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| 9月 30日 No.876 人にしてあげることが、何にもなくなっちまったと思っていても、できることがあるから、人間てやつぁすごいんだぜぇ! |
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それはねぇ、思いやりってヤツさ!ほら、昔ばなしでもよくあるじゃない。道に迷った若者が、遠くに見えるわずかな灯りをたよりに、その家のお年寄りに、一晩、泊めてほしいってお願いする話。そうするとさぁ、おばあちゃんがこう言うんだよ。「うちには、見てのとおりなーんもないけど、この、いろりの火でよければ、あたっていきなしゃれ」ってさぁ。このまた、言い方もやさしいんだよね。この話しで一番肝心なのは、なーんにもないけど困っている人をみたら、ほっとけない感情が、おばあちゃんに働くってことなんだぁ。これも大切な一つの「思いやり」なのさ。 |
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9月 29日 No.875 旅先で、人に出会えば出会うほど、人の気持ちが分かる! |
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バモスに乗って旅に出かけると、旅先のいろんな形の出会いがある。コンビニの店員さんと長話したり、そば屋のおばちゃんの人生の悩みを打ち明けられたり、その地区で大変困っている問題を「なんや、そんなもん、こないしたらええねん。あとは、それを実行して責任をとるヤツがたった一人いるだけでOKやぁ」と言って、その地区を後にしたら、後日「勇気ある行動をあのときいた、♂♂さんが取ってくれて、言われる通り、ほんとにあっさり上手くことが運びました」と連絡をもらったり、いろんな人に出会うだけで、僕の人を見る第一印象で捉えた心の受信機の精度を、ぐぅーんと良くしてもらえるんだよなぁ。旅先で出会ったすべての人に感謝します。 |
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9月 28日 No.874 自分で、心の枠をつくったんだから、自分で枠を外すなり、壊さない限り、心の枠は残る! |
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心の枠とは、自分が、自分の体や頭の中に、取り入れた常識や価値観や決めごとみたいなものを指す。この自分でつくり出した心の枠は、往々にしてなかなか取り除けない。なぜなら、その枠を外すことが自分で恐くかんじるからである。つまり、自分で自分の価値観を変える勇気や意志の強さに乏しいため、その価値観を支えに、毎日生きていくことの方が楽なため、なかなか厳しい自分が養われないのである。だから、自分で自分の心の枠を決めて、その枠の中にいないと、安心できないのである。それがあるからこそ生きられるとも言えるし、その心の枠をつくってしまったために、のびのびした自分が死ぬともいえるのだ。大人なら、自分の心の枠は、人にはなかなかはずしてもらえないと自覚してほしいものだ! |
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9月 27日 No.873 忘れ物をしたとき、もう、見つからないだろうなぁーと思っていたのに、それが出てきたときのうれしさったらないよねぇ! |
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ちょっとしたものでも、気にいって普段から、肌身につけたり、持ち歩いたりしていたものを、お風呂屋さんに忘れたり、列車の中に忘れたり、ホテルの部屋に忘れたり、ちょっとだけ、気の緩んだときほど忘れ物をするよねぇ。それで、はたと、それがないことに気づいて、一縷の望みをかけて「あのー、忘れ物をしたのですが」と、だいたい忘れたところを思いだして、心あたりがあるところに電話してみるよねぇ。そのとき、大抵が探してみますのでって、連絡待ちになる。この待ってるときに、それまでどうでもよかったものがとても大事だったことに気づかされる。そして「見つかりました」と言う報らせに、ほんとにうれしさを感じるんだよね。人間ってやつは、大事なものほど、なくなって初めて気がつくのかもしれない。 |
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9月 26日 No.872 子どもたちと、読あそびしてると、僕の心のヨゴレを、いろんな方法で、落としてもらえる。 |
