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| 10月 31日 No.1637 子どもは したいことを求め、大人は 欲 そのものをもと求める! |
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子どもが求めるものは アイスクリームやお菓子、野球のグローブやサッカーボール、そして絵本など どれをとっても 人の心をキズつけるようなものがない。ところが 大人が求めるものは なぜか だれかの心をキズつけてしまいかねないものに魅かれるのか 求めるものによって、人を蹴落としたり 人をワナにはめたり 人から無理やりうばったり 最悪の場合は、人が命を落とそうとも 手に入りさえすれば そんなことは 何も気にならないのである。一部の政治家などは 自分が求めるものが手に入るまでは、国民がどうなろうと知ったこっちゃないと思えるほどである。 それを思えば 子どもたちが求めるものは かわいいもんである。ほんまにそうよなぁ。僕の場合 子どもたちから「もう 一回読んでぇー」と 求められることがあるが あの子どもたちの表情は ほんとにイイ顔をしている。かわいいよなぁ、懸命にお願いする子どもの姿って。 |
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10月 30日 No.1636 名月をスポットライトに、河原のすすきを観客にして絵本を読む。おつなことおつなこと! |
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夜中の移動中に ある川沿いを、愛車のトゥデイで走っていたら、川面に 秋の名月が反射してめちゃくちゃキレイだった。そこで道端に車を寄せて 絵本を取り出して(何を取り出したかはナイショ)、河原までおりていったら すすきの穂が名月に照らされ、これまたキラキラと揺れていたんょ。子どもたちの瞳みたいだなと思って、絵本を読んだわけ。そしたら 風もないのに ゆらゆらしだしたわけ。調子に乗って読んでいたら、すすきが もう 立派な観客なわけょ。うれしくなって もう 一回。確信したねぇ、やっぱり すすきは 聞いてくれていると・・・。 「おちぃーまい」といったら 僕に おじぎしてくれたので 僕も 「聞いてくれて おおきに!(笑)」と言った。信じるぅ?信じないだろうな。でも いいや 、ほんとに 気持ち良かったから。名月とすすきっ子に感謝(^O^)/。 |
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10月 29日 No.1635 細かい人は細かいことをすればいい。 おおざっぱな人はおおざっぱなことをすればいい! |
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細かい人が おおざっぱな人と一緒にいると、あれもこれも気になるところがいっぱいあるのだろう。おおざっぱな人が細かい人といても 大きなことだけ気にするだけで、いくつかの細かいことは目に入らないのだろう。僕は おおざっぱな方だから 細かい人から見れば気になることだらけなんだろうな(笑)。だから、おおざっぱなな人は おおざっぱなことなら気にならない。細かい人は 細かいことなら気にならない。だから、細かい人は、おおざっぱな人と一緒にいなきゃならなくなったら、自分が気になる細かなことを していれさえすれば おおざっぱな人は 自然と離れていくので、イライラハラハラすることから回避できる(笑)。細かい人は できるだけ おおざっぱな人の おおざっぱぶりを見ないようにすればいい。でもダメか、つい、見ちゃうぐらい おおざっぱな人の おおざっぱぶりは 目にあまるぐらい おおざっぱだからなぁ(笑)。でもわかってほしい。おおざっぱな人は けっして 細かい人を イライラハラハラさせようなんて思っていないということを。なんたって おおざっぱだから、そんなことにも 気が回らないの(笑)。 |
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10月 28日 No.1634 子どもに問い掛けると、あてずっぽでも みんな一生懸命こたえようとしてくれる! |
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小学校の子どもたちに絵本を読ませてもらうとき 僕は 必ずなにか問い掛ける。 そのとき、元気よく手をあげる子や、 なーんとなく手をあげとくかって感じの子や、 みんな手をあげてるからあげとくかって感じの子(笑)や、 全然 わからないよ だから 手をあげないって感じの子や、 手をあげていいのかなぁーって ちょっと迷ってる感じの子など、さまざまなしぐさを見せてくれる。 それで、元気よく手をあげてる子の中から 一人の子をあてると 問い掛けた こたえとしては 全然ちがうけど「おちっこぉー」ってこたえながら 一人で笑っている(笑)。僕が「おしい」って言うと、手をあげてる別の子のボルテージがさらにあがり、ハイ!ハイ!って、体 全体をつかって、オレをあててくれー光線を僕に放ってくるので そんな子に あてると 「んーとねぇー ・・・ う、う、うんちぃー! ぎゃははははー」って めちゃくちゃうれしそうに こたえてくれる。 こたえが正解だろうが間違っていようが、そんなことは関係ねぇ、今、これがいいたいんだって一生懸命こたえてくれる。 こんな 42ちゃいの おっさんに 一生懸命 こたえようとしてくれるなんて ありがたいねぇ。 |
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10月 27日 No.1633 親として、我が子の機嫌が良いのは よいこと。 親として、我が子の機嫌を伺うのは よいこと? |
