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| 5月 31日 No.1119 子どもが、やるやるって言って、ちっともやらないのは、大人への対処法の一つ! |
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別に、やるやるって言ってやらないのは、子どもに限ってはいない。この国の政治家は得意のようだ。でも国民は、まぁ、政治家ってのはそういうもんじゃねぇの?ってな感じですませている。それだったら、子どもも同じように、やるやるって言ってやらなくても、すませてあげてょ。「おかたづけしなさぁーい」とママがいい、「うーん、これが終わったらやるぅ〜」「何いってんの、すぐかたづけなさい。いつもそうやって、やるやるって言ってアッチャンはしないじゃない。最後はいつもママがおかたづけするんだからね。きょうは、今すぐママの目の前でおかたづけして見せて」「うーん、だから、これが終わったら、やるからぁー」「もう、ママは今すぐおかたづけしてほしいのにー!」とプンプンいいながら、ママがかたづけることを、アッチャンはママへの対処法として知っているのさ(笑)。 |
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5月 30日 No.1118 ここぞ!ってときだけでもいいから、出そうよ、勇気! |
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今だぁ、って思うことができれば後は勇気だよ。そのとき、体が振えたり、動かないかもしれないけど、気持ちだけでも、心の中で「イヤァー」とか「エィッ」って気合いをこめるのさ。それができると、振えが止まったり、動かなかった体が動き始めるからさぁ、ドンと体当たりしたり、いいたいことを思いの長け発言したり、おもいっきり言ったり動いてみよう。きっとさぁ、そういう生まれて初めての勇気は、神様がちぁーんと見てくれていて、良い結果を授けてくれると思うなぁ。そして、その良い結果で、勇気を出すことにちょっとだけ味をしめる。これが大事なことなんだ。なぜかというと、この味をしめることが、次の今だぁってときに、また勇気を出すことができるから。 |
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5月 29日 No.1117 子どもが、何度も同じ絵本を読んでってせがむのは、再放送の三戸黄門を見るみたいなもんだょ! |
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かなり強引な一言だがお許し願いたい。何が言いたかったかと言うと「子どもは、分かっている話を何度も味わっても、それをそのまま楽しいと思ったり、面白いと思ったりできる」と、言いたかったのさ。それは、久しぶりに三戸黄門の再放送を見て、ハッと気づいたんだ。三戸黄門の最後の方に「この紋所が目にはいらぬかぁー!」って言うシーンがあることを知っているのに、それを久しぶりに見がっている自分に。そして、そのシーンを見て、そうそう、これこれって納得してた。このとき、この感覚って何かの感覚に似てるなって思った。そして、この感覚って、そうだ、同じ絵本を何度も見たり読んだりするときの、あの楽しさ、あの面白さ、あの納得の仕方にそっくりなんだと。子どもは、だから、何度でもせがむのかって、納得した。そりゃ、面白いことは、子どもも大人も、何度でも味わいたいわなぁ。 |
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5月 28日 No.1116 理解しようとする前に、自分が相手に理解されてるのかなぁ!されてないとそりゃ上手くいかないよね! |
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今は、相手を理解しようとするのが、優しい人の典型みたいになってるけど、相手を理解するなんて、心理学者でさえ、それができたら苦労しないって口をそろえて言うぐらい難しいんだから、シロートではとうてい無理なんだよね。それだったら、自分はこんな人間だということを、相手に理解してもらって、その上で自分が好かれたのか嫌われたのか、知るしかないよね。当然、嫌われるようなことも、正直に相手に言わなければならないから、嫌われることもある。でも、みんなに好かれたいなら、正直に話さないで、人によって巧みに自分を変化させればできるけど、それも苦労するよね。だから、ありのままを好いてくれる人に出会うまでは、嫌われたってしょうがない、ぐらいの気持ちでいこうよ。 |
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5月 27日 No.1115 いくつになっても何か当たるとうれしいね! |
