ブックドクター・あきひろのイチニチイチゴン
一日一言 〜千夜一燈 ver.〜

諺「長者の万燈より貧者の一燈」

貧しい人のわずかな志は誠意のこもっている点で、たくさんの志よりもまさっている。
形式よりまごごろの尊さをいう。
                       一日一言 〜千夜一燈 ver.〜 

諺「長者の万燈より貧者の一燈」

貧しい人のわずかな志は誠意のこもっている点で、たくさんの志よりもまさっている。
形式よりまごごろの尊さをいう。

 
 1月 31日 No.1364

階段の手すりで遊ぶ子どもを見て「あぶなっかしいなぁ」と思うか「おもしろそうだなぁ」と思うかが、危険と安全の分かれ目!

 銀座のグループ展を見に行く途中の地下階段の手すりで、3人の男の子が遊んでいた。手すりに横向きにすわってシュゥーー着地!。きゃははは。めっちゃおもしろそうと僕が思ったとき、階段をのぼりながら、おばさん二人が「あぶなっかしいわねぇーもう」「ほんと、うちの子なら許さないわ」と言いながら僕の横をのぼっていった。この3人の行動について「おもしろそう」と思った僕と、「あぶなっかしい」と思った二人の女性。男の子の遊びは、ある程度危険を感じるものでないと、きゃはははとはならない。安全な遊びばかりなら、子どもの「感受性」において、限りが発生する。遊びは危険をともなうとき、無限の深さ、無限のおもしろさ、無限の感受性の発達につながるのさ。


 1月 30日 No.1363

かわいがるっていってもいろいろあるけど、その中の寵愛型と溺愛型は、どちらも将来がコワイょ!

 寵愛とは、末っ子だけ特別にかわいがるとか、姉さんの家の姪っ子だけかわいがるとか、特別に、その子だけかわいがる意味が強い。一方、溺愛の場合は、その子、その子でかわいがり方は違うが、全体的に受けるイメージが、みな、盲目的にかわいがる意味が強い。どちらの場合も、ただめちゃめちゃ甘い感じがし、厳しさをふくまない。ワルの名ゼリフ「かわいがってやれ!」と言うと、みなでいたぶるイメージがある。また、小なまいきな小娘が、ワルになまいきな口をたたいたとき、「かわいいじゃねえか」と言う。この場合は、皮肉的に使う。子育てで、寵愛型や溺愛型で育てるときの親ごころには、どちらも「愛」がはいっている。その愛をそそいだ分だけ愛を理解してもらえればよいが、甘い部分だけ理解されたなら、将来、自分の道を自分で決めて歩み出したとき、いったいどんな要求を言う大人になるのだろう。計りしれない要求をされそうなイメージがわくでしょ。かわいがるにも、ほどほどに。


 1月 29日 No.1362

継続は力なりっていうけど、継ぎ方も続け方も、ほんとにいろんな形がある!

 ただ次いでいては力にならない。つまり作業や仕事をし続けること。ちゃんとその作業や仕事をするにおいて、その作業や仕事にはどんな意志がこめられ、工夫からうまれたワザがあり、それらを受け継いでこそ、力になる。その受け継ぐことを繰り返し繰り返し続けてきたとき、さらなる力となることを継続は力なりという。でも、多くの場合、ここまでやってきたのにって言うけど、「次続は力なし」になっていることに気付かず、ただ続けていさえすれば、力がかってにつくと思っているかのようだ。歌舞伎の世界なら、笑い方一つ、指先や首の傾き一つ、先代の意志やワザを継ぎ、稽古と本番をし続けたとき、力が培われていくのである。どんな仕事も継続は力なりの先輩がいるので、背後からしっかり学びたいと思う。


 1月 28日 No.1361

もらってもしかたないものに、着眼することはいいこと!

 今、都内のあちこちで買い物したときにお店からもらうビニール袋の節約がすすんでいる。または、コンビニでもレジでお金を払うとき「袋はご入りようですか?」と必ず聞かれるようになった。都内に限らず日本中で、もうすでにこういうことが起こっていると思う。地球温暖化で二酸化炭素を減らすために、国や大企業がいろんな角度や視点をもって着眼し、CO2削減に力を注ぎ始めるための動きは徐々にでも庶民にひしひし伝わっていくと思う。別にもらわなくてもいいものや、高度成長の過当競争で生き残るために編み出された過剰サービスをもう一度みなおし、別になくてもかまわないと思うものに着眼することはいいことだと思う。それに合わせ我々庶民は、まだ、この国にいてくれる、戦争を体験した方々から、鉄くずを活かして生き抜いてきたあのいろんな知恵を、引き継いでおくことは、地球温暖化削減が思いどおりにすすまなかったとき、必ず、よみがえる知恵の応用になると思う。


 1月 27日 No.1360

子どもが熱を出して寝込んだとき、お母さんの看病は、薬より効く!

