんやんかなぁ・・・」って口から出てました。 そのとたん大笑いされ 「だな・・・」と言われました。 僕は、やっぱそうか、この醜い生き方でええんや!と思いました(笑)。 今は、みんながキレイな生き方をしようとしている。 でも、僕みたいな天の邪鬼なヤツ一人ぐらい、清廉潔白な生き方をせんでも父なる大空 母なる大地なら許容してくれるやろって、思ってます!。 僕自身、今までを振り返ってみても、やっぱ醜い生き方をしてたときの方が、ほんまにイキイキしてて性に合ってたと思う。 そういうときはなぜか、常識はずれなこと、理不尽なこと、不折衝・不摂生・不節操・不合理・矛盾してること、禁断のパンドラの箱のフタを平気で開けるようなこと、危ないこと、命知らずなこと、ケタはずれにバカなこと、この国独特の、普通とか常識では考えられない、と思われていることなど、それらの中にどうやら僕は「おもしろさ」を見つけてしまう能力が在ったみたいです。うっしっし(笑)。 世の中にある醜いモノの中には、めっちゃおもろいストーリーが棲んでることを知ってしまった。 みんなはその面白さを知らんから、よけい「僕だけが知ってる宝物」を見つけた気になって、めちゃくちゃおもしろなってくる。 一旦、そんな僕だけの宝物を見つけると、しばらくその世界にいたくなるし、その世界に棲む 人の醜さ 惨さ 愚かさ 弱さ 悲しみ 108の過ちの苦しみの元など、いろんなことを体で感じたくなる。 この気持ちを押さえることは、今生の僕には、どうも無理みたいです(笑)! とにかく、いっぺんやらしてもらって、それを身をもって味わうまで押さまらんねんな、これが。 でも、そうやって体験すると、それまで世間で言われてきたことや、今まで生きてきて勝手に刷り込まれたものが、全然違うことを知る。 だいたいが「やっぱりな」と思う。 そして、みんなどんな人も罪ないなぁと マジで思える。 体験すると,ほんまに そう思うことがむちゃくちゃ多い。 すると、僕には、この日本社会は、やったこともない人間たちが「大きな違いがある」のを知らずに、さも、「やったことがあるかのようにみせること」で、社会を作りあげてるように見えてしまう。 何でも体験すると、中には知らなきゃ良かったと思うこともたくさんある。 でもこの世の中突き詰めてゆくと、見ただけ聞いただけの人間がなんと、多いことか。 やってみたり、体験したあとでは、それらの常識は、吹けば飛ぶほどあまりに、か弱わすぎるモノに感じる。 この国の人は誰もが体験することを怖がる。だから体験したら、きっとこんな感じがするんじゃないかで、おしゃべりして、その結果で出てきた「こうしとくのが一番イイんじゃないかな」ってもので、社会のルールや常識が、出来あがってると分かってくる。 なんて、たよりない我が国の社会なんやろ・・・。 これでよくも「子どもたちに夢を持て」って言うてると思う。 自分らは夢を持つどろか、人を責めることばっかしてんのに! なんて弱いんや! 本来大人って、人を責めず許す強さを持ってるもんとちゃうの! 弱い人間がどんどん集まると、集団化する。そして集団化することで、弱かった個々人がどんどん強い気になっていく。はては、その一件にまったく関係のない人間まで参加し、さらに興味のない人間まで集団化に加わり、徹底的に一人を責めまくるという残酷な様を見せる。そんな人間の集まりが、今の日本社会で大人をしてるから、子どもらの夢を知らぬまに奪っていく。 真理から言えば、誰もが人を責め切るだけの立派な人間やないのに、この国の大人たちは集団化すると「異常な正義」を振りかざし、そのたった一人をつるし首にする勢いを見せる。 なんちゅうこっちゃ! そしてタチがワルいのは、この集団化は裁きようがない。 そしてさらに別のタチのワルさもこの集団化は備えていて、もし逆襲できたとしても、その集団化の中心人物をつぶそうとしても、すぐに責任のなすりつけ合いが始まるという「悪鬼な器用性」が働くため、集団化の個人個人を なかなか責任追及まで追い込めないという「悪システム」が働く。 だから この国の集団化に 鉄槌を下すためには その集団化に関わったすべての人間を裁くか 訳のわからん理由を国からつきつけられ、保留バカにされるか、圧倒的パワーを宿す人物が現れ、その人の「鶴の一声」がない限り、無理やと思う。 なんて バカバカしい世の中になったんやろ・・・・・・。 当事者以外は、普段は、全然他人ごとやのに、一旦 火の粉がかかり出すと、豹変する人間たちで社会が出来上がってるんやもん。 それでは、僕ら大人は、子どもらに夢を魅せてやれやんと思う。 今の大人は一人一人が「信じられない社会」を作り上げてる一人として、世の中に荷担してしまう矛盾の中で生きてるような気がする。 違うものに違うと言えず間違いとわかっていても、その間違ったことをしてでも給料をもらわなあかん中で。 そんな世の中って何やろ。 僕は そんな矛盾社会をこの6年、日本の端から端まで見せてもらった。 おかげで今の僕の感性は、その「矛盾」を「おもしろさ」として捉えられるようになった(笑)。 だからこれからは、矛は「矛」として、盾は「盾」として体験しようと思う。その毎日に身をさらすことが僕みたいなヤカラには一番合ってる気がする(笑)。 43歳になったヤツのセリフではないとは思いますが(笑)、今 マジでそう思ってるし最後やし述べさせていただいておきます。 今まで ほんまに みなさんありがとうございました。 どうか みなさんの人生が 健康で笑顔の多いゆたかな人生でありますように! 感謝(^O^)/~~~~~ |
|
10月 28日 No.2000 2000回 感謝をこめて(^O^)〜! |
|
感謝をこめて最後の一日一言です。 最後の一燈を、今まで読んでくだすったお礼かたがた、心をこめて一文字一文字灯させていただこうと思います。 2000回かぁ・・・。 イコール 2000日かぁ。よくこの飽き性の 僕が 書き続けられたなぁと思います。 こうやって続けてこられたのも、このつたない文章を読んでくださったみなさんのおかげやなと、しみじみ思います。 ほんまに(^O^)! だって、山ほど他にもホームページやブログがあるのに、それらの中で、僕の文章を読みに来てくれた人がいてくれたんやもん。おおきに! それがなかったら、2000回も、この僕が続くはずがないわぁ。 それに、たとえたった一人でも、僕の書いたものを読んでくれる人がいる限り、がんばって書かねばって思わせてもらえたのも、僕にとって貴重な気持ちを授からせてもらえました。 ほんとに、みなさん、今まで読んでくださりありがとうございました。 もう一回いわせてね! ほんまに ありがとうございました。