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あんまり暑かったので、コンビニでアイスクリーム(ホームランバー)を買ったら、棒に☆あたり もう一本☆って焼き印が出てきた。さすがに、もともと甘いのが苦手な僕としては、あたりはうれしいが、もう一本はとてもじゃないが、胸やけしそうで喰えそうもない。それに不良中年になってからは年々甘いものがダメだ。そこで、コンビニから出てきた女の子に「なぁなぁ、アイスクリームのあたり、ほしい?おいちゃんあたってん。ほしかったらあげる」って言ったら、コクリとうなずいて、コンビニの中に入っていって、チョコレート味のアイスクリームをもって出てきた。そして「ありがとう」って言いながらペコッと頭をさげておいしそうにほうばりながら行ってしまった。あたりにかこつけて、カッコをつけてしまった不良中年の僕である。でも、いくつになってもあたりはめちゃくちゃうれしいもんだと思った。どうか、みなさんにも「あたり」が出ますように(^O^)/ |
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5月 26日 No.1114 回り道をすることを損と捉える人がいるかと思えば、あの回り道があったおかげでと、それを得と捉える人がいる! |
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効率型社会では、行動するとき、それが損になるか得になるかが重要な要素となる。損なら動かず、得なら、人を蹴散らしてでも我先に動く。そんな様を、効率型で生きていない人たちは、ほくそ笑みながら見ていることだろう。ゆっくり動いたって得はあるし、我先に動たって大損もあるのに、と。生きていればたくさんの交差点に出会う。そのときどの方向にいくか決めなければならない。そして決める。それが回り道になるか、目標に向かってまっすぐの道なのか誰もわからない。できることは、ただ、まっすぐムダなく伸びているだけを望むことだけだろう。だがどの道に行こうとも「途中で、回り道であることを知る」可能性は残る。そして途中で知ると、効率型の人は「ちくしょう、損をした。あっちに行けばよかった」と思う。そんな人はどの道へ行こうとも、これのくりかえし。いつも得をしていたいのなら、何も知らないことさ。 |
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5月 25日 No.1113 分からないときは分からないまま進めばいいんだょ。子どものころのように! |
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大人になると、分からないまま進むことがめちゃくちゃ下手になっている。子どものころはあれだけ分からないことがあったにも関わらず、死にそうになるような感じもしなかったし、それを苦にするようなことはなかった。あるとすれば、お母さんの期待をよせる、あのセリフ、あの不安そうな顔が苦になるぐらいなもんだろう。大人になると、なぜかすべて、ムダなく、さすがと言われる言動でないといけないような感じに捕われる。そして、いつしか、分からないことに出くわしたとき、それを分かってから進もうとする。でも分からない。分からないから動かない。いや、動けなくなる。そうなる前に、分からないまま進んでいた、あのガキのころを思いだそうよ。 |
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5月 24日 No.1112 はかなくも、親の思いというのは、もともとすぐ分かってもらえないものかもしれない! |
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子どもが幼いうちは、親がリードしてあげると、ある程度、着いてきてくれる。でも、幼くても買ってほしいものを買ってくれないと、ぐずってでも抵抗する術を知っている。こんなとき親は「お願いだから、無理を言わないで」とか「買ってあげたいのはやまやまだけど、今はあなたに説明しても分かってもらえないような、家の事情がいろいろあって買ってあげられないの」とかの親の思いなど子どもにとっては知るよしもないだろう。そのうちいろんな親の思いが足され、足されたうちの何十分の一、いや、何百分の一も分かってもらえなくなっていく。それでも親は、いつの日か、たった一つでも、親の思いが伝わったり、親の思いを分かってもらえると、うれしいものである。 |
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5月 23日 No.1111 (壱並び!) 謙虚に生きていこうと思ったのはいいけど、せっかくの元気で明るい感じがなくなってしまうのはどうかと思う! |