 大人でも39度ぐらいの熱を出してしまうと、ほんとに体を起こせない。布団の中は汗でびっしり濡れてしまう。ただでさえ子どもは発汗性が高いので、39度にもなれば、10分もしないうちに、シーツはびっしょり濡れてしまうだろう。そんなとき、お母さんが汗をふいてくれたり、オデコの冷シップを取り替えてくれたり看病してくれたなら、こんなにうれしいことはないだろう。子どもの感受性はこういう看病からもしっかり授かっているんだと思う。子ども本人も、熱でだるくても、早く治さなきゃっていう意思が芽生えるんじゃないかなぁ。そうすると目に見えない世界では、薬の効き目も早まって、ウィールスに善玉キンが勝ちまくって、笑顔がもどってくる。お母さんの看病は、病に一番効く医術だと思う。世のお母さん、今からが冬本番。いつでもその医術をつかえるよう準備しといてあげてください(^O^)/
 1月 26日 No.1359

あるかもしれない、ないかもしれない、という世界に敏感な子どもっていいなぁ!

 理想郷・天国・地獄・浄土・冥土・ネバーランド・サンタクロースの住んでるところなどに関する話をちょっとはさむと、子どもの中には、食いついてくる子がいる。「ねぇ、天国って雲の上にあるってほんと?」とか聞いてきたりして、あるかもしれないし、ないかもしれない世界について、昔ばなしや絵本を読んだあとに話し合っていると、あっというまに2時間ぐらいたっていたりする。小学校高学年や中学生、たまに高校生でも、あるかもしれないし、ないかもしれない世界に敏感な子がいて、高校生にもなると、さすが、地球温暖化で人類が滅亡するようなことが、あるかもしれないし、ないかもしれないところまでいく。今、そんな不確かなものを、考えることは、時間のムダ的環境が子どもたちの周りで、はびこっているが、大人たちが求める確かな社会こそ、あるかもしれないし、ないかもしれないと思う。でも、あの世界に敏感な子どもは、あの世界が心の中にいつも「ある」ので、あの子たちこそ、確かな社会(せかい)を生きてゆくような気がする。


 1月 25日 No.1358

本当は、子どもにゆっくり食べさせてあげる時間ぐらいあるでしょ!

 とある駅地下の、とあるフランチャイズショップに入った。店の中はほどよくいっぱいだったが、ちょうど席があいたので、そこに座り、ようやくコーヒーとタバコタイムがとれた。とすぐ、僕の真横から一人のお母さんのかなきり声が聞こえてきた。「もう、いつまで食べてんのよぉー!いいかげんにしなさい↑」と。隣りの席はテーブルをくっつけて3人のお母さんとその子ども5人がハンバーガーやらパンケーキを食べていたのだが、一人の男の子だけが、ほとんど食べていなかった。そのかなきり声から約45分間、そのお母さんたちは、いいたいほうだいの悪口を話つづけた。そして、二回目のかなきり声「早く食べなさい!いつまで食べてるつもりぃ〜↑。ママたちは、とにかく急いでるの!見たらわかるでしょ!」といって取り上げたてしまった。そしたら、その男の子が、火がついたようにものすごいキンキン声で泣き始めた。「うるさぁ〜〜い。どうしてあんたが泣くことがあるの!ちょっとこっちへきなさいぃー!↑」というと男の子を席からひきづりだしてトイレに連れてった。トイレから、すぐ、あの、かなきり声。「早く食べない、あなたなんか大っきらぁーい」と。トイレから出てくると「さぁ、もう、行きましょ」と、みんなをさそって、人目も気にせず出ていった。
 あれだけ、悪口いえる時間があるんだもん、息子にゆっくり食べさせてやる時間ぐらい本当はあるでしょーに。


 1月 24日 No.1357

百を知れども一選できず。一を知って百重せよ!

 上の格言は、どういう意味かというと、次から次にいろんなことを知っていって、百の知識を知ったとしても、百の中から、一つを選ぶのは、迷いが生じて、結局、一つも選ぶことができなかったりする。そんなことになるなら、一つを知って、それをつかう。また、一つを知って、また、活かす。これを百回積み重ねた方が、迷いもなく、しっかりとした知識が身についていく、という意味。
 知りたがり屋の僕としては、イタイ格言である。なぜなら、知るだけ知ればあとは、つかうことなくほったらかし、活かす機会が来てるにもかかわらず、別の話をして活かし切れず、やれやれの状態だからである。つまり、全然身についている積み重ねがないんだろうな。また、一つ、反省材料が発生したということだね。この反省を活かさねば。ということは、僕の場合はあと百回の反省を重ねなければ、身につかないということか。う〜ん、しゃあないか、今まで好きかってやってきたからなぁ。でも困ったなぁ、僕は、反省材料に困らんぐらい、山ほどある中から、一つの反省材料を選ぶのは、格言どおり、ほんまに迷うなぁ(笑)。やれやれ(笑)。


 1月 23日 No.1356

口一杯にものをほうばる食べ方は、モノをおいしく食べられる、一つの食法かもね!

