ブックドクター・あきひろのイチニチイチゴン
一日一言 〜千夜一燈 ver.〜

諺「長者の万燈より貧者の一燈」

貧しい人のわずかな志は誠意のこもっている点で、たくさんの志よりもまさっている。
形式よりまごごろの尊さをいう。
                       一日一言 〜千夜一燈 ver.〜 

諺「長者の万燈より貧者の一燈」

貧しい人のわずかな志は誠意のこもっている点で、たくさんの志よりもまさっている。
形式よりまごごろの尊さをいう。



9月  30日 No.1972

人から何を言われようと、気にしない生き方をしている人は、なかなかいないもんさ!
人の心内とは おもしろいもんで、自分が「どう思われるか」を気にするあまり、人を気にし出す。
そうすると、自分が「どう思っているか」が、おろそかになって、人ばかり気にする自分ができあがる(笑)。
 そうすると、人から何を言われても ドキドキしたり、ソワソワしたり、ビクビクし出す。
そんな人に「人のことを気にするな」と言っても 無理になる。
人を気にする自分に 嫌と言うほどうちひしがれ、ようやく人のことなんか もう 構ってなんかいられない、と心の底から思ってからでないと、なかなか そんな自分からは抜け出せない。
そうなるのは、とても怖いことなのに、たくさんの人が 人を気にして生きている。
自分で決めることを怖がってきたことに気がつかず、あたかも、人に迷惑をかけないかのように錯覚を起こして そう振る舞ってしまうから、人を気にする渦にいつまでも巻きこまれ続けるんだろうな ぁ。
まぁ、人間の心は、それだけ弱いってことかもしれない。


9月  29日 No.1971

機会があれば、春か秋の彼岸参りで、一度、自分のご先祖様が入っておられる、その家の宗派の本祖廟に行ってみてはいかが!
きのうまで、京都で 親父の三回忌の大法要をしていた。
我が家のご先祖様は すべて お東さんで おなじみの 東本願寺の本祖廟に 納骨されている。
僕のご先祖様の一番古い ご先祖は 百五十三回忌の方がおられ、その子孫の僕のおやじまでのすべてのご先祖は 毎月、月命日がある。その毎月の永代供養料は 二代前の宮大工のおじいちゃんの貢献のおかげで、僕の代からは おこころざし にさせてもらっている。
本祖廟に入る。
立派な仏様が、親父の三回忌を迎えてくだすった。
お和尚さんの お経祖の声が祖廟に 染み入る。
自然と魂が凛する。
心をこめて 手を合わす。
拝みの姿勢が できあがる。
鎮かに 鎮かに すーっと 体に 教文字が入ってくるような・・・・・。

かーーん
かーーん

お務め ありがとうございました。

一日一日 何ものにも とらわれず すごせたなら そこに 仏様さまのご加護が 訪れるそうな・・・・・・・。


9月  28日 No.1970

本気になれることって、受験にからめなくても、面白けりゃ、すぐ本気になるさ(笑)
たばこが切れたので、道沿いにある たばこ屋さんに止って たばこを買った。朝から吸ってなかったので、すぐ封を切って吸った。
そしたら、たばこ屋の隣りにある ビルの2階の塾から
「本気になれぇ! 出ないと 高校受験はおろか 何をやっても 本気になれない人間になるぞー。先生はなぁ、君たちをみんな合格させることに本気なんだ。先生の、この本気になれることも、先生が高校受験するとき 初めて 本気で勉強したおかげだと思っています。それまでは 先生は 頭が悪くて小学校のときも 中学1年も2年も 成績は 下から数えた方が早かった。だけど3年になって 今年は 受験だぁ、よし、いっちょ 人生の1年間ぐらい 本気で勉強してみるかって思って それから 毎日、がむしゃらになっていろんなことを 覚えたり 問題を解いたりしました。君たちも 本気になってやれば必ず 合格しま〜す。そのとき 本気になれることを体験したおかげで、その後 いろんなことに 本気で取り組むクセが先生はつきました。みなさんも この高校受験で、本気になれるクセがつくぐらい本気になって冬まで、がむしゃらにがんばってください。先生もがんばりま〜あ〜す。それでは
数学から始めよう!」と バカでかい声が 開けてある窓からもれてきた。

本気になれることって、高校受験のとき、1年がむしゃらに勉強すればついたのか、知らなかったなぁ(笑)。 
 僕も 高校受験のときに がむしゃらにやっていたらなぁ、今ごろ 本気になれることがクセになっていただろうに!(笑)


9月  27日 No.1969

ときに子どもは物語から将来を感じ、ときに大人は諺から過去を感じる(笑)
   子どもは、絵本や昔ばなしを通して
「ぼくも こんな風な おじいちゃんになるのかなぁ」
「わたしも おっきくなったら こんなママになれるかなぁ」
「オレも ぜったい 冒険してやる!」
「わたしも こわい夢みたときは おまじないしてみょっと」
もし、大人が、子どもたちの感受性で、ストーリーの中に入り込んだなら、間違いなく神経がもたない(笑)。
それほどに 子どもたちの感受性は 豊かすぎるのである。
その感受性で 自分の将来を感じ取るんだから そうとう未来を正確に捉えられると思う。
逆に 大人は 諺や格言の短い言葉を通して 「そうだよなぁ、何度転んでも起きなきゃなぁ。オレ 父親だから もう一回 立ちあがってみるか!」
「あんな人でも いないとケンカもできないのよねぇ。おばあちゃんが おじいちゃんが逝ったとき、しみじみ言ってたのが ちょっと分かる気がする・・・・・・」
「油断大敵とは まさにこのことだよなぁ。ここんとこ 調子良かったからイケると思ったんだけどなぁ。ついつい 甘いもの食っちまったからなぁ。てきめんだね、血糖値ってヤツわぁ。また、下がるまで、ちょっと甘い物 気をつけるとするかぁー! ちくしょーっ、食欲の秋だって言うのによぉ!」
大人は 失敗の経験が豊富なため 短い言葉でも 自らの過ちが去った、あの日にまっすぐもどる(笑)。
諺や格言が短い言葉で 良かった。
長文で言われたら たまったもんじゃない(笑)


9月  26日 No.1968

 子どもたちは、お母さんの声や態度、目つきなどから、お母さんの機嫌を一瞬にして判断できるのさ(笑)

