ブックドクター・あきひろのイチニチイチゴン
一日一言 〜千夜一燈 ver.〜

諺「長者の万燈より貧者の一燈」

貧しい人のわずかな志は誠意のこもっている点で、たくさんの志よりもまさっている。
形式よりまごごろの尊さをいう。
                       一日一言 〜千夜一燈 ver.〜 

諺「長者の万燈より貧者の一燈」

貧しい人のわずかな志は誠意のこもっている点で、たくさんの志よりもまさっている。
形式よりまごごろの尊さをいう。

9月 30日 No.1241

久しぶりに会って、笑い合えるのは、めちゃくちゃうれしくなる!

 今まで、あちこちの地区におじゃましたが、その度に、笑ったり騒いだりふざけたりさせてもらえると、めっちゃくちゃうれしくなる。食っては笑い、飲んでは笑い、笑ってばかりでまた、笑い。もう、最高なんだ。夜、寝ようとしても、想いだし笑いや、うれしさがこみあげる。ああ〜いいなぁと心から思う。そして、朝起きて、また、バカ笑いして、笑いっぱなしの一日が始まると、眠たさなんか吹っ飛んでしまう。とてつもない、エネルギーが次から次にあふれて来る感じがして、体の中がどうにかなったみたいな充満があり、どこまでも、行けそうな気がする。笑いながらエネルギーが満タンになる「笑い」って改めて、すげぇーって思う。こんな言葉があったらいいなぁ。「笑う門には、笑(しょう)嬉(き)たる」みたいなやつが。これホントに・・・。


9月 29日 No.1240

自分をごまかしてしまうのは、それが辛いか辛くないかで図るから。どうせ図るなら、いっそ面白そうか、楽しいそうかで図ってみよう!

 僕は、天性の脳天気なのか、辛いことは選べない。選べないのに、それでも突然辛いことに出くわしたりする。でも、その辛いことの中に、これだけは面白かったなぁとか、ここの部分は楽しかったなぁと、拾いおこし、「今度、一回、最初からあの面白いことをやってみよう」と思い、そこから、どうすればより面白くなるか、図り始める。または、あと何を加えたら、楽しくなるかなぁと、図る。どうせ、面白いことの中にも、辛いことが出て来るだろうし、楽しいことの真っ最中に、ハプニングが起きて、急に辛くなるときもあるだろう。でも、一時でも面白いと想ったり、楽しいと想えたら、それでいいと思う。だって脳天気だから(笑)。


9月 28日 No.1239

自分のことで、ゆっくりでいいものをゆっくり、焦ってでも急がなきゃならないものを急ぐって、なかなかできないなぁ。

 僕は、ゆっくりでいいものを休みもとらず、焦ってでも急いで仕上げ、焦ってでも急いで仕上げなきゃならないめのを、みんなに「急がなきゃ」って、はっぱをかけられているにもかかわらず、これ以上ないほどゆっくり、仕上げることになる。それで、今までどれほどの人に迷惑をかけ困らせてきたことだろう。想像など怖くてできないほどの人数になることは間違いない。どうして、ゆっくりでいいものを急ぎ、急ぎのものをゆっくりしてしまうのか、自分でもよく考えても理由がわからない。だけど、いつか、ゆっくりでいいものをゆっくり、急ぎのものを急げるようになりたいものだ。それも、絶品の仕上げを(笑)


9月 27日 No.1238

負けるが勝ちって言葉の意味が、前と少し違う解釈ができるようになってきた!

 今まで、わがままばかり言ってきた。これからも、わがままやバカをし続けると想う。だけど、バカな解釈だったなぁと思う言葉の中に「負けるが勝ち」って言葉があるけど、それをわがままで高慢ちきな僕は「まぁええかぁ。負けといたろ」と言う解釈で人生の大半をすごしてきたけど、最近、思うのは、本当に一生懸命やって、負ける。また、一生懸命やって負ける。またまた、負ける。負け続ける。その負けてばかり連続でも「次こそは勝つ」と思いながら、努力していると、恐ろしいほど簡単に勝ちがころがりこむことがある。その帰り道、うちひしがれるほど、はずかしい負けの連続だったことが、たった一度の勝ちを得たおかげで、今までの負け根性がウソのように晴れ、勝ったことのうれしさより、自分にうち勝ったことのうれしさの方が、心から喜べた。おかげで、本当の「負けるが勝ち」って、まだまだ、いろんな解釈ができそうだな、と思えるようになった。


9月 26日 No.1237

自分の人生の保証は、自分でするしかない。だから、人生は厳しいのかも。でもね、その厳しい中で、夢をつかもうとするから、保証にも値打ちが出てくるってもんさ!