 子どもが、上品にモノを食べるためには、当然、訓練がいる。僕は子どものころ、幸か不幸か、上品にものを食べさせようとする大人が周りにいなかったので、当然、そんな訓練やしつけもなく、出されたものを出された順に、なんでも口に運んで食べていた。その食べ方が一番、僕はおいしいの。だから、今だにその食べ方を、してしまう。ただ、この食べ方は、僕があみだした、モノをおいしく食べる食法なので、リスクがともなう。なんせ食べ方がきたないし、食べた後もきたないので、服やテーブル中に、いろんなシルや食べかすが飛んでいたりする(笑)。だから、みなさんにはあまりおすすめできないが、「食」は、一生つきまとうんだもん、自分だけの「こう、食べるのが一番おいしい」という食べ方は、どんどんあみだしてほしいと思う。


 1月 22日 No.1355

響き方はみんなちがうんだから、みんなと同じ響き方が感じられないといって、響かせようとしなくてもいいじゃん!

 何を言おうが、響かない。そんな人が世の中には、いるもんだ。世の中のモノで興味があるモノ、知りたいと思うモノ、おもしろそうだなぁと思うモノなど、とにかく何を見ようが、聞こうが、感動する場面に出くわしても、心に響かないタイプの人。そんなタイプの人を、これまた、世の中には、説得しようとしたり、納得させてやろうとしたり、とにかく響くようにしてやろうとしたりする人がいるの。でもね、そんな人たちには、なぜか、響かないタイプの人を響かせることはできないの。そんな響かないタイプの人は、よーく見てあげるのがいいんじゃないかな。それでよーく見てると、意外と「おまえさぁ、じゃあ、なんで数あるイベントで、ここに来たんだょ」って場所にいるのょ。つまり、一番おもしろそうだなぁと思ったイベントをちゃんと選んでいるわけ。響かないタイプに見えるだけで、意外とあちこちの会場にあらわれるほど、行動力があって、行動力があるってことは、積極的な部分もあるわけだから、本人は、ちゃんと刺激を求めて、積極的に響きにきてんのょ(笑)。それでいいじゃん。


 1月 21日 No.1354

子どもには、いろんな神様が宿るときがある!

 コンビニの入口においてある灰皿をそばに、僕がタバコをすっていると、小学校帰りの二年生ぐらいの子どもが二人やってきて、ガチャガチャの前で止まった。それで自分たちの欲しいタイプの入ったカプセルはどこかと、側面をのぞき見合っている。
 そのガチャガチャは、上下に四つづつ八つあり、一回200円で、その子たちは、隣りのドラゴンボールや他のアニメキャラクターのより、上段の一番右端の世界の昆虫シリーズの何かを、それぞれねらっていた。レッドソックスの帽子をかぶった子が「あのカマキリみたいなヤツはまだ、とれないょ」というと、しゃがんでパンツが丸見えの子が「カマキリはダメだけど、ひょっとすると、あのこっちに見えてるすげぇーツノのカブトは、次か、次の次ぐらいでゲットできるんじゃねぇ?」「うそ、どれ見せて見て。あっ、ほんとだツノの先が見えてるような気がする」「なぁ。次、おまえいく?」「おれはさぁ、まだ、いいよ。おまえいけばぁ?」「よーし、じゃあいってみっか」というとパンツ丸見えの子がポケットから200円をだして、レバーに手をそえながら「神様、おれは今から、レバーを回します。そのとき、お力をおかし『くっちゃーい』!(くっちゃーいは二人でいいながら鼻を片方の手でつまんでいた。ナイスおまじない(笑))。ガチャーン・・コロンっ!!。「あっ、やったぁーカマキリだぁ!!!やった!やったぁー!」「見せてょ。うわぁー、ほんとだ。早く出してみて」「うん」。パンツ丸見えは、「ん?あれっ?かてぇーっ。ん、あかねぇーょ」を連発した。なかなかあかきそうもないだろうなと思ったので、僕が声をかけて「おっさんでよかったら手ぇーかそか?神様やないけど」というと、「うん」といってカプセルをわたされた。「よーし、神様、僕は今から子どもたちの願いをかなえるため、カプセルをあけるので、どうかお力をかして『くっちゃーい』。カパッ!がはははぁー。きゃはははぁー。取り出したカマキリは、僕も欲しくなるぐらいむちゃくちゃカッコよかった。帽子の子が「あ〜あ〜、いぃ〜な〜、おれが先にやればよかった」といったら、パンツ丸見えが「そっかぁー。おまえ欲しがってたもんなぁ。じゃ、これやるょ」「ええ?いいの?」「うん。でも、今度、そのかわりカブトが出たとき、おれにくんねぇ」「うん。いいょ」と言って、ついでに「おじちゃん、ありがとう」というと、また、走りさっていった。
 あの二人には、まちがいなく、幸運の女神、如来様、譲る心の神菩薩様などがついているにちがいない。「どうか神様、あの子たちが、一生ハッピィーでいられますよう、お力をかしてあげて『くっちゃーい』。僕、この「くっちゃーい」っていう、おまじない、めっちゃ気にいりました(笑)。


 1月 20日 No.1353

子どもの周りの環境を気にするなら、子どもを気にしすぎないようにしてあげること!

