ブックドクター・あきひろのイチニチイチゴン
一日一言 〜千夜一燈 ver.〜

諺「長者の万燈より貧者の一燈」

貧しい人のわずかな志は誠意のこもっている点で、たくさんの志よりもまさっている。
形式よりまごごろの尊さをいう。
                       一日一言 〜千夜一燈 ver.〜 

諺「長者の万燈より貧者の一燈」

貧しい人のわずかな志は誠意のこもっている点で、たくさんの志よりもまさっている。
形式よりまごごろの尊さをいう。

4月 30日 No.1088

頭が、固かろうが柔らかろうが良い悪いで判断するから、判断を過まるのさ!

 例えば「何で頭が固いといけないの?」「何で頭が柔らかいと悪くないの?」と問われた場合、何とこたえます?頭が固くても良い人はたくさんいるし、頭が柔らかくても、その頭の柔らかさを自分で良く知っているため、悪い道で、その能力を思う存分発揮しついる悪い人もいる。つまり、良い道にも、頭が固い人もいれば、柔らかい人もいるし、悪い道にも固い人や柔らかい人がいるということ。そして、どっちの道でも、損をすることが多いんだろうなぁ、と感じるイメージは共通しているということ。落としどころをあえて、こたえるなら、結果が自分にとって、良かったり得をすれば、どんな道を進んでいてもいいんじゃないってこと。


4月 29日 No.1087

本来、何かを始めるのに、人の許可は要らない!

 まず、結論から言えば、何かを始めるとき、自分が「よし、やろう!」と、自分が自分に許可を出せばOK。
 これは世界共通。それを、許可がないとできないと思いこんでいる人もいれば、許可をだされても、すぐに動けずぐずぐずしている人もいれば、許可を出されて動く癖が小さいころからついてしまい、もうそれが当たり前になっている人もいれば、自分で許可を出すなんて、どうすればいいか分からない人もいれば、許可を出されて生きる方が自分でごちゃごちゃ考えないですむから楽だ、と言う人もいれば、何をするにしても「これはどうすればいいですか?」「あれはどうすればいいですか?」「それでそのあとはどうすればいいですか?」と、許可を次から次へ求める人もいれば、その許可を求め続けていることに自分が気付かず、何の疑問も持たず、安心感をもってしまう人もいる。これらの人が親になったとき、子どもから「これがしたいからさせて?」と言われたら、どうするんだろう?と思ってしまう。


4月 28日 No.1086

怖いという気持ちは、幼いころに驚かさせられてつくられている場合がある!

 喫茶店でコーヒーを飲みながら本を読んでいたら、突然、ギィヤァァーーッという悲鳴が響き、店中の人がビックリした。どうやら、飲もうとしたコーヒーにクモが入ったようだ。本当に怖かったんだろう。しばらく泣きじゃくっていた。前に座っていた友達が、肩を貸してあげようとしても、腰に力が入らないのか、なかなか立てない。それでも、何とか立ち上がって、ハンカチで顔を押さえながら店を出ていった。店の中はみんな「クモ一匹で何もあそこまで怖がることはないじゃない」って言わんばかりの空気に包まれた。きっと彼女は、もの心ついたときには、もう、クモは怖いものって思わさせられる出来事があったんだろう。そうでなければ、あの怖がり方は尋常ではない。親のみなさんも、クモがでたとき、あんまり我が子を驚かさせないように!


4月 27日 No.1085

聞き役をしてあげるなら、相手のわがままをエスカレートさせないように聞いてあげてね。でないと、最後に自分が辛くなるょ!

 始めのうちは、辛そうだから、その気持ちをちょっとでいいから分かってあげようと思って聞いてあげていた。それで良かった。でも、今、気がつけば相当のわがままを言われているのかもしれない。そう思ったとき、その通り、相当のわがままを、相手はあなたに言っているのである。もちろん相手には、わがままを言っている自覚はない。なぜなら、あなた自身が、わがままことを言わているにもかかわらず、相手にそう思わせないように聞いてきたから。気持ちは必ず交錯する。気持ちを分かって欲しい側の話しを、気持ちを分かってあげようとする側が聞いてあげる。そのうち、打ち解け合う。この段階で一つの区切りである。だが、まだ聞き役をしていると、相手のわがままをどんどん膨らませることになり、ムカッと来ても怒りにくくなってしまう。これでは、相手のわがままをエスカレートさせただけで、自分はどんどん辛くなるわなぁ。


4月 26日 No.1084

泣きながら何かをうったえる人も、泣きたい気持ちをグッと堪える人もすごいんじゃん!

