ブックドクター・あきひろのイチニチイチゴン
一日一言 〜千夜一燈 ver.〜

諺「長者の万燈より貧者の一燈」

貧しい人のわずかな志は誠意のこもっている点で、たくさんの志よりもまさっている。
形式よりまごごろの尊さをいう。
                       一日一言 〜千夜一燈 ver.〜 

諺「長者の万燈より貧者の一燈」

貧しい人のわずかな志は誠意のこもっている点で、たくさんの志よりもまさっている。
形式よりまごごろの尊さをいう。

 
 7月  31日 No.1911

体というのは、子どもも、大人も自分の想像にも及ばないことを、常にやってのけてくれている。
だから、健康は何よりの宝物!

 体の神秘において、これまで何度も この一日一言で述べさせてもらってきた。
 唾液の量 目の水分調整 五臓六腑の伸縮具合などなど 頭で自覚や意識していないのに 体は 何も主張せず、ものも言わずいとも簡単にやってのけてくれている。
 その状態を「健康」という。

 ビールが飲める人においては この時期最高の季節だと思う(笑)。昼間、暑ければ暑いほど 夜 仕事を終えたあとに 飲むビールは 格別の味がすることだろう。
 で、そのビールをグビグビ飲むと 当然 胃が荒れる。もっと詳しく言うと 胃壁が ボロボロくずれて 尿になって真っ黄のオシッコになって流れていく。
 ところが 驚くべき 体の能力は その30分以降に姿を現わす。
 なんと、ボロボロになった 荒れた胃壁の細胞同士が 合わさろうと触手のようなものを伸ばし始める。
 そして、ほぼ 4時間から6時間かけて 新品の胃壁に復元する。

 これは 健康な 体の驚異的能力の一つ。

 健康なればこそ、たくさんの能力(たからもの)が 輝くのである。
 これ まさに 健康は何よりの「宝物」なり。
 7月  30日 No.1910

幼稚な大人、子どもっぽい大人、少年(少女)っぽい大人、みんなガキのころよく遊んだにちがいない(笑)!

 ある地区のお父さんたちと わいわいしゃべっていた。
 みんな 子どものころから この笑顔だけは変わっていないんだろうな、と感じるほどイイ笑顔をしている。 その表情やそぶり、はたまたしゃべり方に 幼稚な一面を見せたり 子どもっぽいことをしてみたり 少年のような視点を今もって宿していた。
 昔に 何のテレビ番組を見てたかで盛り上がったり 誰のマネならできるか、どんな遊びをしてたか、出るわ出るわ。みんな よく遊んでたことが うかがえる。
 中にはテレビゲームのソフトの種類を人気ベスト10順に言えたり、カブトムシやクワガタを採りに行って 夏休みの宿題にするのに昆虫採集のコツを 当時の少年の瞳にもどってアツく語ったりしていた。
 ひょっとすると昔よく、いろんな遊びをした人は、いつまで たってもガキのままになってしまい 大人になりきれないのかもしれない、と思った(笑)。


 7月  29日 No.1909

「張る」しかないものが人生にはある。
「見栄」とか「虚勢」とか(笑)

 人生には 張るしかないものがある。
 「見栄」や「虚勢」などである。
 子どもでもそれらを張る体験をすることがある。
 大人レベルになると それらをいくつも張る人までいる(笑)。
 僕も 見栄を張ったり 虚勢を張ったり たくさんの意地を張ってきた(笑)。
 バカやなぁ ほんまと思う(笑)。
 でも、見栄を張るのに ここまで張るかと思う人がいた。
 勝 新太郎 その人である。
 京都での映画撮影中、毎夜 舞妓はん芸者さんをあげての大騒ぎと一万円が飛び交う大判振舞い。
 億に上るほどの見栄を張りきった。
 歴史上にも虚勢を張った人物が何人もいる。
 豊臣秀吉が「さる」と織田信長に言われてたころも、関白になったころも、虚勢ザルとうわさされるほど 天下に知れ渡る 虚勢を張りきった。

 現代でも 「あの人は見栄っ張りだから」とか「あの人は 虚勢ばかりで 意外と何もできないぜ」とか 耳にするが そんな人たちは 見栄や虚勢を張ることで 自分が実力以上の力を出せたり 心を病むことなく元気でいられたりするからね。
 いいじゃないか 張らせてあげれば

 ちなみに 僕は 今だに自分は張るつもりがないのに みんなに張られるものがある。

 それは「レッテル」である。
 当たっているレッテルは 剥がさないようにしてるけどね(笑)。
 7月  28日 No.1908

昔から、人は目的のちがいで、勝ち戦につく人間もいれば、負け戦につく人間もいる。
愚痴を言ってもはじまらない!

 先日、僕がコンビニで、たばこを買おうと思ってレジに並んでいたら、となりのレジに並んでいた高校生が愚痴をこぼしていた。
 夏の高校野球の地区大会の応援に行って、自分たちが応援していた高校が負けたらしく

 ☆「あいつら ズルいよなぁー、県のトップクラスのやつらばっかり集めてよぉ。勝って当然と言われてたチームが、最後は必死だったじゃん。甲子園常連高が勝っても、なーんもおもしれぇーことねぇょ」
 ★「あと少しだったのにな。あと1枚 こっちもピッチャーがいればなぁ、勝ってたかもしんねぇな。向こうなんか、3人だぜ。こっちは1人だっつぅーの、そうすりゃ、大金星だったのに」
 ☆「おぉ、あと1人いれば、ぜってぇー 勝ってたな、あれは。負け戦側が勝つってすごくねぇ?」
 ★「すっげぇーょ!でも近い将来、日本中の弱小チームが、どんどん力つけて、勝ち戦側を喰うドラマがあるんじゃね、花の慶次みたいに(集英社刊 少年ジャンプのマンガの主人公)(笑)」
 ☆「慶次みたいに 負け戦側について 勝とうってヤツがいねぇのか、今の高校球児にはよぉ(笑)」

 僕も 花の慶次は大好きなマンガだったので、振り返って「ほんまやな」と言ったらビックリした顔してた(笑)。
 高校生にしては 勝ち戦、負け戦と言う言葉を使うのはなぜだろうと思ったのだが どうやら 花の慶次の影響らしい。

 何はともあれ、昔も今も 人は、勝ち戦を好む人間もいれば 負け戦を好む人間もいるから 愚痴を言ってもはじまらない。
 そこらへんは あの高校生らは わかってんのかなぁ(笑)。


 7月  27日 No.1907

子どもの幼さは、罪じゃないんだけどなぁ。大人や親が、早く大人になってもらおうとすることが、「それは罪やなぁ」ってことをうむ!

