ブックドクター・あきひろのイチニチイチゴン
ブックドクター・あきひろの一日一言。…日々想うことを語ります。



10月 31日 No.907
うそをつく、即、「悪」なのかなぁ!うそをついているから、心が壊れないんじゃないの?

僕は、うそをつく中にいろんなうそがあることを学んだ。政治家のうそ。テレビのうそ。大人の同士のうそ。子ども同士のうそ。夫婦、親子、恋人、先生と生徒、警察のうそなどなど。みんな世界中の人々がうそをつくことは良くないことだと思っていることも知っている。さらに僕は、うそをつくことが悪いことだと世界中の人々が思っていないことも知っている。ある民族は、うそと言う単語がないため、うそつきが現れない。限りなく近いのが、「あざむき者」と意訳できる単語がある。でもその民族にしたって「あざむき者」イコール「悪」ではない。良くない行いだ!と思っている。そして、そのうそや、あざむきをしてしまう根本が何なのか、子どものときから、常に語り合って説いてあげようようよ。つまり、心と心を向かい合わすってこと、ねッ。


10月 30日 No.906
自分に、がんばれることが、自分ががんばっているという意識を生む

がんばっている人を見ると、自分もがんばらなきゃって思う人がいる。かと思えば、がんばらない人がいるから、自分が今がんばれば、チャンスかもって、がんばる人もいる。がんばる人の中にもいろんな質があるもんだなぁって思う。子どもたちが大人になるまでに、たくさんの大人から、いろんな質の「がんばれ」と言うセルフを言われ、これではこんがらがってしまうことだろう。何をどうがんばっていいのか解らなくなったり、がんばって何かいいことでもあるのだろうかって感じる子もいるだろう。それがこじれると、「がんばるってことがないように、がんばっています」って言う屁理屈を言う大人になったりして。本来、がんばるとは、自分が決めた目標に、目的をもって、自分に定めたことをキチッとやり遂げていく。そしてやり遂げた結果を積む。その結果から、自分が、今、とてもがんばっているということを、自分が認識することにあるのだ。だから人から「がんばってるね」って言われるための「がんばれ」をすると、疲れる人が多いのさ!


10月 29日 No.905
なぜ?自分だけがこんな目に合うのだろう?って、思っても答えは見つからない。

辛い目に合う、ひどい目に合う、悩ましい目に合う度に、どうして自分だけがこんな目に合うのか?、なぜ自分だけがこんな目に合うのか?と思っていても、答えがでない。自分は一切、悪いことはしていないはずなのにってのが、その疑問の奥にあると答えは見つからない。まして、普段、悪いことをしていないけども、全然、動いていなければ、見つかるはずの答えも、見つかるはずがない。当たり前である。どうして?なぜ?自分だけと思ってしまったのか、自分ばかりといつも思ってしまうのか、普段から見つけていない人は、思考から答えをみつけようとしている。どんな答えも動いてこそ見つかるのだ。なぜなら動いている人は「思ったり考えても見つからないときは、気分転換にちょっとあそこにでも行ってみよう。ひょっとして答え見えるかもしれない」と思い、すぐ行動するから、思考以外から答えを見つけることができるのである。


10月 28日 No.904
楽しいことを楽しむって、これはこれでけっこう、自分をちゃんともっていないと、楽しめなかったりするんだせ!

みんなが楽しいことをしてるとき、みんなの中に入ってる一人として、自分自身も、楽しむ姿勢があるから、みんなと楽しさを共有し、自分も楽しんだり、楽しかったと言えるわけ。このとき、その場の雰囲気や流れに乗っかっていないと、みんなが楽しんでいるのに、自分だけ、楽しめなかったり、楽しみそこねたりする。それは、とてももったいないこと。みんながわいわい楽しんでいるときは、いつだってすぐ自分もわいわい楽しむことのできるように、また出せるように日頃から、どんな小さな楽しみも心から楽しめるようにしておこうよ。でないと「つまらないの?」と声をかけられてしまう恐れがあるからね!それはあなたのせいで、場の雰囲気を壊しかねない。


10月 27日 No.903
子どものとき、新しい筆箱を買ってもらったときだけ「よーし、明日からちゃんと勉強しよ」って思うんだよね!