 子どもを気にしすぎないようにするっていうことは、気にすると、気にしすぎは、どう違うの?って声が、聞こえてきそうだが、この質問が浮かんだ人は、もう、すでに気にしすぎ族になりかかっているのかも(笑)。簡単に言うと、頭で気にする人か、心で気にする人かって感じ。気にする人はただ気になったことだけラフに聞く。気にしすぎてる人は、元に不安や心配があって、ただ聞いていないって感じ。だって「気」は目に見えないし、耳で音として捉えられないので、目で見て子どもの声から、いつもと変りないか、そうでないかを判断していれば、気にする族。対して、気にしすぎ族はテストの点が急に1回下がっただけで「ひょっとして、うちの子にテストの点が下がってしまうような、悩みごとが何かあって、相談もできないでいるのかしら・・・」とか、連絡帳に先生から、もう少し基礎体力をつけよう、と書かれてあっただけで「体育の授業中に、他の子はできて、うちの子だけできないことでもあったのかしら・・・」とか、まだ、子どもに何も聞いていないうちから「あれこれ、気にする人」のこと。このあれこれは、知らず知らず見ていたテレビやニュースやワイドショーなどで、気になった部分、または、ショッキングな影響を受けた印象の延長線上に、我が子をあてはめてしまい(あてはめてしまっていることに本人は気がつかない)、「ひょっとして、うちの子も」「まさか、うちの子も・・・」と思ってしまい、たった1度で、とめどなく気になっていく。つまり、たった1度の気になることですまないわけ。この状態の気にしすぎを子どもの環境から気をつけてあげるだけで、子どもの周りの環境は、ずいぶん改善する。


 1月 19日 No.1352

地震が忘れたころにやってこないように、忘れちゃいけない地震を心に刻む!

 先日、阪神淡路大震災で亡くなった方々の13回忌があった。実際は12年前である。心からご冥福申し上げます。あれから12年かぁーと改めて思う。当時の僕の手帳を見た。いっぱい書いてある。その一つに「村山首相は、なにしとんねん。早く、自衛隊の戦車でも、軍事用ヘリでもつかって火を消せー。ぼけぇ!」と書いてあった。この国は12年前、社民党を与党に押し上げてあげた。だが、総裁の村山は被災者への配慮が遅く、初動態勢がなってないと国民やマスコミにたたかれ、のちに自民党を返り咲かしてしまうのだが、村山が被災地にきたのは3日後だった。その目に写った被災地は、まるで、ミサイルでも落とされた都市の焼け跡に見えたにちがいない。他には「人知の想像を超えた地震だと?おまえらに、最初から想像する頭がどこにある」とも、僕は手帳に書いていた。もっぱらテレビに出演した専門家の一言に、当時の僕が、どタマにきて書いたのだろう。これだけでも僕には、心に刻まれた地震となっているんだなぁと再確認した。と同時に、忘れたころに地震はやってくると言うが、僕には、あの地震を忘れようにも忘れることができなくなっているんだと言うこともわかった。だからどうか、神様、6434人の犠牲者の仏様、僕たちは地震のこわさを忘れませんので、これから千年、人の命を大量に奪う大地震は起こさないように、何卒よろしくお願い申し上げます。


 1月 18日 No.1351

正しく生きようとして、間違いだらけが交錯するのが世の中!

 テレビでうるさいほど不二家の事件を何度もしている。世の中は、正しく生きようとして、間違いが起こったり、ただ間違いを起こさないように注意しているのに、間違いが起こったり、さまざまな間違いが交錯し、均衡が保たれている。でもこれは、大人同士のことで、世の中には子どもも含まれるのに、大人と子どもでは均衡が保たれていない。つまり、子どもたちには、正しく生きなければ、どえらいことになるよ的光線を放ちつづけているのに、自分たち大人は、大小さまざまな間違いを起こしても、正しいことから目をつぶろうとする暗黙の了解や、みんなで隠そうとしたりして、大人たち同士、政治家同士、会社同士、学校同士、地域同士などで、均衡を保とうとする。その連鎖で、世の中が出来上がっている。だから、大人たちは名ゼリフをあみ出した。
「人間、間違いを起こさない人間はいない」と。
それだったら、子どもたちの間違いも、大人たちが間違いを起こしたときと同じように、目をつぶってあげたり隠そうとしたりして、大人と子どもの均衡を保ってあげようとしてもいいんじゃないの?と思う。でも、これからも、子ども同士の間違いには、すぐ芽をつもうとしす辛口はつづくだろし、大人同士の間違いは、芽を伸ばすと知りながらそれをつまない甘口はつづくだろうな。それが世の中なのかなぁ。あ〜あ、なんかええ方法がないかコンビニで、あま〜いミルキーでも買ってペコちゃんにでも相談してみるか(笑)。


 1月 17日 No.1350

誰もが楽しいことを、誰もが考えたなら、毎日、バラエティー(笑)

 誰もが楽しいことを考える人は、芸能関係、お笑い関係、興業関係(イベント屋含む)、などの企画マンやプロジェクターやプロデューサーに多いが、なんせこの方々の考えだす楽しいことは、莫大なお金がかかってしまう。これでは、誰もが、にならない。誰もが「楽しいことなんて毎日つづかない。でも、毎日、楽しいことがつづく一生を送れたらどんなにいいだろう」とは思っているはず。だったら楽しいことを誰もが考えたら、お金がかからず、質の高いすばらしいアイディアが飛び出すかもしれない。楽しいことをみんなが考えるだけでも楽しいっていう連鎖がおこれば、いろんな人為的恐ろしい事件が自然に減ると思う。なんせ誰もが、幼いころ、お金のかからない遊びの中に、楽しさを感じた経験の持ち主なんだから、やってやれないことはないと思う。
 どう?このアイディア(^O^)。


 1月 16日 No.1349

人が見るとお笑しいことを、マジメにやる!

