ブックドクター・あきひろの
イチニチイチゴン



4月30日 No.723
人の限界を決めつけてしまう第三者の言葉に重みはない!
第三者がよく言う。「あいつは、もう、あそこあたりが限界だろう」と。当事者は、「みんなが、僕のことを限界が見えたといってることは知っているょ。でも、好きなことはやめられないから、自分でもどうしようもないんだよね」と。結果、凄い記録を残す例は多い。当事者の言葉は実感がこもっているので、重みがある。どんな世界でも第三者ほど、人の限界を勝手に決めつける。そうやって自分自信の限界も決めつけてしまったのかと言えば、「そうだ」と素直に認める人は少ないだろう。本来、自分の限界は自分でも解らないから不思議なのだ。まだまだいける人が「ここらへんが俺の限界だな」と諦めてしまう人もいれば、逆に「俺には限界がない」と思っていても、即手術を要するほど体が限界だったりするからさ。だから、第三者から限界と言われても、そんなにビビらないように。そんな人の言葉に重みはない。でもね、本気で相談に乗ってくれる第二者の言葉の中に「限界」と言う言葉があったら、そのときは、ご注意くだされ。あったかさの重みがあるからさ。

4月29日 No.722
園児の描く、母の顔に、その親子関係が写るよう!!
この時期、そう、母の日が近づいてくると、デパートや役場、公民館や図書館などの壁面一面を、その地区の幼稚園児や保育園児の描いた母の似顔絵で埋め尽くされる。どの子の絵にも、その絵に写るお母さんの表情がしっかり出ている。お母さんがもの凄く怒っているように見える顔を描いた子は、それだけ、その子がお母さんを怒らせているのか、その子がお母さんの顔を思い浮かべたとき、お母さんの怒った顔しか出てこなかったのかなぁと思うほど、怒っている絵なのである(笑)。髪型や髪の色、唇の色、ほくろの位置、おでこの広さ、ほっぺたのふくらみ加減、目の大小太い細いなどは、いくら幼い子の絵と言えど正確に出ている。みなさんも、そんな絵を見かけたら、絵から視えるいろんな親子関係に触れてみてほしい。笑顔のお母さんの絵がいくつあるかだけでも楽しめる。

4月28日 No.721
力がないことを自覚したときが、次のステップ!!
力のある人に出逢ったとき、自分とどれぐらい力の差があるかを計るためには、普段から自分を見つめていなければ計るに計れない。つまり、今日までの自分が五ぐらいかなぁと思っているとき、神業をもつ人に出逢ったら、千にも万にも感じるだろう。しかし、その千のレベルを感じとったおかげで、いかに自分に力がないかを自覚することになる。そのとき、残りを埋めるためのステップが始まる。日、一日と少しづつ力をつけて行こうとする。そのいい例が、先だってのヤクルト古田選手の2000本安打達成である。その日のある番組のインタビューの中でこういった。「キャッチャーをしていたおかげで、偉大な打者を一番そばで見させてもらった。そして、僕のここまでこれるだけのステップが始まった。バッティングを語るには、これからもまだまだステップし続けないといけませんがね」と。

4月27日 No.720
子どもに正しいからといって、すべてがそうだと親子ともども心が固くなってしまう!!
清く正しく美しく、というスローガンがある。でも、テレビに映るこの国の政治家に、その姿は感じられない。親は我が子に、心のきれいな子になってほしいため、正しいことが何かを説く。また、正しいと思うことに乗っ取って、我が子を叱る。いつしか、我が子の心が正しさで固められる。そうすると、友達の中に、いいかげんなやつがいると許せなくなる。なぜ許せないかというと、正しいことから外れたから、悪いことをしたと言う認識に直結する解釈しかないほど、心の中を親に固められたからである。これでは、子ども同士の中から、弾き出されてしまう。この子には罪がないのに、である。こうならないために、親は正しさを説く中に柔軟さを含んでおいてあげよう。例えば「友達をいじめることは正しいことじゃないわぁ。でもね、国民のことなんかちっとも考えないで、自分たちのことしか考えてない政治家をいじめることはいいことだったりして。世の中を渡っていくのは、適度なバランス感覚がないと結構難しいのよぉ」と。