100円ショップによったら、筆箱を買ってもらって、胸の前で大事そうに抱かえている小学校1、2年ごろの男の子がいた。あまりにもうれしそうに筆箱を袋から出してみているので声をかけた。「お母さんに買うてもろたんかぁ?」「うん」「よかったなぁ」「うん」「明日の授業が楽しみやなぁ」「うん。・・・・ぼく・・・」「んん!?ぼくがどうしたんや?」「明日から、めっちゃ勉強するん(^^)」「へぇー。ほな、明日から賢くなってくなぁ」「うん。これがあるもん」と言いながら、筆箱を振った。賢くなれよ、少年!


10月 26日 No.902
自分が考えて、失敗したとき、そこから学ぶことを「徳」といい、人の考えで成功して、そこから学ぶことを「行」という!

だれにも相談せず、自分の考えだけで、成功したならば、これほどうれしいことはない。だが、うれしさのあまり、なかなかそこから学ぼうとする意識が働かない。でも、失敗をしたときは、とたんに学ぼうとする意識が、眠りから覚めたように働きだす。このとき学んだことはすべて、その人の「徳」となる。また、失敗できない状況の中で、人からの考えを参考に、動かなければならないときがある。それが一発勝負だったりすると、慎重に正確にそして丁寧にとならざるおえない。その甲斐があって無事成功!。この成功までの軌跡から学ぶことを「行(ぎょう)」という。そして行で動くことを「行動」という。


10月 25日 No.901
おじいちゃん、おばあちゃんは、ちゃんとシワで語っているんだょ!

おじいちゃん、おばあちゃんの顔には、その日までいろんなことを切り抜けてきたシワや、やり通してきたシワがある。顔にかぎらず、首、手、足、ひじやひざ、体のあちこちに、そのおじいちゃん、おばあちゃんの人生をうかがわしてもらえる。どんな人生も、生・老・病・死からは逃げられない。ということは、いろんな苦労があったはずなのに、その苦労ジワをかき消してしまうほどの、笑いジワが刻まれたおじいちゃんやおばあちゃんをみると、その顔に華がある。まだまだ長生きして長寿を全うしてください。素敵な笑顔とシワをありがとう(^O^)


10月 24日 No.900
人ってさぁ、思わぬことで、めちゃくちゃ喜ぶんだよね!
こっちが助かってるのに!

お世話になっている人から美術館の招待チケットをいただいた。でも、僕はその期間中は遠征でいけない。そう思ったとき、友達が、忙しくて目が回りそうなときほど、美術館に行って、思わず見いっちゃう絵の前で、その絵をじっと見るだけで、何か身も心もスッキリするあの感じが好きなんだよねって言っていたのを思いだし、そのチケットを手紙を添えて送ってあげた。そしたら、電話がかかってきて「俺さぁ、この絵をずっと目の前で見てみたかったんだぁ。おまえのおかげで、今、こうして目の前で見てる。すげぇーぜこの絵」ってウンチクをまぜながら興奮している。そんなに喜ぶなんて思ってもみなかった。こちらこそ、見に行ったみたいな感じにさせてもらってありがとさん!


10月 23日 No.899
人が人に影響を受けるということは本来、とても良いこと!

人が人に影響を与えるといっても、影響されないようにしてても影響させられたり、影響されたいと思っていてもなかなか影響されなかったり、影響を及ぼそうと思っている場合、思っていない場合、長い間のうちに知らず知らず影響を受けていた場合、一瞬にしてとりこになるほど影響を受けてしまう場合などなどさまざまな影響がある。そのどれもが影響を受けざるおえない自分がいたということ。その影響を受けた自分をさいなむことはない。なぜなら、どんな影響も、必ず、未来の自分に非常に良い影響を及ぼすから。


