ブックドクター・あきひろのイチニチイチゴン
一日一言 〜千夜一燈 ver.〜

諺「長者の万燈より貧者の一燈」

貧しい人のわずかな志は誠意のこもっている点で、たくさんの志よりもまさっている。
形式よりまごごろの尊さをいう。
                       一日一言 〜千夜一燈 ver.〜 

諺「長者の万燈より貧者の一燈」

貧しい人のわずかな志は誠意のこもっている点で、たくさんの志よりもまさっている。
形式よりまごごろの尊さをいう。

 
 2月 28日 No.1392

なかなかないねぇって話を、みんな、結構、もってるのに何で話さねぇの?それをいろんな人に話せば、なかなかイイことになるってことが「ある」のになぁ(笑)

 なかなかない話を出しあおうぜって言うと、なかなかでないかもしれないが、普段の話の中で「この前さぁ、こんなことがあってさぁ・・・」とか、「この前ねぇ、こんな話を聞いたのょ。どんな話かって言うとね・・・」みたいな話なら、一つや二つみんなもってるでしょ。それを話せばいいの。聞き終わると、「そんな話、なかなかないよ」と思ったり、「イイ話じゃん。でも、めったにないよ、そんな話わぁ」とかになって、結果、なかなかない話になってるわけ。馴れてくれば、なかなかない話なんだけどさぁって言いながら、話てあげればいい。そうするとさぁ、その場にいるみんなが、「俺もさぁ」とか「わたしが聞いた話はねぇ」とか、なかなかない話がバンバン出て、帰ってふと気がつくと、今日は、なかなかないイイ日だったなぁと思えることが「ある」わけ(笑)。話してあげてほしいな、なかなかない話を・・・(^O^)。


 2月 27日 No.1391

ストレートに言わなきゃならない人に、遠回しに言うから、通じないんだよねぇ・・・!

 話上手と言われる人は、ただ話が上手いだけではない。ちゃんと、相手をみて、自分が今から話そうとしている内容が、通じる相手か、通じない相手かを判断している。もちろん、表情や空気をみたり、わざわざ難しい話にしたり、簡単な話にしたり、熱い話にしたり、正直に話したり、素直に話たり、体を使って話たり、力を抜いたり入れたりして話たり、デフォルメして話たり、ストレートに話たり、遠回しに話たり、射すような話にしたり、イタイ話にしたり、あったかい話にしたり、わかりやすい話にしたり、以下八十八手は省略するが、とにかくいくつにも分けて話することも、足して話することも、すべて組み合わせることも、消したり飛ばして話することが自由自在に話ができるわけ。さらに、どっからでも笑い話にできると言う人や、味のある話にこだわる人もいる。で、普通の人が、日常、普通に話す場合、ストレートに話た方がいいシチュエーションばかりなのに、それは初対面でも同じことだが、この場合、この国は個人より、常識を気にするため、常にその時代に応じた常識がじゃまをする。だから、この国の民は遠慮がちに、遠回しに遠回しに言って、相手に分かってもらおうとする言い方を編み出してきた。逆に言えば、相手の察してもらう力に働きかける言い方を編み出したのである。どんな人にも、こういう言い方をしておけば、まず、自分も傷つかないし、相手もストレートに言われるよりは辛くないだろう的言い方なのである。別に悪いといっているわけではない。でも、これは、今の時代では、察してくれる民が少なくなってきているので、通じない場合が多くなってきたよ、と言いたいのである。これからは、夫婦でも、親子でも、職場や近所などで、相手にちゃんと通じる言い方を、日本人が、日本人らしく、編み出していくのかもしれない。皮肉や嫌味は結構、海外のジョークより上手いのになぁ(笑)。


 2月 26日 No.1390

動物の子どもは何千年と、3年も立てば一人立ち。これからの人間の子どもは30年で一人立ちってかぁ!

 地球の歴史からすれば、人間が一番末っ子の動物じゃんって感じだろう。末っ子だからか、まだまだ進化の途中だからか、一人立ちするのに、時間がかかる。このままいけば、ひょっとすると、人間の子どもは一人立ちするのに30年かかるかもしれない。体は成人でも、心は親に依存し、その親でさえ、我が子に依存したり、親にあたるおじいちゃんおばあちゃんに依存し、おじいちゃんおばあちゃんは子どもや孫に依存する。そうやって一族単位づつ、一団体立ちを成すかもしれない(笑)。一人立ちするためには、人間を含むすべての動物が、小さいころの「遊び」を通して、いろんな芽を伸ばす成長過程がある。ところが先進国において、のちのち一人で生きてゆくための重要な「遊び」の期間が奪われようとしている。動物の中で、人間の子どもだけは、その遊びを奪われそうだから、なかなか一人立ちできなくなってゆくのかもしれない。


 2月 25日 No.1389

大人同士でも、イライラされながら話されるとイライラがうつるんだもん、子どもならもっとうつるさぁ!