4月26日 No.719
ギリギリのところで頑張るためには、忍耐力がいるのはもちろんのことだけど、あと一つがカギ!!
人生には、あまりきてほしくはないが、もうあとがないというギリギリの状況が、必ずやってくる。そんなとき、普段、がんばることがない平和な人でも、がんばらざるをおえない精神状態に追いやられると思う。ここで人それぞれの体に宿す、ど根性のような、火事場のクソ力のような、忍耐力が露呈することになる。忍ぶ力と耐える力のバランスがいいと、ギリギリの状況からプラスへの流動をみせる。ここで諦めたり、忍耐力がないと、崖したへ落ちるイメージがわく。そこで落ちないようあがくためには、忍耐力を補うカギが必要となる。そのカギとは、「落ちてたまるかー、ここで落ちたら、もう二度と◇◇◇できない!それでもいいのかーっ!」と自分に問うのである。◇◇◇には自分は何のために、という目的をあてはめるもよし、夢でも欲でも野望・希望などなんでもよい。これがカギとなる。ちなみに僕は次の言葉をあてはめている。「もう二度と、あの(子どもらの)最高の笑顔が見られなくなるぞ!それでもいいのかーっ」とね。

4月25日 No.718
間違いは、間のどこが違うのかに気づかなければ、本人は間違っていることを知らない!!
間違ったことに自分で気づく人は、間を違えた個所を発見するだけの人生勉強をしている証拠。たんにうっかりなのか、見落としなのか、忘れていたのか、見間違いなのか、聞き違いなのか、決めつけなのか、思い込みなのか、計り間違えたのか、ふとした親切でしてあげたことが、「えぇ!?まさか、こんなことになるなんて」という、普段はしたこともないことをしてあげたことが間違いだったり、「夢にも思わないことが、人生には起こるんだ」ということを知らなかったために、間違いが起きたり、また、間違いたくないと思いすぎたために、間違いを起こしたり、知り過ぎていることでも間違いが起きたりする。つまり、間違いとは、ちょっとしたことが原因で起きてしまうほど、デリケートなもの。では、どうすれば間違いを減らせるか。それは「知らないことを減らす」を、普段から心がけるのさ。無知が間違いを呼び、またその無知のせいで、それが間違いであることに気づかない、という無知を重ねないようにさ。何ごとも勉強しなきゃ。

4月24日 No.717
小学一年生の仲良し遠足は、楽しそうで微笑ましいなぁ!!
担任の先生を先頭に、小学一年生の生徒たちが二列にならんでちょこちょこ歩いていく。まるで、親ガモのあとをはぐれないようについていく、子ガモのようだ。歩きながら、前の子のリュックを引っぱる子。後ろ向きに歩く子。隣の子としっかり手をつないであるく女の子たち。道を横切るとき、各担任の先生が車を止め、「早く、渡りなさぁーい」と声をかける。すると子どもたちが小走りでキャッキャ言いながら渡る。最後の子が終えると、先生は、車のドライバーにおじぎした。ドライバーもちっちゃい行列を見て、思わず笑顔がこぼれる。僕は、そのほのぼのさのおかげで、とてもいい気分にさせてもらった。あの子たちの遠足が、実り多き遠足でありますように!

4月23日 No.716
人に思いやりという感情が授かるのは、親から!!
ネイティブの子育ての訓えにこんなのがある。もの心つくまでにたくさん親に抱き締められた子は、思いやりのある子になる。素直にそうだろうなぁと思った。幼い子でなくても、人は好きな人から抱き締められると、心が満たされる。心が満たされているのに、悪さはしない。心が満たされていないことで、少しづつ悪さをし始める。気がついたときには、いじわるをし続けないと、心のすきまをうめられないような感じになり、悪循環の渦の中でもがきつづけることになる。そうならないためにも、ネイティブの知恵を借りて、幼い内にたくさん抱き締めておいてあげよう。

4月22日 No.715
子どもの寂しさを解るのが親。子どもの淋しさを解るのが大人。
我が子に、いつもの活気が何となく感じられない、そんな物足りない方が寂しさ。その子を見ただけで「孤独」が感じられる方が淋しさ。例文を上げるならこんな感じかな。「楽しみにしていた同窓会は、ムードメーカーのいない、何となく寂しい会になった。そんな思いのまま、誰も待つ人がいない部屋に帰り、高校時代の思い出を肴に飲む缶ビールは、淋しさの味がした」なんちゃって。話しをもとにもどそう。子どもは寂しさを表現できない。そんな寂しさは、親が気づいてあげるしかない。そして、教室や外で淋しそうにしている子には、孤独の怖さを知っている大人が、あったかい声をかけてあげようよ。