10月 22日 No.898
「自分に合ったものを探しなさい」って言ってる側が、「自分に合ったものを見つけなさい!」

結論から言うと、自分に合ったものを見つけた人は、「自分に合ったものを探しなさい」と、人に言っている間もないほどの状況が毎日続いているはずだから、見つけられずにモンモンとしている人に「自分次第なんだよね、なにごとも。ムフフ」みたいな諦感をしている。自分に何が合っているかは、自問自答を繰り返し、これは好きなのに、なぜ、続かないのだろう?とか、これは大嫌いなのに、何で、10年近くも毎日できたんだろう?とか、合っているものが何か、自分が知らなきゃならない。まぁ、自分を知っているようで知らないから「自分に合ったものを探しなさい」って、自分もまだ、自分に合ったものを見つけていないのに言えるんだけどね!コワイなぁ、ほんとに。


10月 21日 No.897
大人が本気でドロだらけになって、遊ぶって楽しいぜぇー。そんなときは、たとえどんな天気だろうがハプニングがあろうが、やるっつったらやるんだよ。なんせ本気だから。

18日(火)のうちのホームページを見ていただけたら、もっと詳細が分かるが、本気で遊ぶって言った限りは、大雨の中だろうが、全然、天気は関係ないわけ。だから、ちょっとしたことがおもいきり楽しいんだよ。そして、みんなが最高の笑顔になるんだよ。その顔がまた、最高なんだよ。ドロだらけになって、びしょびしょに濡れて、くたくたになって、遊ぶから、何を飲んでもうめぇーし、何を食べてもうめぇーし、何を話ししてても腹かかえるぐらい、おもしれぇーんだよ。それが最高の思い出になり、一生の思い出になる。太郎兄やん、当日、遊びに来たみんなぁ、本当にありがとう。すっげぇー思い出をもらって!なんか、まだ、思い出すだけで、わくわくドキドキしてるよ。
ヤッホォー☆☆☆☆(^O^)☆☆☆☆ほんと、ごきげんだぜ!


10月 20日 No.896
まだまだ生きるわけでしょ!だったら、まだまだ夢や希望をうしなっちゃいけないょ。

はるか昔に夢や希望など、捨ててしまったと言う人が子どもに「夢を持ちなさい」「希望を持って」といくら言っても、心に響くわけがない。死ぬまでにまだまだ時間に余裕のある人は、できるだけ夢や希望を見つけとよい。なぜなら、子どもたちは、夢や希望を持った大人が本能的に分かるからである。親が夢や希望をもっている家庭の子どもと、夢や希望を捨ててしまったり持っていない家庭の子どもとでは、どちらがのびのびすくすく育つか分かっているはずである。だったらまだまだ夢や希望を持たなきゃ。


10月 19日 No.895
せっかくわいた、「これどうなるんだろぅ?」って思った好奇心を、大人は特に大切にしてほしい!

自分が本を読んでいたり、車を運転しているときに、ふと目に入ったハデなかんばんに聞いたこともない言葉が書かれていたり、公園のベンチにすわったとき、ベンチの脇に咲いているきれいなピンクの花だったり、それを見たり聞いたり感じたりすると「これ(あれ)、なんだろぅ?」って思うことがある。子どものころはこの好奇心がしょっ中起きる。これは、ものを知らないから。大人は知っている分、しょっ中は、起こらないにしても、たまに思った「これ(あれ)、なんだろぅ?」という好奇心は、それをまだ知らないわけだから、ものを知るときの、あのワクワク感が、子どものころのように久しぶりに働いてくれたわけだから、大切にしてほしいと思う。好奇心が働いて、手に入れた「知る」は、決して忘れない。


10月 18日 No.894
限りがないものの一つが、死の繰り返しである。この事実を見つめるが善い!

はるか昔は、ポジティブ、ネガティブなんて言葉をこの国の民は知らなかった。生きとし生けるものは、いつか必ず土に還る。人もその例外ではない。それは今までも、これからも変わらない。人は言語をもつ。そのため、いつ死ぬか分からないことに恐れを抱く。そして、その恐れについて、御祓いをしたり、拝んだり、手を合わせたり、話しを聞いてもらったり聞いたりして、気を静めようとしてきた。その度に生きることに意味を求めてきた。そして、一つづつ善いことを積めば、この世を日々精進できるとして、死への心構えを享け入れやすいよう知恵をつかってきたのである。この国らしい考え方の知恵がうかがえる。


10月 17日 No.893
ガキのころの記憶ってさぁ、自分でそれを選んでいると、記憶の残り方が違うよねぇ。だから、親は子ども本人に、子どものころから選ばせてあげなきゃ!

