ブックドクター・あきひろのイチニチイチゴン
一日一言 〜千夜一燈 ver.〜

諺「長者の万燈より貧者の一燈」

貧しい人のわずかな志は誠意のこもっている点で、たくさんの志よりもまさっている。
形式よりまごごろの尊さをいう。
                       一日一言 〜千夜一燈 ver.〜 

諺「長者の万燈より貧者の一燈」

貧しい人のわずかな志は誠意のこもっている点で、たくさんの志よりもまさっている。
形式よりまごごろの尊さをいう。

 
 9月  30日 No.1606

みんなから したわれる人は したわれようとしていないから したわれる!

 みんなから したわれようとしている人で ほんとに みんなから したわれている人って なかなか いない。つまり まじめに したわれようとするから みんなが したおうとしないわけ。
僕が 知ってる みんなから したわれている人は 全員 したわれようとして したわれている人ではない。みな 一個抜けてたり 一本足りなかったり 片方落ちていたり 不真面目だったり 目もあてられなかったり たった一つだけ良いところを持っていたり ウソつき呼ばわりされていたり 賭けごとが大好きだったり 子どもからも大人からもバカにされていたりするわけ。まとめると みな 何かしらクセのあるタイプなの。
完璧を 地でいく人で したわれる人は よほどの あったかさを宿したタイプでないと みんなからは したわれないと思う。
みんなから慕われたいから 慕われるようとするのか
みんなを親うから みんなから 親われるのか
こんな希薄社会だからこそ、今からの大人は 考えなきゃね!?


 9月  29日 No.1605

利用するのは、物に限る。もし、人を利用すれば、必ず めぐりめぐって倍づけで利用される!

 物を利用するために編み出されたと言える。人に 頼むに頼めないとき、物を編み出し、その物を利用してきた。物なら、気兼ねしなくてすむ。自動販売機やセルフのガソリンスタンド、オートファーメーション工場など、あげれば切りがない。知恵ある者は、物を利用し、活用し、応用する。だが、悪知恵が働く者は 物と者を利用しようとする。必ず、酬いをうける。物は、きのうまで順調だったのに肝心なときに故障し、者は、安心して任せたときに限って 初めて起こるミスを侵す。当然 利用した側に倍になってハネ返ってくる。物だけにしとけば 軽少ですんだものを 者をからめたために 多重の痛手が発生する。
人を利用するもんじゃない。
人に用いるのは「利」ではなく「信」を用いるのである。
物はもって利用、人は然るに信用とは 是(これ)まさに!


 9月  28日 No.1604

ちまたの でたらめな人はバッシングするくせに 地位の高い人や立場が上の人には小言ですますのかよ!

 ファーストフードでコーヒーを飲んでいたら、となりのサラリーマンの話声が聞こえてきた。

(-_-#)「お前は なんで そんなにでたらめなんだょ」
f^_^;「いやー、そんなつもりはないっすけど」
(-_-#)「そんな つもりはないだと?ふざけんなぁ!大丈夫 うまくやれるようにがんばりますって言ったじゃねぇか。それが今ごろになって やっぱりできませんって何だよ。今さら言わたって こっちだって困んだよ」
f^_^;「だって原油がこんなにハネあがるなんて 僕だって思わなかったんです」
(-_-#)「そんなことはぁ おらぁー 知らねえーよ。おまえが いつもでたらめなこと言ってっから こうなんだょ」

そこに (-_-#)の人の上司らしき人がきて
(*_*)「おぅ、ここにいたか。で、まぁ 何か打開策は考えたのか。まぁ、俺は まぁ最初から 実は・・・、まぁ 無理だとは思ってたんだけどね・・・。まぁ、何かイイ案が出たら報告してくれ。まぁ 俺は 今から また まぁ 顧客んとこ行ってくっから じゃな」

店を 出ていくのを、二人でしっかり確認してから

(-_-#)「ほんと まいるよなぁ、あの人には。あの人が 最初、そりゃあイイ、今までにないね、「まぁ」やってみりゃおもしろいんじゃねぇかっつったんだょ。それを何が最初から無理だと思ってただよ。あの人も おまえと一緒で でたらめだょ。まったくよぉー」

(僕)「やれやれ。さっきの勢いは どないしたんや?そのまま上司に言うたれや。
何、おらんようになってから小言 言うとんねん こいつわぁ。おまえの その態度が 一番でたらめなんじゃー」


 9月  27日 No.1603

間違いと 誤りと たくさん体験するから 確かなものが 何かわかるんだょね!

