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| 8月31日 No.1211 ワクワクすることのない大人が、どうして、子どもたちのワクワクしてるか、ワクワクしてないか、分かるんだよ! |
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ここでいうワクワクは、例えばキャンプにいく前日に見せる、だれにでも分かるような、子どもがワクワクしてるっていう、見た目に分かるワクワクじゃない。つまりあれは、子どもが一度体験して、楽しかったことに味をしめ、またあそこへ行けるんだぁとかでワクワクする形であって、子どもの表情やそのときの喜びようから大人でも分かるわけ。ここでいうワクワクは、子どもが自分でもどうしていいのか分からないぐらい、ある体験中に起きるワクワクのこと。これが分からない親や大人が多いこと、多いこと。なんで分からないかは、子どもたちの一年間でおきるワクワクの数の、千分の一も、そういうワクワクしたり、ドキドキしたりすることがないから。わかりやすい例えで言うと、夜空の星がとってもきれいだったため、よし、今日は俺のお気に入りのあそこへ子どもを、初めて連れてってやるかと思いビルの屋上に連れてってあげる。そのとき、子どもが、かつての自分みたいに大喜びするだろうと思っていると、子どもは何も言わず、ただ見上げるばかり。「おい、すげぇだろ、この場所!聞いてんのか」って言っても返事もしない。帰りの車の中でも別に感動してる様子もない、と見た目で判断する。ところが子どもの方は、さっき見た、すげぇ星空が目の裏や脳裏にやきついてワクワクしっぱなしでどうしていいかわからない。つまり、連れていった大人が子どもだったときより、ワクワク度がすごいわけ。分かるぅ?こういうことに気づくためには、大人が日頃からワクワクすることがないと、得意の「決めつけ」で見落とすことになるのさ。 |
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8月30日 No.1210 頭を使っているつもりになってる大人が多いから、ちゃんと頭を使っている子どもが苦労してること、社会人のみなさんが知らなさすぎる |
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今の大人は、子どものころの教室でも、社会人になった職場でも、「頭を使えっ!」て言われてる大人たち。つまりガキのころから先生に言われてたことができず、職場にいる上司から、社会人になった今も言われてる大人たちってこと。それはガキのときから、頭をちゃんと使ったことがないって証明だよね。と言うことは、まだ、頭がガキってことと同じなんだよ。頭をちゃんと使っていれば、どうすれば、先生や上司にガキのころから言われてきたセリフを吐かせないようにできるか、分かったはずでしょ。でも、できていない事実がある。だから、社会人になった今も、言われてしまう。それは、ちゃんと頭を使っている子どもたちから見れば「大人って、結構、頭悪いよねぇ」って言われたりする。今の大人は常に、子どものころから、後手後手に回らされて、頭を使わざるおえないようになって、ちょっと考えたことを、『頭を使った』と思っている。それを、頭を使ってきたつもりになるって言うんだよ。そして、こう言うことを、今の大人に言ってやりたいと思っているんだけど、決して言わない子どもたちがいる。なぜ言わないか。それは、ちゃんと頭を使っているから、今の大人にこう言うことを言えば、そのあとの方が苦労することをちゃんと見抜いているからさ。彼らは、ちゃんと頭を使っているから、今の大人たちに付き合ってる暇もないし、教えてあげない方が得策だと言うことも知っている。さすがやねぇー!そんな苦労を、子どもたちにさせんじゃねぇー、社会人! |
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8月29日 No.1209 理解しようとしても理解できないことに出会ったとき、怒ったり、イライラする人は、子どもよりガキと理解すること |
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理解したいのに理解できないことに出会うと、怒ったり、イライラしたりする大人がいる。怒ったり、イライラしても、すぐ理解できない、とことを理解している人を大人というが、そんな単純なことも理解できていない人が、人生でどれだけ理解できることがあるかと思うと、その数は相当少ないだろう。そこに、人間だけがもつ感情が働けば、普通の大人でも、普通の精神状態なら理解できるものを、感情が働くと理解できることも、理解できなくなってしまうというのに、理解できないたびに怒ったり、イライラする人が、さらに感情を働かせたなら、理解していた今までのことも、理解できなくなってしまって当然である。そういう人は、子どもを先生としなあさい。あっ、でも理解できないか、子どもより、ガキだから・・・。人間には怒ったり、イライラすれば、理解できないことが、すぐ理解できるようになる能力は備わっていない、ということもちゃんと理解しておかなきゃねぇー。 |