 昔の子どもたちも 今の子どもたちも 学校から帰ってきたときに「ただいまぁー」と言って、お母さんの声が「は〜い、おかえりぃー」と覇気がある声で向かえてくれ日にゃー、そこそこごきげん。
 「ただいまぁー」と言ってリビングまできてお母さんが目も合わさず「あっ おかえり」と言うときは、普通。
「ただいまぁー」とそれなりに元気よく帰ってきたのに 何も返事がないときは お母さんの姿をみるまで要注意。お母さんが 電話中なら ひと安心。お母さんが 洗濯物をとりこんでいたなら これもひと安心。
 だが リビングに入ってきて 目が合ってその目が怒っていたら それは ご近所のおばさんか 学校の先生か はたまた 誰かさんから良くない連絡が入っている可能性が非常に高いので かなり警戒体勢に入らなければならない。
 「ただいまぁー」と言った瞬間 奥からスリッパの音を パタパタパタっと激しい勢いで飛び出してきたときは 玄関のドアをしめて とりあえず目も合わさず逃げる(笑)。
 これはかなりヤバイときだから(笑)。
 とくに やんちゃ坊主は この状況判断能力が長けているので お母さんは 声や態度 足音 目つき そしてオーラなど、最低5つをコントロールしないと 我が子が何を考え 何をしようとしたのか 「真意」を聞き逃す恐れがあるので 十分 気をつけてください(笑)。


 9月  25日 No.1967

 親は我が子へ、良いものをたくさん受け継がせたいと思っているんだけど、なかなかそうはいかないんだな、子どもっていうのは!

 親が我が子に 何かを教えるとき 良いもの 良いこと 良い方法良い環境などを配慮する。
 この親の心情は いつの世もかわらない。 ところが 我が子は 親の変なクセを受け継いだり 変な価値観を受け継いだり 変なプライドだけ似たり 変なこだわりだけは一緒だったり セコい所が一緒だったり 食べ物の嫌いな物が一緒だったり あきらめの早さが似てたり グチり方や人のせいにするのが一緒だったり かたづけがヘタな所が似たり 根性がなかったり いつも逃げたりするタイミングが一緒だったり 頭の悪さ、バカさが良く似たり 笑ってごまかすところが一緒だったり ネガティブな部分が一緒だったり 人から嫌われる個所が一緒だったり 寝起きが悪い所が似たり トイレの長さが一緒だったり 意地の張り方や、いったん言い出したらテコでも動かない所や無理なことを言うことや口だけでいつも終わる所が一緒だったりする。

 親が良いことだけ 万の数を教えたとしても 我が子は、親自身の気がついていない万の数のことを まるで丁寧な英才教育をされて 一発で理解したかのように 受け継いでいく。

 親と我が子には まだまだ 解明されない なぞの「きずな」が 正確に働いているのかもしれない。


 9月  24日 No.1966

 幼い子が「まちがえたぁー」って言いながら照れる姿は、いつみてもほほ笑ましいなぁ(笑)

 ある中華店に入ってラーメンを頼んだ。
 僕のとなりの4人がけのテーブルに お母さんと中学生ぐらいのお姉ちゃんと 小学校の4,5年ぐらいの女の子と 年長さんか小学1年生ぐらいの女の子の三姉妹が座った。
 おばちゃんが注文を取りにきた。
 お姉ちゃん2人が「天津飯」と言った。お母さんは 「ビールとぎょうざ4人前」と言って「あんたは 何にすんの?」と 末っ娘に聞いた。
 そしたら「わたしは てんぷらうどーん!」と言って すぐ「あっ まちがえたぁー(照れ)」と言いながら あたまをおさえて下を向いた。

 あはははは〜っ!

 注文を取りにきたおばちゃんと、お母さんとお姉ちゃん2人にまじって 僕も大笑いしてしまった。
 そのあと、その末っ娘は、からあげラーメンを頼んだ。
 それで僕も、おとなりさんの会話にまぜてもらった(笑)。
 しばらくして、その女の子のからあげラーメンがきたのだが、鼻に小っちゃいつぶつぶの汗をかきながら、ふぅ、ふぅーって、しながら食べるその食べ方と言い、「あぁー、おいしぃー」って言う声のトーンと言い、めっちゃかわいかった(笑)。
 中華店で 思わぬ ほほ笑みラーメンに 大満足した(笑)。

 僕も これからなんか間違えたときは、ああやって頭おさえながら「まちがえたぁー」って言いながら 照れてみょ(笑)。
 まぁ、しばかれるわな(笑)。


 9月  23日 No.1965

 子どもと、大人のバカし合い(笑)

 子どもは、その年齢に応じたワル知恵を使い、大人や親の壁をなんとか突破しようとしたり、乗り越えようとしている。
ところが そんな子どもたちのワル知恵なんか、とっくにお見通しの大人には通用しない。そりゃそうだろう、かつてそんな大人も数々のワル知恵を前の世代の大人たちに通じなかったのだから、ワル知恵の数や経験において、いつの時代も大人や親が簡単に 道をあけてくれるわけないのである。
が しかし、子どもたちには いつの時代も感性が鋭く、感受性が敏感に働くようになっていたいるため、大人がワル知恵をつかい、子どもだましのワザを使ってきても 真意を簡単に見いたり 感じたり 捉えたりして、大人のズルさを 簡単には 通さないのである。
うまいことできているなぁと思う。
大人と子ども、親と子のバカし合いは まだまだ 続きそうである。
家によっては バカし合いが バカバカしくなって お互い、励まし合いに気づいたりしているようだが その数は まだまだ少ないように思う。
大人と子どものワル知恵合戦は どこも熾烈だからおもしろい(笑)。


 9月  22日 No.1964

 昔の子育ても、今の子育ても、泣く、食べる、寝る、の三連発があれば育つってことなのかなぁ(笑)

 昔は おばあちゃんが、子育て真っ盛りの若いお母さんに、子どもが泣けば、泣く子は育つといい、物がない時代に、子どもにとっては山菜などニガくて口から出してしまう。そんな子には、それらをしっかり食べるように、一口食べたら誉め(誉めを穂芽(ほめ)の縁起ことばにかけている)ながら、食べる子は育つといい、暑い日や、寒い日に、夜なきで我が子が目をさますと、ぐずらず眠るよう、あやしながら寝る子は育つ、と言って、子どもは育てていくもんなんだょって伝授した。
 今は 泣けば、おじいちゃん、おばあちゃんが お母さんよりも早く抱き締めてあやしたり、食べたいって言ったものを作ってあげたり、お店で注文してあげたのに食べ残したりするのに、まぁいい まぁいいすぐ食べられるようになるさ、といい、子どもが寝かかると、寝苦しくないようにと エアコンのスイッチを入れてあげたり、エアコンを入れるよう指示するようになった(笑)。
 昔とは 真反対もいいところだが どっちにしても 子どもは、泣いたり、食ったり、寝たりすることで育っていくんだろうな(笑)。


