ブックドクター・あきひろのイチニチイチゴン
ブックドクター・あきひろの一日一言。…日々想うことを語ります。



11月 30日 No.937
ひとときの休息が、ほしいなら、我が子に絵本を読んであげればいい!
 
今までに、うちで絵本を読んだことがなく、一発目から、我が子がその絵本を気にいってしまうと、「もう一回!」の連呼をあびることになり、ひとときの休息どころではなくなってしまう感があるだろう。だが、我が子が満足して、もうちょっと深くいうと、この場合の我が子の満足とは、精神が安定するほど、その絵本一冊で満たされた状態をいうのたが、この状態になると、我が子は不思議とすやすや寝てしまう。このときだよ、我が子の寝顔を見ながら、ひとときの休息を感じるのは。いいょ、このときの、ひとときの休息ってやつわぁ。


11月 29日 No.936
辞めるに止められず、止めるに辞められない!そんな大人が多いんだもん。子どもたちも中途半端に、そりゃなるわなぁ!

辞めるに辞められない人もいれば、辞めるに止められない人もいれば、止めるに止められない人もいれば、止めるに辞められない人もいる。でも、もう一方の自分は、いつも、辞めたいときに辞め、辞めたいときに止め、止めたいときに止め、止めたいときに辞めたいと思っている。この、もう一方の自分が、我が子に見え隠れしたり、投影されると、「はっきりしなさい」「中途半端は良くない」って、自分は、できないが我が子だけは、はっきり、そして、中途半端じゃなくやりきってほしいと念うことになるのさ。


11月 28日 No.935
お父さん、お父さんまで、がみがみ言えば、お母さんがうちの中に二人いるみたいに思われるぜ!

文明はどんどん変わればいい。でも、お父さんまで、どんどん変わらなくてもいいはず。今、だんだん子どもたちが、お母さんより、お父さん方が優しいから、大好きっていう子が増えてきている。昔は、お父さんは恐いと思われていたので、地震、雷、火事、おやじと言われるほど、どのうちのお父さんも恐かったもの。優しいと我が子から思われるお父さんがいる一方で、お母さんと同じぐらい、または、お母さんより、がみがみ言うお父さんも増えている。そういううちの子どもは、優しいときは、いいけど、細かいことをぐちぐち言うからなぁって思われるので、お父さんは、でーんとして、あまり、細かいことをぐちぐち言わないように!我が子の前では、ほんとに、お父さんは、でーんとしててください。我が子が安心できるように!


11月 27日 No.934
許せないことが起きたら、ゆっくりでいいから、許そうとする方向を探すこと!

許せない!って、思うときは、自分の自尊心をキズつけられたり、裏切られたり、信じられない態度を目の当たりにしたり、自分の大切な人や友達をなじられたり、我が子をひどい目に合わせた子どもや大人だったり、事故だったり、自然災害だったり、犯人だったり、騙されたり、理不尽な行為により、さまざまなことで人は人のことを許せなくなる。だが、自分が許せないって思って、怒りくるったとしても、一生、その許せないと思い続ける自分と、つき合い続けられる自分がいるだろうか。多分、多くの人がつき合いきれないだろう。なぜなら、単純に、そんな自分自身に堪えかねるからだ。であれば、できるだけ早く、許せないことが起きたら、許す方向を、それに日々とらわれなくてもいいように、探して欲しいと心から思う。


11月 26日 No.933
逃げなきゃダメなときに逃げること!逃げなくてもいいときは逃げなくてもいいの!でないと、何でもかんでも逃げちゃうようになる!

逃げるとは、行動的に逃げることと、心理的に逃げることに分けられる。まず、行動的に逃げるとは、こっちが何も危機を感じていない状態にいるとき、突然、ナイフを持った男がこちらに向かってきた。こんなとき、身構える前に、反射的に逃げなきゃいけないよね。または逃げようとするよね。このときに足がすくめば襲う側のかっこうのえじきにされるよねぇ?そうならないために、逃げなきゃならないときに逃げる行動的能力がいる。また、心理的に逃げなきゃいけないときは、友達から、いけない行為を誘われそうなとき。つまり、ドラッグや犯罪行為を心のなかはしちゃいけないと分かっているのに、断ることのできない雰囲気まで、いてしまったらもう遅いわけ。その前に、心理的に逃げる能力が働かないといけないわけ。それ以外は、すべて本来、逃げなくていい場合ばかりなのさ!