(深々とおじぎペコリ) また、どこかのホームページか ブログで ひっそり 現れるかもわかりませんが、とりあえずひとくぎりです。 最終回です。 もし 既得な方がいらして、あのアホのあきちゃん、今、何してんのかなぁ(笑)と、気になった方は 講演先に来てくれるか、江戸の寺子屋まで見に来てくれるか、プチ出張寺子屋を開いて呼んでくださるか、僕があちこちでやるつもりのイベントに顔を出してくれるか、地方でしゃべってるとこへ乱入してくれるか(笑)、「心の窓」に来てくださるかして、見に来てくださいな(笑)。 それでもなんせ、きまぐれな天の邪鬼やから、なぁ。急に遊びに行ってやってないかもしれないし、世界中の子どもたちに、バカをしにいってるかもしれないので 、ついでのついでぐらいの、軽い気持ちで のぞいてみてくださいな(笑)。 僕はこれからは、一羽の鶴のようなブックドクターを目指したいと思っています。 鶴は、昔から、庶民から高貴な方まで、または、3才からお年を召された方まで幅広く知られるほど有名な鳥です。 ですが、意外なことに、野生の鶴を見た人は少ないわけ。動物園とかじゃなく、生の鶴を見た人は、ほとんどいません。もし、見たとしても、ほんとに限られた人たちか、運が良かった人しか姿を見られない生き物なのです。 そんな鶴のような存在に僕も、なりたいなぁとマジで思っています(笑)。 つまり、あきちゃんは知ってるけど、最近、ナマあきちゃんを見たことがないなぁーって、言われるぐらい、あちこち、動き回るつもりなのです(笑)。 それに、鶴は、その昔、日照り続きで困っていた小さな貧しい村に舞い降り、そのとたん恵みの雨が降り出したとか、逆に、雨が何日も降り続いてる人里離れたひっそりした村に、その白細い鳥が舞い降り、そのとたん雨足が急に弱まりはじめ、ついに雨があがり、雲のすき間から瑞光が差し、もやの中に浮かぶ、その白細い鳥を日の光が照らしたため、その美しい白い鳥を見て、その村のたくさんの一介の大和人(ヤマトビト)たちが、大声をあげて、欣(よろ)こんだそうな。 そこから、そんな一鶴(いっかくと書いて、「ひととき」という意味がある)ひとときに、たくさんの人に、欣んでもらうことを、千欣というんやて(笑)。 以来、鶴は、昔から、貧しいながらも、明るくくらそうとする農民たちのあいだで、恵みをもたらす縁起の良い聖鳥とか吉鳥(吉兆にかかる)として扱われ、親から子、子から孫など人びとの間で、吉兆噺しなどとともに語りつがれてきました。 不思議なことに、鶴は、今だに、豊かな地には、舞い降りることがないそうな・・・・・(笑)。 そんな鶴やから、太古のむかしから、みんなが知るほど有名なのに 出逢おうと思ってもなかなか出逢える鳥ではありません。 これからも、一生、野生のナマの鶴を見ない人もたくさんいることでしょう。 それが ある日、僕が遠征先の道の駅で トゥデイを止めて寝ていて ふと目をさましたら、いたのです。 びっくりしました。 向こうから 逢いに来てくれたように感じました。 あの 縁起の良い鳥が・・・・・・。 うれしかったなぁ、あれわぁ・・・。 しかもその日は、ちょうど 親父が生きていれば、66歳の誕生日の日でした。 あれは 親父が鶴に化けて 「何をしょげとんねん、おまえらしなぃ。いつも通り、おまえらしゅうー元気に無鉄砲にガンガンいかんかぃ!」って 言いにきてくれたのかもしれないって マジでそのとき思いました。 そんなわけで次の僕の事務所の屋号は 一鶴千欣(いっかくせんきん)にしました(^O^)// ☆〒151-0053 東京都渋谷区代々木5丁目67-1 Jビル地下1階 ⇒FAXのみ設置 03-3466-8859 ☆ (*講演・江戸寺子屋・心の窓など、ブックドクターとしていろんなおもろいことは、引き続きやります(笑)*) 以後よろしゅーに\(^O^)/ 一鶴千欣の屋号の由来は その鶴の云われのように、 “一羽の鶴に、出逢うだけで たくさんの人が 欣喜(きんき)する。「欣喜=声を出して笑ったり欣(よろ)こび合う様」 言い換えると、あるところで、人生のひととき(一鶴の別の意味)を、その場にいるみんなで声を出して笑ってたり欣び合おうぜ!、って意味です(笑)。 だから、これからは、僕を見るのは、ひょっとすると、鶴に出会う確率ぐらいになるかもしれないと、思っておいていただけるとありがたいです(笑)。 ほんとに みなさん 今までありがとうございました。 心の底から、みなさんには、(((((感謝))))) しております! 今まで、ほんとに、こんな天の邪鬼な 白天狗こと ブックドクターあきひろに、山ほどのご厚意を頂戴させていただき、誠にありがとうございました(*^0^*)/ また どこかで・・・・・・ 必ず、どこかを飛んでいますから・・・・・(笑) ♪〜θ(^O^)/~♪ |
|
10月 27日 No.1999 ☆明日で一日一言(いちにちいちごん)も最後! 親は死ぬまで、ことあるごとに「この子が授かって、ほんとに良かった。神様、仏様、ありがたや ありがたや」の心を忘れずに(笑)! ☆(^O^)☆ (カウントダウン ラスト1) |
|
1999回かぁ・・・・・・。 ラス前でも、やっぱ親子ネタだよなぁ。つきないねぇなぁー親子ネタわぁ(笑)! さて、親の心、子知らずの中で、親が我が子を思う、心の在り方をラス前で念を押すように 述べさせていただこう(^O^)。 国によって違うが、我が子が成人するまでを、「子ども」と定義するとは「子どもの権利条約」に記述されているところ。 実際には 親から見れば、我が子はいつまでたっても 我が子だし、子どもから見ても、親は、親である。 この当たり前なことの意識が 親は 我が子が30にもなれば、かなり薄らいで往く。 そんなときだよ、我が子の幼いころを思い出してほしいのは・・・・・・。 一緒に買い物に行って、おやつにガムを買ってやり、そのちっちゃい手に ガムをしっかり持っていた あの日のことを! 自分が 風邪をこじらせ、寝ていたら、コップに水をくんで その水をこぼさないよう ゆっくりゆっくり 運んできてくれた あの日のことを! 夕飯を終え、家族でこたつの上でゲームを楽しんだときのことを! ドライブに出かけ 嫁はん子どもが 全員 罪のない顔をして寝ていた あの帰り道のことを! 何でもいい 思い出してほしい。 そうすりゃ、ああ こうやって今 思い出せる「思い出」があるのも こいつが授かったおかげかぁ、ありがたや ありがたやってなると思う。 この子が 授かったおかげで いっぱいイライラしたり 起こったりしてきたけど よーく考えてみれば この子には 何度笑わさせられたことかぁ。それもこれも この子が 生まれてきてくれたおかげよねぇ。この子が生まれてきてくれなきゃ 私は 母なんかやってられなかった。何か複雑だけど でも すべて この子が授かったおかげたわぁ。 ほんとにありがとうございました。 神様 仏様 ご先祖様、こんな私に この子を授けてくださって。ありがたや ありがたや・・・・・・。 親が この心の在り方を 色濃く宿すならば その家族に 笑顔が絶えることはない! そしていつしか、その我が子も親となり この心を宿し 笑顔の絶えない明るい家庭を 持つだろう・・・・・・・☆ |