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謙虚に生きていこうと思うことは、良いことだと思う。その人はなんで謙虚に生きようと思ったのか気になるが、謙虚を身につけようと思うだけ、普段は自分にも、思いあたるだけの自信過剰なところがあるのだろう。たいてい、自信過剰な人は、明るく元気のある人が多いものだ。そんな人が慣れもしない、謙虚さを身につけようというのだから、たいへんなことだと思う。そのとき、忘れないでほしいのは、明るく元気なまま謙虚さを身につけてほしい。なぜなら、今までの明るく元気なことも、身につけようとする謙虚さに、負けないぐらい良いことだからである。なにか一つ得て、なにか一つ失ってしまわないように。 |
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5月 22日 No.1110 困ったなぁと言う場合、どうせなら、みんな、うまくいきすぎて困っちゃうなぁって、使い合える社会にしたいねぇ! |
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困ったなぁって言うときは、それまでうまくいっていたのに、うまくいかなくなったときに多く使われるイメージがある。また、何ごともなく平穏無事が続いていたところへ、何かのうまくいかないことが起きたり、ハプニングやアクシデントやエラーやフリーズが発生したときにも使われるイメージがある。つまり、自分ではどうしていいか分からなくなってしまう状態のときに使われるのだろう。であるなら、先日の政府の発表でこれだけ、日本の景気を回復させた、たくさんの会社や人が、儲りすぎてどうしたらいいのか分からなくなってしまったり、幸せすぎて我をわすれてしまったり、自分の考えがズバズバ当たり、あれよあれよという間に、有名になったり、うまくいきすぎて困ったなぁって言ってる人がたくさんいてもおかしくないはずなのに、うまくいきすぎて困ったなぁってなかなか聞かない。ということは、みんなうまくいっているときは、だまっているんじゃないかなぁ。人からうらやましがられることを言わない方が、敵もつくらず、あたりさわりなく生きていけると思っているように。この国は、やっぱり、みんな貧乏で困った困ったと言っていてくれる方が、結局、安心なんだろうな。それで、どうやって未来の子どもたちに、明るい社会を作ってあげられるんだろう。まったく、困っちゃうなぁこの国わぁ。こういう使い方もあるからね(笑)。 |
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5月 21日 No.1109 子どもなのに子どもじゃない!大人なのに大人じゃない! |
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子どもが子どもらしく、大人は大人らしくって思うのは、いつも大人の考え。本来、子どもはそんなことは思わない。ところが、最近は、子どもが子どもらしくしないといけないと思い、大人が大人らしくしていないことが許せないと思っている子どもが増えた。これは間違いなしに、無責任な大人社会がつくった「こうあるべきだ」という思い込みが、今の子どもたちには、簡単に植え付けられてしまうのだろう。だから今は、子どもなのに大人的な子どもが増え、大人なのに、子どもでも分かるして良いことと、しちゃいないことの分別のない常識知らずの大人が増えた。願わくば「らしく」や「こうあるべきだ」と主張する大人は、自分が「らしく」や「こうあるべきだ」を身につけてから主張してほしいものだ。だいたい「らしく」を求める大人は、普段は大人らしくねぇんだな、これが。 |
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5月 20日 No.1108 めでたい日に、気持ちがいいほど雨が降ってくれるのも、また、一興! |
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僕が結婚式に招かれる場合、たいてい二人の門出にふさわしい、絵本を読んで欲しいと言われたりする。だからいかないわけにはいかない。そしてそんな当日に限って、台風1号の影響で大雨。それが、駐車場から結婚式場の玄関まで20メートルしかないのに、カサをさしていても、横からさしこむ大粒の雨で太ももから下は、ビショ濡れ。当然、そんな日は、仲人や二人の門出を祝うスピーチには「足下のお悪い中・・・」とか「雨降って地かたまると申しまして」などから始まるセリフがならぶ。そして僕にも新郎側の悪友として、絵本を読む時間がくる。読み終えて帰ろうとしたら、司会者が「なにか一言」と言ったので、じゃあといことでこう言った。「新郎の門出を祝うには、カンカン照りの気持ちいい五月晴れもよかったと思いますが、それでは、新郎のほこりの出る過去をたくさん知っている僕には、あまり気持ちがいいもんじゃない。