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子どもたちの前で、読あそびさせてもらうと、「きょうは、僕の気づかぬ心のヨゴレを、きれいさっぱり、落としてもらったなぁ」と感じることがよくある。幼い子どもたちには、たった一言で、きれいさっぱり落としてもらったり、小学生低学年には、目の輝きで落としてもらったり、小学生高学年には、笑い声で落としてもらったり、中学生には、深いうなづきで落としてもらったり、高校生には、もう一冊っ!の、アンコールの大合唱で落としてもらったりする。何で、ヨゴレが落ちた感じがするかと言うと、子どもたちの前にたったときと、去るときとでは、あきらかに、すっきりさっぱり胸まわりがしている体感があるからである。みんなぁ、ほんとうにいつも、ありがとう、僕の心をきれいにしてくれて・・・・・・!。 |
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9月 25日 No.871 ラッキーなことは、ラッキーなことが起こらないかなぁって、しょっ中思っている人に、やっぱり起こるんだなぁ! |
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ある人が、「あきちゃんは、しょっ中、思うことは何があるぅ?」って聞いてきたので、「僕が、しょっ中思うことは、朗天狗の夢の構想かなぁ」って言ったら、「あきちゃんらしいなぁ。おめぇー、ほんとに今の仕事、楽しそうだもんな。おらぁーの場合はよぉ、なぁーんかラッキーなこと、起きねぇーかなぁ!?って、しょっ中、思ってんだべ(笑)。すたらよぉ、それが、けっこう起きるんだわぁこれがよぉ!。きょうもよぉ、朝、車さぁ、車庫から出そうとしたら、すずめが、車のボンネットにちょこんと止まっただべさぁ、めずらしいこともあるもんだなぁって思っていたらよぉ、うちの目の前で、単車に乗った高校生がこけてしまってよぉ、おらぁ、すずめが止まってくれていなかったら、まちがいなしに引いてしまってたなぁってことがあったのよぉ。すぐ、高校生さぁ、救急車呼んであげたけどよぉ、おらぁ、そんないろんなラッキーがおこるんだやぁ(笑)」と言った。これも一つの「思いは かなう」形。 |
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9月 24日 No.870 大人のルールは、大人同士も苦しくなるし、子ども同士も苦しくなるけど、子どもルールは、子どもから大人まで、みんな楽になる。 |
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大人はいつも自分の首を自分で絞めるようなスローガンをたてたり、それが善いからと言うのでルールをつくったりする。これができそうで、できない善いことが多いので、だれも本気で向かう姿勢がないルールとなってしまう。しかし、子どもたちのルールはいたって簡単で、自分たちが不快になるものは、たとえそれが善いものであっても、省く能力に優れているから、何のちゅうちょもなく省くのである。つまり、善いものを優先するのではなく、心が楽になる良い方を摂るので、みな楽にそのルールを守ることができる。ファンタジーの世界では子どもが内閣を働かせ、国民、みんなが幸せになるストーリーのものがあるが、とても納得のいくルールばかりだ。そういうところを大人が子どもたちから学んでほしいと本気で思う。 |
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9月 23日 No.869 子どもが今何を大切にしているかを知りたければ、まる一日、できるだけ何も言わず、そっとそばにいて、好きなだけ遊ばせてあげればいい! |
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子どもたちが今、何を好きなのかそう言えば知ってないなぁ、と思わったら、「明日はとうさんヒマだから、まる一日、おまえがしたいことにつき合ってやるよ」と言って、翌日、ほんとに朝からつき合ってあげるだけいい。分かることは山ほどある。いつもどんな靴を履いているのか。どんなお菓子が好きなのか。どんな遊びが好きなのか。どんなとき、どんなことを想像するのが好きなのか。お母さんのどこが具体的に好きなのか。お父さんのどこを怖いと思っているのか。などなど、ありとあらゆることが、余分な口出しをしないだけで、向こうが不思議な気まずさにたえかねて、話しだすんだなぁこれが。 |
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9月 22日 No.868 人生の智慧として、訳がわからないことがおこったら、「僕(私)には、それを理解できるほど、勉強ができていません」と言って関わらないこと! |