 「あぁーもう、イライラするわねぇ。早くしなさい」って、駅の改札口でお母さんが5才ぐらいの男の子に怒鳴っているのを横目に、改札を出た。「さっき渡したキップどうしたの?ちゃんと、キップ持ったぁ?ってママが聞いたら、しょうちゃん、持ったっていったよねぇ?そのとき、ポケットのどこにいれたのぉ?早く、それを思い出しなさい!。もぅーっ、こんなところで、ママをイライラさせないで!!。早くしてょ、もぅーっ!。キップを早く探しなさぁーいッ!」と、改札口をふさいでしまっていることにも気付かず、早口でカン高い声が響きわたっている。男の子は一生懸命探しているのに「あぁーもぅッ!イライラするぅ!」というセリフを次から次へ浴びせられ、とうとううわぁ〜んと泣いてしまった。そして、泣きながらこういった「ママの・・・うぇーん、イライラがうつったから、もう、みつからないょ〜〜ん・うぇーん」と。僕は「よくぞいった、そのとおり」と思った。そして、その子の一言で、僕にも、そのママのイライラがうつりかけていたのだが、すーっと消してもらった。


 2月 24日 No.1388

学校のトイレで、大きい方をしないようにすること、今だに続いてるんだね!

 小学生4人が、プレステ2の対戦用のゲームを、僕のとなりのベンチにすわりながらしていた。そして、ゲームをしながら、この4人が「学校で大きい方がしたくなったらどうする?」ってテーマの話をしだした。一人は「信じらんねぇ」を連発しながら「おれは、しねぇもん」といい、もう一人は「学校でウンチするって、かなり勇気いることじゃねぇ?」といい、もう一人は「みんなのイジメの的じゃんょ。それって」といい、最後の一人は「学校のトイレは、つまりオシッコするとこしかねぇってことなんじゃねぇ」といったら、みんな「うん」と いった。僕は、それを聞いていて、こんな世になっても今だに、学校でウンチすることができない伝統が続いているんだと思った。そこで、その4人に声をかけて聞いてみた。「もしさぁ、学校でウンチしてもイジメられたり、ミッキーとか言われないとしたらするぅ?」「そりゃ、したいときにするけど、そんなこと絶対ないょ」とこたえてくれた。イジメ問題で、学校に怒鳴りこむ大人が増えたけど、これからは長い間日本中の学校の伝統になっているイジメにつながる元を指摘するような怒鳴りこみをしてほしいものだ。「子どもたちが安心して学校でウンチができるようにしろぉ」と(笑)。


 2月 23日 No.1387

あわててるときに、子どもたちの一言で、余裕をもらえたりするんだねぇ!

 急を要する用事で、都内を我が愛車トゥデイで走っていた。でも、あちこちで年度末の道路工事をしていて、どの道も大渋滞だった。1kmも手前から2車線が片側通行に寄せられ、道路工事を本当にしているスペースは、わずか3mの個所だったりすると頭にくる。何とか工事渋滞を通過したと思ったら、宅配トラックが左車線いっぱいに停車していて、また、渋滞。前の車に、「入れたれよ」と毒づきながら、そこも何とか通過し、さぁ、あとは一直線と思いきや、400mぐらい前方に小学生たちが信号のない横断歩道で、手を上げてたっているのが見えた。誰も止まる気配がない。止まってあげるか、そのまま車の流れに乗ってさきを急ぐか、えーい、でも、やっぱり止まったろと思って止まってあげた。そしたら、20名ぐらいの小学生が口々に「ありがとう」っていいながら、渡っていった。止まってあげて本当によかったと思った。おかげで、晴れ晴れとした余裕をもらえたような気がした。そして、ちゃんと間にあった。ルンルン。


 2月 22日 No.1386

子どもがうちの中で、絶対イヤなことを、親は知らない!