|
10月 26日 No.1998 子どもたちは、何も知らないということを自覚している。 大人たちは、何も知らないということに無頓着である!(笑) ☆(^O^)☆(カウントダウン ラスト3) |
|
子どもたちの すごい能力のトップスリーの一つに必ずあげられる能力をいうと「知らない」ということを、忘れない能力が授かっていることである。 大人たちの場合は、年齢を経て、ある程度 物事を知ったために、「知らない」という能力が鈍くなっていき、知らないことがまだまだ多いくせに、「知らない」と感じることに 敏感でなくなっていってしまっている機会が増えているだけである(笑)。 簡単に言うと バカなのにバカを隠そうとするバカなのである(笑)。 子どもたちは だから 鋭い質問をする。 「ねぇねぇ あきちゃん、この前 時間の授業のとき 先生が 長い針短い針 細い針を動かして時計の読み方を教えてくれたんだけど、そのとき細い針は 決して 止まることはない、今までも これからもって言ってたんだけど、じゃあさぁ、誰が一番始めに 細い針を1秒の位置に動かしたの?」と言ってきた。僕は この哲学的質問に 即座に親切丁寧にこたえて 納得してもらい喜んでもらった。 何でも知っていると 子どもたちに 思われている大人は 何とこたえるのだろう。 大人でも 「知らない」ことに敏感な大人なら 必ずこたえられると思う。 こんな 子どもたちの質問に 臆することなく こたえられる大人が ものごとを わかっている 大人というのである。 こんな哲学的質問を連発できる発想を宿す子どもたちは やっぱり すごいのである。 大抵の大人は この質問で根をあげるだろうな。 でも、この質問すらこたえられない、何も知らない自分に出会い直して、「知らない」ことに対して、敏感さを少しでも 取りもどしてほしいと思う(笑)。 |
|
10月 25日 No.1997 子どもは、壁の向こうに未来を見る。 大人は、壁の向こうに過去を見る(笑)! ☆(^O^)☆ (カウントダウン ラスト4) |
|
子どもたちと言えど 神さまは ちゃんと自分を見つめられるよう、それぞれの年齢や環境、男の子、女の子で「人生の壁」を用意なさる(笑)。 それぞれは 訳もわからず壁にぶち当たっていく。 壁の向こうに こうなったらいいなぁ よし そうなるようにがんばろう!とか、中には、「人生の壁」を壁と思わず、ゲームの一面をさばくような、この一件をクリアーしたら 次はどんなステージが待っているんだろうって、わくわくしているような強者の子どももいる(笑)。 まだ大人的思考に感化されていない子どもたちの多くは 壁の 向こうに 明るい未来を見る。 ワンダフルである(笑)。 そこへいくと、大人は 数日後にお願いされた、ちょっとした頼まれごとでさえ、悩んだりする(笑)。悩みぐせのついてる人は、「人生の壁」でも何でもない ただの頼まれごとなのに、壁がまた来たかのような気になってしまう。 それだと、壁の向こうが 明るくないよなぁ。 壁の向こうに 過去の失敗、過去の判断ミス、過去のあやまちを、ついつい見てしまうからだろうな。 そんなときの大人って 弱いなぁ・・・・・・。 神さまが大人に用意する、すべての「人生の壁」には、その人がそれまで生きてきた、その人用の色がつけてある。だから万が一にも、簡単に突破をできるように しかけていない(笑)。 神さまは いじわるなのかもしれない(笑)。 常に 万が一が起こるよう、リスクを壁にくっつけている。 だからとて、その万が一を 恐れて「壁」の突破はありえないようにも しかけている。 神さまがすべての大人に用意されてる「人生の壁」を突破するには かつてガキのころに持っていた 壁の向こうの明るさを見たいがためにみせた、勇気とど根性が 今一度 試されるかのようになっているのかもしれない・・・・・・。 |
|
10月 24日 No.1996 子どもたちは、何かを始めるのに戸惑わない。 大人たちは、何をするにしても戸惑う! ☆(^O^)☆ (カウントダウン ラスト5) |
|
子どもたちは ほんとに初ものに、何の戸惑いもなく手をだすよなぁ(笑)。 特に新型パソコンや、携帯ゲーム、カードゲーム、新しいスポーツ器具など、感覚的に初ものに強いため、スッと手を伸ばし実際にまずやってみようとする(笑)。 大人なら「失敗したらどうしよう」「カッコ悪い思いはしたくない」「壊したらどうしよう」など、何かにつけて理由をつける。結果、戸惑いから理由をつけ、様子をみようとしているだけの「自分」を隠したいだけなのである。 ところが 子どもたちは初ものに群がる(笑)。 このパワーがすごい。尻込みする 大人たちなんか どいてろっ!て言わんばかりである(笑)。 まぁ、大人は、ほっといても 手なんか出すつもりはないんだけどさ、子どもたちにとってみたら、そんなときでも、大人はやってもいないのに、口だけ出して「こうしろ」とか「ああしろ」とか 自分たちに言ってきそうな感じがするんだと思う。 大人で 初ものに弱い自覚のある人は 初ものに強い子どもたちに 口を挟まないようにしてあげてほしいもんだ(笑)。 |
|
10月 23日 No.1995 子どもたちは、大人たちがいない方がのびのびする! 親たちは、子どもたちがいない方がせいせいする!(笑) ☆(^O^)☆ (カウントダウン ラスト6) |
|
元ヤンキーだった6組みの親たちが、それぞれの子どもを連れて、キャンプに行った。 さすが、元ヤンキーの子どもたち、キャンプ場に着くやいなや、親たちの目の届かないところに一目散に消えてゆく(笑)。年長の子どもが6年生、一番下が2年生。それぞれ、わんぱくざかり。中には、母親のヤンキー姉時代そっくりのやんちゃ娘もいる。危ないところばかりいく。崖っぷち、火遊び、やぶ蛇がいそうな草むら、おかまいなしに 駆け抜ける(笑)。 親がいないときの あののびのびした 笑顔。 あの笑顔は こっちまで元気がもらえる。 そして、夕方、「腹減った メシ食わせ!」の大合唱(笑)。 鉄板焼きで お肉、ソーセージ、チビハンバーグなど、子どもたちの大好きなものを食べさせる。食べ終わった子どもたちは、そそくさとジュースをたんまり持ってテントに入っていく。2時間ほどすればテントが静かになり、子どもたちの体力に応じて眠りについていく。 ようやく大人たちの時間だと、このとき、親たちの心に 安堵したかのような、せいせいしたものがなぜか宿る(笑)。 親たちは ここから語りあかす(笑)。 キャンプには、子どもたちは子どもたちで、親たちは親たちの、それぞれの「ひととき」を求めさすものがあるのさ。 のびのび と せいせい か・・・・・・何か、いいね(笑)。 |