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我が子が 理由はよくわからないが 機嫌良く帰ってくるのは、親として精神的に良いことである(笑)。つい聞いてみたくなる。「なんか イイことでもあったの?」と(笑)。でも、我が子が 理由はよくないわからないが 機嫌悪そうに帰ってくると 親として精神的によいとは言えないだろう。そして つい聞いてみたくなる。「なんか イヤなことでもあったの?」と。 それで子どもが「なんでもないよ」と不機嫌に言う。親はますます理由が知りたくなる。知るまで 機嫌を自然に伺いだす。 そして、機嫌良くなってもらおうと、「なんか食べる?」「お風呂から出たらナシむいてあげようか?」など 本来聞かなきゃならない「なんか イヤなことでもあったの?」から どんどん遠ざかる(笑)。 そういうときは 例えば「なんか ここ最近 元気ないけど お母さん(お父さん)、どんなこんなんも あんたなら 切り抜けられるって 信じてるけど どうしても あとちょっと なにかが足りなくて、こまったなぁーってときは ダメもとで聞いてね、力になるから」などと、伺ってみてはいかがでしょう(笑)。 |
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10月 26日 No.1632 保育園・幼稚園の子どもたちから大人まで「感性」を震わせてしまう書物 それが絵本! |
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ほんとに 絵本を読ませてもらっていると いろんなことを 学ばせてもらえる。日本の本の中で、手に持っただけで、子どもたちから笑顔の花を咲かせられる書物は 絵本しかない。手に持っただけなのに、がははははぁーだもん。まいるよなぁ。大人だって 絵本のページひとつ前と今のページでは 表情が違う。ひとつ前のページでは みな眉間にシワをよせていたのに、たった一ページめくっただけで、みな満面の笑みに変えさせてしまう。その間 たった1秒あるかないか。そんな書物 他にあるかなぁ。ないよ。絵本は いきなり すべての人間に宿る「感性」にじかに働きかける書物だからだと思う。絵本が毎月 出版される国に 生まれ落ちて ほんとに 良かったと思う。 いつの日か また 絵本なんか見たこともない、よその国の、子どもたちから大人まで 感性を震わせてあげたいなぁ。 それまで 命をかけて 読ませていただきます。 |
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10月 25日 No.1631 こっちも、あっちもより、どっちもがイイ! |
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コンビニに入ったら、お母さんと4,5才ぐらいのスモッグを着た男の子がレジ横の小さいおまけ付きのお菓子で もめていた。お母さんは「こっちにするの? それとも こっちにするの? もうっ! どっちにするのぉ?」と言った。そしたら、男の子はすかさず「どっちもぉ〜」と両手に持っていたおまけ付きお菓子を高々とあげた。僕もレジのおばさんもお母さんまで、そのくったくない姿に笑ってしまった。僕がチラッとお母さんが どうするのか見たら目が合ったので、僕が「今日のところはこの子の勝ちでしょ」と言ったら お母さんが男の子に「もう、あんたには、ほんと 負けよっとたぃ!」と さっきまでの鬼の表情が消えて ニコッとしながら言った。 僕も 二者択一の機会に出くわしたら あの男の子のように「どっちもぉーっ!」て くったくなく言ってみようと思う。42ちゃいで 通るか通らないか また 新たなチャレンジを見つけてしまった(笑)。 |
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10月 24日 No.1630 みんな たった一度のピッチに いつも立っている! |
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僕は よく思う。 朝日が昇った瞬間 今日というたった一度のピッチに立っている と。 また 思う。 月の明かりにふれた瞬間 今宵というたった一度のピッチに立っている と。 そして 思う 子どもたちのこの笑顔を見た瞬間 このたった一度のピッチに立ててほんとに良かった と。 そして また 思う 日本のあちこちに出かけ、いろんな人に出逢えた瞬間 このたった一度の人生というピッチに立てて ほんとに良かった と。 毎日 毎回 毎度 たった一度のピッチに立てたことに こころの底から感謝できるのも たった一度の あの感動の瞬間に あのピッチに立てていた「縁」に 深く感謝してしまうからである。 ほんとに みなさん いつも ありがとうございます。ペコリm(_ _)m |
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10月 23日 No.1629 子どもから「最高ぉ〜!」を連発されたら、どんな大人も有頂天さ(笑) |
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僕が 絵本を片手にあちこち日本をまわっていると、いくつかの「こんなシーンは一生に一度だろうなぁ」的 出逢いがある。その出逢いの中に、現地の方で その土地の子どもから大人まで応援している一人のおっさんと出逢った。その際、そのおっさんが「わしは、とにかくあがり症なので みんなの前に立つと何も言えなくなっちまうんですが、なんか、ええ方法はないかのぅ」と相談されたので、僕が「じゃ絵本を読ませてもらったらええと思う」と言って 翌日、僕が読あそびさせてもらった小学校で、最後に、子どもたちの前に急きょ出てもらって絵本を読んでもらった。 ページをめくるおっさんの指はプルプルふるえていた。そんなページをめくる姿を みんな息をのみながら見たり あがり症のおっさんだから、口の水気がすぐなくなるのか、声がかすれたり、何度つまって声がふるえようがみんなが聞いていた。そして「おじまい」と言って絵本を閉じたとき、子どもたちから「最高ぉ〜!」「おっさん最高ー!」の大合唱。おっさんは そりゃもう みんなを大爆笑させるほどのはしゃぎぶり。 おっさんの有頂天な姿、いいもんだ。 |