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最近、よく聞く話しが、訳のわからない話しを訳もわからないまま聞かされ、気がついたら、自分もその行動を共にする仲間だと、周りの人たちに思われて、とても迷惑しているといったたぐいの話しである。なぜ、そうやって、周りの人たちに仲間だと思われたかと言うと、自分が嫌われないように聞いてしまったことが、訳のわからない話しをする相手に、仲間だと思わせたのである。そういう誤解をうまないように生きていく、また、思わすようなスキをつくらないように生きていくためには、人生の智慧をひとつづつ確実に身につけていくしかないだろう。 |
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9月 21日 No.867 子どもたちは、たたいてでも間違いを正そうとするのに、大人同士になると、たたき合うことをさけ、間違いのままでいくよね!変だよね! |
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親とすれば、だれだって、我が子の間違いを正そうとする。そんな親も、一歩、外に出れば、ただの社会人。その社会人は、多くの場合、他の社会人と同じ職場で共に、共同作業をしている。当然、何かの間違いが発生する。社会人として、間違いを冒した社会人を、今後、こんな間違いをしなくてすむように、たたいてでも厳しく指導するかと思いきや「気をつけてね!」と、サラッとその場をやりすごす。間違いを冒した者を見ても、すぐ社会人らしくきっちり謝るのかと思いきや、すぐいいわけをしてその場をやりすごそうとする。我が子が謝らずいいわけをしようものなら、さらなるカミナリを落とすはずなのに。ほんとに社会人って変だよね!? |
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9月 20日 No.866 自分が子どものときから大切にしてきた「物」は残るけど、そのときの大切な気持ちを、大切にしないと遺らない! |
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小さいころの「物」を、大切にしている人を見ると、うらましくなる。僕の友達は、小学校の五年の夏祭りに、テキ屋で売っていたマジンガーZのオモチャを、お母さんに買ってもらって、40才になった今も大切にしている。見てるだけで、あのころは良かったなぁと想えるかららしい。そこで僕が、「何で、マジンガーZなんだよ。他にもグレートマジンガーとか、ライディーンとか、コンバトラーVとか売っていたろぅ?」と聞くと「そうだよなぁ、何で、俺、マジンガーZだったのかなぁ」って、自分がなぜマジンガーZだったのか、はたして好きだったのか、マジンガーZになりたかったのか、心には遺っていないらしい。「その大切な気持ちを覚えていないのは、なんかもったいないなぁ」って、僕が言うと、そいつは「ほんとだよな」とぼそりといった。 |
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9月 19日 No.865 親子の絆を深めたいなら、我が子と同じ年の頃の、体験話しが一番いい! |
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久しぶりに家に帰ってきたら、家の庭の雑草が、僕の遠征中に勢力を増し、ほぼ全域、支配していた。息子を呼び、二人でその雑草を見ていたとき、僕がガキのころ、ちょうど今の俺みたいに、親父と雑草をわいわいいいながら、抜いた日があったことを思いだした。その日は、今年のような9月中旬だと言うのに、真夏のような日だった。親父が海外派遣の出張から、朝早くに帰ってきて、すぐたたき起こされ、「この草はなんじゃ。おまえに家のこういうことは任せてあったはずやろ(叱)」と言われ、まる一日かけ親父と草ぬきをした。この話しをしながら息子と庭の草ぬきを夕方までした。そしたら、息子が「俺も、いつの日か、息子とこうやって草ぬきしたろ!」って、うれしい一言を言ってくれた。 |
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9月 18日 No.864 ゆっくりでもいいから確実にいこうと思っているのに、なかなかできないのは訳がある! |
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朝、目を覚ましてその日一日の行動を組み立てる。さらに、その日一日のスケジュールを効率よくこなそうとしてしまう。時間があまれば、いくつかある用事を一つ二つこなしたいとさえ思っている。なかなかもう十分だ、といえるような日々が、いつまでたってもやってこないと感じるほど、やることがある。だから、詰め込みすぎる日々を送り続ける。そして、体が悲鳴をあげ、パタンと倒れてやっと気がつく。「何をそんなにあせっていたのだろう」と。そこから、こう本気で思う。これからはゆっくり、確実にいこうと! |