|
10月 22日 No.1994 子どもたちの中にも、大人たちの中にも、ほんとに思い切りがよい人もいれば、思い切りがわるい人もいるもんさ(笑) ☆(^O^)☆(カウントダウン ラスト7) |
|
子ども5人と あるスポーツジムの フリークライミングを体験した(笑)。 めっちゃおもろかった(笑)。 なぜかと言うと 当日のジムへの体験申し込みが子ども大人合わせて25人いた。ジムのコーチが、6人を一グループにして4チームにわけた。そのとき、コーチが「誰かこの子どもたちの中に入りたい大人の方はおられますか?」と言ったので、僕が「はい」と言って、6年生の男の子5人の班に入った。 この5人 それぞれの地区のガキ大将の匂いがした(笑)。 すぐ 僕は 5人の名前を聞き 僕のことは おっさんと呼べって言ったらみんな笑ってた。 壁の高さ 8m。その壁には手をかけやすいように プラスチックの穴が 赤・青・黄などの枠色をつけてあいている。 そのとき、もし落下してもいいように安全ロープを体に巻いて登るのだが、これが 思い切りのよいヤツと 思い切りのわるいヤツが 子どもも大人も 壁を相手に、てきめんに出た(笑)。数メートル登ったところで 安全ロープで落下しないのに 急にビビるヤツ(笑)、スイスイ登っていくヤツ。コーチの補助員の女性のインストラクターが「次 そこの青に左手をかけて 右足を緑にかけてー」と言っても 固まって まったく動けなくなったり とにかく笑った。僕が笑うと一緒に登っていたガキ大将の一人が「おっさん笑うなょ。オレまで笑えて 手に力が入んねぇーじゃん(笑)」「うるさい クソガキぃー。笑って地獄に落ちろー」って 僕が言って くすぐると 手が、はずれてブラ〜ンてなった(笑)。でも、さすがガキ大将たちだ みんな思い切りがいいから 僕らの班が一番早く 全員が登りきった。 人生の壁も こうやって思い切りよく 笑いながら手をかけ 足をかけ登りたいものである。 |
|
10月 21日 No.1993 子どもたちも、いつの日か親になる。親になったとき、今の親子関係の何を思い出してくれるのだろう! ☆(^O^)☆(カウントダウン ラスト8) |
|
子どもたちの中には 自分が何かやらかして、親に怒られたり、叱られたりする事が、のちに、自分たちが親になったとき、我が子を怒ったり叱るときの指針となろうとはこれっぽっちも思っていないはずである。 すべての親は、我が子を怒ったり叱りながら、子どものころに回帰する。 怒ったり叱ったりするばかりが回帰するわけではない。 楽しい夕食時、家族でテレビを見てても、何かで我が子を誉めても、泣いたときも、親に刃向かってきても、ちょっとした庭の草ぬきをしても、服のほつれ一つみても、朝ごはんのときに、たまごかけごはんを食べても(笑)、親になると 子どものころに回帰するときがある。 今の子どもたちが 何を思い出してくれるか、親はまったくわからないが、欲を言えば、どのシーンを思い出されてもいいように 今 しっかりした親子関係を築いておきたいものである。 できれば、怒っているときのシーンばかりを思い出させないようしてほしい。 願わくば、親の笑顔をたくさん思い出してほしいもんだ・・・・・・。 |
|
10月 20日 No.1992 子どもから大人まで、わかりやすい嬉しさの一つに、思わぬお小遣いがある(笑) ☆(^O^)☆ (カウントダウン ラスト9) |
|
親に何かのあぶく銭ができたとき、我が子にお小遣いをあげる。 「はい、これっ。少ないけど、これ、お小遣い」と言って、おかんや、おやじから渡された1000円が嬉しかったのを今もはっきり覚えている(笑)。 当時、僕の大好きなベビースターラーメンが10円だった。 だから、くそガキの僕にしては、毎日学校の帰り道がちがったが大抵、3コースのうちどれかで帰っていたのだが、それぞれに駄菓子屋があった。だから、駅前の徳原商店か、車が通る 危ない道と言われていた方にある 古川ばばぁの店か 斜め向かいの 八百善という八百屋かで 1000円もあればベビースターラーメンを毎日食べられると思って嬉しくてしかたなかった。いやな授業を毎日がまんできるほど 帰りが楽しみになった。 大人になっても それは変わらない。 ある作家を家まで 遅らせさせてもらうだけでも 僕には 一生忘れられない思い出をもらったのに その上「きょうは 1日ありがとな。これ、油代と帰りの夕食代。夕食に付き合えないから、帰りに何かおまえの好きなもんでも食べてってくれ」と言って、お小遣いをくれる。結構です、と力づよく断っても、その人は、おまえだから、お小遣いを渡したいんだ、わかってくれ、と言ってくれるもんだから、心底、心に刻まれる言葉とともに 手の平に乗せられたお札が 感謝でとても重くなる。だが、その重いお札のお小遣いは とてつもなく嬉しい 心のお小遣いとなる。 いろんなお小遣いを 与えたり 与えたられたりすることは どれも「嬉しい」ものばかりだと思う。 「お小遣い」って単語は 日本語ならではの すてきな単語である。 ギャラという外来語とは 品格の質が格段に違うと、僕は断じて言い切らせていただく(笑)。 |
|
10月 19日 No.1991 子どもたちの要求は、常に単純である。 大人たちの要求は、常に複雑である! ☆(^O^)☆ (カウントダウン ラスト10) |
|
子どもたちの要求は いたってシンプルである。 ノドが 乾けば 「お水」と言い、お腹がすけば「お腹すいた。何かない?」と言い、眠たくなれば どこだろうと寝てしまう(笑)。 とても わかりやすい。 言うことも 動きも・・・・・・。 大人は そうはいかない。 情けないほど そうはいかない。 ノドが乾けば、水道の水でもいいのに、そうはいかない。 昔は それで良かったガキだったはずなのに。 腹が減れば、前に食べた兼ね合いを考えたり、カロリーを気にしたり、目についたものを 自分も食べたくなったりする。さっき食べて腹が一杯のはずなのに、ラーメンのニオイを嗅いだ瞬間に急に 一杯だけ 食べたくなったりする(笑)。 大人は 複雑である。 そのため、眠たくなって寝たのに、数時間で目が覚めたり、眠たいのに寝れなかったり、食う・動く・寝るの三大基本行動がシンプルにできない。 たいへんだなぁ 大人は。 でも、大人 みんなが複雑だから 相殺されて、案外、大変じゃないのかなぁとも思う。 大人社会で 子どもみたいなシンプルで生きる方がもっと大変そうだから、それでいいのかもしれない。 僕は シンプルな方が好きだから、大変だとしても シンプルな方で生きていきたい。これからは好きなだけ・・・・・・・(笑)。 |