僕のそう言う気持ちを神様が知ってか知らいでか、今日は先週の週間天下予報では、今週は晴れ続きのはずだったところ、大雨にしてくれた。僕はなぜかこの大雨がとても気持ちいい。この大雨は、神様が、あきちゃんいろいろ知っているだろうが、今日はむりやり大雨にしてあげたから、どうか一つ、それらをきれいさっぱりこの大雨の水に流してあげておくれ!今後、新郎は中途半端なことはいっさいせず、覚悟を決めて、一人の女性を愛し続けるはずだから、と、言わんばかりの、気持ちいいほどのどしゃ降り状態。もし、中途半端な、降っているのかいないのか、ショボショボパラパラの雨だったら、新郎の若いころによく似ているので、僕も水に流そうにも、中途半端な気持ちになってうっかり口をすべらすことになりかねなかったことでしょう。でも、今日は、神様ってほんとうにいるんだなぁって思えるこの大雨。この新郎の門出を祝うには、もっともふさわしい大雨。親友の僕にとって、これほど気持ちよく忘れてあげられそうな日はありません。僕が水に流すと約束することを、祝いの約束として捧げておきます。新郎には、それが何よりの祝い!となることと確信しております。今日のこの気持ちのいい雨に感謝してください。どうも、ありがとうございました。」大喝采!大拍手!気持ちいいねぇ、大雨で冷や冷やさせるのわぁ(^O^)/ |
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5月 19日 No.1107 心配をしてあげてるこっちのことなんて、全然考える余地がないのが子どもなのさ! |
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人はなにかに夢中になっていると、親の心配をよそに好き放題やっている。大人でも、この前まで元気がなかったから、心配していたのに、今日みたら、あれはなんだったの?って言いたくなるほど元気になっていたりすることはしょっ中ある。つまり、人の中には、心配してあげることで、想いがつながっているような感覚になる人がいるってこと。相手はそれほど、こっちがどれだけ心配だったかなんて気にしちゃいない。もし、子どもで親がどれぐらい心配しているかをいつも気にして行動をとっているのなら、したいことが、したいときに、できていない子だと思うので、のびのびした子じゃなくて、おどおどした子になっているはず。そっちの方が心配だよ。僕は心配されることが多いけど、そんな僕にも心配があって、もっかの心配は、今度のオークスだけ(笑)。 |
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5月 18日 No.1106 おちつきなさいって言われても、おちつき方が分からないのが子ども! |
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さわいじゃいけない所で、例えば電車の中、図書館、ちょっとムードがある雰囲気のお店、高級ホテルのロビーなど、子どもがさわぐと「おちつきなさい」とか、「さわぐんじゃありません」とか言われる子がいるでしょ。かと思えば、うれしいことがあって、大好きお母さんに「あのね、あのね、きょうねぇ」と、うれしそうな顔をしながらあわてて話そうとしたときにも「はい、はい、まず、おちついて。そんなにうれしいそうに、何があったの?」とか言われたりする。あれねぇ、そういう子は、おちつき方が、よく分からないの。だまることがおちつくことなのか、さわぐのをやめるのがおちつくということなのか、あわててしゃべらないことがおちつくことなのか、解釈しかねてるの。だからそういうときは、「あっ、大事なことを思いだした。ちょっと協力してくれる?」とか言って、子どもの興味の目先を変えてあげたり、「あわててどうしたの?んー、その感じはよほどうれしいことがあったなぁ。なになに?早く教えて」ってさらにあせらすように、うながせば、結果、おちついたり、おちついて話してくれたりするんだなぁ、これが。 |
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5月 17日 No.1105 ご飯をおいしいおいしいと言いながら食べてくれて、よく寝てる子なら安心さぁ! |
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何を作ってあげても、ウンともスンとも言わず、おいしいのかおいしくないのか分からない子だと、お母さんはどうしたらいいのか困ってしまうだろう。ここが思案のしどころだと思う。安易に「ねぇ、おかわりは?」「ねぇ、おいしい?」とか聞くより、そんな子は全部出したものを食べてくれたか、何から一番にハシをつけたか、何を食べたときに、わずかに表情がゆるんだかなど、そっと見続けてあげよう。お母さんが、そういうつもりで見てあげれば、あせって聞いてうるさがられるより、ずっといい。もっといいのは、やっぱり何を作っても「おいしいー!」とか「うめー」って言いながら食べてくれて、スコーンと寝てしまう子。それだけで、安心だからね。 |