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8月28日 No.1208 どんな勝負も連勝することはとても難しいって言うよねぇ!?じゃあ、その勝負ごとで一番難しい勝負ごとってなぁ〜に |
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こたえ。毎日、自分のなまけ心に勝つこと。すなわち、人生で、自分のなまけ心に勝ち続ける連勝ほど難しいことはない。これは、どんな道に進んでも、その道を極めようとする人でも、自分との闘いに勝ち続ける連勝ほど難しいものはないと言えるだろう。その道の達人になったとしても、どんなに一生懸命でも、どんなに精一杯やろうとも、どんなに頑張っても、ふっと、いつかこの連勝記録が止まるんじゃないかと言う不安に、勝ち続けなければならない。大変なことである。負けたければ、ほんの一瞬、自分で気を緩ませれば、想像以上の負けを手にいれられるだろう。ちなみに僕は気が緩みっぱなしだから、連敗記録がいつ終わるか楽しみになってきた(笑)。 |
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8月27日 No.1207 何かに打ち込んでいる姿は、男も女も子どもも年寄りも、みんなステキ |
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いろんなところで、夏祭りの踊りを目にする。地区、それぞれの踊りや歌があるというのに、踊りや太鼓に打ち込んでいる姿は地区に関係なくイイ表情、イイ雰囲気、イイ活気に満ちあふれている。そして、男だとか女だとか子どもだとか年寄りだとか、性別、年上年下関係なく、みんなステキな姿だと思う。僕はあの姿を見ると、ガキのころから、血がさわぐ。どれだけ大声だそうが、おおはしゃぎしようが、だれにも怒られることなく、エネルギーをぶつけられるからだろう。日本人も、他国のネイティブの民族と同じく、大昔から、歌って踊ってきたのだ。だから今でも、日本人が踊りに打ち込んむ姿は、様になりステキに感じるのかもしれない。 |
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8月26日 No.1206 人は、必ず、子どもになり、大人になり、年寄りになる。これは全体としての人生が同じなだけ。個人に焦点をあてるとみな違う人生があるから、おもしろい |
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人の人生は、たった一度きり。これは、みな同じ。どう同じかというと、生まれ、赤ちゃんになり、子どもになり、大人になり、年寄りになり、死ぬ。不幸でもない限り、だれの人生でも、この流れを必ずふむんのが人の人生。だが、その人の人生を一人づつ語ってもらうと、一人づつみな違う人生なのである。一人づつに、それぞれの生まれ方があり、一人づつに、それぞれの子ども時代があり、一人づつに、それぞれの大人時代があり、一人づつに、それぞれの年寄り時代があり、一人づつに、それぞれの死が用意されている。だから、たった一度の人生はおもしろい。それを「人の人生のどこがおもしろいんだ。俺の人生はつまらないことばかりじゃないかぁ」って人は、全体に同じの人生を生きているからだよ。個人の人生、自分だけの人生に焦点をあててみな。おもしろくなるから・・・。 |
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8月25日 No.1205 日に日にものを吸収していることを、親はもっと信じてあげなきゃ |
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わが子は、いってきまぁーすって、出ていって、ただいまぁーって帰ってくるまで、必ず何かを吸収してきたり、影響を受けたり、見たり聞いたりしてきている。そう、かつて、親のみなさんが子どものころ、そうだったように・・・。でも、今の親御さんたちは、わが子が、何にも知らない子どもだから、私たちが何から何まで教えてあげなきゃ、言ってあげなきゃ、してあげなきゃって思いこんでいるように思う。もっと、俺たちの子だから、日に日に必ず何かを吸収してきているはずさぁって、信じてあげてほしい。親がいないときの、わが子が、生き生きしている子も多いが、一番いいのは、親の前で生き生きしているから、当然、外にいってもイキイキしている子って感じの方がいいよねぇ。吸収力はどんな親の子でも、親より子どもの方がはるかにあるんだょ。それを信じてあげてほしい。 |
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8月24日 No.1204 なかなか越えられない自分だけの壁に出会ったら、その壁は越えずにおこうと思うぐらい大事にしてみよう。気がつかないうちに越えているから |