 いつも、朗天狗を 伸ちゃんと、たちあげたときの夢は忘れない。僕はかなりおバカなので、夢もバカでかすぎるのかもしれない。「がばいばあちゃん」と言う本の中に、「夢はもった方がええ。それもバカでかい方が。どうせ夢なんじゃから」と言うセリフがあるが、「そやなぁー」と妙になっとくしたのを覚えている。すべての命に、保証はない。いつ死ぬか誰もわからない。そして、どう死ぬかもわからない。生きているあいだに、もっててじゃまにならないものの中の一つに「夢」がある。その夢に重みを加えていくもよし、輝きを増してもよし、つまり、その「夢」に保証を託してみるって言うのもいいじゃん。


9月 25日 No.1236

自分ができるからといって、人もできるとは思わないことって言うなら、自分ができないとき、人からできると思われたくないよね。子どもだって同じさ!

 お母さんが、我が子にイライラする原因の一つに、自分が子どもときでも、できたことを、子どもが、なかなかできないとき、というのがある。たぶん、なかなかできない姿に、はがゆくなり、つい口を出し、つい手伝ってしまい、つい文句を言い、ついに怒ってしまうのだろう。子どもの方は「そりゃ、ママは大人だからできるんじゃん。ぼくには、まだ、むずかしいょ。わたしは、これをやるより、あっちをやりたいのに」とか、言い返したくなると思う。大人でも、みんなができることが自分はできなかったり、自分ができることが、みんなはなかなかできなかったりするでしょ。子どもも同じだと、ちょっと思ってあげるだけで、できるようになったり、できたことがより、上手くなるんじゃないかなぁ。僕も、もっと絵本を読むのが上手くなりたいなぁ。


9月 24日 No.1235

最近はさぁ、バナナを嫌いな子どもが、たくさんいるんだって!

 ほんとに現代っ子には、驚かさせられる。バナナを嫌いな子、りんごを嫌いな子、ももを嫌いな子、なしを嫌いな子、トウモロコシを嫌いな子などなど、僕が子どものときから、好きなものばかり、嫌いと言われると、僕としては「ええっ???なんで???あんなにおいしいのにーっ」てなる。でも、その子にとっては、嫌いなんだからしかたがない。嫌いって言えるんだから、一度は、食べたにちがいない。そのとき、どうやって食べたのかなぁ?怒られながら食べさせられたのかなぁ?味、そのものが、今の子たちの舌には、あわないようになってきているのかなぁ。将来、その子たちが社会人になって出会ったときに、テーブルにバナナがおいてあったとき、酒の飲めない僕にとって、その子らと、「このババナ、めっちゃうまいなぁー」って、バナナの味で、共鳴できなくなる恐れがあるかと思うと、正直、何かさみしいなぁーって思う。


9月 23日 No.1234 イチニイサンシ!

秋の七草の一つに、`ききょう'がある。花ことばは「変わらぬ心」。昔のおじいちゃんやおばあちゃんたちは、孫と散歩したとき、この`ききょう'を見て、どんな変わらぬ心を思いたくしたのだろう。

 今日、ききょうを見た。最近は、ききょうと聞いても、花を思い出せない人が増えてきているように思う。昔は幼いころに、おじいちゃんやおばあちゃんと手をつないで歩いているとき、秋の七草、春の七草やいろんなことを教えてもらう、なーんてことは、ざらにあったと思う。でも今は、おじいちゃんやおばあちゃんと散歩しても、コンビニまで「早く早く」とせきたてられたりするので、おじいちゃんやおばあちゃんが、ゆったり、ゆっくり手をつないで歩きながら、教えてあげたくても、教えそびれてしまっているように思う。ゆっくり歩く、なんてこと自体、少なくなったんじゃないかなぁ。つまり、今は、歩くのにも、目的が必ずあるから、目的のない散歩がどんどんへっていっているような気がする。もし、おじいちゃんが、孫に「わしと、そとでも散歩せんか。ちょっと、ぐる〜っとぷら〜っと、回りに行くかぁ?」と言ったとしても、孫の方は「なにしに?外へ、なにしに行くの?」と、目的を聞かれるにちがいない。そのとき「いやぁー、ただおまえと散歩したいんじゃよ」と言っても、「ただ、歩くの?そんなのつかれそうだから、いいょ〜」って言われそうな感じがする。変わらぬ心・・・、おじいちゃんやおばあちゃんが、孫のゆく末を想う、心うちは、いつまでも、変わらないでほしいと思う。


9月 22日 No.1233

元気なのないときは、もちろん、元気になる絵本さ!