|
10月 18日 No.1990 「優しい」とは、どういうことを言うのか、教えなくても、こんなに、子どもたちは優しい! |
|
都内の図書館に 閉館までいて、外にでたら 秋にふさわしい 秋雨。 午前中の天気の良さから、まさか、夕方に雨が降ってくるとは思っていなかったのでカサなんか持っていない。 図書館で 本を借りたし、駅まで タクシーでいくかぁーと思ったとき、2才ぐらいの男の子が ブルーのカサを差しながら、僕の横を ママと一緒に 通っていった。そのとき 通りすがりに男の子が 首を 後ろにねじるように 僕を見ていった。当然 目が合う。しばらくして、ピタッと止まった。まだ 目が合っている。その男の子が 僕の方に 走ってきた。そして、カサを 出して 「カサないの?」と 聞いてきたので 「うん、おいちゃん カサないねん」と言ったら 「これ さしなさい」と言ったので 「さしなさいってかぁ、がははははぁー(笑)。」と笑ってしまった。なんと、この43ちゃいのおっさんに、2才の男の子が自分のカサを貸してくれようとする、優しさを施してくれたのである。すぐにママが来たので、その子のお母さんと話しして、 駅まで 一緒に タクシーに乗ってもらった。 車内でお母さんに「この子優しいなぁ。上手に育てて」と言ったら 「いつもは、保育園から歩いてすぐのところに家があるもんですから、雨が 降っててもカサなんかさしたことないんです。びしょびしょに濡れて帰ってくるのが 好きなんです(笑)。だからカサを貸せば、自分にはカサがないから、濡れて帰るしかないってなって、ほんとは、この子、雨の中をただ濡れて帰りたいだけだと思います。わたしが優しくないんで、この子が優しいはずがありません(笑)。」と言ったので「いや、これこそ優しさやて。だってオレに声かけてくれたんこの子だけやん。お母さん、我が子を守るように、オレの横通っていったやん(笑)」「そうですね、コワそうだったんで(笑)」「あはははー」 駅で降りて 男の子が「バイバイ」と言ったので 僕も そのブルーのカサを持った男の子に「バイバイ」と言った。 40cmぐらいしかないブルーのカサやけど、そこに でっかい優しさをつめたカサやったなぁと思った。 おおきに、こんなおっさんに優しゅうしてくれて・・・・・。 |
|
10月 17日 No.1989 子どもたちは、何をするのも一生懸命 親たちは、何をするかに一所懸命! |
|
子どもを見てると ほんとに 何をするにも 一生懸命だと思う。 ポテトチップの袋を開けるのも 一生懸命開けようとするものだから、ぶちゃけてしまう(笑)。 鬼ごっこで、一生懸命逃げるものだから、耐震ガラスが見えなくて、追突する(笑)。 それほど 一生懸命である。 勉強は なかなか一生懸命やってくれないのが たまにきずぐらいだろう(笑)。 大人は 効率的に得をするようなものがないかと 何をするにしても 一所懸命である(笑)。 今度は 人より より評価されたい。あいつより早く出世したい。あそこのうちの子より うちの子の方が すごいんだということを ご近所の人たちに認めてもらいたい。人を蹴散らしてでも ブランドもんを手に入れたい。 うちの子が頭が良くなってもらいたいので、この地区で一番 評判の高い塾はどこか お金を使ってでも探したり、良いテクニックや実績のあるコーチや監督、または先生のいる習いごとをさせてやりたい。よい学校に通わせたい。などなど、一つ所に、懸命になってしまう。別に それが悪いとは言っていない。 ただ、子ども本人が一生懸命になっているところを 損得ぬきにして、一所懸命に見てあげる親が増えてほしいなぁと いつも願っていることは確かかな(笑)。 |
|
10月 16日 No.1988 一言、我が子に声をかける 親は、この一言で止めるってことがヘタだねぇ! |
|
親子の「あや」の一つに ついつい余計なことを聞きすぎてしまったり 言い過ぎてしまったりすることがある。 我が子にとっては それ以上 まだ聞きたいことがあるの? まだ何か言いたいことがあるの?、って感じにちがいない(笑)。 肝心な一言だけ 言えばかなり 返事もしてくれるだろうし、親に対する雰囲気も もっと柔らかなものになるだろう。 では どうすれば その一言を絞れるかと言うと、それは リラックスして見るのである。リラックスして見れば ムダな一言は、かなりの量が自然に省けてしまうであろう。 親が 何かしながらではなく、普段から リラックスして我が子を見ていれば 自然に 言葉が絞れるためである。 ところが 何かしていては、見てない部分が増え、思わなくていいことや、考えなくても言いことを考えたりして、不安や心配ごとが生まれるため、その不安が当たらないように 余計なことまで言ってしまうのである。 親の気持ちとしては、分からないわけではないが、子どもの気持ちを思えば 一言ふた言なら 聞かないわけでもない気持ちも 分かるので、であれば 親が一言に 気持ちを絞れられれば 親子の「あや」は 良い方向に働く「あや」となっていくことは、親のみなさんなら、とても想像しやすいと思う。 |
|
10月 15日 No.1987 子どもたちの動きには、大人のようなムダがない! |
|
幼い子どもたちや 感受性豊かな子どもたちは、効率的な動きを良くわかっていないため、大人や親が見てると ムダが多いように見えたり 要領が悪く見えたりする。 それは 大人や親たちは 効率的な動きや 要領をガキのころから、叱られたり、怒られたりしながら、わかっているためである。 でも そのガキのときに叱られたとき 何でこれが 効率的な動きになっていないと、叱られることになったのかを 記憶している大人や親は ほとんどいない。 つまり 叱られたり怒られたりしたことだけ記憶に残り そのときの 僕は僕なりの理由があったことを覚えている人はいないわけ。きっと叱られたときに ふっとんじゃうんだろうなぁ(笑)。 子ども本人は 大人の効率的な動きをすることは 楽しくないのである。 むしろ 大人のいう効率的な動きができなかったり 要領が悪いと言われるような動きの方が 楽しいことが多いし、大事なことは 「自分が自分の満足する動きに ムダなく動く」ことができる。 大人は 効率的に動けても 子どもたちの、「自分が満足するための動きになっているか」という視点から見れば、大人のいう効率的な動きや 要領の良い動きは むしろ 自分を殺す動きが多いため、 自分を大事にして生きていくには 大人の方が、ムダだらけなのである(笑)。 |