 多くの場合、子どもも大人も、人からバカと思われたくないため、バカという表現が過激なら、人から笑われること、人からお笑しいと思われることと言い換えてもいいが、そう思われないように、みんなもしてるから、自分も、体験もせずにしないようにしようとする。これを当たり前だという人は、体験して言っている人か、体験もせずに言っている人かで、ほんとに人をバカにする人間になるか、思いやりを含んでいるようなバカの仕方ができる人間になるかに分かれる。後者の人は、お笑しさと捉えられる幅をもった人とも言えるだろう。そういう人の中には、ふと、あのお笑しいことを、やってみようと思って、マジメにやりだす人が現れる。この人は、人からお笑しいと思われることを、マジメにやることで、そのお笑かしさの道にも、壁があり、悩みがあり、達成があり、お笑かしさの道の中のほんとのお笑かしいことを発見したり、バカにするべきところがどこかを知り、その道自体のいろんな面白さに出会う。どんな道にも、マジメにその道で生きようとする人が、必ずいるから、世の中は、冒しいのさ。


 1月 15日 No.1348

最初が肝心という人がいれば、最後が肝心という人もいるけど、社会は、どっちの人も、そうでない人も、生かしてくれるでっかい海と思えばいい!

 少しマセてきた子どもたちなら、最初か最後か、じゃあどっちに重点をおかなきゃいけないの?と聞きたくなるだろう。それでもし、聞いたとしても、大人たちは「どっちも大事さぁ。だから、社会に出るまでにバランス感覚を身につけようね」などと言うだろう。そしたら、へぇーって、子どもたちは言うだけだょ(笑)。バランス感覚って言われても実感がないわけ。だって、子どもたちは、バランス感覚がないから、いろんなものを極端に楽しいと感じる感覚の真っ直中にいるから。つまり、その極端なままの感覚で、大人になってもやってけそうな感覚しかないんだから、いくらいっても、へぇーしかでない。でも僕の場合は、子どもたちに「あきちゃんは、バランス感覚ないのに、どうやって社会に出たん?」って言われるので(笑)、僕はこう言う。「社会は、海みたいにでかいから、俺みたいにバランス感覚がないオッサンでも生きさしてくれんねん」と。そしたら、あいつら、僕のときは「へぇー」って言わずに「あほやなぁ、あきちゃんわぁ。早ょバランス感覚もってる大人にならなあかんでぇー。そやないと、社会につまはじきにされて、あとで泣くことになるよ。いい?わかったぁ?」と。それで俺は心の中で思う。「へぇー」って(^^)


 1月 14日 No.1347

シロウトでも感じるプロの神がかり的領域!

 久しぶりに、バッティングセンターによった。120kmのボックスが空いたので、楽勝と思って張り切って入った。ところがまるまる1ゲーム、恥ずかしいほどバットにボールが当たらなかった。くやしくてそのまま120kmのBOXでもう1ゲーム。25球中、3回ボテボテのゴロと、あとは、空振りとチップばかり。なぜだ? と思いながら一度BOXを出て、次の人に変わり、ガラスを鏡がてら素振りをしてみた。なんちゅう、アッパースイング!!!。そら、当たらんわぁ。基本を思いだし、何度も素振り。しっくりきたところで、もう一度120kmBOXにチャレンジ。カキーン!。当たった。25球中、ヒット性のあたりが14コ。OKOKこれこれ。この感触。んん?シロウトの僕でこれやと、プロは毎日、たいへんやろなぁ。フォームのチェックをしてても打てなかったりするんやもんな!?。んンン???ということは、ほな、イチローは、どないなんねん?!!!?。大リーグの超一流ピッチャーから、毎年、200本以上のヒットを打ってんのよね!???そりゃ、世界一のバッティングの神様やわぁ。


 1月 13日 No.1346

なにを思うかで、その人の質が出てしまう!