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生きていると、はたと、自分だけしか分からない、自分だけの壁に出会う。さぁ、これがなかなかやっかいな壁で、越えようとすれば離れ、飛び越そうとすると急に高くなったり、変幻自在に移動したり、変形したり、変幻したり、変更したりする。そんな壁に出会ったら、無理せず、これは自分だけに訪れた、あの、なかなかないオリジナルな壁だぁ、だから大事にしてみよう、真剣に思ってみよう。あるときは、壁に色をぬったり、あるときは、壁を修理してあげたり、そんなイメージをもって、付き合うと、不思議なことに、あれだけやっかいだった壁が、向こうから越えやすい形に変わったり、飛び越えなくてもいいほど低くなったり、すでに越えていたりする。ぜひやってみてほしい。 |
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8月23日 No.1203 人は景色・音色・香り・味・爽やかさとぬくもりに、何度も救われるのさ |
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イイ景色を見ると、それまでのくよくよしていた気持ちがいっぺんに吹っ飛んだりする。イイ音色を聞くとそれまで、いいようのないイライラが急にどうでもよくなったりする。イイ香りを嗅ぐと、それまでの不安がうそのように晴れたり、うそのように安らいだりする。イイ味がノドを通っていくと、それまでの辛さがすーっとなくなって、ほほえみがふえる。そして、暑いなつになぜか、さわやかな風が肌をかすめていくと、疲れをいやす昼寝にいざなわれたり、寒い冬にだんろのそばの炎のぬくもりのような、人のぬくもりにふれたなら、それまでの恨み、つらみ、そねみを忘れられる。人はいろんな景色、音色、香り、味、爽やかさとぬくもりに知らず知らずに救われている。感謝したいものだ。 |
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8月22日 No.1202 幼い子が泣いたら、抱いて、泣きやむまであやしたあげればいい |
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世界中の民族が、あたりまえとして、何千年もしてきた子育ての基本。これに偽りはない。年老いた母に、初老の息子が人生にうちひしがれたときも、やっぱり母は子育ての基本を忘れることなく、そっと抱き締める。そんな映画のシーンも数多くある。子育てに関する勉強や知識をして、子育てするのは、わずかに80年そこそこ。それまでの人間がしてきた子育ては、子育てすることを勉強したり、雑誌で知識を得なくても、困ったらわが子を抱き締め、わが子をあやしてきた。父も同じ気持ちで、おんぶや肩車をしてきたのにちがいない。それほどにわが子を抱き締めてあやしてあげることは、何千年もの、すべての民族が子育てであみだしてきた基本中の基本の子育てだから、何かわが子におきたときは、どんなときも、心をこめてしっかり抱き締めてあげてほしい。 |
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8月21日 No.1201 大人の集まりで多士済済のチームを捜すのは相当難しいが、子どもたちは皆、多士済済 |
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テレビのドキュメンタリー番組を見ていたら、ある会社のプロジェクトでチームを組むところから、つまり優秀な人材を集めるところから、プロジェクト当日、それまでの皆の苦労が吹き飛ぶ大成功をおさめ、大成功を祝う打ち上げまでをやっていた。まさに多士済済の集まりである。ちなみに多士済済とは「優れた人材が多くいること。才能のある人物がたくさんいること」を意味する。大人が集まって何かをするとき、多く場合、それぞれの思いに「欲」がからむのでなかなか、あざやかなフィナーレを迎えることができないが、子どもたちの集まりを見ていると、「おーい、俺んちでゲームしようぜ」とか、「あとで公園で集まろうぜ」としか、リーダー格の子が言っただけなのに、集まってくる友達は何のゲームをするのか分かっていて、それぞれの子がそれぞれのものを何も言わなくても、必要なものを持って集まってくる。これ、まさにビックプロジェクトに必要な多士済済の動き。子どもは本能的に、知っている。遊べば遊ぶほど、多士済済になっていくことを。 |
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8月20日 No.1200 小さい頃から僕(私)は、これだけは変わらないなぁって思うところが、良くも悪くも、自分の心の支えになってるのさ |
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僕の場合、良くも悪くも変わらないところは、たくさんある。僕を昔から知ってる親しい人なら「お前に良いところなんか、あったっけ」(笑)と言われそうだが、一つ例をあげるなら、話すときの声がでかいところ。マイクにたよらなくても、相当遠くまで声が通るのは良いが、内緒ばなしができないのは悪いところだろう。僕は数えたら切りがないが、声がでかいことで、元気なヤツと、皆に思ってもらえたおかげで、僕自身、随分救われた。また、声がでかいせいで随分、人に迷惑をかけたが、そのおかげで、声を張り上げていいとき、僕の場合、普通の人以上に声を小さくしなければならないときがあることを教わり、その教わったことが多少なりとも絵本を読ませてもらうときに役に立っていることは、僕の大切な心の支えでもある。 |
