ブックドクター・あきひろのイチニチイチゴン
ブックドクター・あきひろのイチニチイチゴン。日々想うことを語ります。



5月31日 No.754
少子化の世の中じゃ、なかなか、百戦錬磨の母は現れない!

60年前、この日本には、10人の子どもたちを、立派に育てあげた、母がどの地区にもうじゃうじゃいた。しかも、物や食べ物がろくにない時代にだ。今は、物が豊富、食べ物にこまることはない時代のに、たった一人の子育てに悲鳴をあげる母がどの地区にもうじゃうじゃいる。そりゃ、昔の母は長男から十男の末っ子まで育てりゃ、百戦錬磨の母になるわなぁ。肝っ玉母さんや、岸壁の母など、その地区では有名な母たちが、だんなが生きて帰ってくると信じて、その間を戦場に負けぬほどの厳しさの中で、我が子すべてを育てあげたにちがいない。そんな母は、今は大ばあちゃんになっている。ご苦労さまでした。おばあちゃん、これからは、おばあちゃんみたいな百戦錬磨の母は、残念ながらなかなか現れないと思う。だから、そのいろんな体験や経験からくる知恵を残しておいてあげてよ。今の子育てを見てて、歯がゆいことばかりだろうけど、お願いだから。


5月30日 No.753
好きには、好きだと言える好きと、好きだと言えない好きがあることをまた、子どもからおそわった!

4、5才の男の子が3人、女の子が2人、公園のシーソーのところで何やら話していた。隣のベンチで本を読んでいた僕が、紙袋から、飴を取り出したとき、「あっ、アメだぁ〜」と女の子の声がして、ふと見ると、みんな僕の方を見ていたので、「ほしいかぁー」と言うと「へんなしゃべり方ぁ〜」と言いながらやってきた。みんなにアメをやっていろんなことをしゃべった。むちゃくちゃおもしろい。そして、「この中で、今、好きな人がいる人ぉー」と僕が子どもたちに聞くと、女の子は、はっきり「は〜い」と言い、男の子は3人で目を合わせて下をむいた。女の子は、3人の男の子の内、2人をそれぞれしっかり見ながら返事をし、男の子の内、2人は、それぞれ意識している女の子と目が合わないように、照れていた。ははぁ〜ん、この子とこの子か。あの子とあの子やな。そして、僕はこう言った。「人を好きになれる自分も、好きにならんとな」と。そしたら、「意味わかんな〜い」と言いながら、アメの袋ごと持ち逃げされた(笑)。


5月29日 No.752
人生には、はっきり言わなければならないときが、誰の身にもふりかかる!

今の自分の立場を維持したいために、当たり触りなく言っておいたり、たて前で受け答えしたり、本当の自分が思っていることを言わずにおいたりする。しかし、そんな日常に、人生のいたずらで、どうしても、はっきり言わなければならないことが起きる。するか、しないか。やるか、やらないか。受けるか受けないか。聞くか聞かないか。謝るか謝らないか。ハイかいいえか。見たのか見てないのか。責任をとるのかとらないのか。あるのかないのか。出すのか出さないのか。辞めるか辞めないか。決行なのか中止なのか。○か×か。降りるのか降りないのか。賭けるのか賭けないのか。行くのか行かないのか。戦うか逃げるか。勝負するかしないか。乗るかそるかなど、さまざまな局面がある。そのとき、普段から宙ぶらりんだといざっていうとき、自分だけが取り残され必ず後悔することになる。そうならないよう、日頃から適度に、はっきりいう訓練をしておこう。


5月28日 No.751
手のかかる我が子の、あどけない寝顔を見たとき、母は、母ゆえに言い淀む!

かたづけなさい、と言っても、かたづけない。ケガをしょっ中してくる。今日は久しぶりに出かける日。そんな日に限って、我が子が熱をだす。ありとあらゆる、予測ができないことをやってくれる我が子。夕食の洗いものしているとき、「あっ、これ、言っとかなきゃ」と、我が子にいうべきことを思いだす。ようやく洗い終えて、部屋にもどって、「○○ちゃん、これやったの?」と言おうとすると、そこには、あどけない顔して寝ている我が子。やれやれ、こんな寝顔をみせられちゃー、たまんないねぇー、まっ、今日のところは許してやるか、と。我が子の寝顔を見ていろんな思いが浸みだすが、我が子の寝顔の愛くるしさに負けてしまうのも、立派な母親の証拠!


