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| 2月 29日 No.1758 この国には、かつてみんなで歌える唄(うた)がたくさんあった♪ |
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黒人のゴスペルを観た。 最後の曲は、会場にいた黒人たちが次々に立上がり、子どもからおじいちゃん、おばあちゃんまでが、一斉に大声でその歌を唄い始めた。 むちゃくちゃ感動した。 こんなとき、英語ができたらなぁと真剣に思う。 今年で終戦63年目をむかえる我が国。 一度でいい、国中の3歳〜100歳までの老若男女が、一斉に大声で、歌える唄をプロデュースしたいと思っている。 個人的には 六甲おろしがいいが(笑)、確実に、参加者にかたよりが出そうなのでやめておく。 そこで みんなが一斉に大声で唄える曲は何がいいかと思いをめぐらす。 歌詞がなくても唄える歌・・・。 やっぱり 童謡かなぁ。 いやいや、何かあるはず。 あっ、アニメソングなら どうだろう(笑)。 「西から のぼった お日様が 東へ しずぅーむー・・・」 いやいや やっぱ 「東村山ぁー にわさーきゃ たまぁーごぉー・・・」 いやいや 「伝線に すずめが三羽とまってた・・・」 ダメだ うかばねぇ。 かたいところで 「あ〜たまぁーをぉー くぅーもーのぉー うーえにぃー だぁーしぃー・・・」かなぁ(笑)。 とにかく 国民 みんなで、歌を大声で唄ってみたい 僕なのでした。 |
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2月 28日 No.1757 心も体も、調えるべきところを整えれば、整わずところ 自ずと調うもの為り! |
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大人でも 整理整頓がヘタな人が たくさんいる。 大人でも 調和を取ることがヘタな人が たくさんいる。 一事が万事である。 子どものとき、訳も分からず、親から厳しく勉強机の上の整理整頓を躾られた経験者は、実は気づかぬうちに知的行動の基本(もと)を、学んでいる。そのため、中学・高校と、成長にともない社会的行動範囲の広げがりと比例し、時間的配分の整理整頓、地理的環境の整理整頓、人間関係の整理整頓など、あらゆる面が上手くなり、社会人となり その上手さが 仕事上の責任の度合いにより、さらに 上手さから 巧さに変わっていく。巧さまで身につけた人は 体調や気持ちの整理も 巧いため、仕事机の整理はもちろん 仕事の進め方、命道具の扱い方、人と人の気持ちの読み取り方、自分のスケジュールの組み方、家族や友達への配慮の仕方などなど 調和のとれた調え方を魅せる。 これ まさに “整は調に通じ 整あらずとも 調に長ずれば 和 成る為り” である。 身の回りの 整理整頓が 心と体の調子の カギを にぎっている。 イチローも 確かに 整理整頓 命道具(グローブ・スパイク・バットなど)が、ベストの状態にもどるまで 毎回念入りに磨くっていうもんなぁ。 さすがイチロー。イチローの場合は 調に 超ずれば 和 成る為り を地でいっている感じがする(笑)。 僕も 今から、イチローまでいかないまでも、愛車トゥデイちゃんの心と体、つまり洗車したり、車内の整理整頓や エンジンの調子でも見てくるかっ!(笑)。 やり終わったときに 気持ちイイから 僕の心と体に ものすごくイイ。 ついでに、いろんなもの`ととのえてみる' か(笑)。 |
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2月 27日 No.1756 小説の表紙をならべたら、いろんな絵本にリンクする! |
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僕の 楽しみの一つに 小説のカバーだけ取って 広げて 想像上の絵本を創ることがある。 装丁家の人たちが作った 絵を組み合わせて 絵本を創る。これがめちゃくちゃ楽しい。 すべて読んでいる本のため、一枚の装丁を見るだけで 僕の頭の中に その小説のいろんなシーンが奔(はし)る。だから、ここには この装丁の絵がこなきゃ、とか 最後はこの装丁の絵しかない(笑)と決めて 逆から順に 絵を決めていくこともある。 あっというまに 時間がたってしまう。 絵が描けないかわりに いろんな絵を選んで 一つのストーリーを創るのは 僕しか できない 僕だけの 絵本が頭の中に 一冊だけできあがる。 この達成感がたまらない。 寒い日は 小説読んで 装丁家さんの絵で 自分だけのインサイド・アートで 一冊の絵本を創って、体と心がワクワクして、あったまるのが 僕の数ある寒さしのぎの一つ。 みなさんは、何をしてあったまるのかなぁ(笑)。 好きなことしてるときは 寒さを忘れるからね! それも 知恵次第(笑)! |
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2月 26日 No.1755 ぽかぽか陽気のあとの、冬将軍をやっつけるには、あつあつ おでんが最高に効く! |
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数日前のぽかぽか陽気がウソみたい。 冷たいビル風のせいで、天気予報の日中の最低温度より 寒く感じる。 冬将軍が次から次へとやってくる この冬。 みなさんは、どうやって冬将軍を迎え打っているんだろう(笑)。 僕は こんな寒い日は ある店に行く。 さて、どこへ行くかと言うと、14年ほど前に、放送作家の疋田哲夫氏に紹介してもらった、通称 六本木のおかんの店に行く。 そこに行くと、おかんが「今日は何が食べたぃ?」と聞いてくれる。僕がメニューに無い物を言っても、おかんは、にこにこしながら作ってくれる。他のお客さんは、メニューに乗っているものから注文するので、そのメニューを作りながら、僕の食べたい物を作ってくれる。 キムチ鍋と言えばキムチ鍋、もつ鍋と言えばもつ鍋(笑)。 で、今回は おでんがええと言った(笑)。 おかんは 「ほぃほぃ」と言って、いろんな種類のおでんを作ってくれた。これが、なんじゃこれーっ!て死ぬほどうまい(笑)。 昔から、どれだけ腹一杯食べても、小銭の数百円しか取ってくれない。 お礼変わりに、力仕事で返す。一階まで、空になったビールケースを、所定の場所まで、10ケース以上運び、満タンのビールケースを10ケース以上と他のアルコール類を厨房まで運ぶ。 82歳のおかんの作る あつあつおでんは、あつあつの気持ちがこもっているので、帰りは、どんな冬将軍をも撃破する(笑)。 おかん いっつもありがとうねぇ。 ほんまに、感謝するばっかりやぁ。 約束どおり、また、遠征の、みやげばなし持っていくからね! ほなまた(^O^)/ |