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9月 17日 No.863 未来の自分が悩まずにいられるように、今日を真っすぐ生きようよ!! |
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今日の繰り返しが未来の自分の過去になる。だから、今日をずるすることなく、真っすぐ生きておくことは、未来の自分の悩みを摘み取る今日になるよね。ということは、その今日を、今日としてだけ、ただ生きていると当然、未来の自分が悩みをうむ可能性が多くなるよね。そうならないためにも、今日という一日は、未来の自分が悩まなくていいように、または、未来の悩みの種とならないように、一生懸命、生きようとすることが、自分の未来も明るくさせ、自分が過去を振り返ったとき足跡自体が明るいものとなるのさ。だから、みんな、そういう意味で、今日を大切にしてほしいと思う! |
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9月 16日 No.862 人を疑うくせのある人は、ひょっとして、不確かな自分をしょっ中疑ってんじゃないの!? |
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先だっての選挙で、ある選挙事務所に入って、あいさつをして、近くの喫茶店に入った。そしたら、ちょっと離れた席の二人のおじさんたちの話し声が聞こえてきた。「あいつは、人のことなんて、なーんも考えちゃいないって」とか、「あいつは、絶対信用できないね」とか、人を疑ってばかりの話しを、僕が小説をまるっと読んでしまう間の2時間半ほど、話し続けていた。僕の友達に関する話しではないとは言え、その会話のレベルの低さでいらいらした。そのいらいらを救ってくれたのは、小説とたった一冊の絵本だった。不思議なことに、小説には、人を疑がう職業だからこそ、普段の自分が真っすぐ生きようとする主人公の本で、もっていた絵本は、みんなからいろんなことを疑われても、明るく前向きに自分を信じている主人公の絵本だった。あのおじさんたちは、知らないんだろうな。いつの日か、今度は自分が、自分の知らないところで、疑われてしまうことを! |
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9月 15日 No.861 だれだって許してもらわなきゃならないときがあるんだからさぁ、手頃なところで許してあげるのも粋なのさ。 |
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100円ショップに入ったら、男の人が店長らしき人に何度も頭をさげながら「ごめんなさい。ごめんなさい。許してください」って言っていた。たぶん、万引きをしてしまったんだと思う。店長は厳しくしかり「うちは、100円のものしかおいていません。だからといって盗んでいいわけありませんよねぇ」「ハイ、申し訳ございません。どうか許してください。警察にだけは・・・・・・」「んーん、そうですねぇ、まぁ、見たところ、ほんとに反省してるみたいだし、ほんとに、これからは絶対にしないでください。どんなものでも。たかが100円、されど100です」と店長がいった。僕は、その店長の人柄とその人柄にぴったりの許し方、つまり、罪を憎んで人を憎まず的、許し方に、なんだかほのぼのとした気分にさせてもらった。 |
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9月 14日 No.860 みんなで食べる飯は、やっぱりうめぇー!! |
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昔、一家にテレビが一台だったころ、居間で夕食を食べながらテレビを見たり、テレビを見ながら夕食を食べたりしていた。その飯は、みんなでわいわい言いながら食べるものだから、ほんとに美味かった。僕は、一人で食べなきゃなんないときは、店のみんなが家族として食べるようにしている。なぜ、そうしているかと言うと、一人で食べるご飯は、どんなに美味いと言われている飯でも、それなりの美味さになってしまうから。美味いと言われる店に家族みんなで出かけて、わいわい言いながら食べたときには、やっぱり勝てない。そしてそのときの美味さは、死ぬほど美味く感じるものさ。みんなと食べるのは、実は、究極のかくし味だったりして。一年に何度あるのかなぁ、みんなで食べる機会って。一回でも多く、そんな機会がみなさんも増えますように! |