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10月 22日 No.1628 伝えることは、なにも口を使うことばかりじゃない。他にもいろいろあるょ! |
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人に何かを伝えるとき、まぁ、たいてい口を使う。それがだいたいにせよ簡単に伝わったり、なかなか伝わらなかったりする。なかなか口で言っても伝わらないとき、伝えたいことを どう伝えるか。簡単!。先人たちが残してくれた知恵を遠慮なく使えばいい(笑)。 手始めはまず、口を使って 閉じるということで伝えるのがいい。つまり、だまるわけ。これ、意外な効果がある。次は、手を使って伝える。メモだとか手紙などで。次は 足を使う。その人のところへ何度も行く。もし、会えたら 目を使って伝えるのもいいだろう。それらを合わせることができるなら、誠意を使って、伝えるのもいい。腰を使って、力ぞえをするのも、けっこう伝わる。背中を使って、ただ もくもくと「この気持ちをわかってほしい」と念じながら背中で伝えるのも すばらしい。あとは年齢なんか関係なしに 伝わってほしいとき 伝わるべくして 伝えることができるのが 体全身を使って、ひたいに汗しながら「一生懸命取り組む姿」を見せりゃ、時間がかかっても 必ず 伝わるもんさ。あとは オリジナルであみだしてもいい。いろいろあるから やってみてほしい。伝えたいことを ちゃんと伝わるまで。 |
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10月 21日 No.1627 子どもに、任せられる大人っていいよねぇ! |
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公園のベンチで本を読んでいたら、ボーイスカウトの隊長と、子どもたちがかっこよくスカーフを首にまいて、芝生のところに集まってきた。僕が 何が始まるのだろうと見ていたら、隊長らしき人が「はい、今日も最後はこの公園に来ました。と 言うことは もう、何をするか言わなくても わかるよね。じゃ みんなに 任せたぁー」と言ったら 子どもたちが方々に 散っていった。その隊長が 僕がすわっているベンチのはしっこに やれやれと言う感じでドスンと座ったので 僕は 声をかけた。 「何を 子どもたちに 任せたんよぉー(笑)」「あっ、 今は この公園のどこか 危ないとこを探しに行ったんです。」 「危ないとこ?」 「ほら、最近、公園の遊具事故があちこちで発生して、ニュースになるじゃないですか。あんなニュースになるような公園にしないために、公園の中にある、いろんな「危ない」ところを約1時間遊びがてら探しに行ったんです」 「ふ〜ん。この公園の危ないもんを見つけになぁ。よう1時間も 任せられるねぇ」 「いや、すぐに今みたいに子どもたちに任せたわけじゃないです。じょじょに(笑)」 「そうか、そらそやわなぁ。すぐに子どもらに任せる方が、危ない個所を見つけさすより「危ない」な(笑)」 「がはははは。」 「あっ、笑ろたな。隊長さん。一番、危ないのは いつも 僕ら 大人やで。」 「・・・・・・たしかに!」 「でも、任せるってエネルギーいるやろ?」 「ええ、くたくたになります」 「くたくたになっても 任せようとするのは 隊長の場合は なんで?」 「僕は 任せてもらった方が うれしいんじゃないかなぁ と 感じるんで そう してるだけです」 「隊長さん、すごいなぁ。子どもだって 任せてもらえば めっちゃうれしいわなぁ、そりゃ。学習させていただきました(笑)」 ほんまに、学ばせていただきました。そのとおりで ございます。 |
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10月 20日 No.1626 子どもから「おっさん、子どもみたい」って言われたとき、大人のいやらしさがなかったんだと確認できる! |
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僕が 絵本を小学校で読ませてもらうと、いつも「おっさん、子ども(ガキ)やなぁ」とか「おっさん、それでほんとに大人なぁ」とか「おっさん、あほやなぁ」とか「おっさん、吉本のひとぉ〜(笑)?」とか「おっさん、生きてて大丈夫?」とか いろいろ言われる(笑)。でも、そうやっていろいろ子どもたちからツッコミをされるとき、僕は、僕のまま子どもたちに接っしられたんだと思って、ほっとする。 子どもたちは、いつも注意してくる大人とか、いつも期待感をもって寄ってくる大人とか、これはこうなのっていう頭の固そうに見える大人には、ツッコミを入れないから。そういう大人の中に僕がはめられなかったことにほっとする(笑)。僕を見て、駆け引きいっさいなしの大人と思ってくれたことがうれしいわけ。でもたまに、子どもたちから「おっさん、仕事なにしてんの?」と真剣に心配されると、「こうやって、みんなに絵本を読まさせてもらうんが仕事じゃー!」って言うことさえ忘れるほど、「あれ、ほんまにオレ、何しにきたんやったっけ?」と思うことがある(笑)。 |