ガキのころ、僕(わたし)は、あのとき、ピアノを習うなら、そろばんを習う方が良かったとか、かくれんぼより、ドッチボールをする方が良かったとか、子どものときから、自分でちゃんと選ぶことをした体験ほど、大人になって、自分の子ども時代の記憶は鮮明に残るもの。でも、イヤだったのに、お母さんが無理やり習わせたとか、お父さんに反対されたから、本当はあれを習いたかったのに、有無をいわさず、こっちを習わせられたとかの記憶は、ちょっと良い記憶、良い思い出ではなく、悪い思い出や苦しかったり辛かったり、暗い記憶となる。どっちの記憶を作っておいてあげる方が良いかは言わなくても解るよね!


10月 16日 No.892
子どもが子どもを、思いやる姿ほど純粋な「思いやり」はないと思う!

僕は、ドッチボールのボールを買いに、恐竜の名前のようなある有名おもちゃ屋さんに出かけた。店内に入ると5、6歳の男の子が、2、3歳ぐらいの女の子をおぶってキョロキョロしていた。僕はお母さんでも探しているのかなぁ、と思っていると、女の子がおぶられながら「ママぁー、ママぁー」と泣きはじめた。男の子は、女の子を降ろしながら、ちょっと待っててと言いながら、周りを見て、僕と目が合った。そしたら、「おいちゃん、この子見てて。いい?」と言った。僕は「ええよぉー」と言って、女の子をだっこしてそばにあったおもちゃであやして何とか泣きやましたころ、男の子が女性を連れてきた。そしたら、男の子が「おいちゃんありがと」と言ったあと、その女性が「この子が私を見つけて、女の子のお母さん?と聞いてくれて、ここまで連れてきてくれたんです」と言った。男の子に目をやると、「この女の子がかわいそうだったから」といって走っていった。かっこいい男の子の背中姿が残った。やるな、あいつ!


10月 15日 No.891
生涯、自分は、なにごとも誠実に生き続ける!という自分に一番厳しい律をたて、それを本当に実践していくことを「至誠」という。

僕は毎年、山口県は萩市にある松蔭神社を参らせてもらっている。あの吉田松蔭祖師が祀られている。今年も行くことができた。そこへ行くと必ず目にする言葉が「至誠」である。29年の生涯をこの言葉どおりに生き抜いた人物である。仙人みたいな人だったんだと思う。自分に一番厳しく、先祖を思い、親を思い、塾生の一人一人を思い、そして国の未来を思ったのだろう。あこがれるなぁ、その生きざまに!その思いに!


10月 14日 No.890
解らないじゃないんだよ!最初から分かってなかったの!

子どもの気持ちを私だけでも(お母さんだけでも)、理解してあげようとしているんだけど、全然、解らないことが起こる。息子なら、行動が、娘なら、ものの言い方が、どうしてこんなことをするのか気になったり、訳が解らなくなる。なぜ、今まで解っていたはずなのに、急に解らなくなってしまったのか。こたえは、簡単!今まで解っていたまま、親側の思考が都合よく止まったから。説明すると親が「うん、このまますくすく育ってくれれば大丈夫」と自分だけが、納得してしまう気になると、我が子への会話がぐっと減る。ところが我が子は毎日、いろんなことを、その間にものすごいスピードでものすごい量を吸収している。たった一ヶ月、いや、一週間、第二次反抗期なら二日、会話がなかっただけで、解らなくなるだろう。だって親はいつも頭固いんだもん。つまり、最初から我が子のことを「本気で解ろう」としているんじゃなくて、我が子が「何をしていたか知っておきたい」だけなの。根本が違うから、最初から何度もやり直しってこと。