 いやー、ほんとに よく間違いや 誤りごとを おこす。自分では イケルと思っても、うまくイクはずない間違いに気がつかなかったり、イケタと思った瞬間 誤りを発見したり、ほとほと自分の間ヌケさがイヤになる。でも、僕の場合、自分で間違いや誤りを冒した場合は「かわいいなぁ」と思えるわけ。人の間違いや誤りは なぜか 許せないと思ってしまう(笑)。でも、そんな間違いや誤りのおかげで、ほんとに次の機会に臨むときに確かな動きになることは 「確か」なのである。やっぱり 僕は 間違いや誤りを冒すことで 学んでいくタイプだとつくづく思う。間違いや誤りでイタイ思いをするからこそ、真の「確か」がなにか分かるので、その間違いや誤りを体験していないヤツと体験しているヤツの違いも 「確か」に見分けることができるようになった。だから、人を見る目も 子どもを見る目も おかげさまで「確か」になってきた(笑)。


 9月  26日 No.1602

お金で買えないものの中に 健康 がある。お金で買えないんだから、感謝しなきゃ!

 健康は クスリ3日分とかのように買えない。もし、健康が1日単位で売っていたら 携帯電話より 良く売れると思う。今、体を患ってる人は その目的に合わせ健康を買うだろう。健康1日 2万円なら 例えばあと3年生きていてほしいと思っている家族なら 
365日×3年×2万円〓2190万円
となり、なんとしてでも用意して買うことだろう。
だが、悲しいかな 健康は 売っていない。なにがあっても お金で買えない。
だからこそ、健康な日々を送れているときこそ、その お金で買えない 健康に 感謝してみてほしい。

健康な 体が きっと 聞いていて ますます 健康に してくれると思う。
今は みんなが疲れている世の中。そんな中、ちょっと健康だと すぐ 無理をしてしまう。健康だと、無理をしてもかまわないとも思う。でも それは あやまり。お金では買えないものだからこそ、普段から 健康に感謝してほしい。僕も しょっ中 健康に 感謝している。


 9月  25日 No.1601

笑い声があるところに人は集まり 集まった人もまた笑い声をあげ 笑い声にとけ合う!

 函館港から青森港までのフェリーの運航時間は約4時間。2等船室はおばさんの大団体でどこもいっぱいだったが、すき間を見つけて、ころがりながら新刊本を読んでいたら おばさんが「その本おもしろぃ?」と聞いてきたので「めっちゃ おもろいょ ここまでは」と言ったら 「あら〜関西の方ぁ?ちょっと この人 関西から来てるんだってー」と言った。そしたら他のおばさんたちが「わたしの息子も今 大阪のなんとかってとこに住んでんのょ。知ってる?」「???知らんなぁーって言うか 大阪のなんとかってところって言うぐらい 母親が息子の住んでるとこも知らんのに なんで俺が知ってんねん。 知ってたら おかしいやろ?おばちゃん」と言ったとたんバス2台分に乗っていたであろう80名ぐらいのおばさんたちの「がははははー。うぉーほっほっほー。あぁーはっはっはー。」の大爆笑。で「あんたやっぱり面白いね」と青森弁っぽいイントネーションで言ってきたから「俺より おばちゃんらの方がおもろいでぇー。普通じゃないでぇー」と言うたら また 大爆笑。そしたら 別のスペースにいたおばちゃんが 「なんか 楽しそうやねぇー。ちょっと聞かせてぇー」と言ながら狭いスペースに10名ほど入ってきたから「こらこら、おばちゃん こっちはただでさえ困ってんねん。これ以上おばはん増えたら困るがなぁー(笑)」と言ったら「ごめんね、若い娘がいいんやろうけど この時間帯は おばちゃんしかいないから がまんしてね」「がまんできるかぁー。若い娘がええに決まってるやないけ。若い娘なら俺が本読んでても それおもしろいー? なんて言いながら 俺の楽しみをうばうことなんかせぇーへんねん。なっ、頼むから、おばはんら おとなししとってぇー」と言ったとたん大爆笑しながら さっきの入ってきたおばはんが 「やっぱきて良かった おもしろなぁーあんた」やて。おかげでギャラないのに、しっかりしゃべらさせられたわぁー。
笑い声に笑い声が重なって みんな 喜んでくれてたから まぁええか(笑)。
こんなことも起こるんが 旅やもんな(笑)。


 9月  24日 No.1600

大人も子どもも 実は 知らないことだらけ。でも知らない者同士 知らせ合ってたりして!

 今もって、知らないことが次々とやってくる。だから旅はやめられない。僕は旅に出ると、必ず、そのうちこうなったらいいな、あんな風になって行くにはどうしたらいいのかなぁ、とか思っていることのヒントやこたえをタイムリーに その土地の人たちと話しているときに 「出る」。
不思議とそんな流れになるのか、知らなかったことを「知る」機会を授かる 。ほんとにありがたい。土地の先生や子どもたちは 僕が何を一人のとき 思っているのか 知らないはずなのに なぜか 知っていたかのような話をしてくれる。知らないことだからけの僕が 多少知ったことを知らせると、向こうも 実は今日、話された内容がうちの地区にも問題になってたんですが 今日のあきちゃんの話を聞いて 「いっぺん やってみようと勇気が出てきました(笑)」とか言われると、僕が知らない向こうの事情に 知らず知らずヒントになること こたえのようなものを言っていたのかなぁと思う。みんな知らないことだらけなのに、知らず知らず 知らせ合って 知らず知らず 救われ合っているのかもしれない。確証はないけど きっと これは 間違いない気がする。


 9月  23日 No.1599

やる前からあきらめていた子が思わぬ形で達成することができるとこれが次から変わるんだなぁ!