5月27日 No.750
贅沢したいなぁって、思いは大人だけ。子どもは、何か楽しいことないかなぁって思うの!

僕が、出逢ってきた子どもたちの中で、将来、何をしたい?って聞いたとき、贅沢したいって答えた子どもの一番年齢の若い子は、小学二年生だった。見た目にも、考えにも、もう、大人びた子だった。逆に、何かたのしいことはないかなぁ?って思っている最高年齢は、八十三才のジーパンのよく似合う姿勢のとてもよい、子どもっぽい笑顔のおじいちゃんだった。贅沢って何なのかが、分かり始めたら、すでに大人なのかもしれない。そして、いつも何か、たのしいことないかなぁって思いつづけられたら、いつまでも子どもなのかもしれない。ちなみに、開高 健は間違いなく後者の人だったと思う。


5月26日 No.749
何でもマイナスがあればプラスがある。だったらなぜ、つぎつぎに犯罪が起った分だけ、つぎつぎにいい事が起こらないのだろう!!比例しないものがあるから。

また、大きな談合があった。犯罪である。いろんな犯罪が、足音をたてずに増えるからたちが悪い。なぜ、足音をたてずに、いい事が増えないのだろう。世の中をいい風に変えようとする政治家が少ないからだろうか。んー、どうもしっくりこない。いい事が何なのか、だんだん分からない大人が増えているんじゃないかと思う。んー、でもこれもまだしっくりこない。60年前、みんなが生活が豊かなになれば、幸せになれると思っていた。そして今、日本は世界で最高水準の生活を得た。だが、まさか、生活が豊かになればなるほど、多種多様な犯罪が増えるなど夢にも思わなかっただろう。これで少し分かったことは、生活が豊かになることと、心が豊かになることは、なかなか比例しないということ。


5月25日 No.748
どの子も、みんなに心配をかけながら育っていくもの!嘗てのあなたも・・・

心配をかけずに大人になった子どもは一人もいないはず。それは、嘗てのあなた自身を思えば、もっと実感がわくと思う。僕は未だに、いろんな人に心配ばかりかけている。だから、いつまでたっても、大人に見られない大人、子どものような大人といわれる。僕自身は、どうせいわれるなら、大人のような子どもでありたいのだが。今はどの家でも我が子の心配が絶えないことが、次の心配をよんでいる。どの家でも、あたかも、この世に心配かけないような子ばかりになってほしいかのように。でもよーく考えてみてほしい。もし、小学校の子どもで、まったく、心配がいらないような子ばかりになったときを。僕はそっちの方が心配。そんな子ども社会は歴史を振り返ってもどこにもないのだから。そんな世がこないようにと、僕は心配してしまう。


5月24日 No.747
急がば廻れ!とは、急いでいるときに限って何か起きてしまう。そのとき、更に焦らなくてもいいようにする心構えを言うのさ!!

○時までに、目的地に行かないと、と思いながら運転していると、普段なら何てことない、信号待ちでの車の量が多いと感じたり、少し車の流れが悪いと感じる。そこで少しでも早くつこうと、近道を選択。その近道が、そういう日に限って、工事で混んでいる。「なんてこった」引き返そうにも、後ろもつまっている。イライラする。この情況のとき、「急がば廻れ」を落ち着いて素直に実践すれば、結果、少し押しちゃったけど、何とか間に合った、となるのに、これが実践できない人は「急げば急ぐほど、目的地を自ら遠のかす」を実践することになるからね。ご用心してください。


5月23日 No.746
だれでもお金はほしいよ!でも、知っておいてほしい。お金はほしくないってことを本気いう人たちがいることを!