 普通の大人や親たちは、幼ない子どもたちが、わんわん泣けば、まずあやそうとする。
 でも、普通でない大人や親は あやそうとせず、感情的になっていきなり怒る。子どもの泣き声は、さらにあがる。これはまちがいなく「それは罪やなぁ」と思う。
 ちょっと、あやしてあげたり、泣いていても、耳もとで「なにが したいかったの? ほらほら、泣くことないから、言ってみなさい」って言ってあげれば、幼ない子どもは、その語りかけの雰囲気や表情から「なんか聞いてくれそうだなぁ」と察知して、少しづつ泣きやんでいく。
 幼い子どもは、無理を通そうとして、わんわん泣くわけではない。それが、できたなら、すでに、かけひきができるってことでしょ。幼い子が、泣くときは、「〜したい」でも、できなかったとき、たいてい泣く。

 何で 前は 良かったのに 今はダメなのか

 どうして 家の中でも、おじいちゃんやおばあちゃんは許してくのに パパやママは許してくれないのか

 幼ない子は この問い掛けを「泣く」ことでしかアピールできないから、いくらこの問い掛けに こたえているヒマはない、という情況があるとはいえ、泣いている幼ない子に かぶすような大声で いきなり怒ることは やっぱり ツミなことになるので 大人や親のみなさんには まず「あやす」ことをしてあげてほしいと思う。


 7月  26日 No.1906

無理だ!と思ったときや、
無理だ!と言われたときに
"人が出る"のさ!

 自分が何かをしようと思う。
多少のヒラメキをきっかけにしたり アイデアがフッとわいたために やってみようかな、いけるかな、ひょっとしてうまくいくかもって ちょっと脳裏をかすめる。
 だけど少し心配な気もするので人に相談したり、自分で調べてみたりする。
 すると「無理だ!」と思ってしまうようなことが分かったり 「無理だ!悪いことは言わないから やめときなさい」と言われたりする。
 さぁ ここで"人が出る"。

 「やっぱり」と思って やめる人。
 「だけど・・・」と思って 他の人に また聞きにいく人、また調べ直す人。
 「無理だ!」と素直にあきらめる人。
 逆に、あきらめちゃダメだと 自分に言い聞かせる人。
 「いや、いけるはず」と不思議に 「無理だ!」言われたことで、発奮してくる人。

 ちなみに僕みたいなヤツは 無理なんかことなんか何ひとつない、とハナから思っているタイプ(笑)。
 僕がこう思うようになったのは、伝記物の本や歴史小説などを読んでいると、過去の日本人には、たくさんの「無理だ」と言われたことに挑戦し、みごと達成に至っている人たちが事実いて、今、その恩恵を感じるようになったからだと思う。
 それらの人たちからの共通点は、みな、「やる気」があったことが伺える。
 やる気になればなんとかなる、何でも本人のやる気次第!
 だから僕は、昔の人のようにハナから人にも聞かず、調べもせずに「無理だ!」と思っても 「こっからだ」と思うようになった(笑)。
 まぁ、この世の中、そんな、いろんな人間模様が あるからおもしろいんだけどね!(笑)。


 7月  25日 No.1905

トップクラスの親切ができる人って、いろんなことに気がつく人でも、気がつかれないような親切をしている!

 この世の中、誰もが常に 誰かの「親切」になっているかもしれない。
自分が 気がついていないだけで・・・。
 僕なんか ほとんど みんなの親切で 生かしてもらっているのに(そこはちゃんと分かっている)、大バカだから そのほとんどを気がついていない。
 ごめんなさい!っと(笑)。

 先日 ある地方で、その日一日で、3か所人前に立った。最後の地区の担当者に「また、来年も来てください(笑)。連絡待ってますから」と見送ってもらい、愛車トゥデイちゃんのテールランプを残し、颯爽と別れた。
 そして次の町への移動が始まった。数時間後、信号でつかまって先頭になったため、街灯が車内に差し込み、助手席の足下がキラっと光った。助手席の足下を見ると、アイスコーヒーとたばこワンカートンと シャケ おかか うめの入ったおにぎり3コと、ダシ巻きたまご などが入った シャレたグレーのビニール袋がおいてあり 小さいメモで

 ☆旅のお友セット☆
 「めちゃくちゃおもしろかったお礼です。
 移動中、その すばらしき道の駅の出会いの場で食べてください。また、来年来てください☆」となっていた。

 字質が男性ともとれるし、女性ともとれる字質だったので、性別も分からない。
 翌日 3か所の担当者の方に それとなく尋ねてみたのだが みんな違うらしい。
 いったい 誰の親切なのでしょうか?
 そんな さりげない「親切」に この場をおかりしお礼を言わせていただきます。

 めっちゃ うまかったぁ!
 それと 主食のカフェイン&ニコチンを そえてくれるなんざ 粋なはからいで、むちゃくちゃありがたかったっす!
 心より お礼をこめて
 ごちになりました(笑)
 いるんだょなぁ、親切にしておいて お礼を言われるのを 照れくさがる人って・・・!
 感謝(^-^)/


 7月  24日 No.1904

暑い夏に、夏の風物詩を親子で楽しんで、イイ汗かこうょ(笑)!

 僕が小学校のころで、夏の風物詩と聞いて連想するものは、まず おやじが連れてってくれた 鈴鹿サーキットの花火大会。次に キャンプ、スイカ、風鈴、ハウスのシャービック(笑)、市営のプール、四日市まつりの大入道、鈴鹿山脈の入道雲、クワガタ・カブト捕り、高校野球、御座白浜、焼きトウモロコシ、盆おどり、夏の友(宿題)、あさがお、朝のラジオ体操、すがきやの冷やし中華(笑)、おかめどうのミルクいちご氷り、麦茶茶づけ、おやじがうまそうにビワを食べる姿(笑)、中部地方で朝やっていた「海のトリトン」「黄金バット」「メルモちゃん」などの再放送(笑)、停電、日曜洋画劇場、吉田山のマムシ狩り、松本山の肝だめし、湯田屋のやきそば、自転車のパンクなどがすぐ出てくる。
 あとは今思い出しても、ころげまわって笑ってしまう事件がある。三滝川夕立おぼれ事件、フルチン事件、ねずみ花火ボヤ事件、水沢口さけ女退治事件、川口探検隊のマネをしてド缶探索狂犬格闘事件(笑)、アミタイツランニングシャツ事件など毎年、小学校時代の夏休みには事件が起きた(笑)。
 僕にとっては 30数年前の夏休みの記憶だが どれも鮮明に覚えている。
 夏休みは そんな 何十年も色あせない思い出がたくさん生まれるもの。
 みなさんの家にも、 未来において 親子でころげまわって笑える思い出がたくさん生まれますように(^O^)/


 7月  23日 No.1903

子どもたちは、分かってるんだょ。大人たちのほとんどが、言うだけだって(笑)!