 9月  21日 No.1963

 子どもたちにかかると、軽い気持ちでなんか逃げていられない。生死をかけた逃走をしなきゃ逃げきれない(笑)

 ある小学校で まず1本目、2年生〜5年生に絵本を読ませてもらって そのあとで 2本目、6年生のあいだに1年生が座っている空間で、絵本を読ませてもらった(笑)。
 2本読あそびが終わって 絵本を車に積んで その小学校の校庭に顔を出しにいった。 そしたら「あっ アキちゃんや!」って言われて 僕が 校庭を軽い気持ちで走って逃げたら 勝手に 僕 対 その小学校中の子どもたちとの リアル鬼ごっこになった(笑)。
 あれだけの 子どもたちの数がいると さすがに本気にさせられた(笑)。
 逃げまくって体育館の裏へ回ったら、なんと左側から右斜めにみどり色の金網のフェンスがそびえ、右は体育館の外壁がまっすぐのびていて、まるで直角三角形の底辺から上角へ向かうような感じになった。突き当たりに 体育館の太い樋(トイ)が 合ったので それにつかまって 2階の窓から体育館の中に入った(笑)。
 すぐ 子どもたちが体育館の中に、たくさんなだれこんでかたが 普段から、安全のために 2階へ上がるドアにはカギをかけてあるのか 子どもたちが 2階の窓際の廊下に上ってこれなかった。
 ようやく 僕は ひと息ついた。
 黒い手すりのフェンスごしに 子どもたちのヤジが飛ぶ。
「アキちゃん ずるいぞー。おりてこーい!。おりろ、おりろ、おりろ」の大合唱!(笑)。
 そのとき 6年の担任の男の先生が(この人が今回、僕を呼んでくれた)「今日は ここまでー。みんなぁ、ほら、そろそろ教室にもどらないと、授業が始まるぞー」と助け舟を出しにきてくれた。

 やったぁー 逃げきった。

 子どもたちが みんなブツブツ文句を言いながらしぶしぶ 教室に帰っていった。
 しばらくしたら その先生が 2階へ上ってきて「こっちから出てください(笑)」と声をかけてくれた。
 その先生と体育館から 校長室へ向かう途中「よくあれだけの数の子どもたちから逃げきりましたね。まさか、あの樋をつたって 窓から入るなんて思いませんでした(笑)。あきひろさん、サルですか?(笑)」と言われた。
 それで校長室に入ると校長先生自らが氷の入ったアイスコーヒーを持ってきてくれた。 僕は一気に飲ませてもらった(笑)。うまかったぁ。
 校長先生が、汗びっしょりの僕を見てこう言ってくれた。
「今日、わたしは あきひろさんから いろんな刺激をいただきました。ですが なにより 僕が反省したいのは その 汗をしばらく かいてないことです。忘れていましたぁ、子どもたちに本気にさせられたときの 汗を!」と。


 9月  20日 No.1962

 我が子を心配できるのは、親だから。
 その心配を、浅い深いで捉えるのも、小さい大きいで捉えるのも親次第!

 ついこの前、息子を心配する、タイプの違う2人のお母さんに会った。このお母さんたちは、その土地で生まれ育ち、高校時代からの友達同士である。そして、我が子がともに男の子が授かり、同じ中学校に通う中3の受験生である。
 A母さんは、息子に高校受験に向けがんばってほしいと願うお母さん、B母さんは A母さんより 教育ママで「必ず 息子にはK高校に行ってもらう」と、願うを通りこして もう B母さん自身の人生の決定事項になってるようなお母さんである。
 この2人のお母さんは、昔からの友達同士なので、お互いの心配してしまうツボを解り合っているのだが、こと母として息子のこととなると、心配するときのツボに違いを見せるため「なんで私たちが息子のことでケンカしなきゃならないのょ」って具合に この4月からは しょっ中なるらしい。
 それがお互いイヤで「あきひろさん、私たち、どんなお母さんにうつりますぅ? どんなお母さんも我が子への心配はつきないとは思いますが、私たちが息子のことでケンカにならずに、それぞれがうまく息子を心配していける何かいい方法はないでしょうか?」といわれた。
 僕は、すぐ「そんなことダンナに聞けぇ」と、言った(笑)。

 この2人の心配の違いは A母さんは 息子が高校受験そのものに うまく立ち向かえるか、(多分、息子が夏休みが終わったというのに机に向かっている姿をみたことがないため) 息子が受験の重圧から逃げてしまい その後も ずっと いろんなことから逃げてしまうんじゃないか類の心配。
 B母さんは 息子がK高校に 受かるか落ちるか すでに息子の受験そのものの合否を心配し、それによって合格ならいいが 万が一にも落ちることになれば 息子にどう接していいかわからない恐怖を無意識に感じているために 息子の受験が自分の人生の価値基準云々と同化してしまっている類の心配。
 つまり A母さんは、浅い深いで心配してしまうタイプ。B母さんは 心配ごとを 小さい大きいで捉えてしまうタイプである。
 心配ごとがあると、人は、いくつかの捉え方や受け止め方の違いを見せる。だがこの2人の心配ごとは、まだまだ「心配の範囲」である。
 もし、息子が命にかかわる出来事に遭えば、簡単に受験の「心配の範囲」を越え、いつまでたっても先の見えない「不安の範囲」や、さらに奥にある地獄の「辛労の範囲」になったりする。
 でもこの2人のお母さんは昔からの友達とはいえ、自分たちがどれほど、幸せなレベルの心配をしているのか、気がつけ合えるような話し合いをしていないから、ケンカになるし、そのケンカも絶交になるようなケンカをしていないケンカで、お互いのイライラを友達同士で発散できるケンカをしている幸せに気がついていないのである。
 今までに、もし、お互いが心の大きい、そして深く「息子が 元気に明るく 健康なら バカでもいいやって」言えるぐらい、本気で語り合ったことがあれば、息子が受験を向かえようが、しょっ中ケンカになんかなるはずないのである。

 世の中の親には 我が子が 東大や有名大を卒業しても、アル中で 入退院を繰り返したり、躁鬱になったり、突然不治の病が見つかったり、思わぬの事故に見舞われたり、心配の範囲に苦労が合わさり「心労の範囲」になったり、さらに不幸が重なり辛さが合わさって「辛労の範囲」のみの生活が訪れたりしている親がいる。
 そんな親はみなこういう。