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2月 25日 No.1754 親は、形ではできないんだなぁ。 親は、気持ちがないとできない! |
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子どもを 形や型に はめる親は 自らも 良い親の形や型に はめてしまっている。 これは まだいい方である。 子どもだけ 形や型に はめて 親は自分の気持ちに動いてしまう親がいる。これは、親に子どもからのバチが当たる。 どんなバチが当たるかというと、不思議と我が子からの、気持ちに応えてほしいという悩みごとが増える、そんなバチが当たるのである。 良き親子の関係になっている場合、親が、我が子の気持ちに応え、我が子が親の気持ちを汲んでいることが多い。 これは、親子の間の心のキャッチボールの玉が 気持ちのボールで投げ合っているから、そのうち、キャッチボールが上手くなるのである。 つまり、相手の胸元に、取りやすいボールを放(ほう)れるようになるのである。つまり、気持ちを放(はな)つ、ことで、解かってくるのである。 だが ボールが形や型を使っている親は 放たず、そのボールの性質上、本来のボールとなる気持ちを閉じ込め合うので、解るわけがないのである(笑)。 親は だから 気持ちを放(ほう)らなきゃいけないのである。 そのボールが 気持ちから 魂(たま)になるまで・・・・・・。 |
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2月 24日 No.1753 親が、子どもに愛情をそそぐのは当り前 親が、子どもに愛情を求めるのは半人前! |
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すべては我が子の誕生の、喜びから初まる。 夫と妻の間に、新しい命が授かった瞬間 「親」になる。その、かけがえのない愛しい命が 我が子である。我が子の誕生で、喜びに満ちたおかげで、夫は 父となり 妻は 母となる。あどけない赤ちゃんの姿に、父は父で、母は母で、ときには父と母が、「愛しいがゆえにわき起こる感情」「見返りを求めぬ無償の思いやり」(この子のためなら、なんだってしてやるぞ!。この子のためなら、私の命もおしまない、など)の好意こそ、愛情をそそぐ、正体となる。 この感情は 親になったばかりの夫妻に、ものが言えぬ赤ちゃんが、自らの愛くるしさで、宿らさせる一つの武器である。だって、この感情を親に持ってもらわなければ、おっきくなれないからね。 こののち、この好意を、一生、当り前のように持ち続けることが、我が子に慕われる親となっていく。 だが親の中には、我が子がうぶ声をあげたときの、あの喜びを、我が子が成長するにつれ、「愛しさからくる感情」が、うすらいでいってしまう親がいる。 当然、親として、我が子への当り前の好意が、うすらぐ。さらに、親のかってな「やれやれ、もう、高校にもなればいいだろう」的、愛情の期限を生みだす。そのあたりから、我が子に愛情をそそいでもらおうとする親に変わる。 我が子がちょっと口ごたえをするたびに だれのおかげで ここまで育ってこれたと思ってるんだ的 恩きせがましいセリフを出してしまう。このセリフの裏がえしは、見返りであり、これからは、おまえが親のめんどうを見る番だ、といわんばかりである。つまり、親が我が子に、一生の愛情を求めるのである。 こんな見返りを平気で言う人間は どの道でも半人前というんでしょ。 親は 我が子がたとえ60才を越える年齢を迎えても、「困ったことがあったら、いつでも相談においで」と言えてこそ、うぶ声をあげた我が子への、あの喜びを忘れぬ親である。 そして親の一生を通して 我が子に愛情をそそぐことができたとしても、 それで 当り前なのである。 そこに 我が子は、親への尊さを、宿し返されるのである。 |
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2月 23日 No.1752 親なら、子どもの心に「残るもの」をたくさん残しておいてあげなきゃ! |
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子どもの心に「残るもの」とは、ほとんど お金をかけなくても、残してあげられる。 例えば、昔の僕の場合。 今、この時期なら、夜に 窓から 満月が見えたので ジャンバー着て、自分の好きな、あつあつコーヒー持って、たばこも持って、わざと息子の前を通って 出かける姿を見せる。そうすると子どもは「ジャンバー着て コーヒー持って どこいくの?」と聞いてくる(笑)。そのとき「おまえも いく?」と誘ってあげる。子どもが行くといったら「じゃあ、おまえも、あつあつのホットミルクをおかんに頼んで、カップに入れてもらってこい!」と言ってあげる。少し待ってあげて、親子でジャンバー着て あつあつの飲み物を持って、満月の見える場所まできたら「あれを見てみぃ。キレイな月やろ? あの月 見ながら急にコーヒー飲みたくなったんや。そしたら おまえが「つき」あってくれた。[(つき)と発音するときに 指を月に指す] これがほんまの月合いや。このシャレわかるかぁ(笑)。オレはコーヒーで月見で一杯、おまえはホットミルクで月見で一杯。息子と飲める、こんなうまいコーヒーはなかなかないどぉ。オレのええ思い出になるわ ぁ。」などと言いながら、飲み終えるまで 満月を見るだけでいい。あとは「さっ、コーヒーなくなったで家に入ろ」って家に入るだけ。 たったこれだけで 子どもの心に「残るもの」を 親として残してあげられる。 「残るもの」が我が子の心に残ったかどうかの確認は、数日後確認できる。親がいなくても、一人で月見をしていたらOKである。 うちはあれ以来、月にうるさくなった(笑)。それにさまざまな月見で一杯の味を覚えたらしい。すごいのは、お茶づけの月見で一杯の味まで知ったらしい(笑)。 子どもの心に「残るもの」を、親として残してあげるコツは 親自身の感性(キレイだとか いい音とか)に、つき合ってもらうって感じ。だから、親をしていても、普段からその感性が常に働く、自分がいなきゃ無理なんだけどね(笑)。 |