 元気がないときって、元気がない自覚があるから、動こうとすると億劫でたまらないよね。そんなとき、ほとんど動かなくて、元気にあるための、心のエネルゲンと言ったら、もちろん絵本さ。絵を見るだけでも「ふふふ」ってなる絵本がいっぱいある。元気があるときに、例えば、クレヨンハウスから出ている「とらは えらい」(五味太郎 著)とか、僕の大好きな「にゃーご」(宮西 達也 著)とか、元気がないときに、限って開いたときほど、「ふふふ」ってなるね。そして、この「ふふふ」をきっかけに、なぜか不思議に、元気がでる方向へ行くんだから不思議でしょうがない。ひょっとして、著者の元気が各ページに封じ込められているのかも・・・。元気があるときに、元気がなくなったとき、この絵本を見てみようと思う絵本をいくつか探しておいて、ぜひお試しあれo(^-^)o。


9月 21日 No.1232

子どもといると、その子を見てるだけで、なぁーんかいいだょ!

 子どもの笑顔は、くったくないから何度みても僕はいい。とにかく、元気をもらえる。さわやかにさせてもらえる。笑わせてもらえる。考えさせられる。僕もやってみようと思わせてもらえる。かなわねぇなぁって思う。たまんねぇなぁって思う。がんばれよって、言われたように思う。思わず動かさせられてしまう。まだまだ他に、たくさんの感情をもらえる。その対象となる子どもが何かしていると気になるから見てしまう。見ていると、また、何か感情をもらう。それがいいからまた、見る。見させられてしまう子どもに、魅せられてしまうから、僕は、いいなぁって、思わせてもらえるのかも。


9月 20日 No.1231

一つの気持ちを表現するなら、「見つけたいけど見つからない!見つけたのに見当たらない!」って感じかなぁ!

 ポエム風に・・・

タイトル 「気持ち」
自分の今の気持ちは、こんな気持ちである。でも、もっと自分の気持ちが高揚するようなものを、常々、見つけたいと思っている。でも見つからない。ふとしたことから、ある会に誘われ参加したところ、思っていた以上に面白かった。なぜか、もう一回、やりたくなる。やってみて、また、面白かった。またまた、面白かった。どんどんはまる。ああ、あのときに、求めていた高揚するような気持ちって、これをやっているときかも。さらに、はまる。ちょっとしたスランプが訪れた。だんだん、面白くなくなる。だんだんなくなる。あれ、あの高揚した気持ちだと思ってやっていたのはいつごろだったっけ。あれは、なんだったのかなぁ。あの気持ちはなんだったのかなぁ。今、そう思う、この気持ちって確かにあるのに、なんなのかなぁ・・・。


9月 19日 No.1230

子どもは思っていることを口で表現するのはヘタだけど、顔や体、素振りで表現するのはめちゃくちゃうまい

 大人でも、または、夫婦でさえも、自分の気持ちを、相手に伝えることは、なかなか難しい。言葉をたくさん知っていたとしても、その言葉を的確に、口から声に出して、思ったことを表現しようとしたとたん、緊張して思ったことの半分も言えなくなるかもしれない。だから大人でも表現が、ヘタな人が多くてあたりまえ。それが子どもたちなら、その数は千倍に増えることだろう。最近の親が我が子を殺すニュースで、事情聴取の報道を聞くと、あまりにも身勝手な言いぐさに唖然とする。「何をいいたいのか、わからないから」と。親の中には、何をいいたいのか、分からないから、我が子を殺せるのか?僕には、全然わからない。子どもたちは、口で言えない、または伝わらないとき、必死で表情やしぐさで、一生懸命表現しようとしているじゃないか。何で子どものせいなんだょ。親のあんたが、そのメッセージを受け取れねぇだけじゃねぇかぁ。殺すぐらいなら、何で産むんだよ・・・。