 言いたいことを言えなかったのと、言いたいことを言わないでおくのとでは、泣き方に違いが生じるもの。まず、言いたいことを今まで言えなかった場合は、一つ言い出したら、涙がとめどなく流れだし、泣きながら言っていた、みたいになるケース。次に、泣きたい気持ちになることが起きたにもかかわらず、その気持ちを一度言い出してしまったら、今までの苦労が水のアワになりそうな気がしてグッと堪えるというケース。どちらもすごいことだなぁって思う。一方は一言を堪えてきたために泣き、もう一方は一言を泣かずに堪える。言葉には人の思いが宿るということかぁ。でもまぁ、どちらも心で泣いているんだろうな、きっと。


4月 25日 No.1083

その考えが甘いんだよって言われても、何が甘いか分からないんだから、甘いまま進めばいい!

 いつも上司に相談すると「甘いんだよ、それで上手くいくと思ってんのか!?あぁっ!もっと絞りこめって何回言わすつもりだぁ!」って言われるとテンションが急に下がる。わかるなぁ、あの気持ち。でも、いつまでもテンション下がりっぱなしではいられない。こんなときだょ、自分でテンションを上げなきゃならないのは。僕が思うのは、甘くていいじゃんって思う。その甘いままやってみればいい。上司が言う通り甘いために、失敗するかもしれない。でも、その失敗のおかげで、上司が言った甘いところがハッキリわかるはず。「ここを上司は甘いって言っていたのかぁ」って理解することは学んだってこと。もし、甘いって言われたとき、次の甘いって言われないことを探したとして、結局、何もしなかったとしたら、それは甘いって言われて止まっていたということ。それは結局何も学んでないということ。


4月 24日 No.1082

何もないところから形が現れる。そこに感動がある!

 小さな公園のベンチで本を読んでいたら、すこし離れたところの砂場に、年の頃5、6才の女の子三人が来た。少しすると、さっきまで何もなかった砂場に、花が咲き、山ができ、道があり、ゆきだるまならぬ、砂だるまが五体立ち、山と対角線の位置に家のようなものが出来ていた。この女の子の頭の中にあった世界を、僕の目に写る形にして出してくれた感じがした。本を読み終えたときには、2b四方の砂場いっぱいに、ミニチュアの砂の町ができあがり、女の子たちは、砂場のへりに立って「あそこを通って山までいけるようにしょっか?」とか言っていた。これこそ、クリエーターと思い、感動した。何もないところから、形にして現す。この小さなクリエーターたちは、砂場にビックな創造の足跡だけ残して、立ち去っていった。大人でも行き詰まったとき、砂場で創造(つく)り出してみれば、意外な突破口が見つかるかもしれない。小さなクリエーターたちに、いいものを見せてもらった。ありがとう(^O^)。


4月 23日 No.1081

多忙な人は多望がゆえに悩み、ヒマな人は望みが少ないゆえに悩む!

 人の望みは、多忙にもヒマにも為らす。望み多ければ、あれもしたいこれもしたいと為って、気分が乗っているときはいいが、いつの日か、ヒマを望むようになる。そして、ヒマをもてあましている人は、それまで、別にこれといった望みを持ったことがないほど、望みが少ない日々を送っていたため、これではいけない、何か自分が望むを見つけなくてはと悩む。つくづく、人間の身勝手さを感じる。だが、身勝手ゆえ、悩みから脱出できることも、また事実である。こんなとき、僕はいつも思い出す。その苦しみを分かち合える仲間から「おまえだけじゃないさ身勝手なのわぁ。身勝手は俺も同じさぁ」と言われ、どれだけ救われたかを。身勝手な自分に出会ったら、救われた一言や救われた気遣いを思い出してほしい。そして、今度は自分が誰かのために、誰かを救うような一言や気遣いをしてあげようよ。


4月 22日 No.1080

まずさぁ、いやなことは忘れるクセをつける練習をしようょ!