|
10月 14日 No.1986 秋晴れの砂浜を横目に、子どもたちがお外で絵を描く、ナイス姿! |
|
10月12日 日曜日。 秋晴れ 澄んだ青空。 大森ふるさとの浜辺公園に たくさんの子どもたちが お外で絵を描いた。 これがどこに描いたかというと、Tシャツに!(笑)。 子どもたちに用意した色は 赤 青 みどり きいろ きみどり みずいろ むらさき オレンジ 茶色 白 黒 ピンクの12色。 この12色の中から、まず、色の選択(せんたく)。 子どもたちは さまざまな色を「せんたく」し、 さまざまな絵をTシャツに「せんたく」して描いていく。 Tシャツに描かれた絵に ハンガーを通す。 そして砂浜に張られた、のべ200Mのロープに 掛ける。 まるで 砂浜に洗濯(せんたく)ものが、青空のもと、干されたようである。 すげぇー 光景だった。 子どもたちの 絵が はためく。 その景色は、砂浜に できあがった青空美術館である。 絵を納める額が、Tシャツってのがいいね。 僕はその光景を見ながら心底思った。 選択と洗濯。 それは 人生、何の道を選択して生きていくか 個人個人自由である。 だが その人が、その道を ズタボロになって一生懸命生きると、よごれたり、しわになったり、泥やシミがつく。 そんなとき、人生の洗濯や、いのちの洗濯をする。 そして、真っ白になった洗濯物に、これからの自分の人生を見つめなおし、これからの人生の絵図を 描いてみるのも いいもんだなぁーと・・・・・・・(笑)。 |
|
10月 13日 No.1985 母親の一言、背中姿、素振りを、日々吸収し、学んでいるのが我が子! |
|
幼い我が子にとって、お母さんの存在はかかせない。 世界中の、すべての人間は お母さんから生まれている。 だからこそ、お母さんには タフなお母さんになってほしいと思う。 別に 勉強のできるお母さんじゃなくても 明るければいいんじゃないかなぁ。 別に 賢くなくても 健康なお母さんなら いいんじゃないかなぁ。 別に よそのお母さんみたいに、なんでもできなくても、我が子が何よりもかわいいと、その思いを持ったお母さんならいいじゃないかぁ。 別に 料理のうまいお母さんじゃなくても、心のこもった料理を作れるお母さんならいいんじゃないかなぁ。 別に お母さんが落ち込まなくても、我が子が落ち込んでいたら お母さんの笑顔で 元気にしてあげたらいいんじゃないかなぁ。 お母さんが タフだと 家の中が 少々のことでは 家族の和が乱れることがないんじゃないかなぁ(笑)。 |
|
10月 12日 No.1984 苦手なものとわかっていてトライするのは、ほんとにエネルギーがいるよね! |
|
人生には 何度か自分の苦手のことをしなければならない局面が流れてくるような気がする。 まるで これを 少しでも早く越えておきなさいって言わんばかりに・・・・・・(笑)。 僕は メールが苦手である。打つのが ほんとに遅いから。 僕は 納豆が苦手である。糸をひくから(笑)。 僕は 音楽が苦手である。リズムとテンポをどちらも合わせられないから。 僕は お酒が苦手である。酔って 頭や体が暑くなって 眠気がすぐくるから。 僕は 黙ることに苦手である。せっかく声が出る体を授かったんだとガキのころから思っていて だったら このダミ声をたっぷり使わせてもらおうと思っているから 以上 あきひろの五大苦手要素である(笑)。 この中で苦手なりに 少しづつでも やっているのが メールである。 そこに 6点目になろうとする、流れがやってきそうなのである。 パソコンである。 あぁー パソコンを見るだけで 大量のエネルギーが吸い取らる(うゥゥゥ)。 でも、この流れは かわしても また 来そうな流れだから、腹くくって、苦手なりにゆっくりやるしかないかぁ。 |
|
10月 11日 No.1983 100歳まで生きられることはほんとに喜びなのかなぁと思う! |
|
この国の大人たちは、ほんとに100歳まで生きたいのかなぁ。 僕の親父は65歳で世を去った。 60歳を迎える9月まで勤め上げ、「これからは サンデー毎日じゃ」と言いながら、毎日、わずかな小遣いの中で、遊べる時間を手に入れ、何して生きるかなぁって感じだったのに、ついに5年後には「永遠の日曜日」ならぬ「永遠の休日」を手に入れてしまった。 親父に限らず、人間は 例外なく 誰もが「永遠の休日」を手に入れる。 ただ それを人生のどこで手に入れるのか 誰にもか分からない。 現代医療機器を駆使しても、体が健康のまま、どこも痛むことなく、100歳まで生きられる人は1%の確率もいない。 この国のほとんどの大人は 人生半ばにして 自らの体や精神に 何らかの痛みや病や悩みを抱えてしまうほど マジメに生きてしまうからである。 そんなマジメな人たちが、そんな体のまま、ほんとに100歳まで 生きたいのかなぁ。 できれば 体がいうことを聞いてくれるうちに、そのマジメを活かして、マジメに、「したいことをして」おいて、いつ「永遠の休日」が来てもいいようにしておく方がいいって人が、もっといてもいいんじゃないのかなぁ。 まぁ、100歳まで生きたいってマジメに思っている人は どうぞ、どんな形でもいいので生きてくださいな。 僕は いやだけど・・・・・・。 |
|
10月 10日 No.1982 絵本を読んだり、見たりしていると、子どものころのいろんな感情を取り戻せるから不思議である(笑) |
|
絵本の効力に改めて感心した。 やっぱ絵本という書物は コスモ(宇宙)を感じる。 子どもたちなら、その1冊のコスモを たっぷり浮遊して 楽しめるのだろう。 僕も絵本の中に 入りこんで たっぷり浮遊遊泳してくる。 そうすると 子どものころに 感じていたものを いくつか 取り戻して帰ってこれる。 「いたずらきかんしゃちゅうちゅう」を読んだり見たりしてるうちに 僕がちゅうちゅうに乗せてもらったときの車窓から見える たくさんの景色がガキのころ、近くの山から見える景色だったり 匂いだったりする。 その感覚に触発されていろんな感覚をとりもどす。 マツボックリが見えたり やきいも屋さんの「おいしい おいしい やきいもだょ〜 や〜きいも〜〜やきいも」というアナウンスが ちゅうちゅうの絵本の中から 聞こえてくる。 さんざん 浮遊して絵本を閉じると、ほんとに 心がワクワクドキドキしっぱなしで とても いい感じなのである。 ガキのころのあのいい感じに体と心が包まれるんだな〜これが。 みなさんも 読書の秋にいかがでしょうか(笑)。 |