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2月 22日 No.1751 親は、我が子にいろんなことを望む。これが、どれほど我が子を窮屈にさせているのか知りなさい! |
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1,「お利口」で 2,「賢く」 3,「元気」で 4,「明るく」 5,「活発」 6,「自信」に満ちあふれ、それでいて 7,「謙虚」に、 8,「慎ましく」 人に対しては、だれにでも 9,「思いやり」があり 10,「優しく」て ゆるぎない 11,「信念」を持ち 12,「努力」をおしまず、たくさん 13,「友達」をつくり 14,「正義感」があり 15,「責任感」あり 16,「勇敢」で、何をさせても 17,「抜群」で、だれからも 18,「好かれ」 19,「健康」で 20,「夢」に向かって、一直線! そんな 我が子であれば いいんじゃないかなぁ、と 幼いころから親に望まれ続けられたとしたら、どんどん重たくなって ある日突然 家出したくなってもおかしくない。そんな家に帰りたくねぇもんなぁ。 僕が子どもなら、外で少々のワルさや失敗をしても、いつだってそれを許してくれて あったかく笑顔で向かえてくれる、そんな親の待つ、あったかい家に帰りたい。 親だって、子どもから次から次へ希望を持たされたら、たまったもんじゃないだろうに(笑)。 だったら、たった一つでいいじゃないか。 親なら、この子が元気ならそれでいい、それで十分だと。 ある賢者がいった。 “心が満たされていないと 必ず `希望'を持ってしまう”と・・・・・・。 |
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2月 21日 No.1750 集団化の中では、社会人でも、KY(空気)まで読めないといけないのかぁ。他にも、いろいろ大人は読まなきゃならないのになぁ |
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社会人でも空気が読めず、自分だけ浮かないように、周りに気を配らなきゃならない世になってしまった。または、自分は空気を読めず、仲間ハズレになるんではないかと恐れを感じる世になった。 流行語にノミネートされたKYとは「空気を読む」をさすらしい。解釈が 場の雰囲気を読めよってことなら FYになるんじゃないの?とは思うが(笑)、使い方は、KY イコール 雰囲気になってるんだろう。空気や雰囲気は読むとは言うものの その実、感じるもの(笑)。 かっこいい大人として イカス社会人として、それらしい略語を使うなら 雰囲気を感じろ!で、 FKがわかんないやつは やだね!っていう使い方ぐらいはしてほしい。 そうすると、中学生や高校生が、社会人は FKを使うらしぜ、オレらも マネしようぜって、彼らの感覚を、社会人として くすぐってやれるわけ。 つまり、ガキからあこがれられる社会人でいられるわけ。 でも 今の社会人は ガキのハヤリを使って 少しでも 若さをアピールしようとしてる感じがする! なんか、情けねぇ。 増えないかなぁ、ガキに マネをさせてやるぐらいの かっこいい社会人が(笑)。 増えるわけねえか、時代に乗り遅れないように、ガキのマネして 喜んで使ってるもんなぁ、今の社会人わぁ(笑)。 |
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2月 20日 No.1749 子どもが、子どもに世話をやく姿って、ほのぼのとさせてもらえる(笑) |
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7才ぐらいの男の子が公園に設置してある木でできた 大きな遊具で遊んでいた。その遊具には10mぐらいの長さのすべり台がついていて、それを何度もすべっては登り すべっては登っていた。てっぺんからすべり出すとき、奇声をあげてすべって、一人で めちゃくちゃ楽しそうだった。そこに5才ぐらいの男の子が「ぼくもさせてほしぃー」と言ってきた。7才ぐらいの男の子は 機嫌良く「いいょー、じゃ 先にすべりなょ」って言ってゆずってあげた。5才ぐらいの子も マネして奇声をあげてすべった。すべりきったところで足をつかなかったために もろに 後頭部を地面でうった(笑)。そして大声で泣いた。7才ぐらいの子は、はしごからおりて、5才ぐらいの子の頭を なぜなぜしながら 「いたいのいたいの とんでけ」と何度もいった。そしたら、5才ぐらいの男の子が 「おにいちゃん ここにいて ぼくが あたまをうたないように みてくれる?」と言った。それで7才ぐらいの男の子は 「うん。僕が 見ていてやるからすべっておいで」っておにいちゃんらしい一面を見せた。5才ぐらいの男の子は 安心してすべってきた。もう一度 登りにいくとき 「おにいちゃん、ここに いてね」といい、「うん」とこたえてもらうと 「きゃはははー」といいながら すべり台の上に登っていき 奇声をあげながら すべってきた。そのうち 7才ぐらいの男の子は 5才の子がすべりおりるときの奇声を 一緒に声を出してあげた。5才ぐらいの子は ほんとにうれしそうだった。 その二人の姿を見ていた僕は ほのぼのとした気持ちにさせてもらった。 あの7才ぐらいの男の子は 優しいイイ男になるだろうな。 どんな女の子が あの子の優しさに包まれるのだろう。 |