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8月19日 No.1199 家族でお腹一杯冷麦食べて、そのままクーラーのきいた部屋で寝る。これも一つの幸せ |
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とにかく暑い。それが何日も続くのが、夏という季節。そんな季節にさっぱりした物は何かないかってときに、冷麦がある。昔の人がこの冷麦をあみだしておいてくれたおかげで、暑い夏に、氷を入れて、キンキンに冷えた、口あたりのよい食べ物を、お腹一杯食べられる。お腹一杯になり、ほどよく涼しいと、気持ちいいから、そのまま寝てしまう。あ〜お腹一杯だぁ〜。涼しないぁ〜。気持ちいいなぁ〜。と思っていたら、そのまま寝てしまう。そのまま寝てしまうのは、お父さんと子どもたち。おばあちゃんとお母さんは、少し休んだあと、食器を台所まで持っていって洗う。そして、そろそろ目を覚ますなぁってころに、冷蔵庫で良く冷えた、すいかを切っておいてくれる。目ざめの、のどがカラカラのときの冷べたいすいかはサイコー。あ〜、しあわせ。おばあちゃんとお母さん、いつもありがとう。 |
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8月18日 No.1198 もうダメだぁーと思ったとき、本当にダメになる人と、ダメだと思っているのに何かの力が働いて、ダメだと思ったところから大逆転する人といるんだねぇ |
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ダメだぁと思ったところから本当にダメになる人と、大逆転する人との違いをあげるとき、大きな特徴として、日本語の中には、いくつかありがたい表現がある。その一つに「眼が死んでいる」がある。反対に「眼が死んでいない」がある。この表現にあてはめるなら、ダメがダメになる人=眼が死んでいる人、ダメから大逆転する人=眼が死んでいない人となるだろう。つまり、前者はネガティブな部分が眼に出て、後者はポジティブな部分が眼に出たといえよう。そういえば、どんな映画もアニメもまんがも、大逆転する兆しの前は、眼のアップがあるよね。今は、希望多き小学生でも、眼が死んでる子が多いから、この夏休みに少しでも、眼に力が宿るように、絵本など読んであげてほしいと思う。いざってときの大逆転のために・・・。 |
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8月 17日 No.1197 ねぇ、そろそろ、本気で国を変えてあげないと、今の子どもたちが大人になったとき、国のせいで大変な目にあいそうだょ |
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みんなが力を合わせていくってこと、戦争に負けて61年たつけど、これを本気になって、国民に演説した政治家が果たしていただろうか。自民党にいつもルールを決めてもらうことを国民みんなで、見直せば、必ず「国民をなめんなぁー」って、純粋な怒りが起こりそうなのに、61年間、僕ら国民が「どうせ、俺たちの意見なんか政治家に通るわけねぇ」とあきらめきったため、さらに自民党を中心とした我が国の政治家がやりたい放題、好き放題やっちまいやがる。勝てもしない、戦争をおっぱじめるのは、我々国民じゃなく、僕らが選んだ政治家が「よし、戦争をやるかぁ」って、自分たちは絶対死なないような位置で、政治家の家族や親戚まで、死なないようにして、人と人を戦わせ、つまり「おまえら、国民は、俺たち政治家のコマとして、殺しあえ!」ってなもんで決めちゃうわけ。こんなこと、許しちゃいけないよ。本気でもうこれ以上、ボケ政治家は許せないと思って、いつで一気やデモを起こす準備が必要だと思う。ああ〜、今度、また、日本人で生まれてきたら、神様、どうか僕に総理大臣やらせてください。 |
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8月 16日 No.1196 急げば危険度が増え、急がざれば危険度が減る。すべてのものごとに通じる簡単な摂理。だったら、どうしてそんなに子どもたちを急いで大人化させようとするのさ。当然、危なっかしいよね! |