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9月 13日 No.859 お母さんの言葉は、一人でいるとき、なぜか出てくるだよな! |
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親の言葉は、いくつになっても出てくるもの。それも、僕の場合は一人で絵本を読んでいるときだったり、一人で車を運転しているときだったりする。子どものころは「うるさいなぁ、もう。何回も言わなくたっていいよ」と思った言葉ほど、僕の心にひっかかっていたり、ささっていたり、重くのしかかっていたりする。あのときは、その言葉の意味や思いの深さなど、全然感じなった。いや感じようとすることをあえて拒絶していたほどである。それなのに、そう思っていた言葉ほど、残るんだなぁ。体のなかに! |
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9月 12日 No.858 心配ごとができたら、まず、何故それが心配なのか、の根っこを考えること! |
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中学になる息子に、初めて女性からTELがあり、それを取ったお母さん。「ハイ、もしもし杉本ですが」「あのさぁ、あきちゃんいるぅ〜?」お母さんはその無礼さにカチンときながらも「お宅様はどちらでしょうか?」「はぁ〜?聞いてんのはこっちなんですけどぅ〜?あきちゃんはぁ?」さらに、お母さんはカチンとくる。一応、そばでテレビを見ていた息子に、心配ながらも「あきちゃん、女の子から電話よぉー。」そう言うと息子は「?!」と思いながらも母親から受話器を受けとると「おぅ、おまえかぁ〜どうした?なにぃ?うん・・うん・・・・・うん、うん、わかった、じゃあ、いつもんとこで待って」と言って電話を切ると「お母さん、出かけてくる」と言って、声をかける間もなく、出ていった。この場合のお母さんの心配の根っこは「息子はいったいあの子とどんな関係なのかしら」あたりだと思うが、心配はいらない。息子は、お母さんを心配させたくないから、そそくさと出ていけるぐらいしっかりしているから。 |
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9月 11日 No.857 芸を観て、何がいいって、心の肥やしになるのがいいよね! |
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松元ヒロさんのソロ・ライブを観に行った。ヒロさんは、パントマイムの名人で、何もおいてないのに、まるで、透明のコップやら、テーブルやら、壁やら、原稿やら、ありとあらゆるものが、空間から飛び出てきているように「視える」のである。ヒロさんの芸はプライベートの人の良さが、そのまま出ているので、観に来た人がヒロさんワールドに導かれたまま帰ってこられなくなる。そんなヒロさんが、社会をおもしろおかしく風刺するのだが、これが言い得て妙なのだ!みなさんも機会があれば、ぜひ一度、ヒロさんワールドを体感してみてください。 |
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9月 10日 No.856 ただの説得と、命がけの説得は、その思い入れの深さが違うのは当然! |
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親の子育ては、ある意味一生続くのかもしれない。我が子が、中学や高校でぐれたり、非行を繰り返し、人に迷惑をかけたとなると、親として人生のものの考え方や捉え方で、説得しなければならない。また、社会人になってから、結婚もせず、ぷらぷらしているときも説得がいる。さらには、結婚もし、子どももいるのに、ある趣味に走り、夫婦ゲンカがたえないようなら、どちらにも説得がいるだろう。人生の岐路にはいろんな種類の岐路があり、その都度、親や大人の説得が生まれるものである。こんなとき、ただの説得で、聞くはずがない。その説得者になったならば、必ず、説得する相手の将来を考え、命がけの説得が要求されることだろう。でなければ、命をかけただけの説得に価する、納得をさせることは難しいだろう。 |
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9月 9日 No.855 みんながおかしいと思っていたことを、みんなのために勇気をもって言おうとすると、みんなが止めようとするなんて、そのことの方が、よっぽどおかしいよ! |