 ある小学校の校庭で、剣道のちびっこ剣士たちが昇級試験の前の素振りの練習をしていた。ある男の子の横からお母さんが「きょうは絶対受かるから、そう信じてがんばりなさい」と言っていた。その子は「みんな強いから僕には無理だって」とか言いながらやる気のない素振りをしていた。それを見てお母さんが「やる前からあきらめてどうすんの!。ちゃんとみんなみたいに気合い入れて素振りしなさい。必ず受かるから」。男の子は「無理だって、もぅ」と言いながら、体育館の中へ入っていった。試験が始まり、その子の順番が来て、対戦相手の小学生は体格が良く強そうだった。「はじめ!」の掛け声で、対戦相手はすぐ決着をつけようとあせったのか、一歩前にでようとしたとき、前あしの先が はかまの内がわにどういうわけか引っ掛かりバランスをくずした。そのとき勝負を最初からあきらめていた男の子が、怖がりながらも降りおろした竹刀が「パシーン」

「いっぽーーっん!両者中央へ。礼ぃ」と言われ勝っちゃった。対戦相手の子は自分のはかまにやつあたりしていた。勝った男の子はお母さんのもとにいって「受かったぁ〜」とうれしそうにいった。お母さんが「良かったねぇ。ほら、お母さんが言ったとおり受かったでしょ」「うん。僕、次もがんばる」と言って、次の試合も攻めぎあいののち一本勝ち。面を取ったその表情は、見違えるほどいい顔をしていた。変わるきっかけは、子どもだとて思わぬ形でやってくるもんさ。
ナイス め〜ん!。


 9月  22日 No.1598

子どもたちが、火遊びしないよう、しっかり注意するように、メール遊びもしっかり注意しておく必要が出てきたね!

 子どもたちが、携帯電話を持つようになって、たやすくメールの世界に足を踏み入れている。小学生同士でメールをやりとりしていると、必ず、誰かが発信源の「死ね」と言う文字が回ってくる。それを次の誰かに回さないと、自分がいじめられる可能性があるから、自分より弱そうな子に回す。自分より弱そうな子がいないとき、その子でメールが止まる。突然、その子あてに1時間で100メールを超える「死ね」の文字。そりゃ、メールで人がほんとに「死ぬ」時代になるわな。感受性豊かな子ほど、人に回したくないだろうし、かと言ってお母さんに知らせられないし、でも自分ではどうしていいかわからないし、目を落とせば「死ね」の文字。

大人のみなさん、子どもたちがメールをしていたら、まず
「まさか いじめメールを回しとるんとちゃうやろなぁ。もし、困ったメールを誰かに回さなあかんのやったらパパかママのアドレスにメールしな」と、
注意と、つまることのないよう うながしの言葉を添えてあげてください。

未来ゆたかな子どもたちが、メールごときで「死ね」ことがあってはならないと、僕は心から思う。


 9月  21日 No.1597

単純に 子どもと明るく元気に遊ぶ 大人がいる!

 今は、子どもと遊ぶにも多くの大人は、何かを教えてあげようとしたり 何かを気付かせようとしたり 何かのコツをつかませてあげようとしたり 何かの意図を持って遊ぶ大人が多いような気がする。どうして、大人も単純に遊ばないのかなぁ。意図なんかなしで、ただ一緒に遊ぶんだょ。遊びには評価が要らない。でも、意図があると 上手くなってきたとか コツがだんだんわかってきたなとか あいつよりここの部分はいいぞとか 評価視点を持ってしまうでしょうーに。子どもと遊ぶのは 単純に ただ遊ぶ。そうすると 大人も ムキになったり 本気ですばしこいガキに勝ちたいと思ったりするんだよね。そのとき 子どもと大人の垣根がなくなって 対で子どもと遊ぶことができるんだょ。

もう、子どもの遊びに合わせる大人は、かなり普及したし、結構、いると思う。
これからは単純に 子どもと遊ぶ大人が 世の中に増えてほしいな。
 9月  20日 No.1596

良い子を「つくる」のに、悪いところ省こうする。省いたって良い子にならないよ!