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10月 19日 No.1625 遊びたいなぁと思っているのに、遊べない大人が増えたなぁ! |
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世は、子どもがおもてで遊んでいる姿を見なくなったと嘆くようになったが、僕は、大人が遊びたいと思っているのに、遊んでいない大人が増えたからだと思う。遊べない大人が増えるってことは、そんな大人の背中姿を見てしまう子どもたちが、遊べない影響を受けて当然だろう。遊べない大人は、多くの場合、漠然と「遊びたいなぁ」と思っているだけ。何をして遊びたいのか、自分でしぼれていない。例えば、釣りばか日誌と言う映画なら、釣りと言う遊びに真剣なため、月曜から金曜まで、仕事でどんなにヘロヘロになろうが土日は 元気に釣りに行く。ねらった獲物を釣りあげられれば、さらに元気になる。その魚のサイズが大きければ、さらに元気になる。このとき、大の大人が 子どもがはしゃいでいるように見える。これこそ、大人の遊びである。 今、大人が、遊びたいのに、「俺だけ 遊びにいくわけにはいかないよなぁ」とか「私だけ、もし、遊びに行けばひんしゅくもんょ」とかで、「遊べない大人」が増えたと一見できるが、ほんとは遊びに対して、疲れると思っているから「遊べない大人」になっちまったのさ。その数は増えるばかりだから、なさけねぇ。遊びに行けば、仕事の疲れが取れるのになぁ。 |
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10月 18日 No.1624 子どもの「知らない」は、あてに「できない」の。大人の「知らない」は、あてに「ならない」の! |
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子どもが「知らない」と言うとき、知っているのに「知らない」と言う子もいれば、本当に知らないから「知らない」と言っている子もいれば、分からないことは「分からない」と言わず「知らない」と言っておいた方がいいと思っている子や、「知らない」が口ぐせになっている子や、なんでもかんでも「知らない」と言っておけば大人に関わられずにすむと思っている子や、知っていても おまえみたいな大人には絶対教えてやるもんかと思っているから「知らない」と言う子もいるので、あてに「できない」のである。 対して 大人の「知らない」は 駆け引きや損得や利己的に考えて「知らない」と言う場合や、「知らない」と言うことで立場を守ろうする場合や、「知らない」の一点張りを通すことでやりすごそうとする場合や 責任逃れから「知らない」と言う場合などがあるため、あてに「ならない」のである。 つまり、素で言う 子どもはまだ幼いから できるかできないかで言えば できない ことの方が多いから あてに「できない」のである。 だが 大人は 子どもたちからの 宛てになったり 当てになったり 充てになってこそ大人なのに、大人同士でもあてになるか あらないかの問題でハカリにかけられるから あてに「ならない」のである。 ほんとに 大人は人の不幸は知りたがるのに自分の不幸を知られることは極端に恐れるから、大人の「知らない」ほど あてにならないものはない(笑)。 |
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10月 17日 No.1623 子どもたちから 追いかけ回されることは 疲れることじゃないの。すごい喜びなこと! |
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あちこちに 呼んでもらい 子どもたちと 読あそびさせてもらったあと、子どもたちから 追いかけ回されることがある。そのとき 僕は めっちゃうれしくなる。すげぇ、喜びにつつまれる(笑)。 でも、回りの職員の方々は 「ほら、ダメダメ。絵本 読んで疲れてみえるんだから」と、言いながら 子どもたちが 僕を追いかけ回さないようにしてくれようとする。僕は 子どもたちに読あそびさせてもらって 声がかれそうになることはあっても 疲れたことがない。それに、子どもたちから 追いかけ回される大人ってことは、面白いおっさんだと、思ってくれた証拠のようなものだから、全然 悪い気がせず、ほんとに 僕の 喜びの一つなの。子どもたちから追いかけ回される大人って そうそう いるもんじゃない。だって、つまらない大人を、追いかけるはずないから。それに、追いかけ回されるってことは 逃げ回れるだけの体力がある 落ち着きない中年のおっさんってことでしょ(笑)。 なんとか60ちゃいぐらいまでは 逃げ回りたいなぁ。 |
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10月 16日 No.1622 会話をすることでコミュニケーションが取れることはわかる。でも、コミュニケーションを取るために 会話しようとする「会話」で、いったいどんなコミュニケーションが取れるのだろう! |
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人と会って話をしているだけで いろんな展開の「今度、これやってみよう(あの河原に新しくできたグランドでキャッチボールしよう)」「これしよう」「あれしよう」「も ひとつおまけに それしよう」が発生する。僕はだから人に出会って会話するのが好きだ(笑)。これだけでもコミュニケーションが取れるが、ほんとに河原に数名でも集まってキャッチボールをしたら、なおコミュニケーションが深まる。これは、僕も、何度も体験しているからわかる。 でも、僕は「コミュニケーションを取るために 会話しよう」とする会話ってえのが よくわからない。なぜなら、あんまり、人と会話するのに、「コミュニケーションを取るために よし あいつと会話しよう」と思って会話したことがないからである(笑)。つまり初対面の出会いがあり、徐々に会話がはずんで行き それにともないコミュニケーションが深まっていくことはあっても、先にコミュニケーションを取ることを目的とした人との初対面の出会いをした記憶がないので、それができる人は、たとえ出会う前から嫌いな人とわかっていても、初対面の人に対して、コミュニケーションを取るための会話ができることになる。それって、計算された会話ってことだよねぇ。それで、ほんとにコミュニケーション取れるのか僕には疑問である。会話には流れがあり、会話が はずんだりはずまなかったりがあって、それでも、また会って会話していくうちに、コミュニケーションが深まるものだと、僕は思う。 |