 大人たちが子どもたちより優位な要素は、お金を持ってることと、年をくってる分の多少の知識と、知恵や工夫を含む経験の数だろう(笑)。
 あとは 圧倒的に子どもが優位どころか優勢勝ちに近い。
 勘の良さ、感性、感受性、想像力、探求心、頭の柔らかさ、体力と知力のバランスの良さ、もの覚えの良さ、集中力、無垢な優しさ、グチの少なさ、質や逸品ものを見抜く能力の高さ、おもしろいものを捉える早さ、つまらないものに対する思い切りの良さ、なにより笑顔の数の多さなどなど、あげだしたら切りがないほどの項目をあげることができる。 そんな子どもたちはその高い能力をつかい分かっている。

 ほとんどの大人たちは 言うだけで、できないことを。
 
 「じゃあ 見本みせて」って言えば ひるむことを

 結局 大人はあてにならないことを

 もっとも怖いことは それらを分かっていながら 分からない振りをしたり、その見抜く能力の高さを「隠せる」ことまで やってのけるツワモノまでいることである。


 7月  22日 No.1902

一人の人間から、良きも悪しきも影響を与られるのも、また 人間である!

 数日前 僕が大好きなプロ野球選手が引退を表明した。

 野茂 英雄 その人である。

 野茂選手は ドラフトのとき、鬼の金田率いるロッテ、データの野村率いるヤクルト、近鉄ブッファローズ 人情の仰木など ドラフト史上最多となる8球団から指名され、人情の仰木監督がクジを引き当てた。
 僕は このとき 野茂選手が仰木監督との縁があって、ほんとに良かったと思っている。
 僕が野茂選手から影響を受けた点をあげたい。
 まず 悪しき点から。
 野茂選手は がんこもの、言うことを聞かないヤツで有名である(笑)。
 そのがんこさは 新日鉄堺時代の監督やピッチングコーチなどが持っていた「野球の常識」「ピッチャーの常識」「プロ野球の常識」を のちに覆すものであった。
 自分が 信じた投法を貫き通す、その姿勢に ただ単純に 安易に、がんこものでいいんだと・・・・・・(笑)。
 次に 良き点である。
 野茂選手は 実は知る人ぞ知る ボランティアラーである。
 自分が 球団からもらった契約金で あちこちの国の子どもたちに野球のすばらしさを体験してもらおうと「野球ができる環境」づくりのために 出資を惜しまなかった。
 がんこものの一面は大人に張られたレッテルのようなものだが、そのレッテルをも覆すような、子どもたちへの視点を野茂選手が持っていたことにサプライズされ、非常に僕は影響を受けた。

 僕は、ほんとに大好きな選手だった。

 その彼の引退表明の一言に また 僕は影響を受けた。

 「引退するときに悔いのない野球人生だったという人もいるが 僕の場合は 悔いが残る。自分の中では まだまだやりたい気持ちが強いが 自分の気持ちだけで中途半端にしていても 周りに迷惑をかけるだけだと思った」と。
 僕が 影響を受けたのは 悔いが残ると言いきった点と たとえ周りの人に迷惑をかけることになっても 自分の意志を通してきた野茂選手が 周りの人たちに迷惑をかけることを気にした点である。
 僕も 悔いを残したくないから、相当のわがままをやらしてもらっている。だが、普段、わがままを通そうとするからこそ、たくさんの悔いを残すことになることが、痛いほどわかる。
 その野茂選手が 人の迷惑を考えたことは 僕にも 大きな影響があった。
 良きにつけ悪しきにつけ・・・・・・。


 野茂選手 たくさんの 感動するパファーマンスを見せてくれてありがとうございました。


 7月  21日 No.1901

今の世の中、最悪のことを想定して動く場合の人ばかりなのかと思うほど、そう思う人が多くなったような気がする!

 いつも 最悪のことを想定して動く場合の人が増えたような気がする。そんなに 何もかも最悪のことを想定して動かなくても、冷静にその件を考慮すれば ただ処理するだけで済む場合もあれば 流れての中で 流したままでも別にかまわない場合もあれば、急きょ変更があれば その変更点だけ対処対応をすればいい場合もあれば、最低これだけやっておけば、事 足りると予想が立つ場合もあれば、その指示そのものが間違いだと気付く場合もあれば、最後の確認を怠けずにおこなっていればミスを防げる件もあれば、ちょっと視点を変えれば乗り越えられる場合もあれば、何より求められるのはリラックスして ことに当たるだけの場合もあれば、最悪の事態が発生するなら この場合しかないと前もって分かっているものは そこだけ準備をしたり 用意周到憂い無しの情況にしておけば良い場合など さまざまなパターンがあるはず。
 それが大人ってもんでしょ。
 もし、それでも心配な人は 毎回 最悪のことを想定して動く場合のエネルギーの消耗より、「最善をつくす場合」を想定していない自分を叱るエネルギーとして、そのエネルギーを消耗してほしいもんだね!


 7月  20日 No.1900

親子で、遊んで、親も子どもも共通体験で感性を刺激しようぜ!

 地方の道の駅で休憩したとき、眼下に清流があって、そこにたくさんの親子が川あそびをしていた。お父さんが子どもたちのスキをねらって、後ろから、冷たい川の水を頭からかけたり、女の子が石をどけては「見つけた!」と 河原でひなたぼっこしているパパママに、得意気に見せたり、お父さんとお母さんが川ではしゃいで 子どもたちが それを冷めた目で見ていたり(笑)、川であそぶ親子を見ているのはむちゃくちゃ面白い。
 僕が見ていて 面白いんだから 当人たちは なおさら 面白いと思う。どこの親も、こんなとこまで来て何もそこまで怒らなくてもいいじゃんって思うような怒っているところもなく 親子であそぶ姿にほのぼのとさせてもらった。それで 僕も すみっこの方でちょこっと川に入らせてもらったのだが これが 思っていたより 冷たくなくてキモち良かった。これは 子どもたちがあの川に連れてってとせがまれそうな川だと思った。
 親子で川あそびや 山あそび 海あそび などこれから夏休みで たっぷり共通体験をしてあげて いろんな感性を宿してほしいと思う。


 7月  19日 No.1899

親が、我が子と よそんちの子と比較するから、我が子も、よそんちの親と自分ちの親を比較する!

 親によっては 我が子より よそんちの子ばかりみて 追いつけ追い越せ的発言を ほぼ二十歳を向かえるまで言う。「みんなはちゃんとやっているでしょ。どうして 〇〇ちゃんだけできないの!」と。それは あなたが親なのに 我が子をよそんちの子と比較して 自分の子どもができないことにイラ立ったり、腹を立てたりするからでしょ。我が子は何が好きか、我が子が何が得意なのか、二十歳までまったく知らない。知りたいのは、うちの子は よそんちの子よりも 上なのか下なのか 上手なのか下手なのか 成績がイイのかワルいのかにつきる。すると 我が子もかなり早い段階から学校の帰り道にグチりだす。「おまえんちの親はイイなぁ。優しいから。うちは 怒ってばかりいるからさ。みんなはどうなの?って毎日、必ず口グセのように言ってんだぜぇ!よく飽きねぇよなぁ、お母さんって思う。イイなぁ おまえんちの親」などと言われていることなど知らないであろう。
 親が何でも比較する言葉を生活の中で使っていると 我が子も常に比較し チャレンジもせずに あの子より下手だからムリにきまってる どうせワルく言われるからやらない、といって何でもやる前からあきらめてしまうようになる。


 7月  18日 No.1898

感性のするどい女の子の一言に、大人は、ただ、たじろくばかり(笑)!