10月 13日 No.889
子どものころに、しっかり遊ばせておいてあげよう!将来の我が子の心に、いい芽が芽吹くから。

我が子を、本気で遊ばせてあげるとは、どういうことかと言うと、我が子が、その年齢に応じて当然危なっかしいことをしてくる。この危なっかしさの話しの、親の受け止め方で、その後の子どもの行動に大きな変化がある。「もう、こんな危ないことばっかりしてくるのなら、お母さん、遊ばせてあげない!」形か、「あんたが元気なのがお母さんは、好きなの!でも、ケガをして帰ってくると本当に心配になるから、これからは気をつけてね。お母さんは、そういう心配は堪えられそうにないから」形か。前者は外に遊びに行かなくなる傾向にあるし、後者は用心深く、ますます知恵をつけて外に遊びにいくだろう。後者は大人になってから、子どものころ遊びからたくさんの種をもらっているから、これが大人になったとき、心の種からいい芽吹きを見せるため、社会に必要な様々なバイタリティーになるんだよ。これほんと!


10月 12日 No.888
前にも一度言ったことがあるけど、出会いの中には「邂逅」と言うめぐり逢いがある。これが人生にどれだけすげぇー有意義性を産むか、みなさんも味わって欲しいと心から思う!

東京を出発して、各地に向かうとき、前の遠征でお世話になった人たちの顔が次々に浮かび、この遠征で久しぶりに出逢えるなぁと思うとわくわくする。かと思えば、都内でいつもお世話になっている人たちが、そこに行くならこの人に逢いに行きなさい、電話入れといたげるからってんで、現地でその人と出逢う。これを「邂逅」と言うが、都内のお世話になってる人には、お互い、人生のあちこちで、しっかりお世話になっているので、初対面なのに、すぐ意気投合するような、思いがけないめぐりを味わうことができる。この「邂逅」は自分の人生に生きててよかった、立ちよって良かった、出逢って良かったと思うものばかりなのだ。「邂逅」と言う、めぐり逢いを体験させてもらってありがとう最高だね


10月 11日 No.887
大人たちが、絵本でいい子をつくろうとするから、子どもたちが絵本をさけるようになるんだよ!

絵本でいい子をつくろうとするなんて、大人の大それた欲なんだよね!本来、父親なり、母親なりが、笑顔で毎日語りかけてあげれば、それだけでいい子になるよ。でも、多くの親たち、とくにお母さんの考え方をあえて考察させてもらえば、テレビゲームより絵本、マンガ見て勉強しないなら、願わくばハリーポッターのような物語の本を読んでもらえば、いい子になるんじゃないかというイメージをもってしまう。本来、親が、毎日、楽しそうに本を読んでいたら、ほっといても、本やお話し大好きの、親がイメージする以上の、そして、その親の子ども時代のときよりも「いい子」になるよ。絵本はいい子をつくるためにあるんじゃないんだよ。世の中を生き抜いていくとき、楽しいと感じるものの一つとして「在る」んだよ。何で、いつもゆがんだ解釈になるのかなぁ、この国の親って。まったく!


10月 10日 No.886
絵本のパワーの一つは、子どもたちの一つづつの瞳にちゃんと光を宿させること!

誰でも瞳に光が宿ってるのがいいよねぇ。でも、なかなか宿ってる人って少ないよね。女優でさえ。女優さんなんか、わざわざ照明さんの力を借りて、目を光らせてまで、映るんだぜ。そんな照明なんか借りなくても、絵本の力を借りれば、瞳の奥側から輝き始めるのに。子どもでも瞳に光が宿ってない子が多くなってきたように思う。残念だけど、そう感じる。貧しい国の子たちの方の瞳は輝いているというのに、なんで三度の飯がきちっと食べられる日本の子の方が瞳に光がないのか、欲してもいないのに満たり、その代わり不自由になるほどつまらないルールばかりだから。でも、大丈夫。絵本の世界に引き込めば、必ず、瞳に光が宿るから。


10月 9日 No.885
元気がないからパワーが出ないのかなぁ。元気があってもパワーが出ないんじゃないの!