4月21日 No.714
何が出るやら、何が起きるやら!!
明日というのは、何が出るやら、何が起きるやら、誰も分からない。それを楽しみに生きる人がいるかと思えば、不安でしかたない人もいる。本来、明日とは今日の繰り返し。今年は戦後60周年。60年でこの国は急激に豊かになった。夕食で例をあげれば、当時ご飯の他にどの家庭でも、おかずは1品だった。それが、今は平均5品から6品の時代になった。ところが、食べたいものが食べられ、それで健康になったかといえば、そうではない。食べられるものが食べられるのに、いろんな現代病は何千と増えた。最近増えたのが、突発性の疾患である。寝ているあいだに、亡くなっていたという、急性○○○疾患なる症状は何百と増えた。誰の身にも、これからは明日の朝が来ないということが起こる時代でもあるのだ。だからこそ、1食に感謝し、1日に感謝してほしい。

4月20日 No.713
子どもを慌てさせれば、それだけ危険が増える原因になる!!
「ぐずぐず、しないの!」「さぁ、もう行くよ」「もっと早く、早く」子どもがちょっと動きが鈍いと、せかしてしまう。子どもは頭で、整理できないまま、とにかく、言われたように動かざるおえない。そんな情況をつくるのは、いつも大人である。大人は、すぐ動けても、子どもはすぐ動けないのに。そのことを分かっていなかったり、ついつい忘れていると、子どもを慌てさせ、慌てさせただけ危険のバロメーターをあげてしまうことになる。そして、誰も悪くない、不慮の事故が起きたりする。母が慌てていたために自らの不注意で、我が子の命を奪う事故は、もうこれ以上増えて欲しくない。子どもの動きにできるだけ合わせてあげられるよう、余裕をもって行動しよう。

4月19日 No.712
誰がどう思ってくれるかよりさぁ、思うべき人をどう思うかでいこうよ!!
あの人から、私はどう思われているのかしら。近所からあんな風に思われたらいやだなぁ。私がこれだけあの人のことを思っているのに、あの人は全然私のことを思ってくれない。この人は私の優しさに気づいてない。この子はどうして私の気持ちがわからないの?。う〜ん、いろんな思いがあるなぁ、人間は。人は、いくつもの「こう、思ってもらいたい」という受け身的気持ちを欲してしまうよね。でも、もう一方の思いも、働かそうと思えば働かせられるよねぇ。つまりさぁ、もう一方とは、能動的に、その対象となる人を、こちらから、思ってあげられるよね。応援する気持ちでもいいや。そういう、自分から発する思いは、欲する思いより、自分の心が豊かになるから、だまされたと思って、やってみてほしいなぁ。

4月18日 No.711
人が人を好きになるのに理由はないという。でも人を嫌いになるのは理由をつける!!
人が人を好きになったとき、理由が分からないけど、気がついたら、好きになっていた、という体験をもっている人は、一体どれぐらいいるのだろう。嫌いになるときは、必ずといっていいほど、仲間に嫌いになった理由を話す。なぜ、仲間や友達に話すかと言えば、自分が嫌いになる理由を話すことによって、少しでも自分と同じ気持ちを共有し、自分はあいつを嫌いになってしまったけど僕(私)は、そういう理由で嫌わないでねって、牽制しているのである。人を嫌った数だけ、自分も嫌われる覚悟をもってみてはいかが。それと処世術として人を嫌いになった理由は仲間や友達に言わないことも身につけよう。それより、自分の嫌いなとこを仲間や友達に話す方がうんとかいいよ。

4月17日 No.710
過ぎたことは考えないようにって言ってあげるても、大抵は気にするんだよね!!
人の多くは、過ぎたことを気にして生きている。都合がいいことは忘れるくせに、自分の価値観とのずれ、年によって変わる正義感の変化でのこじれ、プライドに関わることなどで、人から傷つけられると、なかなか忘れられない。で、そのとき、許せないという気持ちや、納得できない気持ちが体の中にすむことになる。そうなると、体を患ったり、心の改善をせまられるほどの目にあうまで、「もう、金輪際、過ぎたことは気にしないようにしよう」と、本気で思わない。そういう目に合わない限り、人というものは、過ぎたことを気にしてしまうのだろう。賢い人は、すでに、自分がくたくたになってしまう前に、過ぎたことは気にしないを、普段から実践している。