 感性のするどい女の子は 一言で、その場にいる大人たちを、たじろかせてしまう。
 ある会場でのことだった。
 3才〜14才までの子どもたちが50名ぐらい集まってくれて そこで読あそびさせてもらった。
 読あそびが終わってみんなに僕が
 「この中で お母さんの笑ってる顔が死ぬほど好きな人ぉー?」って聞いたら
 「は〜い」とちっちゃい子が数名だけ手をあげてくれた中、「見たことな〜い」と言う 女の子の声が混じった。
 僕は あれっ!?と思って声がした方を見ると 周りの男の子に囲まれて一人の女の子がいたので「きみか? 今、見たことな〜いって言うたんわぁ? 何を見たことないの〜」って聞いたら 「うちんとこのお母さんの笑顔!」って言ったとたん、会場の後ろにいた お母さんたちがたじろぎだした。
 んっ?!と僕が思ったとたん その女の子が 後ろのお母さんたちの方を向いて、「あのお母さんたちが うちのお母さんをいじめてるから お母さんが笑わないようになっていったの!」と指をさしながら言った。
 何名かのお母さんは あせったり 明らかに表情から血の気が引いて 真っ青のお母さんがいたり みな ただただたじろぐばかり。
 そのたじろいだ姿は、してやったりのニコニコ顔の女の子とは対照的だったので、失礼ながら、がははははぁーと笑ってしまった。
 僕は すぐ
 「もし、うしろのお母さんの中で、この子のいうように、この子のお母さんをいじめてるお母さんがいるんなら、悪いことは言いまへん、即刻やめてあげなはれや。この子のお母さんだけやあらへん、いじめてるお母さん自身も、いじめてた回数だけ、笑顔でおってあげられる回数が減って、バチが当たる回数は増えまっせぇー」と言ったら、その女の子より、少し年上の女の子がスーッと立ったかと思ったら、その子も後ろのお母さんの方を向いて「〇〇〇ちゃんのお母さん、お願いやから、もう、♀ちゃんのお母さん、いじめるのやめてあげください」と、ハッキリした口調で言った。
 突然、二人のお母さんが泣き出した。一人は、恐らくいじめてたお母さん、もう一人はいじめられてたお母さんだろう。
 あとのお母さんも 二人の関係を知ってか知らずか みな たじろいで下を向いた。
 二人の女の子の一言に お母さんたちは みな半泣き顔になり 子どもたちはというと みな満足そうな ほほ笑みを見せた。
 やれやれ。
 子どもたちにまで お母さんたちのやりとりで、やきもき させるなやぁ、まったく!。
 ふたりの 幼きも みごとな おんなっぷりに 僕も たじろぎました(笑)。


 7月  17日 No.1897

やたらがんばって、あとで、文句を言うんじゃありません。がんばれた自分に、失礼です!

 あるOLの方は、普段もプライベートも、後輩たちからめちゃくちゃ慕われていた。そんな折り、あるプロジェクトで、後輩たちから推薦され、そのOLが、すべての「決定権」を任せてもらえるリーダーになった。そのOLは 課長と同じ「決定権」を存分に使い、プロジェクトを成功させるほどがんばった。そしたら その功績を買われ、次のプロジェクトは 部長からダイレクトに「オレとコンビを組んで 次なる成功を目指してくれ!」と言われ、やたらがんばった。そのがんばりは、人生で こんなにがんばれる仕事に巡り合うなんて、幸せだなぁと思えるほどで、自分でもびっくりするほどがんばって がんばり通した。だが プロジェクトは 止まらぬオイル高騰で 6月の株主総会のあと 中止決定となった。そのOLはがっくりした。後輩たちはそんな先輩に元気になってもらおうと、あの手この手で飲み会を開いたり、コンサートや旅行に誘ったりした。そしたらその度ごとに「せっかく がんばったのになぁ。オイルが せめて 150円代で止まってくれたらな。あと一年 時代の波がズレてくれたらな。わたしは悪くない。がんばったのに、なんで部長は腹が立たないんだろう」などと文句を言うようになった。それで一人の後輩とケンカになった。それを機に 先輩を慕う後輩は ぐっと減っていった。そのOLは ますます いろんなことで文句を言うようになり、とうとう職場のみんなの前で、課長や部長に、直接、文句を言うようになり、クビか、左遷かの選択をせまられ、会社を退社する覚悟を決めた。退社願を提出しようと部長の前まで行くと 別の部の部長から 「このプロジェクトで 君の力を ぜひとも借りたい!」と言われ 辞めずにすんだ。後日 そのプロジェクトは大成功となり その種の世界で名を轟かせる会社となり そのOLは その部の部長になった。その後 会社の回報の取材でこう言った。
 「私は、この会社の仕事に対して、やたらがんばれる自分がいることを発見し、発揮もできた。でも 自分の人生のプロジェクトだったら 間違いなく、文句ばかり言って、がんばろうともしない みっともない人間だと言うことをみなさん知っておいてください。昔、おばあちゃんに言われていたことを、ふと思いだしたんです。がんばれるうちが華!。がんばってる人に文句を言ってはいかん。それがたとえ自分じゃったとしても・・・」と。


 7月  16日 No.1896

最低の親からも子は学ぶ能力をもっている!
最高の親からは何一つ学ばない能力も もっている!
それが子どもたち!

 子どもたちの能力は「すごい」の一言から はみ出してしまうほど 凄い!
 回りの大人たちから最低の父、最低の母と罵られるような親の子どもでも 最低の子にならない能力をもっている。
 ちゃんと バランスが取れた子になっている。
逆に 近所でも 評判の最高の父 最高の母と うわさされる親の子が 自分の親たちから最高と言われるものを何も 学ばず、別の能力を発揮させ 最低の行動をしまくったりする。
 どちらも 恐るべき子どもたちの能力である。
親が いくら良いことに「すごい」を発揮しようが 悪いことの方で「すごい」ことをやらかそうが 子どもたちの能力の「凄い」には かなわない。
 理性・感性・創造性においての能力が段ちがいに「凄い」のだからしかたない。
 この凄さに気がつけない 大人の能力も ある意味で スゴいのだが・・・・・・(笑)
 みなさんは いかに!


 7月  15日 No.1895

親が、何かに打ち込んでいたなら、その姿を我が子は、ちゃんと受け止め、心の糧にしていくんだなぁ!