 親としては、我が子のために毎日、心の底から「願ってあげる」しかしてあげられない。そんな日々を、今はただ送るしかない、という状況です、と。

 そんな親御さんも 世の中には万といるのである。
 そういうことをちょっと想像できる人は「知恵」を持っている親である。
 何年たっても、そのちょっとを「本気」で想像できない人は、その知恵を持たない親なので、心配を次から次へ自らが生み続けるのである。
 親がその知恵をつかい、自分の今の環境がどれだけ幸せか、または贅沢なことか、などをチェックすれば
 「私はまだ幸せな方」
と、心から思えるはずである。
 確かに親の心配は、つきない。
 だが 先ほどの「知恵」をつかえば、その心配がいくら発生しようが 親自らのチカラで 人に聞くことなく 我が子のために 「心配を消す」ことができるのである。

 そうすればこの国の 親の「贅沢な心配」は、かなりの数が消滅するだろう。
もし、その数が本当に激減すれば 功を奏して、万といるそれぞれの我が子のために、巡り巡って確実に活きるような気がする。
 本来 親は そういう 我が子の将来を心配し、つまり親として いついつまでも 七代さきを見て、子子孫孫まで「今、親として、どういう風な世の中にしておいてあげればいいのか、そのために何をしておかなければならないのか、各親が何なら遺しておいても、我が子たちがいがみ合うことなく仲良く活かせていけるだろうか」類の「親自身の心配」をしていくもんでしょーが。
 やっぱ 親の心配は 時空を超えた「魂の心配」でないとね!
 それが このヤマトの民が、脈々と受け継ついできた 知恵の範囲を超えた 叡智ってやつょ(笑)。


 9月  19日 No.1961

 平等ってさ、バランスを取ろうとすることじゃないんだなぁ。そしてできれば、あんまりかまえず、双方ともに、腑に落ちるような要素が働いたらいいなぁーってぐらいの感じの「平等」がいいんじゃないかなぁ!

 例えば、考察問題ね。
5人の子どもが部屋にいます。そこに、6つにカットされたアツアツピザが配達されました。さて、以下の3つの例の中から、最も平等視したと思われるものを一つ選びなさい。
@ A子さんは、その5人の子にひとカットづつピザを配り、残りのひとカットをA子さんが食べました。
A B子さんは配達されたピザを「はーい、みんなぁ、ピザですよぉー。みんなで仲良く分け合って食べなさーい」と言って5人の真ん中に、ピザをおきました。
B C子さんは「ピザ がほしい人?」と聞いて「ほしい」と言った子にまず配り、「残りは、食べていない人から順に、食べたくなったら食べてね。ここにおいとくから」といいました。

こたえ B

解説

ちなみに僕は即@番と大声で言っちまった(笑)。

@はケンカにならないようにA子さんがバランスを取っただけ。ピザがきらいな子にも、一切れ盛られたり、なかなか「いらない」と言い出せにくかったりする子にもピザが当たって残してしまいかねない。

AはB子さんが子どもたち同士で、平等に分け合ってくれるだろうと本人たちにまかせた。でも、これは子どもたちのバランス感覚をくすぐるだけ。強い者がB子さんの目をぬすんで余分に食べる恐れがあるため、そうなれば、子どもたちみんなが腑に落ちることにならない。

BはC子さんが、ピザを食べたい人?と、聞くことによって、その場にいる子どもたちに、ピザを食べる「機会をまず平等に与えた」わけ。その上で、分けたので、子どもも納得づく。つまり、腑に落ちる要素がみんなに等しく働いた、となる。

 僕は完璧な平等を、人がこなすのは無理じゃないかと思っている。だって人は完璧じゃないから。
 とは言え人と人の平等を、突き詰めてゆくのも修行である。

 それぞれの相手の意志を尊重した上で考えることに主眼をおき、みなが好き嫌いを自由に発言する権利があることを解った上で、生活環境や身分などに関係なく、だれでも臨む機会に、平等に参加できるようにしようとみなが心がける視点こそ、平等視の根幹となろう。

決っして、個人的な私情がからんで、あっちを立てたら、こっちが立たずと悩むものではないはず。
 よくあるのが、あの人はうるさいからとか、この人は優しいからとか、自分が悪く思われないようにしようとか、力関係を読んで平等っぽいやつがあるがあれは単純に損得勘定だろう。
 以前に、我先に人をおしのけ、自分がやせたいばかりに納豆をゲットしようなんてニュースがあったけど、あの中に、普段、平等平等って言ってる人が、我先に人をおしのけて手に入れてた人がいたりして(笑)。まぁ、そんな人が「平等」をふりかざしていたら、もってのほかだと思うけど、それは、わからないもんなぁ。昨今では事件が起こるたびに「平等」が、みな軽視されてるようなものばかり(笑)。

 いつの世も、世の中は差別だらけ。

 人生においても、腑に落ちないことばかり。

 でも、そんな人生が良しと、みんなが心に踏まえられたとき、皮肉にも「平等」が人の世にやってくるのかもしれない・・・。

未熟な僕は 腑に落ちないことばかりが数回続くだけでも それで良しとはなかなか思えないので、まだまだ 先の長い修行が待っていることだろう。

 あ〜あ、平等って不便だなぁ。

 もっと、みんなが楽に「平等」を、平等に使えたらいいのに・・・・・・。


 9月  18日 No.1960

 うれしいことは、ウキウキするときと、わくわくときがあるね(笑)

 世界中を公演しているいろんな種類の興行グループが 一年間にいくつか この国に訪れる。
 クラッシック、ロック、ダンス、サーカス、モトクロスなど さまざま。
 ついこの前、何十年かぶりに ボリジョイサーカスのチケットが僕に回ってきた。
 ガキのころ おかんに連れてってもらった依頼だったのでめちゃくちゃ 当日までわくわくした。
 次に リバーダンスというタップダンスのグループが世界中の観客を魅了しているのだが、これを秋田の先輩にDVDで見せてもらった。
 DVDで観ても そのグループのダンスはめちゃくちゃ感動した。それで、あるとき ある絵本作家と興行のグループで何を観に行ったことがあるかという話題になったときに 僕は そのリバーダンスのDVDの話をしたら、毎年 日本にはやってくるというので、それが来年きたら みんなで観に行こうということになった。
 まだ 来年のいつくるかわからないのに、この場合は うれしくても 今から ウキウキしている。
 あれを ナマで 観れたら どんな臨場感なんだろうと思うだけで、子どものころから 変わらぬウキウキ感につつまれる(笑)。
 みなさんも わくわく、ウキウキ、たくさんしてくださいな(笑)。