 僕は、「良い子をつくろう」とする全国あちこちにある風習がキライである。物を作るみたいに子どもを変えようとする感じがするから。
良い子をつくるのに悪影響を及ぼすテレビは見ない見せない見させないとか 良い子のためにという大義名文を振りかざし子どものためにならない良い子づくりの全員参加の催し物とか あげれば切りがない。そんなことをしても我が子が良い子になったというウワサ一つ聞かない。いつまで、このウワサ一つ聞かない良い子づくり風習が続くのだろう。良い子をつくるのに、我が子の悪い部分を改めさせようとしたり、悪い部分を省けば、良いところだけが残って、我が子はとっても良い子になると思っているんだろうか。
ならないよ。
そもそも「良い子をつくろうとする」こと自体おかしいのである。
仮に良い子をつくれても、大人になったとき良い大人になる保証はないからである。ということは、良い子をつくりたければ 「良い大人をつくればいい」ことになるんじゃないの?(笑)。僕はどっちにも参加しないけどね。そんなのに参加しなくても、感じの良い子や感じの良い大人をたくさん知ってるから、そっちで楽しいことしてる方が、「良い時間」をすごせて、「良い感じの自分が生まれそう」だから。


 9月  19日 No.1595

ものごころがつくまでの子どもは 無心で一点を見つめる 超集中力。大人は雑念だらけでだいたいを見るから雑集中力!

 大人は、かなしいかな何をやるにも、雑念だらけである。幼い子どもは その雑念がない。知力・体力・経済力におぼれていないから「雑」になりようがない。だが、大人は「雑」が体にしみついているため、なかなか「雑」を取って「念」だけで一点を見つめられない。その点、子どもは「念(おもい)」だけで生きているため 興味をそそられた物 始めて見る物に すぐ 目がいき 「超」のつく、一点集中力を見せる。大人がこれをマネる場合、よほど、その道にうちこまないと、無心の集中力を宿せない。それが北海道は網走の子どもたちは みな いとも簡単にその超集中力を60分間も絵本に注いでくれた。読ませてもらってほんとに幸せでした(^O^)。


 9月  18日 No.1594

大人は 子どもが何も知らないと思い込んでいる。だから子どもに 簡単にしてやられる!

 僕は、たくさんの子どもたちに出会って、こう思う。

“大人が持っている知識以外は、すべて知っている” と。

大人は いつの間にか職場と家で 自分の性格が変わっていたり 態度が変わったりする。つまり 場所によって自分が変化する。だが、幼い子どもほど どこにいても変化しない。自分は自分のままである。そうかと思うと しっかり愛情を注いでもらってる子は その愛情を注いでもらっているママやパパ おじいちゃんおばあちゃんの顔を見るなり 急にあまえたり わがままをいいだしたりといった変化も見せる。ここで大事なのが、大人は愛情を持って接してくれる人にはだだくさで、子どもは愛情を持って接してくれる人にちゃんとあまえられると言うこと。
この子どもの変化の質を、大人は何にもしらないくせに 子どもは何も知らないと思い込んでいるから 簡単にしてやられるのさ。わからない人は ずっと 子どもたちに してやられていてください。その方が 子どもたちのためになるので こたえはいいません(笑)。僕が こたえを述べるとそれを悪用する大人が多いものですから。でも、大丈夫ですよね!大人のみなさんは 子どもは何にも知らないと思い込めるほど いろんなことを良く知っていらっしゃるから、あえて僕が こたえを述べなくても・・・・・・(笑)。


 9月  17日 No.1593

子どもたちが友達と遊びに行って、帰ってくるなり「疲れたょ」とこぼす時代になっちまった!

 大人がみんな疲れている。そんな大人を見ている子どもも、友達と遊びに出かけて帰ってくると、親が「どうだったぁ?今日は面白かったぁ?」と聞く前に、「疲れたぁ〜」と言う。親としては「ただいま〜、今日はめっちゃ面白かった〜」と言いながら帰ってきてほしいところだ。そうすればしっかり遊んできたことが伝わるのだが、ただいま〜の変わりに「疲れたぁ〜」と言いながら帰ってこられたのでは、遊びに行って疲れた〜とは、何ごとじゃーってとこだろう。せっかく、遊びに行かせてあげたのに、いったいどんな遊びをしてきたのか、変に気になる。もしかして、体力的に疲れるような遊び以外に、気遣いの疲れも感じさせるような遊びでもしてきたのだろうか。気遣いを要する遊びとはどんな遊び方をしてきているんだろうか。まさか、接待ゴルフじゃあるまいに(笑)。子どものころから、友達と遊びに出かけて、疲れて帰ってくるのなら、大人になったら、もっと疲れて帰ってくるんだろうな。やれやれ。


 9月  16日 No.1592

子どもは 好き嫌いを感じる速度が 異常に早いから 大人はなかなかついていけない!