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5月 16日 No.1104 人と同じがうれしい人がいるかと思えば、人と同じがうれしくない人もいる。それは結局のところ、人の好き嫌いなのさ! |
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人は、初対面だろうが長年の仲間だろうが好意的に思っているなら、人と同じでも何とも思わなかったり、心理的に安心したり、その人と同じであることがうれしかったり、皆と同じことがうれしかったりする。ところが、初対面でも何回かあっている人でも、どこかで好意的に思っていないと、そのことを自覚してようが、してなかろうが、その人と同じにならないように願ったり、皆と同じに思われないようにしたり、その人とだけは、絶対、同じになりたくないと思ったりする。自分を含め、人には皆、この側面があるから、しっかりディスカッションした方がいいのさ。 |
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5月 15日 No.1103 必要だと思っていたものが本当に必要だと分かることも、必要だと思っていたものが必要じゃなかったと分かることも、学んだのさ! |
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これが必要になる。これを必要とする。これは必要である。これのこの部分が必要である。これはここのみ必要である。今、これこそ必要だ。今、これのみ必要だ。これらの「必要」は、すべて前後の文で、どう必要なのか、オーソドックスに連想しやすいものを挙げた。例えば一番始めに挙げた「これが必要である」は、人生には「思いやり」これが必要である、のような文でどうだろう。だいぶ僕には、カッコ良すぎる例文になってしまった(笑)。もとい、この例文がそのまま、その通りだなぁと思った人は、それを学んだ人だろう。また、物の必要なのどは、キャンプにはライターが必要と思いきや今のキャンプ場は何から何まであるため、ライターの他、持っていったものの多くが別に必要じゃなかったと学ぶこともある。 |
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5月 14日 No.1102 人のあったかさを思い知るのも、人に思い知れーって思うのも本人の心の在り方次第! |
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人からお世話になれば、ありがたいなぁって思う。でも、そのお世話なる形が、もうこれ以上こんな状態が続いたなら耐えられそうにない、とワラをもつかむ思いになるほどの状態に追い込まれ、その状態から、自分のために、何の見返りも求めるわけじゃなく、救ってくれたとしたなら、これほど見に沁みて、人のあったかさを思い知ることはないだろう。そんな人もいるかと思えば、自分のために人は何もしてくれないと思い込み、そこから見当違いのうっぷんが蓄積し、ちょっとでも、自分の意に添わない態度を見せたものには、だれかれ構わず、「思い知れー」って言うヤツを見ると、哀れでしかたない。まぁ、そんなヤツは、自分の愚かさをイヤというほど思い知る、相当の天罰が、不思議と当たるけどね。 |
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5月 13日 No.1101 それが物であれ、夢であれ、掴んだものはしっかり掴まないと、スルッと手から離れてしまうことがある! |
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カバンを掴んだと思いきや、スルッとすべって、中のものをぶちゃけたり、心の手で、勝利を掴んだと思いきや、エラーで勝利を目前に逃がしてしまったり、ものを掴むときはしっかり掴む意識がないと思わぬことが起きる。起きたあとに嘆いてもあとのまつりである。掴んだとか、勝ったぁとか、あと数ミリ手前で思ったとき、気の緩みが生じ、その気の緩みの代償として、元にもどしたくても元にもどせない形が残る。夢にしても、夢を持ったなら、夢をしっかり追いかけ、夢を掴んだら、そのまま気の緩みが生じないよう、努力し続けなければ、簡単に夢は彼方まで飛んで行ってしまう。また、中途半端に夢を持つと諦めてしまわざるおえなくなる。何ごともしっかり掴まねば。 |
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5月 12日 No.1100 どこもかしこも、よい子を創りたがっている!よい子ってどんな子? |