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10月 15日 No.1621 バカ親バカ親って、言ったって、バカ親だと思われる親って、本人はそうは思っていないもんさ(笑)! |
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僕はバカ親だから、何ひとつ親父らしいことはせず、日本中を飛び回っていられる。それほど絵本バカになっちまった(笑)。だってバカなまま親になったと思っているから、今、一生懸命、いろんなことを日々学ぶのがおもしろいのなんのって。 さて、ついこの前、テレビを見ていたら、ある少年が自殺したらしく、そのニュースが終わって、スタジオにパーンして、教育コメンテイターのゲストが数名来ていて、そのうちの一人が「こんなひどい内容のメールを中学生になっているにもかかわらず、打ってしまえるってぇのは、親はどう育てたんだろうね、まったくー」と言ったとたん、となりの女性の毒舌教育コンサルタントが「そんなのバカ親に決まってるからまともに育ててるはずないじゃない。この子にも罪はあると思うけど、バカ親の罪はもっと重いわぁ。親がバカだと、息子は苦労するのよねぇー。で、そのうさばらしをメールの世界でしちゃうから、平気で、自殺においこんじゃうような`死ねぇー'とかのメールがうてるわけょ」と言った。 じゃあ、うちの息子も相当 苦労してんだろうな。 わりぃーな こんな親父で。 息子ょ、せめて 死ねぇーとかのメールをするなら、ツレじゃなく、お願いだから、親父宛てにしておくれ! たのんだぞ。 |
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10月 14日 No.1620 人に聞いてもらうのに 気持ちイイ話をすることはできないのに、人をののしるような気持ち良くない話はできるんだょね! |
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人が人をののしる話は聞いていても ちょっとも気持ち良くない。話す側も、その人の、ののしる話をしている間は、頭の中に その人の顔が浮かんだり、その人の声が響いているはずたろうから、きっと 気持ち良くないはずなのに、その気持ち良くない感じをいだいたまま、ののしる話ができるから、たいしたもんだと思う(笑)。人間は本来、気持ちイイことの方が得意なはず。つまり音楽にしても、食事にしても、睡眠にしても、おいしい空気を吸うにしても、冷たいビールでノドを鳴らすにしても、エッチなんか最たるもんだが、そういう気持ちイイことの方が得意なはず。でも、こと会話となると、ののしる話の方が気持イイのか、得意気になって話せるから不思議である。 僕は そんなのちっとも気持ち良くないね。やっぱ僕は 話すにしても聞くにしても、気持ちイイ方が 気持ちイイ。 |
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10月 13日 No.1619 読書の秋 食事の秋 スポーツの秋 秋雨の秋 G1の秋(笑)を満喫しよう! |
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秋雨の日に 本を読む。 秋晴れの日に 体を動かす。 秋を感じる夕方の風を満喫する。 食事をすれば、これが何を食っても 美味いと感じる 秋。 秋になると 昔からあちこちでイベントがある。秋に刈り入れして、新米の収穫をいわう祭りなどが、日本のあちこちで行われたのがいい例だろう。秋はとにかくイベント盛り沢山。運動会があったり、国体が開催されたり、音楽会があったり、秋季大会があったり、こよみをみても、重陽、彼岸、敬老の日、秋分の日、十五夜、体育の日、ハロウィン、文化の日、七五三、勤労感謝の日と、プチ旅行に出かけ、まったけの土瓶蒸しやまったけご飯を味わったり、紅葉ドライブに出かけ、くりを拾って夜は 栗ご飯を味わいながら、一日を振り返る。そうすると、会話もはずみ、ますますメシも美味くなる。 秋の感じ方、味わい方は人によって違うだろうが、自分だけの秋を満喫してほしい。 僕の秋の満喫の仕方は 北から南まで、絵本を読みまくり旅に出かけ、あとはG1を取りまくるってか(笑)。 |
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10月 12日 No.1618 普通の人は 不幸になることを怖がる。 純な人は 幸せになることを怖がる! |
