ブックドクター・あきひろのイチニチイチゴン
一日一言 〜千夜一燈 ver.〜

諺「長者の万燈より貧者の一燈」

貧しい人のわずかな志は誠意のこもっている点で、たくさんの志よりもまさっている。
形式よりまごごろの尊さをいう。
                       一日一言 〜千夜一燈 ver.〜 

諺「長者の万燈より貧者の一燈」

貧しい人のわずかな志は誠意のこもっている点で、たくさんの志よりもまさっている。
形式よりまごごろの尊さをいう。

7月 31日 No.1180

この時期になると思いだす。親たちが、夏バテしないように、ほうれんそうのおひたしばかり食べさせようとしたことを(笑)

 この夏の時期がくると思いだす話がある。夕飯のたびに、僕ら兄弟が夏バテしないようにと、必ず、ほうれんそうのおひたしが出たのだ。そして親父がこういう。「お前らガキは、ほうれんそう、食わな、日射病なって、ばったり倒れたり、夏バテして、体がダルぅーなったりすんねん。えーか、メシ、一回、口に運んだら、次は、ほうれんそうも一回、口に運んで、よー噛めぇ」と。そう言いながら、親父はごまを山ほどふった後、しょうゆをちょっとかけて、うまそうに、おひたしご飯(我が家はそう呼んでいた)を食べた。そんな僕も親父になり、今、僕がこの同じセリフを子どもたちに言っている。そして、ごまをたっぷりふって、しょうゆをちょこっと落として、おひたしご飯を口いっぱいに、ほうばると、僕にとっての夏バテ対策の始まりである。だから今なら、あのときの親の気持ちがはっきり解る。親は、わが子の体をそうやって丈夫にしようとしていたんだ、ということを。
 何はさておき、やっぱ、おひたしご飯、うめぇ〜!!


7月 30日 No.1179

子どもの「おもしろい」って声を聞きたいなら、迷わず絵本を勧めるといいよ!

 子どもは、授かった感性で、おもしろいものを、感じとる能力に優れている。大人が、おもしろいと思ったり、感じたりしたものとは、全く別の次元だといえるだろう。子どもになぜ、僕が、自信をもって絵本を勧められるかと言うと、僕みたいないいかげんな人間が、子どもたちの前で、へたくそな絵本の読み方でも「その本、おもしろかったぁ〜」って言ってもらえる事実があるからである。つまり、僕がおもしろいわけではなく、子どもからすれば、おもしろい絵本に出会い、それを読んでくれたのは、どっかのおいちゃんで、このおいちゃんも、ついでにおもしろいとしてあげよう、みたいなものである。一人、5000円ものフリーパスを買って、ディズニーランドに連れていってあげて「おもしろかったぁ〜」と言うせりふを聞かなくても、絵本なら何度でも聞けるというわけ。それに一冊が1500円前後で、何度でも聞けるなら、安いもんじゃん(笑)。


7月 29日 No.1178

やっぱり子どもが、輝けば、その輝きに照らされた周りの親や大人も明るくなる。猜疑心ばかりの、こんな世の中で、数少ない、これも確かなことの一つ!

 子どもは、やっぱすげぇ!。ある、お母さんから手紙をもらった。内容は、息子の子育てで、ちょっとした悩みを持っていたとき、その息子が、普段は帰ってきても、「ただいまぁー」って入ってきたこともないのに、その日はハッキリ「ただいまぁー」って、聞こえる声で帰って来たので、あれっ!て思ってたら、すぐ、近寄ってきて「今日ねぇ、おじちゃんがねぇ、絵本読みにきてねぇ、コロコロコロ・・・とかビビビビビっていってたぁー」と言ったんだって。すぐ、園に電話して話を聞いたらしい。それで、その日、その絵本を買いにいってから、毎日、その絵本を読めって言わるようになって、多少、困ることもあるけど、今、それまで、お母さんが悩んでいた、息子の悩みである、声がいつも小さくうなずくばかりの子が、意思表現ができるようになり、うちの子が輝いて見えるようになって、悩み解消となったみたい。それで、そのお母さんも、いつの間にか、自分が明るくなっていることに気がついて、園の先生に僕の事務所の住所を聞いて、お礼をいいたくて、わざわざ手紙を書いてくれたというわけ。その日、保護者会に行かなかったのがほんとに悔やまれます。
いつかまた、こちらに来られることがありましたら、今度は何があっても聞きに行きます、と結んであった。その手紙で、僕まで明るく照らせてもらったのは、やっぱ、その子の輝きのおかげだと、心の底から思う。僕はたぶん、そのとき、子ども前で、ただ、はしゃいでだけだとおもうが、また、子どもに救われ、あったかくしてもらった。ありがとう。


7月 28日 No.1177

抜け出したいなら、抜け出せばいい。そして、戻りたくなったら戻ればいい。そうやって自分なりのメリハリをつけるのも一つの方法さぁ!