9月 18日 No.1229

ちょっと寒くなると、大人はそれだけで話題の一つになるけど、子どもたちは、そんなの平気で遊ぶのがいいねぇ

 大人は「今日はちょっと寒いなぁ」とか「急に寒くなったわねぇ」とか、天気やその日の暑い寒いをあいさつがわりに言ったり、話題にする。幼い子どもは、暑かろうが寒かろうがおかまいなし。でも最近は、小学校一年ぐらいの子でも、朝、学校へ行こうとして、玄関を開けたとたん、「お母さん、今日はちょっと寒いから、シャツ着てく。シャツとってきて」と言う、しっかりした子もいる。僕が子どものころは、暑い寒いなんか関係なく、遊びに遊んで気がついたら、風邪ひいた、気がついたら、熱がでたっていうパターンが多かった。これからは、小学生でも、朝のあいさつがわりに「おぅ、今日は寒みぃなぁ」「うん、だから、おれさぁ、一枚よぶんに着てきたんだよ。だから、全然寒くねぇ。丁度いいぐらい。おまえ、そんな半袖だとカゼひくぜ」って、大人顔負けの会話が朝から飛びかうかもしれない。これも大人社会の一つの反映かなぁ・・・。


9月 17日 No.1228

言いたいことを言いたいときに言える人を見て、いいなぁと思う人がいるかと思えば、言いたいことを言いたくてもグッとこらえる人を見て、いいなぁって思う人がいる。へぇーって感じ!

 僕を知ってる、北海道から沖縄までのみなさんは、間違いなく僕のことを、前者のタイプだと思っていらっしゃるだろう。さらに、僕の場合、なぜか地域性関係なしに、ご年配の方々から子どもたちにまで思われている(笑)。まぁ、しゃあーないかって感じ(笑)。だからと言って、僕は、言いたいことを言いたいときに言っている人を見て、いいなぁ、なぁーんて思わないし、グッとこらえる人を見ても、いいなぁ、なぁーんて思わない。僕はどうも、何につけても極端な方向へ行きがちなので、そんな僕が、いいなぁって思う人は、言うべきことを、そのときじゃなくて、本当に言うべき日までとっておけたり、言うべきタイミングまで、グッとこらえて待てる人がいたら、いいなぁって思うと思う。つまり、まんべんなく言いたいことが言えて、まんべんなく言いたいことをグッこらえて待てる人かなぁ。


9月 16日 No.1227

子どもってさぁ、「自分を分かってほしい」なぁーんて、言わないとこは、大人より大人だよね!

 大人のほとんどが「俺の身にもなってくれよ」とか「私のことは誰も心配なんかしてくれないじゃない」とか、ちょっと苦難困難にぶつかると、すぐ言い始める。子どもたちには、「自分で考えなさい」って平気で言うくせに。とにかく、大人は、質が悪く、ズル賢く、前提としての「相手の身になってモノを考える」ってことを日々こなしているもんだから、自分にちょっと苦難困難がやってくると、すぐ化けの皮がはげ落ち「我が身が一番かわいい」自分を何のはじらいもなく平気でさらけだす。中には、そのさらけ出していることさえも気づかない大人がいる。子どもの方は「自分」ってモノが、まだ良く分からないことが幸いし、「自分」が良くわからないモノ同士だから、当然、「相手の身になってモノを考える」ってことも、まだ良く分からないので、まだ、我が身でさえも、一番かわいい状態じゃないわけ。十番目ぐらいに我が身があるんじゃないかなぁ。ところが大人ってヤツは、都合のいいときだけ「私のことも少しは考えてよ」とか「俺の身にもなれよ」とか、大人同士であまったれたことを言い合うわけ。そんな姿を見て、これからの大人より大人の子どもたちは言うだろうなぁ「いつも、あまいなぁ。だからいつまでたっても子どもなんだね」って。大人なら、大人らしく、自分にふりかかったちょっとした苦難困難は、自分で乗り越えようよ。ズル賢い大人にならないためにさ!?


9月 15日 No.1226

どんな勝負も、ほとんどの場合、引き分けがないほど厳しい世界。その厳しい世界だからこそ、勝負の世界から学ぶことも多い!