 お父さんからカミナリを落とされることより、お母さんに怒られるより、親に約束をやぶられることより、もっとイヤなものを、今の親御さんは知っているだろうか。それは夫婦ゲンカである。うちの中で、お父さんとお母さんが大声でケンカする。子どもは、その大声におびえ、ただ早く終わることだけを願う。仲がいいときの両親の姿が頭に浮かぶ。でもなかなか終らない。子どもにとって唯一の安全地帯のうちの中が、この世で一番イヤな空間になる。そのため耳に手をあてたり、テレビのボリュームをあげて、少しでも親のケンカのセリフを聞かないようにする。そうすることで、無意識に自分の心がハレツしないようにしようとする。なんとけなげなことだろう。しまいには、寝て現実から逃れようとする。そしで、朝、仲直りしてくれていることを祈りながらトイレにいき、用をたしながら様子を伺う。もし、このとき、お父さんとお母さんがまだケンカしていたら、この子にとって、地獄の一日のように、長い長い一日となるだろう。世のお父さん、お母さん、ケンカをするなとはいいませんが、もし、しても、犬も喰わないケンカなので、子どもが起きてくるまでには、必ずケンカを終えておいて上げてください。決して、次の日まで持ち越すようなことはないように、肝に命じておいてください。でないと、家族に何らかのバチがあたるかもしれません。


 2月 21日 No.1385

これからも、よろしく!っていえる関係ってなんかいいねぇ!

 人と深くつき合うことに、おびえてしまった大人たち、キズつくことが怖くて、適度のキョリをおいてしか、人とつき合えない大人たちが、多くなってしまった。そんな今、道すがらに「これからも、よろしく!」「こちらこそ」ってやりとりを小耳に挟むと、お互いがこの人と長く付き合っていこうとする雰囲気が感じられ、こっちまで、ほのぼのする。できれば、深い関係になるまでつづいてほしいなぁと思う。こんな希薄な世の中で、少しでも人と深く関わろうとする大人が増えるためには「これからも、よろしく!」って言える人との出会いがたくさん増えてほしいとも思う。そんな大人たちの人間関係が、増えれば増えるだけ、子どもたちに「俺も、早く大人になって、あんな人間関係を築いていきたいなぁ」なぁーんて思ってもらえると思う。うん、これ、いいねぇ。


 2月 20日 No.1384

自分の子が指摘されることがないように、といって、親が手をくだしてどうすんのょ!

 今の親御さんたちは「うちの子が悪いと思われちゃいけない」という思いが、生活面の心の基準になっているように思う。子どもが何かを忘れ、それを担任の先生から、連絡帖で指摘されると「これからは忘れものをさせちゃいけない」とお母さんが思い、次の日の準備をお母さんが全部してしまうなんて、なんかポイントがずれている。それでもお母さんは、息子のために段取りする。そして「明日は国語があるから、あんたの机から今、教科書を持ってきて」と、テレビを見ている最中の我が子に言っても、息子は「あとで」といって、なかなか取りに行かない。そのタイミングでは取りにいくわけないのに。でも、今のお母さんは、そこで怒鳴りながら、テレビを見ている息子にこういう。「あんたが自分でしなきゃいけないことを、お母さんが用意してあげてるんだから、今取りにいきなさい」と。それでも取りにいかない様子に「もうーっ」と腹を立て、結果、お母さんが、すべての準備を、ランドセルにつめる。これじゃ我が子が忘れものをしなくなるはずないよね。わかっているけど、私がした方が早いと思っているお母さんは、どうか、これからも、いろんなことを、手をぬかず準備してあげてください。そういう子がどんな大人になるか、見させていただきます(笑)。


 2月 19日 No.1383

竹は幼いころ良くしなり、成竹になるとしなりは幅をせばめるが、強風にたえる良い根を持っている!

 近所のおばちゃんから、はっさくと幼竹の竹の子をもらった。この時期に食べる竹の子は焼いて食べるとシャキシャキしてめちゃくちゃうまい。昔、おやじと近所の山に入ったとき、釣り竿には、3才ぐらいの幼竹が、良くしなっていいのさ、と聞いた。対して成竹は、竹林をつくり、下の家々を強風から守るぐらい、良い根を張り巡らしているのさ、と言っていた。人生もそうありたい。大人は頭が堅くなって、いや、固くか、硬くなって、ますます生き方が難(かた)くなるが、その分、人生の根をしっかり張り巡らしたいものだ。僕はできれば、成竹なのに幼竹のように良くしなり、良い根を張り巡らしたいのだが、どうも、悪い根ばかり張り巡らし、悪ふざけは良くしなるみたい(笑)。がははは。


 2月 18日 No.1382

待つことができないと、ほんとにあとが大変!

