ブックドクター・あきひろのイチニチイチゴン
一日一言 〜千夜一燈 ver.〜

諺「長者の万燈より貧者の一燈」

貧しい人のわずかな志は誠意のこもっている点で、たくさんの志よりもまさっている。
形式よりまごごろの尊さをいう。
                       一日一言 〜千夜一燈 ver.〜 

諺「長者の万燈より貧者の一燈」

貧しい人のわずかな志は誠意のこもっている点で、たくさんの志よりもまさっている。
形式よりまごごろの尊さをいう。

No.1000を機に一日一言がバージョンアップしました。

「千夜一燈」バージョン

ことわざ「長者の万燈より貧者の一燈」
から取りました。

“ 貧しい人のわずかな志は誠意のこもっている点で、
たくさんの志よりもまさっている。 ”

形式よりも真心のほうが尊い。
この真心を 今までも千夜 こめ続けてきました。
そしてこれからも”一燈”をともし続けます!
2月 28日 No.1027

幼い子どもに問い掛けると、なんであんなに、いい答えをもっているのかなぁ!

 大人の問い掛けるに対して、幼い子どもたちは、いつも、いい答えをもっている。
 例えば「晴れの日が好きな人ぉ〜?」って聞くと、何名かの幼い子どもたちが「は〜い」って手をあげてくれる。その中で「君はどうして晴れの日が好きなの?」って男の子に聞くと「だって、すずめさんの声がチュンチュンって聞こえるからぁ〜」って言うから、僕が「君はすずめさんの声がどうして好きなの?」って聞くと「あの犬のワンワンって声はコワイけど、すずめさんの声は全然コワくないから〜」って言うのでさらに、僕が「どうして犬の声はコワイの?」って聞くと「犬はワンワンてなくとき、鼻にシワよせて鳴くけど、すずめさんは鼻にシワよせてチュンチュンって鳴かんもん」って。たしかに・・・。僕はほんとに、よく見てるいい答えをもってるなぁって思った。


2月 27日 No.1026

気持ちのひっかかりを気にするか、気にしないか、さぁ、そこが勝負さぁ

 なんか、ひっかかるなぁって思うときは、まだ、納得していないから、妥協もしてあげにくい。こんなとき、もう少し、そのひっかかりが何か、気にして探そうとしてもいいし、そのまま気にせず、受けてしまってもいいし、断ってもいいだろうし、別のまったくひっかかりがないものを求めに行ってもいいと思う。
 だが、どれを選択しても、これを気にしてよかったと思うか、もう少し気にすればよかったと思うか、あのとき、気にしすぎたためにチャンスを逃がしてしまったと思うか、あー、こんなことになるなら、あのときもっと気にしとけばよかったと思うかのリスクは、勝負ごとのように、常に背負ってしまうことを、ちゃんと認識しておこう。


2月 26日 No.1025

「優しいことが怖い」と、「厳しさの中の優しさ」と、あなたならどっちの優しさがいいですか?

 まず「優しさことが怖い」は、その優しさがいつまでも続くわけがない。だから、その優しさがとぎれたとき、自分は、どうなって行くのか、想像がつかなくて怖くなってしまう。つまり、未来への不安を感じて怖くなるということ。
 次に「厳しさの中の優しさ」は、自分の過去を振り返ったとき、あのときは、走ることが、もうイヤでイヤでしかたなかった。でも、あの厳しさは、実は、監督は僕の将来を考えて、少々のことではへこたれない足腰を作ってくれたんだよ。そして精神まで。それが結果、今のいきの長さにつながったと思う。優しいよなぁ。僕はバカだから、厳しさの中に優しさをおりこまれたら、わかんねぇって!みたいな話のように、振り返って感じる場合。
 僕は「厳しさの中の優しさ」の方が結構、多かった。優しさがあとで解ったとき、うれしかったり、恥ずかしかったりするけど、僕はどっちもいいかな。


2月 25日 No.1024

願いがこもった言葉って、良いときばかりじゃないんだよなぁ!