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誰もが 他人より ちょっとでも幸せになりたいと思う。不幸になんかなりたくない。この思いが強い人は 不幸を怖がってしまう。怖がるから 頭の中は 常に、不幸にならないように どうしたらいいかの判断を元に、ものごとを決めていく。対して 純な人は 「こんな私が幸せに なれるはずがない」とか 「俺みたいなヤツが あの子を 幸せにできるはずがねぇ」とか、相手の幸せを心の底から思ってしまうため、少しの勇気があれば、自分も幸せをつかめるのに、その少しの勇気さえ、幸せになるチャンスを前にすると 怖がる人がいる。いるとは 言っても この世にはわずかしかいないけど・・・。 こんな純な人ばかりの世の中になったら どんだけ〜(笑) 幸せな世になるんだろう。 僕に そんな世をつくれるだけのパワーがあるだろうか?イヤあるはずねぇ。さんざんワルさ してきたからなぁ。ワルさ つまり 不幸の「不」は 不良中年の「不」と、だいたい同じだから解るんだけどなぁ。「幸」は 突然おとずれるから 解りにくいんだょなぁ。しゃあーない。こうなったら 僕が気がつくだけの世の中の「不」を 集めにいくかぁ(笑)。 |
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10月 11日 No.1617 骨になったら終い!って言うけど、今の世には、骨になるまでに終いの人が多いんじゃないの! |
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JR山の手線 外回りで 田町駅から新宿駅まで乗った。その間約30分。僕は電車に乗って、長イスの真ん中あたりの吊り革に手をかけた。そしたら、4人組のサラリーマン と スポーツバックからテニスのラケットのグリップが飛び出している高校生3人組 と 40才前後の女性2人 と 目の前のイスでいちゃいちゃしている20代前半のアベックに 囲まれる形になった。 すぐ 高校生の声が耳に入ってきた。「こんだけやってレギュラーになれなかったら もう おしまいだょ」 次に 40代の女性の声「どこにでもいるのょ、ちょっとしたことで、おしまいだって思う人わぁ」 そこへ目の前のアベックの男が「俺が あそこのバイトを辞めたら 俺たちって おしまい?」 最後にサラリーマンの一人が「なんにせょ、今から みんなで やれるとこまで やって あさってのセッティングに間に合わせるしかない。でないと おしまいさぁ」 なんと、どの組の会話にも おしまい と言う言葉が出てきた。 どの会話も気が滅入るょ。 ほんとのおしまい(お終い)は、もっと先の話でしょと思いながら、吊り革につかまっていたが、今思うと、僕は あの吊り革をつかんだ瞬間 おしまい だったのかもしれない(笑)。 |
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| 10月 10日 No.1616 ふれられたくない話を ふれないようにする優しさもあれば、ふれられたくない話に、そっとふれてあげる優しさもある! |
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本当に苦労して生きてきた人や 死の期限をきられた人は 声のかけ方やそばにいる、い方が仙人のようにうまい。ある人が その話には、ふれられたくないと思っているとき、 仙人たちは いつまでも ふれないようにしてあげる優しさを持って そばにいたり、ある人に対して 誰もが その話にふれられないことを 仙人たちだけが そっと ふれてあげる優しさを持っていたりする。 これは 今のマスコミのような感覚を持っている大人には 到底できない。つまり、今の大人は、ある人がふれられたくないと思っている話があるとすると それをおもしろがって、よってたかって無理やりほじくり返すように ふれにいく。かと思えば 誰もが見放してしまい 今 声をかけたら 自分も仲間と思われそうなときには、何があっても そばによろうともしない人のこと。 人が辛いときは その話にふれずに ただ、そばにいてあげて、人が一人ぼっちで思い悩み にっちもさっちもいかずにいるときに そっと声をかけることができる人は そう ざらにいるもんじゃない。 だが、僕は そんな仙人に 何人か 出会ったんだから 多少でも 近づきたいと念い、精進したい。 |
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10月 9日 No.1615 悪いものは悪いと、言うことは上手いくせに、良いものを良いってつっぱねることはヘタ! |
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人の悪いものを見つけると 悪いものは悪い、とタイミングばっちりで上手く言える大人は多い。つまり、悪いものだからとつっぱねて関わらないようにするのが上手いわけ。でも、良いものを見つけても 良いものは良いと タイミングばっちりで言えて、つっぱるかと言えば、これが良いもの自体を見つけそこなっていたり、あの人のあそこは良いもんもってるよねって良いものを言われても「そう?」と、言われても気がつかなかったり、とにかく、人の 良いものは良い と言うことは極端にヘタくそである。大人がそんな背中姿を見せるから、子ども社会も 良いものを良いってつっぱねるのがヘタになるわなぁ。これだと、未来の社会人は、悪いものばかり目配りして、良いものを見落す社会人ばかりになるんじゃないかなぁ。 そんな大人は、悪いものは悪いと言って、つっぱねて来たせいで、自分のことを本気で思ってくれた「ある大切なもの(想い)」を失っていることに、気がつくことは いつまでたっても訪れないだろう。 |
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10月 8日 No.1614 物語にひたるのは、空想にひたるのとは、ひと味ちがうのさ! |