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家で、学校で、地域で親同士で、よい子を創ろうとやっきになっている観がある。そのよい子とは、どんな子のことを言うのだろう。勉強ができる子?先生の言うことをよく聞いている子?お母さんを満足させている子?親に心配をかけない子?これらみんな持ち合わせている子?。お母さんや先生やPTAの人たちに聞くとだいたい以上のような感じだった。そこで直接、子どもたちに「よい子ってどんな子のこと言うの?」と聞くと、先生に好かれているヤツとか、ワルいことをしないヤツとか、うさぎ小屋の世話をちゃんとするヤツとか、みんなのために動くヤツとかがすぐに出た。答えてくれた本人に「君たちは、よい子なの?」って聞いたら「びみょう。よい子になったら疲れる感じがするぅー」だって。子どもたちに、よい子になってもらうためには、なかなか一筋縄ではいかないことを、よい子を創りたがっている人たちは知ってあるのだろうか?たぶん、知らないだろうな。 |
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| 5月 11日 No.1099 まじめと不まじめって、みんなまじめな部分をちゃんとそれぞれ持っているし、不まじめな部分が、たまたまでちゃんうんだょ! |
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まじめと言われ続けることで、精神的負担がかかって、心身症にかかったなら、人にはまじめな人に感じてもらえたかもしれないけど、自分への配慮にはおもいっきり不まじめだったと言うことだよね。次に、人から不まじめだよねってよく言われる人は、確かに不まじめなのかもしれないけど、その人がその事に対してだけ不まじめなことを、一事が万事で見なしてしまう味方も、また、不まじめな味方だよね。意外と仕事はできないけど、休みもとらず、毎日、ちゃんと会社に来てる、まじめな部分は見落とされがちだよね。ただ人目につく不まじめさが、周りの人たちによく思われないから、要領はよくないよね。そういう意味でみんな、ずっとまじめでいる自分と、家族でいるときの不まじめな自分とを切り換えているだけなのに、たまに人前で、鬼の首をとったみたいに、不まじめな人をせめてるヤツを見かけるけど、そんなヤツは、そいつの不まじめな部分を僕の不まじめさで探りだして、一度、徹底的にせめてやりたくなる。しんどいだろうなぁ〜、僕の相手するをするのは(笑)。 |
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5月 10日 No.1098 流行りものに飛びついたっていいじゃない! |
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列車に乗っていたら、ドアが閉まりかけたとき、20代後半の男が二人、飛び乗ってきた。買ってきたばかりのワンセグの携帯電話を一人が出した。すると、もう一方が「おまえはよぉ、何でいつも、流行りばかり追っかけんだょ。どうせ、それも流行んなくなったら、換えんだろ?携帯なんてもんは、つながりゃいいじゃんかょ。おまえの流行りグセに俺を付き合わせんじゃねぇょ」って一気にまくし立てた。当の本人はおかまいなしに説明書も見ずに「映った。おまえ何か見たい番組ある?」って、うれしそうな顔で言った。僕は流行りを追いかけることはないが、知りたがりなので、新しいものがでると、どうなっているか知りたいので、新しいもの好きに見られてしまうが、流行りを追いかけようが、新しいもの好きだろうが、買わない、やらない、したがらないヤツが、何を言おうが、当の本人は聞いちゃいないのさ。だから、そんな流行りを追いかけている人は、ほっといてあげようよ。 |
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5月 9日 No.1097 余分な力を抜くって、どっからが余分で、どこの力をどれぐらい抜くのか、全く分からないのに、みんな共通の理解があるから不思議! |
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余分な力とは、必要以上の力を言っているのであるが、その余分な力を見つけるのは、個人でみな違う。体格のでかい人、小さい人、パワーのある人ない人など。そして、力加減では、体格や体重、やせた人太っている人にかかわらず、その技に必要な力は、ほぼ同等点になになる。糸を針に通す場合、針を持つ指先の力加減と糸を指先で持つ力加減、正確さ、スピードなど、だいたい、力加減は同じになってくる。(バッティング・ゴルフのスイング・柔道などの、もともとパワのいるパワースポーツをこの場合は除く)さらに、今度は余分な力がどれぐらい余分かが分かったときの抜き具合だが、抜きすぎず、抜かなすぎずは、これまた、各個人でみな違う。それなのに、いたるところで、いたる道で、極めんとするならば「余分な力を抜く」という抽象的な言葉の解釈がそろうのは、不思議だなぁと思う。 |