 そのお父さんは、小学校の役員になって、2年目を向かえていた。去年、役員になったのは、それまで お父さんが趣味でガーデニングに凝っていたことが近所のお母さんたちの評判になり選出され、学校が力を入れようとしていた ビオトープの責任者も兼ねて役員にさせられた観がある(笑)。それにガーデニングとビオトープが ほぼ同じようなもんだろって感じで役員に選ばれてしまったのだから、なんとも言い難い。だが、そのお父さんの すばらしいところは じたばたせず ビオトープもやってみようと思える感性の持ち主だったので 回りのお母さんたちは ほんとうに 自分ちのお父さんにやってもらわなくてすんだと心からホッとしていることなど このお父さんは知る由もない。
 それから2年 ビオトープに打ち込み続けてきたお父さん。
 そのお父さんは 5年生の息子に ビオトープの草花のように良き変化をもたらしたようだ。
 そのお父さんが役員をしている小学校で絵本を読ませてもらって、最後に、僕が「今、僕がストーリーテリングしたときに出てきた、この主人公のもぐらの子みたいに、この中に、自分のお父さんかお母さんをちゃんと自慢できる子っていてる?」と聞いたときだった。
 4人の子が手を挙げてくれた。
 3人は女の子で1人が男の子だったので、その男の子に「じゃ、君」と言ったら、偶然ビンゴ!。なんとその男の子は、会長の息子だった。(あとで先生に教えてもらったんだけど(笑))。
 息子は みんなの前で僕に言った。
 「うちのお父さんは 前は 全然つまらなかったけど 今は PTAの役員にさせられて学校のビオトープをやってるんだけど その打ち込み方が すごくて ここにいるみんなも すごいって言ってくれるんだけど それが 僕の一番 うれしかったことです」と。
 それで僕が
 「ほな、今度は 君がお父さんに自慢の息子やって言ってもらえるような 打ち込めるものに出会えるように おっさんが 樫の木ふくろうにお願いしといたるわぁ(笑)」と言ったら その子が「あきちゃん あのね もう 打ち込んでるものがあるから心配しないでください」と言った。で「げっ!すげぇ。それって何ぃ?もし 良かったら おっさんに教えてぇ?」と僕が聞いたら その子が言った。
 「お父さんみたいに みんなを 喜ばせられるような「もの」すべてに 打ち込んでいます。ちなみに今は、男子トイレのそうじに打ち込んでいます(笑)。2年生の階と僕らの階は僕が一人でやってます」と。「えらい!!それは、みんなが喜ぶわぁ。ほな、君は毎日、うんこまみれになることに打ち込んでんのやなぁ(爆笑!)」
 「ちがいます。そうじです(大爆笑!!)」

 カッコいい〜〜っ!

 打ち上げのときにお父さんに、その話をしていたら めっちゃええ男泣きをしてました(笑)。


 7月  14日 No.1894

子どもが、好きなものを見つけたら、親はそれがあきるまで、させてあげればいい。しばらく片付けないでね!

 今、子ども一人に、お父さん、お母さん、お父さん方のおじいちゃん&おばあちゃん、お母さん方のおじいちゃん&おばあちゃんがついている。つまり、孫一人に6人の大人が、それぞれの「想い」を胸に秘め、かわいがる家が増えた。
 すると、孫のまわりは、たくさんのおもちゃに囲まれる(笑)。それらは、生まれて始めて触るものや、操作できるものである。
 そのたくさんの中から、自分が気にいったもの、好きなもの、感覚的に味をしめたものを見つけると、そればかりし出す。
 そのとき、多くのお母さんは、他のおもちゃには手をつけていないようだからと、片付けてしまう。そうすると、せっかくたくさんの中から一つのものをしぼりだしはじめた感覚が、にぶる。つまり、一つのものをしぼり出しかけたのに「あれっ、僕の他のおもちゃは どこにいったの?」となって他を探しはじめる。そうすると、一つのものに集中していたのに、他に気を持っていかれる状況を、お母さんが良かれで片付けてしまったことが、我が子を注意力散漫にさせてしまう芽となったり、クセをつけてしまうことになりかねない。
 これが幼いころに繰り返されると 一つのことにのめり込もうとすると 他を気にしてしまう子になってしまう。
こういうときは 寝るまで片付けず あきるまでほうっておけばいい。
 子どもは ちらかしている感覚はないのである。
 たくさんのものの中から 一つ、自分の好きなものを選びぬくときの、あの心地良さを何度も味わっているだけなのである。
 一つのものに集中するのは たくさんの中から 一点に 目が捉え、それをあきるまで遊んでこそ 集中力の芽が宿るのである。
 好きなもの以外を片付けられて、始めから一つしかないなら 選びぬく あの感覚的快感は得られないのである。
それでは 集中力の芽は育まれないのさ。 たくさんある中から 一つ選びぬくからこそ 集中力の芽は すくすく育つ!


 7月  13日 No.1893

親が、我が子に影響を与えたいところと、子が親に影響を受けたところは、違うものなのさ!

 親は 我が子には いろんな経験をしてほしい、そして、その一つ一つの体験や経験から、そのとき、何かプラスになるような影響があればイイな、と願っている。でも それは一面の小見出し程度かもしれない。ほんとに 我が子が、あれも経験したい これも経験したいと言い始めると「ムリを言うんじゃありません!」と声をあらげてしまう。
 だから あくまでも 願いなのである(笑)。
 子どもは 親のそういうところを まともに影響を受ける。
 お母さんは 口で言うことと 心で思っていることが違うからなぁなどの影響を受けた子は その通り、友達関係で その子も 口で言うことと思っていることが違う面が友達に影響を及ぼしてしまう。
 お母さんから影響された面、お父さんさんから影響された面、それぞれの大人から 影響を受けた面は 必ず 子が行動する上で 表面化する。
 これを 緩和するのが「あそび」である。
 我が子が親から影響を受けたことだけで 育たないよう できれば 「今日も おもいっきり たっぷり 遊んでおいで!」と声をかけられる親でいたいものである。
 あっ、これは、あくまでも 僕の勝手な願いとして(笑)!


 7月  12日 No.1892

この国には、まだまだ古い体質の雰囲気が、色こく残っているものがいくつかある。
その一つに「あそこは片親だから」という安易で、根拠がそれかょっていうセリフをお母さんたちでいうこと!

 ある地区のおばはんが僕を呼びとめて、言ったセリフに、どタマにきて
 「母親と父親が揃っている家ん子は、ワルさをせぇーへんのか? あぁ〜ッ?」と、怒鳴ってしまった。
 すぐ、亡きおやじの声が耳の奥でした。