 スポーツの世界は、第一回ギリシャアテネのオリンピック開催から世界中に普及した。その前までの勝負の世界とは、人が死ぬ可能性が非常に高い、勝負事が多かった。ヨーロッパにしても、いたるところのコロッセオみたいな場所で、剣士が馬に乗って戦ったり、日本やアジアでも、刀や剣で人を斬る勝負が多かった。そのため、その厳しさは、命がけのものが多く、今のスポーツの世界の厳しさとは、質そのものが大きく違う。だが、勝負には違いないため、殺し合いの勝負でも、各スポーツでも、将棋や囲碁の世界などでも、大なり小なり、必ず、厳しさを学ぶに絶好の世界がある。この厳しさから、学ぶことに長けた者が、やはり、その道の王者として君臨したり、チャンピオンになる。つまり、その道の勝負の厳しさに、立ち向かおうとしなければ、決して、学ぶ姿勢が自ら起きないのである。その勝負の世界の厳しさから、学んだものは、人生の厳しさに活かされることが、あまりにも多い。


9月 14日 No.1225

肉の焼き加減を気にするぐれぇなら、子どもの世話加減も気にしろよって、言いたいねぇ!

 世の中を渡っていくために、大人はいろんな加減を身につけていく。中には、その加減を鮮かに、そして、いやみなく身につけている人や、まったく身につけていない人や、都合のいいときだけ加減ができる人や、僕みたいに、加減を身につけたいなぁと思っていても、なかなか身につかないヤツ(笑)や、肉を食べるときだけ、焼き加減に、めちゃくちゃこだわる人と、いろいろいるよね。でも、子どもの世話をしたり、育てるときに、これ以上言い過ぎないようにと加減したり、子ども同士の関係に口をはさんだり、我が子を心配しすぎないように加減したりする、加減て、肉をおいしく食べるための焼き具合をみるように、見ていられない。だけど子どもの方は、まだまだ本当の意味の加減など身につけていないのに、親や大人に対して、いつも加減をしながら、「ねぇ、これ食べていい?」とか、「ねぇ、いつ連れてってくれるの?」とか、加減して言ってくれてるんだろうなぁって思う。


9月 13日 No.1224

未来に、我が子を犯人にしないためには、親は、ただ愛情をそそぐだけ!

 最近のニュースを見てたり聞いたりして感じることは、この犯人が、犯行に至るまでの人生で、だれかたった一人でも、この犯人に愛情をそそいでくれる人がいたら、こんな犯行をしないですんだろうになぁってこと。そうすれば、この人は、犯人にならずにすんだし、被害者も出ずにすんだし、犯人の親も、被害者の親や周りの人たちも、苦しんだり悲しんだりしなかっただろうになぁ。この犯人の親は、犯人が小さいころから、愛情をそそいで育てていたのかなぁ。愛情をもって常に接してあげられなかったのかなぁってこと。我が子が精神的にまだまだ未熟だったために、叱らなければならないことをしてしまったときや、つい怒ってしまったあとに、愛情ある一言を、かけてあげられたのかなぁ。何も言わなくても、ただ愛情ある表情だけ残してあげるってことを、してあげたことがあるのかなぁ。愛情をもって、ただ、だまって我が子の話に耳を傾けてあげるってことがあったのかなぁ。いつの世も、一番イイ子育てなんかないのに。あるのは、「親は、我が子に、ただ愛情をそそぐってことが一番イイ!」と、言われること。つまり愛情を「常に」そそいで育てることが、結果、良い子育てになると言うこと。でも、「常に」ってことが、今の親は、なかなかできないのかも・・・。やれやれ。


9月 12日 No.1223

不朽の名作と言われるモノにふれることは、人間の感情の根本にふれることと同じさ!

 まず不朽の意味を言うと、読んで字のごとし、「朽ちることがない」と言う意味。つまり、その名作は、朽ちたり、衰えたり、滅びることなく、人々のあいだで今後も永きにわたり伝わり続くであろう、と言うモノ。絵画、彫刻、建築、劇、音楽、書物など、さまざまなモノの世界に、不朽の名作は存在する。そのどれもが、受け手側の人間の感情の根本にふれる。なぜなら、すべての作者は、自らの人間のもつ感情の根本で苦悩し、創りたもうたモノだから。今後、人間が進化して、感情を持たない生き物にならない限り、不朽の名作は不朽であり続けるだろう。あっ、でも、今、不朽の名作を世界一の美術館と言われるルーブル美術館で、目の前で見たとしても、何にも感じない人がいたとすると、その人はすでに人間のもつ感情の根本が、進化し始めていて、朽ち始めてきているのかも・・・ふふふ。


9月 11日 No.1222

「みんな仲良くしましょう!」って言ってる先生や大人が、みんなと仲良くしてないのに、どうやって仲良くするんだよ!