|
10月 9日 No.1981 今は、朝、目を覚ましてから、夜、眠るまで、大人も子どもも、落ち着けない。そんなの安眠できないっしょ! なんとかなりませんかねぇ神様ぁ! |
|
お父さんは 会社での仕事がうまくいくようにとか ミスのないようにとか、家に帰ってきても、ずっと考えてしまって心が落ち着かなかったり、お母さんはいろんな物価の高騰や 支払いの工面や 我が子のことなどで 常に気が休まらなかったり、子どもたちは、何かいいようのない不安をかかえたり 部屋を真っ暗にすると なぜか怖い感じがしたり、授業中も、何が気になるってワケではないけど、集中できない元があったり、とにかく落ち着けない。 今は、大人も子どもも ひとときも 心が落ち着かないのかなぁ、と思う。 寝ていても 心が落ち着かず 眠りが浅いまま、何日もそんな日々を送っているなら、健康をいつかそこなってしまうんじゃないのかぁ。 わかっているのに、なぜか 眠れない。 ねぇ、神様ぁ もし、いるならそれぐらい なんとかならないかなぁ。 だって、遅かれ早かれ あなたは 「眠らせる」ことができる力をお持ちなのだから。 せめて 日々の安眠ぐらい 人生をまっとうに修行できるよう調節してあげてくださいょ。 寝る子は 育つ!ってくらい 丈夫な 人間がたくさん世の中に育ってほしいでしょーに。 お願いしますょ、神様ぁ・・・・・・。 |
|
10月 8日 No.1980 自分一人では何もできないこともあれば、自分一人しかできないこともある(笑) |
|
今回は、とにかくポジティブに述べてみたいと思う(笑)。 子どものころ、鬼ごっこがしたくなったり、田んぼ野球がしたくなったり、はたまた、胴うまをしたり、大きい行事の地区の祭りや運動会などは、自分一人では何もできない。それをガキのころに体験できたことは当時の大人のおかげである。自分たち大人の行事にいつも 子どもたちも 誘ってやるか、子どもたちも入れてやるか、という余裕のおかげで、大人に混じって遊ばせてもらえた。今は 子どもたちのために大人が一生懸命企画しても 子どもたちが「行かない」といって 主役である子どもたちが集まってくれない(笑)。 自分一人で 部屋でゲームをしていれば 大人と関わらなくてすむ方を選ぶ。 昔の子どもは 自分しかできないことを ガキながら知っていた。 川づり、石とばし、プラモデル、切手集め、ヨーヨー、コマ回し、縄飛びのワザなど、そのジャンルによって それに得意なヤツが リーダーになった。 リーダーになったヤツは、そのときの体験が、友達にものを教えるのが 知らず知らず優れたり、伝えるのがうまくなったりした。 世の中に出たとき、それが 役に立つとは思わずに(笑)。 今も、そういう一人じゃ何もできない面と自分しかできない面の両面を 、僕たち大人は、昔を思い出せば、すぐ作ってあげられるじゃないかなぁと思う。 |
|
10月 7日 No.1979 比較的にものを捉えるより、多角的にものを捉える大人を子どもたちは、待ってい るのさ! |
|
小学校に通う、高学年の多くの子どもたちが 今、家の中で聞く、お父さんとお母さんの 比較的なものの捉え方に しらけてしまっている。 親や大人の比較的なものの言いようには、より ムキになるようだ。 例えば 地方で聞いた小学5年の女の子の話し。 楽しく 家族でテレビを見終えて わたしがトイレに行こうとしたら、お母さんがわたしに「あんたも 夢を持って動くってこと一回やってみたらぁ?」とか テレビに出てた人と比較して お母さんが言ってくるのが うざい!と僕に教えてくれたり、小学6年 の男の子は「あきちゃん、大人って 何で僕たち子どもには みんな 何かと比較しても のを言ってくんの?」って ストレートに聞かれることが、ほんとに増えた。 多角的なものの見方が 僕たち大人がどんどんできなくなってきているのかなぁ、と思う。 そういやぁ昔の大人はよく言ってたなぁ。 僕がこれしかないのかなぁ?と聞くと、 「あほか おまえわぁ。そんなことやから失敗して詰まってまうねん。それ以外に これもあるし、こないすりゃこうする方法もあるし、ちょっと角度変えりゃあ このや り方もあるし あのやり方もあるわい。いろいろやってみぃー」って。 そう言われると あっそうかって思うことがたくさんあった。 あれが 高学年ぐらいのときって、めちゃくちゃ助かるんだよなぁ。 |
|
10月 6日 No.1978 引き継ぎがうまい人は、人に伝えるのがうまい人だょ。だから、めちゃくちゃ助かる! |
|
保険の書き替えの時期がきた。それで保険会社の僕の担当に連絡をとった。そしたら、担当者が変わっていて、新しい僕の担当者が電話に出た。僕は 一瞬 心の中で「なんや、勝ってにかわって担当が変わるって連絡なかったやんけぇ」と思った。ところが 意外なことに 次の担当者が「あきひろさんですね、やっと、お話できます。前の担当からしっかりあきひろさんのことは聞いていたんで、今までに3回連絡させていただいて3回とも留守電に伝言だけ入れさせていただいていたのですが、やっと、僕も、いろんなことを会ってお話しできそうです」と言われた。前の担当者とは一年に一度更新の手続きをするたびに、わいわい3、4時間しゃべっていた。それも 含め、いろんなことが 新しい担当者にちゃんと引き継ぎされていた。 数日後に新しい担当者と会ったとき それがわかった。引き継ぎがうまくいっていたのは 前の担当者の伝え方が相当うまいおかげである。 引き継ぎがヘタで 困ることが多かったのだが 今回ばかりは 前の担当者に感謝したい。更新は 僕の性格までよまれ、お値打ちな値段で ぎっしり 特典がついたものを 提示されたので手続きをあっという間に終えることができ、あとは 新しい担当者とわいわい 話しに花をさかせることができた。 今度は 前の担当者も呼んで3人でわいわいやろうと約束できるほどに・・・・。 来年の更新が楽しみである。 |
|
10月 5日 No.1977 確かなことを求めているわりに、自分は確かじゃないことばかり! |
|
