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| 6月 30日 No.1880 そのときの一言、そのときの態度を、常識やしきたりにして、どないするんや。子どもには関係あらへん! |
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各県を渡っていると、その地区独特のしきたりや常識がある。 その地区では、小学校から制服があたり前のしきたりがあったり、体育館の国旗もあたり前だったり、20年も前に、たった一言、市長に「市長の嫁さんも、お母さんたちを仕切ってたいへんですなぁ」と言ったために、無礼者のレッテルを張られた。そのため、その地区では、それ以後市長の嫁のことは聞かないことが常識になったり、そのレッテルを張られた人と、その土地で会っても、話しかけられても、ヨソヨソしい態度をとるのが、その地区のしきたりになってしまったり、地区によっては、まだまだ偏った常識やしきたりが残っている。 そういう常識やしきたりには無理があることを そういう地区には、ちょっとだけ僕なりに そのときの一言 と そのときの態度を残すようにしている。 「バカにつける薬がないように 常識やしきたりにつける薬はない! でも 良かった この地区のみなさんは そんな常識やしきたりを気にしない心の広いみなさんで!。だってそうでしょ、数いる講師の中で、今日のみなさんは僕に白羽の矢を立ててくれた。これはうんと心の広い人か、常識知らずのどっちかしか僕を呼ぼうとせんから(笑)。今日の僕は、この通りクチャクチャのTシャツに、ハダシでサンダル履き。そして、礼儀知らずで乱暴な言葉使いの雨あられ。なかなか、僕みたいな非常識でだらしないヤツを講師で呼んでくれやんのに、それをここの人たちはゲラゲラ笑いながら笑顔で出迎えてくれるわ、この話も笑って聞いてくれるわ、ひょっとして、僕より、みなさんの方が非常識の名人やったりして(笑)。僕、今度呼ばれたとき、こうやって、ハナくそほじくって、フルチンで講演させてもらおかなぁ(笑)。良かったら、みなさんも、どうぞ!。あっやっぱり25才から29才の方たち限定で。それ以外は、僕、即帰るんで(笑)。もし「わたしもハダカで参加したい!」っていう人がおっても、入口に駆除係をおいて駆除してもらわな(爆笑)。それではみなさん、僕はこのままハナくそほじくって、帰るんで、みなさんも、今の笑顔のまま、ハナくそほじりながら家に帰ってあげてください(笑)。子どもびっくりしまっせ!ほんまに(笑)。おかんが、ハナくそほじりながら笑顔で帰ってくんねんもん。あっコワっ(爆笑)。家で待ってる子どもら飛び上がるわぁ(笑)。でも、そうやって帰れば今日のテーマどおり、子どもへの伝え方の実践ですわぁ。そんな姿で帰ったら、子どもにはしっかり伝わるやろなぁ。何が伝わるかと言うと、今日、おかんが行った講演会ってどんな講演会や、ひょっとしてハナくそのほじくり方の講演会やったんやろかぁ?楽しいそうやなぁーと(((大爆笑)))」 我ながら この非常識ぶりに 恐れを抱くしだいです(笑)。 |
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6月 29日 No.1879 この世で、親バカするなら、ウチの子どもは、なかなかやるのよねぇ、ぐらいが丁度イイんじゃなぃ(笑)! |
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ある地区で、僕を呼んでくれたお母さんたち6人グループの子どもが全員、男の子が授かっていた。 我が息子への母のキョリ感が いつもその息子中心に動いてしまう「自分(私)」がいるため、 ベッタリ近すぎるのではないかと思いつつも 6人ともキョリをおけない、とのことだった。このベッタリ感から 少しでも離れるためにはどうしたらいいでしょうか、あきひろさん?と 打ち上げで言われたので、「そらぁ、一日も早く 我が息子のために、あの世に行ってあげたることやな(笑)」と言ったら、大爆笑してた。 で、ちょっとマジに僕が こういった。 「ウチの息子は わたしのキョリが近くても けっこうやるのよねぇ」ぐらいに、思って、あげたらええんとちゃうかなぁ、と。 母がそう思うだけで 母もそれ以上にベッタリ近づくことは防げるし 母が息子を 息子を一番に応援するファンの一人としての感情が芽生えるし それぐらいのキョリ感が、母も父もイイんじゃないかなぁ。つまり、そのキョリ感は親バカもほどほどにできるキョリ感になってイイのさって言ったら 6人とも納得してくれた(笑)。 でも ほんとに そう思う。 親バカは 親が我が子を思えばこそ、我が子のことだけバカがつくほどの ファンの一人になってあげる方が イイときも 良くないときも 応援してあげられると思う。 阪神ファンは、そうやって阪神を応援しているのさ。あったかいっしょ! 僕も、いつの間にか、親バカならぬ阪神バカになっちまった(笑)。それと同じ。勝とうが負けようが ファンであることに変わりないように 親バカであろうが親をしてようが その息子の親であることは変わりない。 |
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6月 28日 No.1878 人は人を責めるために生まれてきわけじゃないょ。どう、許せるかも追ってもいいんじゃないの! |
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地方遠征の途中の 道の駅で 朝から 船場 吉兆を マスコミが叩きまくってるワイドショーを見た。 朝から 胸クソ悪くなる報道の仕方だと思った。吉兆も 吉兆だ。次から 次へ。 あっ でも オレは吉兆のことは言えない。 次から次へ 波風を立てることを過去にさんざんしでかしてきたから。 そのたびに 次から次へ 僕に期待して 許してくれた人たちのおかげで 今の僕がある。 吉兆さんも だれかマスコミで責めるばかりじゃなく よその局は叩かれながらも うちの局だけは もう一度だけ 期待して チャンスをやろうかと、マスコミの取材陣のたった一人でも感じ取ってもらえるような 人材が一人でもいないのかなぁと思ってしまう。 僕は、人は 人を責めるために生まれきたわけじゃない、と心底思っている。 でも人は「良かれ!」と思いながら過ちを侵してしまう生き物。 そのとき人は 人から身につまさせられる思いをしながらも 自分の人生において、どう許すか どう期待をこめてチャンスを出せるかも 人生の中に 確実に「在る」ような気がする・・・・・・。 僕は 許してもらったから 許してあげられる側をもっと学んでいきたいと 心底思っている。 マスコミの中にも こんなヤツいねぇかなぁ。いねぇか(笑)。 |