 何かのしがらみは、幼いころからある。いつもいやがらせをしてくる友達のお母さんと、自分のお母さんが仲がいいため、なかなか、その友達とも呼べそうにもない友達との関係から、抜け出したいけど、抜け出せなかったり、職場と住んでいるところが同じ町内のため、職場の営業先が同じ町内のだれだれさんちだったりすると、会社のかんばんを背負ったときの自分は、お願いする側の自分になり、休日には、その営業先の喫茶店に、近所の客として、有利な立場の自分になる、そんなしがらみから、引っ越せず、どこにも逃れられず、そんな生活から抜け出せない、という人もいる。だけど、関係がいい内はいいけど、いつまでも、そんなしがらみじゃ、身も心ももたないよ。だから、死ぬ気の勇気がいるだろうけど、抜け出してみようょ。そのしがらみをやっつけるために・・・。


7月 27日 No.1176

さっと、気がつく子は「状況判断」が早いと思っている大人が多いけど、それってちょっと違うんだなぁ。実は根っから「思いやり」をもってる子なんだょ!

 子どもは、いろんな能力を心に秘めて、この世にやってくる。そんな子どもたちの中には、ときたま、根っから「思いやり」を体に宿してやってくる子がいる。いるんだなぁー、ほんとに。親が思いやりを持ってる持ってないにかかわらず、そういう子が・・・。その子は、大人のように「良く気がつく人って思われたいから」って理由で、気がつく人になったわけでもない。こうすれば、こう思われるああすれば、人にああ思ってもらえるのかってかけひきのある、気がつく子でもない。ただ、好きな人きらいな人、関係なく、気がつくんだ、そういう子わぁ。そんな子は、僕みたいに、たばこを吸う人をみたら、さっと灰皿を出すことなんて朝めしまえ。最近、どこの店も、店員に「灰皿くださぁ〜い」って、言っても、なかなか持ってきてくれないっていうのに。そういう子は、店員よりはるかにいろんなことに、気がつくょ。


7月 26日 No.1175

子どもが、かくれて何かすることは、ワクワクすることばかり!それが大人になったとき必ず役に立つ!

 子どもが親の目から逃れるように何かしたり、大人の目を盗んで何かしようとしてるときは、ワクワクしてたり、ドキドキしてたり、そりゃもう、すげぇーいろんな感情に包まれるわけさ。ちなみに僕は、ガキのころからあのワクワクを得たいために、相当たくさん、かくれたり、いろんな目から逃れたりしたから今だにそれがぬけなくて、しょっ中、かくれて何かしたり、事務所の目から逃れて何かするのが大好きだけどねぇ(がははは笑)。子どもはみんなそうやって「一人の時間」を必死になってゲットしようとしてるんだよ。このガキのころの「一人の時間」を、たくさんゲットして大人になったヤツは、世の中に出たとき、人生のどこかで、悪いことが不思議と重なる流れみたいなものがやってきてもへっちゃらなんだ。流れが悪いときは、どうしても「ひとり」になる。「ひとり」は「ひとり」でも、ガキのころの「一人の時間」ではなく、孤独を感じる方の「独りの時間」になるもんさ。このなとき、ガキのころにたくさん「一人の時間」をもってたヤツは「独りの時間」においこまれても、昔の自分を振り替えることができる。「そう、どうせ俺はガキのころから、いつも『ひとり』だった」と。これが「独りの時間」から「一人の時間」への、心の変換となり、落ち込みきって、すねて、人生を棒にふることもなく、自分で自分の身を守ることになるのさ。


7月 25日 No.1174

多少バカでもいいじゃん、明るければ。多少ドジでもいいじゃん優しければ!