 待つことができない人間は、ほんとに「待つこと」が嫌いだったり、苦手だったりする。あとちょっと待っていれば、あのいい話がきけたのに、あわてて出るから忘れものをしてしまうし、待てなかったために大切なものを失ったり、待っていれば良かったものを待てなかったから、もらいが少なかったり、損をしたりする。昔から「あわてる乞食はもらいが少ない」と言われるが、とにかく待つことができない僕は、身にしみて、まったくその通りだと思う。だって、待つことができないから、あとが大変だもん(笑)。日常において二度手間なんかしょっ中だし、あわてたために大損することなんか朝召し前のど貧乏でさぁ(笑)。でもさぁ、急ぎの用事のときは、誰よりも先に、なぜか駆け付けられたり、本が早く読めるようになっていたり、イヤな予感が働く能力が発達したのか、結果、よくこんな程度ですんだものだ、となることが多かったり、まぁ、待つことができなくてもイイ事はあるんだけど、圧倒的に、待つことができたらなぁと思うことが多いのも事実。待つことができるみなさんがうらやましい。


 2月 17日 No.1381

無くしたものが見つかるって、その物だけじゃないものまで見つかるからうれしいね!

 かばんを整理していたら、いつだったかおやじと釣りに出かけたときにもらったキーホルダーが出てきた。このキーホルダーは、あのとき、おやじが夢を語りながら僕にくれたやつだと思いだした。どこかに無くしてしまったと思っていたので、見つかってめちゃくちゃうれしかった。釣り場から少し離れた草原で、おやじがゴザを敷いて、夕食の準備を始め、釣った魚を手際良くさばき、あつあつのハンゴめしを皿に盛り、天然もんのさしみを腹いっぱい食いながら、夢を語っていた。「うめぇー」を連発しながら、おやじが夢を語り終えたとき、僕に記念にやるといってくれたキーホルダーだった。そのキーホルダーを見たとき、あのときのさしみの味と「おやじの夢」を思い出した。「おやじの夢」は、おいしい夢だったよなぁ(笑)。今日の晩ご飯は、それを思い出しながら食うから、きっと「めちゃくちゃうめぇ」にちがいねぇな。


 2月 16日 No.1380

態度が悪くても、人間が悪いとは限らないし、態度が良くても、人間は良いとは限らない!

 あの子どもは態度が悪い、あの子の親はもっと態度が悪い。でも、あの子の親は、子どもの友達からしょっ中「おじちゃん、今日は、何して遊んでくれるの?」と声をかけられるほど、子どもに好かれている。人間が悪い人を、子どもたちが楽しい遊びに誘うはずはない。清楚な身なり、姿勢のりりしさ、その態度の良さは、みなが見習ってもいいほどの人が颯爽と車に乗る。駐車場から出るとき、タイヤをきしませながらさっていき、みんなの姿が見えなくなると、すぐの信号は黄色から赤に変わるぐらいなら、アクセルを踏み込み、ちょっと遅い車の後ろにつけばクラクションを間髪入れずに鳴らしながらあおり、横断歩道のないところで、車が止まってくれないかと手を上げている小学生にも目もくれず、水溜まりの水をはね、自分の家の駐車場は広いのに、道にはみだすように急停車。人前の態度は良いんだけど、人間は最低のヤツ。いるんだょなぁこういうの。年々増えているように感じるのは僕だけでしょうか?


 2月 15日 No.1379

我が子がなにかをやりとげた姿に感動できたなら、親としてそれは幸せなことの一つ!

 子どもがパズルをきれにはめこみ、最後までやりとげた。スイミングで泳ぎきって級を一つあげることができた。きらいな食べものを、誰に言われたのか、食べきることができた。いつも、シャンプーハットがないと頭を洗えなかった子が、シャンプーハットなしで一人で洗えた。いつも一人になると泣いていた子が、たった一人で3時間もの間、泣くこともなく留守番してくれた。我が子がなにかをやりとげたとき、その子もとても自信がつくだろうが、その姿は、親として感動してしまうことだろう。この感動を我が子からもらえるなんて、こんな幸せなことはないと思う。家族の幸せは、いろんなことで感じられるだろうが、これも親子の幸せの一つとしてあげられる。あまいと言われようが、我が子が、がんばった姿は、親として幸せなんだからしょうがない(笑)。


 2月 14日 No.1378

子どものおもしろさを勉強するなら、子どもがゲラゲラ笑っているもんをすべて身をもって体験するしかないと思う!