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2月 19日 No.1748 親と子は、悩み合いながら成長するもんじゃ〜 by白天狗のじじぃ! |
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久しぶりやなぁ、白天狗のじっちゃん。 あっ、そや、ちょうどええわぁ、ちょっと訓えてぇー。 なんじゃ、何が聞きたぃ? あのさぁ、親子ってなにぃ? なんじゃ、そんなことか!親子とは悩み合いじゃ。ほほっ(笑)。ほな、あきに おせぇーたろ! 親は 子育てに悩み、子は 何でうちの親はこないに、わかってくれんのかなぁって悩むもんじゃ(笑)。 実は それでええんじゃ。それが、健全な親子の姿なんじゃ。 人間様とやらは、何千年も練られながら、なかなかそこに、気づいておらぬがのぅ。 親になった以上、死ぬまで、我が子への悩みはつきぬ。そんな、つきぬ悩みに つき合っていくのが、親が 親たる証しじゃ。 それを幸せと感じるか、辛いことが多かったと感じるかは、親の心構え一つ! 子は子で 親を選べん。生まれたら この親だったんじゃからのぅ。だから、取り換えの聞かぬ親に、子は、みな悩むのじゃ。 親の考えが変わってほしいと願いつつ、変わらぬ親の考えに悩みながら、その親につき合っていく。それが 子が 子である証しじゃ。 して、親は 我が子で悩み、して、子は 我が親に悩み、それぞれの悩みをかかえながらも、心配し合う。して、また悩み合う。 ここに親と子の切っても切れぬ 絆を感じ、今でこそ、目には見えぬ へその緒を、今だ つながっている性(さが)として 背負って生きて往くのじゃ。 これを親子という。 親が親をしなくても、子が子をしなくても、「悩み」が接着剤となり 親は、我が子に一人前の親にさせてもらい、子は、我が親に一人前の人間にさせてもらう。 親子ともども、親は親として、子は子として、そうやって成長してゆくのじゃ。 これが 親子の 摂理じゃ わかるかのぅ、あきぃ? 相変わらず、むかつく辻説法やのぅ。でも、だいたいわかった(笑) ほぅか、それならええわぃ。久しぶりに天山から降りてきて、お前のまぬけヅラも見たし、そろそろ山にもどるとするか。また、何かあれば山に遊びにこぃ。 うん、また、赤福 もってったるわぁ。 ほほっ(笑)赤福か ほな、じじぃ、かぜひくなょ ほほっ、その憎まれグチは 相変わらずじゃのー、あきぃ(笑)。 うるさぃ早ょ、帰えれー(笑)! わかった、わかった。ほんじゃあの! 白天狗のじっちゃん、おおきんな! |
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2月 18日 No.1747 子どもは、親のことを良く知らなくても元気。 親は、子どものことを良く知らないと不安! |
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子どもは、親がどこで何をしてようが、自分のしたいことをさせてもらっていれば、全然平気。むしろ変に親の事情を知った方が不安になる。つまり家計が苦しいとか、お父さんが会社を変わりそうだとか、お母さんが、近所のお母さんたちから嫌われてるとか、そんなうわさを聞いたり、小耳にはさんだりしただけで不安になる。そんなことがなければとっても元気(笑)。 ところが親は違う。特に母親は。我が子のことを チクイチ知っていないと不安でたまらないという母がいる。 運悪く今日、僕は出くわしてしまった。頭にきて、その母に「おまえの息子は息子であって、犯人やないんやどぉ、わかっとんのかボケェー!」と怒鳴ってしまった。 話をもとにもどす。 もし、母が、自分の昼間の行動を、我が子からチクイチ聞かれたらイヤだと思う。でも、そういう人は、我が子やダンナのことは何でも知っておこうとする。さらに自分は、我が子やダンナに知られないようにすることは、全然平気なくせに、我が子やダンナのことで知らないことがあったりすると、または、知り合いから聞いたりすると、すぐ不安にかられ、いてもたってもいられなくなり、我が子やダンナが帰ってきたとたん、怒りながらチクイチ問いつめる。我が子やダンナは正直に全部話しているのに、まだあるはずと言わんばかりに問いつめる。ヘタな刑事ドラマの刑事より恐ろしい取り調べ(笑)。自分がいきなり怒りながら責められたりすれば、それを凌駕するほど怒るくせに(笑)、こまったもんである。そんなお母さんが家にいることは 不安を通りこして 恐怖としかいいようかない(笑)。 まぁ、この一日一言を見てくださる親御さんの中には、そんな人がいないことを願うけどね。 |
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2月 17日 No.1746 じっくり取り組むって、仕事や人生でも大事なことなんでしょ。だったら子育てにも取り組んでみたら?! |
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子育てに関する悩みや相談をたくさんされるようになった。なんでだろう。僕みたいな脳天気で、いいかげんなヤツの言うことなんか聞いたって、100のうち、1もうまくいけばいい方なのに(笑)。まして、お母さんたちの相談は すべて僕に聞けば スッキリする答えをもらえると思っているふしがある。僕は「僕なら こうする!」とハッキリ応える。即効性のある答えではなく、親として対応性のある応えを 言っているのに お母さんたちは「答え」を求める。 ここでハッキリ言っておく “子育てに 答えなし 子育てに 応えあり”である。 そこで一つ。応えを言うと 子育てこそ、先人たちの知恵を借りるべきである。 「じっくり取り組む」と言う、先人たちの知恵を、子育てにあてはめる。 つまり、子育てにじっくり取り組めばいいのである。裏をかえして言えば、決して 子育てをあせらないこと。すぐ解決したいばかりに、親として良く考えもせず、すぐ自分が信用している人に相談し、もらった答えを我が子にあてはめて(もし、我が子にうまくいかなければ文句を言うくせに(笑))、解決をしようなどとしても、我が子には、なかなかぴったりあてはまらない。親としてそんな答えに飛びつかず、一つの「答え」を、せっかく相談した人からもらったのなら、親として我が子に合うように、`応え'となるまるで良く考えたり、良く練ったりして、じっくり取り組むのである。わかるかなぁ。わからなきゃ、これもまた、先人たちの知恵を借りて、ほっとくしかない(笑)。 |