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6月 27日 No.1877 笑い顔のステキな人が、その場にいるだけで、場の空気は和むものさ! |
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ある地区の打ち上げで、ステキな笑顔を持つ人がいた。 その人は、おばあちゃんだったのだが、小さいころから普通のときでも「なにを思い出し笑いしてるの?」って、よく人から言われてきたのだそうだ(笑)。 僕は、打ち上げの個室に入った瞬間「なんや、笑顔のステキなマザーテレサがいてるやん」って言ったら、その人は、さらに破顔され「おほほほ」って笑った。 主催者以外、みんな初対面で緊張ぎみだった空気が いきなり 和んだ。 それは みんなからつけられたアダナが偶然 「テレサ」だったからだ(笑)。 テレサのおかげで テレサが笑えば笑うほど 場が和んだ。 世の中にはいるだな、こういう人が!。 願わくば どの家のお母さんも 「テレサ」とアダナをつけられるぐらい、ウチの中で笑顔でいてほしいもんだ。 そうすりゃ お父さんも、スナックに和みに行かなくてもすむし、子どもも家の中で 毎日、和みっぱなしになるから・・・・・・。 子どもは そんな 和みを 家に求めているのさ。 |
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6月 26日 No.1876 これなしでは生きてゆけない、というものに出会えたら、そんな幸せなことはない! |
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人の道において、したいことをさせてもらってる人もいれば したいことをしている人もいれば したいことではなかったのに いつの間にか これなしでは生きてゆけなくなっていた(笑)と言う人もいる。 したいことをさせてもらっている人は家族や仲間の理解を得ながらしているのだろうし、したいことをしている人は家族の理解を得られなかっても仲間の反対を押し切っても これからも、したいことをしていくだろうし、これなしでは生きて行けなくなった人は それを極力つづけられるよう努力しながらも、いつまでできるかと言う不安にかられながらも 行けるとこまで極め続けるだろう。 人の道を一生懸命生きているのに 今だ、したいことを見つけられない人から見れば みな 幸せに映るにちがいない。 当人たちも もちろん 事あるごとに、こんな幸せなことはない、と思っていることだろう。 すくなくとも 僕は、絵本の道で 日本中の子どもたちと 出会えることは 「こんな幸せなことなはい!」と思っている(笑)。 |
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6月 25日 No.1875 子どもは、新しいことを始めるとき、ワクワクドキドキする。 大人は新しいことを始めるとなると不安がる! |
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子どもたちが 新しいことを始めるとき 心を踊らせる。スキーをするなら 雪の上をすべるってどんな感じかなぁとか 明日、スキューバーダイビングをしに沖縄へ行く。しかも始めて飛行機に乗る旅行。雲の上って どんな風に見えるのかなぁ。海の中を 酸素ボンベ背負って泳ぐって 沈んでいかないかなぁ。海の中は きれいかなぁ。サメがきて喰われないかなぁ。それより、人魚に会えるかなぁ。などなど 前の日から いろんな想像にかられワクワクドキドキする。 これが 子ども! だが 大人は 違う。私だけ ミスしたらいやだなぁ。海の中に入ったとき、みんなについて行けなかったらどうしょう。船でポイントに行くまでに 船酔いしたらどうしよう。みんなに迷惑をかけたくないなぁ。などなど、スキューバーを楽しむことを想像せず、きれいな海に行ってまで人間関係の心配ばかりしている。これでは旅行なんか楽しめない。 こうやって一事が万事で不安の連鎖想像をする。 これが大人ってやつ! 新しいことを始めるときは 子どもも大人もワクワクドキドキしてくださいな(笑)。 それが体と心には ほんとにイイんだから(笑)。 |
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6月 24日 No.1874 梅雨どきに、梅雨らしいシトシト雨がしっかり降った日にゃあ、本でも読もうぜ! |
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梅雨らしい、シトシト雨が続く日にゃあ、本だょ、本(笑)。 僕が 今年の梅雨らしい雨の日に 読んだのは 6月21日から映画になった新刊文庫! 「インディージョーンズ[クリスタル・スカルの王国]」と「西の魔女が死んだ」(笑)。 偶然、いや必然的に、全国ロードショーの日に 東北地方の 小さな道の駅で 次の待ち合わせ時間までに 愛車トゥデイちゃんの中で読んだ。天井のテッパンに雨の音が 不規則な音をたてる楽器の音に聞こえ、それをバックミュージックがてらに 読んだこの2冊の文庫は 乙なものだった。そのせいか、僕の頭に出てきた ジョーンズ博士は 若くてかっこよく、そして まいちゃんは 少しづつ、自らの優しさが 実は 強さにもなるんだと 気づき始め そのたびに目がキラキラしていた。 どうしょうもなかった、あの僕が、雨の日の読書も たまんなくなるほど 本を読むのが好きな人間になるとは 僕本人が一番びっくりしている(笑)。 |
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6月 23日 No.1873 励ましてくれる人が、一人いれば、大人でもがんばろうとする。感受性ゆたかな子どもたちならなおさら! |