 僕は、子どものおもしろさは、わざわざ勉強するもんじゃないと思っている。だっていくら勉強しても、その人は頭でわかっただけで、子どものように体や心の底からわかっているとは、とても思えないから。つまり、大人が子どものおもしろさを勉強することは、子どもの行動を分析し、理由づけをすることが多い。そんなことは子どもがなぜおもしろいと思ったことのこたえにはならない。子どもと同じ感覚を取り戻すことに主眼がおかれたこたえなら別だけど・・・。子どもと同じことを体験しても、大人の感性ではおもしろいと感じらない。もし、感じられたとしても、それでいい、というこたえでは勉強したことにならないことになって、別にこたえがさもあるようになり、どんどんつまらない方向へいく。結論を言えば、子どものおもしろさを大人が解ろうとして勉強するな、ということである。むしろ、子どもをほっといてあげるにはどうすればいいかを大人が勉強する方がおもしろいと思うし、大人同士もおもしろく勉強しつづけられると思う。子どもは、おもしろいと思うものに理由がないことが、おもしろいと感じているし、理由なしにおもしろいものをおもしろがるので、わざわざ、勉強しても、意味がないのである。例えば、つみ木をつんでいる子がドンドンつんでいって、かってに倒れてガチャーーンって音がしたあと、ゲラゲラ笑ったとする。その子は何度もくりかえし、何度も最後に笑う。その子は音がおもしろいのか、そのつみ木が倒れるのがおもしろいのか、繰り返し自分がつんでは倒れ、音がするまでのサイクルがおもしろいのか、ゲラゲラ笑えてくる元はなんなのか、その子でさえわからないし、説明なんかできない。なんでゲラゲラ笑えるのか、その子の体の中に入れたとしてもわからない。それでも、子どものおもしろさを勉強したい人は、自分もつみ木をつんでいって倒れて、ゲラゲラ笑えるまでやって、それを何度もやって、その体験を感想文やレポートにまとめれば勉強したつもりになれるんじゃないかなぁ。やりたい人はぜひやってみてください(笑)。


 2月 13日 No.1377

まだ子どもだょ、知らないことだらけだから、そう怒らずに!

 子どもをかかえている親御さんは、ついつい、まだ何も知らない子どもだということを忘れて怒ってしまう。理想としては、二十歳まで怒らずにいたいものが、それはお手伝いさんつきの家庭に生まれ、専属の教育係についてもらったとしても難しいことだろう。ではどうするかだが、怒ってしまったあとに、なぜ、今、カッとなって怒ってしまったのか、理由を言ってあげて、それから諭してあげることなら、やってやれないことはないと思う。最近の僕は、電車の中、講演先、コンビニ、サービスエリア、道ばたなどで、お母さんが我が子を怒りまくって、まわりの人たちまで、ひいてしまうようなシーンに、よく出くわす。運が悪いんだと思うが、そのたびに胸のあたりが、きゅうくつになる感じがするのです。お母さん、怒るなとはいいませんが、もう少しだけ、せめて、人が大勢いるときだけでも、我が子を怒らずにいてあげられないものでしょうか?子どもはまだまだ、知らないことだらけなのですから。


 2月 12日 No.1376

夜中に怖い夢を見て目を覚ます。大人も子どもも同じと思っちゃダメだょ!

 大人が怖い夢を見て飛び起きたときの恐怖度が100とすると、子どもが見たときは10000と思ってあげてほしい。この割合は大人の感性と感受性を足して100なのに対し、子どもは感性100と感受性100を掛け合わせてもいいほどなので大人の100倍は怖がっていると思ってあげてほしいからである。だから、夜中に子どもが怖い夢を見て泣きだしたら、自分たち大人と同じ、あの怖さだから、ちょっとあやしてあげれば泣きやむだろうと思って、あやしていると、なかなか泣きやまず、しまいにあやしてあげることを忘れ、「いいかげんにしなさい」と声をあらげたり、「いつまで泣いてんの、まったくもう、お母さん、明日、朝、早いんだからねっ!」と、夜中に大声で怒ってしまいかねない。子どもは、怖い夢なんか見たくないのに見てしまったわけだから、昼間、子どもが起きてるときに原因がある失敗をしたときに怒る調子で、そんなとき怒られだんじゃ、たまったもんじゃないから泣きやむはずないょ。そんなときは、抱き締めて、「もう、怖い夢をみなくてすむように、お母さんが朝まで抱いててあげるから、安心して目を閉じて、○○ちゃんの大好きなことだけ思い浮かべてね」ってささやいてあげてほしい。誰だって、怖い夢なんか見たくないんだから、そこんとこよろしくお願いしますょ。


 2月 11日 No.1375

真面目に生きることは訓練がいること。訓練しつづけてないと、すぐ不真面目になる!