本気で、この時代に、お金をほしくないって言える人ってどんな人?って、お思いの方も多いことだろう。実は、かつて心に深い傷をおって、多くの人たちのお力添えで、ようやく社会復帰してきた人たちだ。この人たちの中には、人から酷い裏切りにあい、相当深い、人間不信に陥り、人の廊下を歩く、足音が聞こえただけで、部屋の隅で小さくなり、あまりの恐怖で、不整脈になって、しょっ中、死にかけた人がいる。その人がこういった。「僕は、人が恐ろしくなり死ぬ寸前までいったのに、その恐ろしいと思っていた人たちによって、今、こうして帰ってこれた。以前のようにベストの精神状態にはもどれなくても、今、ここに帰ってきたことだけで、十分なんだ。ほんとに。たとえ、今、ここに大金を積まれたとしても、決して、手をのばすことはないよ」と。お金がほしいと思えるのも、健康な精神状態があってこそ。ほどほどに。


5月22日 No.745
同士意識が働きすぎないよう、たまには自分を見つめ直していないと、大変なことを見過ごす!!

村人同士、ご近所同士、協力することはとてもいいことである。だが、そこに、たった一つの悪事が発生してしまう。ご近所同士意識が働く中にたった一人でも、冷静にその悪事を、今回に限り、しっかり叱って見過ごしあげるべきか、この件はけっして見逃してあげられるようなレベルじゃないと、判断できる人が必要である。でないと警察の隠蔽、政治家の裏金、同じマンションにいながら、虐待を受けていることに気づいてあげられないということになりかねない。ある意味、今の社会は同士で別れている。園児同士、小学生同士、中学生同士、高校生同士、学生同士、同期生同士、社員同士、家族同士、親同士、子ども同士、先生同士、町民同士、市民同士、政治家同士、弁護士同士、警察同士、マスコミ同士など、たった一人がいくつもの同士意識の中で、なあなあになりすぎて、見逃してはならない悪さまでも、見過ごしてやることのないように。それは、何の思いやりや優しさにはならない。


5月21日 No.744
人の迷惑にならないように動くってけっこう難しいよね!

最初に断っておくが、今日の一言は、僕の反省訓とさせていただことをお許し願いたい。恥ずかしながら、僕の場合、動けば必ずといっていいほど、だれかに迷惑をかけている。相方はもちろん、弟子っこや、僕に初めてあった子どもたちから大人のみなさんまで。本当に、申し訳ない。年だけは一人前に中年になったのに、中年にふさわしい行動が今だにとれない。あー、情けねぇ。ある人から、「あきっ、人に迷惑をかけずに動くためには、こっそり動くのが一番だ」と教えてもらったのだが、どうも上手くいかなかったようだ。こっそり、動いたのに、僕の場合、なかなかこっそりに、ならないようである。これも、新たに、僕の大きな課題だと思って、また明日から、たくさん頭を打ちにいきたいと思う。どうも僕は、この類の心事は、傷い思いをして、体に覚えこませなければならないらしい。吾、いまだ、大人に為れず。反省!


5月20日 No.743
親のあったかい一言が、その子の心根を優しくする!

あったかい一言が解らない人は、行動であったかさを示してあげればよい。あったかい一言が分かっていても、今この瞬間こそ、あのあったかい一言を言ってあげるに、ふさわしいと見抜けなければ、そのあったかい一言は知っているだけで、我が子に投げかけたことが一度もないということになりかねない。テレビ・映画・本などで、あったかい一言だなぁと感じるものがあったら、それを我が子に投げかけ、そのあったかい一言をちゃん使うこと。つまり、あったかい一言を我が子に活かすこと。知っているだけで、使わなければ、我が子の心根を固めてあげられない。


5月19日 No.742
意志の力を「意力」って謂う!

明治中盤以降、使われなくなったことば。それまでは、浪人も含めた侍たちの会話ではしょっ中使われていたようだ。一人前になるということは、それなりの意力を持っていなければ、何も成せんと本気で思っていた。そんな日本人の約130年後の今の世は、生まれたときに、どの家にも贈り物であふれ、生まれてから死ぬまで三度の飯にありつけ、乗り物の高度化にともない、お金さえあればひと月歩いても行き着けなかったところへ、わずか数時間で行けるほど、時間まで買える勢いである。これでは一人前の意力を持った大人が減るはずである。ところがよーく世の中を見てみると、そんな中、幼い子の一旦こうと決めたときの意力は、大人でも困ってしまうほどである。ひょっとして、幼い子の方が侍魂しいがあるのかな!?


5月18日 No.741
虎口を脱するには、股肱に任す!