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人は たった一人でも 励ましてくれる人がいるだけで がんばれることは 何度も 述べてきた。 今回は その質について述べたい。 たった一言の言葉でも 人は ほんとにがんばれる! 他に そばで話を聞いてくれるだけで なんか 元気が出てきたと思わせてくれる聞き方をしてもらうのも その人の 一つの励ましの形になろう。聞きたくない話では 人は ただ聞いてくれない。 また そっと見守ってくれている励ましもある。 あの人が いつも ちゃんと見てくれているおかげで がんばる、というのも 一つの形。 どんな形でも自分を励ましてくれる人が たった一人いるだけで その人を よろこばせてあげたくなる。 その励ましが あってこそ、今の自分があるって言いたいね! でも、いくらそばで 励まし続けてくれる人がいるからといって 結果をあせったり 早く その人をよろこばせてあげたい衝動にかられ判断をあやまっては 元も子もないので注意したいものである。 あせらなくていいから その励ましに無理なく 少しづつでいいから 一つ一つ 事にあって行きたい。 |
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6月 22日 No.1872 最高の人生の見つけ方って、その人が最高って思える感受性を自分がいくつ体の中に宿しているかにかかってくる! |
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人は、どこに生まれ落ちようが、その地から見える「最高」にあこがれ、やがて 目指す! 手に入る最高もあれば 手に入れられない最高もある。 そんないろんな最高の中から 一人一人が 一人づつ自分の感受性にぴったり合った最高、しっくりきた最高、を得てゆく!。 その一人一人得た最高は 最高感に違いをみせる。 ある人に とっては 家族がみな健康で 笑い合いながら話しをしているそばで、たばこに火をつけ、一服するとき「最高」を得たり、ある人にとっては 目の前にいる 子どもたちの目が輝き、その輝きがどんどん広がっていくとき「最高」を得たり、ある人にとっては 年に一度やってくるさくらの木の下で、友達とワイワイやるときの あの酒 あのビールのうまさが「最高」だったり、年に一度で言えば、ソーラン節、ねぶた、はだか、たかやま、ぎおん、だんじり、あわ、どんたくなどの祭りに命をかけている人の「最高」もある。 最高の世界観も、また、最高の形が一つじゃないからイイ! 人から見れば、ささいなことかもしれない中に 本人には たまらない「最高」を得られる場合があるから自分だけの「最高」を、自分の方法で、見つけられるからイイのである。 最後に ある家のあるお母さんは 高校2年になる息子が 野球部の練習を終え、 「今日のメシなに? 腹へったぁー」と言いながら帰ってきて、昼間から 腕によりをかけて作ってあげた料理を出し、それを 物も言わずガツガツ食べる姿を見ることが一回目の「最高」、そして 息子が食べ終えて「ふぅー 食った食った! 今日のメシも最高やん!」と 息子から笑顔で言わることが2回目の「最高」だという。そんな毎日を、送らせてもらってる今がお母さんにとっての「最高」なのだそうだ(笑)。 その最高感もあと1年と少々で息子が高校を卒業するまで。期限つきの「最高」だからこそ、お母さんはさらに日々の「最高」を、今、しっかり味わおうとしているのだろう。 みなさんにとっての「最高」も、意外にも 自分の生活のそばにころがっているかもしれないので 気づかず踏んでしまわないように(笑) |
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6月 21日 No.1871 人から人へ愚痴を伝染させる人がいる。かと思えば、 人から人へ優しさを伝染する人がいる! |
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世の中には、愚痴を伝染させる人がいる。その人は愚痴を幼いころから言ってきたのかもしれない。はたまた毎日 無意識に愚痴を言う生活をしてきたのかもしれない。その愚痴が、伝染しているとも知らずに・・・・・・。 そういう人がいるかと思えば、優しさを伝染させてしまう人もいる。優しさを伝染させてしまう人は その動き(行為・好意・厚意)が、まさか相手さまに優しいなぁと思ってもらえるなんて思っていない。人としてあたり前のことと思ってしている場合が多い。今まで、そう生きてきたんだろうな、と感じさせるものがあるため、やらしさを感じない。たんたんとしている。だから当人は、まさかそれが優しさとして 人に伝染しているなどと知らずに動いている。 どうせ 伝染するなら 優しさの方がいい。いや 言い方を変えよう。 どうせ感染するなら 愚痴より断然 優しさの方がいい、と・・・・・・。 |
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6月 20日 No.1870 人を、幸わせな気分にさせる人のタイプの一つに、間違いなく「聞き上手」が入る! |
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家の中、職場、近所に聞き上手な人がいると その人は いろんな人に 腹の中をからっぽにしてあげるだけしゃべらせてスッキリ幸せな気分にさせてあげてるような気がする。 ある地区のたばこ屋で、たばこを買おうとしたら そこには 名物聞き上手なおばあちゃんがいた。 また ある地区では 小学校の校長先生が その地区の親御さんたちから「校長先生ってほんと聞き上手だから まいっちゃうのよねぇ。でも、そのおかげで親も安心していられるし、うちの小学校の子たちも 何でも話してるみたいだから なんかイイ感じ!」って お母さんたちに言わさしめ、その小学校区の子どもから親まで、この地区で良かったと思わせるような幸せな気分にさせている。 これを活かすなら、家の中で お母さんが聞き上手になってあげれば どのウチの子も 毎日幸せな気分になるんじゃないかなぁ。 |
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6月 19日 No.1869 人間の子ども時代は、一生「頭」「体」「心」が覚えてしまう大事な時期! |