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日本人は、知らず知らずのうちに、言わなければならないことを、言わないようにがまんして生きることが、大人であり、社会だと言わんばかりになっているように思う。そんな大人にならせるために、家々で塾に通わせ、スイミングを習わせたり、サッカーをやらせたりしているのだろうか。違うはずである。おかしいなぁと思ったことを、勇気をもって発言したり、人がなかなか言えないことを、勇気をもって言ってあげたりできる立派な大人になってほしいはずである。でも現実は、いざそういう勇気ある発言ができる人が、なかなか浮かばれない。もうすぐ選挙!本気で、勇気ある発言をしている人を見極めて、さらに選び抜いて、清き一票を! |
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9月 8日 No.854 まだまだ、学ぶ!まだまだ、習う! |
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うちのメンバーはみな、学んだり、習ったりすることが大好きだ。学校にいたときに、教えられることは、皆、イヤだったらしい。ところが、読あそび道に入ってからは、何につけても、絵本を読んだり、小説やいろんなジャンルの本を読み、映画をみたあり、芝居をみたりしながら、いろんな世界から、いろんな刺激を求め、いろんな人たちに逢いにいっては、ものを学び、また、読あそび道に役に立つかもしれないと思うものは、一通りこなせるまで、ものを習いにいく。やっぱり、自分が決めた道を自分で進みだすと、ものを学ぶ姿勢やものを習う姿勢が、がらっとかわって、能動的になり、その吸収力はものすごい勢いである。僕もがんばらねば。 |
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9月 7日 No.853 道具を、ただ使うこともできれば、使いこなすまで使うこともできる。すべて己次第! |
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人間の文明が発達し、発展してきた一つに道具を使ってきたことを第一にあげてもいいだろう。道具を使うといっても、人により、様々な様相をみせる。というのは、ただその道具を使うだけの人と、使いこなそうとする人、道具に意識が働く人、道具に感情移入する人、道具を使おうが使わまいが、手入れをしっかりする人、道具を使うときに工夫をする人、その道具本来の活かし方ではない活かし方を編み出す人、道具をだだくさに扱う人、道具を大切にする人など、すべて、使う側の人間次第!つまり、道具の使い方に人の質が現れてしまうのが、道の具(ぐあいを決める)と書いて「道具」と言う。 |
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9月 6日 No.852 思いを伝えよう、伝えようとしてあせって、頭の中がぐちゃぐちゃになって、伝わらないんだったら、「思いを感じてもらえさえすればいい」! |
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まず、なぜ、こちらの思いを伝えようって、思ったときに、あせり始めるのだろう。それは、こちらの意図をちゃんと解ってもらおうとする自分がいるから。つまり、自分の根っこに、相手にこういう風に自分のことを思ってもらいたいという、欲が働くから。こういう状態で思いを伝えようとすると、頭で考えながら話し、話しながら考えているところへ、本来の心にすむ自分があらわれ、頭の自分の思いと心の自分の思いがこんがらがり、ぐちゃぐちゃになる。つまり、頭と心がバラバラの思いを持ってしまうということ。そんなときは、頭の中にいる自分をきっぱりすて、心の自分の思いだけ、伝えようとすれば、相手には、必ずや、こちらの思いが伝わっていないように見えるだけで、相手の心に、その思いをしっかり感じてもらえることだろう。試してみてね。 |
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9月 5日 No.851 ささやかでありながら、一生を通して大切なこと。それは健康! |