 人は、願いを込めて、そのセリフを言う場合がある。
 例えば「君には期待しているょ」って言うセリフを、上司が部下に言う場合、また、別のセリフで親がわが子に言う場合、恋人が恋人に言う場合、夫婦で言う場合、先生が生徒に言う場合、監督が選手に言う場合、師匠が弟子に言う場合などなど、さまざまな関係で、願いを込めて、あるセリフを、そのシチュエーションに応じて言うときがある。
 そのとき良い方は言う側と言われた側の気持ちや、心がほどよく通じあっている関係である。だが、言う側が願いを込めすぎたり、言われた側がかってに期待以上の解釈をしすぎたり、バランスがくずれているときがある。
 それに、立場や年が上の者が下の者に願いを込めて言う場合ばかりをイメージされる人が多いが、実は、子どもたちのように幼かったり、社会的に弱い立場の人が、回りの大人に「絶対だょ。その約束は守ってね!」と願いを込めていることも、有る、と知っておいてほしいと思う。


2月 24日 No.1023

聞いて聞いてって、子どもが言って来たときの大人の態度が肝心!

 めちゃくちゃ忙しいときに限って、子どもが目を輝かせながら、聞いて聞いてって言って来たとき、大人は、いろんな型を見せる。

・「今は、忙しいからあとでちゃんと聞いてあげることを告げた上で、大人はいつも、忙しいことを教えようとする大人のタイプ」
・「すぐ、なに?って、どんなに忙しくても手をとめて聞いてあげようとする大人のタイプ」
・「手を休めず、作業を続けながら、子どもに向き直っては聞いてあげられないが、とりあえず聞いてあげようとする大人のタイプ」
・「忙しすぎて、子どもがなんども聞いて聞いてって言って、ようやく、なに?って気づく大人のタイプ」
・「最初から聞くつもりもない大人のタイプ」
・「いきなり、うるせぇーって怒鳴る大人のタイプ」

 などなど。そのときの大人がどの態度をとるかで、子どもの心の形成に大きな影響を及ぼす。
 大人のみなさんに分かっていてほしいのは、子どもが聞いて聞いてって、言いにいく人は、大好きな人に、まず自分がしてきたことを聞いてほしいから、言いに行ってるってことを・・・・・・!


2月 23日 No.1022

昔も今も、お父さんとお母さんは、仲がいいほどケンカするって範囲が一番いい!

 子どもなりに、お父さんとお母さんが、どのレベルで夫婦ゲンカをしているか計っている。一番いいのは、子どもに「ああー、また、月に一度はやってくる、夫婦ゲンカが始まったょ。まったく」と、ちょっと、あきれられた感じで伝わっている範囲。つまり、どうせまた、仲良くなるんだったら、夫婦ゲンカなんかしなきゃいいのにって、ちゃあーんと伝わってる範囲がいいってこと。お父さん、お母さんからすれば、そのつど、頭にくるんだけど、一番困るのは、わが子に、本当に頭にこられることだよね!だから、夫婦ゲンカは、犬にも食べてもらえないレベルでしてあげてょ。くれぐれも、犬もびっくりして、食べてしまうようなレベルには、ならないように!


2月 22日 No.1021

昔の親父は、家にいるだけで存在感があったよなぁ!

 子どものころ見たテレビ番組に「寺内勘太郎一家」というのがあった。毎週、西城秀樹が、親父役の小林亜星さんに何も言われずに、ぶんなぐられるシーンが見たくて、かかさず見ていた。なぐったあとの、小林亜星さんが、なんとも言えない表情になるんだけど、その表情が、うちの親父の雰囲気に似ていて、親父が、たまりかねて、手をあげるしか息子と語れない感じがした。なぐるシーンは「こんなことも、おまえは解らんのかぁー」って口で言えばすむところを、それが言えずに手がでてしまうパターンが多かった。そして、最後はハッピーエンドになるのだが、ど真ん中にで〜んと座る小林亜星さんが、また、何も言ってないのに、一番存在感があるのだ。うちの親父も短気だったが、相当の存在感があった。あの存在感を思いだすと、僕はまだまだだなぁっていつも思う。