 親は、いつの世も、我が子に思いをよせる。でも、昔は我が子が安全に、そして健康で、まっすぐ育ってくれれば、それでよしとする親も多かった。今は、どこの親も、その親の思いってヤツが半端じゃないほど多い。うちの子には、医者か弁護士になってもらいたい!そのためには・・・。この「・・・」のあとには親の思いが無限に続くかのようである。例えば、よーし、この子には少しでも、いい先生のいる塾で、レベルの高い教育を受けさせよう。私は勉強ばかりじゃだめだと思うから、テニスかスイミングを習ってもらって、丈夫な子になってほしいわぁ。あっそうだ、音楽なんかも子どものときから身についていたら、将来、いいんじゃないかぁ。ピアノとかバイオリンとか。などなど親が我が子に思いをよせだすと、きりがない。僕はこう思う。親が、きりのない思いを我が子によせるよりも、たった一つの親の思いをきりがないほど思い続けてあげてほしい!と。
例えば、「明るい子になってくれれば、それでいい」とか「何より健康で、だれにでも優しい子になってくれれば、それ以上、何ものぞまない」とか、親の思いを一つにしぼって、その思いをきりがないほど思い続けてあげること、それが本来の親が我が子に思いをよせる姿だと思う。


7月 24日 No.1173

これからの時代は、賢いと言われてる人に、気をつける頭をもった人を、賢いと言ったりして!

 かつて、世界に誇る「教育国 日本」と言われた時代があった。そのため、賢いと言う言葉から連想することを伺うと「勉強が良くできる人」「ものを良く知っている人、いろんなことを知っている人」などがトップにくる。実際、賢いと言われている人にお会いすると、みんなが連想する通り、もの知りで仕事が良くできる人が多い。でも、僕は、賢いと言われている人のある共通点を見つけた。それは、ほんとに賢いのかなぁと思ってしまうことである。何かと言うと、腰が悪かったり、お酒を飲み過ぎて体を壊したり、言い方に優しさが感じられなかったり、自分の保身のためだったら平気で人のせいにしたり、責任逃れをしたり、セクハラしてたり、カッとして暴力をふるったり、不祥事をもみけそうとしたり、卑怯な手を使ったり、最期は自ら命をたったり、なめんじゃねぇー!ってこと、結構してるんだけどなぁ、賢いと言われてる人が・・・。


7月 23日 No.1172

人間関係には、必ず、和やかな間合いがある!

 親子でも、友達でも、近所でも、会話をするとき、みんなで何かをするときなど、必ず、相手との間合いがあるよね。つまり、自然に集まってきたときの立ち位置のこと。話しの内容によって変わる距離感を言っているのではなく、あくまでも間合いとはそれぞれの位置ね。その間合いで、場の和む間合いがあって、その間合いは誰に教わったわけでもないのに、自然な間合いをとれる。この間合いを意識すると、ある間合いで和む間合いがだんだん分かってくる。僕の場合、その間合いがわりと狭いため、よくケンカになり、胸ぐらをつかまれることがよく起こった(笑)。でも、家の中で、親父がテレビを見ている位置から、僕が自然に座った位置までの間合いは、和む間合いなんだよね。僕が近すぎると、足で蹴られながら「もうちょっと向こうへいけ」と言われた。あの、ちょっと離れたときの位置と、蹴った親父までの位置が、いがみ合うことのない「和みの間合い」だった。みなさんも、ぜひ、あの和みの間合いをこの機会に思いだしてみてください。


7月 22日 No.1171

親は、わが子の心配な部分に、敏感になる子は、親が仲がいいか敏感になる!

 わが子の心配な部分によって、親はみな敏感になるところが違う。小さいころから、「うちの子は、すぐ風邪を引いて熱を出すのよねぇ」と思っている親は、わが子の表情を見て熱っぽくないかとか、うろ〜っとしてないかとか健康面に敏感になるし、「しょっ中、担任の先生に注意されてるみたい」と思っている親は、わが子が何かやらかしはしないかと、行動に敏感になるし、親が心配な部分が、敏感になるけど、わが子の方は、その部分を自分自信は全然、心配してないんだよ。むしろ、今日のお父さんは酔っ払って帰ってこないかとか、今日のお母さんは機嫌が良いか悪いかとかの方が、自分のことより心配で、お父さんとお母さんがケンカもなく今日は、仲がいいか悪いかってことに、わが子の方は、常に敏感なのさ。


7月 21日 No.1170

大失敗したときも、大成功したときも、素直がキーワードだね!

