ブックドクター・あきひろの
イチニチイチゴン



2月28日 No.663
早い話しが、親がなんでもかんでも口を出す、子育てならぬ、口育てなのさ。
子どもたちが「これは何かなぁ?」と思いながら、ある植物を見ていたとする。ギザギザで山がバラのとげのように尖っている。ちっちゃい指先で、痛くないようにそーっと触れる。そしてあちこち観る。満足するまで自分なりの点検をすませてから「おかあさぁーん、これ何ていう草ぁ?」お母さんが、それを見て「あぁ、それはアロエっていう植物よ。別名、いしゃいらず。お母さんが小さいころ、やけどしたときや、虫にさされたときやなんかに、よくおばあちゃんが、この葉をピッとちぎってサっとむいて、中の汁をぬって治してもらったなぁ」などと、ただ単に答えをいうのではなく、小さいころの話しを語ってあげる。これが健全な子育て。口育ては、それを見ていたお母さんがいらいらして、子どもから聞かれもしないのに「あんた、さっきから、アロエなんかみて何しとんの?」という(笑)。これでは想像力、探求心、話術、好奇心、構築力などいろんな子どもの芽がつまれてしまう。

2月27日 No.662
太陽は、白光で語りかけながら昇り、朱光で語りながら降りて往く。
アメリカ・インディアンの格言である。確かに、日が昇ってくるときは、東の空を白んじて昇り、沈んでいくときは、周りの雲雲や、空を朱に染めて沈んでいく。その地球の語りかけを何千年も語りつぎ、その日に何を太陽に語ってもらったかを、夕食のときに、お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃんに聞いてもらうのだ。そして、おじいちゃんが孫から何を聞いてもこういうのだそうだ「それは、いい事を語ってもらったねぇ。しっかり眠って、夢をみたなら、夢に出てきた人たちに、もう一度今の話しを聞かせてあげなさい。それが、おまえの糧とあるから」と。そうやって、太陽の光からの声を、語りかけを、聞こうとする耳を育ててあげるのだそうだ。

2月26日 No.661
周りくどい言い方をする人は、どこにでもいる。いちいち腹をたてていられないよ。
周りくどい言い方をする人は、その周りくどい言い方を身につけるまでに、相当、自分が悪く思われないよう工夫してきたのだろう。言い換えれば、自分が少しでも悪く思われず、自分のそのときの、意にそぐわない気持ちを、いかにして相手に察してもらうか、処世術としての言い方を身につけてきた人たちなのだ。だいたいこの言い方を身につけた人は以下にあげる人たちなので、みなさん、どうかこれからどこかで出会ったら、温かく聞いてあげてほしい。1「自分では、やりたくない、とはっきり言えない人」2「自分が嫌われることが怖い人」3「自分で責任を取ることから逃げてきた人」4「何につけても、自分で選ぶことをしてこなかった人」5「人の顔色ばかり見てきた人」6「肝心なときに勇気を出した体験がない人」7「自分のプライドが傷つけられることを恐れる人」8「地位・名誉に固守する人」9「立て前で生きていくことを受け入れた人」10「厳しさから目をそらす人」。ちなみにこの十訓は愚憐報者の言(ぐれんぽうじゃのげん)という。

2月25日 No.660
碁の世界では、普段、優しい人ほど、厳しい碁を打つと言う。
これは、普段、温厚な人が、いざ何かを始めると、鬼と化したり、普段、穏やかな人が、目の前で、悪行を目の当たりすると、突然、別人になり、果敢にも、その人の悪行を正す行動にでたり、普段、虫を見ただけで、悲鳴を上げていた人が、我が子のこととなると、人が変わってしまうほど怒ったり、人の中には、周りの人がイメージしていないような、自分が棲んでいる。人間一人一人には、必ず、その人しか解らぬ大切にしている指針があり、そこに何らかのものが触れると、人が変わってしまうのだろう。または、変化を及ぼすのだろう。だが不思議に共通していることがある。自分では変わったつもりがなく、これで怒りが湧かなきゃ人じゃない、と思っていることである。人を識ることは、やはり難しいなぁとしみじみ思う。