2月 21日 No.1020

やたら元気、やたら明るいって言われるからって、せっかくの元気や明るさを抑える必要ってあるのかなぁ

 ある男性とある女性から、同じような話を聞いた。
 まずある男性の話から。その男性が子どものとき「おまえって、やたら元気だよなぁ。それがみんなイヤなんだょ、きっと・・・」と、中の良い友達と学校からの帰り道で言われたことで、みんなから、イヤがられたくないと思って、せっかくもっていた元気を抑えるようになってしまった、と言うのだ。
 次は女性の話。その女性がある朝、いつもの明るさでおはようって、あいさつしながら職場にいくと、みんなが翌日とは明らかに違う雰囲気で、だれ一人見向きもしてくれなかった。なに?このイヤな雰囲気わぁっと思いながら、自分の机につくと、同期の子の字のメモがあって「明るいのはいいことだと思うけど、あんたはやたら明るすぎの!もっと、この職場にあった明るさで!」と書いてあったらしい。そして、その女性は一生懸命、明るさを調節しようとしたが、結局、できなくてその会社をやめた。でも、やめたのに、今でも明るくしようとすると、みんなから、嫌われるんじゃないかと怖くなるらしく、いびつな明るさをもつようになったと言う。
 僕は思う。やたら元気、やたら明るいと言われる人の方が、「やたら元気すぎ、やたら明るすぎ」と言って、自分たちの元気のなさや、自分たちの暗さに合わさせようとする人間より、はるかに心が豊かであると。


2月 20日 No.1019

子どもの未来は、子ども自身が、見つめたり心配をしたりすればいい。そうやってイッパシの成人になってゆく方が頼もしい!

 子どもの将来を、子ども以上に見つめる親がいたり、子ども以上に心配している親がいる。
 いくら親が見つめても、いくら親が心配しても、子ども自身が本気で見つめだしたり、心配にならない限り、せっかく親が見つけてあげた道であっても、事も無げに辞めてきたりする。また、親が安心できる道であっても、子ども自身は、より心配が増え、不安で不安でしかたない日々をすごすことになって、親が安心してくれている道であっても、続けたくても、続けられなくなってしまう。こんな状態になってしまっては、もともこもない。
 だから、どんな道であっても、親が子どもの未来を、見つめたり、心配していては、子どもは、なかなかいっぱしの成人になれないだろう。


2月 19日 No.1018

太古の昔から、人間の変わらぬ様のひとつに「もう、あとわずかで〇〇がなくなります」って聞くと、それが欲しくなる、という有様

 今日、大型デパートにフラフラ入っていったら、あちこちで3時のタイムセールがあった。電気屋、靴屋、服屋、ワゴンセール、たこ焼き屋、アイスクリーム屋、薬局、食料品売り場、新学期用の文具などなど。そして、どこも「あと、3品でおしまいで〜す」とか、「あと、わずかで一万五千円のデジカメが、なくなりま〜す」とか言っていて、そのとたん、買うつもりなどなかった人まで、買っていく有様だった。
 これは、アラブに伝わる話の中や、アフリカの部族に伝わる、いい伝えの中にもあるが「人は、水がなくなると聞いたとたん、ノドが乾く」とか「人は、草の根に栄養があると聞くと、きのうまで見向きもしなかった草を、動物に栄養があると聞くと、きのうまで見向きもしなかった動物を口にする」という言い伝えをして、人のものに対する有様を、訓えてきた。必要なものだけ、必要なときに得ればよいと。


2月 18日 No.1017

後先考えないで行動することは、失敗が多くなるってイメージが定着してるけど、そうでもないょ!

 僕は大抵、後先なんか考えない。なぜなら、後先考えてその通りにいくことが大嫌いだから。ハプニングが大好きだから、後先考えない方が、わくわくして、今度はどんなことが起こるのかなぁって感じ(笑)。
 こんなことを言ってると「だからあきちゃんの回りの人たちは、いつも大変な思いをしてるの!伸ちゃんや、さとかっちゃんや、たいっちゃんは、いつもハラハラしてるはずだわぁ。みんながあきちゃんの代りに後先考えてくれているおかげで、そうやって、後先考えずに今日まで生きてこられたのょ!わかる?」って、みんなの声がしてきそうだ。でもね、後先考えずに動くと、結構、良き出会いがあったり、そこで失敗してたことが後にめちゃくちゃ役にたったり、思わぬ、楽しい体験をしたりするから、わりぃーけど、しばらく、僕は後先考えるつもりはない。
 だからみんなも、一回、後先考えずに動いてみてよ。思っているほど失敗しないかもしれないじゃん。そして、僕みたいに、鉄砲玉とか、無鉄砲とか、言われてみてよ。そうすれば、みんなにも、あの気持ちがわかると思うなぁ。へへへ。


2月 17日 No.1016

心配ばかりしてしまう人は、心配ばかりしていられないってものが、まだ、ないだけさ!