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2月 16日 No.1745 子どもは親の知らないところで良い子! 親は子どもの知らないところで良い子?! |
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子どもは、親から離れると多少の不安もあって凜とする。そのため親以外の大人といるときは良い子の場合が多い。中には かつての僕のように うるさい親から離れると、ラッキー、これで羽が伸ばせるぜ、と思い、親から離れたときに もっと悪ガキになるタイプもいるが(笑)、今は ほとんど良い子ばかりである(笑)。 対して親はどうだろう。子どもが学校へ行けば、毎日 私一人の自由な時間が持てる。その間に 朝食の洗い物 洗濯 そうじ 布団ほし、など きっちりしているのだろうか。そんな家事をするのがイヤで別に生活は苦しくないのに パートに出たり、一人の時間を持てあます孤独から逃れるために、別に欲しくもない物を衝動買いをしたり 生活費を削るほどパチンコにハマったり、親の方が、それって良いこと?と問いたくなることばかりである。 まぁ、大人は ずるいから 子どもたちだけ良い子ができあがれば それも一つの良いことになるわけだから それで良いのかもしれない。 自分たち大人は 良くなくても別に良いのが 大人がつくったシステムだからなぁ。 だったら、子どもたちが知恵を出し合い 子どもたちにとって都合の良いシステムをつくれば めちゃくちゃおもしろいのになぁ。 そうなると、ほとんどの大人は 悪い子扱いされまくりだな、こりゃ(笑)。 |
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2月 15日 No.1744 学校の時間割りなどの用意を、お母さんがする。我が子は持ってくだけ(笑) |
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ある地区の小学校で、講演が終わって 主催者の人とスタッフの方々とコーヒーを飲んでいた。そのとき僕はびっくりする話を聞いた。我が子が学校から帰ってくると、お母さんがすぐランドセルをあけて連絡帳やプリントを読み、翌日に何を持たせればいいのかチェックし、用意しなければならない物が家になければ、すぐ車に乗って買いに行き、お母さんが寝る前に、我が子の翌日の時間割りをする。そのとき、教科書・ノート・そのとき授業で使う道具を、1時間目から番号がふってある順に袋につめランドセルに入れてあげるのだそうだ。 で、そこまでしてあげているお母さんたちが口をそろえて言った。 「ちゃんと全部用意してあげたのに 我が子の見落としで 忘れ物にチェックの印をつけられて帰ってくると 頭にきちゃう!」 「そうそう、良く見てないのよねぇ。うちもこの前、それで 頭にきてさぁ、子どもが帰ってくるなり お母さんがちゃんとホッチキスを用意してくれてなかったから 僕だけなかったって、もんくを言ってくんのょ。それで、ランドセルを調べると、自分の2時間目の教科書のしまい方が悪かったために死角になって、3時間目に使うホッチキスが一番下になってんのょ。もんく、言うぐらいなら、自分で用意しろってーの。こっちは、忘れ物させないようにしてるっていうのに。もー、ほんとに頭にくる!」 こんな会話が成り立つお母さん同士、一度、用意してあげることをやめる話をされてはいかがでしょう。やめれば 我が子からもんくを言われる日は確実に減ると思いますが・・・(笑)。 そんな話するわけないか(笑)。 |
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2月 14日 No.1743 たった一枚の扉があるだけで「出る」「入る」の二つの働きが生まれる。親も、たった一枚の扉になれたらなぁ! |
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扉がなければ「出る」「入る」はうまれない。つまり、しばりがないから、それは放任になる。扉があるおかげで 出入りが 自由になる。つまり、一つのしばりの上に自由が成り立つ。これが放任という放ったらかしか 自由という自らが自らの意志で由々しきものを捉えていくことの大きな違いである。 扉というしばりを設けるだけで、出たり入ったりしながら 子どもは成長していくような気がする。 子どもが家から出ようとしているのに、出られなかったら 出たいとぐずるだろうし 子どもが外から家に入ろうとしたのにカギがかかっていたら ぐずるよりは 泣きさけぶほどさびしい思いをするに違いない。 親が たった一枚の扉のようになれたら、何も言わなくても、子どもが出たいときに出してあげて 入りたいときに入れてあげられる。 親は、扉一枚の 優しさの厚み これさえあれば 子どもは 扉一枚のしばりのおかげで 自由にのびのび成長していってくれるような気がする・・・。 |
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2月 13日 No.1742 我が子って、外でいじめられてても、家では平気な顔してるからね! |