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5月 8日 No.1096 体調が悪かろうが遊びに行きたい仲間がいるっていうのはいいねぇ! |
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何がいいかって、遊びに行ってる間に体調が良くなっちゃうんだよね。寝不足続きで、体調があんまり良くないなぁと思っているところへ「明日からあいつらと林道通って遊びに行くんだけど、おまえも行けねぇか?」って、急に誘いをかけてくるのが、ツーカーの仲間ってヤツだが、そんな仲間だから、多少体調が悪かろうが、行きたくなるんだよなぁ。「まぁ、あいつらもいっしょっていうことは、また、命がけの遊びってことね」って言って翌日、集合してわいわい林道を通っては止まり、絶景で目をうばわれては止まり、シカが出ては止まり、その霊山のいわし水を飲むために止まったりしていたら、帰りには体調も、頭も、感性も絶好調!自然のパワーってやっぱりすごいねぇ。さすが霊山。わ〜い。 |
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5月 7日 No.1095 星に願いをかける!ってセリフは、何かファンタジックな感じがしていいよね! |
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僕は、「願う」というセリフから連想するものを何か一つ上げろと言われたら、すぐ「神社」と言うだろう(笑)。または、初日の出・仏壇・寺・タンザクなど、僕の場合、どれもおもいっきり和風ばかりだ(笑)。でも、星に願う!って言うセリフは、僕にとって、洋風なのだ。和風で宇宙的なものと言えば、精々、十五夜の月か七夕ぐらいだろう。それらにしても、昔ばなしの影響がかなり強いためやっぱり和風の域をでない。ファンタジーの物語やメルヘンの物語には、星に願う少年や少女が多分に出てくるほど、星を身近に感じさせるものが多い。星座に名をつける文明は、我が国には、なかったに等しい。でも、夜空に満天の星が見えたとき、星に願う!ことがあったら、願ってみてください。きっと、洋風的なファンタジックな時をすごせることでしょう。 |
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5月 6日 No.1094 心がこもった一言は疲れたが飛んだり、和らいだり、軽くなったりする! |
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「いつもありがとう」とか「今日は面白かった。ありがとう」とか「今日は連れてってくれてありがとう」とかの一言に心をこめられると、人の疲れは不思議なことに飛んでしまったり、疲れ果てているのに和らいだり、疲れきっていても、急に軽く感じたりする。そんな一言が、家族での会話の中で、親しい間柄で、聞くことができたなら、その関係は健全と言える。心のこもった一言って、その場のその瞬間にスッと出るから、いいのかもしれない。僕も、子どもたちから「おっさんみたいな人に、絵本読んでもらったのは初めて。また、読みに来てー」って言われると、「おっさんみたいな」に多少ひっかかるものがあるが(笑)、何か、うれしいくなって、遠くまで運転してきた疲れなんかいっぺんに吹き飛んでしまうときがあるほど、心のこもった一言ってすごいなぁと思う。 |
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5月 5日 No.1093 迷ったときは勢いがないんだから、やめておく方が賢明だょ! |
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勢いがいくらあっても、一度迷いが生じると、勢いなど簡単になくなってしまう。それは戦国時代の武将が証明するところ。勢いに乗って、速断速決または、即断即決をするうちは、なんとかなるもの。だが、一度「ん?待てよ。ひょっとしてこっちの方がいいかなぁ。いやいや、このままいった方がいいだろう。でもなぁ、やっぱり気になるなぁ。んーん、迷うなぁ。なにか決めてになるものはないかなぁ」となってしまうとなかなか、納得のいく、判断ができない。こういう局面を向かえたら、まず、迷う前までの方向でいった方が賢明だろう。普段から直感で生きている織田信長タイプの人ならいいだろうが、普段から効率型タイプの人は、その場の直感で計画を切り換えるより、それまで、ねりにねった計画通り動いた方が、勢いを失わなくてすむし、その迷いに引きこまれることなく、ほぼ計画通りに、ことを進められることだろう。 |