 物騒なニュースのたびに、家族の心配や子どもの心配をしてしまう。
 最近のニュースだと、お父さんの会社や自分の住んでる家やマンションの心配、老後の年金、医療負担、学費、自分の親の体の心配など、一人一人、みな心配が違うが、心配ばかりしている人と心配ばかりしていられない人とでは、その心配への気持ちの強さの度合いに差を見せる。
 つまり心配ばかりしていたら、いつまでたっても、自分のやりたいことが、できやしないってところで、心配している人と、その心配が解決しない限り、何も手につかないってほど心配している人との差は、健康面や精神面に現れる。
 心配ごとは、だれだってあるんだから、何も自分の体を壊わしてしまうほど心配することはないと思う。今度は、自分がみんなを心配させてしまうことになりかねないから、心配もほどほどに!


2月 16日 No.1015

うまくいかないときは、ちょっとだけ無理をするか、ちょっとだけ気を抜くと、上手く行きはじめる!

 何ごとも、上手く事が運ぶに、こしたことはない。だがなかなか上手くいかない。なぜなら、多くの人はイメージ的に100%上手くいかせたいからだ。最初から50%も上手くいけばOKとする、なぁ〜んて思う人は、相当の修羅場を見てきている人だろう。だから、普通の僕らは、イメージ的に言うと、ちょっとだけ無理して120%の努力をするか、80%ぐらいに気を抜くか、肩の力を少し抜くかすると、上手く行きだすのさ。いつまでも上手くいかないことはない、ぐらいの気持ちでいこうょ。


2月 15日 No.1014

思い通りの子育てができたとしたら、それは、血のつながったロボットを育たことになるんじゃないの!

 また、子育てがうまくいかなかったからと言う動機で、母親が、まだ幼い保育園に通う、我が子二人を殺めた事件が起こってしまった。
 子育ては、どこの家庭でも、うまくいかないもの。それなのに、せっかくこの世に二人もお腹をいためて産んでおきながら、殺めることはないじゃないかぁ。殺める選択をするしかなかった、というなら、そんなことは、絶対にないと僕はいいたい。
 仮に、母親の思い通りの子育てをできたとしたら、子どもはロボットみたいにさからうことなく、ぐずることもなく、何かしたいことや、させて欲しいことがあっても、お母さんがダメと言ったら聞き分けよく、「はい」って幼い子どもが聞くことになる。
 そんなばかな。
 幼い子どもが、思い通りにならないのは、毎日、ものすごい量の学習をしているからだ。それがなぜ、そのお母さんに、わからなかったのだろう。
 二人の幼い子どもたちに、心から御冥福を祈らせてほしい。


2月 14日 No.1013

体力の回復をするために、残り少ない体力をつかい、軽く運動すると、ホントに体力の回復が早いのでやってみてほしい!

 くたくたになるまで体力をつかう。そして、寝れば体力が回復すると思って寝る。ところが起きてみて、立ち上がってトイレに行こうと数歩あるいたとき、しっかり寝たはずなのに、体力が回復していないかのように感じてしまうほど、体が重い。こんなとき、軽く体力をつかうような運動をして、例えば腕たて10回とか、ジャンプ1分とか、自分の体にあった運動で、軽く体力をつかう。そうすると、その軽く体力をつかったときの、その後の一日の体力の回復は抜群の体感がある。何で、体力がない状態で、さらに体力をつかうような軽めの運動をする方が回復が早いのか、人間の体は、本当に不思議である。


2月 13日 No.1012

思いやりってさぁ見ようとするもんじゃなくて、感じるものなんだょね!