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ある男の子は その地区でいじめられっ子だった。主に 自分の家から一番近い家の同じ年の子から いじめられていた。そのいじめっ子には、上に二人の兄がいて、たまに兄弟3人からもいじめられた。小学校では 運良く一度も同じクラスになったことはなかった。だが、学校からの帰り道、土曜日、日曜日は、いじめられる時間帯に変わる。それは地獄の時間。いじめが終わり 家に帰り、平気な顔して リビングでテレビを見たり テレビゲームをしてるから 家族は 我が子が まさか近所の子から いじめられてるとは思っていない。学校にたまに行っても担任の先生からも まったく心配ないと言われ、親は安心していた。それが冬休みに、親戚の高校生のお兄ちゃんが泊まりにきて 我が子と一緒にお風呂に入ったとき、その高校生のお兄ちゃんが その子の体のキズやあざを見た。それを夜中に 親に「知っていますか?」と訪ねて、ようやく親は 我が子が誰かに、いじめられてるかもしれないという疑念をもつ。後日、こわごわ我が子に聞いた。我が子は 平気 な顔でこういった。「心配しなくていいから」と。その子はのちにこういった。 いじめられてるときって、家族から いじめられてるの?と心配そうな目で見られることを、一番心配するから、家では、平気な顔して、外では何も心配されるようなことは起こってないょって言わんばかりにふるまってしまうんだょ。今、思えば、いじめられてるときほど、親を心配させないようにって思っていたと思う、と。 日本中で、今、いじめられている子は ひょっとして、いじめっ子からの、いじめられる地獄の時間帯を抜けて家に帰ると 親を安心させるために、仏さまのような平気な顔ができる意志の強さを宿しているかもしれない。 |
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2月 12日 No.1741 さりげない親の一言がどれほど我が子の心に残るか、かつて子どもだった すべての親がわかっているだろうに! |
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親父が まだ若かったころ、地元にあった 「ステーキのあさくま」というお店に、テンダロインステーキを食べに連れてってくれたときに 家族がコース料理を注文して 最初にコーンポタージュが出された。 そのときの親父のさりげない一言。 おまえらに このポタージュを飲ませてやりたかった。気に入ったら おかわりもらえ! なぜか それ以来 どんなスープを見ても 親父の声が聞こえる。 また あるとき 僕は ガキのころから、とんかつが好きなので 合宿が終わって母屋に帰るたびに おかんに 「とんかつ食わせ!」と言っていた。 そのときの おかんの一言。 あんた どっか行って帰ってくると とんかつやん。ほかに食べたいもんないの? 遠征に出かけ あげもんを見るたび また キャベツを見るたびに なぜか おかんの声がする。 親のさりげない一言は なぜか 体の中に 残っている。 親子って、そのさりげない一言を言う側と 心にしっかり残す側の関係をいうのかもしれない。 |
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2月 11日 No.1740 ハートに火をつけるって表現があるけど、年齢なんか関係なく、ハートに火をつける方法を訓わった(笑)! |
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ある地区の子どもたちに 絵本を読ませてもらっているとき 僕の視界にある女の子のステキな笑顔が飛びこんできた。そこで僕がすぐ「君の笑顔は 男の子みんなのハートに火をつけそうやなぁ」と言ったら その女の子が「わたしは 男の子のハートに火をつけるかもしれないけど わたしのハートに火をつける男の子はなかなかいないの!」ときた(笑)。やられたねぇーこのセリフには(笑)。しかも ナイス笑顔。そこで僕が「おいちゃんは 君の今のセリフと君の笑顔で おいちゃんのハートに火がついてしもたけど、そんなおいちゃんが君のために絵本読ませてもらったら、君のハートに火をつけることができるかなぁ?」と聞いたら その女の子が笑顔のまま「あせらないで。ハートに火をつけるのに大人も子どもも 男も女も関係ないの!。大事なのは情熱っていうタネ火を持っていることなの!。わかるぅ?ねぇー?おいちゃん」といった。僕は 絵にかいたような絶句をした(笑)。と同時に、その女の子から訓わったことを忘れないでおこうと思った。 情熱というタネ火ねぇー、たしかに、これさえ持っていれば、人のハートにも自分のハートにも火をつけられるもんなぁ。それにしても、いいセリフだなぁ。 |
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2月 10日 No.1739 朝っぱらから、お母さんがイライラしていて、どうやって子どもを機嫌よく送りだせるのかなぁ! |
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小学生の我が子をかかえている、お母さんの朝は 毎日たいへんなことだろう。でも たいへんだから、朝からイライラして良いわけではない。我が子が なかなか 起きないからイライラするの? 寝ぼけてだらだらしているからイライラするの? 朝ごはんをテレビを見てばかりで、ちゃんと食べないからイライラするの? たいていは、お母さん自身も 何で 朝になると 私はイライラしているのだろう?と思っているんじゃないかなぁ。お母さん自身も理由が解っていないのに そのイライラな雰囲気を朝から存分に味わう我が子はたまったもんじゃない。子どもも思っているんじゃないかなぁ。一度でいいから、機嫌よく学校へ行きたいょ、まったく。だって学校へ着いたら、また、あのつまんねぇー時間を一日すごすんだぜ!。せめて 出かけるときぐらい ご機嫌でいたいなぁーと(笑)。 |
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2月 9日 No.1738 子どもの油断しているところを見計らっといて、油断するなはないでしょーに! |