11月 25日 No.932
何かにつけて、ありがたいなぁって思う人の人生と、何かにつけて、グチを言う人の人生が、同じでないようにちゃーんと神様はしてる!

何かにつけて、ありがたいなぁと思う人と、何かにつけてグチを言う人と圧倒的な違いがいくつかある。まず心の豊かさ。次に、悩みや辛さがやってきても、ありがたいなぁと思う心があるので、すぐに乗り越えてしまう。つまり、周りの人たちに「あの人は悩みがないのかなぁ」って映る。さらに、明るい人が多く、みんなから慕われたり、好かれたりする。まだまだあるが、これで人生が上手くいかないわけがない。グチをこぼす人は、やっぱり、自分でどんどん人生が上手くいかない種をまき、育て、上手くいかない実を収穫することになるんだろうなぁ・・・・・・。


11月 24日 No.931
下を向いていてけつまづく。上を向いてもけつまづく。じゃ、どうすればいいの?ってなげくやつがいる。簡単じゃねえかぁ。前を向くんだよ!

昼間から銭湯にいった。そのときふと思いだしたのが上のセリフ。10才のとき、親父と親父の友達と、銭湯にいったときにこの話しは聞いた。簡単じゃねえか、前を向いて、堂々と、おてんとさんのもとを歩いて行けばええんじゃーって言われたことは、今もはっきり覚えている。もし、前を向いてけつまづいたとしても、前を向いていりゃー、前に倒れられる。そこんところを、おてんとさんは、ちゃーあんと見てくださっていると、言いたかったにちがいない。これからも前を向いて、おてんとさんという太陽の下を堂々と生きていきたい。


11月 23日 No.930
五年でも十年でも、毎日、目を皿のようにして「見つけよう」としていなければ、自分の道は見つからない!

まだ、自分がどの道に進みたいのか、また、自分が「これだ!この道で生きて行きたい」って思う道に出会うまでは、あせらず、自分の道を見つければいいと思う。だが、自分の道を見つけるまでは、「早く、自分の道が見つからないかなぁ」なーんて、思いながら見つけようとしたって見つかるものではないと言っておきたい。今日も明日も、もっというなら、五年、十年かかろうとも、毎日、自分の道を見つけようとする意気込みがあって、はじめて、「これだ!俺が求めていた道は!とうとう見つけた」って感じる、自分の道が見つけられるもの。このときの喜びと、その道に進むための確固たる真意は、この道こそ、俺の命をかけるにふさわしい!と、心底思うにちがいない。


11月 22日 No.929
やかましい!って、子どものころに言われた人は、大人になってもやかましい!

僕は、この歳になっても、まだ、やかましい!って注意をうける。子どものころから、しょっ中、注意をうけてきたが、この歳まで、言われ続けてしまうとは、いやはや、カッコの悪い話しである。声が大きいから、注意を受けやすくなるのだろうって思ってきたが、どうも違うみたいだ。どこでも声が大きいため、静かにしなければならない状況になっていても、僕が静かにしていないと判断され、注意する側には、典型的な相手として、映るらしい。でも、僕はこれからも、声を小さくして話すつもりはない。なぜなら、「声が大きいことはいいことじゃ」っていってくれた、おじいちゃんの声が聞こえるから。


11月 21日 No.928
誰だって、大人になるまでに、たくさんのぬくもりをもらっている。それを覚えているかいないかで、人格が決まるのさ!

おじちゃん、おばあちゃんのぬくもり、お父さんお母さんのぬくもり、近所のおじちゃんおばちゃんのぬくもり、あの先生のぬくもりを、一つでも多く覚えているだけで、その人は、そのぬくもりに「ありがたいなぁ」って思っているから、今だに覚えているんだと思う。その時点で、すでに人格者だよ。でも、思いだせばたくさんのぬくもりをもらっているはずなのに、忘れていたり、今の自分を保つ生活だけで、思いだそうとしても思いだせなくなっている人に、人格者はいないと言っていいだろう。ぬくもりは、自分の人格に関わるんだということを知ってほしい。それが解れば、いかに母のぬくもりが、子どもの心の形成に大事なことなのか、分かってもらえると思う。


11月 20日 No.927
私が私のことをいつも点検するだけで、十分、子育てになるからね!