 ファミレスでコーヒーを飲みながら本を読んでいたら、隣りのボックスから声が聞こえてきた。「あいつは思いやりがねぇんだょ!あいつの思いやり、おまえ、見たことある?」と。そのボックスには、中年の営業マン風の男性が三人座っていた。どうやら、今しがた営業してきた先方に、心をこめてお願いにあがったのに、「ダメなものはダメ」と、邪険に扱われたようだ。それで、ファミレスで大の男が大声でグチを言ってうさ晴らしをしてる感じだった。三人とも大声でグチを言っていて、みんなから、白い目で見られても平気なタイプらしく、「思いやりの見えねぇやつぁー、だからイヤなんだよ。俺らがいくら思いやりを見せても、ああいうやつには、絶対、一生わかんねぇって」と、セリフまでデリカシーの無さがでていた。このおっさん三人組が、思いやりは、見せたり見られたりするものじゃなく、感じるものだということを、識ることは当分、訪れないだろうなぁ。


2月 12日 No.1011

今は亡き、おじいちゃんやおばあちゃんは、たまに、動物たちの力を借りて、こっちの世界へ遊びに来ているのかも!

 子どものころ「したきり すずめ」の昔ばなしを、母方のおばあちゃんから聞かせてもらった。そのときも、縁側から見える電線にすずめが一列にならんでいた。その電線にとまるすずめを指さしながらおばあちゃんがこういった。「ほら、あそこのすずめさんたちを見てみぃ。今から、お遊戯会をするために、発声練習をしながら整列しているように見えへン?あのすずめたちの舌を切るなんて、できんな、ばあちゃんには。声かけたくてもかけれへんようになってしまう」と。今日、道わきに車を止めて、シートをたおしたとき、あのときと同じように、電線に一列にとまるすずめたちを見た。そしてすずめたちの声をバックソングで聞きながら、本を読ませてもらった。おかげで、ばあちゃんとのこの話を思いださせてもらった。と同時にあのすずめの中に、おばちゃんが、まぎれていて「あき坊、元気そうやねぇ」と言われたような気がした。ふふふ、僕は元気やで、ばあちゃん。


2月 11日 No.1010

たまに、許せない!って思った瞬間、怒鳴ってしまう人がいるけど、そんな人の方が、いつまでも人間っぽい!

 僕が、子どものころから知ってるおじさんに「許せやんのぅ」が口癖のおじさんがいる。久しぶりに、たこ焼き屋さんでばったり会い、「あき、相変わらず、世の中、許せやんことばっかりやのぅ。今日も役所で、わしは足が悪いから、役所からその書類を家に送ってくれっていうたのに、取りにきてくれっていうから、行ったら、また、別の書類を渡されて、書くとこ書いて、また、持って来て!やて。いっぺんにすべての行程をいうことぐらいできるやろって、頭にきて怒鳴ってしもた。ほんで、たこ焼きでも食うて気分でも変えたろかぁって思たら、おまえとばったりや」。
 久しぶりに「許せやんのぅ」を聞いたが、おじさんは、今も、許せないことが起こったら、すぐ 許せないっていえる、人間らしい一面をまだもってくれていた。何か、それがとってもうれしかったなぁ。


2月 10日 No.1009

足りないものはないと思う過信!
足りないものばかりだと思う自己嫌悪!

 僕は、子どものころからすぐ調子に乗れる特技がある。だから、ちょっと褒められただけでも、僕には足りないものはなにもないって過信して、何でもないことが原因で、よく取っ組み合いのケンカになる。
 つい最近も、それが原因で、駐車場でファイトになった。そのあと、一人で運転中に「また、過信でやっちまった」と思い、まだまだ、辛抱が足りないなぁとか、本当の理解力を得るまでには、足りないものだらけだなぁとか、あの気遣いには、まだまだ経験が足りないなぁとか、あの一言を堪えられる、がまんがたりないなぁとか、足りないものが、自分にハッキリ見えるため、自己嫌悪の連続になる。それでも、きれいな景色に出会うと、ぱっと自己嫌悪してたことを忘れ、すぐ、満ち足りた僕に早変わり。
 やれやれ、どうやら、僕は、元気は足りすぎているようで、自分をコントロールする力にはまだまだ足りないものがたくさんあるようだ。


2月 9日 No.1008

どのお母さんも、良いお母さんになろうとしたときが、悩みの種の始まりさぁ

 私は、子どもからも、旦那からも、ご近所からも、良いお母さんと思われるような、お母さんになりたいとか、勉強もできて、料理やそうじ、洗濯など何でもできるのが、良いお母さんになると思っているとか、子どもからは何でもできる、スーパーお母さんになって死角なしの状態になれば、良いお母さんにならないはずはないとか、良いお母さんになるための定義のようなものをイメージして、結果、そのイメージの私になかなかなれないときに、子どもや旦那の聞かなければならないことに、耳を傾けられず聞いていなかったり、どうでもいい、聞かなくていいことを聞いて、どうでもいいことばかり言ったりすることになって悩むんだよね。
 だから、悩まず、良いお母さんになるための答えを探している方に、あえて、僕が言うなら、本来は、子どもが何をしたとき喜んだのか、何をしてあげたとき喜んだのか、を覚えておいてあげるだけで、良いお母さんになるための答えをいっぱい集めることができると思う。


2月 8日 No.1007

好きなことが多い子は、お母さんから、たくさんの笑顔をもらった証拠なんだょ!