4月16日 No.709
もうダメだぁーと思ったとき、十の内、九までやったかを自分に問えばいい!!
赤坂までいく地下鉄の中で、もうダメだぁーと言うセリフを6回も聞いた。みな、この4月に社会人になって、まだ、ひと月もたってないな、と一目で分かる真新しい靴とスリーボタンの若者たちだ。ひとりはそのセリフが口ぐせになっているようだった。全然、ダメそうな雰囲気はない。十の内、三ぐらい。ダメだと思う前に、なぜテレビや本で、一流の人たちの、心の姿勢を学ばないのだろう。彼らの世代はマスメディアの申し子なのだから人物書など読まなくても、いくらでも学べるというのに。人生での、もうダメは、言えば言うほど、ダメ人生を、自ら呼び込んでしまうことを学んでほしいと思う。

4月15日 No.708
人には、なかなか優しくできなくても、我が子ならできるでしょ!!
子どもが、お母さんからたくさんの優しさをもらっていると、親の見てないところで、子どもも友達や動物に優しい行動をとる。その子どもは、たくさんの優しさを惜しみなく人に対して出せるようになる。おそらく、そういう子どもは、大人のように、自分の行動が、相手に「優しいなぁ」と思ってもらえるだろう、といういやらしい思いなど、みじんもない。つまり、なんの駆け引きもなく、今、自分ができることだったから、してあげただけ、という感覚だろう。ただ、そんな子どもはこうやって、自分の行動を表現できないために、そんな優しさだけが目立つことになる。親からたくさんの優しさをもらった子どもは、外では、かっこいいんだぜ!

4月14日 No.707
友達の輪と友達の和。この大切なことを、今の子どもたちに諭しておいてあげようよ!!
今は少子化の時代。出生率の調査アンケートの、いろんな項目から、この時代の子どもたちの友達の平均人数が分かった。なんと、高校生までの平均が2.86人。たった3人の友達をもっていないのである。これでは、コミュニケーション力を宿さないまま大人になってしまうだろう。ちなみに、知り合いと友達の境目は、秘密を共有できるが友達で、できないが知り合い。子どものころの友達は、友達が友達を呼び、さらにその友達の友達が友達を連れてくるといった広がりをみせるもの。それは、もう過去の話しなのかなぁ。いや、そんなことはないと思う。今の大人たちの希薄社会が、てきめんに子どもたちに出ただけだろう。ずっと昔から、友達の輪は広がるもの。友達の和は友達同士ひととこに集まったとき、親や兄弟とは違った和みが生まれるもの。そうやってどの民族も支え合ってきた。人は決して一人では生きていけないのだから。

4月13日 No.707
幸せを見いだすも己なり。見いだせねば「不」を招くなり!!
幸せはやってくるものではない。自らが見いだすもの。お茶、一杯の幸せ!桜を今年もまた、見ることができた幸せ!ぼろアパートだが、笑いが絶えない家庭を営む幸せ!すべて己次第。だが、それを見いだす度量なきものには、必ず「不」を自らが招くんだよ、と賢者は記す。則ち、不安、不義、不吉、不況、不遇、不敬、不幸、不純、不祥、不足、不正、不遜、不調、不通、不適、不当、不備、不服、不平、不便、不明、不要、不用、不良、不和、不健康など、不況百八を招くと云われている。ご心底くだされ。

4月12日 No.706
疑われるようなことになるのは、本当に日頃の行いが悪いからなのかなぁ!!
ある地獄ばなし。男は、朝から晩まで、働きもせず河原で雲が流れてゆくのを毎日みていたそうな。ある日、川むこうの道で清涼な娘が倒れた。急いで服が濡れるのもかまわず、川を横ぎりかけよった。その娘の首に手をあて脈を確かめると、脈がなかった。その様を別の男に見られ「人殺しぃー」と叫ばれ、去っていった。男はすぐ、人殺しの疑いをかけられた。理由は村中の人から「日頃の行いが悪いから」だった。男は何度も事実を叫んだが牢屋にいれられ、飯も与えられず一か月後に死んでしまった。亡者となった男はエンマ様の前に立つとエンマ様がこう言った。「不憫じったのぅ。安心いたせ。おまえは浄土へ送ってやる」。さて、のちにすべての村人が亡者となったとき、エンマ様の前に集められた。そのとき、エンマ様はこう言った。「疑うべき術を持たぬものが、人に疑いをかけ、疑われんでもよい者が疑われる。何と愚かな。自らを疑いもせぬ者が、人を疑うことは大罪に価する。よって皆、冥土へゆくがよい」と。