虎口(ここう)とは、非常に危険な所と言う意味。股肱(ここう)とは、同じ発音でも、意味が違い、最も信頼できる部下という意味。この名言はある地方の盗賊たちが、お上に追われ、運悪く山火事がせまってきている方へ逃げたため、追い詰められたときには、前はお上がうじゃうじゃ、後ろは、業火というまさに虎口の状況だった。お頭が、とうとうお縄かと思ったとき、一人の族下が「あっしにお任せあれ」と言うので、お頭は、ニヤッと笑うと「任せたぞ」と言った。すると族下は胸から、木っ端のようなものを左手に持ち、火がついた枝を右手に持って大声で叫んだ「これが破裂すれば、おまえたちも生きてはいられん。道をあけろ」と。お上の衆たちが二つにわれた。盗賊たちは無事、逃げおうせ、自分たちの寝ぐらにもどり一息ついたとき、仲間が「おまえ、よくそんな破裂弾をもっていたな」といったら、その族下は首をふりながら木っ端のようなものをみんなに見せた。それはただの古い扇子だった。扇子を反対にもち、ハナひもを導火線にみたてた、とっさの機転だった。そのときのお頭の名言がこれ。


5月17日 No.740
そんなにさぁ、取り調べじゃないんだからさぁ、根掘り葉掘り聞いてどうすんのよ!

今の若いお母さんは、我が子を問い詰めるときの問い詰め方が、おじいちゅん、おばあちゃんが親だったころの問い詰め方と明らかに違ってきている。どう違ってきているかと言うと、最近の若いお母さんたちは、テレビでよく見る、刑事ドラマのワン・シーンを、お笑い芸人が真似しているような問い詰め方をしているのである。しかも普段は人目を気にするくせに、問い詰めている最中はあまり人目が気にならないかのように、大声で、場所を問わず、我が子を問い詰める。コンビニで、ファミレスで、万博の長い行列の中で、コンサート会場などなどで。「どこへやったの!」「何をしてきたの!」「今からどうするつもり!」「よーく思いだせ」「それから」の連発。などなど、若いお母さんの問い詰め方は、まるで、犯人扱いだ。その姿に、自分のお腹を痛めた愛しさは微塵もない。昔の親の問い詰め方は、殺し文句一発だった。二人きりになる瞬間を待ち、普段聞いたこともない静かな口調で、そっとこう言う。「あんたを信じてるからね!」と。


5月16日 No.739
たくさんの感謝に気づいたときが、至福って言うんだって!!

今日、ちょっとお寺に用事があって、いつもお世話になっている和尚さんから、「ご先祖さまに、お経をあげていきなさい」と言われ、和尚さんのあとから、復唱する形でお経をあげさせてもらった。そのあと、お茶をごちそうになりながら、座談していたら、さっきのお経について、訓えを垂れてもらった。それで解ったのだが、命を授かったことに一番始めに感謝しなさい。次に、この世の空気を吸えた鼻に。次は、人の声を聞ける耳に。次なるは、何かなと思ったものが見える目に。目が利けば食べるものが判り、口まで運ぶことができ味わえる。最後に五腿にあればこその触覚で人に触れる。これに至る福はない。故にこのそれぞれが命なり。命に気づき、そのものに感謝したときを、「至福」という。和尚さん、どうもありがとうございました。また、遊びにいきます。


5月15日 No.738
子どもたちは知っている!大人は都合が悪くなると逃げることを!

大人や親は、子どもや我が子が、何かが原因で、その対象となる目標や環境から逃げ出したり、諦めたりする姿を見るとこう言う。「逃げるのか」と。大人や親は、このセリフを言うことによって、子どもが逃げずに立ち向かって突破してほしいのだろう。だが、当の子どもたちは、心の中で叫ぶ。「そんなこと言ったって、無理なんだもん」と。なぜ、無理かというと、それに立ち向かうだけの訓練、練習、繰り返しなどからくる失敗を、まだ一つも乗り越えたり、克服していないからである。この訓練期に、数ある失敗を克服すればするほど、その対象となる目標へ立ち向かうだけの自信が宿り、肝心なとき勇気が湧いてくるのだ。しかし、そばにいる大人や親は、自分が乗り越えたり、克服していないのに言うのである。「逃げるのか」と。子どもは、そのことを見抜いて、そんな大人に言い返す。「じゃ、自分(お母さん・お父さん・コーチ等)は、こんなとき、逃げずにどうやって乗り越えたの?」と。この言葉から逃げた大人に、説得力が生まれるはずがない。


5月14日 No.737
たった一冊のお気に入り絵本をもって海にいく!