僕なんか、元気がなくてもパワーをしぼり出さなきゃなんないし、元気を出そうとしてるだけでパワーがでるし、元気になればなるほどパワーが増すし、即ち、「元気だから元気」なわけ。でも、知っておいてほしいのは、「元気がないのも元気のうち」と言う、元気があるってこと。これは、元気を出そうとすることが疲れるというイメージをもってしまうタイプ人の元気が多いんだけど、もともと、その人は元気があったのに、大人をすればするほど、体を使わず、気を使ってばかりいるから、元気でいることの体の状態がどんなに快いかを忘れちゃったんだよね。つまり、元気とパワーの関係は、元気だからパワーが出るパターンと、パワーがあるから元気になれるパターンと二つあるんだよ。わかるかなぁ、元気のない大人に!


10月 8日 No.884
いろんな地区の子どもたちから、いろんなイントネーションの、ありがとうがあることを訓わった!

日本中を回っていると、いろんな地区の子どもたちから、いろんなイントネーションのありがとうを言ってもらえる。読あそびが終わって、みんなが口々に「ありがとうぉーーー」と言った東北地区。「ありガとうぅ」と言った、どさん子地区。「ぁりがと」と、どうしても聞こえてしまう、北陸地区。「ありがぁとおお」となる中国地区。「ありがとっ」「ありがとっ」を笑顔で連発する九州地区。みんなに、ぼくから「あ・りぃ・がぁ・とぉ・うぅ」と区切って言いたい(^O^)/。


10月 7日 No.883
子どもたちから「もう一冊読んでくれやな、帰えさん」と言われることは、ブックドクターとして、心の底からうれしくてたまらない!ありがとう!

今回の日本中、読あそび遠征は、ほんとに、うれしい瞬間ばかりだ。子どもといるときも、お母さんたちの会でいるときも、会の裏方で当日までがんばってくれた人たちと打ち上げしているときも、みな、話し合っている間に、話しに良き華が咲くからだろう。それがうれしくてたまらない。たった一冊の絵本について、みんなが語り合うって、最高の空間になり、それが最高の時間となり、笑っている間に、あっと言う間に、とんでもない時間がすぎている。ほんとうにありがたい限りだ。ほんとに各地のみなさん、ありがとう。


10月 6日 No.882
根にもたないから、笑顔がより素敵になるのはあたり前!

「あの人に昔、運動会の準備のときひどい目にあったんだから」と、言う声が耳に飛び込んできたものだから、ふと、そのとげとげしくもにくにくしい言い方をした人を見ると、斜め前の席に3人で座っていた。「ふふふ・・・」と言いながら微笑んだ。その人の笑顔は、笑顔であって笑顔でないような笑顔だった。根にもった何かで、覆われたような笑顔と表現した方がいいかもしれない。その根にもったままの笑顔は、気持ちが晴れていないため、いつまでたっても素敵には思ってもらえない。やっぱり、根にもたない人の笑顔が素敵だなぁと感じるのは、気持ちの晴れやかさのあられだと思う。


10月 5日 No.881
「お父さんとお母さんの役目!」と「お父さんとお母さんの役割!」を話しあえば解るのに。

うちに寄せられた夫婦間での、我が子に対する役目と役割について、ブックドクターさんの考えを聞かせてほしいと言う声があまりにも多いのであえて一つだけ。
僕の応え!

夫婦で、我が子に関する話しや、対する話しをして、家庭での父の役目と、母の役目を決める(叱り役、慰め役など)。そして、しばらく役目どおりやってみて、いいことだけ語り合う。そうすると、父は、自分の嫁に、お母さんらしい話しと、お母さんから見た我が子のニュースをもらう。そこには、父として、問題点が必ず見える。見えたところを「それじゃ、そこの部分は俺が引き受ける」と、父としての役割が決まる。次に母は、役目から良く感じたこと、良く思ったこと、良くなったところを話す。その話しに対しての旦那の姿勢、希望、考えを聞いて、我が子に関するお父さんの展望を語ってもらい、母として続けられること、良くなってほしいという願いがみえる。あとはそれを、母自身の役割と捉えればいい。

以上!