 9月  17日 No.1959

 子どもは、止まっているときが、おもしろいとき
 大人は、止まってしまうときが、つらいとき(笑)

 大人は つまらないことと分かっていても その場にいなきゃまずい場合や、急につまらなく感じても すぐに動けなかったり つらくなって動きが止まる。
しかし 子どもたちは違う。
 つまらないことに敏感な子どもたちは つまらなくなくなるまで次々に 動く。たとえ、「じっとしていろ!」と叱られても 大人の目を盗んで動きだす。ところが いったん おもしろいものを見つけると なんか静かだなぁと思うほど それに集中しているため その場にいすわったり、お母さんが「もう行くょ」と言って 我が子に そこから動いてもらおうとしても がんとして、その場に止まろうとする。
 あのエネルギーたるや 抱きかかえたら 腕の中であばれるわ、無理やり車に入れれば 家に帰ってもまだ泣き続けるだけのエネルギーを放つ(笑)。
 大人のみなさん、もし子どもが 動きを止めていたら あっ 何かおもしろいことを 見つけたな、と思ってあげてくださいな(笑)。


 9月  16日 No.1958

 ゲームを真剣にするタイプ
 ゲームを本気でするタイプ
 遊びは、ほんとに人が「出る」!

 ある高校で絵本を読ませてもらい、校長室で、校長先生と教頭先生、僕に白羽の矢を立ててくれた生活指導部の先生と、生徒会の学生6人とで わぁーわぁー話していた。
 それで手品の話になったとき、生徒会長がポケットからトランプを出して びっくりするような腕前のカードトリックを披露してくれた。それで僕が「君、すごいなぁ。将来、ディナーショウでひっぱりだこなんちゃう(笑)。オレがトランプに関わるのは博打のときぐらいやもんなぁ(笑)」と言ったら 生活指導部の先生が「僕も7ならべぐらいです」と言ったので、僕が「もし、良かったら1回だけ みんなでやりまへんか? 校長先生らも、たまには生徒と遊ばなぁ」と言ったら 「そうですね、じゃあやりましょう!(笑)」となってやることになった。
結果は 校長先生がドベ。トップは生徒会の副会長の女の子だった。
 その7ならべをやっているとき 見事に人が「出た」。
 校長先生、生徒会長、生徒会の書記の子と会計の子は ゲームを真剣にしてしまうタイプ。
 教頭先生、生活指導部の先生、風紀委員の2人は ゲームを本気でやるタイプ。
 副会長の女の子は このメンバーで できるなんて、うそみたい、わぁーいと言えるほど、ゲームごとは、勝とうが負けようが楽しいって思っているタイプ。
 そりゃ 強い強い。
 ちなみに 僕は 張るものを張ってないと力が出ないタイプなので ドベ2でした(笑)。


 9月  15日 No.1957

 窓口での、対応が良い人に当たるか、良くない人に当たるかは そのときの運(笑)

 振り込みがあって、ある銀行に3時のシャッターが降りるギリギリに飛び込んだ。店の中は、まだたくさんの人がいた。整理番号を取ったとき、6つある窓口のうち、女性店員の一人が次の人の番号を呼んだ。その番号から僕まで順番が回ってくるのは、11人後だとわかった。3時20分ごろ 僕の前の番号の人が呼ばれた。次だ、と思っていると窓口に立っていた おっさんが、たくさん座っている銀行員の人たちにむかって「おぃ、いったいいつまで 待たせんだ」と吠えた。すぐ、対応していた女性店員が奥から小走りしてきて「申し訳ございません。あとしばらくお待ちくださいませ」と何度も頭をさげていた。そのとき、そのおっさんのとなりの窓口の店員さんが僕の番号を呼んだ。僕は呼ばれた窓口にいって「これは、ここに、それでこれは、ここへ、あとはこれをここに、振り込んでほしいんですが・・・」といろいろお願いするあいだ、左隣りのおっさんはブツブツ文句を言っていた(笑)。僕は 呼ばれるまでメールを打とうと思っていたら、いくつかのメールが入っていて それを読むあいだに 呼ばれた。なんて早い対応なんだぁ、と思った。僕のあとは もういなかったので その店員さんは 僕に、ありがとうございました、と言うなり、となりのおっさんに「私も 見てまいりますので 今一度、どうか、お待ちくださいませ」と言うと すぐ奥に手伝いに言った。
 僕が出口で、振り返ると まだ 10名ほど待っていた。
 これも 運だな、と思った。
 ラッキー!


 9月  14日 No.1956

 自分のことをタナにあげてグチる人には、自分のことをタナにあげて人を責める人との、縁があるのかなぁ(笑)

 ある県に講演へ行ったら 一日で3市4講演のスケジュールだった。
 午前中はA市で講演だった。講演を終えたあと楽屋で スタッフのリーダーが「すいませんでした、役員のあいさつは、あれだけなしでってお願いしたおいたのですが・・・。いつも あの方は 人の言うことを聞かないものですから、わたしたちもしょっ中頭にくるんです」と言い始めて20分もグチが続いた。それで昼から B市の小学校の5限目に読あそび、C市の小学校の6限目に読あそびをして、夜7時からA市に戻って午前中とは別の地区で講演があった。講演が終わって近くのお店に移動するとき 午前中のスタッフのリーダーと 終えたばかりの地区のスタッフのリーダーが 駐車場でもめていた。僕が 止めにいこうとしたら 別のスタッフの男性が「あきひろさん、大丈夫です。あの二人はいつものことですから。誰か講師を招くたびに 片方のこぼしたグチを 本気にとって 片方はあんたが悪い、誰それが悪いと責任をなすりつけあうんですから。あの二人以外のスタッフは、わたしも含め誰も関ろうとしません。どうせ、また明日、それぞれの職場で、それぞれの言い分を、スタッフの誰かがつかまって聞かされることになるんで。さぁ、今はあの二人のことは ほっといて、わたしたちだけで楽しみましょう(笑)。どうせ、何にもなかったようにあとで来ますから(笑)」と言った。
 その後二人は ほんとに何にもなかったように仲良く入ってきた。それでビールをニコニコしながら注ぎ合う姿を見て こんな縁の友達同士もいるんだぁと思った(笑)。


 9月  13日 No.1955

 約束の中には、その約束を守れて、ほんとうに良かったと実感できる約束がある!