私、この子に何でいつも言いすぎてしまうの?私、いつも何で、この子を頭ごなしに怒っちゃうんだろう?私、何でこの子がやる前からすべて答えを言っちゃうんだろう?私、どうして待ってあげられないんだろう?私、どうして、この子に接していいか解らなくなったんだろう?私、何でこの子に言うことを聞いてもらえないんだろう?私、本当に心の底から、この子に好かれてるんだろうか?私、この子のためなら、命をかけて守ってあげられるだろうか?私、何があろうとこの子のことを信じてあげられるだろうか?などなど。私が、本気になって「わが子を想う気持ち」を自己点検することは、間違いなく子育てだよ。


11月 19日 No.926
笑顔、微笑み、にこやか、ほがらか、おおらか、なごやか!この六つを大切に、僕は生きていきたい!

今では死語になりそうな言葉ばかりだと思う。でも、僕にとっては、なくしたくない言葉ばかり。なぜなら、笑顔はその人の素敵さを。微笑みはその人の眼の語りを。にこやかには、人の優しさを。ほがらかさには、その人の元気を。おおらかさには、人のぬくもりを。そして、なごやかさには、人のあったかさを感じるから好きなのだ。この六つの言葉をいつも、実践させてもらいたい。子どもの前で、大人の前で、おじいちゃん、おばあちゃんの前で・・・・・・。


11月 18日 No.925
ものを忘れない人間はいない!その忘れたときのために備えておこうとすることを「備忘(びぼう)」と言う!

約3年ぶりに友達に会った。久しぶりに会う友達に、話したいことが山ほどある。あれも教えたい、これも報らせてあげたい。僕は話し好きなので会ったときに、あれもこれもと、話し合いたいのだ。だが、それまでに、聞きたいことを忘れてしまうにちがいない。そんなとき、親父から教わっていた「備忘」が役にたった。手帳をとりだして、友達に聞きたかったことが備忘してあったので、真っ先に訪ねたいことを訊ね、訊ねたいことを尋ね、尋ねたいことを訪ねた。おかげで友達に逢うまで、聞きたいことを忘れていたけど、備忘しておいたおかげで、一つも忘れることなく、すべて聞きたいことが聞けた。友達もよろこんでくれた。


11月 17日 No.924
友達の勇姿を見ると、よーし、僕もいっちょやってみるかぁって、気持ちになるよね!

友達の舞台を観た。一生懸命の姿は、友達として元気にさせてもらえる。舞台全体をつかって、演じる姿が観客の心を、ぐんぐん引きつける。自分ごとのように嬉しくなって、あいつすげぇーなぁと、僕まで感じさせてもらった。僕の知っている以外の、友達の姿がそこには在った。だが演じ終え、舞台の袖から、観客のみなさんにお礼のスピーチを言いに出てきたとき、あいつ独特の心のこもったイントネーションでお礼を言う姿に、僕が知っているガキのころのあいつを、感じることができた。帰り道、僕もいつの日か、友達を招いてやるぐらい、いっちょやってみるかって気にさせてもらっていた。


11月 16日 No.923
なまけてるっていうのは、精をださないこと!?だから、精を出せばいいんだょ!

一番なまけてる状態は、「最近、私は、なまけてるなぁ」って、感じもしなくなったとき。つまり、なまけているなぁって自覚がないとき。なまけてる自覚があるときは、なまけ気味になっている状態だから、なまけきってはいない。なまけきってしまうと、いろんなものをどんどん失ってしまうから、もう一度、キリっ!とするためには、そうとうのエネルギーを使って、なまけて失ってしまった感覚を一つづつ探して、取り戻さなければならない。それにたえかねて、なまけてしまえば、もう、なまけぐせが染みついて、無気力人間が完成してしまう。だから、なまけ気味の間に何とかしようよ。自分にムチを打つことが、精を出すってことだからね。


11月 15日 No.922
深い話しをしようとするより、話してるうちに深くなっちゃったって方がいい!