 僕は、子どもたちの好きな絵本やアニメを見るのも好きだし、子どもたちが大嫌いと言うものを見るのも大好きである。子どもたちが、何が好きなのか、何が嫌いなのかを感じるのが好きなんだと思う。それを感じると 昔の自分、ガキのころの自分を、なんとなく取りもどせたような瞬間がある。そうすると、ちょっとだけ得したような気がする。その感じのまま 子どもたちに絵本を読ませてもらうと子どもたちの気持ちがひしひし伝わってくる。そのとき、子どもたちの気持ちが ほんとに わかるんだなぁこれが。わくわく ドキドキ!してる感じとか、今にも 絵本のマネして「僕も やってみたいなぁ」とか思っている子の気持ちとか、あの感じがたまらない。子どもは1ページめくるたびに ひかりの速度のように 感性を光らせる。あの感じが好きなんだょね 僕は・・・・・・ふふふ〜ん。にこっ(^O^)/


 9月  15日 No.1591

一つの心のこもった おにぎりが 心を奮わせる!

 子どもたちに絵本を読ませてもらった後に 給食の時間となった。僕は 職員室でコーヒーをよばれていた。そしたら 一人の男の子が職員室に入ってくるなり おにぎりを持ってきて 「これ、食べるとうめぇーべ」と言って渡してくれた。僕が「君のお母さんが、君のために作ってくれた大事なおにぎりやから 君が食べなぁ」といったら、「今日 おっさんがくるからって ママが 食べろって」「君のママが 会ったこともない俺に食べろってかぁ(笑)。ほなもらうわぁ」と言って 一口食べた。その子もおにぎりを袋から出して一緒に食べた。目が合った。そしたら「うめぇーべ?」と言った。「うめぇー、ほんまに うめぇー。なんじゃこのおにぎりわぁー」「なっ 言ったべ。うめぇーべって」
がははははぁー
いや、ほんとに うまかった。おにぎりの味の中に「この子と 一緒に食べてあげてください」という願いがこもっているような気がした。心のこもったおにぎりに 満腹☆


 9月  14日 No.1590

全身つかってころげまわって笑う子どもに悪い子はいない!

 ある保育園の子どもたちに絵本を読ませた。まず、僕が出ていっただけで みんなずっこけだした。「おまえら なに こけとんねん」と言うと また ずっこけた。それから「オーッス!」とあいさつしたら、飛びながらずっこけだした。僕も 飛んでずっこけてあげたら 「うわぁー すげぇー いま ほんとに とんだぁー」と いったあとに みんなずっこけた。みんな起き上がったところで 「おっさん 今日は みんなに 絵本読ませてもらいにきたんやけども・・・」と 言ってる最中にうしろむきにずっこけた。僕が がははははぁーと笑ったら がははははぁーと笑いながらずっこけた。「じゃあ 今日は ずっこけ大会にしょっかぁー?」と言ったら 「イヤだ イヤだ 」の大合唱をしながら みんなずっこけた。「よーし、ほな みんな ずっこけながら 聞いててぇー」と言ったあとに 絵本を1冊取り出して 読み始めたら ピタっと止まってみんなじーと見ていたのに 「おちぃーまい」と言ったら みんな またひっくり返りながら ずっこけたて大笑い(笑)。

ナイス聞き方である。
ありがとう。


 9月  13日 No.1589

子どもは 虫にも的確な優しさを見せる!

 幼稚園・保育園の子どもたちに絵本を読ませてもらっていると、学ばせてもらえることが多い。答えなんか知らなくても 元気に明るく生きている。そんな折り、砂場で遊んでいた子に目がいった。一目で、砂遊びが大好きなんだなぁと感じるオーラをはなっていた。しばらくして だんご虫を見つけたとたん 大好きな砂遊びをやめた。これ、大人なら 大好きなことをしている真っ最中に、気うつりして他に目がいったとしても、最後までやり通さなきゃとか、何かしらの理由をつけて、続けてしまうんじゃないかなぁ。ところが子どもは そんなことなんか全く気にしない。ただ、目をひくものに目がいき、平気でやめてしまえる。しかも ご機嫌さんのまま やめられる(笑)。すげぇーなと思う。そのだんご虫が 丸まってしまったので、ちっちゃい指でつまんで、片手で砂を丸めて 丸めた砂玉の上に丸まっただんご虫をのせ 「ベットだべ。ゆっくり休むんだべ」といって それを 砂場の上において 振動させないように 砂遊びをしだした。なんと ムクな優しさだろう。砂を掘っていて 起こしてしまった だんご虫に丸めたベットを作って もう一度 何事もなかったように砂遊びを続けるなんざぁー、職人気質の粋を感じさせる。やっぱ すごいな子どもは・・・〇


 9月  12日 No.1588

昔の人の言葉に`忍耐は実り 努力は咲く'という訓えがある!