 「兄貴、怒るな!」

 ちょっと冷静になってビックリしてるおばはんに、
 「いきなり、怒鳴って、ごめんして」と謝った上で、
 「頼むから、この地区で、あのワルガキを、片親やからってことでくくらんといたってくれる。両方親が揃ってる家のガキでも、ワルガキはいっぱいいてんのやから。それに そうやってお母さん同士が集まって あの子のどっちか面倒みてる片方の親のおらんところで、陰口たたくなやぁ。
 それに そんなことを 俺に教えてくれるなやぁ。さも、あのワルガキの[悪さ]は、あの子んとこは片親やから、ああなったんです、みたいに、にこにこ笑いながら、俺に教えておかなっていう、あんたらのその雰囲気が俺はイヤやねん!。
 あんなぁ、一つ言うといたるわぁ。
 あんたら 何かあったら そうやって集まって 陰口や悪口言うてんのやろ。そんなことしてると、今は、あんたらのガキも、人生の体力があるうちは、言うこと聞いてくれてるかもわからんけど、あんたらが年くって、体力がないようになったころ、大人になった我が子に 悪さされて くたくたになるで!
 ほんまやったらなぁ そうやって集まったんなら あのワルガキの片親に『こんなこと言うてなんやけど、あんたんとこ、あんただけしか親いてへんのやから、この地区みんなで、そこうめられるよう、わたしらも力貸すから、なんでも言うてきてねっ』てなことぐらい言えて 普通なんやで。それを あんたらは そんな普通の感情もなしに 陰口かぃ。
 そりゃ あのワルガキのかわいそうなんは 片親になったことじゃなくて それを陰口にして言い広めようとする、あんたらみたいなおばはんがここの地区に住んでたことが、あの子にとって、めっちゃかわいそうや、とオレは思うでぇ。だれか一人でもええから もうすぐ夏休みやんけ。そしたら あんたらは、そりゃ両方揃ってる家庭を持ってるんなら、『今度 おばちゃんとこ、海へ泳ぎに行こうと思うんやけど あんたも行けへんか?おばちゃんから、あんたんとこの親には言うといたるから』とか言うて誘ったろ、言う人がおらんのかぃ。今までおらんなら、今度は誘ったりぃーな。そしたら あのワルガキかて 大きくなったときに ふと『 オレが育ったところの 近所のおばさんらは オレが片親でも それをうめるぐらい みんな優しかった』って思ってもらえるかもわからんがなぁ。このままやったら オレが育ったとこの近所のクソばばぁどもって思わすだけやん。もっと あのワルガキのことも そやけど あんたらのその陰口も 質が高くなるように考えたげてーな」と言い終わったときには、みんな泣いていた。
 その涙 忘れんといたげて!
 あのワルガキと あの子の たった一人の親のために・・・・・・。


 7月  11日 No.1891

今、我が子が何を欲しているか気がつけない親は、我が子がピンチのときに、遠ざかろうとする!

 今、中学生の息子を授かったお母さんを見ていると、今、我が子が何を欲しているのか、気がつけないお母さんがたくさんいる。
 中には、我が子が小さいころから、「私の理解できる範疇を越えないで!」と言わんばかりのオーラを放ち、何か言おうものなら、言いっ放しで、我が息子からの返答は一切、聞こうとさえしないお母さんがいる。
 こんなお母さんは 我が息子が学校で何かがあって 精神的にまいっていたり クラブ活動でミスをして それが原因で試合に負けチームのみんなに迷惑をかけて落ち込んでしまって 心がピンチのとき、様子がおかしいとも気がつかないため、いつもと同じ 言いっ放しの様をみせ、息子から何か言われないよう、さっさと遠ざかる。
 それがさらに息子の気持ちを落ち込ませる。
 こんなとき お母さんが ハッと落ち込んでいることに気がついたなら お母さんしか言えない「あんた 落ち込んでるみたいね。理由を お母さんは 聞かないけど 一つだけ言っとくわ。たとえ どんな理由があろうと あんたが 落ち込んだままの「男」だって お母さんは 思ってないからね!」などと言って、励ましてあげることが一番イイと気がつけるだろう。
 さらに、余裕があるお母さんなら、息子が一番 欲しているのは、どんな励ましがイイかってことにも気がつけることだろう。
 息子にとって辛いのは 失敗して 励ましが一つでもあれば、落ち込みきらなくてもいいのに 遠ざかっていくお母さんや 逃げるお母さんを目の当たりにするときである。

 逆に 息子が失敗して落ち込んでいるときに 励ましてくれるお母さんは 必要なときに 必要なセリフ一つ残して あとは淡々としていてくれるから、また、再チャレンジしようとする気力が少しづつ宿ってゆく。


 7月  10日 No.1890

大人のいいかげんさにうんざりさせられている子どもたちに、「いいかげんにしなさい!」って言っても聞くわけないょ(笑)!

 お母さんが、出かけようとして車に乗り込み、「あっ あれ忘れた!」といいながら もう一度カギを開けて 家の中に入って 忘れものを取って出てきて玄関のカギを閉めて 車に戻って、ドアを バタンと閉めて 車のエンジンをかけようとしたら「あっ!」と言って 車のカギを今度は家の玄関に忘れたりする(笑)。それを助手席から 出発するまでじっと幼い我が子が見ている(笑)。これを我が子は しっかり頭にインプットする。その数日後、我が子が 何かを忘れる。その お母さんが「何で あんたは 忘れものばかりするの!。ちゃんと 忘れないように 紙に書きなさいっていつも 言ってるでしょ! もぅっ!いいかげんにしなさい!」って言っても 我が子は 聞きゃあしないわな(笑)。

 我が子が 思想学者ならこういうだろう!

 「いいかげんに しなさい!って言えることを あなたは しているのか?。それとも 行為そのものに、いいかげんにしてほしいのか? それなら こっちも いいかげんにしてほしいと思っていることが いくつか あるんです!上げましょうか?」と・・・・・・(笑)。


 7月  9日 No.1889

子どもは、タイミングが良いときかどうか、計るのがヘタなものさ!

 ある会場で、僕が絵本を読ませてもらっていたら、お母さんのヒザに座っていた男の子が、なぜか泣きじゃくりだした。子どもに大泣きされたお母さんは、廊下に連れ出して泣きやまそうした。でも、さらにボルテージをあげて大泣きしたもんだから、お母さんが「いいかげんにしなさあぁ〜いぃ」と、大声で叱った。その声が僕がページをめくろうとして会場がシ〜ンとしているときに、廊下から響き渡ったものだから、会場にいた子どもも大人も大爆笑してしまった。それを察知したのか、お母さんは、主催者の人に声をかけて子どもと帰ってしまった。その後、会が終わって、主催者の方が僕に「すいませんでした。私の妹ンチの子どもなのですが、あきひろさんに、さわりに行きたいって言ったのを止めようとしたら、ぐずり出しちゃったみたいで、とりあえずウチに、返したんですょ。あの子はいつもタイミングがわるくって、ちょっとが待てないんですよねぇ。イイ絵本を読んでもらってたのに、場の雰囲気を壊してしまってごめんなさい」と言ったので、僕が「なんでぇ、みんな大爆笑やったでぇ(笑)。あのときに、あの子と一緒に妹さん入ってこさせたら良かったのに。大人でも タイミングをつかみそこねる人はいっぱいいてるやん!。まして ヒザに座らなあかん子どもやもん まだまだ タイミングなんて わからんって!」と言ったら、急に目に涙をいっぱいためられて「あ ぁ ありがとうげざいます。妹に 伝えてたら ものすごく 喜ぶと思います」と言ったので「そない思うんなら、今から連絡して 打ち上げする店に その子と一緒に おいでって声かけたげて。そうしたげんと、このまま二人で晩メシ食うんは、妹さんにも、あの子も、メシ美味ぁ食べられへんで。こんなときは、メシ、みんなで楽しく食うたげな(笑)」と 言ったら お姉ちゃん泣いてしまった。打ち上げで無事、妹さんとこのクソ坊主に(笑)、触られまくられながらメシ食ったけど その子も妹さんも笑顔で食ってたから まぁええか!(笑)。

 幼い子どもに タイミングを計らそうたって なかなか 難しいから 楽しい晩メシをしながら おいおい感じ取っていってもらったらええねん!。
 世のお母さん方、何とぞ どうか その点よろしゅーに してあげてください。
子どもは ほんまに タイミングが わからんのですわぁ!