 まずさぁ、のあとに続く言葉はいっぱいある。例えば、代表的なヤツでいうと、まずさぁ、何でもいいから始めよう、がある。それに似たヤツで、まずさぁ、悩んでばかりいないで動いてみよう、がある。あと、まずさぁ、勇気を出さないと、とか、まずさぁ、基本を身につけてからだよ、とか、まずさぁ、最後までやってみようよ、(やりきってみようょ)とか、まずさぁ、自分がしっかりしないとさぁ、とか、まずさぁ、何をおいても結果をだそうよ、とか、まずさぁ、とにかく何かおいしいもんでも食おうよ、(何か飲もうよ)とか、まずさぁ、カッコ(外見)から変えていこうよ(入ろうよ)など、まずさぁのあとにくる言葉はたくさんあるが、今の世の中みてると、まずさぁ、イヤなことは忘れようょって、言われることが一番効くような気がするなぁ。


4月 21日 No.1079

人の心は脆(もろ)いから、人にも自分にも加減が必要!

 人の心はもともと脆いもの。でも中には、常に脆い人や、あれだけ元気だった人が、ある出来事から脆くなってしまったり、脆かった人がある出会いをきっかけに、少しづつ強度を増していったりする。
 脆いということは、加減しないと、崩れたり壊れたりするということ。だが、加減さえすれば、崩れたり壊れたりしないということ。
 さてだれが加減するのか。もちろん、自分で加減するのである。何か言われたとき、何かされたとき、自分の心に、そのままを受け入れていいのか、これは見なかったことにしようとか、これは聞かなかったことにしようとかの加減を自分でするしかない。人は加減なんかしてくれない。自分も中の良い友達には、加減なんかしていないかもしれない。なにごとも、加減は必要だよね!僕はまだ下手だけど早くものにしたいなぁ。


4月 20日 No.1078

性格ってさぁ、変えようとしても変わらず、変わらないように見えて変わっちゃうんだよね!

 性格の面白いところは、自分がいくら変えようとしても、なかなか変わらなかったり、ここだけは変えたくないと思っていても、その部分を指摘されるように人から「変わったなぁ、おまえ」って言われてしまうことがある。つまり、性格ってヤツは、変えたいと意識したところが、がんこに変わらず、変わりたくないと意識したところが、こともなげに変わったりするということ。それぐらい質が悪い。それをもし、人が自在にあやつれたとしたら、役者でもないのに、役者のようにその性格を演じなければならなくなる。僕には無理だろうな。だって小さい頃から、その天の邪鬼な性格を変えなさいって、いくら言われても、この天の邪鬼な性格ゆえ変わらなかったと思うし、今はその天の邪鬼な性格が好だから。でも、演じてでも性格を変えたい人は、めちゃくちゃ疲れそうだけど、やってみてください。ひょっとすると、おお化けするかもわからないから(笑)!


4月 19日 No.1077

「なんかこれで好きなお菓子をかっておいで」って言われて買いに行くときの、あのうれしさは最高!

 ある人から「あきひろぉ、好きなもん買ってこいよぉ」って言われて、近くのコンビニに行くとき、はたと、ガキのころにもどってしまった。おっさんになった僕が、ガキのころの、あのうれしさを完璧に取り戻してしまった。完璧に取り戻せたことに、さらなるうれしさがあり、もう、最高である。いくつになっても「さーて、何を買おうかなぁ」っていうあの感じは、ベリーグゥッ!今の子どもたちも、この感じを味わっているんだろうか?それとも、そんなのは当たり前で、全然感じないのだろうか?今度、一度聞いてみたいものだ。


4月 18日 No.1076

小さなことを疎かにしないことが大きな災いを未然に防ぐって言うけど、大きな災いの中に大きなチャンスが隠れていたりするんだょ!