 大失敗したときは、いいわけなんかしないように、素直に謝る。素直に何でも聞く。素直に反省する。素直に自分の何がいけなかったのか見つめる。素直にどうすればいいか聞きに行く。素直に行動する。そして、大成功したときは、素直に喜ぶ。素直にはしゃぐ。素直にだれかに伝える。素直に自分をほめる。素直にお礼を言う。素直に頭をさげる。素直に感謝する。大失敗をはねのけるような素直さ、大成功におごらない素直さなど、どっちも素直がキーワードだと思う。僕はなかなか素直になれないが不思議なことに、自分がしたいことには、大失敗するか大成功するか結果は分からないが、そういうときほど、素直に頭が働き、素直に体が動くんだよねぇ。それも一つの素直かもしれない。


7月 20日 No.1169

目をちゃんと見ながら話すことが身についていて良かったと思うなぁ!

 僕が小さいころ、親にも、園長先生にも、近所のおじさん、おばさんたちにも、ちゃんと目を見て話しなさいって言われたせいで、今も、話すときは目をちゃんと見て話すことが身についたと思う。でも、小学校の先生たちからは、叱られたり怒られたりしているときも、相手の先生の目をしっかり見て話しを聞いていると、「何だその目わぁ、何か文句でもあるのかぁ」とか、「その反抗的な目は何だぁ」とか、しょっ中、言われた(笑)。僕は、親側の大人たちから、それをしないと叱られるから、身についた良きことを先生の前でもちゃんとしているだけなのに。でもそのおかげで、先生側の大人たちからは、さらに、それをすると怒りをあおる形になることも学んだ。そして、先生側の大人たちは何となく「僕のため」を思って言ってくれてるような雰囲気が感じられず、憎しみがこもった目とは、こう先生の目付きをいうんだろうな、と言うことも学んだ。だから今、親側の大人たちの言ってくれた方を取って、良かったなぁと真剣に思う。


7月 19日 No.1168

探せそうでなかなか探せないのが「自分の道」ってヤツさ!

 最近、いろんなところで、「自分の道を探しなさい」とか「今の仕事は自分の道に合ってますか?」とか「自分の道」とつくセリフにかなり出くわすようになった。小説、ドラマ、映画、新聞、テレビなどあげたら切りがない。だが、こうなったのも、今の社会人が創ったものだろう。これは「自分の道」を見つけて社会人になった、ほんの一握りの人たちが使えば、説得力があるだろうが、なかなかそうは簡単に「自分の道」というヤツは見つからない。これほど目につく、「自分の道」という言葉を横行しているにもかかわらず、一向に「自分の道」というキャッチフレーズが消えないのは、みなが「自分の道を見つけてないのは、俺だけじゃないさ。みんなだって、見つけられてないからまだいいや」と思っているからかもしれない。でも、本当は分かっているはず。自分に合った自分にしかできない自分の道を、いつも求めていることを。


7月 18日 No.1167

今の大人たちが、今の子どもたちに遊びを誘うとき、かつて良くやっていた遊びで誘うくせに、子どもたちの方は、いとも簡単にやってのける(笑)

 今、土曜日の午前中に、小学校の校庭にお父さんたちが集まって、子どもたちに、かつて子どものころしていた遊びを教えたり、その遊びの中から、忍耐力、探求心、あいさつなどを学んでもらおうとする、運動のようなものを、あちこちの小学校でやっている。これは元はもっと、お父さんにわが子と触れ合ってもらえる機会をつくろうということからきている。それであるお父さんは子どもころ、一輪車だけは、良くやっていたと言うので、即席一輪車コーナーのコーチ。あるお父さんはケン玉コーナーのコーチ、あるお父さんはなわとびコーナーのコーチ、他に鉄棒、テレビゲームさまざまなコーナーがある。そこに子どもたちがそれぞれ好きなコーナーにいくのだが、さすが子どもたち。各コーナーのお父さんたちは、教えてやる気まんまんなのに、子どもたちの方が各コーナーのコーチ役のお父さんより上手いのだ。あとでわかったが、子どもたちも知恵をつかっていて、その各コーナーのコーチ役のお父さんをギャフンといわそうと、相当のエキスパートを送り込んでやっつけて、お父さんたちと「触れ合ってあげているらしい」。さすがやね!


7月 17日 No.1166

車には2年に一度、車検があるから、心配な個所を直しておける。でも、自分の体には車検がないから、日頃から自分の心配な個所を治す視点が必要!