人のいいかげんさが許せないって人は多い。 それらの人は 人のいいかげんさを許せないほど、自分は 確かな生き方をしているのだろうか、または、自分が もし、いいかげんなことをしてしまった場合、人を許せないほどの勢いで そんな自分自身も許すことができない、と思えるのだろうか。 恐らく、それらの人のほとんどの人は、人のいいかげんさだけ許せないだけで、自分は 不確かだし、日ぐすりで、自分は許しいるだろう。 それこそ、いいかげんを地で生きている(笑)。 人のいいかげんさは許せないけど 自分のいいかげんなところは 甘あまで許しているとしたなら 自分のいいかげんなところがどこにあるか 自分の都合の良さがどこにあるか、人から指摘されようものなら まっすぐ 頭にきてしまうだけで いつまで立っても 自分で気がつくことがないだろう。 確かに、人は 人を許せないほど憎んだり 怒ったりする。だが、自分で自分のことを わたしはいいかげんなことはしない、と思っている人がいるなら、そんな人は あなたも 、確かなことの一つとしてまた、人から 直接、いいかげんな人ねって言われていないだけで けっこうな 数の人から いいかげんだと思われている可能性が十分考えられることを お忘れなく(笑)。 それを思えば 僕は いいかげんなことばかりしている自覚のある生き方なので キッチリ確かなことをして生きていく道を、だんだん忘れそうである(笑)。 |
|
10月 4日 No.1976 心が激しい動くのは、怒り⇒恐怖⇒笑い⇒感動の順である! |
|
子どもたちは 感受性豊かゆえ、一日に何度も 心が激しく動く。躍動するといった方がいいかもしれない。 泣くほど怒ったり、泣くほど怖い夢を見たり、泣くほど笑ったり、そして、泣くほど感動したりと、心が常に 刺激にさらされている。 神様はそんな子どもたちの心を ちゃんと守るしくみを施している。 それは 執着心をこの時期は 宿しにくくしている点である。 これだけ 感受性が豊かで執着心を宿したなら、恐らく 心は一日でパンクしてしまうだろう。 だが、執着心がないため、次から次へ目移りしたり 気移りして 心がパンクしないようにしてくれているのである。 心は 一つのことに はまって使うと かなりのエネルギーを消耗するが、次なる 面白いものに 心がうつると 新たなエネルギーシステムが働くため、使い続けていても 心のエネルギーが一所に 留まらず、循環する。 神様は よく考えていなさるもんだ。 この仕組みを 大人もかつて持っていたのに、今はなかなか働かないから、心のエネルギーが 一所に滞り、使い果たしてしまうのだろう。 気分転換とは良くいったもので 気分を転換できるものを 持っているかいないかが 大人の心のエネルギーを循環させられるか、使い果たすかのカギとなる。 |
|
10月 3日 No.1975 幼い子にとって、お母さんの元気は、その日1日の明るさを左右する! |
|
お母さんが 朝 保育園や幼稚園に送ってくれるとき、元気に「さぁ、あんたも元気に行ってらっしゃい(笑)」とか言いながら送ってくれたときと、元気なく「いってらっしゃい」と送ってくれたときと どっちがいいかなんて聞かなんても分かると思うが、ではお母さんが 朝から どうしても元気がないときに 我が子には 元気に行ってほしいとの願いを 元気がないなりに 送り出すときはどうだろう。 これは 「いってらっしゃい」と言ったあとに、目を見て、たった一瞬だけ ニコッとするだけである。 感受性豊かな我が子に 何らかの作用があって、お母さんは今は元気がないけど、あんたは元気でがんばっておいでっていう願いが、母と我が子のあいだには、伝わるから不思議である。 お母さんの願いが伝わった子どもには 明るさとなって現れる。 その明るさは、好きな子からイヤなことをされない限り 1日もつほどのパワーがある(笑)。 やっぱ お母さんが 朝から 元気があると 子どもの心に多大なパワーを授けるんだと思う。 |
|
10月 2日 No.1974 自分の欲しい物を目の前にしたら、大人だけじゃないさ、迷うのは。子どもだって迷いに迷うものさ! |
|
ショッピングタウンの銀行ATMに寄ったついでに、手ごろな値段のパーカーでもないかと 館内に入っていった。 エスカレーターを昇ったところに、ワゴン売りのセールをしていたので、ナイスタイミングと思ってみていた。 そしたら、「早く どっちかに決めなさい!」と声がしてきた。見ると、小学校4年生ぐらいの女の子が 黒地に白の水玉もようの服と、黒地に ピンクのウサギがたくさんプリントされているもようの服と どっちにするか迷っていた。 女の子だなぁ、としみじみ思った。どっちも 買ってもらえれば迷わなくてすむのだろうがそうはいかない。 迷いに迷って 水玉の方を持って「こっちにする!」と言った。 お母さんが 「さんざん待たせて、やっぱりこっちなのね!だからお母さんが最初から こっちがいいって いってるのに!」と余計なことを言いながらレジの方に行った。 僕の方は 気にいったものがなかったので 1Fの書店さんに行って本を探していた。雑誌や新刊コーナーや文庫を手にしてちょっと走り読みをしていたら あっという間に 小1時間ぐらいたっていた。 それで車に戻ろうとエスカレーターを横切ろうとしたとき、さっきの母娘が降りてきた。 娘の声が聞こえてきた。 「お母さんだって 全然 すっと決めれへんやん。さんざん 迷って 結局、何にも買わへんのなら、もっと早く帰れたやん!」と(笑)。 |
|
10月 1日 No.1973 高校生になった我が子には、タイムリーに応対するべし(笑) |
|
高校生の我が子を持つ お母さんから わりと相談を受ける。 お母さんは、リビングで、我が子がテレビを見て笑ってる姿に、ときどき、子どもだったころの面影を 高校生の我が子に読みとっていることだろう。 だが、一旦 目の前に対峙して 何か言おうものなら、我が子の勢いあるセリフにたじろいでしまうことも少なくない。 こんなとき、我が子に対応をしてしまうと、我が子の機嫌を損ねたり、よけいに怒らせたり、急に絶句して家を出ていく恐れがある。 高校生にもなった我が子は、ちゃんと親の良いところを知っている。心に秘めてしまっているって言った方がニュアンスが近いかもしれないが、そんな我が子には 応対をする方がいい。 対応は 我が子の動きに 母側が勢いにおされて応じる様になる。 対して、応対は 親として、我が子が幼いころから、無理を言ってきてときに、「無理を言わないの」と、ダメ出しをしてきたときの心構えを胸に秘め、受け答えすることに主眼をおく行為である。 我が子が高校生になっても、体のでかさや外見(かっこ)、一見親にたてついているようにとれる言葉に、左右されることなく、変わらぬお母さんのまま うん わかった それは できない 言うようになったね 今は 無理だけど、なんか いい方法をお母さんも考えてみるから、あんたも、知恵をしぼってみてょ など 確実に応対してあげたらいいと思う。 |
|