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人間の子ども時代は 体感時間がゆっくり流れるようになっている。 だから子どものころに、いろんな体験をすると、いろんな体感を体が覚える。焼き付くと言ってもいいと思う。焼き付くから みな一生もんの体感となる。 だから子ども時代に覚えたことは一生忘れない! 特に地理観、遊び&ゲーム、歌などを通じて、気持ちイイもの、快感を得たもの、繰り返しから達成できたものは、一生もんの体感が「頭(記憶)」「体(コツ)」「心(純)」に瞬時に焼き付く。この3つに同時に焼き付くとき 焼き付き切るだけの時間、つまりこびりついてしまうほどの時間がたっぷりあるため 一生忘れないものとなる。 教育ママは この子どものころのこの点に目をつけ、のちの大学を想定して文字(漢字&単語&英語)・計算(数学)を、頭・体・心のうち、頭にだけ焦点を合わし集中して焼き付けさす。 これが バランスの悪い頭・体・心を形成させる。 一生もんで、頭にだけ焼き付いたものが 対テスト勉強もんでは イビツになって当然である。 一生のスパンでみると、ほとんどの場合、テスト時代は国家試験を受験するとしても25才までに終わる。 たとえ受かってキャリアの道を26才から歩んだとしても その先にはテストのない時代に突入する。 そのときになって初めててわかるだろう。 頭に焼け付いたものだけでは、世の中は生きてゆけないことに!。 体と心にも頭をつかったときのように、焼き付いている体感があればいいのだが、なんせ体と心をつかうことが少なかったため、社会に出て体と心をつかおうとしたとき、その体感の数が圧倒的に少ないことが、その少なさゆえに、対人間関係、対家族関係、対社会対応力など ささいなことでも、さまざまな「不自由な体感」を、日々、一生味わうことになるだろう。 |
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6月 18日 No.1868 お年寄りから怒られることも、許してもらえることも、みんな生きて行くうえで勉強(かて)になる! |
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43ちゃいでなお、人から怒られることばかり(笑)。先日、あるサービスエリアで、おじいちゃんに怒られた。 トイレに行こうとして歩いていたら僕の目の前で おじいさんがコケた。すぐ「おじいさん だいじょうぶ?」と言い寄って 手を差しのべたら 「わしは まだ 自分で立ち上がれる 年寄り扱いするんじゃない!」と大声で言われたので 僕も負けじと大声で「おじいちゃんは どっから 見ても 年寄りやぁ!」と言ったら「年寄りに向かって大きな声を出すんじゃない バカやろうが!」と言ってきたので「おじいちゃんは 年寄り扱いをされたくない年寄りの自覚を持ってる年寄りなんやな このどアホじじぃ!」とさらに大声で言い返したら、急に動きが止まって「おまえ、ええこと言うな! 許す!」とながらニコッとしたから「オレも おじいちゃんのその笑顔に面じて今日は許しといたるわぁ!」とニコッとしながらトイレに行った。トイレから出てきたらそのおじいちゃんが「ホレ、さっきのお礼じゃ 飲め」と言って冷たい缶コーヒーを買ってくれていた。「おおきに!」と言って受け取るとき おじいちゃんにこう言われた。「俺も 若いころは おまえさん見たいに 骨があった。だが年寄りになってその骨も、もぅろくなった。がははは!」としょうもないシャレを言ってきたので「オレは 骨なんかないょ。ただ、おじいちゃんの言い方にムカッときて、負けずぎらいのオレが出てしもた!この性分にいつもオレ自身、骨が折れんねん。わははは」と味のあるシャレで返したら「それを 骨のあるヤツと言うんじゃ!良くおぼえとけバカやろうが!がははは!」と言ってきたので「へぇーそうやったんや。よーわかったわぁ このどアホじじぃ!。コーヒーおおきに」と言ってわかれた。 小さなサービスエリアで、おじいちゃんから怒られて 許されて また 僕は勉強(かて)になったなぁと思った(笑)。 |
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6月 17日 No.1867 立場が変わったら、ものの言い種も変わるらしい。これも一つの人間のもろさだね! |
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理想は 立場が変わっても 自分の言い種は変わらないことなんじゃないのかなぁ。 平社員のときと 部長になったときも、子どものときと 親になったときも、生徒だったときと 先生になったときも、言うことは変わらないっていうのがイイなんなら、そうすればいいのに、ほとんどできてないね!。 また、ダム建設、空港建設、ゴミ処理場建設、原子炉建設、バイパス建設による立ちのき、移植医療手術 なども 建設反対の立場の人と 建築会社の立場の人では 「必要ない」側と「必要なくてもつくる」側とにわかれる。 この両立場も 国の計画が頓挫すれば 即 中止になったり 動物保護団体の指定する絶滅危惧種の動物が生息していることが確認されたり 建設途中で 遺跡など出土しようものなら やはり即 中止となり 両立場はいがみあわなくてすむ。 なるほど立場とは、つまり、両立場に別の立場が加わると、一瞬で両立場が消しとぶ摂理が働くものなのである。 本来 立場で ものの言い種が変わるわけではない。 自分の行動や体験から 感極まる成功をしたり 恥ずかしいほどの失敗をしたりして 自分の考えが錬られた上で変わっていくものである。 こうなると 別の立場が加わわっても その言い種に根が生えるため、そうそう簡単に 消し飛ぶものではない。 |
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6月 16日 No.1866 人に求めてばかりでは、我が子からの求めに気がつかなかったりするからね! |
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親が、自分の求めることばかりしていると、我が子の求めにも応じられなかったりする。この場合の 求めとは 欲求に近いことをさすが 例えば 家が欲しいとか 移り変わりたいとか リフォームしたいとか 車がほしいとか はたまた ダンナの給料がもうちょっと上がってほしいとか 我が子にもう少し 聞き分けが良くなってほしいなど あげれば切りがないほどあるはずである。 そんな我が子も お母さん、お父さんに その年齢に見合った 求めをちゃんと宿している。 お母さんがもう少し 優しければいいのに、お父さんがもう少し どっか連れてってくれたらいいのに、あんな塾とっとと辞めたいのに 辞めさせてくれないだろうなぁ 辞めさせてほしいなぁ、お父さんがいう ことを守ってたら みんなと付き合えないょ、もう少し わかってほしいなぁなど、ちょっと 子どものようすを見ていればわかる求めを 親の求めを優先させて我が子の「求め」を見逃さないようにしたいもんだ! |