 これは健康管理のこと。車検ならぬ「体検」と言えばよいだろうか(笑)。「体検」は自分自身で行わなければならない。車検のように国が期限を決めてくれてあれば、来月は車検だなぁと準備ができる。そして、プロの視点で、交換個所や傷んでいる個所や、「今回の車検は通りますが、すぐ、直さなければならなくなるでしょう的」個所などを、自分以外の人の目で見てもらえるため、安全性の向上につながる。でも、自分の体の痛みや、いずれ治さなければならない的個所は、自分しか自分の体の安全性の向上は図れない。たった一度の人生の体を大事にしてあげてほしい。車のように買い換えることができねぇんだなぁ体ってやつは・・・。


7月 16日 No.1165

繰り返すのは、確かなことに限るよねぇ。でも、ついつい、ちょっと(少し)だけなら、いいかぁ、を繰り返すもんさ!

 自分が生きてきて、数ある確かなこと、つまり、これはこうすればこうなると、ある程度、算段が立つものを繰り返すせば確かだよねぇ。でもさぁ、人間はその確かなことのリズムを自ら崩すことがある。それはどういうことかと言うと、ある程度算段が立つときの算段をつけるための苦労も同時に見えるため、ちょっとぐらいはこの行程を崩すぐらいはかまわないかぁとか、この行程は少しぐらいは飛ばしてもかまわないかぁって、自ら崩してしまうんだよね。そこが結果、とんでもない落とし穴になるときがある。だから、繰り返すなら、確かなことを確かに繰り返す意志がいるってことさ。


7月 15日 No.1164

イイもんばかり追い求めている人って、イイもんの中に本が入ってないんだょ!

 イイもんを知ることはイイことだと思うけど、食事、車、カバン、バック、靴など身の回りのイイもんばかり偏っているように思う。イイもんは何につけてもイイもんがあるわけで、それを知るには雑誌やネットを見るのだろうが、見るときにすでに自分の好きなブランドのイイもんを見たりして偏った見方をしているのだろう。イイもんを知るとは、イイ景色がどこになるかとか、イイ音に出会いたいならどのオーケストラを聞きに行けばイイとか、心にイイもんなら、この本はイイよとか、イイもんのジャンルはたくさんあるのに、大抵、イイもんを求める人の多くはブランドものや、食べものや、車などの見た目のイイもんを意味しているようだ。僕のイイもんを知る方法は、ある賢人の人生の知恵とか、仲間を思う気持ちとか、人の優しさやあったかさとか、子どもらの笑顔とか、人の内面のイイことから、いろんな外見のイイことを知ることが「イイもん」になるんだけどなぁ。だから、雑誌やネットを見なくても、イイもんをけっこう知ることができる。


7月 14日 No.1163

明日のことをきのう考えたり、きょう考えたり、あした考えたりするから、いいんじゃないかなぁ!

 明日のことは、あした考えればいい、と言う人がいる。そう言う人に僕はいいたい。何で、きょう考えたり、きのう考えたりするのはいけないんだと。たぶん、私はいけないとは言っていない、と言われたあと、いいとは思っていない話をごちゃごちゃと話されそうである。ごちゃごちゃと話すぐらいなら、僕みたいに、きのうから明日のことを考えたり、きょう考えたり、明日のことを、明日は考えないようにすることも、いいと感じるようになぜ解釈の工夫をしないのだろう。本来、明日のことをきょう考えようが、きのう考えようが、いつ考えようが勝手である。意外と明日のことは明日考えた方がいいって言う人ほど、何年も前からあしたのことを考え続けたりしていたりして・・・。


7月 13日 No.1162

「早くしなさい」とあおりたてられたときのあのなんとも言えない気持ちを思い出してほしい!

 地方の講演会に出かけ、筆ペンが必要になり、移動中にデパートが見えたので、文房具売り場に筆ペンが売っているだろうと飛び込み、目的の筆ペンを見つけレジで支払いをしていたら、「早くしなさい!」と言う女性の甲高い声が聞こえたので振り向いたら、年の頃5、6才の女の子がお母さんに、早くしなさいと何度もあおりたてられていた。女の子は24色のいろえんぴつのメーカーの違う、二つに一つの選択に迫られていた。そうやって決め兼ねているとお母さんが「もう、決めないんだったら、お母さんはもう、行くからね」とさらに脅し半分のさらなるあおりをいれた。女の子は「もう、ちょっとだけ待ってよー」と目に一杯涙をためながら立ち上がろうとした。そのとき、右手にもっていた方のいろえんぴつケースをひっかけてしまい、中身のいろえんぴつをぶっちゃけてしまった。お母さんが「なにやってんのよー、もうっ!」といったら女の子は大声で泣いてしまった。僕は思った。いろえんぴつをぶっちゃけてしまわせたのは、お母さん、あんたのせいだょ。あんたは、そんな言われ方をされた、娘の気持ちをちょっとは考えてあげなよ。どんなに、あせって、選ぼうとしたかを・・・。血がつながった母がいじわるするんじゃねぇ、と思わず吠えちまった。


7月 12日 No.1161

個人に対して、油断は禁物って言うけど、一番、油断してはいけないのは、国の連中のほうだろう!