 小さなことを見過ごしていると、大きな災いを呼び込みかねない。だから、小さなことだからといって疎かにすることなく、どんなささいな事もまじめに取り組んでおきなさい、という人生訓である。だが、多くの成功者は人生でこれほどの大災害はないといった奈落の底に落ちて、その奈落の底に落ちたとき、大チャンスの元をつかんでいる例が非常に多い。したがって、見過ごしてしまった小さなことから、奈落に落ちたとしても、そこには、大逆転のチャンスが落ちている場合があるので、失敗を恐れる事なく、日々邁進すべしと思うこともまた、人生の捉え方の一つである。


4月 17日 No.1075

一日、子どもといて、子どもの口から「あぁ、おもしろかった」と言うセリフが聞けたなら大成功!

 都内の電車に乗っていたら、親子4人(お父さん・お母さん・兄弟)が楽しそうに入ってきた。そして列車が走り出すと、お兄ちゃんが、「あぁ、おもしろかった」と言った。弟もお兄ちゃんの真似をしたのか、遅れまいと「今日は楽しかったぁ」と言った。どこに連れていってもらったのか分からなかったが、その雰囲気から相当、おもしろかったんだろうなっていうのは、分かった。そんな子どもを見ていたお父さんとお母さんの接し方もまた、いい雰囲気なのだ。「また、行こうな」とか「おもしろかった?」とか一切言わないのだ。ただ、夫婦で、ふ〜んってな感じでほほ笑んでいるのだ。そんな親子がもっと増えますように!


4月 16日 No.1074

事実と本当のことは必ずしも同じじゃないかんね!

 テレビの刑事ドラマで、刑事が「あのとき、あなたはこう言いましたよね?」と言い、容疑者が「はい、言ったのは事実です。ですが本当はこういう理由があって、ああ言うしかありませんでした」と。こんなことは、誰の身にも起こり得る。なのに、事実と本当のことがイコールと思ってしまっている。事実をしることは調べれば解る。でも、本当のことは調べたって解らない。たとえ裁判になって死刑の判決が出ても、被告人が本当のことを言うとは限らない。逆に、死刑を免れたいために、本当のことを言ったとしても、本当に、本当のことを言ったのか、言ってないのか、解らないのだ。それが、本当のことには、常に隠れているから怖いのだ、ということを知っておいてほしい。あっそうそう、ついでに、この国の政治家はとくに上手いということも付け加えておくかんね!これはホントに本当(^O^)!


4月 15日 No.1073

確かめなきゃいけないのは、人の気持ちじゃないだろ?自分の気持ちじゃねぇの!

相手の気持ちを、知りたいときってどんなときかなぁ。
 相手のことが好きなとき?
 身に覚えがないことで悪口をいわれたとき?
 どう自分が思われているか聞いても教えてくれないとき?
 無視をされたとき?
 原因がわからないとき?
 何にしても、確かめてみないと、私が悪いのか、それとも相手が悪いのか知りたいと思ったとき?
 などいろいろある。いろいろあるだろうけど、確かめてどうするの?相手を謝らすために確かめるの?相手を怒るために確かめるの?相手に何かをさせたいから確かめるの?確かめてもわからないことの方が、多いんじゃないの?なのにどうして確かめたいの?自分の気持ちを、確かめないと、気が休まらないからじゃないの?。それだと、気になるごとに自分の気を休めるために、確かめてばかりいないといけないよね。確かめなくても、人間には、相手をみて自分で気付くって能力があるんだから、その能力をつかえばいいのに。


4月 14日 No.1072

期間を決めていいから、走って走って走りまくる!という人生の一ページは、その人を大きくする!

 分かっていただいてると思うが、この場合の走るは、本当に短距離や長距離を走るわけではない。人生のどこかで、わき目も振らず、その道やその事に、打ち込んで打ち込んで、打ち込み抜いた、と、その時期を自信をもって疾走したことを意味する。かっこいい言い方をすれば、その時代を翔け抜けた、と言えばいいだろう。この体験をもっている人は、わずか一年会わない間に、驚くほどの成長を感じる。人間が一回りどころか、とてつもない大きさを感じるときさえある。それを、ある仏の道をあゆんでいる一人の僧に感じた。語りあっていると、眼が澄みきっているので、吸い込まれそうになるが、僕と話しをしている最中に、別の僧の方が安易な声をかけた。このときみせた眼は、なんというするどい眼光だろうと感じた。僕が「仏の道を、かなりの勢いで走ってますね?」といったら、その僧が「ええ。でも、私くしは、闇を走ってるいるわけではありません。私くしが、走っているのは仏の道なので、まるで光のなかを疾(はし)っているようです」と、眼光を和らげながらいった。僕もまだまだ疾らなきゃ!