10月 4日 No.880
母は、我が子の将来のためにいろんな気持ちを噛みしめなきゃ!その母が、いろんなことをがみがみ言い過ぎて、我が子にいろんな気持ちを噛みしめさせてどうするんだょ!

毎日毎日、いろんな場所で、お母さんが、がみがみがみがみ、我が子にいっているシーンを見ると、この国には、「お母さんになったら、一日一回、必ず、我が子の何かについて、がみがみ言わなければいわなければなりません」と言う条例がでているのだろうかと思うほど、24時間中、がみがみ言っている。24時間というのは、朝から電車の中で、昼はお母さん同士のランチの席で、夜は家の中の声が外まで聞こえ、夜中は、自分が食べたくなったケーキやアイスクリームを買うのにコンビニまでつき合わせ、我が子が眠気にまけてぐずりだそうものなら、コンビニの中で人目も気にせず大声でがみがみと言う意味である。周りの客や店員も、あーあという非常識さの思いを噛みしめ、さらに我が子となると、計り知れないいろんな思いを、その小さな心で噛みしめなきゃならないだろう!なんか、いい気分じゃないね。


10月 3日 No.879
子どもが泣きはじめたときの、母のあやし方が、今はずいぶん変わったなぁ。

昔は、我が子が泣きはじめたら、母は直ぐ抱き抱えたり、おぶったりして、なんとか少しでも早く泣きやんでもらうために、なりふりかまわない風にみえた。だが今の多くのお母さんは、列車の中で泣こうが、ファミレスで泣こうが、講演会場のホールで泣こうが、抱き抱えたり、おぶったりなんかしない。恐い顔をしながらこう言う。「しーっ!泣かないの!それ以上泣くとお母さん、ほんとに怒るからね!」と。我が子が泣いたときに、おどしている風にみえるのである。こんな風にみえるお母さんは、いかがなものでしょう。僕は、あーあと思いますが。


10月 2日 No.878
子どもは、恐いことがあったとき、「恐かった」って言うのが精一杯なのよ。かつて僕たちも、子どものころ、そうだったように!

男の子が恐い夢を見て、お母さぁーん、お母さぁーんと言いながら、布団の上で泣いている。お母さんが眠気まなこで子ども部屋へ行く。そしてこう言う。「なに、こんな夜中に泣いてんのよぉー、もうっ!」と。男の子が「あ〜ん、あん、だって、こわっ、かったん、だもん」と、言うのが精一杯。なのにお母さんは「早ょ、泣きやんでねなさ〜い」と言いながら、そっと抱いてあげるわけでもなく、子どもがまだ泣きべそをかいているにもかかわらず、一人おいてけぼりにしていく。この母としての態度が一番恐いよ、僕は!


10月 1日 No.877
おばあちゃんの言葉は、言い方はあっさりしてるのに、ずしりと重い!

遠征先で、昔、一人のおばあちゃんに、世話になったことを思い出し、ふらっと寄ってみた。おばあちゃんの3人の子たちは、みな結婚して地方でくらしているそうだ。おばあちゃんは地元で、先に逝ったおじいちゃんの仏壇に毎日手を合わせ、ほそぼそと一人でお風呂屋さんをしている。そんなときに、ふと、僕が現れたものだから、めちゃくちゃ悦んでくれた。僕の場合、お風呂はもちろん、ただ。夕食腹一杯の、朝まで、うちたてのふかふか布団で、ぐっすりコース。そして朝飯には「また、たまごかけご飯でいいかぃ?」と18年前、僕が朝飯はこれに限るといっていたことをちゃんと覚えていてくれた。帰りぎわおばあちゃんが「いろんな子がここに寄ってくれるけど、あき坊だけが、今だに゛恩を着てくれてるんだねぇ゛」と言った。僕が「何言うてんの、ふらっとあまえに来ただけよ」と言うと「そのあまえに来てくれるって言うのが何よりなんだょ。中には゛恩を着せにくる人゛がいるから疲れちまうのさぁ」といった。ありがとう、おばあちゃん。また、訓わったょ。