 僕が、最近読んだ子育てに関することが書かれた雑誌の中に、子どもが幼いころ、つみきやお絵描きなどの遊びをしたとき、お母さんが、笑顔でじょうず、じょうず、といった経験を、たくさんもらった子どもは、無意識のうちにお母さんが、笑顔で喜んでくれること自体が、自分の喜こびになっていくんだって。それで、何か子どもの成長にともなって、興味をもったもので、ある程度、達成に近付いてきたときに、その後も、お母さんが、笑顔で語りかけたりしたものが、のちに、子どもの「好き」とあげるものになる率が非常に高いんだって。
 やっぱりお母さんの笑顔は、わが子のいろんなプラスの面を簡単に引き出してしまうんだろうな。すごいなお母さんの笑顔わぁ。


2月 7日 No.1006

時折さぁ、子どものころ、良く歌ってた歌を口づさむことは、めちゃくちゃ頭に刺激を与えていいんだって!

 僕はどうも音楽の先生に、いい思い出がないのか、音楽がかなり苦手である。だから、カラオケに行ってストレスを発散すると言う、体験がない。たぶん、カラオケ以外でたくさん発散しているからだろう(笑)。でも、たまに、メンバーとバモスの中で、昔のアニメソングの覚えているフレーズだけ歌ったり、富士の山を講演中に口づさんだり、球場で六甲おろしを歌ったりすることが、頭や体にいいなんて知らなかった。
 最近、どこかのテレビ局でも言ってたらしいのだが、移動旅をしていると、車のラジオの方が友達で、なかなかテレビが見られない。みなさんなら、すでに知ってたことかもしれないが、歌を歌ってさらに笑顔の多い日を増やしてほしいと思う。


2月 6日 No.1005

ハッキリした声で、ハッキリいう!今、これができる子どもがどんどん減っている

 先生が、教室のかびんが割れているのを発見。そして先生が、怒りながら「これは、だれが壊したんだぁー、あぁー」とか、言って「おまえかぁ、それともおまえかぁー」っていいながら犯人を探していて、「おまえだろう」っていわれたA君は、口ごもった。そしたら先生が「ハッキリ言えー。おまえがやったのか」とさらに声をあらげる。A君は蚊のなくような声で「ちがいます」といった。
 この場合のように、先生が怒っているとき、生徒だれをさされようが、口ごもってしまうのは分かる。だが、和やかな空気で笑顔がこぼれ「今、どんな遊びが流行ってるのかなぁ?」と聞いても、今の子どもたちは、大人と話すと言うだけで、瞬時に口ごもってしまう。こんなときぐらい、ハッキリ元気に「カードゲーム」ですって、言ってほしいものだ。
 今、子どもたちに、ハッキリした声でハッキリいってもらいたいって、大人が願う時代になってしまった。昔の子どもは、ハッキリ、声をだし、ハッキリ、言わなければ、大人はすぐ怒ると思わすことが上手かったから、そんなときぐらい、ほっておいても声がでたものだったのに、やれやれ。


2月 5日 No.1004

その書家は、蹶然(けつぜん)と、机に向かったと思ったら、あっと言う間に、見事な「大望」と言う文字を書いた!

 蹶然とは、力強く立ち上がるさま、または、何もしていない状態から、跳ね起きて突然動きだした様子をいう。
 解釈としては、縁側で、日を浴びて寝転がっていたかと思ったら、突然、机に向かって、何を書いたかといえば、子どもは大きな望みをもって成長していく方がいいなどと使われる「大望」という字を見事に書き上げた、という意味でいいだろう。
 書家が字を書くにしても、どんな言葉を選ぶか、どんな字質や字の強弱、字の濃い薄いなど、魂を削る思いで書いたとき、「字はタイをあらわす」とか「字魂を込める」というらしいが、何の道でも極みに達している人は、行程や考えなど、すべてが見事なのだろう。


2月 4日 No.1003

親として、厳しく接しなければならないことはたくさんあると思う。でも、その厳しさの中に「優しさ」を織り込んでおいてあげることは、いくらでも、できるもの!