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6月 15日 No.1865 心配をかけるのが、子ども 心配をするのが、親 みんな「かける」から「する」側になっていく! |
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子どもは 心配をかけようとしてるわけではない。 子どもが、成長するプロセスにおいて、すべての生き物は、心配をかけてしまうのである。 最たるものであげるなら、外敵に襲われて食べられないか、このプロセスを抜け、生き抜けた子どもが 親になっていく。 人間は「想像する」生き物であるため このプロセスを「火」を自由に使い、「家」を考案し、安全を手に入れ、その中で子どもを成長させるプロセスを生み出した。 そのため、現代人は子どもが心配を「かける」生き物だという基本的な認識が薄らいでいった。 できるだけ 親に心配をかけないように 子どものうちから 「しっかりする」ように育てることに重点が置かれるようになったのも「安全」を手に入れたからである。 基本に立ち返れば、親は「する」側ではあるが 親でさえ 外敵に狙われないよう生き抜ぬかねばならない。 だとすれば 子どもが心配をかけるのは のちに さらなる安全を手に入れさすためではなく 「しっかり一人で生き抜くため」に、親は心配「する」側から、子が心配を「かける」プロセスを見守ってゆくしかないのである。 いつか、我が子も「かける」側から「する」側に回ることで 生き抜こうとするだろう。 |
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6月 14日 No.1864 想像力ゆたかな人は退屈知らずなのさ! |
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ガキのころからたくさん絵本に触れたり、たくさん遊んだりした人、おじいちゃん、おばあちゃんたちからたくさん話をしてもらった人は、想像力ゆたかになる。 最近の脳生理学の研究で、「歩く」「飛ぶ」「泳ぐ」など100項目の体をつかったときに脳の中のどこが動いたか、どこに活性が見られたかなどのデータを取り、次に同じ被験者に部屋の中でじっと座ってもらって、100項目を想像だけしてもらった場合とを比較したら、全く同じ個所に 脳が赤くなるなどの反応が見られた。つまり、脳は体を動かそうが動かさまいが、同じ作用・反応があるのだ。 だが、脳の作用・反応にバラツキが見られた人も何名か出た。 そこでバラツキが見られた人たちと バラツキの見られなかった人たちとに、子どものころ 何をしていたかのアンケートに答えてもらったところ違いが浮き彫りになった。中でも、僕が注目したのは、絵本などを読んでもらったことがある?、で ハイと答えた人たちはみなバラツキのない人たちで、いいえと答えた人たちは みなバラツキのあった人たちであったこと。 普段、退屈することが多いですか?の答えには バラツキのない人たちは ないと答え、バラツキのある人たちは あると答えた。 これは単なる実証データの一つにすぎないが、想像力ゆたかな人は 退屈することから逃れる術として 想像力を活かし、退屈することが多い人は 想像力を活かす術をしらない傾向にあるということであろう。 どうも想像力ゆたかな人ほど退屈知らずでいられるようだ。 そりゃそうだろう。 青空を見ただけで 空を飛べる想像力がありゃ退屈しのぎにはなるわなぁ(笑)。 僕なんかも しょっ中、きれいな空見て飛ぶからなぁ(笑)。 |
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6月 13日 No.1863 人の良さは、おじいちゃん同士、おばあちゃん同士が、道ばたで笑い合ってる姿から学んでいるのさ! |
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地下鉄のベンチで、本を読んでいたら、僕の横に、4人のおじいちゃんが歩いてきて、一人のおじいちゃんが「ここに、わしらが座ってもいいかぃ?」と聞いてきたので、僕は端っこに座りながら「どうぞ」と言った。 そのまま本の世界に戻ろうとしたら、とにかくおじいちゃん同士楽しそうにしゃべり始めた。そしたら、お母さんと手をつないでいる子どもや、子ども同士が前を通るたびにおじいちゃんたちを必ずみて、ニコッとしながら通りすぎて行った。おじいちゃんたちも、時間がたっぷりあるのか、何本か電車がすぎてから、「じゃまたな」と言いながら別れて行った。4人とも、ほんとに人の良さそうなおじいちゃんだった。 そしたらすぐ、今度は3人のおばあちゃんたちが座って、入歯の話になったかと思ったら、ハンカチを目にあてたり口をかくしたり、もぅ、ただ笑い合っているだけで会話が成立しているようだった。 前を通る子どもは、やっぱりニコッとして通りすぎていく。 そのとき僕は思った。 昔は、こんなおじいちゃん、おばあちゃんの姿をどこでも見れたなぁと。あの笑ってる姿を見て 人の良さとはこういう姿をいうのかもしれないなということを すでに学んでいたのかもしれない。 いや、きっと そうだとベンチのすみを見て思った・・・。 3人のおばあちゃんらが立ち去ったベンチには、人の良さそうな雰囲気がたっぷりしみこんだハンカチが残っていたから・・・(笑)。 |
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6月 12日 No.1862 子育ては親の心残りの連続と知るべし! |
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親は、我が子にあれもしてあげたい、これもしてあげたいと、常に思ってしまう。 子が願うことなら なんでも してあげたい。 だが 現実は厳しい。 親としてさせてあげたいと思いつつも、家庭内での条件が揃っていないため させてあげられなかったり、せっかく させてあげられるようになっても 我が子本人は すでに 別のものに興味を持ってしまい親子のタイミングが合わなかったりすると、せっかくさせてあげられる条件を調えても願いをかなえそこねてしまう。 そんな心残りが積み重なる。 子育ては、それぐらいが ちょうどいいのかもしれない。 親の言うことを聞かなくても 我が子の望みは なんとかしてあげたいって 思ってしまうのが親なのだから。 親バカの自覚のある親は、なおさら我が子の望みをかなえてあげたいと思う、その思いが強ければ強いほど、させてあげられないときの心残りは、我が子以上にあることだろう。 でも親の 心残りの貯金が貯まっていればいるほど 親子のタイミングが合ったときが楽しみなのもまた事実である。 |