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どうしてこんなこともわからないの?と、お母さんの甲高い声を聞くたびに、僕の頭の中で、もう一人の僕の声がする。「じゃ、おまえは、その、こんなことがいつ分かってたんじゃー、ボケー」と。今、叱ってるお母さんは、子どものころからそれが、分かっていたのだろうか。「そんなことも」と言う、言い方に「いつになったら、大人なるのよ、もう。お母さんを、こうやって、いつもいつも癇にさわることをして、困らせないでほしいわぁ、まったくもう。子どもって、だから、イヤよ。いつまでたっても、私のことなんてできやしない」っていう気持ちがこもっているように、顔つき、表情、声のキンキン度、態度などから、感じられる。子どもを急いで大人にすると「大人になってから、本来、危ないことを、危ないと思わずにやってしまう、危ない大人になる!」その可能性が、大きくなる、というのに。やれやれ・・・。 |
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8月 15日 No.1195 誰かに責任を取ってもらいながらしか生きられない人生って楽しいのかい?自分の人生は自分で責任を取るから楽しいんじゃないのかぃ! |
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自分は責任を取りたくないって人が、仕事をしている場合、それ、良い仕事って言うのかなぁ。それ、仕事をなぞってるだけでしょ。そんな仕事でもらう給料で家族で飯を食って、ほんとに、心の底から「うめぇなぁ〜」っていう食事ができるのかなぁ。何、やっても、責任を取ることのないように、逃げて逃げて立ち回って、いつもすぐ逃げられるよう、目配りばかりして、それでたった一度の人生を、楽しめるのかなぁ。ほんとに。働くってことも、生きるってことも、責任を取れるように、逃げるんじゃなくて、追いかける方が断然、楽しいのに。まぁ、おにごっこで例えると、僕の場合、逃げ隠れするより、鬼として、追いかける、見つける、探し出すの三点が人生にも出てて、何か、宝探ししてるみたいで、楽しいけどね。 |
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8月 14日 No.1194 最高の思い出が、過去にたった一つある人。最高の思い出が、毎年更新される人。どっちもそりゃ最高だね! |
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前者の人は、「今はなかなか、忙しくて、とてもじゃないけど、なけなくなっちまった。だけど、俺が一番最初に勤めたところを、頭にきて勢いで辞めた年、もうどうだっていいやって思って、日本中の小さな島を回り歩いてたころ、〇〇県++郡☆☆島に行ったんだ。あのころの☆☆島にフラッと寄ったときの思い出は、俺の最高の思い出さぁ。今は、観光地になっちまったから、もう、俺の知ってる島じゃなくなっちまったよ」なーんてタイプ。後者は、毎年、毎年、あちこちの美術館に訪れて、もちろん海外にまで足を運ぶような人は、去年より今年、今年より来年が最高の思い出になるようにしてるんだけど、それが毎年、毎年、叶ってるタイプ。そりゃいい、そらゃ最高だぁ。どっちもね。 |
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8月 13日 No.1193 和をもって貴ぶ。約1500年前に憲法になったいい言葉。でも1500年たった今も日本人は護れなてないねぇ! |
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聖徳太子の定めた十七条の憲法にかかれた言葉。人として、やってはならない当たり前のことばかり、十七ある。このときから、日本人は愚かものばかりかもしれない。だから、我々の先祖は中国大陸から、追いやられたのかもしれない。人目を気にしながら、人の悪口大好きで、一旦、自分にその悪口が向こうものなら、我が身かわいさに平気で人を裏切ってでもその対象からはずれようとする。それが、いくつかの記録に巻き物として、漢文でかかれているのだが、読めば読むぼど情けなくなる。みなさんはご存じだろうか?そんなころから、倭人としての我々は、トンと呼ばれ、家畜と同じ、叩いても叩いても言うことを聞かないヤツという意味で喩えられていたことを。1500年前にタビを履くようになって、豚足と言われ、今も豚足扱いでなじられて言われていることを。我々は、日本国内において、すごい人とか、偉い人とか思っているだけで、となりの国一つ、すごいとか、偉いとか、言わさすにいたっていないのである。まだまだ、世界からみれば、まだまだ「和をもって貴ぶ」ことができない愚かな国として笑われていることを、社会人としてちゃんと知っておかねばならない。 |
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8月 12日 No.1192 人は、人を責めたり、人を攻めたり、人を勢めたりを簡単にできるくせに、自分の過ちを認めることはなかなかできない! |