 この訓えの作者は不明らしいが かなりの人徳者のような気がする。なかなか忍耐は実ると言われても 忍耐中はいつ実るのか わからないから 忍耐を途中でやめてしまう。僕は三日坊主のいいかげんときてるから なかなか忍耐しきって実らせることはないと思う。さらに努力も 努力中のあの辛さを想像しただけで 努力と言う単語 そのままを 僕が習っていない難しい漢字だろうな、と思って、つぼみのままにしている。別に 咲かなくていいやって思う(笑)。だから こんなのどうだろう。
“どんなときも朗らかであれば 実が成り
どんなときも明るければ 笑顔が咲く”

この訓えをのちに作者不明でいいから 伝わっていかないかなぁ。
未来の三日坊主くんたちも 僕のようにこれなら 実践してくれそうなのになぁ(笑)。


 9月  11日 No.1587

感動を与える人の言葉は 心に響く
親の言葉は 心に残る!

 言葉とは、ほんと不思議である。目に見えないのに、心を響かせたり 心に残ったり 心を討ったり 心を晴れさせたり 心を和らげたり 心を緩ませたり 心を突いたり 心を振わせたり と いろんな効果を生む。そんな言葉を研鑚し、研鑚した言葉を体から放って 人の心を響かせ、人を簡単に感動させてしまう人がいる。かと思えば、親やおじいちゃん おばあちゃんの言葉は 生活や人生にしっかり練られた言葉のせいだろうか 子どもの心にしっかり残る。何気ない一言が残る場合もあれば 何度も言われたときは分からなかったのに 心うちひしがれたときに ふっと 何度も言われた言葉が残っていることに気がついたりする。親の言葉はやっぱりすごいと思う。


 9月  10日 No.1586

我が子と我が子の友達を比較して、優劣を決める親に、おおらかな子 なし!

 親の中には 我が子と我が子の友達をいつも比較して 我が子の方が ここが優れている あそこが優れていると 我が子の優れている点を見つけては安心しようとする親がいる。また 我が子と我が子の友達を常に比較して、我が子の方がどう見ても、我が子の友達より劣ってしまう場合は、我が子の友達のどこかに、我が子より劣っている部分はないかというアラを探し始め、一ヵ所でも見つけたら、もう、すべてが「あの子もたいしたことない!」と言うあさはかな決めつけをする親もいる。
品の良い親なら 比較なんかする心を元々宿していないため 我が子と我が子の友達を比較なんかせず 我が子に接するように 我が子の友達にも 接しられたか 優しくしてあげられたか 満足させてあげられたか を 気にするもんょ。それが何より 我が子のためになり 我が子の友達との関係も良好にさせ、我が子は我が子の友達から「おまえの母ちゃん いいなぁ」と うらやましがられるぐらいの優しさを持って接する親の子に おおらかな子が多いのさ。逆に 比較ばかりしている親の子に おおらかな子が 育ったためしなし。
 9月  9日 No.1585

縁起をかつぐ人をけなすと、けなした人に縁倒れがおきるという言い伝えを信じる時代があった!

 昔、瀬戸内の小さな島にこんな言い伝えがあった。言い伝えの当て字に「良い伝え」とするほど縁起をかつぐ村がだった。村の中央に縁巌(ぶちいわ)と呼ばれる参軒石があった。まぁ、簡単に言うと3mを越える大きな石のこと。その石は村人から縁起の良い石とされ、毎月 しめ縄が新品に変えられるほど とても大事にされていた。あるとき、京で庄屋を営む商人が船に乗って 今の大分県別府に向かう途中 潮目を船頭が 読み違え岩で船底をこすってしまい 修理をするために その小さな島に寄った。商人は船の修理のあいだ 村の盛り場へ足を運んだ。そのとき縁巌を見て 「なんだこの石わぁ。こんなものを村の真ん中において、さすが田舎もんだ」といってバカにした。近くにいたおじいさんが 「これこれ そんなこと言われますな 旅のお方。この岩は 昔からこの村でとても大事にしてきた縁起岩じゃ。この岩の中には、縁起を良い方向へふってくださる 岩神様が宿ってなさりますのじゃ。だから けなすとちゃんと岩が聞いておってバチがあたりますぞ」といった。そしたら商人がこう言った。「はぁ?岩が聞くじゃとぉ?はん、岩になにができるぅ?岩にそろばんがはじけるか?できんだろう。ちなみに わしはこんな岩にたよらんでも 京の都で商いをしておって、客からはみんな、この店で買うと縁起がいいと皆に言われておるわぁ。おまえらも こんな岩に頼っとらんと ちーとは働け」といいながら、通りすぎながら「なんじゃこんな岩」とカコーンと下駄で岩を蹴って呑み屋に入っていった。夜おそくまで、商人はさんざん酒を飲んで ほろよい気分で船にもどろうとして岩の近くまできたとき また 下駄でカコーンと蹴った。そしたら縁巌がグラっとしたかと思ったら商人めがけて縁巌が倒れた。商人は縁巌に踏み倒された。この事件以後 村人たちは ますます縁巌や縁起をかつぐ人をけなさなくなった。この縁巌の言い伝えは、いつしか商人のあいだで

縁起 かつぎに円起(えんぎ)よし
縁起 けなしに円倒れ(縁倒れ)

と謡われ、日の国のすみずみまで伝わっていったそうな。ひょっとして今も まだ 効く言い伝えかも・・・・。


 9月  8日 No.1584

少しのぜいたくを どれだけ続けられるかに 人の精進の一部があるのさ!