 7月  8日 No.1888

男の子の初体験は、私が したことがないことばかりするものである。だから、母親は手をやいてなんぼのものということを、ちゃんと理解しておかなきゃ!

 母親は息子に手をやく。別に目くじらたたて、やかなくていいことにも、手をやくものとして捉えがちになるから、ついつい怒ってしまう。それは、つまり、母親として手をやくようにみえて、実は 私がしてほしくない!と思っていることを息子がしようとするだけで 手をやいているのである。だから、いつの間にか、母親としての自分じゃなしに、私が培ってきた男性観というフィルターを通してみるため、あんな男にならないように、いちいち、子どもの行動に目を配り始めるために、やかなくていいことに、手をやいてしまうようになるのである。
 男の子は もともと 手のやく子ぐらいがちょうどイイ。
 男の子で生まれてきた以上 私が今まで生きてきて、したことがないことばかりするから 手をやくものなのである、とちゃんと理解しておかないと、母親は、くたくたになるんじゃないかなぁ。


 7月  7日 No.1887

親は、なんでも知ろうとしなくてよぃ
親は、なんでも聞こうとするほうがよぃ!

 今日の一言は そのまんま!
 これに解説をつけるとヤボになる!
 ただ聞こうとするだけで、親は、我が子の知たいことを、我が子の口を通して知りたかったことを次々に、教えてもらえるのだから・・・・・・。


 7月  6日 No.1886

子どもがどんどん大人化させられている。別に、その年齢に応じた[しっかりさん]でいいのにさ!

 関西では、ちっちゃくても、お母さんが、おつかいをたのむ。おつかい先の八百屋で近所のおばちゃんと会って「おばちゃん、こんにちわぁ」と言いながら、品物を買い物カゴに入れていると「7歳にしては、この子しっかりしてるわぁ。うちの子は、9才になってても表の便所までよういけへんでぇ」と、関西では、地区のおばちゃんが、おつかいしてえらいな、しっかりしてきたなって口々に言うことで、[しっかりさん]が、たくさん育った。
 ちなみに、しっかりしていて、おマセなことを言う女の子は[おませさん](笑)。そうやって親以外の地区のおじちゃん、おばちゃんたちに、その年齢に応じた[しっかりさん]や[おませさん]が育まれたもんである。
 でも、いつの間にか、日本中のお母さんが7才の我が子におつかいを頼めなくなっているような気がする。お母さんが7才の我が子におつかいに出して帰ってくるまでの、不安に耐えかね、我が子に頼むことをせず、自分が車で買いに行った方が早いと思うのだろう。そうすると、「お母さん、今から、ケチャップとウインナー買ってくるから、あんたその間に宿題しときなさいょ」と言い残して、買い物から帰ってきても、宿題をやってる気配さえないから、「もう そんなことでどうするの!大人になったとき自分が困るんやからね!」と 大人になることを意識した発言が家庭でバンバンでる。当然 学校はあいも変わらず 社会のルール、それが大人になるための・・・と言いたくる。そりゃ子どもたちの大人化がすすむわなぁ。
 どこいったんかなぁ[しっかりさん]と[おませさん]。
 高校生ぐらいになると言われるんよなぁ、おばはんに。

 「つい この前まで おつかいしてた しっかりさんやと思てたのに ええ男になってぇー。もう 高校生かいなぁ。あっと言う間やなぁ。と言うことは、今、もう、高校っちゅうことは、じきに 嫁はんつれてくんな。 あんたは しっかりさんやで!。おばちゃんが、もうちょっと若けりゃ、嫁はんにしてもうねんけどなぁ」と(笑)。
 高校生になった、しっかりさんは しっかりした口調で一言こういう。
 「姉さんは 僕には もったいない!」と(爆笑)
 そうすると おばはんは 「イヤっ、ちょっと、イヤやわぁ、もう上手に言うて、姉さんやて、もったいないやて、やっぱ しっかりさんの言うことは しっかりしてはるわぁ!」って言いながら 「なんぞ、欲しいもんあったら このカゴに入れな 買うたるから」と言ってくれるんで しっかり パン菓子やらジュースやら 買ってもらう。
 これが しっかりさんが高校生になったときの日常のひとコマ(笑)。

 どこ行ったんかなぁ しっかりさん。

 かつてあれだけおったしっかりさんのうちの一人は なんやしらん、今、日本中の子どもたちに絵本読まさせてもらってるみたいやけど・・・・・・(笑)。


 7月  5日 No.1885

子どもに「とりあえず」させるんじゃないんだなぁ。大人が「とりあえず」待ってあげるんだょ!

 子どもに「とりあえず」させてみよう、「とりあえず」させてあげよう、という大人や親は 自分たちにも 多少の経験があるものや 危険があったとしても 多分あれぐらいだろうと あたりをつけている場合である。
 だが、子どもが何か始めたことが 自分たち大人や親に 体験がないことを始めた場合、「それは なに?」って聞いてしまう大人や親が多い。ケガをする前に、手おくれになる前に、という大義名文で 子どもに聞いただけ、止めるつもりはない、と言いつつ ほんとは自分の知らないことを我が子や子どもたちが始めると心配でつい聞いてしまっているはずである。
 そんなとき、「とりあえず」見守る、「とりあえず」見送る、「とりあえず」見すごす、「とりあえず」何も言わず子どもが何か言ってくるまで待つ、「とりあえず」最後まで待つしかない、が地でできる大人や親が 多少でも もう少し増えてあげないと 日本中の子どもは、子どものときから 生活が窮屈で 「とりあえず」現実から逃げちゃおっかなぁと思いかねないので、「とりあえず」我々 大人は、自分たちが 子どものころと 今の子どもたちと 大人がどんなときに口を挟んできたか 「とりあえず」思い出すところから始めてみてはいかがでしょう(笑)。


 7月  4日 No.1884

親子の血はどんなことでも受け継がれるのかも。血はあらそえんなぁ!