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5月 4日 No.1092 見て笑う!聞いて笑う!人類が誕生してから、ずっとやってきたことだけど、やっぱいいねぇ! |
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見て笑うのは、赤ちゃんに「いないいないばぁ」をしても笑うように、見える見えないで笑う感覚は、かなり人生の初期からできるようだ。次に聞いて笑うは、多少知識がないと笑えない。例えば、ジョークが通じる人は、そのジョークの元の名称などを知っていたため笑うことができるが、その名称などを知らない人には、ジョークは通じない。つまり、ジョークを聞いていても頭に利かず、もちろん心にも効かないのである。 だが、どんな人が客席に座ろうが見て笑わせ、聞いて笑わせを同時に行うことで、観客を魅せて笑わせる人たちがいる。その代表を一人あげろと言われたら、僕は迷わず、小沢昭一の名を上げさせていただく。頭に利き、心に効く笑いを常にいただけるお方である。今日、そんな会をこっそり観ることができた。そして何より、こうなることを判って、小沢昭一、永 六輔、井上ひさしの三名を六十回目を向かえた憲法記念日に舞台に上げるプロデュースをした、我らが組長は、やっぱりすごなぁと思った。心より、ご苦労さまでした!と言わさせていただきます。感謝! |
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5月 3日 No.1091 どうしても周りの目が気になるってんなら、人に喜ばれることをすればいい! |
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周りの目を気にして萎縮してしまうのは、何かもったいないよ。たった一度の人生なんだもん、萎縮したまんまじゃさ、夢も持てそうにないじゃん。今まで、周りの目が気になってきた原因を自分なりにつきつめていくと、いかに嫌われないか、いかに好かれるか、いかに人に迷惑をかけないかなどに、ぶち当たると思う。だから、萎縮しちゃう。もっとオープンにいこうよ。そんなこと言ったって、周りの目がやっぱり気になるってんなら、良いことをすればオープンでいられるし、人に喜ばれることなら、周りの目が気になっても、いつも堂々としていられるはず。人に喜ばれることは、さりげなくしようが、大胆にしようが、喜んでくれるんだから、自分もどんどんうれしくなって、そのうち周り目が気にならなくなるよ。 |
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5月 2日 No.1090 ゴールデンウィークは今年もやっぱり絵本を持って出かけようぜ! |
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今年のゴールデンウィークは、新刊絵本10冊、月刊誌50冊、物語6冊、詩1冊、小説14冊、ビジネス書2冊、実用書2冊、文庫15冊の全100冊をバイクに積んで、ちょっとお出かけ。いたるところで声をかけられた。みんな口をそろえたように、こう言っていた。「バイクにまたがって絵本を読んでる人初めて見ました」と。がははは。声をかけてくれた人たちを地面に座らせ、僕はバイクに横乗りしながら読あそび。なんとぜいたくなひととき。気の向くまま走って、気の向くまま読みたいもの読んで、しっかり遊んで、ああー満足満足。みなさんも、絵本を持って、気の向くままいかが。 |
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5月 1日 No.1089 休みは、休む人。休みは、遊ぶ人。本人がどう満足するかがカギ! |
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休みの日をどうするか。ゴールデンウィークをどうするか。休みは休むためにあるんだょ、だから、休むよって人もいるだろう。休みの日に遊ばなきゃ、いつ遊ぶんだよって思って思い切り遊ぶ人もいるだろう。どんな休み方をしようが、満足感があれば、それは素晴らしいすごし方だと思う。休みを、だらだら休もうが、しっかり寝ようが、精神的に安らげば満足感があるだろうし、思い切り遊ぼうが、映画を観にいこうが、そこに満足感があれば、それはすばらしい休みの使い方をしたということ。満足感のある休みの使い方をした人は、その後、いろんなことに張りが出る。一番、張り合いのないのは、「みんな、遊びに行けていいなぁ」って、人をうらやんでいるうちに休みが終わっちゃった場合。ちなみに僕の休みの使い方は、必ず、張り、そして、張ったものをゲットしたとき「今日もいいレースだったなぁ」という満足感が生まれ、その日も、その日までも、その日からも、張りがでるんだねぇ〜。 |
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