 ある小学校で 絵本を読ませてもらった。 そこの小学校には 約束をしていた子がいた。どんな約束をしていたかと言うと もし今度 来させてもらえる縁があったら そのときは 体育館の舞台の上で みんなの前で おまえを肩ぐるましてやる、と言う約束をしていた。その子は家庭事情で、お父さんがいなくなり、しばらくして気にいった男の人には人なつこく「肩ぐるましてー、肩ぐるましてー」って連発するようになったらしい。
 そんなとき 数年前になるが その子が小学校1年生のときに僕が 読あそびに現れた。
 その約束を 先日 無事守れた。その子は かなりメタボリッ子になっていたが 舞台の上で 肩ぐるましてやることができた。
 うしろで見ていたお母さんは 僕に肩ぐるまされる我が子姿を見て 涙がとまらなかったらしい。
 肩から その子をおろしたとき その子がいった。
 「あきひろさん、肩ぐるましてくれてありがとう。でも あきひろさんの肩は 堅すぎて おしりがイタかった。こんなイタい 肩ぐるまは始めて ぼく」と言ったので 僕は 「がははははぁ。おまえみたいにオレはええもん食っとらんからなぁ。そらぁ骨ばっててイタかったやろなぁ。わりぃー」と言ったら「でも ほんとにみんなの前でしてくれたから、ちょっとはずかしかった(笑)。でも、うれしかったょ」と、気をつかってくれて言ってくれた。

 多くの約束を ほとんど守れない僕が その子との約束を守れて 僕の方が うれしかった。


 9月  12日 No.1954

 小さいな子のひたむきな姿は、グッとくるものがある!

 休日の都内の公園には さまざまな 人たちが集まって来る。
 噴水のそばのベンチから見える さまざまな人間模様は ときにハッとさせられたり 驚きがある。
 中でも 小学校1年生ぐらいの子が 本を2,3冊読ませてもらう間、ずっと バットを振っていたり リフティングをしていたり 踊りの練習をしていたり トランペットを吹いていたり テニスの素振りをしていたり スケボーのストップ&クイックを練習していたり ドラムのバチだけ持ってイメージトレーニングをしていたり ラジカセから流れる曲に合わせて振付の練習をしていたり 歌の練習をしていたり 紙飛行機を飛ばす練習をしていたり フリスビーのキャッチングの練習をしていたり それはそれは いろんな種類の練習姿が見れる。
 ひたいに汗して くりかえし くりかえし。
 オリンピック出場を目指しているかのような迫力がある。
 その姿は みな ただただ ひたむきである。
 あの姿は どれも グッとくるものがある。
 休憩のときに スポーツドリンクを飲む立ち振る舞いだって 一流選手なみの様をみせる(笑)。
 あまりにも様になっているため、本を読む手が止まるほどに・・・・・(笑)。


 9月  11日 No.1953

 たった1本の連絡ができない息子。
 たった1本の連絡が待てない母(笑)

 ある地区に行ったときの、お母さんと中3の息子の話。
 受験生である息子は お母さんから 塾から帰るとき お母さんの携帯に連絡を入れて、と何度も言われていた。塾が 終わるのが 夜10時ぐらいになるため、お母さんが何かあるといけないというので、車で迎えにいくらしい。息子は 塾から家まで、自転車で15分ぐらい何もないょ、と何度も お母さんに言ったらしいが お母さんが「もしものことがあってからでは 遅いの!」と言って聞く耳を持ってくれなかったらしい。そこで息子は 迎えにこなくたっていいって言ってるのに、連絡しろ連絡しろって言われても する気にならないという。それに みんなと帰りに ちょっとしゃべりながら帰るとか コンビニによって マンガとかも読めないし、その他もろもろも重なって、お母さんがかなり うざいらしい(笑)。そんな息子の気持ちを知らぬ、お母さんはお母さんで 週3回ある塾の送り迎えで その度 終わったら連絡しなさいと、あれだけ言ってるのに 息子が10時10分になっても連絡してこないと 連絡を待てなくて ついつい塾の前まで迎えに来てしまうのだそうだ。そんな自分に、かなりイライラするし、このイライラだって、息子がたった1本の連絡さえしてくれればしなくてすむのに、と本気で思うという。でも頭にきて、私が文句を言ってしまったら、受験生の息子とケンカになって 息子がやけくそな行動をとったらと思うと、怒るに怒れないし、ますますストレスがたまるという。
 やれやれと思った僕はお母さんに言った。
 お母さん、1度でいいから、息子から連絡してくるまで 待っていてあげてください。
 どうせ、連絡がないからと言って、塾の前でイライラしながら待つのも、連絡があるまで家でイライラしながら待つのも、どっちにしてもイライラするなら、まだ家の方がテレビを見たり家事をしながらでも気をかぎらわせやすいし。それに、ちゃんと連絡があったとき、お母さんの心にも 息子の心にも イライラじゃないものが 芽生えますから、と言った。
 後日 まず息子から「あきちゃん ありがとう。お母さんが とうとう 必要なときだけ 連絡しておいでって言ってくれた」と連絡があり、お手紙でお母さんから 「すべて 私がわるかったのですね!。初めて、あの子から連絡がありました。その日は補習を受けていたらしく、夜の11時すぎに連絡があったのです。それまでの1分が恐ろしく長く感じられ、イライラも限界に達して、もうダメ迎えに行こうと車のカギを手に持ったときに あの子から連絡がありました。もう うれしくて うれしくて それまでのイライラがふっとびました。そして、塾まで迎えに行く5分ぐらいの車の中で、あきひろさんが言ってくれた イライラじゃないものって これか!って思いました。これで 少しは息子ばなれができそうです。ありがとうございました。それ依頼、息子にはこれからは、好きなときに連絡してきなさい、と言えるまでになりました、と書かれていました。

 息子もお母さんも、良かった 良かった(笑)!