 久しぶりに、昔の僚友に出会って泊めてもらった。そのツレには二人の男の子が授かっていた。上の子は中学3年生、下の子は中学2年生である。ともに、期末テストが近づくと体調が悪くなるらしく、いつも、体がベストの状態でテストを受けられないので悩んでいた。その話を聞いて、ツレの大学のときと同じだと思ったので、兄弟の前にいって「おまんらのおやじの大学時代の話、聞きたい?」と言ったら、それだけで目の色を変えて「聞きたい!(笑)」と元気に言った。それで 3階生の学期末のテストのときの話をしてやった。「おまんらの、おやじは コンパで出会った女の子に夢中で 学期末どころじゃなかったんや(笑)。ところが こいつは単位がなくて、女にうつつをぬかしてる場合やないんょ。この学期末で必修科目を一つでも落とすと 母ちゃんを、あと一年さらに苦しめることになる。つまり、落第寸前や。そしたら、母ちゃん一人でまた、下宿代やら仕送りで働いてもらわなあかんやろ。そこで オレがやなぁその女をあきらめさせてテストを受けさせたんや!。そしたら こいつが テストの当日に部屋へ迎えに行ったら、あかん胃のあたりがいたいとかぬかして、いざ テスト受ける段になって 落第したらあかん、一つも単位落とされへんて思ったら もう 胃のあたりが痛とぅーて痛とぅーてって言うんや。それでも 受けやな落第決定やからやな、先生に、こいつ、朝から体調が悪いんで、僕が横で様子をみながら、テストを受けさせてもらうわけにはいきませんかぁ?って言うたら、OKが出て、そのときのテスト期間5日間、全部、こいつのテストをオレが書いて、見事、こいつは4階生や。こいつは それ以来 テストになると胃が痛くなる症状が出るようになったんや。で、オレだけが おまんらのおやじのことを イキリ(胃切り)と呼んでるわけや。こいつが胃がキリキリ切ってしまいたいって、口グセになったとこからつけたアダナや(((爆笑)))。そやから、おまんら兄弟がテストの前になると体調が悪くなるんは、おまえらのせいやないんや。こいつの大学時代のせいや。安心せぇ」って 言うたら、兄弟のうちの弟の方が目からポロポロ涙をこぼしながら 「僕、なんで こんなに お腹が テスト前になると ・・・ 痛くなるんやろ・・・って思てた・・んやけど!」 オレはたまりかねて「もう ええ!ようがまんした。 おまえのせいやない!。つからかったのぅ。」と言って 肩くんで頭なでたりながら「イキリ、おのれは 大事な息子に なんで おのれの大学時代のこと語ってやってへんねんぼけぇー。おやじなら ちゃんとせぇー!このどアホぉ。今からおのれの胃切ってまうどぼけぇ」と 息子らの前でツレを叱ったら 今度は お兄ちゃんの方が泣き出して その兄弟の泣き顔は やっぱイキリがフラれてないた あのときの泣き顔と一緒やった。

 血はあらそえんなぁ(笑)。


 7月  3日 No.1883

子どもを守るのは親の性。
でも、一生 そばにいてやれないのが宿命。

 動物界は 何千万年も 子どもが幼いうちは 親が身をていして守ってきた。ゾウ、クジラ、シロクマなどの海や陸の大型動物然かり、小型哺乳類、鳥類や、人間も然かりである。
 多くの動物は 親が身をていして守ることで種の保存を兼ねる、性(サガ)を背負っている。と同時に いつまでも そばにいて守ってやれない宿命も背負っている。

 これが自然界の調和として 常に働く。

 人間も本来なら、みなが大なり小なり、それを感性でキャッチできたのだが、ある時代から一部の人間の 異状な脳の発達のおかげで、「科学」が生まれ、そのあたりから自然界との調和を捉えるだけの感性が鈍る。
 現代シャーマン、イタコ、巫女など、世界のどこかにひっそり生きているネイティビィアンは、今だ するどい感性で 調和を図ることができるが 現代人には 到底無理な 体となった。暑いと言えば冷房 寒いと言えば暖房では 自然界に反するため 人間の動物的皮膚能力が衰えるなど、さまざまな能力が衰えてもてもしかたがないだろう。
 これからも現代人は、文明の利器と引き換えに、人間が動物のときから宿してきたあらゆる能力を衰えさせてゆくだろうが、親が、我が子を身をていして守る 性だけは 衰えないでほしいものだ。
 すでに 一方の親が我が子に 一生そばにいてやれない宿命の方のバランスや調和が崩れたり、乱れ始めているような気がする。
 先進国の現代人において、子離れ できない 親が世界的に見ると、大量に増えている。


 7月  2日 No.1882

お利口な子どもをつくろうとする大人に、お利口になってほしい(笑)!

 ある地区では「みんな お利口!」というキャッチフレーズの幼稚園がある。みんなといっても その「みんな」は そこの園の子どもたちだけを意味する。その園以外の子どもたちはお利口じゃなくても良さそうである(笑)。
 まだまだ標記はつづく。
 お利口な子は ものをたいせつにします。
 お利口な子は ともだちとなかよくします。けっしていじめたりしません。
 お利口な子は ちゃんと おかたづけができます。
 お利口な子は 先生のはなしを よく聞きます。
 お利口な子は 〇〇〇〇します。
 お利口な子は 〇〇〇〇はない!など、〇には あいさつが入ったり いろいろな言葉が入る。
 周りの大人がだれも僕みたいに 「お利口になろうとしない方が 利口なときもある!」、なーんてことは言わないんだろうなぁ(笑)。
 周りの大人が 利口になってあげないと その園が思っているお利口な子に したてあげられてしまう。

 お利口とは、スローガンのように掲げなくても、元気がなくてもお利口な子はいるし、おかたづけができなくてもお利口な子はいるし、たとえ先生のいうことを聞かなくてもお利口な子がいたりするものなのである。
 
 そうだなぁ、僕なら、あの、お利口な子に〇〇〇〇はない! の〇の中に「スタイル」という字を入れてみようかな(笑)。


 7月  1日 No.1881

ドキドキしたり、わくわくしたりすることは立派な情操だょ!

 情操教育を振りかざして、幼いころから勉強をたたき込んでいるヤカラが多くなった。情操教育なのに 静かに勉強することが一番イイって言う。もし、宮沢賢治が生きていたら それは「子どもを試している」(農家の子どもをみて、その子たちの母に言った言葉)と、言われることだろう。情操とは情けを操るとは書くが その実 いろんな心の働きを感じられるような 素(もと)を、こう捉えてみてはどうだろう、ああ捉えて見てはどうだろうと 教え育むことを情操教育というのであって、決して この勉強をすれば 同時に情操教育にもなる、というものではない。この時代、子ども産業に目をつけた いろんな業種のヤカラがいるので みなさんの情操がいかなる働きを見せるかによって、子どものためになったり、子どものためになるならと思ったことが 全然 子どものためにならず むしろ害になっている場合があるので 普段から 幅の広い情操を養えるよう いろんな体験をしておきたいものだ。
 ちなみに賢治が体を壊すまでは わくわくドキドキすることは すべての情操に影響を与えるとして 自らあちこち出かけ 見る、聞く、嗅ぐ、味わう、叫ぶ、触れる、感じるを 体験して 情操を養ったそうである。

 そういったヤカラは とても 普段から情操を養っているとはみえないが いかに・・・・・・(笑)。