4月11日 No.705
見ることで察する!
観ることで学ぶ!
視ることで偲う!
今日、とてもいいものを観せてもらった。めちゃくちゃおもしろかった。観るだけで、たくさんの課題をもらえることがある。見るときはただ見るだけだから察するまでの意思が働くが、観るのは、観察しようとする意識までアップするレベル。そこから、自分にできるところ、できないところなど、学ぶべきところが分かり、課題を広いあげて取り組もうとすることまでできる。そしてさらに、実際、課題に取り組み始めると、あの人だったらこんなときどうするだろうかと、偲ぶ思いが働き、繰り返し取り組むことで、透視できたかと思うほど、偲いが視えるときがある。それが、たのしい会だったりすると本当がなんなのかが分かりやすくみえるよね。

4月10日 No.704
考えてから、行動してみる、これ、大人。行動してから、考える、これ、子どもね!!
多くの大人は、行動する前に考えることを身につけているとされている。でも考えて考えて、行動したのに、考えた通りに行かないと、すぐ、せっかく考えたけど上手くいかなかった、だからもう考えてもいっしょだぁ、となげやりになる。こんな大人の方が、多いんじゃないかなぁ。本当に大人なら、そんなとき、まずなげやりにならないし、その結果から、考えた通りにいったところと、いかなかったところがどこだったかを、考えようとする。それを大人の賢さなんじゃないかなぁ。それが身につくと、人生はなかなか考えた通りにいかぬもの、ということを識っていて、それでも考えをめぐらそうとする。それを英知というんだけどね。そんな姿を大人なら、子どもに見せてあげようよ。

4月9日 No.703
気易く子どもが、近寄ってくれるってことは、警戒させるようなオーラが出ていないんだろうな!!
新幹線に乗っていたとき、通路をあっちいったりこっちいったり楽しそうに走っている子が何故か、本を読んでいた僕の横でピタッと止まって、腕をツンツンつついたかと思うとキャハハハーといいながら走っていった。コンビニでも、公園でも、地下鉄でも、ファミレスでも、横断歩道でも、いたるところで気易く近寄ってきては、いろんなアクションを見せてくれる。こんなとき、ある園長先生の言葉を思い出す。「あんたがもうちょっと大人になれば、あの子らも寄ってこやんのに・・・ねっ!」。僕はまだまだ、大人になりそこねた-おとな-なんだろうなぁ。

4月8日 No.702
話し相手の目をちゃんと見て話す子どもが増えてほしいなぁ!!
大人と目を合わせて話しができる子どもが減っている。大きな理由は二点。大人を見れば、何かを言われてしまうのじゃないか、という感じ方をしてしまうほど、周りの大人から、自分が思ってもみなかったようなことばかり聞かれるというのが一点。次に、大人の顔はみんな違うのに、自分に聞いてくることが、いつも同じことばかり、例えば「学校は面白いか?」などのどの大人も聞いてしまうことにうんざりしてしまったからというのが二点目。で、いつの間にか、そうやって、聞くかれることが恐れになり、目を合わせさえしなければ聞かれないことが多かったことに気づく。そういう子どもは、不幸にも、目を合わさなければ聞かれないという溝のようなものにはまってしまう。そうやって周りの大人が、どうでもいいことばかり聞くから目を合わせて話せなくなる子が増える。であれば、大人が本気で、または、本当にその子に聞きたいことだけを聞いてあげれば、目を合わせて話せない子どもたちが、これ以上増えることがないだろう。

4月7日 No.701
「良い本」っていう基準はないし、「悪い本」っていう基準もないのが本!!
親は、子どもに良い本に出逢わせてあげたいって思う。そう思うのなら、自分で探すかと言えば、そうではない。自分が信用している人に聞いて、その人が「この本はいいよ」と言ってくれたり、マスコミで子どもたちに大人気という本だったり、あの人が言ってくれた本ならきっと良い本だろうと思われる本を「良い本」ということにしているのだ。それで親は自分で選ばず、ましてその本を読むかといえば、本人は読むことはせず、子どもに与えるという形をとる。親が、いくら「良い本」「悪い本」の基準だけほしがっても、選ばず読まずでは、基準ができるはずはない。僕は、そんな大人たちの姿を見ている子どもたちから、基準を教えてもらったし、さらに規準まで授けてもらったけど、今の時代では必ず悪用乱用されるので、その日までシークレット!