 真面目に生きるためには、何が真面目で、何をすれば不真面目なのか、○か●かを判断するアンテナを立てていないといけなくなる。どんなに楽しそうに見えても、それが●なら誘惑に打ち勝ち○を選択し、どんなにつまらないものでも、それが○ならOKで、真面目に生きるためには、常に○を選択しつづければ、それはそれは大変なことだけど、常識や世相、人目など、どんな角度から責められても堂々としていられる強さがある。でも、一度でも●を選択したなら、不真面目になるという弱さがある。そんなの僕には、とてもムリだなぁ。だって3才のときには、もうすでに真面目に生きる道からはずれ、今となっては筋金入りの不真面目街道まっしぐらである(笑)。だって●には、楽しいことだらけだから(笑)。なぜ、真面目街道からはずれたのかというと、僕のアンテナの種類が、面白いか面白くないかの判断を優先するアンテナだったため、常にドキドキワクワクわ〜い(^O^)となる方を、真っ直ぐ選択しつづけてきたからだろう。どうも僕においては、真面目に生きる道と、真っ直ぐ生きる道は、天と地ほどの差があるようだ。だから、これからは、自分の気持ちに真っ直ぐ生きていくことに、真面目になる!?しかないかぁ(笑)。


 2月 10日 No.1374

子どもたちに乗せられて、調子に乗る大人が増えてほしいなぁ!

 先日、栃木の好意にしてもらってる保育園に呼んでいただき、読あそびさせてもらった。その際、012歳児に絵本を読ませてもらっておだてられ、調子に乗り、最強年長児に絵本を読ませてもらい、さらにおだてられ、完璧に調子に乗り、41ちゃいにして今だ、おちつき知らずのお調子者となってしまった、僕。「おっさん、それでもおとなぁ?」と言われるしまつ(笑)。ありがたいことにアンコールを受け、あろうことかオンチの僕が歌までうたってしまった。もちろん、僕は何を歌おうが、ど演歌調応援歌風になってしまうので、子どもたちに悪影響を及ぼしたにちがいない。でもさ、世の中に一人ぐらい、いや、多分、うちの相方を含め二人ぐらい、子どもに乗せられて喜ぶ大人がいても、許してほしいと思う。願わくば、もっと子どもに乗せられ調子に乗る大人がたくさん増えてほしいものだ。


 2月 9日 No.1373

難しいことに出会ったときの大人は、さまざまな様相をみせるけど、子どもはとても簡単にさばく!

 大人は、難しい問題に直面すると、早急に解決しないともっと大変なことになるじゃないかとか、なんかいい方法がないだろうかとか、人にこれ以上迷惑をかけずにどうすれば、この問題を、うまくきりぬけられるだろう?とか、自分は間違っていないのにどうしてこうなったのだろう?とか、いろんな思いがからまって、それぞれの問題において、それぞれの悩み苦しみあがきがあり、早く解決しようとさまざまな様相をみせる。こたえがなかなかでないと、堪え切れず最悪の問題解決策として、悲しいことに殺人を犯す人や自らの命を絶つ人さえいる。
 でも、子どもたちは違う。難しい問題だと感じると、ある方法をつかってさばく。ほとんどの子どもたちが、例外なく、誰に教わることもなしに、いとも簡単に、その方法をつかってやりすごす。その方法とは「止まらずに飛ばす」のである(笑)。次の問題に飛ばし、解ることからさばき、次から次へ飛ばして解決してくうちに、難しい問題だったことも、いつの間にか難しいくない問題にしてしまい、軽くさばいてしまうのである。恐ろしや子どもの隠れた能力である。つまり、難しい問題を水溜まりにたとえると、大人は水溜まりの前で一旦立ち止まってしまうのだが、子どもたちは一旦飛び越して、あちこち用事を済まし歩き回っているうちに、水溜まりが小さくなっていたり、乾いていたりして、もう飛び越さなくても歩幅で十分またげるようにしてしまうのである。それが一番早い解決策だと知っているかのように・・・。


 2月 8日 No.1372

大人では、なかなかできないことを、子どもたちはいとも簡単にやってのける!