 9月  10日 No.1952

 大雨でびしょびしょにぬれて、大喜びできるのが子ども。困るのが母(笑)

 今年は とにかく 大雨に よく出くわす。地元の保育園で読あそびするまでは 晴れていたのに 母方のおじいちゃんの遺牌に手を合わせにいって 外に 出て駐車場まで 行くときに 突然の大雨。愛車トゥデイに急いで乗り込んだが かなり濡れた。その前を学校帰りの4年生ぐらいの女の子5人が、ちっちゃなカサをさして わぁーわぁー大喜びしながら 歩いていった。2人の女の子は 赤いカサをどけて、びしょびしょに濡れながら、雨に向かって口をあけ 「おいしいー!」を連発していた。みんなそれを見て大喜び。
 あれだけの大雨なら、堂々と、びしょ濡れで帰れるだろうなぁ。 でも多くのお母さんは 今年のゲリラ豪雨には 頭をかかえているにちがいない。
 大雨が続けば、洗濯物が乾きにくいし、午前中、晴れていても、午後にくもってきたら、ちょっと 外に出るにも心配で、洗濯物を取り込んでから出かけたりしなきゃいけなかったり とにかく、子どもたちのように 大雨を大喜びすることはないだろうな(笑)。


 9月  9日 No.1951

 神様、なぜ「死」を平等の中に入れたのですか?あっ、そうか、確か、人間の問い掛けにも、誰隔りなく平等にお答えにならないんでしたよね(笑)

 神様は 人間も植物も動物も 生きとし生けるものに 「死」を平等に配付なさっている。
 この 平等から誰も逃げることはできないほどに!
 生きていたときの地位がどんなに高かろうが、名声をどんなに広く轟かせようが、底なしのお金持ちになろうが、神様は そんなことに関係なく「死」を用意している。

 なぜ、死を用意したのですか?と問い掛けても、これまた平等にこの問い掛けに 過去・現在・未来において 答えてもらった者はいない。
 くりかえし問うても、くりかえし「無言」の答えしか 帰ってこない。
 まるで 日の光りのように。
 その日の光りは、常に くりかえしくりかえし東からあがり 西にしずむ。
 その間の日の光りは 植物にも 動物にも そして人間にも 「生」をまっとうするために 必要な`めぐみ'を 成している。

 平等に・・・・・・かぁ。

 その平等の中に 夜も死も 入るんですよね、神様?

 「・・・・・・・・・。」

 やっぱり(笑)!


 9月  8日 No.1950

 規則正しい生活ができる人は、その生活が体質にあってたのかも(笑)

 僕は 小学校から 先生が言ってた規則正しい生活ってのが、どうもできない。昔、夏休みに「夏休みの友」っていうドリルのようなものが配付され、その中に、何時に寝て何時に起きたか記録をつけるのがあって、僕はその日の記録を丁寧に毎日正直に記録した。2学期が始まって他の宿題物と一緒に提出したら、数日後 先生が僕の大事な毎日が記録されてる「夏休みの友」を手にもって、僕を前に呼んだ。そしてこう言った。 「おまえは いったい 夏休みに何をしとったんじゃ。これが小学生の 生活かぁ、ボケェ。毎日、夜中まで、おきやがって。そんなことやから 授業中に お前の頭は回らんねん。どうせ 遊ぶことしか考えてへんのやろ!今日から 絶対 規則正しい生活を するんやぞ!えーな!」とか むちゃくちゃ言われて 僕の「夏休みの友」を返された。それで 頭に来て よっしゃほな 先生がいうとおり、その規則正しい生活ってやつをしたらぁと思ったけど 頭にきすぎて、のっけから夜中まで起きてしまい2日と もたんだと思う。あれ依頼、僕には、規則正しい生活が体にわるいことを知った(笑)。
 規則正しい生活が できる人は 強い意志をもたなくても 自然に できる。あの日、先生がいうてた 規則正しい生活ってやつを日々無理なくできる体質なんやと思う。僕の体は自然にしとくと やっぱり 楽しいことがあったり 集中してしまうようなことがあると すぐ 規則からはずれ 不規則の生活が始まる。
 でも、その不規則な生活が僕の体にあっているからか、なぜか 次から次に エネルギーがわくのである(笑)。
 先生、ごめんなさい。僕は、やっぱ43ちゃいになっても 規則正しい生活は できません。今では「規則正しい生活」と聞いただけで気分がめいってきます。僕の体には 合わないみたいです。どうかお許しを!先生は 別にもう 損することないから いいですよね!(笑)。


 9月  7日 No.1949

 お母さんが、よりよい子と思う気持ちから、よりよい私に気持ちを切り換えたなら・・・・・

 お母さんが よりよい我が子を求めることは 世の常である。
いつの時代のお母さんも、我が子にいろんな気持ちが入り交じるのであろう。
自分がいたらないために せめてこの子だけでも しっかりしてほしいとか 自分が小さいころ勉強ができなかったことで卑屈になったけど この子だけには あんな思いをしないようにとか 自分が小学校のときいじめられたのは ひっこみ自案だったから この子にだけは 明るく元気になってほしいとか いろんな気持ちが 我が子に重なりそそがれてゆく。
その数々の気持ちはわからなくはないけど もし、今のお母さんが 昔のまま 変わらぬお母さんをしているなら、我が子に ひと言いうセリフや、視点も 昔と変わらぬことが多いため 今度は 我が子に 嫌われることになったら目もあてられない。
そこで我が子に、よりよい子にと、気持ちを100%こめているなら その半分、いや30%でもいい、自らも よりよいお母さんにと その分の気持ちを自らに そそいでみてほしい。
不思議なもので お母さんが、よりよいお母さんになっていくと 我が子が 知らぬ間に 想像以上の よりよい我が子になってゆく・・・・・・。


 9月  6日 No.1948

 人の残酷な様の一つに、勝手に期待し、勝手に失望する、というのがある。その残酷さゆえ、一流の人でさえ逃げ出すこともある!

 人の中には 人からの期待を受ければ受けるほどがんばれる、というタイプがいる。
 だが、反対に期待なんかしないでほしい、と思っているのに、みんなに期待され、苦しむタイプの人がいる。
 期待する側の人は、そんな当人の気持ちなど知らずに、勝手に期待する。
 期待通りの活躍や結果がでないと「あ〜あダメだ。あいつは何やってもダメだ」と、これまた勝手な失望をする。
 世論のこの恐さ、この残酷さは、常にそこにある。
 人気商売の人は この恐さに立ち向かいながら仕事をする。つまり、人気プロはこの闘いをし続けることになる。
 だが プロではないちまたの子どもたちの場合はどうだろう。もし近所のおじさん、おばさん、または町全体に、勝手に期待されたはいいが、その期待に応えられなかったとき 勝手に失望され それまでの活気がウソのように消え、冷気をおびた残酷さとなって襲いかかることになる。その残酷ゆえ、かなりのショックをうけ 引きこもってしまうかもしれない。
 また、プロゴルファー、プロテニスプレイヤー、プロサッカー選手、プロ野球選手、タレントなど、各界のプロのみなさんも この恐さや残酷さをよく知っていると思う。
 あの残酷さを二度と味わいたくない、という思いが、人知れず、死ぬほどの努力を重ねる元になっているプロも多い。
 でも、この国の総理大臣や国会議員においては 期待する前に失望を与えるのがうまいから対象外だとは思うが・・・・・・(笑)。


 9月  5日 No.1947

 やってみたいってことを、勇気をちょっと出して やってみよう!