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僕の周りには、ありがたいことに、「健康で、体にだけは十分気をつけてね」とか、「体が資本やからな」とか、「ちゃんと食べてるかぁ。若い内は無理が利くけど、年とると無理がたたるぞ」とか、真剣に僕の体のことを心配してくれる方々がたくさんいる。僕は、普通の人よりは、かなり旅好きなので、HONDAバモスに乗って、日本中を回るのは何てことない。ほんとに無理もしていない。だって、好きなことだから。この旅がなくなれば、みんなが心配してくれる僕の健康が、害される。人は好きなことをしているときは、病まないもの。普通の人はたまにいく旅が好きなのだろうが、僕は毎日、旅をすることが大好きで、それが僕がみんなを心配させない、僕の健康法なので、いつも体に気をつかっています。みなさんも、自分だけの健康法を見つけて、周りの方々を心配させないように! |
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9月 4日 No.850 子どものころに、かなり厳しく、叱っておいて、いいものの一つに「あいさつ」がある! |
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僕は、子どものころ親父から、「ええか、あほでもできることを今から教えたる。それはなぁ、あいさつや。あいさつっていうても、いろんなあいさつがある。家族でも朝、顔合わせたら、おはようや。朝飯喰うとき、いただきます、ごちそうさま。学校行くとき、いってきます、帰ったら、ただいまや。こんなんは、当たり前のクラッカーじゃ。大事なんは、人に何ぞしてもろたら、ありがとうや。泊まらせてもらっても、飯、おごってもらっても、何かもろても、何か叱ってもろても、何かありがたい話しを聞いても、何かを見てもらっても聞いてもろても、つまり、何かしてもらやぁすべてありがとうや。これを教えて、できんヤツは何をしてもあかん。ほんまのあほやわかったの!」と言われた。すぐ、ハッとして僕が親父に「ありがとう、おやじぃー」と言ったら、親父は満面の笑みをうかべて「わかったみたいやのぅ」と言ってくれた。それは今だサビれることない、大切な僕の思い出! |
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9月 3日 No.849 心には、まちがいなく、優しさがしみるキズがある! |
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大人をすればするほど、本当の自分はそうは思っていないのに、周りの人たちに合わせてしまった方が、本当の自分を護れるような気がするもの。自分ではそうするつもりがないのに、気がついたらそうしてしまっている自分がいる。言い換えれば、自分で自分の心にキズをつけてしまうことになってしまう。そのキズにまちがいなく、しみるものがある。それを優しさ、と言う。愛情ある優しさは、そんなキズを治そうと的確にせめてくる。つまり、心のキズに効くのは、人の優しさだってこと!(^O^) |
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9月 2日 No.848 親子が、お風呂で会話することは、とっても和やか! |
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僕たちは、地方遠征に行くと、国道沿いにある、お風呂屋を見つけては、入る。そうすると、ジャグジー風呂で、お父さんと息子が楽しそうに会話してるとこなんか見かけると、こっちはお風呂に浸かって体が和み、心まで和ませてもらえる。お父さんの話しを聞く息子の姿に、かつて、銭湯につれて行ってもらったときの僕が重なる。ご飯のときに、おやじが話していた話しより、おやじとお風呂に入っていたときの話しの方が、なぜか心に残っている。その子も、きっと残ったろうなぁ。なぜ、残るかというと、きっと裸なのに、カッコつけてもしかたないって状況の方が、おやじの話しは優しく感じるからだろう! |
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9月 1日 No.847 子どもの感受性は、宝物。この宝物を奪うのは、大人の造った「タテマエ」という、やっかい物! |
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僕は、子どもたちの感受性は、宝物だと本気で思っている。なの精度の高さには、どの地区の子どもたちに出逢っても、衰えはない。しかし、「これはしてはいけません。あれはしてはいけません。なぜなら、あなたたちが危なくないように考えてのことなのです」的、「タテマエ」の看板が多い地区は、小学校低学年ぐらいの子どもで、ああ、もう、この地区の子たちは、宝物が奪われてしまったんだろうなぁと感じる子をたくさん見かけてしまう。そんな地区の共通点は、その地区の大人の「タテマエ」主義の客観性のなさが原因である。あーあ。 |
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