 大人は、子どもより優位にたてる世界から、ものを言ったり、ルールを作ってカゴをつくる。いつの世も、これは繰り返される。でも、子どもたちも、いつの世も、繰り返しているものがある。親のいうことを聞かなかったり、先生にさからったり、ルールを守らなかったり、真っ直ぐに思ったことが言えたり、駆け引きしないですむ友達がいたり、お金のかからない遊びに夢中になれたり、人目を気にせずおおはしゃぎできたり、食べたいものを食べて寝たいときに寝て、計画なんかおかまいなしで、欲がなんだかわからなくて、誰にも気をつかわなくても良くて、わがまま言いたい放題で、それで、いつも目が澄んでいる。これだけでも、いつの世の大人たちは、やってらんねぇなと思うことだろう。僕もその一人だけど、子どもには、これからも、大人ができなくなってしまったことをドンドンやりつづけて、あのイキイキした目のままでいてほしいとも思う。


 2月 7日 No.1371

占いは、信じるものでもないし、頼るものでもないょ。当たるか当たらないか見るもんだょ!

 地下街を歩いていたら、ある区間だけ、占い師を集めた店ばかりになった。どの店も女性たちが、はみ出すように並んでいて、大盛況って感じ。かと思えば出口からは、何を言われたのか泣いて出てくる人さえいる。僕は、この様を見て、ほんとに今は占いブームなんだなぁと思った。占いは、当たるも八卦当たらぬも八卦というぐらいにしか思ってない僕としては、なぜそこまで深刻さをかもし出せるのか不思議でしょうがない。中には信じきっている人や、頼りきっている人がいて、その表情が病的な感じを受ける。占いを信じることは解らないでもないが、占い師の言うことどうりにすれば、すべて人生が上手く運ぶと信じたり、未来は誰にもわからないからといって占い師を頼りにしなくてもいいと思う。占いは、良いことだけ覚えておいて、それが「当たるかなぁ、当たらないかなぁ、当たればいいなぁ、どんな結果が出るか楽しみだなぁ」と見るもんなんですねぇ、これが!


 2月 6日 No.1370

よきより、よきこと、よきなり!

 いい言葉だねぇ。漢字で書くと、「好きより良きこと善きなり」となる。僕の好きな言葉の一つ。解釈としては、嫌いなことと好きなことがあれば、まず好きなことより始めれば、自分でも気付かない良きことがたくさんあり、そのうち自分にも人様にも、さらに良きことが広がり、自然と善き行いができるようになっていくものよ、といったもの。そうだよね。嫌いなことでも、仕事なら食うために、がまんしてやらなきゃならないってことはあると思うけど、どうせがまんするなら、好きなことをするにしたって、がまんはつきものだもんね。そのがまんだって好きなことから始めてるんだから、グチや悪口は出ようもないよね。そこらへんが自分でも気付かない良きことになってるのかもしれない。そういうことを続けていれば、自然と善行が身につくってんだから、そんなありがたいことはないよね。ただ僕の場合、好きから始めるのはガキのころから得意中の得意なんだけど、良きに変わるまでに、「勝手」という字が入って、好き勝手になるから、なかなか良きにならないのさ(笑)。


 2月 5日 No.1369

受かるために祈願したなら、結果が出次第、お礼参りは行こう。それが礼拝の礼儀!

 受験シーズン真っ盛り。私立中学受験、高校受験、大学受験で、列車の中や、24時間営業のファミレスや、神社は学生だらけ。合格祈願の札には、「どうか受かりますように」の祝詞が目立つ。みんな一緒のことば。「自分はどうなってもかまいませんので、みんなが希望する学校に受かりますように」なぁ〜んて書いてある祝詞にはめったにお目にかかれない。それでもし、祈願が叶い、希望どおり受かったとして、多くの合格者は、お礼参りにはいかないだろう。合格しても行かないのに、もし受からなければ、絶対といっていいほどお礼参りにはいかない。そんな祈願はないの。祈願すれば、その結果がどんな結果であろうと報告しに、お礼参りにいくの。それが神だのみの礼儀。でも、そんなことは、今の合格祈願をする学生は、知らないので一方通行の礼拝をし、その勢いだけは我先に、神社にお祈りしにいくの。もし、そこで祈願すれば必ず受かると言われる幻の神社があって、その場所は地球の裏側だとすると、受かるためには、人を蹴散らしてでもそこまで我先に出かけ、いくらでも神だのみする勢いは感じられる。だが、受かる受からないにかかわらず、自分の人生をバラ色に変えてやろうとする勢いは、全く感じられない。不思議だね。


 2月 4日 No.1368

冬は寒いと昔から決まってるんだ、ちくしょめぇ!