4月 13日 No.1071

生まれたときは、みんな泣くか泣いていないかしかできない!

 人がこの世に生まれたとき、産婦人科の婦長さんは、赤ちゃんの鼻に管を通して、鼻呼吸できるようにする。すると、この世の空気をすった証しに、オギャーオギャーって泣き声を発する。ここで泣き声をあげないと、それまで、魚のように水の中で生活していた肺のベンみたいなものになんらかの異常が発生したとみられ赤ちゃんの身が危険にさらされる。運良く健康にこの世に生をおびたときのしるしが「泣く」という動作。これはすべての人間の動作でもある。それが月日をへだて、意識が3才ぐらいで芽生えると、ただ泣くことから、泣けた、泣きたい、泣いてしまった泣いているなど、泣く動作に意味をもつようになる。人の人生はある意味、泣いて始り、どんな泣き方を人生でしたかを知って、まだまだしたいことがあるとくやし泣きで終わるのかもしれない。どうせなら、いい人生だったなぁってうれし泣きで去りたいものだ。
ええ?なんだって?僕の場合は、人をさんざん泣かして終わるだってぇ?んーん、するどい(笑)。


4月 12日 No.1070

「命を授かったこと」に、心を込めてご先祖さまに感謝する。すると不思議なことに体がスッキリする!
(但し、心が込もっていないと、ご先祖様に判断されると何もおこらない)

 先日、僕の父方のご先祖さまのご法要があり、杉本家五代目法要主として、きっちりお参りをしてきた。いつもなら果てしなく長いお経も、なぜか今年は、自分が仕切らねばならなかったので、あっという間に感じた。その際、数珠を手に手を合わせっぱなしで、僕にたった一度の人生をプレゼントしてくれて、本当にありがとうと心を込めて念じた。帰り道、恐ろしくすっきりした感じがした。
 これからまた一年、一日一日を大切に、エネルギーをあますことなく一生懸命生きます。命を授けてくれて本当に感謝しています。


4月 11日 No.1069

中身のかっこよさは、外見のかっこよさのように見えないからなぁ!

 かつて、東京の下町の人たちは「粋」のかっこよさを生涯を通して貫いた。頼まれてもいないのに、陰からこっそり、その人のピンチを救い、おいらは何もしちゃいねぇって涼しい顔をしていたり、泣くに泣けない辛さを背負いながら、人の喜ぶ顔がみたいがために、命を張ったり、そりゃかっこいいったらありゃしない。今の外見のかっこよさを求める消費社会とはわけがちがう。今は、その服、そのクツ、そのバックなどに自分の体を合わす。つまり、その服が似合うような体を作るために、エステ、ダイエット、スポーツジムなどが大繁盛する。昔はその人その人がかっこよかったため、何を着てようが似合い、何をしてても様になるといったかっこよさを、かっこいいといった。 今からは、そんなかっこいいヤツはぐっと減るだろうなぁ。


4月 10日 No.1068

なかなか事が進まないときは、少しでもいいから、反省すべき点を拾いだす!

 反省とは、「反」一文字には、あべこべと言う意味があり、「省」一文字には、中国からこの字が伝わってくる際、福建省などのように何々省として、常に中心を省みる知事のような役割をイメージする。その「反」と「省」が合わさって、反省となるため、もともとは、善い状態が常に続くようにすることを反省(ばんしょう)と言った。それが江戸時代初期には、今の意味あいに近い、何か悪いことをした後に、今後二度とこのようなことを起こさぬよう、過去をよく振り返り、どこか自分の言動に愚かなところはなかったか、行動には思いあがった過ちがなかったか、よく省みると言う意味になった。つまり反省することによって、好転を望むのである。だから普段から、少しでもいいから、日々、寝る前に反省をしたなら、みんなが上手くいきはじめるんじゃないかと思う。
 ちなみに、反省点を拾いだすことや反省材料のことを「他山の石」と言う。


4月 9日 No.1067

守りなさいって言うだけでは守れない。嫌な思いをして守れるようになっていく!