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6月 11日 No.1861 親が、どこまで心配をしながらも、任せられるかで、我が子の度量がきまる! |
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親は 子育てをしながら 次々に心配の種から芽がふく。 この子に これをさせて もしも・・・のことがあったらどうしよう とか 今からの時期なら、この子をみんなと一緒に海へ行かせてあげたいけど 溺れたらどうしよう とか 我が子の行動に、自らの不安想像が頭をよぎると、親として勇気をもって子どもに任せるしかない局面なのに しりごみして子どもに 結局 何もさせてやれない親がいる。 ただ 私の心配症の性分が、我が子の行動範囲を狭めてしまう。つまり、心配しながらもさせてやる!ことができない。当然、我が子はそんな似なくていいところは似なくていいのに似てしまうので、我が子は度量が大きくならない。心配することと、心配しすぎていることの判断が 自らの不安によってなかなかつかないから、結果 我が子に何もさせてあげれない親になる。 安全と安心を勘違いしているのかもしれない。 不安だから任せられない、 不安だけど我が子に任せるしかない、 どっちを選ぶかで 我が子の度量はきまる。 |
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6月 10日 No.1860 頭も心も、からっぽにするには「遊び」が一番(笑) |
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大人で 遊んでいない人は、ガキのころから遊んでいない人が多いため、週末に遊びにいこうと体や心がしない。まして、責任重大な仕事をかかえている期間は 遊んでなんかいられない、と頭が 家に帰ってきても 仕事モードのままになり なかなか からっぽにならない。 一つの知識として 一流の人ほど 一番忙しいときに 「遊び」にいく! 一番忙しいときに 遊ぼうと体が 頭に告げてくる 体をもっている。 一番忙しいときに 頭も体も そして心も からっぽにできる遊びをちゃんと持っている。 この「遊び」を持っている人は 頭も体も心も 健康でいられる。 遊びを知らないし 遊びを持っていない人は 頭の血管が切れたり 体が悲鳴をあげて倒れたり 心がこわれたりする。 つまり 遊びを持てない、長年たたきあげたガチガチ頭のせいで 自分の体や心が病むのである。 たまには 大人ほど 遊ぼうょ。 |
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6月 9日 No.1859 大人が、子どもを見くびることは良くある。すると子どもにイタイ目を見ることになる! |
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大人は、自分より若僧だと、たいしたことはないと高を括る。まして、子どもと言うだけで なにもできやしない、とまで思い込んでしまう。そこに 思わぬ痛手を被るようなことが潜んでいるとは思いもせずに。 むろん子どもの方は その大人から 見くびられていることも その大人に痛手を負わせようとも思っていない。 だとすれば 見くびった大人が 見くびった分だけの痛手を 勝手に思って 勝手に痛手を負っていることになる。 そう、見くびるとは 見くびった時点で 見くびった側にのみ 痛い思いをするためのスイッチを、自らが押してしまうような行為になってしまうものなのである。 子どもが 大人を見くびらないのは 子どもは 何をするにも `ひたむき'ゆえ、見くびろうにも見くびり方が まだ よくわからないから 見くびることが「ない」のである。 この意味を ひたむきさを忘れた大人ほど くみとれないだろう! |
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6月 8日 No.1858 子どもだから、できることがたくさんある。それを子どものうちにたっぷり させてあげるのが親っしょ! |
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親は、家の中で我が子にいろんなことを教えるもの。 だが、多くの場合、学校に合わせて、親が家庭教師的存在になったり、しつけ一辺倒になりがちである。 そうなると、小学1年で 大人っぽい子ができあがる。その子は、7才のときにみんなが体験するような 遊びが親がさせてくれなかったために その体験からくる体感を味わいそこねて 大人になり 親になっていく。 すると 親になったとき、その類のあそびを我が子から しようょ!と誘われても どうしていいかわからない、ということが起きる。 子どものときに 子どもしかできない あそびや 体験、たとえば この時期なら カエルがたくさんたんぼで鳴いている。当然、学校からの帰り道につかまえて飼いたくなる(笑)。家で、カエルを手の上に乗せたり、水槽の水を調整したり、そのときなんらかの体感を得る。 子どものときにカエルの触感を 肌が知ってる体感を持つ親と つかんだこともない親では 我が子がカエルを飼いたがったときの気持ちを、くみたくても、くみ足りないことが生じる。 大人になってカエル捕りに行こうって 言える大人は 両生類学者やライギョ釣りを楽しむ人ぐらいだろう(笑)。なかなか普通の大人は 誘わないでしょ(笑)。 だからこそ、子どものときに 子どもしかできないことに、我が子が興味を持ったなら 親は 勇気を持って させてあげてほしいと思う。 我が子の将来のために・・・・・・。 |
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6月 7日 No.1857 子育てで、あくせくするのも、親の気持ち次第! |