 やってみたいことがあるとき、すぐできるやってみたいことなら誰でも するだろう。
 でも、自分の今の立場、人間関係、タイミングなど やってみたいことが すぐにできない場合には、それをやろうとするのに ちょっと勇気がいると思う。
やってみたいことがあっても このちょっとした勇気が出るか出ないかで やってみたいことができなかったり 何年も持ちつづけたり やってみたいと思った瞬間 心の中で打ち消したりしなければならなくなる。
 そうやって やってみたい気持ちを押さえていても そのやってみたいことを テレビや雑誌で見たりすると やってみたい気持ちが騒ぎだす。それを押さえる。押さえきれなくなったとき ちょっとした勇気が出て やってみたかったことがやれる。
 やってみて こんなことなら もっと早くやっておけば良かったと思うこともあれば 見るとやるとでは こんなに違うのか こんなに大変だとは思わなかったと感じるかもしれない。
 だが やってみたいことをやったとき、確実に言えることは 体感として 今まで 押さえつけていたスペースに ある解放感を感じることだろう(笑)。
 これは やってみたいことを ちょっとした勇気を出して、やれた人への ごほうび感覚かもしれない。


 9月  4日 No.1946

 当事者が、どれだけ大変かは、言っても伝わらない(笑)

 お母さんは お母さんの大変さ お父さんは お父さんさんの大変さ 我が子は我が子の大変な日を向かえることがある。
 大変とひと口に言っても、何に大変なのか どれだけ大変なのか どうして大変なのか 大変さは、そのときそのときで質・量などで違いをみせる。
 本人でないと その大変さは分からない。
 人に伝えても半分も伝わらない。
 たとえ、同じ大変な作業を、同じ時間 同じ量だけしても Aさんにとっては 大変な中で 笑顔が出たり Bさんには 食欲もなくなるほど大変だったり Cさんにおいては みんなにこんな大変なときに ほんとに申し訳ないと思いながらも 意思とは裏腹に 体が言うことをきいてくれず 3日ぐらい寝込むほど大変となったりする。
 また、大変さは、そのときの本人と今の本人でも違いをみせる。
 同じ大変なことを2年ぶりにすることになって、イヤだなぁと思いつつ事にあたっていると、2年前より、体力がついていて大変じゃなかったり、2年間の間に体を動かすことが少なくなっていると、より大変だったりする。
 それらの点をふまえるなら、親の大変さを、ことあるごとに我が子にグチっても、ほとんどが伝わらなくてしかたないと思ってもらえることだろう。
 だからといって、親が、我が子の大変さに気がつかなくていいわけではない。
 我が子が「きょうは大変だった」と言って帰ってきたときは、大変さをよーく見定めてあげてほしい。
 ただ、我が子が帰ってくるなり、ごはんも 食べずに スースー鼻息をたてて寝ていったなら、その日の我が子の大変さは 聞かなくても 簡単に見定められると思う(笑)。


 9月  3日 No.1945

 一日一日、生きるということは、何かしらの力をつけているということ。子どもたちだって例外ではないのさ!

 人が生きるとは きのうより今日、今日より明日と たった三日間でも されど三日間の力がついている。
 どこにそんな力がついているかというと、それは体験値である。
 きのうも今日も 同じ作業だから 体験値がつかないと思ったら大間違い。きのうより今日は 確実に慣れ値が増している。つまり、力がついている。
 自覚があるなしに、関わらず、力はつく。 ただ、多くの人は 力がついて、人から良い評価を受けたり、良い評価を受けたところの自覚を 常に実感したいと思う人は、自覚しにくいだろう。
 そりゃ、力がついた自覚を得られることは、だれだってうれしいからね。
 でも、日々、生きることでの体験値が増すとは 失敗も成功も うれしい悲しい、損得、悩み、辛さなど、そして中間のときも すべて含まれるため、その力がはたして、ほんとに自分についているのか、自覚を持てないときもあるのである。
 子どもたちの多くは まさに、この自覚のない日々を送っているのである。
 叱られても 5分後には ソフトクリームを食べて 笑顔でいたとしても それも 立派に その子が 力をつけている人生のワンカットなのである。


 9月  2日 No.1944

 縁あって出会うのは、なにも人と人の出会いばかりじゃないさ!

 人と人が 出会うとき、「縁」を感じる出会いと、「縁」を感じない出会いがあると思う。
 感じる場合の、この「縁」は、人と人,その親と子,住んでる所,ご近所,親戚,子どもの友達,親の兄弟,嫁の兄弟などもあるし、人と物や人とお店、人と動物、人と職業、人と学問でなら、一冊の絵本,一枚の絵画,一本の間違い電話,大工,修理屋,飲み屋,結婚式場,切手,葬儀屋,病院,医者,道具,車,服,職人,家具,人形,犬,ネコ,新聞社,出版社,漢字,英会話,その会社,化粧品,シャンプー,クツ,カップ,神社,寺,土地,野球,たった一度の成功,イス,最大のハジ,おかし屋,壺,まくら,ベット,竿,馬券などがあるし、なにより 人の力ではどうしようもできない 人と天候 人と自然での「縁」を感じるときは やっぱ最高のシチュエーションが多い。 当日の雲ひとつない青空の晴れ, 初日の出,雪山,270℃全面エメラルドグリーンの海と白い浜,甲子園での高校野球で、試合を左右する雨,元気のでる虹,まっすぐのびる道,天の川の見える夜空,満月など、「縁」は 人といろんなモノをつなぐことで、「縁」の存在をアピールしているように思う。


 9月  1日 No.1943

 我が子から口ごたえをされることもあった夏休み。お母さん、ひとまず、お疲れさまでした(笑)!

 お母さんの中には 我が子だけでも夏休みがなかったらいいのに、と真剣に思っている人もいるとも聞く(笑)。そうでなくても、多くのお母さんが、夏休みって何でこんなに長いんだろうって感じたことだろう。
 一方の子どもたちはというと、今日では、夏休みなんてなくていい、だって、家にいるとお母さんがうるさくてケンカとかになるからとか、夏休みは長ければ長いほどいい、だって、受験勉強(中学)を徹底的にできるもんとか、夏休みはやっと遊べるって子が昔より、都市部やその界隈の地区で減ってきていたりする。
 その夏休みも、あっという間にすぎたのか、ようやく終わったのか、さだかではないが、とにかく終わった。
 どの家のお母さんも、ほんとにお疲れさまでした。
 ひとまず 子どもたちは2学期が始まりました。
 お母さんも、まぁひとまず良き 昼寝でもしてくださいな(笑)。