 一日に5人の人と会うと、人間の質が必ず出るね。質を見極めよぉーなんて思ってないのに、感じてしまうから、しかたない。一人は、きっちりしたいんやろね。一人はざっくばらんやね。一人は、自分の用件だけ言うて、すぐ結果を聞きたいんやね。一人は、一生懸命話しても、希望が全然わいてこやんね。一人は気合いが入ってノリノリやね。当然、みんな責任者。だから、それぞれに部下がいるんやけど、みんなから好かれてる人は、ざっくばらんな人。めちゃくちゃ嫌われてたのは、希望がわいてこなかった人。人、それぞれやから、かめへんけど、できれば毎日、顔合わす部下に、一人でも好かれてないと、ほんまに責任とらなあかんとき、たいへんやろなと思う。その中で、儲けたいって思いが一番つよかったのは、きっちりしたい人。自分のそのときやりたいことに、とにかくベストをつくそうと思っていたのが気合い入ってた人。言われたことだけミスなくしとけばいいって思ってたのが、結果をすぐ聞きたがった人。どのタイプの人も、仕事があって、ありがたいなぁと思ってる質の人ではなかったのが、なんか、さびしいな・・・。


 1月 12日 No.1345

月あかりに照らされ、浮かびあがる日本一の雪ぼうし

 夜中に東名高速を移動しとったんょ。そしたらトンネルを抜けたとき、夜空に三角形の白いものが浮かんでて、んん!?、なんじゃあれは?ひょっとして・・・あれ富士山!?。そうや、あれは富士山や。月あかりに、雪あかりが交じって、だんだん夜富士がくっきり姿を見せてきたんょ。魅せられたねぇ、その綺麗さ、美しさっていうたら、そらもうたまらんわぁ。一生に一度見れるか見れやんかの夜富士の雪あかり。最高やのぅ。正月そうそう、ありがたき縁起もんやんけ。一年に、何べんも東名を通ってんのに・・・。免許を取ってからやったら、軽ぅー、千回は超えとるやろ。これからも、まだまだ通るやろうけど、こんなすげぇー、月あかりに照らされ、雪ぼうしの雪あかりとあいまって、碧い星空にハッキリ浮かびあがる神秘的な、こんな夜富士には、めったにお目にかかれやんと思う。それをなんの因果か見れる縁があったんやから、僕も、なかなかお目にかかれやん富士みたいになれるよう、がんばらな。今年は、十二支の最後をしめくくる亥年やけど、普通は亥年はイノシシみたいに動きたおして、チャレンジしまくらなあかんのやけど、まぁ、僕の場合は・・・、んー・・・そやな、ほな、めったにいない、動かんイノシシにでもなるかぁ。一匹ぐらい、ジッとして、目ぇーだけギラつかせとる、富士山みたいに動かんイノシシがおってもええやろぉ(笑)。今年の僕は、慎ましく精進精進を肝に命じるとするか。そう決めたものの、動かんとおれるかなぁ、この僕が・・・。たいへんやのぅ、精進すんのも(^^)


 1月 11日 No.1344

ゲームを通じて、1番になれない残念な体験をすることは、子どもの精神(こころ)の糧となる!

 新聞やニュースで、子どもたちの運動能力が落ちているとの報道があると「うちの子は大丈夫かしら?なにかスポーツか武道など体を動かすものを習わせようかしら」と、たくさんのお母さんが思うのか、急にいろんなスポーツクラブへの入部申し込みが増えるらしい。別に体を動かさせようとしなくても、家族でトランプやすごろく(うちは人生ゲームや麻雀)をするだけでも、子どもに勝負の厳しさを感じさせることはできる。つまり、一番になりたくてもなかなかなれないとか、普通に参加したら、一番になれちゃったとか、勝負のアヤを体験させておくことで、くやしいとか今度こそとか、あと一歩のところで勝利を逃したなど、残念な体験をすることは、体を動かすゲームだろうが頭を使うゲームだろうが、子どもの心になにかしらの「思い」が発せられ、それは、体を動かすことと同じぐらい精神(こころ)の糧になるのさ。


 1月 10日 No.1343

冬休みに宿題を出されるのが子ども。成人に宿題を出されるのが大人!

 僕が思い出す冬休みの宿題は、書き初めの宿題。「初日の出」を200枚ぐらい書いたのを覚えている(100枚入りの半紙二つ分)。一生懸命、一枚一枚書いたのに、それをおばさんたちが「何、このミミズがほうてる(這っている)字わぁ」と、いやみを言われるたびに頭に来て、次から次に書いた。毎年、「何で新年から宿題を出すねん」って思っていた。それで、おばさんたちに「大人は宿題ないからええなぁ」って言ったら「あほなことを。やらなあかん宿題ばっかりやわ。あんたも大人になったらわかる」と言った。そして今、、毎年成人式で、一応、若者が大人の仲間入りとされるが、ひょっとすると、あの成人式で多くの大人が、神様という先生から「本当の大人になるためには、どうすればいいか」と言う宿題を、人生を終えるまでに、心のレポート用紙にまとめて提出しなさい、と言われているのかもしれない。もし、それがほんとだったら、大人の宿題は、なんと難しく、なんと厳しく、なんと儚いことか。でも僕は、毎日、書いている。タイトルは5文字で・・・(笑)。


 1月 9日 No.1342

人間には、想像力が授かったんだから、使わなきゃ!