 厳しい母だったに、なぜか、今、あの厳しさが優しく思えるとか、厳しい先生だったのに、なぜか、優しい先生だったなぁって思い出したり、ただ厳しいのと、優しさを踏まえて、優しいからこそ、厳しく言える母や先生やコーチっているんだよね。または、ここで厳しくしとくことこそ、その子やその生徒、または、その選手をたくましい子や人間に育てていくんだと言うことがわかってるんだよね。それは、言わなければならないときに、優しさを踏まえて、言べきことを言う、という厳しい姿勢で、親や指導者が、のぞんでいればこそであろう。


2月 3日 No.1002

久しぶりに聞いたなぁ
「知恵と体は生きてるあいだに使え」ってさ!

 「知恵と体は、生きてるあいだに使え。つまり、えーかー、おまえのない頭でも、ついとるあいだに活かして使えってことや。わかったかぁーっ、このボケェー」
 っていう、叱られたときに重ねて言ってた親父の声が、今もハッキリ耳の奥で聞こえる。その続きまで聞こえる。
 「あとはお金も、生きてるあいだに使え。何でかっていうと、銭をあの世にもっていける量が決まってるんや。昔は六紋銭、今なら、60円ぐらいや。それ以上もってっても燃やされて灰にされるからや」
 と。久しぶりに、聞いたから、あらためて、お金はもって逝きたくても、もって逝けるほどないが、頭と体だけは、さらに気合いを入れて使わねば、もったいないと思った。だって、まだ、僕、生きてるんだもん。


2月 2日 No.1001

良い出会いとは、数々の感謝を生む!

 1001目を迎え、初心にかえり、あらためて出会いとは、何とすばらしいものだろうって思う。このホームページだって本当に出会いがあってこそと心から感謝している。
 出会いには、いろんな出会いがあると思う。人と人の出会いはもちろん、絵本との出会いとか、自然とか、今日という出会いとか、出会いは、その出会い自体にどちらも感謝し、そのとき、お互いこの世に生まれてきたこと自体にも感謝する。母と赤ちゃんの出会いは、もちろんのこと、赤ちゃんにとっては、この世自体の出会いになり、その後、数々多種多様の出会いを味わいながら人生を歩むにちがいない。良いことの出会いもあれば、良くないことの出会いもあり、何にもないという日にも出会うかもしれない。だが、そう考えれば人はこの世でありとあらゆるものに出会うために、生まれてくるのかもしれない。
 みなさんの出会いが、一つでも良き出会いでありますように!


2月 1日 No.1000 (No.500からは見えないように番号がふってあります。)

 祝!
この一日一言も、みなさんのおかげで、とうとう1000回!
明日からはタイトルを変えて心機一転で、がんばります
 ☆(^O^)☆

 思えば約三年前、相方のしんちゃんがホームページを作ってくれたとき、「日々の活動報告の他に、あきちゃんの言葉を毎日、載せよう」って、うれしいことを言ってもらった。だが、僕はすぐ「毎日ぃ?」って思い、毎日、一言を続けられるかなぁ」って言ったら、「あきちゃんなら、できるって。もし、あかんでも、なんかあるやろし。俺も何かするし」と、にこにこしながら言ってくれた。
 そのときから、毎日、僕の一言を待ってくれ、僕を先に寝かせてくれては、自分は朝方まで、パソコンをいじっていた。途中から、サトカツが引き継いでくれて、今日までこれた。
 そして、さらに、いろんな人から「いつも、一言を楽しみに見ています」とか言ってもらうと、言葉の手で僕の背中をぽーんと押してもらっているようで、ほんとうにうれしかった。それで、また、がんばろうって気にさせてもらった。
 そんな一つ一つのくりかえしで1000回という節目をふませてもらったのだと思う。
 本当にありがとうございます。
 明日から万回をめざし、がんばりますので、どうかこれからも何卒よろしくお願い致します。
                                          ☆感謝V(^-^)V☆