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親は 子育てで あくせくするものだと 思っている 親御さんがいる。 そんなことは ないさぁ。 子どもが小さいうちは 親もまだまだ体力がある世代だから あくせくできるときに、あくせくするだけしておけるはず。 この時期に ちゃんと あくせくして子育てしておけば 子どもが中学に進学するころには だいぶん あくせくしなくてすむことだろう。 当然、親の気持ちにも 少しづつ余裕が生まれ始める。だが 親御さんの中には まだまだ 私がついていてあげなければって思っていると そう思っているうちは なかなか 気持ちに余裕など生まれない。 すべては その思いを どこで「もう この子に まかせてみよう」と 切り換えるかで気持ちに余裕が生まれるか、それとも 40才になっても 気持ちに余裕なんか生まれないかは、すべて親の気持ち次第である。 |
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6月 6日 No.1856 子どもたちは、空想の世界から飛び出してきた、この世にはまだ確認されていない未知の生命体を知っている。そして、退治もしてくれている(笑) |
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大人が新しいものを生み出す場合、必ずすでに、今までに見た物の影響を受けて、組み合わせたり、組み変えたりする。 だが、子どもは、違う。 僕は、子どもは、矛盾をかかえない、唯一の偉大な人間だと思っている。 河原の公園で車を止めて 本を読んでいたら、7才ぐらいの男の子たち4人がワイワイさわいでいた。めっちゃ楽しそうなので、声をかけた。 「オーッス! 楽しそうやのぅ。何 してんの?」 少し びっくりした表情を見せたけど すぐ一人の子が 「枝食いにエサやってるとこ!ギャアハハハーっ」と言った。 「枝食いって何ぃ?」 「あのな この枝食いの先と こっちの枝の先をつけるとな パクッて食べるの。ほんで、また 次の枝の先を 反対の枝先につけると モグモグまた 食べるの。ギャアハハハー!」 「どうやって食べるの?おっさんに見せてーや」 「うん。ここ見てて!」 そう言うと 下に落ちてる枝先に 手に持っていた枝先をチョンチョンとつけた。すると 「うわぁー めっちゃすごいいきおいで食べてるぅー」「ほんまや」「うわぁっ すげぇー」と口々に 子どもたちが言ってゲラゲラ笑ってる。 僕の目には 下に落ちている枝がつつかれて 当然のように ピクッ ピクッて動いているだけにしか見えないのだが この子たちには 枝が枝を食べてる様子に写るようだ! 「おいちゃん これ 見てみぃ。すげぇー食べてるやろ!この 枝食い めっちゃどう猛や!なんじゃ こいつ!やっつけたる!」と言って 一人の子が両手に持って 箸を二つに折るように パキっ! と折った。 「あ〜ぁ 死んだ」 「ギャアハハハーっ!」 僕もつられて「 がははははぁー! 死んだのぅ! 枝食い 即死やったなぁ! がははははぁー」 「ギャアハハハー」 子どもたちの空想の世界から 現実社会に飛び出してきた 「枝食い」なる 生き物は こうして 子どもたちにこともなげに抹殺された。 恐るべし 宮崎の子どもたち(笑)。 大人には 決して 枝食いを 抹殺することはできないだろう! なんせ 大人の目には 写らないのだから(笑)! |
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6月 5日 No.1855 子どもの能力を、大人の能力がつぶすことのないように! |
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小学校の子どもたちに絵本を読まさせてもらうと、子どもたちの「聞く能力」に何度も救われる。活舌の悪い僕のダミ声を 正確に聞いてくれる。ページを2枚同時にめくってしまい、あわてて 1ページもどしても 「見る能力」に長けた子どもの見方のおかげで、ストーリーと絵のズレを修正しながら見てくれる。そんな子どもたちの能力に数々 救われる。 でも 現場の先生たちは その能力に気がつかないため 大人の管理能力という有害な能力を使って 静かにさせようとしたり あとしばらく待てばすむのに、列からつれだし 隅っこに連れてって注意する。 その大人の能力は無用なのに! 大人の能力は 常に 子どもたちのすばらしい能力をうばう可能性がある。 子どもたちは 自分たちの能力がつぶされないように 抵抗能力をフル活用させられる。 大人が もう少し 放っておける能力が発達するだけで 奪わなくてすむのになぁ・・・・・・。 |
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| 6月 4日 No.1854 幸せって、いつも、そばにあるのに、なかなか見つけられなかったりするんだょなぁ! |
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僕が講演させてもらった会場が、300人ぐらい入る小ホールだった。主催者の方の宣伝がうまいのか 立ち見が出るほどの超満員! 「ありがたいなぁ、立ち見が出るほど来てくれるなんて。まぁ、今、ここに来てる人は よっぽどヒマなんやろね!」 「(((大爆笑)))」 で 始まり あっという間に 80分の会が終わり、ロビーに出て 喫煙所で たばこに火をつけた。 「ふぅー あー 幸せ!めっちゃうまぃ〜〜〜」 ふと 見ると 怒ったような顔して いらいらしながら たばこを吸っている50才ぐらいのおっさんがいる。 僕はすぐこの おっさんの顔みながら 吸うてたら、たばこがまずくなると思った。 そのとき、「君も 講演会を聞きに来てたのかぃ?」 と聞かれた。「僕は 聞きにきたんじゃなくて 下の小ホールで しゃべる方で来たんですわぁ(笑)」 「君 講師なのかぁ?」 「そう、講師(笑)。そっちは 何ですか?」 「僕も 講師で来たんだけど、ここのヤツらは何考えてるんだろうね、まったく! 客も 集められないのかょ。ガラガラの中ホールで しゃべらせやがって」 「でも 100人ぐらいはお客さんが 来てくれたんでしょ!」 「あぁ?!、もう ちょっといたと 思うけど・・・」 「それやったら 幸せや ないですか、100人以上も おったら(笑)」 「幸せ? バカいってんじゃねぇーょ。こんな気分のわりぃーことはねぇーょ。せっかくきてやったのに!不幸つづきだぜ」と言いながら 喫煙室から 出ていった。 僕なら たとえ 10人でも 来てくれたら めっちゃ幸せやのになぁ(笑)。 あの人 めっちゃ幸(サチ)うすいやろなぁー(笑) あの人のそばにも いっぱい 幸せはあるはずやのに、あれでは、よう見つけんやろなぁ! |