 個人の人生で、油断が許されない局面に出くわし続ける人はこの世にいないと思う。だが国は、昔も今も、民が国に油断してはならないと思う。我が国は、かつて戦国時代と呼ばれる時代があったが、あの時代でも、国は民同士を戦わせたり争わなせた。民はほんのひとときでも、自然に身を任せながら、心から油断してもいい平和を求めたにちがいない。安心して、油断したり、緩んだり、気を抜いたりできる日々を求めること、イコール、平和を求めることだと思うが、平和は戦ったり争わないような世の中の制度を国や議員が作っていかなくてはならないと言うのに、この国の首相や議員には、民に危険が迫ることを平気で決めてゆく。油断ならないのは、国や議員である。我々民は、国や議員が民同士を戦わせることにならないか争い合うことになるのではないか、ということにならないようにしなくてはならない。そして、未来の子どもたちのために、唯一、油断なく目を光らせていく必要がある。


7月 11日 No.1160

大した事か大した事じゃないかを立場次第で変わると思っているうちは、見る人が見れば、ほとんどたいしたことないんだよなぁ!

 ここで大事なのが、見る人が見れば、と言う見方ができる人は、どんな人かというと。それは、失敗も成功への、一つのプロセスとして思えるほど、いろんなジャンルの、いろんなパターンをすでに体験している人などがあげられる。こんな人は、普通の人が、大変なことが起こってしまったと思うようなことでも、そんなことは、大した事ではないと言わんばかりの態度でいる。その雰囲気たるや、堂々としていて、その人がいるだけで、その場にいるすべての人に「うん、そうだな。大した事ではないのかもしれない」と、あっさり思わせてしまいそうな風格がある。そんな人が大した事になるのは、やっぱり、命にかかわる事。それ以外は大した事ではないらしい。大抵の事は「別に命をとられるわけじゃないだろう。だったら、あわてず、一つづつ、誠意をもって行動すればいい」と心で思ってくれているはず。デーンとね。


7月 10日 No.1159

「心をしずめる」と「心をおちつける」が、どっちも同じようなものだって思っている人が多いんじゃないかなぁ!

 まず「心をしずめる」からいくと、心を静める場合と、心を鎮める場合があり、静めるの方は、乱れた心を、だんだん静かに、静かに整えていく感じ。鎮める方は、心の元とも言える魂から来る、頭でしずめよう、しずめようと意識してもなかなかしずまらないほど、荒れ狂う心のざわめきを魂に空気を送りこむような深呼吸をして、魂の底から心を調えていく感じを言う。対して「心をおちつかせる」方は、良いことがあってうれしくてうれしくて、早く報告したいときや、悪いことが重なってムシャクシャしているときとか、良い悪いに関係なく、冷静さを求められる局面、つまり、ちょっとアツくなってる状態から、すこし冷やしてでも、元の状態、普段の状態、本来の姿的状態になる感じとして捉えておいていただきたい。ちなみに僕は、生まれたときから心のエンジンがクラウンのようなエンジンがかかっているのか、いないのかわからないような静かなエンジンじゃなく、250CCのモトクロスの単車のエンジンのようにやかましいエンジンのため、この年まで、心が静かになったこともないし、心が落ちつくこともない。それはこれからもかわらないと思う。情けなや情け
なや(笑)。


7月 9日 No.1158

悩みをかかえてしまったとき、それを少しでも和らげてくれるのは、やっぱり「笑い」だよ!

 悩みをかかえていると、笑う心境にもならないって言うけど、悩みを相談しに行く人に、笑わさせられた場合は違うと思う。悩みを相談しにいこうと思うぐらい、その人を多少なりとも頼りにしているわけだから、その人に笑わさせられたときは、その瞬間だけでも、悩みを和らげられていると思う。テレビのバラエティー番組では笑う気にさえならないだろうけど、頼りにしている人なら、悩みごとを聞いてもらわなければならないわけだから、その人が自分のために、やんわり笑いばなしをふくめながら、相談に乗ってくれたなら、こんなにほのぼのとした話しはないだろうし、帰り道、自分もほのぼのとさせられていることに気づくかもしれない。悩みごとをかかえたときは、そこから脱出する一つの方法として、やっぱり「笑い」が大切だと言うことを思い出してほしいと思う。


7月 8日 No.1157

完璧に言えることは、人間は完璧じゃないってこと!