 オープン記念で1週間に限り たまご丼が 250円! という立て看板に誘われ店に入った。僕は、だいたい1日1食の毎日を送っているが その日は なぜか無償にお腹が減っているにもかかわらず 夜中まで ご飯屋さんに食べに行く時間さえなかったため 大盛り1杯を注文する変わりに 250円だし、少しぜいたくをして並を2つ注文した(笑)。この少しのぜいたくで十分「幸せ」気分を満喫できた。安くて幸せ。2杯食べられて幸せ。おいしくて幸せ。お腹いっぱいになって幸せ。僕の注文を見ていた人が 次々にマネをして 2杯目を注文しだして みんながうまそうに食べてる雰囲気に変わって幸せ。少しのぜいたくで幸せがいっぱいあった。あとは 僕がこの先大金持ちになっても(笑) この少しのぜいたくで味わえる「幸せ」を続けられるかどうかである。精進精進。


 9月  7日 No.1583

メシがうまくて 子どもが笑顔になれば それでいい!

 都内のお好み焼き屋には もんじゃ焼き(関東独特のヘラで食べるとろとろのお好み焼き)がある。僕は にがて(笑)。でも それを「おいちぃー」を連発しながら食べる男の子をみた。ほんとに いい笑顔で 食べていた。「ママ ふぅふぅして さまして」と言って ママにさましてもらうと すぐ口に運び 「おいちぃー」と言う。ほんまに うまそうやった。となりの席で一人で食べていた僕の関西風ブタたまも おいちぃく食べれた(笑)。ママは その度に 「早く 食べなさい」とか「何度も 言わなくていいから 自分でさましなさい」とか言っていた。ママは わかっていない!。ママが 毎度毎度さましてくれたヤツを食べるから おいちぃーことを・・・・・・(^O^)/


 9月  6日 No.1582

たちどころに 大人のイタイところを見抜くことにおいて 子どもたちの右に出るものはない!

 子どもたちに絵本を読ませてもらっていると こちらのイタイところを必ず点かれる(笑)。例えば 僕の場合 読あそびをさせてもらう前にトイレに行きそびれたまま 子どもたちの前に立つと 子どもたちの中の一人が 「おちっこしたそう(^O^)」とか 例えば 読あそびしながら デイゲームの 阪神タイガースの試合経過がチラっと気になった瞬間 子どもが「あっ! 今 あきちゃん 他ごと考えてるぅ〜(^O^)」とか 例えば 読あそびが終わって心の中で「やれやれ」と思ったとたん 一人の女の子が「何とか終わって やれやれ なーんて思ってたらあかんょ。ウフ」など かなりの精度の高い「見抜き」を見せる。まるで 百戦錬磨の剣豪のようである。大人のみなさん 子どもたちの前で 心とウラハラなことをすれば するどい「見抜き」にあいますので ご注意ください。


 9月  5日 No.1581

子ども 子ども 子どもだらけの中に たった一人で入っていける大人を 子どもたちは待っている!

 僕は 一万人の子どもの中にでも 絵本とグローブとボールを持って入って行く。もちろん何もなくたって入って行く。大人の中には、100のアイテムを持っていっていいと言っても、たった一人で子どもたちの中に入っていけない人がいる。本能的な怖れが 肝を縮こめるためである。なぜ縮こまるかは 今回は言わない。逆に子どもが たった一人で 一万人の大人たちの中に入って行けるかを想定した場合はどうだろう。幼ければ 幼いほど 平気で入っていく数は増える。それほど 幼い子ども一人には パワーがあるのだ。そのパワーを 大人たちはよってたかって 「ダメ」と言う言葉で 押さえ付けようとする。いつの日か その「ダメ」という言葉に パワーがなくなれば 子どもはあっさり自分の意志を通すことだろう。子どもたちには、その言葉に合ったパワーを培ってから言わないと 大人は、いともたやすくパワー負けする。ほんとに 子どものつきないエネルギーの前では 大人の方が幼くみえる。


 9月  4日 No.1580

日々 自分が成長しているかは 自分ではわからず 日々 自分を成長させようとすることは 自分でもわかる。わかることを日々重ねれば 明日(みらい)において自ずとわかる!