今日、移動中に海岸線に出たので、ちょっとだけ、気晴らしをした。車を止め、缶コーヒーと新聞、そしてある絵本を一冊だけもって、海へ行った。砂浜にシートがてら新聞紙を敷いてごろんと寝そべる。ラッキーなことに雲が一つもない。絵本を広げて読んでみる。読み終えて、空を見たり、波面を眺めたり、遠くの船を目で追ってみたり。うーん、これだけで気分は最高!缶コーヒーが極上コーヒーに変わり、絵本が映画館でみる最高の映画のよう。マジで!。みなさんも、よかったら、やってみてよ。最高ーだから。わーい!


5月13日 No.736
ユーモア力というのがあるとすれば、あればあるほど、本音を言えるし、相手の本音が解る!

本音が言えない社会人は多い。だから、本音を心に貯めることになる。そして、本音が言えたらどんなに楽だろうと思う。そんなとき、もし、本音ばかり言ってみんなからめちゃくちゃ好かれているヤツが、そばに現れたらどうするのだろう。きっと、真似をしたいと思うだろうね。そんな人はいないと思っていたなら、そんな人が目の前に現れても気がつかないだろうけどね。なぜなら、いないと思っている人は、自分が決めつけていることに気がついていないから、そんな人を見ると、冗談ばかり言ってて、いい加減なヤツに映るはず。でも、実は違うんだなぁこれが。その人はユーモア力があるから、本音を言ってても、冗談ばかり言ってるように取られてしまうだけなんだ。つまり、いないと決めつけている人はユーモアのある解釈力がまったくないわけ。だから、ユーモア力がある人は、酷いことを冗談の解らない人から言われても、ユーモアのある解釈力も同時に身につけているから、みんなに好かれるんだよね。


5月12日 No.735
子どもときぐらい いいじゃん、ありのままでさ!

自分の子育てについてあれこれ考えすぎて、もう、何がなんだか解らなくなって、解らないことに疲れているのか、子育てに疲れているのかさえ解らなくなって、ただ、疲れていることだけは分かっているなんて、なんかせつないね。やけクソになって我が子にあたらないようにね。どうせ、やけクソになるならさぁ、子どもの好きにやらせてあげようよ。まず、この子にやりたいようにやらせたら、いったいどんな表情になるんだろう?とか、今のこの子の、ありのままの姿はいったいどんなんだろう?とかさぁ。きっと、今までに知らなかった表情や姿を見られるよ。その我が子の姿を見て、きっと、新たな、「あなただけの子育て」が見つかるはず。


5月11日 No.734
我が子が、うわぁーいって喜ぶことを、知らない親が増えている!

我が子が、何をしてあげれば喜ぶか、いくつかあげてくださいって訊くと、うってつまる親御さんが多い。いくつかあるはずなのに。例えば、お母さんなら、「今日はあんたの好きなハンバーグを作ってあげる」といったとき。とか、極端に言えば、「今日は、アイスクリームをいくつ食べても、お母さん、怒らないわぁ」とか。言うわけないか(笑)。でも、本気で言ってあげれば、間違いなく、うわぁーいって言うと思うけどなぁ。一ヶ月通して、我が子に一度も、うわぁーいって喜ばせてあげていないなぁと思った方は、ぜひ、お試しあれ。


5月10日 No.733
小さなことは、小さい力で、大きいことは大きい力で!

あたりまえのことなんだけど、これがなかなかできないんだなぁ。日々、効率を求める社会で生きていると、小さいことを集め束にして、いっぺんに済まそうとしたり、大きいことを、できるだけ小さい力で済まそうとしてしまう。当然、だだくさになったり、粗い仕事になり、ミスがでる。ミスがでたら、同じことをもう一度することになる。同じことをするとき、また、同じミスをくりかえす。それは、二度目は効率など考えず正確、丁寧、二度とミスがないよう対応すべきことなのに、また、効率で対応するため、さらなるミス重ねる。それが解らないと、これを何度もくりかえし、時間が予定よりかかり、効率の悪いことになる愚を犯す。


5月9日 No.732
人生には、ピンチのあとにピンチがあったり、チャンスのあとにチャンスがある!