 人間は完璧じゃない。完璧じゃないくせに、完璧を求めたり、求めさせたりする。子育てや教育は、完璧人間を作ろうとしているかのように、勉強は五教科すべて80点以上、体育・スポーツなどは、運動神経バツグン、そして誰らも好かれる子になってもらい、さらに親の言うことを一つ返事で「ハイ」って聞いてくれる良い子になるように、といった完璧なお子様に育てようと、どこの家でもすごいことを子に求めている。自分たち親は、完璧な人間にはなれなかったが、君たちなら、まだまだ時間があるから、ちゃんと今から勉強やスポーツを一生懸命やれば、社会へ飛び立つ前に完璧な人間となれるでしょう、と言わんばかりだが、たとえ、IQが300ある人でさえ「完璧な人間」とは言えない。親の言うことを完璧にこなしてくれる子と、自分でものを考えて、失敗ばかりして親をこまらせる子と、どっちが将来、早く成功するかなんて誰もわからないだろうし、どちらも成功しないかもしれない。人間は完璧じゃないこと、真剣に見つめ直してみようよ。


7月 7日 No.1156

ありがたいなぁって、お互い思える関係は、すばらしいと思う!

 僕は、子どもたちに絵本を読み終えたとき、いつも思うことがある。「絵本を読ませてもらって、ありがたいなぁ」と。他には、僕の話しを聞いてくれてありがたいなぁとか、朗天狗の主催する講師として来ていただき、サービス精神旺盛に場を盛り上げてもらってありがたいなぁとか、腹一杯、ご飯をごちそうしてもらってありがたいなぁとか、すげぇ会にお誘いいただき、ありがたいなぁとか、手紙を書いてもらってありがたいなぁとか、僕のわがままをいい風にとってくれてありがたいなぁとか、信じられないような舞台への出演のチャンスをいただき、ありがたいなぁとか、ともに汗をかきながら、がんばりあえるってありがたいなぁとか、「おまえばかりじゃないさ、ありがたいなぁと思っているのは。俺もおまえにありがたいなぁって思ってるんだよ」っていってもらえるってありがたいなぁとか、いろんな場面でありがたいなぁってお互い思えることって、本当に、ありがたいなぁと思う。そして、そんな関係をすばらしいと、いい合える仲間にめぐり逢えたってことに、ありがたいなぁと心から思う。


7月 6日 No.1155

計画通りに進む場合は安心を手にいれられると思う。でも、もし計画通りに行かなかったとしても、結構、おもしろいことが得られるじゃないかなぁ!

 先達て、第3にこにこの会を終えた。計画通りに行けば、それはそれで主催者側とすれば安心を手にいれられたことだろう。だが、生来の計画ぎらいの僕がいれば、計画通りに行くわけがない。ハプニングの連続。ゲストのざこば師匠、疋田先生、ももちゃん、相方の伸ちゃん、さとかつ、タイチをはじめ、スタッフやお客さんにまでひやひやさせたにちがいない。この場をおかりしお詫び申し上げたい。
「本当に、ごめんなさい」。
でも僕は、おかげで、めちゃくちゃおもしろかった。さらに、ゲストのざこば師匠にも、「夜中まで話しきいて、ええお客さんやなぁ。めちゃおもろかったわぁ」と言っていただいた。本当にありがたいとおもった。意外と、計画通りにいかないことは、おもしろいことを得られる一つの方法かもしれない。なんちゃって(笑)。やっぱ、みなさんは、計画通りに行くように心掛けてください。それがいい。
7月 5日 No.1154

お返しをするにも、してやれないとき、人は切なくなるのさ!

 人に、何かお世話になると、いつかこの借りを返したいと思うのが、人の気持ちというもの。本当にお世話になったという気持ちを、借しとして、ちゃんと自分の心に刻んでおきたいのだ。いつか、この借りを返したい。それをエネルギーに変えて、本気で返そうとしていると、少しづつ返せるチャンスを手繰り寄せているように思う。みんな人の力を借りて生きていると思うが、借りを借りのままにしておける人はいいが、僕は借りたものは、返したいのだ。それも倍返しで。なんとも欲の深い話しであるが、そこは、だれに欲が深いと言われようが、やめるつもりはない。借りを返せるチャンスがあると見るや、一気に、キッチリ返せるよう常に機をうかがいつづけねばならないだろう。ファイトー自分。


7月 4日 No.1153

親子の触れ合いは、会話から、近所の触れ合いはあいさつから、おやじの触れ合いは銭湯からってきたもんだ!