おじさんに食事に誘ってもらった。おじさんはお酒が大好き、話しも大好き。しかも、深い話しをしている自分は、もっと大好き。僕はお酒が飲めないので、お酒では付き合ってあげられないが、話しなら、なんぼでも付き合ってあげられるし、おいしそうにお酒を飲みながら、僕に話しかけるおじさんの姿は、大好きだ。そして、飲む前から「今日は深い話しになるから、覚悟しとけ、あきひろ」って言うおじさんの顔が大好き。だが、そんなおじさんから、深い話しをしてもらったことは、一つとしてない。でも、話しているうちに、深い話しになっちゃったなぁって感じる話しはたくさんある。ありがとう、おじさん。


11月 14日 No.921
子どもたちには、真っすぐ育ってほしい!?だったら、自分は親として、真っすぐ生きてんのかょ!!

子どもたちを、真っすぐ育てたいと願う親は多い。でも、願う通りに我が子が、大人たちを見ていて感じた真っすぐな疑問を親にぶつけただけで、怒ったり、話しをはぐらかしたりする。この時点で真っすぐ育っていた感情の芽がゆがみだす。ゆがまないようにするのは、優しいまなこで、我が子をみつめてあげながら、その疑問に対して、怒ることなく、「お母さんは、その疑問に対して、ちゃんと答えを言えるかどうかは、ちょっと自信がないけど、○○ちゃんのことは、いつも信じているから。これだけは、お母さん、自信をもってまちがいなく言えるわぁ」って言いつづけるだけで、真っすぐ育つのに。でも、たいてい、こんなゆがんだ世の中で真っすぐ育っていくと、不良という枠にはめられるだよ、これが。自分たちは、ゆがんでる集団のくせにさぁ。


11月 13日 No.920
子どもの問いかけには、ものの本質を聞いてきている場合があるからね

小学校の子どもたちに、逢いにいくと、たくさんの質問を浴びる。「ねぇ、おじさん年いくつぅ〜」「おっさん、なんで靴下履いてないのぉー?」などなど、僕の場合は、この二つが一番多い。でも、この二つだけで聞きたいことが終わるわけではない。「何で、おじさん、絵本が好きになったの?」とか「おじさんの夢ってなにーぃ?」とか、問いかけに重みが増す。そのうち、「うちのお母さんに絵本読んでもらうには、どうしたらいい?」とか「好きなものをみつけなさいって先生に言われたけど、どうやったら好きなものをみつけられるの?」「イヤなことを、どうして、がまんしてまでしないといけないのですか?」などになると、問いかけに深さも増すのでなかなか一言ではさばけない。だが我々大人は、こういう問いかけから、逃げずに、ちゃんとものの本質が、答えられるように、日々、一生懸命生きなければならないと思う。


11月 12日 No.919
もし、神様がいるとしたら、何をお願いする?って、子どもと大人に聞いてみたら、さすが子どもだよ!

結果を大人から言うと、すべてが業の深いものや欲にからんだもので、ほんとうに大人の願いごとかぁ?って思うものばかりで、みっともなくてあげられない。そこへいくと、子どもたちは、「お母さんが幸せになりますように!」「お父さんに新しい車をプレゼントしてあげたい!」「いつまでも、うちの家族が元気でいられますように!」「おばあちゃんの病気が治りますように!」「おじいちゃんが生き返りますように!(笑い・ナイス)」などなど、自分ごとはほとんどない。やっぱ子どもたちは、すっごいねぇー!


11月 11日 No.918
たまらないのは、ありがとうの一声!

子どもたちに、絵本を読ませてもらって、心からうれしいのは、追っかけてくれてまで、「ありがとう!」って、口々に言ってもらえたとき。そこには、儀礼的なものが一切感じられないから。子ども一人一人に、目を合わせてもらって言われる一声には、純なものがひしひしと伝わってくる。僕のガキのころの思い出に近いものは、八百屋のおばちゃんに、今日のおつかいのおまけって言って、あめ玉をもらったとき、思わず心から言えたあの一声に近いのだろう。だからこそ、あの「ありがとう!」の一声がうれしい。


11月 10日 No.917
悠然と流れる雲に、紅葉の山々。この時期しか味わえない目の栄養は、ご家族で!

遠征先から次の遠征先へ移動中に、山あいを抜けていく、スカイラインを通った。途中にドライブインによったら、360゜どこを見ても紅葉の山々。紅葉のパノラマビューに、悠然と流れる白い雲を肴に、おでんを食べたり、缶コーヒーを飲んでいると、もう、最高ぉーっ!(^O^)/。駐車場に入ってくる人たちは、老夫婦がめだつ。もったいないなぁ。子どもが小さいうちに、この時期しか味わえない紅葉の楽しみ方を、家族で味わえ和えたなら、どんな贅沢な味わいになることだろう。きっと、感受性豊かな子どもたちには、知らず知らずのうちに格別の心の栄養になるにちがいない。


11月 9日 No.916
子どもは、本当に順応性が高なぁって思う!