ピンチのあとにチャンスありと思って行動すると、そこにわずかな油断が生じるのか、さらなるピンチが待ち受けていたり、チャンスのあとに、もうこんなチャンスは訪れないだろうなぁと諦めていると、さらなるチャンスの報らせが入ったり、本当に、人生というやつは、シナリオがないドラマだなぁと思う。子どもには、まだ大人のような、欲にからんだ「こうなったらいいな」という思考がないため、ピンチのときもピンチの自覚がなかったり、チャンスのときもチャンスの自覚がないため、ひょうひょうとしている。そのため上手くすり抜けたり、のっかったりする。教えなくても、とてもいい状態のリラックス状態になるのだろう。習いたいものだ。


5月8日 No.731
「これでいい」と「これがいい」で自分の力のあり方をコントロールするって以外と使える!

これでいいって、思うことは、無理を言わない、欲がない、妥協して現状満足などのときをいう。それに対して、「で」を「が」にたった一文字変えるだけで、意味が随分違ってくる。これがいいって、思うときは、数ある中から、一つを選んだり、最初から、周りに目もくれず、それに一目散に駆け込むといった像がわく。つまり、「で」の方は、自分の力を押さえ、「が」の方は、自分の力を使わなければならない。「静」と「動」が一文字で決まる。普段、こらえてばかりの人は、「が」を。普段、エネルギーがあまっている人は、「で」を。その場にあった自分の姿勢が、中途半端にならなくてすむ処世術。


5月7日 No.730
有頂天になるって言葉に、ぴったりの姿を見たときは、ちょっとだけそのままにしといてあげよう!

うれしさの表現はいろいろあるけど、その中に、有頂天になるって表現がある。この表現を聞くと、得意満面の笑みを浮かべているような感がある。こんなせちがらい世の中では、なかなか有頂天になっている人も見かけなくなったし、有頂天になったと言う話しもきかない。そう思っていたところへ、甥っ子がごきげんさんでやってきた。訳を聞くと、スイミングスクールの5級に受かって、さらに、前から欲しかったおもちゃまで手に入ったからだという。親は「調子にのるなぁー」とたしなめていたが、その甥っ子の姿はまさに、有頂天になっていた。その子のうれしさがみんなに伝わり、それがみんなに、この有頂天をちょっとだけ、そのままにしといてあげるかぁと思わす姿だった。


5月6日 No.729
子鳥の巣立ちは、「一人立ち」の門を開く。人間の子どもの巣立ちは、「一人立ち」の不安の門を開く!

多くの鳥は、卵からひながかえると、親がえさを運び、口うつしで食べさせてあげる。やがて、生き残ったわずかなひなが、巣立ちを向かえる。上手く風をとらえるものもいれば、上手く風をとらえられないものもいる。一羽、また一羽と巣立ちを向かえる。多くの動物と同じく、鳥もまた、一度巣立てばあとは、一人で生きていかねばならない。人間の年齢に置き換えると、遅いものでも弱冠、10才で巣立ちをする。人間の巣立ちが遅れている。45才で、まだ親に食べさせてもらっているのだ。しまつが悪いのは、そんな人たちが、つまり、巣立てない人たちが年々増えていく傾向にあるということ。


5月5日 No.728
悲しいなぁ。すべてやる前から、失敗をしたらどうしようって、考えてからしか行動できないなんて!

「失敗したくない」って思う気持ちは、感情が働く人間ならすべての人間に働く。(中には感情じゃなくて思考する人もいるので、ここではあくまでも感情とする)でも、その感情の働き方を、自らの意志でコントロールする人間は、一部の人間しかいない。その一部の人間は、「失敗したくない」と思ったあと、意志の力で「失敗したくないんだったら、失敗してしまわないように、自分の弱点を強化しよう」とする。そして、強化するための努力はおしまない姿勢でのぞむ。それは、やるだけやったと自分で納得できる域までつづく。なぜなら、「失敗するのがいやだから、何にもしない」より、「失敗したとしても、自分は、この機会に対して悔いなく、やるだけやったと思える自分をつくることは、得るものがある」と言うことを知っているから。


5月4日 No.727
こんなのへっちゃらさぁって言うタフな子どもがへったなぁ!