 小学校のとき、しょっ中おやじと銭湯にいった。そのとき、銭湯の脱衣場のロッカーの上に、おやじの触れ合いは銭湯からと書かれた標記があった。おやじがそれを見て「銭湯ははだかになるとこや。はだかでカッコつけても、たかがしれとる。石鹸ひとつ借りるにも、手と手が触れ合うし、湯船につかれば、湯で触れ合うし、風呂場は人の素で触れ合えるから、わしゃ好きや」と言っていたのを思い出す。おやじは、銭湯が好きで、いつも行っていた銭湯は月曜日が休みだったのだが、おやじは月曜日になると二駅分向こうにある、月曜日でもやっている銭湯まで通っていたので、その町でもおやじははだかの触れ合いをしていた。だから、いたるところで、おやじに声がかかる。今一度、銭湯文化で人と人がはだかで触れ合う、あの光景を見たいなぁと思うのは、僕ぐらいなのかなぁ・・・。


7月 3日 No.1152

みんなの笑い声が聞こえるっていいなぁ!

 神話には、村人の飲めや歌えやのドンチャンさわぎで、あちこちに笑い声があがり、その賑やかさに、天ノウズメノミコトでさえ、岩戸を自ら開いてしまうほど、笑い声が上がる空間は「何がそんなにおもしろいのかしら?」と思わせる。つまり、笑い声が気になるのが神も人間も性(サガ)なのだ。その笑い声を自在に操ることを生業(なりわい)としている職人が落語家の方々だろう。なんせ落語家の方々は、前に出て来て数分で、あっという間に会場を笑い声でうめ尽くす。その笑い声は、爆弾が落ちたようななドーンとくる爆弾型や、くすくすと広がっていく染み込み型、ネタの力を最大限に引き出した、大爆笑型などさまざまな笑い声がある。帰りにみんなの顔を拝見すると「ああーおもしろかった」とハッキリかかれている。みんの笑い声は、やっぱ何回聞いてもいいもんだ。


7月 2日 No.1151

人の道には、やりたいことが見つからなくても悩み、やりたいことを見つけても悩みが用意されているかなぁ!

 人の道は、本当に面白いと思う。去年まで、この仕事をしていたら自分はダメになるような気がする。かと言って、何かやりたいことを見つけたわけじゃない。でもこのままじゃダメになるっていうのは、自分でハッキリ感じるんだ、と悩んでいた人が、今年は、もうすでに会社をやめ、資格を取得するために勉強をしていたり、すでにやりたいことを見つけて、それに生きがいまで感じられるようになってきた、と言えるまでになっていたりする。だが、やりたいことをせっかく見つけたのに、まさか、こんな風になっていたとは、まさか、こうなっているとは知らなかったとか、言う状況にでくわすと、また、これを続けていっていいのか、そのために会社をやめたんじゃないか、資格をとにかく取得しなきゃ、でも、落ちたらどうする?って悩み始める。どんな道も悩みは「つきもの」だし、悩みは「つきないもの」っていうキーワードがでたらいいのになぁ。そうすると悩んでいても「しかたない」というキーワードがでてくるのになぁ。そんな人が見つけなきゃならないのは、ひょっとして、やりたいことじゃなくて、悩んだとき回避するコツだったりして。


7月 1日 No.1150

どんな物でも、おいしく食べられることは、幸せなことさ!

 これは、良く耳にする一言だと思う。でも、良く耳にするだけで本当に自分は、どんな物でもおいしく食べられているか問うてほしい。もし、どんな物でもおいしいなぁって思いながら食べられているなら、そんな幸せはないだろう。その人は、食べ物の数だけ、幸せになれるに等しいと言えよう。だが、朝・昼・晩と何でもいいから、腹のたしになればいい、美味さは関係ないと思って毎度、毎度、食事を向えているなら、食事が作業的になって食べ物の味などなく、食べ物の情緒的要素がごっそりなくなり、寂しい食事となろう。どんな物でも、おいしいなぁと思って食べられることを、小さいときから授けられたとしたら、いくつかある幸せのうち、食事のジャンルの幸せは、すべて授かったと同じことだよねぇ。まずは、できるだけ、お腹をすかせるだけすかせて、たった一個のコンビニのおにぎりを食べて見てください。