日本中の子どもたちに、触れさせてもらって改めて思うことは、子どもはやっぱり、順応性が高いなぁってこと。例えば、絵本に今まで全然、興味をもったことがない子どもが、僕が読ませてもらった日から、後日、絵本を見るようになったとか、子どもたちの表情が何か前と全然違うとかの連絡を、あとで、ご父母の方々からいただくと、こちらとしても良かったなぁって思う。思うが、同時に、それは僕のせいじゃなしに、もともとその地区の子どもたちの順応性が高かったおかげなのに、僕にお礼の言葉を言われても、とも思う。きっと、子どもたちの順応性が高いおかげで、僕はこの道で生かさせてもらってるんだろうな。


11月 8日 No.915
一度、二度、三度、断られると気持ちがなえるよねぇ。そのときだよ、思いを背負っているかいないかに気づくのわぁ!

まず、思いを背負っていない場合、二度目までは、気持ちがなえず、がんばってのぞむことができる人は多いと思う。その中から、さらにど根性で三度目に立ち向かう人たちが、数は相当減るが、いる。そして、三度目で断られたとき、何か別の手段を考える。ほとんど四度目はないね。ところが、世の中には、「俺がここでくじけたら、あいつら(あの子ら・あいつは)は、いったいどうなっちまうんだぁ?っていう、思いを背負っている人たちがほんのわずかいる。この人たちは、これしかない方法に思いを背負っているため、断りつづけられた人の心に、何かしらの力で、あれほどダメだったものが、ウソのように好転させしまう力をもつ。そして、その結束は恐ろしいほど堅い。僕も、思いをちゃんと背負って臨みたいものだ。


11月 7日 No.914
そうか!って分かる、あの、うれしさが人間には、いつも要るのさ!

僕は、何でも知りたがり屋である。新しい商品が出るたびに「それ、何?」って聞く。説明してもらって、「ふ〜ん、そうかぁ。そんな便利なもんがたきたんかぁ」って思うものもあれば、「今の僕には、全然いらねぇ」みたいなものもある。それでも知りたいのだ。それが何か。それが何か、いつも知りたい光線を出していると、たまに、「そうかっ!あれは、そういうこと(意味)だったのか」と、凄く深いところまで分かるときがある。分かったときの、あの、むちゃくちゃ得をしたようなあの感覚がやめられず、今日もどこかで「それ、何?」って聞いている、僕である。


11月 6日 No.913
後悔をいくつするかが、人生とも言えるのさ!

人生に悔いを残さないようにどうやって生きていくか、または、人生の後悔がないようにしっかりした人間にならねばってセリフをうんざりするほど聞くよねぇ。何、いうてんねんって感じ。僕は「人生は、いくつの後悔を残せるか」で、生きている。それは、僕の中で、あたって砕けろの人生イメージがめちゃくちゃわくし、動いて動いて、ムダな動きばかりするイメージがわくから。普通の人は、ムダな動きをせずに、成功を修めようとするだろう。僕は、それに魅力を感じない。道草をしたり、たくさんのムダをして、悔いや後悔を山ほど積みたいと思っている。それが一番、僕が生きてる実感がわくから。


11月 5日 No.912
抜かりない状態で臨んでも、抜けるのが世の常なの!!
そっちのが人間らしいじゃん。

僕は、抜けっぱなしである。おおざっぱにもほどがあるだろって言われてしまうほど、おおざっぱである。そんな僕が、抜けがない状態で、臨もうとしたって、その時点で、僕なりの抜けが生じることになる。もし、仮に、僕が抜けのない状態で臨むことができたとして、臨むべき日や臨むべき舞台で、抜けのない通りの結果になったとしても、僕自身はちっとも楽しくない。あーあって感じになる。僕は、抜けのない状態にしようとするより、抜けだらけで、抜けてるところを、みんなに突っ込まれる方が自己発見も多いし、楽しいと思っている。たぶん千年後の人間社会も完璧じゃないし、愚かだと思う。そして、その時代も、人間が愚かであることの方が、人間らしいって、僕は思うと思う。


11月 4日 No.911
私、何やってんだろ。まったく、もう!って、自分に自分が腹を立てることは、心の成長の兆し!