 幼い子がなぜ、守ることができないかは、何を守っていいのか、まだ本当の意味を理解していないから。小学校にあがると、先生に注意されてる子や怒られたり、叱られている子を見て、あれを守らないと、ああ叱られるのか、ああして人前で叱られるのは嫌だなぁと思うと、だんだん、守れるようになっていく。大人になるまでに、痛い思いや嫌な思いをしていきながら、守らなければならないことを、守れるようになっていく。でも、守ることになっているから、守らせるってことを、一方的かつ全面的に圧をかけられると、人は守ることを少しづつくずしはじめる。今の時期なら、車の免許がいい例だろう。自動車学校では制限速度を守るが、免許を手に入れたとたん、誰も制限速度なんか守らない。いや、守れない。なぜなら、制限速度を守って走ると、大渋滞を引き起こし他のドライバーに迷惑をかけかねない。実践では、車の流れを最優先に守った方が、迷惑をかけない運転になるからである。そうして、守るものは状況によって変化するのである。


4月 8日 No.1066

「これは、昔からこうなってるの」と、言われたものには、今の社会に十分通じるものが多い!

 昔から、これはこうなってるのって言われるものには、昔の人たちの知恵が、ふんだんに盛り込んであるような気がする。僕の場合、子どものころから、何にでも興味をもってしまうくせがあるので、井戸から水が出ると「何で水が出るの?」とか、本家に泊まりにいくと、お風呂にまきをくべて入るのだが、その度に「何で火事にならないの?」とか、興味をもつことで、ふっとわいてくる聞きたいことを常に口にしてきた。で、その度ごと、「これはのぅ、昔からそうなっとる。意味なんか考えんでええ。大事なことは、そうなっとることを、そうなったまま、使えるかじゃ」と言われた。今は、意味不明や元をつかめないと使わないものが多くなった。いや、たぶん使えなくなったのだろう。


4月 7日 No.1065

方角が正しくても、前ばかりみていたらつまずくし、方角が間違っていても、方向さえあっていれば大間違いはおこさない!

 人は間違いをおこないように、正確な方角を出して、歩もうとする。その方角を目指しても歩み出すと、だんだん足下を見なくなっていく。そのうちつまずく。このつまずいたとき、軽いものならいいが、重いと相当こたえる。そんな体験をした人は方角にこだわることがなくなり、方向さえ間違っていなければ大間違いを起こすことはないだろうと学び始める。こうなるためには、やはり、失敗を恐れずどんなことにも、一生懸命取り組むくせをつけるしかないと思う。なんせ、そのくせさえつければ、それが一番、大けがにならないようになっていくのさ。だから、昔の人は何事も一生懸命取り組めよって、言っていたんだろうな。


4月 6日 No.1064

音もなく訪れるのは、ピンチだけではない。ちゃんとチャンスもある!

 ピンチが一度やって来ると、これからどうなるんだろう?って不安になる。その不安を、安心に変えたいために、人はそのピンチを切り抜けようとする。または、不安のままの煩わしさから、逃れようとピンチに向かわざるえなくなる。結果、ピンチを、知恵や努力、すばやい対応などで上手く切り抜ける人もいれば、あれよあれよと言う間にピンチに押し切られてしまう人もいる。さらには、ピンチが来ているにも関わらず、こんなものはピンチでもなんでもないと言う思い込みや過信や油断などで、ピンチに気付かなかったばかりに、取り返しのつかない状態になる人もいる。
 ここで踏まえておきたいのは、音もなくやってくるピンチに気付く人は、音もなくやってくるチャンスにも気付ける人であるということ。


4月 5日 No.1063

春雨って、さくらの花を際立たせるために、降るのかもしれなぃ!