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今、夢中になっている物語が2つある。ひとつは小説。もうひとつはアメリカの人気ドラマのDVD。どちらも、僕が物語の中に入っていきやすく、読みながら、または観ながら、現実の僕のこころが躍る(笑)。だから夢中になるほどストライクゾーン。どちらも、「ワイルド」「アバウト」「思ったとおりにことが運ばない」「常に頭をつかえ」「俺ならどうする?」「一瞬の適確な判断が要求される」「判断をあやまれば大ケガか死にかける」など、主人公がまったく計画性ゼロのためにしょっ中 危ない目に合い、失敗を重ねながらも 主人公が、わくわくドキドキして数々のピンチを向える。そして今だ、どちらの物語も、ハッピーエンドがやってくる兆しすらない。とにかく、毎回、僕の人生とリンクする(笑)。物語にひたりきると、いきあたりばったりの主人公と 僕のいきあたりばったりの日々が重なり 9割の失敗を呼ぶことを体が楽しみにしている感覚も、たっぷりそっくりそのまま味わえる。これは、読んだあと、または、観たあとで 空想にひたって見直してみても、味気がないのである。 やっぱ、タイムリーに物語の世界に入らなきゃー(笑)。 |
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10月 7日 No.1613 勢いあまる元気な子は、これから貴重になるょ! |
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社会全体に 健康に気をつけるようになったわりに、元気な大人が一向に増えないのは なぜ だろう。高校生でも、ファミレスで「それってカロリーいくつ?」と聞にするぐらい健康指向の世になっているにもかかわらず、世の大人たちは 健康的な自己管理能力が身についているかと言えば、ちょっとダルい、ちょっと痛いと すぐ医者に行く。どっか体がおかしいと感じたら すぐ医者に行く能力ばかり長けて(笑)、ろくに自分の体が今どういう状態なのかを把握していない。そりゃそんな体力しかない 大人が 勢いあまる元気な子を相手にはできないよなぁ。だから、親や周りの大人は よってたかって 勢いあまる元気な子の「元気」を、それもダメ、あれもダメと徹底的にうばう方法にでるわなぁ。 でも これからは 勢いあまる元気な子を、そのまま勢いあまる元気な大人に成長してもらって、そんな大人を一人でも多く社会に送らなければ、未来の社会人には元気のある大人を見かけなくなるかも。 だから、今のうちに、勢いあまる元気な子の元気があまっているうちに、親や周りの大人が そのあまっている元気をいただいおかないと、気がついたときには、「自分では、もう どうやって元気になればいいのか分からなくなってしまう体」が出来上がっているだろう。 そう思わざるおえないほど、今の大人たちの自己健康管理ってやつは ますます元気のなくなることばかりしている。 そして、そんな体や頭の大人が、健康な子どもに、あたってりゃー世話ないわな(笑)。 |
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10月 6日 No.1612 あきらめたり、あきらめなかったり、人のこころの浮き沈み(笑) |
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なんせ、人のこころは浮き沈みを繰り返す。個人個人の理由は異なるのに、個人は個人の理由でこころの浮き沈みを体験している。例えば「あきらめる」と「あきらめない」の関係にしぼれば、まず、「あきらめる」の方からいくと、あきらめようか もう少し ねばってみようか でも やっぱり このままでは 現状は変わりそうもないから ここで 踏ん切りをつけて あきらめようと思い、「あきらめる形」をとったり、「あきらめる型」をつくったりする。これだけでも相当のこころの浮き沈みが想像できる。次に 「あきらめない」方は 何度もあきらめようと思うのに、気がついたら、その場に立っていたり 今日こそはやめる、と決めたはずなのに、自分にはやっぱりこれしかない、と思いなおすほどの成果を認められる日となって、帰り道に「あきらめようと思ったけど、やっぱ あきらめきれない」と思い、だから もう いっそ、あきらず行くとこまで行ってみようと決め、「あきらめない形」ができあがったり、「あきらめないですむ型」にはまったりする。こっちも、この形や型が決まるまで、現状から何度も逃げ出したくなるこころ内と、自分なりに勝負し、こころの浮き沈みを味わったことがうかがえる。 つまり、人は、こころの浮き沈みを繰り返すことで、自分なりの形や型に、出合うってことさ。逆に言えば、その形や型が、自分にしっくりくるまで、人のこころは浮いたり沈んだりしてしまうのさ。 |
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10月 5日 No.1611 夢を持っている大人がもっと増えてほしいなぁ。そしたらもっと子どもが大人に夢を語ってもらえる機会が増えるのに! |
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今、講演先で僕が「この会場で夢を 持ってみえる人ぉ〜」って聞くと 必ず 自分以外の人が手をあげるのをジロジロ見るか、下を向くか、「えぇー」と言う。そして、そんな雰囲気の中、パラパラと数名が手をあげる。手をあげた割合は どこも 5パーセントもいかない。と言うことは 家で晩ご飯を食べながら、「とうさんはなぁ〜いつの日か 沖縄に 家族みんなで住みたいんだ〜。 そしてなぁ〜、あの沖縄の人たちの、なんとも言えないあったかさを、できればみんな身につけてほしいと思っている。ささいな夢だけどなぁ」とか「かあさんはねぇ、みんなで、小さな店でいいから、近所の人に喜んでもらえるようなおしい食べ物のお店をもちたいなぁ。そうすると、年金もあてにしなくてすむし(笑)」とか 語ってもらえないんだろうなぁ。「高校どこいくきぃー?」とか「ちゃんと将来のこと考えてんのか?」じゃ、メシの味がしねぇな。夢ねぇー。 そんなの関係ねぇーっ!てか(笑)。 |