 昔、小学校の5年のとき、僕がドッチボールにクラスの友達をドッチボールに入れてあげなかったために、帰りの会で「みんな仲良くしなきゃダメだ」って、往復ビンタつきで怒られたことがある。そう言ってた先生は、ある日、廊下で別の先生と怒鳴り合っていた。そのとき、僕がその先生に「みんな仲良くするんやんなぁ。ケンカしとったらあかんやん先生ぇー」って、言いにいったら「うるさい!大人の話にクビをつっこむなー!」って、怒鳴られたので、頭にきて「ほな、俺も、俺の好きなヤツとしか仲良ぉーせんからな、このボケー」と、言ったら、胸ぐらつかまれて、また、ビンタされた。そのとき思った。「大人や先生は自分ができもせんことばっかりおしつけてくる」と。だから、僕は、それ以来、僕の好きな人としか仲良くしなくなった。そのおかげで、好きでもないヤツに、または、好いてくれてもないヤツに愛想ふりまいて、仲良くしなくてもいいので、生きる上で、余分な気をつかわずにいられ脳天気なままだ。みんなと仲良くしなさいって言うなら、言う側がみんなと仲良くしてから言うか、「私は、みんなとまだ仲良くできないけど、やってみてね」ぐらいの配慮がほしいもんだ(笑)。


9月 10日 No.1221

話に入りこんで聞くのは、大人にはとてもエネルギーがいることだけど、子どもたちはいとも簡単にどんな浅い話しでも入りこんでくる。
だからこそ、ステキな絵本や物語に少しでもふれさせてあげたい!

 絵本を子どもたちに読ませてもらって、いつも思うのは、なーんて穏やかな表情で話を聞いてくれるんだぁってこと。僕は絵本の力を借りているだけなのに、あんな表情をもらうとたまらなくなる。ありがたいなぁって思う。その表情の中には、そのストーリーに深く入りこんで、まるで陶酔しているような子までいる。あの聞き方は大人には、なかなかできない。なぜなら、大人の耳は、自分にとって得なら聞く、損なら聞かない耳だから。子どもの耳は、幼いことが功を奏し、損得・効率で聞かないので、どんな話でも、本当の意味で「聞く」ということをしているのさ我が子に、ちゃんとお母さんの話を聞きなさいって言うお母さん、あなたこそ、人の話を、お子さんのように、穏やかな表情で聞けますか?そこだよなぁ。


9月 9日 No.1220

みんなに好かれる子、誰からも好かれる子にするなら、礼儀正しく、当たり障りない、さわやかな常識人にすればいい。あっ、今なら、ハヤリのハンカチを、我が子に持たせればいい(笑)

 いつの世も、親は、我が子が、みんなから好かれる子になってほしい、誰からも好かれる良い子であってほしいと望む。親の方は、みんなから好かれていないのに、である。今、早稲田高校の優勝投手、斉藤選手が「ハンカチ王子」と、マスコミがらみのニックネームをつけられ、中高年の女性に騒がれている。しかも、野球などそれまで全然興味のなかった年齢層の女性にもすごい人気である。その内の多くが、息子をもつ母である。騒いでいる女性の中には、自分の息子も、願わくばああいう風に、ハンカチで汗をふく上品さを持ち、誰に対しても礼儀正しく受け答え、そして、さわやかに、元気に育ってほしいと、願う形にぴったりの青年であろう。そんなに誰からも好かれる子であってほしいのかなぁ。僕は、多少言葉づかいがおぼつかなくても、多少やることなすことが乱暴でも、多少下品でも、多少みんなから、どうしようもないヤツと言われていても、そんな我が子を、たった一人でいいから、好いてくれる親友に、巡り合える縁があることを、真剣に親として願うけどなぁ。みなさんはいかに・・・。手始めにハンカチを持たせて、人前で汗が出たとき、ふかせてみればいいかも・・・がはは(笑)。


9月 8日 No.1219

昔ばなしの知恵をかりて、何か悩みをかかえたら、親孝行をしてみよう!