講演先に行くと、係りの人の中に、たいてい一人は、自分に自分が腹を立てている人がいる。お茶やコーヒーを運んできてくれるのだが、全身からイライラ光線がでている感じがするので、僕が「なんか怒ってます?」と聞くと、ハッとされて苦笑しながら「実は、用意してたものを忘れちゃって・・・いつもなんですよねぇ私。あせってドジをやってしまうんです」と。そこで僕が「それで自分に自分が腹を立てるの?だったらどっちかの自分は怒り役で、残りの自分が怒られ役ですね。それだと、どっちの自分もかわいそうだなぁ。今度からさぁどっちかの自分には、こういってあげる役にしてみたら?例えば、また、忘れちゃったの?仕方ないわねぇ。でも大丈夫、そのために私がいるんだから、と。つまり、片方の自分が忘れものがあっても『何とかしようとしてくれる役』だから、今までみたいにイライラしなくてすむと思うけどなぁ」と。心の成長を求める人ほど理解が早いから、こう言うだけでいいのさ!


11月 3日 No.910
言っとくけど「我が子がおりこうちゃんになってほしいから」という願いをのせるために絵本はあるわけじゃないからね!

僕は、どんな絵本も、作者が、自分の心を削ってくれた大切な贈り物だと思っている。でもお母さんの中には、絵本に、「この絵本はいいから、うちの子に読んであげれば、ますますうちの子はいい子になるわぁ」と、強く思いを込めたり、「このいい絵本を読んであげることで、うちの子が良い子になってくれますように。けっして○○さんちの、※※ちゃんのようなことをうちの子が起こしませんように」と、強く願いを込めたりするお母さんがいる。そんなお母さんを目の当たりにした日にゃあ、ほんとにエネルギーを吸い取られる。そういうお母さんは、自分が気に入っている「いいもの」「良いもの」が基準になっているため、我が子本人が「いいなぁ」「良いなぁ」と感じているものに気がつかないから、あとで我が子が何を考えているのか、まったく解らない、という日がくるまで、そのままにしとくしかないねぇ。じゃあね!


11月 2日 No.909
「ごめんなさい・・・ほんとにごめんなさい・・・」って心から謝られると、こっちの心にも、グッとくるものがある!

僕は、小さいころから、自分が納得していないのに、謝ってやりすごすってことが上手くなれない。どうしても何で僕が謝らなきゃなんないのか、理由を聞いてしまうからだろう。小学校2年のとき、みんなが「あやまれ!」って、1ヶ月ぐらい毎日帰りの時間に言われても謝れなかった。それからは、「あいつは天の邪鬼やから」と何度も言われる人生を歩ませてもらっている。でも先日、ある件で、僕に謝れって言ってた人に、「お前が人生をかけて、その仕事してたら謝ったるけど、人生もかけず、子どもから銭をとろうとするその態度が誤ってるヤツに、謝れるかぁ。このぼけぇーっ!」って怒鳴ったら、表情がパッと変わって、「ごっ、ご、ごめんなさい・・・。今まで、こんなことで、こんな風に怒られたことがなかったもんで。本当にごめんなさい。以後、気をつけます」と、心のこもった言い方をされ、僕の心に、グッとくるものがあった。解ってくれて謝られると、こっちにも残るものがなぜかある。


11月 1日 No.908
楽にいけるだろうと思っていると楽にいけなくて、用心しなきゃいけないと思っていると楽勝だったりする!

どんなことも、用心することに、こしたことはないだろう。でも、人間というのは、元来なまけもので、用心しつづけるだけの緊張感を保ってはなられないんだと思う。そんなとき、自分勝手な安心感や自分勝手な信用度から、「まぁ、たぶん、明日はこれと、これさえあれば楽にいけるだろう」と、自分勝手な予想をたてる。そんなときに限って翌日は、ぜんぜん楽には、いかせてもらえない。また、ある日、用心して用心して当日を向かえ、いざ緊張して終わってみると楽勝だったということがある。つまり、楽にいけると思ったときは落とし穴の門が開き、用心してのぞむものは、こともなげな門が開くということ。