 タバコ屋さんで、タバコを買って、お金をおじさんに渡そうとしたとき、「ハックション、ちくしょめぇ」とおじさんがくしゃみをしたので、僕が笑いながら「今日は寒いから、そりゃ、くしゃみもでますよね」っていったら、「ここんとこ、あったけぇーからよぉ、おめぇ、今日もあったけぇと思ったらおめぇ、寒いでやんの。昔から、冬は寒いと決まってるって言うのによぉ、ちくしょめぇ(笑)。はい、おつり」といった。僕はおつりをうけとりながら「おじさんの、その、ちくしょめぇは、江戸っ子風で気にいりました」といったら、「あぁ、これはよぉ、おめぇ、ここいらで育ったヤツはよぉ、小さいころから、みんな言っちまうんだょ」と言った。なんともまぁ、小気味の良いおじさんだった。冬は寒いと決まってる。そのとおりだ。冬が寒いと決まってるから、鍋がうまいんじゃねぇかぁ。暑いんだか、寒いんだか解らねぇときに鍋なんか食ったって、うまくもなんともねぇってんだぃ、ちくしょめぇ(笑)。今日は、寒いから、鍋と行きたいけど、105円の鍋やきうどんが精一杯だっつぅーんだ、ちくしょめぇ。これがけっこううめぇーんだっつぅーの、ちくしょめぇ(^O^)


 2月 3日 No.1367

トラブルとハプニングは突然やってくるから防ぎようがないため、適応力と対応力の量がものを言う!

 トラブルの原因は、適格に指示を出していても起こるし、相手の感情的なものでも起こるし、流れが悪いもの同士が交じっても起こるため、起きたときの本人の適応力の量が多い人は処理が早くなり、少ないといつまでもかかる。ハプニングの場合の原因は、うっかりだったり、慎重に慎重に応じていても、相手が用心深くなりすぎているとショウトしたり、偶然と偶然が重なっても起こるため、起こってしまったあとは適応力より対応力が問われ、すばやさが求められる。つまり本人のそれまでの対応力の量が多い人ほど、すばやい処理や処置ができる。対応力が少ないと手遅れになったり、間に合わなかったりするので、日頃から、想像力をフルにつかって、人がトラブルに巻き込まれていたなら「自分ならどう適応できるか」など想像し助けてあげたり、ハプニングの場合なら、人がハプニングにあってたら、自分ならこうする、ああするなどの対応を想像し、手助けしたりして、どちらの量もふやしておきたいものだ。


 2月 2日 No.1366

「たいしたもんだ」と言われる人は、打ち込むものを持っている!

 たいしたもんだって思った女の子がいる。
 その女の子は小学校6年生で、なんと、10段。そろばん10段ともなると、一兆ケタの足算引き算を計算し、50問中、50問正解はザラというのだから「たいしたもんだ」と思う。2ケタの足算引き算でも僕なら間違うというのに(笑)。その女の子は、一見そろばんに打ち込んでいるように見えるが実は、数字に打ち込んでいるという。イチローも野球に打ち込んで見えるが、ボールを打ち込んでいるのである。絵に打ち込むように見えて、色に打ち込む人や、土に打ち込むように見えて、焼くことに打ち込む人など、みな、「たいしたもんだ」と言われる人は、見た目では、わからぬ独自の打ち込んいるものを常に持っているのさ。


 2月 1日 No.1365

「らしく」に惑わされないように!「らしい」を気にしないように!

 人間らしく、男(男の子)らしく、女(女の子)らしく、親らしく、夫、妻、嫁、子ども、にいちゃん、ねえちゃん、先生、社長、総理、議員、知事、スポーツマンらしくなど「らしく」がつくことに惑わされてないように。「らしく」の基準なんてないから。「らしく」が付くときは、そうあるべきだとか、そうあってほしいという第3者の視点の集まりにすぎない。でも、第3者の人目がコワイのも事実。だが、人生一度も事実。もし、人生のどこかで自分が何かに意気に感じたとき、人から「らしくない」と非難されようと軽蔑されようと、それらにくじけず生きるためには、自分だけが出会えた「信念」がないと、人目を気にせず生き貫けない。あと「らしい」が付く言葉も、気にすることはない。親らしい姿、スポーツマンらしい姿など、国民中がテレビのコンメンテイター調の評価を日常会話で使うようになった。裏をかえせば、自分のことはタナにあげて人のあれこれを言う人間ばかりになってきたと言うこと。信念をもっている方々はみな、マスコミに踊らされず惑わされず気にせず坦々としたものだ。それぞれのスポーツの監督しかり、イチローや松井しかり。僕は、どうせ何をやってもろくなことは言われないが、もし「らしい」が付くことばで言われるなら「あきちゃんはどうも天使らしい」と言われたい(笑)。
 みなさんは、どんな「らしい」なら気にしますか?