 昔ばなしには、親孝行息子、娘の話が数多くある。どの話も、親孝行息子が悩みをかかえたり、親孝行娘が、親孝行を続けられなくなる状況においこまれたり、そこで親に相談する話が多い。「うばすて山」などは、おふれがだされ、親孝行息子が親を山に捨てるに捨てきれず、匿ったことで親から思わぬ知恵を授かり、その親からの知恵のおかげで、親孝行を続けることができるように、人生の道を良き方向に切り開いていく。この知恵は、現代の家庭環境ほど、借りなければならないのではないかと真剣に思う。常に親孝行をしている息子や娘に、出くわすこと自体、至難の技となっている世の中に、ぜひとも借りたい知恵だと思う。特に、自分が悩みをかかえたときほど、親孝行すると、道を切り開けるような、親からの一言をもらえることだろう。昔ばなしには、どんな時代の人生を送ろうとも、道を切り開く知恵が、たくさん織り込まれているってこと。だから、バカバカしいと思わず、大人になった今、もう一度、どの話に、どんな知恵がかくされているのかって視点で、読んでほしいと思う。


9月 7日 No.1218

優しいからいい人って言う見方、一辺倒だと、厳しくてもいい人や恐くてもいい人を見逃すことになる

 優しい人はいい人、という見方が多いように思う。優しいからつき合ってきた友達から、厳しいことを言われたり、怒られたりすると、「優しい人だと思っていたのに」と捨てゼリフを残し、それっきり、その友達とつき合わなくなる、といった小・中・高校生の、人間関係が横行している。かなしいねぇ。人生、ずっと優しいまま生きていこう、と一大決心した人が社会の中にたくさんいるならまだしも、人間という感情動物にそんな一大決心をする人がいるとも、とても僕には思えない。しかも、私にだけ、優しくしつづけてくれる人が、いくらあなたのことを死ぬほど好きだとしても、決して優しいままいてくれる人はいないだろう。なぜなら、人間という動物は、動物の中で唯一、体の中に感情というものを宿す動物だからである。感情がある限り、優しい感情以外の感情が働いてしまうので、その人に優しくしつづけてあげることは、至難の技である。だから、厳しい人でも優しかったり、恐い人でも優しい人がいるんだなぁということを、感情動物の一人として見抜けるように修行するしかないのである。


9月 6日 No.1217

眺めがいいとこで、何かを考えたときと、人ゴミの中で考えたときと、どっちがいい考えが浮ぶなんかなんてどうだっていい。どこで考えたって、その人の考えに、ちがいはない!

 何か、考えごとをしたいとき、家の中がごちゃごちゃしているから、こんなとこで考えたって、ゆっくり考えられるわけがないと思って、眺めがいい喫茶店でコーヒーなんか飲みながら考えごとをしにいく人も、人ゴミでごったがえしているようなところの方が、何か落ち着いて考えられる人と、どっちがいい考えが浮ぶかで、お酒を飲みながら大声で話し合っているおっさんたちの話を聞いていて笑った。そんなの気分次第の考えなわけだし、どこで、どう、考えごとをしたとしても、その人の考えには、ちがいないのだ。「考え」については、以前にも何度も言ったことがあるが、動きながら考えることもできるし、目をとじて、動かずに考えることもできるもの。ただ考えるだけでも、場所を決めなきゃならないおっさんたちは、そりゃ、生きるのもたいへんだぁって思えて笑っていた、僕でした(笑)。


9月 5日 No.1216

人は、本当に変わらないでいられるのだろうか。いや、そんなはずはない。生きていれば毎日変わっているはず!

 「あの子、何か人が変わったね」とか、「あの人、昔とずいぶん変わったなぁ」とか、「人が変わる」ことが、まるで良くないような言い方をする今の世の中。あー、やだやだ。厳密に言えば人は、細かいレベルで常に変わっている。その当たり前には気づかず、多くの人はすでに「あの人はこういう人、その人はこういう人」と決めつけているだけなのに、その人が、予想もしないことをすると、すぐ「あいつ、何か変わったなぁ」と言って、自分が相手に対して思っていた気持ちを無意識に守ろうとする。「あいつ、何か変わったなぁ」と言った本人でさえ、誰かに「あいつ、何か変わったなぁ」と言われているかもしれないと言うのに。人は自分が、何かに感動を受け「よーし、俺も明日からやってみるか」と急に変わったり、ショックを受けて変わって毎日変わっている。変わらないでおこうと、いくらしても、変わってしまうということを受け入れることも、人生だというのに。


9月 4日 No.1215

空に青が広がるってやっぱいいねぇ。海も青い。青春も青い。だからいい!