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10月 4日 No.1610 子どもって、まだまだ社会的に弱い立場なんだから、そう、ガミガミ言うもんじゃないょ! |
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親だからって、我が子にガミガミ言わなくてもいいでしょ(笑)。諭すように話してあげることって、そんなに 難しいことかなぁ。親が絵本読んでいると 絵本の中のおじいちゃんのセリフやおばあちゃんのセリフを通して、諭して言う言い方が体を通るから とても 簡単に 諭す言い方が身につくんだけどなぁ。だから、僕は 全然困らない。つい ガミガミ言ってしまう 大人は ぜひ ガミガミ言わなくてすむように 絵本を自分のために読んで見てほしい。いいょ〜 毎日 絵本を読むって。体にも頭にも そして 何より こころに とても イイ。自分のために読んでいるだけで、子どもが「何 読んでるの?」と 近寄ってくるから なおさら イイ。そのとき 一緒に その絵本の世界に入りこめたら 親のこころにも 子どものこころにも ほんとに イイ と思う。 |
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10月 3日 No.1609 今こそ親が 本ばかり読んでいるのが 子育てにいいんじゃないかなぁ! |
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あちこで 子育てに 悩んでいる親がたくさんいる。でも、悩んでいるまますごしせている。分かりやすく言うと、その子育ての悩みを解消するには、こんな方法がある、あんな方法があると、いくら聞いても「へぇ〜」と言うだけで、まったく試みてみようとする気がないから、いつまでも悩みを抱えたまますごし、すごしている間に、悩みながらすごせる頭や体ができる。その頭や体の考えで、余計な「それイイことね」とか「それはダメ」とか言うから、子どもは 先生が言うことと親が言うことが違うとか テレビやドラマで映る優しい親像と自分んちの親の優しさがあまりにも違うことが感覚的に分かる。 つまり、世の中の大人と親の道徳観が違うため、子どもを面くらわせているわけ。 子育ての悩みを、かかえたまますごせている親が多い今の世こそ、悩みながらも 本ばかり読んでみてはどうだろう。親が、本ばかり読めば、家の空気が変わるし、それぞれの本のストーリーを親自身が疑似体験するから、主人公やストーリーから、タフな道徳観を自然に、身につけることができ、本を読んでいる間は 子どもに余計なことを言わなくてすむ。 どうだろうか? 「へぇ〜」って声が聞こえてきそうだから、やっぱダメか(笑)。 |
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10月 2日 No.1608 最近は、子どもにはちゃんと伝わって、大人にはちゃんと伝わらない! |
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あちこちで絵本を読ませてもらって、最近、特に思うのが、子どもには、地区なんか関係なしにちゃんと、その絵本に作家が封じこめた気持ちや、イタズラや、遊びこごろや、なぜ描いたのかわからない色・虫・動物などが、ちゃんと伝わっているのに、大人には、ちゃんと伝わらない という現実である。悲しいほど 大人には伝わらない。 絵に何が描かれていたのか気がつかず 文を読んでいるのに シャレに気がつかず リズムの楽しさに気がつかず テンポの良さに気がつかず 絵の色の変化に気がつかず 文の意味を良く理解しようと思って聞こうとするから、絵本の楽しさに気がつかず 意味がないから おもしろいってことに気がつかない。 意味があることで、遊んだ場合 それって おもしろかったぁ?と 尋ねたくなる。僕は 体験上、楽しかった 遊びは すべて 意味のないもの、意味を求めなくていいもの、意味が必要ないもの、意味なんか始めからないものばかりが、腹の底から大笑いするほどおもしろい。 絵本も同じである。 最近の大人は 絵本に限らず、いろんなことが、ちゃんと伝わらないから 子どもたちは どこの子どもも 苦労している。 |
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10月 1日 No.1607 子どもに問題があるのではない。 「子どもに問題がある」と思う大人に問題があるのである! |
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この国のすべての3・4・5才児に精神面の問題はない。問題があるとすれば その親の育て方や各家々の方針や環境、その子が通う保育園か幼稚園の指導・担任の接し方などの、意にそぐわない現れが作用しているのだろう。だが、もう一度 いう。 子どもたちに 問題はない 子どもたちの背景に、いつの時代も問題がある。 例をあげれば切りがないが 我が子が 元気がなけりゃないで 「どこか元気になれない問題があるのだろうか」とわざわざ問題にしたり、逆に 第一次反抗期に元気がありすぎて、親や園の先生たちの手をやかせる子がいると 「あの子は何であんなに世話をやかすのだろう。何かいらいらする問題でもかかえているのだろうか」と 手をやかされるたびに 次から次に問題でもないことを問題にして、そのせいにしようとする。 今、子どもたちの背景にいる大人たちの「目につく子どもには、常に何かしらの問題がある」と思いこんでいることが一番 問題である。 つまり、子どもたちの悪い部分を探そうとする大人が問題であり、子どもたちの良い・好い・善い部分を探せない大人が問題なのである。 |
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