 さくらの開花情報を、マスコミが騒ぎ出すころに降る雨のことを、春雨と言う。
しとしと降ったり、サァーっと柔らかいシャワーのように降ったり。その春雨がさくらの花に当たる。そうすると、一段とさくらの花が際立つ。うすピンクの花びらが遠くからでも、はっきり、さくらだとわかるぐらい、春雨の中に浮かびあがる。お酒が好きな人には、春雨の日は、さくらの木の下で一杯とはいかないだろうが、春雨の日のさくらも、それはそれで楽しんでほしいものだ。春雨は、さくらを際立たせる働きもするが、また来年、さくらに開花してもらうために、花びらを散らす働きもする。親子で傘をさしながら、濡れざくらを楽しむのもいいかもしれない。


4月 4日 No.1062

優れているのは、賢いことを自覚している者より、未熟を常に自覚している者である!

 子どものころから学校の成績が良いと、親や周りの大人たちから、賢い賢いと言われると思う。いつしか、その子自身が「僕は他のヤツより賢いんだ」と大なり小なり自覚する。それはそれで決して悪いことではないだろう。しかし、その自覚の浅さは決して優れているとはいえない。一方で、子どものころから、成績はいつも中の下だったため、いつしかその子が「僕は、まだまだ未熟だから」と自覚したならば、自分なりのペースでコツコツと勉強を常にし続ける。この時点で、何を自覚したかにおいて、後者は秀でるものがある。
 優れるとは何を自覚するかによって、決まるのである。決して、学校の成績が良いことイコール、優れた人物ではない。


4月 3日 No.1061

ようするに、どうせ話すなら、打ち解けるまで話し合えってことね!

 時間がたっぷりとあって、みんなで集まって話しする場合、その間、ずっと打ち解けて話しの中に入っている人は、例えその話し合いが5時間かかったとしてもあっと言う間に感じるが、打ち解けていない人にとっては、なかなか話しの中に入れず、言葉を打ってはいるが、みんなの言葉や話しを聞いて解けていないため、時間が長く感じるはず。
 打ち解けて話しをするためには、自分が解ろうとする言葉を打たねば、解(と)けるはずがない。ただ、自分の状況や自分のおかれた立場の言葉を打っていたのでは、それを述べただけで、みんなを解かしたわけではない。それは説明になっていない説明をしようとしているにすぎない。まるで政治家のような(笑)。だから、打ち解けた話しの中に入るためには、必要な言葉を打ち、必要な言葉を聞かねばならない。


4月 2日 No.1060

何もしてないって言われることを、恐がっていたら、何もしないことの大切さを見落とすよ!

 何もしていないって言われるときのシチュエーションには、本当に何もしていない場合と、何もしていなかった時期があったからこそ今がある場合と、何もしていないでいられることの幸せをかみしめる場合と、何もしていないことを楽しんだり、逆に悩みの種になる場合と、何もしていないように見られるだけで、本人は何かをしている場合と、何もしていないこと自体に意味があったり、意味が生まれたりする場合など、何もしていないことは、なまけるイメージや良くないイメージで思われている。だが、本当は「何もしていない」ということをちゃんとしているのだ。僕は子どものときから、何もしないで遊んでばかりいるって言われ、今、あのころに「何もしないで遊んでばかり」いたことが、めちゃめちゃ役に立っている。それは、僕にとって良いことである。へへへ(^O^)


4月 1日 No.1059

責任感をアップさせる一つに、任すときも、任されたときも、後悔しない気持ちにどれだけなれるかがものをいう!

 この時期なら、高校野球で例えると解りやすいと思うが、監督が「今日の試合はおまえに任せた」と告げて、ピッチャーをマウンドに送り出す。任された、ピッチャーは監督の期待に応えようとする意志が強まる。この関係でさらに責任感をアップさせるためには、任せた側の監督がおまえに任せた限りは、どんな結果が出ようとも、決して後悔しないという思いが強ければ強いほど、監督自身の責任感もアップする。対して、任された側のピッチャーは、監督から任された以上は、決して後悔することのないよう、一つづつを丁寧に、一球一球を大切に行こうするはず。そう思ったならば、その思いが強ければ強いほど、先の監督の責任感同様、アップするは目にみえるはずである。でも、いくら監督と選手に強い責任感がある関係でも、試合に勝つか負けるかは、水ものであるということをそえておく。意外に無責任なチームワークをもったチームが優勝したりして(笑)。