4月6日 No.700
社会ってさぁ、本当のことばかり言うと、生きていけない世界なの?そりゃ子どもたちが希望を持てないわけだ!!
社会に出たとき、立派な大人になれない!と言う、大義名分のせいで、子どものころ、何てことないことでもよく叱られた。自分が社会に出てみりゃ、周りの大人は、本当のことを言わず、または、本当が何か分からず、または、本音を言って生きていけるほど、世の中はあまくない、と思っているヤツばかり。そのくせ、今も、子どもには、うそを言ってはいけないって、平気で言うんだよね。自分たち、大人は、うそばかりの中に生きていて、よく言うよ、まったく。そりゃ、今の社会じゃ説得力がないから、40才でも、まだ親に食べさせてもらう大人が増えるわけだ。まして、そんな社会に、子どもたちが希望を持つわけがない。

4月5日 No.699
嬉しい報しらせが届いたとき、すぐ連絡して聞いてもらえる友達がいるかい!!
試験に合格する。優勝を決める。何年も連絡がつかなかった友達から、便りが届く。人によっていろんな嬉しい報らせがあると思う。この嬉しい報らせを誰かに聞いてほしい。そうだ、あいつに電話して、聞いてもらおう。そして、聞いてくれた友達が、これまた、自分ごとのように喜んでくれる。もう、最高の気分!心から、その報らせをもらったことに感謝してしまう。嬉しい報らせをもらったときに、いい言葉がこの国にはある。その報らせを聞いて、朗らかになると書いて、「朗報」という。本当にいい言葉だなぁ。

4月4日 No.698
あっそうか、と分かったときの喜びは、貴重な英知である!!
本を読んでいたり、人の話しを聞いていて、あっそうか、とか、なーるほどね、と分かったことがあると、何だかとっても喜ばしい。なんだ、そういうことだったのか、やっと理解できたと思えた体験は、自分の人生で、何度も英知として活用でき、また、応用できる。一つの理解から、応用するためには、英知が必要になる。その英知は、自分が心の底から理解したものをいう。高校までに、授業で詰め込んだ知識より、体験や経験から、分かってきたこと、しっかり理解したことの知識は、自分にとって本物の知識として、働きをみせる。

4月3日 No.697
指先に、さかヅメができると、「親を大事にしてへんから、できるんや」と、よくお母んにいわれたなぁ!!
今日、コンビニで、左手におでんのはんぺんを持ちかえたかと思うと、中指の指先を、お母さんに見せながら「しみるぅー」と言いながら、メソメソしている男の子をみた。どうやら、さかヅメにおでんの汁がしみて、痛いみたいだ。お母さんは、男の子の指先を咥えてねぶったあと、カバンからバンソーコーを一枚とりだすと、指先に巻きながら張り、「はい、これでもう、大丈夫だから、早く食べなさい」と言い、男の子は、指先をチロッと見ると、満足そうにはんぺんをバクバク食べた。食べ終わると、コンビニ中を走り回って、お母さんを困らせていた。ホントかもしれないね、親を大事にしないと、さかヅメができる話し(笑)。

4月2日 No.696
子どもが小さいころしか、親子でお風呂に入って、童謡やわらべうたが、うたえないこと忘れてないよね!!
親子で歌を歌えるなんて、めちゃくちゃいいことじゃん。中学生になっちゃったら、もう、頼んでも入ってくれないよぉ。小さいころに一緒にお風呂に入ってさぁ、たくさんの童謡やわらべうたを歌っておいてあげてほしい。それはきっと、受け継がれると思うから。知ってる童謡やわらべうたのさびだけでもいいじゃん。その部分をフリまでつけて、歌ったなら、子どもの体に刻まれるさぁ。親子の、裸のつきあいは、わずかしかないこと、忘れないでほしい。

4月1日 No.695
息詰まるのは大抵、大人がつくった常識が原因。行き詰まるのは、決断力のない自分が原因!!
まぁ、大人というのは、自分の分からない部分を、まったく分からないし、分かろうともしないし、認めようとしないし、正そうともしないし、単純に知ろうともしないし、知ることを怖がるし、怖がるくせに、子どもたちを知ろうとする欲求で、子どもたちを怖がらせ、怖がらせている自覚ももたないやっかいな生き物だと思う。そんな大人どうしが、常識の世界をつくり、それに縛られてりゃー、世話がない。そりゃ息も詰まるわなぁ。そして、「私は本当はこうしたかった。でも・・・」と、決断力の不足の連続が、そのうちなれっこになり、行き詰まる。そんな大人が、常識にもとらわれず決断力の塊みたいな子どもたちに何を教えてゆくのだろう。