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人は、「3タイプのせめる」ことにおいて、得意中の得意である。得意と言うより、幼くても、誰に教わらなくてもできてしまうほどである。なぜかを、僕なりに考えた。人の体の中には、人へ進化する過程で、自分より少しでも弱いものを見つけると、いじめたり、もてあそんだりしながら、肉食動物として、エサを見つけ食べなければならなかった。つまり生き残るために「3タイプのせめる」をしなければならなかった。だから、そのなごりのようなものが人の細胞の一つ一つが覚えていて、それはこれからも、動物としての人間でいくならいくら進化しようが、それは消えないだろう。だったらどうするか。人は、この地球で唯一の知的動物である。理性で、こらえることができる動物である。だとしたら、知的動物として進化し、過ちを認めることにおいて進化すればいいのである。はたして、できるだろうか。今の人間に・・・。 |
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8月 11日 No.1191 子育てってさぁ、よその家の子育てを、マネすることじゃないからね! |
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よその家の子育てをマネ育てしてどうするのさ。よその家の子みたいになってほしいわけ?あんたの血は、我が子に流れてんのに、どうしてあんたの血が入ってないよその家の子育てをマネする必要があるのさ。あまりにもネマ育ての多さにあきれてしまう。マネ育てなんかしたって、我が子がよその家の子のようにならないって。あんたの血が入ってるんだぜぇ。なるわけない。我が家は我が家の子育てだから、我が子らしい、我が子が育つんじゃないかぁ。すべての我が子はある意味、親のコピーとして、この世に、たった一つのオリジナルとして命を宿して出てきたのに、どうして、マネ育てなんかしてよその家のコピーなんかしようとするのさ。なさけないったらありゃしねぇ。よそんちのコピーで育てられたのかって、あとで知った我が子は、かわいそうだ。どの子もたった一つの顔をもって、人のやれないその子だけのオリジナルな何かをするために、人は生まれてくると言うのに。 |
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8月 10日 No.1190 風鈴の音を聞きながら、木陰で本を読んでみよう! |
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暑い夏に、風鈴の音色を聞くと涼し気である。そんなとき、はたと思いついた。「そうだ、この風鈴を持ちだそう。場所はあそこの木陰の下がいいなぁ」と。そして新刊の本を一冊、あそこの木陰にぴったりの本を一冊、手にもって。目的の場所まで車でやってきた。助手席のドアをあけ、取っ手に風鈴を結ぶ。ゴザを木陰に敷いて、木にもたれて、新刊を読む。不思議なことに、その節、その節のサビの文章にさしかかるだびに、チリン、チリン。ナァーイス(^O^)。むちゃくちゃ涼し気で、めちゃくちゃ味のある読書タイム。おまけに、クーラーの電気代はかからないは、クーラー病になる心配はないは、本ばかり読んでとの小言はないは、鮮やか音色につつまれながら、ストーリーにどっぷりつかれるは、イイことづくめ。みなさんも、ぜひ、おためしあれ。あと、ムギ茶があれば最高だね。 チリン、チリン・・・・チリン。 |
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8月 9日 No.1189 子育てを学ぶなら、自分を育ててくれた母を先生にするのが一番さ! |
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子育てで悩んでいる人は、一度、真剣に自分の母親にこう訪ねてみて欲しいと思う。「お母さんが、私と同じぐらいの年に、私を子育てしてて、一番、手をやいたとこって、どこ?覚えていたら、教えてょ」って。むちゃくちゃ参考になる話が飛び出すかもしれない。飛び出さなくても、母親は今も、やっぱり母親だと思う話が聞けるかもしれない。いずれにせよ、どんな母親も私を育てたんだから、必ず、なんらかのエピソードをもっている。世の中には、今さら聞けないと思っている母親もいるが、聞かないから、悩みがいつまでたっても、消えないのかもしれない。今はおばあちゃんだけど、それは私の子どもからの呼び方になっているだけで、私が2児の母親になっても、私から見ればいつまでも母親なのよねって、今一度、娘として、母親に問うことは、私を育てあげた名先生に問うことと同じことなのさ。 |
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8月 8日 No.1188 気がつかない間に、思いあがっていると、必ず、イタイ思いをするようにできてるんだな人生ってヤツわぁ! |
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ちょっと、生活が順調だったり、仕事が調子がいいと、人間は気がつかない間に思いあがる。中には、成り上がる人までいる。そんな人を見て「あいつ、最近、調子に乗ってるよなぁ」と、そしらなくても、その人が、自分に、厳しい人でない限り必ず、その人のもつ、縁か人生か運命が、ちゃんとイタイ思いをさせて「おまえ、最近、また、思いあがってるよ」って、その人自身に気づかせるようなことが起きるもんさ。そこで気がつかなかったりすると、何度でも、イタイ思いがやって来て、調子に乗らせないように人生側がしてくる。それでも、気がつかないと、病やケガをさせて、完璧に動きを止めにくる。そうならないように論語の中には、普段から、「自ら甘味を求めれば、甘味によって邪病を呼び、自ら辛味を求めれば、辛味によって正健を呼ぶ!」なーんて謂うのかもしれない。 |