 大人に「今からの2時間、想像力を使って物語を作ってください」というと、100人中、数名しか物語ができあがらない。ほぼ、全員、書くには書いているが物語にはなっていない。これを子どもたちに置き換えると、出るわ出るわ。ずっと話つづけてしまう子が続出する。ここで、想像力を使って生活している側と、生活しているのに想像力を使っていない側とハッキリ分かれてしまう。例えば、1分間に大人が想像力を使って想像するのは、多くの場合「想像するってったって、何を想像すればいいのよ」って言葉を含む思いを想像するのに対し、子どもはいろんな映像を、そう、映像そのものを想像する。空・海・川・ハンバーグ・プリンなどなど。その数は1秒に5,6コは想像する。いかに子どもたちの想像力がすごいか、いかに大人の想像力が乏しいか。想像力において、大人は未来永劫、子どもたちに敵わない。そこで、大人は、想像力では敵わないもんだから、屁理屈で子どもたちを負かそうとする。困るんだなこれが・・・。
 屁理屈は、子どもの想像力と素直さを奪うからご注意くだされ。あくまでも、想像力には想像力で!


 1月 8日 No.1341

気負わないって、元気がなくなることじゃないからね!

 サッカーの試合をテレビで見ていて、負けた原因を、そのチームのエースストライカーにアナウンサーが聞いた。「今回、あと一歩のところで、勝利できませんでしたが、ご自分では、どこらへんに原因があったと思っていますか?」「んー、気負わないようにしていたのですが・・・」「そうですね、いつもより元気が少しなかったように見えますが」「いや、そうじゃなくて、ただ・・・うちにツキがなかったと思います」と、その期待の星は言った。このインタビューで驚くのは、アナウンサーが、気負わないようにしていたというこたえに対して、元気がないと解釈したこと。気負うとは、意気込みすぎること。勢い=意気負い=いきおいで、つまり、意志の強さに気が負けてしまうほど、意中(こころ)に持つもの(今回のエースストライカーは、勝ちを急がないように、と言いたかったのだと思う)が、気力を負かしてしまうことを言うの。だから、気負うことなくは、心に持つものに、気力が負けないよう、意志も気力もバランスよく充実させようとすることとなるわけ。気負わないようにすることは、一見、元気がないように見えるかもしれないけど、実は、体の中では、気力が充実していて、その気力がいきおいよく飛び出さないように、一生懸命おさえこんでいるので、めちゃめちゃ元気じゃないと意志を気力でおさえこめないわけ。だから、そのエースストライカーは、さすが期待の星だけあって、ゲームをしながら一番、冷静だったと思う。その期待の星なら、インタビューをうけながら、アナウンサーが気負っていることも冷静に見抜いていたりして(笑)。


 1月 7日 No.1340

子どもはみんなで遊ぶことが自然、
 大人はみんなと遊ぶことが不自然!

 デパートの中の子ども広場でも、公園でも、積みきやクッションの遊具でも、子ども同士、みんながその場で、ルールがあるような、ないような、でも暗黙の決めごとが発生しているような、まるで、大自然の中を、一斉に渡りどりが旋回するような感じがする。そう、何万羽の渡りどりが、右に回ろうか左に回ろうか、決めているわけではないのに、あの大空を遊ぶ姿に似ている。だが、大人はそうはいかない。みんなで遊ぶのに、いつ、何時に、どこに、だれとだれが来て、だれが来ないのか、チェックして、それでいて、ドタキャンはするわ、いざ来たはいいが、気配り、目配りばかりして、遊びで疲れるならまだしも、気のつかいすぎで、疲れたから帰ると言い出すわぁ、なんか、いろんなこと決めるわりに、遊べないの。逆に、いろんなことを決めちゃうから、不自然な遊びしかできないの。もし、渡りどりのように、急に右や左に曲がれば「なんで、曲がるなら曲がるって言ってくれないの」と文句を言うし、文句を言うぐらいだから、着いて来るのかと思いきや、着いて来ないんだな、これが(笑)。遊びのなかで笑うのが子ども、遊びまでで笑わすのが大人だからさ。まぁ、しゃあーないか。


 1月 6日 No.1339

迫力とは、真剣度や危険度を含む!

 フィギアスケートのような、個人の技術(わざ)を競うウィンタースポーツは、ワザを繰り出す一瞬一瞬の成功か失敗かの真剣度から、迫力が伝わってくる。対して、サーカスの空中ブランコのような個人の技術(わざ)を魅せる場合は、そのワザを繰り出す一瞬一瞬の成功か失敗かの危険度から迫力が伝わってくる。どちらも、見る者に迫ってくるモノがあるが、質の違いこそあれ、心を鷲づかみされる。そのとき、見る者と実演者に一体感が生まれる。その正体は、見る者にとっては、その極めた技術(わざ)に引き寄せられ、演じる者にとっては、その究めた業(わざ)で、みなの心を引き寄せてしまう。真(まこと)に、危険(あぶない)な剣(技・術・業(わざ))は、迫る力を持っているということだろう。


 1月 5日 No.1338

今年は、ただ、生きるだけになりますが、お許しください!