 ついこの前、空じゅう青が広がった、がけに立ってきた。アメリカのグランドキャニオンのがけ。今日、雲間から、ちょこっとだけ、青空が見えたとき、そのときの青が、頭の中いっぱいに広がった。しばらくして、海の青さも広がった。そして、自分の人としての青さが広がった。まだまだ、僕は青い。つまり、大人になれないガキなんだなぁって思いが広がったってこと。人として、青いってことは、まだまだ、いろんなことを勉強したり、学んだりできるチャンスがあるってこと。そのチャンスが広がってるってこと。そう思ったとき、それって、めちゃくちゃいいなぁって感じが、どんどん広がっていった。よーし、四十一歳にして、今だ、この青さ。普通は情けないことなんだろうけど、僕、やっぱ、まだ青いせいで、情けないと思わないんだろうなぁ(笑)。


9月 3日 No.1214

夏に汗をかかないようにし始めたあたりから、日本人の体はどんどん弱くなっていっているような気がする

 家庭用クーラーが庶民に普及し始めて、早や30年。それまでは扇風機。風が当たらない背中は汗をかいていた。これが一定の温度が体全体に働くクーラーだと、汗がではない。夏は暑い、暑いから汗が出る。体があたりまえのことをしてくれていた。でも、ファッション感覚の度がすぎると、化粧がくずれないようにクーラーをすぐかける。これは汗が出て化粧のくずれないよう、汗をかかないでおこうとするわけ。こうやって暑い夏に、できるだけ汗をかかないように動き、あげくのはてには、汗をかくからイヤだ、行かない、汗を気にして、しなければならないことをしないでおく一つの理由として、「汗かきたくないのよ」なーんて人もいる。体は汗をかこうとしてるのに、その機能を働かせないようにしようってんだから、毎年、夏に汗をしっかりかいた人と、かかないようにした人とでは、10年後に体が強い方、つまり、丈夫な体ができあがるのは、間違いなく、暑い日に、その暑さに応じた汗を流した、その人のもつ発汗作用を、毎年、ちゃんと働かせた人の方に決まっている。


9月 2日 No.1213

忘れないことは覚え方の能力、忘れることは、忘れ方の能力!

 ただ、忘れるか忘れないかで、子どもも大人も、いいかげんな人間かきちんとした人間かを判断する、軽率な人がいる。なぜ軽率かというと、自分が決めた「忘れる忘れないという行為」に対する人の見方があまりにも、自分のみの尺度だからである。物を忘れる忘れないはあくまで覚え方の問題である。その「物」だけで、人を判断するところが軽いのである。忘れっぽい人にどう、覚えたら忘れないようになるのか、アドバイスもしないで、忘れた人をいいかげんな人と決めつける方がいいかげんである。ところが、「物」のジャンルを「人生の思い出」というジャンルに切り換えると、人生では、忘れない思い出より、むしろ、日々のくらしの中では、あれもこれも忘れたいことばかりのはず。このとき、イヤなことをすぐ忘れ去ることができたなら、どんなに楽だろうと思う。この場合は、忘れ方の問題。忘れることを活かし、忘れないことを活かし、そのどちらも、能力として認めて、人生に活かしてこそ、人生を豊かに生きられるのさ。


9月 1日 No.1212

何に対しても無関心な、国民が増えれば増えるほど、気がついたときには、徴兵制度になり、消費税12%の時代を引き寄せる!

 関西弁には、「ど」がつくほどあほや、と言う表現がある。今の我々、国民はまさにこの表現がぴったりあてはまるかもしれない。なぜなら、政治にあまりにも無関心すぎる社会人が増えたからだ。結果、どあほ議員を選出し、どあほ議員同士の話し合いから、どあほな憲法・条例・社会制度が生まれ、どあほな政治家だけを潤わせてしまうことになる。そして、そのどあほ議員をだれが選んだのか、我々、国民なのだから、大、大、大どあほが我々、国民になる。だから、どあほ議員にやりたい放題の悪政を通させ、気がついたときには、我々、国民が一番たいへんな目にあう。本来、我々、国民は、いつの時代も、どあほではない。だが、大、大、大どあほ国民に結果なってしまうのは、国民の半数以上が、政治に対して、あまりにも無関心でいるために、成り立ってしまう。ねぇ、お願いだから、自分たちの生活が苦しくならない程度には、もうちょっとだけ、政治を知ろうとしようよ。知ってさぁ、政治に無関心な人に、無関心じゃいられないように教えてあげようよ。知ればその人も得だろうし。これからは、どあほ議員を選ばないように、人から聞いた候補者じゃなく、自分で調べて、自分の気にいったヤツを選ぼうよ。でないと、未来の子どもたちが本当にピンチに落ちいっちゃいそうなんだよ。このまま阿部じゃさ・・・。