 人を気にしている間は 自分が成長しているか いないか わかるはずもない。人から評価をウケて 自分の成長を図るなら 人から決められた通り生きれば良い。そうすれば あなたは偉いね と言われれば喜び あなたは才能ないょ と言われれば 落ち込んだり おこったり 認めなかったりできる。つまり 人の評価を気にして 自分が成長しているのか していないのかを 知ろうとすることは 自分で自分を成長させないようにする行為を知らずにしてしまうことになる。だが 今日から 自分は 自分を少しでも成長させたいと決めたことは 自分でも はっきり 今 わかるはず。それを 毎日 今日も何か一つ 自分を成長させたい と 思うことを続けるだけで 気がつけば 自分ができずにいた いろんなことが 自分で 出来ていることに はた と 気がつき 始めて自分で自分の成長した具体的箇所 特徴ある個所などを知ったり わかったりできるのである。


 9月  3日 No.1579

人はだれでも 子どものとき 子ども同士簡単に共鳴共感することができるが、大人になったとき簡単とはいかないみたいだねぇ!

 河川敷に設けられた緑地公園や、さまざまな公園には、土日となるといろんな地区や県から家族が我が子を遊ばせにやってくる。それらの公園には必ずすべり台がおいてあり、そのすべり台には、子どもが順番を待つ姿を見れる。そうすると、いつの間にかよその地区の子ども同士共鳴しながら 一緒にすべり台で遊んだり すべり台から別のものに移って遊んで共感している。親は、と言うと てんでバラバラにその姿を見ているだけである。僕なら 「こっちで 一緒にバーベキュー食べながら 大人は大人同士 楽しいやりまへんか?」と声をかける。だが、なかなか 声をかける親同士はいない。彼らも子どものころは簡単に よその地区だろうが子ども同士すぐ共鳴共感できる感受性があっただろうに どこになくしちまったのかなぁその感受性。
ちょっとでもその感受性が残っていたら、子どもがふっとすべり台の上からパパママを見たとき パパママもよその地区のパパママたちと楽しそうにしゃべってるなぁと我が子に共鳴共感させてあげられるのになぁ。


 9月  2日 No.1578

最高と言われるものは高いけど 見たり聞いたりすると 体を良質にしてくれる!

 最高の物は高い。ブランド物の世界しかり、クラッシック音楽しかり、古典芸能しかり、世界のホテルしかり、世界の食事しかり、絵画の世界、陶器の世界、着物の世界、宝石の世界、車の世界、ちょっと変わって ボクシングのリングサイドや、相撲の土俵近くなんかべらぼうに高い。だが、運良く、最高の世界のどれか一つを 味わえると 体に 最高の感動が通過したり 最高の優雅さが通過したり 最高の味覚が通過したり 最高の音色が通過したり 最高の試合が満喫できたり 最高の世界に身をおくと 体を良質にしてもらえたような 洗練されたような感じがする。僕が目指す 読あそびは まさにこの感じを常に 伝えられるようにすることである。険しいだろうなぁ。でも、読あそびの最高 目指してがんべ(^O^)


 9月  1日 No.1577

大人のちょっとした都合で たくさん子どもたちに迷惑をかけている!

 移動で地下鉄に乗っていたら 列車通学の小学生2人と たまたま同じ駅で下車すると 小学生は階段を2段飛ばしでかけ上がっていく。めちゃ早い。上からサラリーマン3人が横一列に広がって降りてくる。それを一瞬見た小学生は、壁とのわずかなすき間を かがむようにしてすりぬけると そのままかけあがっていった。僕は エスカレーターをかけ上がりながら その様子を見ていた。別の線に乗りかえようと思って 階段にさしかかったら 小学生2人がものすごい勢いでかけ降りていく。眼下に おばさん4人が横一列に階段を降りていた。そこを小学生2人は、なれているのか、すごい勢いのまま おばさんとおばさんのわずかなすき間をぬけ 列車に乗っていった。僕がホームまで降りてきたとき 出発した列車の後方が流れていった。僕は間に合わなかった(笑)。
ふと、さっきのおばさん4人の声が聞こえてきた
「かけこみ乗車はダメなのに! ほんとに あぶないわねぇ あの子たちは。どこの小学生かしら」
「生服じゃなかったから どうせ このへんの公立校じゃない?」
「あんな乗り方してたら いつか大けがするわね」
「まぁ、いいじゃない コケて分かった方がいいのょ。 あんたが心配することじゃないでしょ」
など むかつく話をべらべらしゃべっていた。
自分たちが 階段いっぱいに広がって降りていて うしろの人の道をふさいでいることは わるびにも思わず、小学生をダメよばわりして盛り上がる。 その神経を疑うよ ほんまに。
あの小学生たちは 横いっぱいに広がって 楽しそうにおしゃべりしているおばさんたちの会話をさまたげないよう 且つ 自分たちが列車に乗り遅れないように かけ降りただけなのに。
子どもたちは 大人の都合からくるたくさんの迷惑を 文句も言わずすりぬけているんだろうな。。