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8月 7日 No.1187 どんな勝ちでも、勝ちは勝ちって知ってるのに、何で、キレイな勝ち方を求めたいい方をするのかなぁ。それじゃ選手は勝った気がしない |
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自分の息子が、野球やサッカーのクラブに入る。娘が、ソフトボールやバレーのクラブに入る。はたまた、剣道や柔道を習う。レギュラーや選手になれば、試合で勝ちにこだわるはず。応援に行っただれもが、自分の息子や娘のチームに勝ってほしいと願う。そして、勝ちにこだわる局面で、勝ちにこだわった戦術や作戦を実行する。それがあとでどんなきたない手と言われたとしても。そして、勝ったとする。試合を振り返り、やっぱり流れ的に、あそこしかチャンスはなかったし、あの作戦を、実行していなかったら勝てなかったかもしれなかった、と試合を振り返る。勝ちは勝ちの、できあがりである。どんなきたない手と言われようが、勝ちは勝ちのはず。だが、我が国は「ああまでして、勝ちたいのか」とか「高校生の健全性にかける試合」だとか、先の亀田興毅のライトフライ級の試合にしたって、キレイに勝って欲しいという、思いがとても強いため、せっかく勝ってもだれも喜ばない、喜びたくない、喜べない、という勝ち味を選手に味あわせてしまう。この国は百年ほど前、きたない手を使って、いや、きたないを通り越す手を使って、となりの国の領土を取ろうとした国民だし、今も政治家はもちろん、利権がからむと平気で人を人と思っちゃいないことをやらかす国民のくせに、スポーツだけ、キレイな勝ちを求めるなんて、ちゃんちゃらおかしい。だったら、キレイな勝ち方ってこうやるんだってものを大人がみせてやれ!それからだよ、人を応援するのは。まずは、勝ったヤツの文句なんか言ってねぇで、人なんか応援せず、自分を応援するのが先じゃねぇの! |
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8月 6日 No.1186 優しさ、そのものに幅はないよ。優しさを受けた側に幅があるのさ! |
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例えば、まず、ちょっとしたことをしてあげる側から。もちろん、これをしてあげたら、相手に優しいと思ってもらえるかなって言う計算した優しさはナシね。純粋にただしてあげるだけ。この話の流れだと、あれがいるなぁと思ったので、取りに行って帰ってきたら、「誰か、あれを明日までに用意してくれー」と言っていたので、「今、ここに、取ってきました」と、言えることを純粋にしてあげたとする。次に、してもらった側が、その場に、4人いたとする。Aさんは、「おう、サンキュー」と言い、Bさんは無反応。Cさんは「ええっ!?普通、まる一日かかるような資料集めを、いつ、どうやって用意してたんですか?助かったぁー。じゃあ、これでみんな期日までに間に合いそうですね」と感心したように言い、Dさんは、「きっといつも、俺らのことを考えてくれてるんだよ。優しいなぁ」と言った。ねっ、優しさを受ける側に幅があるだけでしょ。世の中には、優しさを受ける幅が広い人と、幅が狭い人がいるので、あんまり、優しさを受ける幅の狭い人に、「あの人はちっとも私の優しさに気付かない」って目くじら立てないことさ。幅がせまいんだもん。 |
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8月 5日 No.1185 絵本を読ませてもらうとさぁ、子どもの心の扉を、開けてもらえるような気がする! |
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今、子どもの心を覗ける能力を、神様から授かったとすると、どの子の心にも、扉が何重もあるような気がする。しかも、その扉一枚一枚に、かなり大きめのカギがかけられているような気がする。そして、自分がカギをもっているにもかかわらず、あまりにも、長い間カギをかけっぱなしだったため、たまに自分が開けたくなって、開けようとしても、なかなか、開かず、どうしていいか分からなくなってしまった子も、たくさんいるような気がする。でも、こんな僕でも、絵本を一冊、読ませてもらうと、今まで開かなかった扉が、簡単に開いたような気がするときがある。また、一冊。そして、また、一枚の心の扉が開く。いや、開けてくれるような気がする。そんな気にさせてもらえる絵本って、すげぇー書物だと思う。 |
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8月 4日 No.1184 みんな、ちょっとでいいから、優しい一言を望んでる! |