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ある公園で 少年野球のチームが練習していた。コーチがゴロのノックを打つ。3人の少年が順にノックを受ける。キャッチしては一塁にすばやく投げる。少年たちはハイタッチして喜び合っている。コーチがムッとして、急にバントゴロをころがす。次の番の少年があわててダッシュしてボールを手でつかみすばやく一塁へ送球しようとするが、ボールが手につかずエラー。コーチの怒声がとぶ。「おまえ、今、油断してただろぅ。だからエラーしたんだぁ。いついかなるときも、油断はするなぁ。どんな球がきてもいいように油断するんじゃない。いいなぁーよし、次ぃー」。僕は それを見ていて思った。今のは どうみたって いじわるに等しいと。だって、ハイタッチして喜び合って、油断してるのをわかっててバントゴロなんて、だれも取れねぇーょ。でも少年たちは、そんなコーチの性格を見抜いているように、次くるぜぇ、たぶんと言った。ほんとにバントゴロがきて、猛ダッシュして 見事にさばいて一塁へ送球した。それでコーチをあざわらうかのような最高のハイタッチをした(笑)。そんなコーチをコーチしているのは やっぱ ここも 子どもたちかぁと思った(笑)。 |
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2月 8日 No.1737 無理って言うとき、どこが無理か しぼれている無理と、しぼれていない無理があるが、どちらの無理も 真 を照らす! |
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世の中には、無理と言うことを簡単に言えるタイプの人や、無理って言うセリフが口グセになってる人もいれば、無理となかなか言えないタイプの人と、無理と言いたいのに回りの人の目や状況から、無理と言えなかったり、また、家族や友達の期待を背負っているために無理と言えず苦しんでしまう人や、無理と言いながら、してしまうタイプの人だったり、その人は無理ともなんとも言ってないのに、回りのみんなが あいつには無理だと思っていたり、本人がやりますって言ったのに全員がこいつでは無理だ!と思われたり、無理なことを無理なヤツが無理な方法で無理に通してしまったり(笑)、自分にとって無理なだけなのか 状況的に無理なのか さまざまな 無理がある。 でもその さまざまな 人間の無理が重なることで 文明の利器が生まれるのも また 真 である。 |
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2月 7日 No.1736 子どもたちにさぁ、今度はいつ来てくれるぅー?と聞かれたら、こんなにうれしい問いかけはない! |
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僕がガキのころ おやじの親友が 不定期に遊びにやってきた。来ては おやじとしゃべって、おやじが風呂に入りにいくと 「あき坊 将棋しょーかぁ?」と言ってくれて、すぐ将棋をさした。おやじが風呂から出てきても決着がつかないときは 決着がつくまで つき合ってくれた。それで おじちゃんは おやじと ちょこちょこっとしゃべると 「ほな わし もぅ帰るさかぃ」と言いながら車に乗り込む。おやじと一緒に見送りに外に出たとき 車の窓越しに 「なぁ、おいちゃん 次 いつ来てくれる?」と 聞くと 「うれしいこと言うてくれるなぁ。でも すまん。次に来る日にちはわからんわぁ。何でかっていうと 俺はいつも 地球にすんでるだけやから(笑)。でも、うれしいなぁ、こんなおっさんに いつ来てくれるって聞いてくれて。あき坊も おっさんになったらわかるわぁ。といいながらさっていった。 あれから30数年 やっと僕もおっさんになれた。 そして、少しだけ わかるようになってきた(笑)。 |
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2月 6日 No.1735 思い描いた通りに、ことが運ぶってことが、生きてるあるんだねぇ! |
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心の中には、未来とつながっている一本の線でもあるのかなぁ。僕が当日は、こんな感じになればいいなぁ、あんな感じになれば申し分ないなぁーって思い描いていると、ほんとに その思い描いた通りの会場に 思い描いた通りの子どもたちの人数と笑顔、それを喜ぶお母さんたちの笑顔の花が展開する。あっ、ここで ちっちゃい子がコケたりするんだょなぁと思っていると、ほんとに その思い描いた通りの コケっぷり(笑)。おもしれぇーったらありゃしねぇ。生きてると、思い描いた通りの未来が、やってくることもあるんだねぇ。かつて、僕がガキだったころ、自分の思い通りにいかないと すぐ癇癪(かんしゃく)をおこして みんなにあたりちらしていたのに(笑)。あの日々がうそのように思うほど、すっきり、きっちり、キマったね。 気持ちいいから、これからも、どんどん思い描いてみようかな☆ |
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2月 5日 No.1734 一線を越えない強弱、一線を超えない強弱 一線を越えられる強弱、一線を超えられる強弱 これも人間の証し! |
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スポーツ選手は 調子がいいときほど、油断をしないようにできる感覚的な一線を持っている。その一線を越えてしまうことは油断を招く弱さとして体がわかっている。油断すれば、すぐ長いスランプに陥りかねないからだ。逆に その一線を越えないようにするには 油断しないように、調子の良さをキープするための強さを養わなければならない。 また 何年も破られなかったジンクスの一線を、いとも簡単に超えてしまう、チームや選手はもともとの才能と自覚のない恐ろしいほどの努力を培っている、圧倒的強さで超えていく。 逆に 一線を簡単に超える弱さは あまり 明るい例えがうかばない。少年犯罪に見られる殺人・放火・自殺など、あまりにも 簡単に一線を超えてしまう中に 弱さを感じざるをえない。 どれも人の証しにはちがいないが 願わくば 一線を越える 越えない と 一線を超える 超えない が どちらも 強い方の目が出てほしいと思う。 それは、まるでいつ和が身に訪れるやもしれぬ昏睡状態で、今夜が山とされるとき 生きようと体がするか 往こうと体がするか 問われているようにも思うが・・・。 |