 今年は、また、いろんなことが起きそうな予感がします。いろんなことが、起きない年なんてなかったなぁ。 ただ、必死に生きているだけなのに、なんか起きるの。そうか、必死に生きようとするからなんか起きるのかもしれない。でも、ボーっと生きてみようとしても「なにも起きない」ということが、起きるもんなぁ。ははぁ〜ん、なるほど。ということは、生きるって、生きる=起きるだったりして(笑)。それだったら、僕は、ちゃんと年の始めに、みなさんに、お断りしとかなければならなくなる。よし、ちゃんとお願いしとこう。
私くし、あきひろは、ただ、生きるだけでも何か起きてしまうので、今年も必ず、何か起きるでしょう。だから、何も起きないようにと思っている人でも、僕を見ただけでも何か起きてしまう可能性が非常に高いので、何か起きたときは、どうか寛容なお気持ちで、お許しくださいますよう何卒、よろしくお願い申し上げます、と(笑)!
    では(^O^)


 1月 4日 No.1337

逆転は、人の心をくすぐるもの!

 箱根駅伝も、高校サッカーも、大学ラグビーも、正月には欠かせないスポーツ番組。そのどれもに逆転劇があった。負けている方に「がんばれ」と思いながらテレビを見ていると、あと少しで逆転できる!と思うぐらい頑張り出すので、心をくすぐられる。心をくすぐられながらテレビを見ていると、その期待に応えてくれたように逆転劇が始まる。そうなると、さらに気持ちが逆転した方に傾き、そのまま勝ちきってくれると、うれしくてしかたない。箱根駅伝では、名物往路最終の5区、トップの東海大に4分以上の差があったにもかかわらず、順天堂の山の神 今井は、箱根の山中で見事抜き去り、1分40秒の差をつけ、区間新記録で逆転優勝に導いた。ラグビーでは、五郎丸や日本代表今村のいる早稲田が、フォワードの底力を見せ、京産大に逆転勝ち。さて今日はどんな逆転劇が見られるか、楽しみ楽しみ。


 1月 3日 No.1336

正月休みが一番おちつかなかったりして(笑)

 我が一族は、正月ともなると、あちこちから約30名ぐらい集まってくる。そこにそれぞれの友達が加われば50名ぐらいが本家にいることになる。もちろん、お年玉は、なしにしようと親協定を結んでいる(笑)。家の中を、なんやかんやと動いてくれる子どもや、おばちゃんや娘たちが7名ほどいるのだが、年をくっている順に座り込んでいく。そうなると、灰皿一つ取るにも、スルメを一枚焼くにも、おばちゃんに頼むより、自分で動いた方がはるかに早い。それで、席を立とうものなら、次から次に、取ってきて欲しいものを頼まれてしまう。いろんなものを取って自分の席につこうとしても、もう、空いている場所などない。ようやく、すき間に座れたと思っていたら、トイレに行きたくなって、帰ってくると、僕の大好きなスルメがあとかたもなくなくなっている。コタツに足先だけつっこんで寝ていると、お腹の上にいきなり乗られ「絵本読んで」と、親戚のガキから言われ、ふんだりけったり。僕は、年々、正月気分が味わえなくなってきていたが、ひょっとすると、正月休みが一番おちつかないからかもしれない。とは言うものの、このおちつかない雰囲気を味わうと、あぁ、我が一族らしい正月だな、と実感するのも事実。やれやれ。


 1月 2日 No.1335

陰の努力のすごい人は、表面からすごいオーラがもれている。でも、そのオーラの通りの人と、オーラに釣り合わない人がいる!

 スポーツ選手や芸能人はやっぱり、人の心を魅了するために、相当の努力を陰でしている。当然、普段お会いすると、その陰の努力から宿ったオーラがもれていて、すごいなぁと思う。対して、下町芸人の方や芸術の道で名を馳せている人、陶芸家など、その道を極めんとしている人もまた、陰の努力から培ったオーラは相当なもので、先のオーラの持ち主たちに決して引けをとらない。でも、普段は、何と腰の低い人かと思う人だったり、ええっ?!この人が、かの有名なあの人?と思うほど、まったくオーラを出ないようにしている人や、かくしている人たちに出くわすと、陰のオーラに釣り合わないなぁと真剣に思う。まぁ、どっちのオーラも、そりゃあー、ものすごいったらありゃしない(笑)。


 1月 1日 No.1334

2007年は、みんなが輝きますように!

 地球上の生物すべての数をもってしても、夜空に輝く星の数には遥かに及ばない。でも、その命のそれぞれが持つ、希望・夢・ロマン・欲・野望・縁などを入れれば、かなり迫るに違いない。人が何かを始めるとき、エネルギーが発動し、小さな輝きを見せ始める。そして、それをつかもうとするとき、一番輝きが増す。見えるか見えないかほどの小さい輝きら、ハッキリ見える大きい輝きまで、2007年は、みんながいろんなことを始めて、輝いてほしいと思う。そのまわりには、必ず、その輝きに照らされる人がいるだろうし、その明かりを頼りにし出す人がいるだろうし、その輝きを目指す人が必ず、現れるだろう。みなさんに益々、栄えあれ!

本年も、我ら 朗天狗を何卒よろしくお願い致します(^O^)/