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ありがとうな。おつかれさん。ごくろうさん。たすかった。その気遣いがありがたい。うれしいなぁ。この思いやりがしみるなぁ。さっと、気がついてくれてありがとう。いつも感謝してる。照れくさいけど・・・ありがとう。あんか、ホッとしたよ。優しいなぁ、ほんとに。何かあったら、ほんとに、すぐ、連絡してくれ。すぐ飛んでくぜ!。陰ながら応援させてもらうわぁ。なーんにもできないけど、これ、使って。どんなときも、あきらめちゃいけない。お前なら、できるさ。さすが・・・、やるぅー!。お前がいたから、ここまで、頑張ってこれた。お前の笑顔は最高だね。そのあったかさにいつも救われる。またまだ、たくさんあるけど、最低でも、例にあげたセリフぐらい、言えるでしょ。相手を想う気持ちがあれば・・・。 |
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8月 3日 No.1183 「人を外見で判断してはいけません」っていう大人ほど、外見ばかり気にする内面をもってるものさ。(笑) |
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マナーとしての外見はとても大事だと、僕も思う。でも、マナーとしての内面も、外見に負けず、とても大事だとも思っている。ところが、自分も他人も外見を重視する大人の方が、圧倒的に多いのが、世の中。これからの世の中で、内面の「心は綿」を意識するような大人が、圧倒的に多い時代はなかなかこないだろう。個人単位では、信念をもって、内面を磨こうとする人はいるだろうが、その数が圧倒的な数の固定観念とならねば、決して「心が綿」の時代とはならないだろう。あっ、今、僕の心の耳にこんな声が聞こえてきた。 「外見ってそんなに大事なんかい?外見がなんぼのもんやねん!外見を気にせな大人と言わんのかい!民主主義国家の民は、もっと外見を自由に選べるんと違うんかい!そんなに人の目を気にしてて、人生、楽しいんかぃ・・・んーん、わからんのぅ、わしには」と。 |
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8月 2日 No.1182 親なら、子どもが悪い行いでスリルを楽しむことのないよう、キッチリ善い行いで楽しめるようにしておいてあげよう! |
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子どもに、まず、どんなスリルも必ず、勇気がいることを伝える。そして、万引き、ドラックなどのクスリ、破壊、ジャックなどや、どんなに仲のいい友達からの誘いでも、ニュースや新聞、広告などで、してはいけないと書かれたもの、やめようと書かれてあったものを勧められても、何があっても必ず、断ることができるように、口をすっぱくなるまで普段から言っておく。このとき子どもから、あと何回、同じことを言うの?と聞かれても、「この世から悪い行いが、無くなるまでよぉ」の、一点張りでいいだろう。そして「だから、いったじゃない。どんなスリルも勇気がいると。そのせっかくの勇気は、どおせなら善い勇気で使ったらどう?。それができれば、それも何度も言わせずにすむ方法。で、善い行いにつながる勇気をもってして、楽しむスリルとは、例えば『見て見ぬ振りをしない』を実践するとかね!?。この実践は、できそうでなかなかできないの。でもね、この実践は、善い行いに必ずつながるし、その勇気はすべてスリルを楽しめるから。結構難しいけど、チャレンジしてみて」と。 |
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8月 1日 No.1181 誰に言われるわけでもないのに、自分から進んで、世の中のためになることをコツコツしている人を、なじるとバチがあたる! |
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ある、おじさんが、大きな国道の右折ラインの内側にある、雑草がはえているところに投げ捨てられた空き缶を、毎日、拾ってはつぶし拾ってはつぶし、とうとう、市から表彰された。そのつぶした空き缶で、車椅子68台、軽自動車の車椅子がらくに乗るオプションがついた特装車を4台、介護者を乗せるワンボックス1台などなどだが、本人は、もとは私の飲んだ空き缶ではないので私のものとするわけにはいかない、とやっぱり、人間ができている。そんな人を朝から「じじぃ、そんなところで空き缶なんか拾ってんじゃねぇ、死にたいのかぁ、と罵声をあびせタイヤを鳴らしながら右折していったヤツは、「私が朝、空き缶を拾いにいかなかった日に限って、大事故をしたり、私が帰ったあと、すぐ事故して大けがしますね」とさらっといった。それって、なんか、怖さに迫力あるよね?みなさんも、コツコツ善いことをされてる人を、自分はしたこともないのに、なじることのないようご注意ください。 |
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