先日、現代の子どもの体力のまとめが報告された。10年前の子どもたちより、身体はでかくなっているのに、すべての体力測定項目に体力低下を示す数値だった。都会の子どもたちだけでなく、いなかの山や海や川などの自然に恵まれた小学校の子どもたちでも、外で遊んだり、歩く機会が減っているために、ほぼ同じ数値のところがあった。昔の子どもは、外で遊んで帰ってくれば、すり傷なんかしょっ中だった。だが、そのすり傷でさえも、本人単位で、こんなキズなんかたいしたことないって思うほどタフだった。また、これで、我が子の数値が低いと急に、子どもに平均値より体力をつけてあげなきゃって思う、親が増えるだろうなぁ。いつも子どもたちは、親の都合の良い解釈においての数値を、クリアーするために踊らせられる。あーあ。


5月3日 No.726
勢いで、約束ちゃったときは、その勢いのまま、ベストをつくすのみ!
なんせ、勢いが命だから!

場の雰囲気に飲まれたのか、ついうっかりなのか、勢いで「やります」と約束してしまった。あとでよく考えると、とても自分には無理だと思えてくる。しかし、もう遅い。すべては動いてしまっている。えーい、言っちゃったことはしかたねぇ、後は全力でベストをつくすのみ。こういう勢いで約束した場合は勢いが命。勢いが命ということは、その勢いのまま無我夢中でベストを尽くせば多少のハプニングはあるものの、必ず良い結果を招く。招くといったのは、結果失敗しても、その失敗でさえも後々、良い方向へ向かう。しかし、勢いがなくなった場合は・・・、もう、言わなくても分かるよね!


5月2日 No.725
耐えて耐えて耐えぬいたときの勝利は格別の極みである!

耐えて耐えて耐えぬくだけの気質はどうやって授かるか、これを1824年に、ポーランドの一人の小学校教師が残している。「耐えて耐えて耐えぬいた。いや、耐えぬかさせてもらったにちがいない。愛する我が生徒14名がいなければ私はとうの昔に、耐えようとするための、さまざな自らの想像に、簡単に押しつぶされ、廃人になっていただろう。だが、たくましいのは、我が生徒たちの希み有る想像力だった。自分たちの親が、目の前で撃たれようが、吹っ飛ばされようが、毎日私に、希みある明日の物語を皆が語り続けてくれたからである。そして、今日、子どもたちが私に語ってくれていた通りの勝利を得た。この格別の味は、どんなものも超えることはない」と。つまり、最期の最期まで耐えぬく力は、「物語る想像力」。生徒たちは拾ってきた、半分以上やぶれてしまっていた本の、物語の続きを自由な想像力で、順番にその先生に聞かせていたらしい。すごいねぇ、子どもたちの想像力は!


5月1日 No.724
やらねばならないことを、後回しにしているときに限って、「あっ、やっぱり、先にやっときゃよかった」ということが起こるんだよね!

我が一族の、三十三回忌の法事があったときの話し。僕の一族には、いくつかの、伝わる慣わしがあるのだが、その一つに、新しい数珠をおろすときは、お寺のお和尚さんに、当日までに、その新しい数珠に、性根入れ(しょうねいれ)という儀式をしておいてもらうのだ。それで、その性根入れをしておいてもらおうと何日も前からお和尚さんにお願いしておいた。そして、法事の当日、「お和尚さん、お願いしてあった新しい数珠は?」と言ったら、お和尚さんが「あっ、しもた。やらなあかん、やらなあかんと思いながら、まだ性根を入れてへんわぁ。すまん、ちょっとだけ待ってて。やっぱり、やらなあかんことを後回しにしたバチが当たったなぁ。ごめしてな。」と言いながら奥本堂へ入っていきました。しばらくして、奥さんの声が聞こえてきて「ほれみぃ、うちがあれだけ、やっとかなあかんよって言うといたやないのー。もう、やらしいーなぁ!」と。僕は、なぜか人事とは思えなかった。