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2月 4日 No.1733 みんなで一緒のことをすることもいいことがある。 みんなで一緒のことをしなくてもいいことがある! |
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みんなと一緒のことをすることは 共通体験としていい面がいっぱいある。 あの遠足、修学旅行、高校のクラブの夏の合宿など、みんなで一緒に行った、さわいだ、しごかれたなど、その共通体験は いつでも 当時の自分にもどることができる。 対して みんなと一緒のことをしなくてもいいのが、我が家の空間、自分の部屋の空間、自分の趣味の時間、仕事のやり方、生き方、死に方(笑)、風呂の入り方、寝方、おふくろの味、おやじのカミナリ、俺は これのおかげでがんばれる、などなど 人と一緒じゃないことでも いっぱいいいことがある。 でも、世の中は違う。人と一緒のことができないと 良くないと思われたり、人と一緒のことがちゃんとできているのに、自分では みんなみたいにできていないと思っていたりする。 みんなと一緒のことができないと協調性に欠けると思わるかもしれないけど、そのおかげで たくさんの いいことがあるさ。 みんなにとっても 自分にとっても・・・。 |
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2月 3日 No.1732 花嫁さんの白無垢は、真っ白なキャンパスに幸せの色で 人生を描いてもらうためのものさ! |
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ある放送作家の娘さんの結婚式に 新婦側の親族の一員として 契りの三三九度から招かれた(笑)。普通はありえないのだが、家族扱いで特別に甘えさせていただいた。 巫女さんが鈴を鳴し、二人の契りの儀を 舞いで祝う。両家で三三九度をし、心を浄め、未来永劫を浄め、二人の心神を浄め 祝いとする。 これにて 花嫁の御心は 真っ白な無垢となり 嫁ぐ身として最高の状態を迎える。 すぐ披露宴会場に移動し、白無垢の花嫁が座す。これを祝座といい、これからすべてが初まることを意味し、仲人さんより、神殿において二人の結びの儀が 滞りなくすんだ旨の お報らせをしてもらう。 花嫁は 祝座 祝笑 祝魅き 祝宴 祝酒 祝食 祝足 祝涙 祝縁 祝去の十祝を授けるため 披露宴の花として嫁としての初仕事を終える。 これから たくさんの幸せを、祝色として その都度、その真っ白なキャンパスに描いていってもらいたいと心から願う。 いい結婚式に 招いていただき 心から感謝です。 ご結婚 おめでとう! 花嫁の 花ちゃんへ あきひろ |
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2月 2日 No.1731 根っこがくさってても、花を咲かすタイプが世の中にいてもおかしくないと思う! |
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今年は ほんとに 年明けから いろんな初体験をさせてもらえる。 ある胚から 根が出てその根がくさることで花のつぼみができ あとは適度の水分さえあれば 花を咲かす植物がある。 この話は植物博士みたいな人に教えてもらった。 そのとき 「人間で言えば ちょうど 20代まで ワルさばかりして 人の生き血を吸って もう 自分のまわりに生き血を吸えなくなったら そいつが人生の花を咲かせる つぼみをつけ始める。そして まわりの人からの適度の応援や期待が養分となって、花を咲かせるって感じかなぁ。」と例えてくれた。 僕はすぐ聞いた。「僕は ガキのころから相当 根がくさってるといろんな人から言われてきたんですけど 僕も いずれ花を咲かせられますかねぇ?」と。 そしたら その人が「その植物にとって根がくさることは、つぼみをつくるための大切な養分になるってことなんだ。さっきのように人で例えて言うと、人からあいつは根性がくさってると言われれば言われれるほど、養分になるタイプか、失敗すればするほど養分になっていくタイプかだと思うけど。君はどっちのタイプ?」 「んー、自分にとってはー、自分ではくさってる自覚がないタイプかなぁ。がはははぁ」 「そういうところが 相当くさってると言われるんだろうね!あはは(笑)」 「いいっす 花がさかなくても。話に花がさけばぁ」 「がはははぁ」「そりゃそうだあはははぁ」 |
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2月 1日 No.1730 親と親が仲が良ければ、子どもはなぜか、めんどうみが良くなるのかなぁ! |
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日本中を回っていると たくさんの親のみなさんと その子どもたちと出会う。そのとき僕がよく思うのが、親同士 仲が良いとこの 我が子において、面倒見が良いなぁと感じる点。北海道、秋田、栃木、東京、愛知、静岡、大阪、岡山、島根、福岡、熊本、大分、鹿児島、沖縄と、ほぼ地域性、民族性関係なく共通して感じる。 例えば、男の子が 弟や妹の、女の子が その場にいる自分より 幼い子への面倒見が良いのである。また逆もしかりなのだが、みんなが 遊びにいくとき サポートしながら誘ったり 一人だけ 行きたくないと言う幼い子がいれば その子につき合って そばにいてあげたり、とにかく いろんな場面で その姿をみさせてもらえる。親同士の イヤミにならない仲の良さ、自然な態度で接する良さ、おせっかいにならない やさしさ、などが混った面倒見の良さを感じてしまう。日ごろの、親同士の仲の良さから 我が子同士 ちゃんと 肌から良いところを吸収しているのかもしれない。 面倒見の良い子どもたちを見ていると なんとなく ほのぼのして 感じがいいから、こちらの気分まで良くさせてもらえるから不思議である。 |
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