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6月 3日 No.1853 感謝って、少し時がたったときに一番感じるのかもしれない! |
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僕は 子どもたちにも 平気で 大人げない姿をさらす(笑)。43ちゃいにもなって笑いごとではありません!と、叱られそうだが、多分、何度しかられてもやめられない(笑)。 各地の子どもたちに 僕は悪態をつくのに ここのところ主催者を通じ感謝の連絡がつづいた。 で、きのうもある主催者から連絡があった。そこの土地を去ってからだいぶたっていたので何かなぁ、と思いながら電話にでた。 「あのとき あきちゃんに会場で泣かされたあの子が あれ以来 、あきちゃん、次いつくるの?と それまで 大人に寄りつきもしなかった子が 大人に自分の方から 元気に声をかけるほど 変わって お母さんが大喜びなんょ。で、今 横にいるんで変わるね! あの もしもし、私はあのとき会場に 行けなかったのですが 家に私が 帰ってくるなり、お母さん 今日なぁ 変なよしもとみたいなおっさんが来てなって ほんとに いろいろしゃべってくれたんです(笑)!。私 あの子があんなにうれしそうに 外であったことを話すとこを 今まで見たことがなかったもんですから 私も うれしくて泣いてしまいました。それで、どうしてもお礼をいいたくて、あれから何日かたって、やっぱり〇〇さんに頼んで ムリを言ってでも、連絡を取ってもらってあきひろさんに直接お礼を言おうと思ったんです!あれ以来、あの子、急に明るくなって良く話をしてくれるようになったんです。それがほんとにうれしくて。ほんとうにありがとうございました。本来なら 親のあたしが明るくさせてあげなきゃならないのに、私ではどうしても、よそのウチの親子のように、ああやって明るく話をしてくれるようにならなかったんです。だから、今、ほんとに感謝しています!」と何度も 感謝されると 電話のこっちの僕 の たばこの火も消えそうになる(笑)。 感謝するのは僕の方です。 なぜなら 僕は大人げなく悪態をついただけなのに つまり、お母さんの大事な息子をみんなの前でおもいきり泣かしたってんから。そやのに、それで感謝されるなんて。感謝の気持ちを伝えてくれたことに 僕が 感謝です。 あとは そんだけうれしいんなら、息子さんに絵本でも 読んであげたってーな!また 行きますよってに・・・・・・。 やったな だいご 。 おまえ やっぱ できたやん ! オレとの 約束守ってくれてありがとな! 心から だいごの勇気に 感謝します。 ほな また あおな! |
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6月 2日 No.1852 大人が、子どもを信じようとするより、子どもから、大人が信じられるようにする方が難しい! |
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子どもは的確に 大人がどういうタイプか見抜く。 普段 お母さんや先生に怒られている子は特に するどかったりする(笑)。 どの大人を信じていいか、どの大人が信じられるか、どいつなら信じてもいいか、その大人のどこを信じるのか、どこなら多少でも信じてあげてもいいなって気になるのかなど、大人に寄って信じる形や型を、変化させたり変更したりして、大人を見ている。 大人が子どもに「あなたのことを信じているわぁ」と言っても、信じる場合と、まったく信じない場合と、一瞬にして、分類する。 今は、大人が大人を信じる場合でも エネルギーを使い果たす人がいる。大人が子どもを信じるのも 親が我が子を信じるのもエネルギーがいると思っている人もいる。 信じようとしてエネルギーを使おうとするより、または 信じたいと思うことでエネルギーを使うより、どうせ、エネルギーを使うなら、子どもたちから 信じてもらえるような大人の生き方で エネルギーを使う方がいいと思う。 でも この機会についでに言っておく。 本来 信じることにエネルギーを要することはない、と。 疑いの気持ちを持ってしまったとき、その気持ちを押さえたり殺すのにエネルギーを要するのだということを! |
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6月 1日 No.1851 小学校3,4年ぐらいで、親に逆らい始めるのは、すくすく育っている証拠! |
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小学校3,4年になるお子さんを育てている親御さんは、ぼちぼち、逆らわれることが出てきたんじゃないかと思う(笑)。今までは 親の言うことを 一応聞いてくれていたのに 最近は 文句を言ったり態度にろこつに現すようになったりして、これからこの子は大丈夫かなぁーと不安に思ってみえる親御さんもいることでしょう! でも、大丈夫! これは、自主性の一つの現れで、すくすく育っている証拠。つまり、お子さんに 人や物などを比べる視点や要素が芽生え出したのである。 「お母さんだって できてないじゃん」とか「お母さんだけが 勝手に行けばいいじゃん!」など お母さんと自分を比べて それは 僕でなくても お母さんだってできることでしょって言うことに気がつき始めるわけ(笑)。今までは 親の都合で子どもに言うことを聞かせることができていたんだけど、これからは ちょっとでも親が楽をするために「これをしなさい!」と言っても、子どもの自主性をくすぐるような言い方にしないと、聞いてくれない。 例えばフロそうじをやってもらえれば助かる場合に 「あんたが、フロそうじをやってくれると、お母さんよりはるかにうまいわねぇ。だってアカが取れてピカピカだもん。キュッキュいうし(笑)。やっぱ男の子ねぇ。スポンジでこするときのパワーが違うのねぇ。助かったわぁお母さん。ありがとねぇ」 などと 言ってあげれば お手伝いをしてくれそうである(笑)。 |
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