2月24日 No.659
一品一品の中に、必ず逸品がある。
何気なく、街頭を歩く。ふと、ちょっと古びた店を見つける。店の外見は、古本屋さんのような、質屋さんのような感じだったのに、実は骨董品屋さんだった。店の中に入ると、世界中から取り寄せられた品物で棚という棚がぎっしり埋め尽くされていた。一品一品に時代の特徴や、その国の風土が感じられる。奥へ進んでいくと本棚があり、これまた、いろんな国のいろんな文字で書かれた本を取り寄せてあった。背表紙でうまった両サイドの本棚の通路を歩くと、映画のワンシーンに出てくる、ヨーロッパの古い図書館いるような感じになった。ふと一冊の本が目に入った。そっと本棚から出す。それは、アメリカの自由詩の祖といわれるウォルト・ホイットマンの詩集本だった。レジのおじさんに持っていくと、こう言われた。「この本は、6年待って、ようやく先週2冊入ったんだぁ。それほどの逸品。そして、一冊は今日の午前中、若いころアメリカに留学していたという白髪の御婦人が、そして、午後、君が。同じ日に。不思議だねぇ」と微笑んだ。ちょっと値が張ったけど、逸品と出会えた。

2月23日 No.658
小さい頃、その当時の大人たちからは、確か、「学校は人を創るところ」と聞いていたのになぁ!?
時は流れ、今、学校は勉強しにいくところになった。夏目漱石の「坊ちゃん」を読んだとき、学校が勉強するところっていうイメージは全然わかなかったなぁ。ふと、漱石が今の時代に生まれていても、あの名作を書き上げることができたのかなぁ?などと思ってしまう。当時は、学校は人間形成の場であり、社会に飛び立ってゆけるような、人を創る場だったと思う。これからは、各家庭単位でそれぞれの方法で、我が子のココロを創っていかなければならなくなった。でも、心配はいらない。だって、この国には、神話があり、優れた昔ばなしがあり、ココロを豊かにする絵本があるのですから。

2月22日 No.657
お年を召された方は皆、必ず、よけいな言葉を省いた、いい言葉をもっている!
自分の体の中には、いったい何語ぐらいの言葉を宿しているのか、知ろうとしたことがあるでしょうか?僕はまだまだ知らないので千語ぐらいだと思う。もちろん千語ぐらい知っていても、それを日常会話で、使えるか使えないかを聞かれると、恥ずかしいかな、使えない方である。そこへいくと、お年よりの方たちは、何気ない日常会話の中に、とてもいい言葉を織り込んでいる。それもだらだらとした、余分な表現なく、すっきりしている。それは、いろんな言葉を知っているだけでなく、そのいろんな言葉を使える証拠なのである。みなさんも、お年を召されている人たちが会話をしているのを見かけたら、聞き耳をたてみてはいかが。むちゃくちゃ勉強になると思う。

2月21日 No.656
自分で自分の才を知りたきゃ、照れくさがらずに、勇気を出して聞いてみよう!
自分には、どんな取り柄があるのだろうか?自分のどんなところがイイのだろうか?こんな自分にも、道が違えばもっと別の人生が開けていたのだろうかなど、みなさん、自分のことを見つめたことがあると思う。でも、こういう空想的問いが出てくるのは、自分のイイところを、聞いてこなかった自分がいるからである。親や友達、先生や先輩など、ちょっと自分を誉めてくださった方に、照れくさがらずに勇気をだして「今回、私のどこが良かったのか」素直に、聞いてみたらいいのである。親友なら、たくさん悪いところも合わせて言ってくるだろうが、それでさえも聞いたことで、自分の知らない才能を教えてもらうことは、自分の心に重要なビタミンをもらったようなものである。

2月20日 No.655
人間関係において「絡まること」は、悪いことばかりじゃないよ!
あいつが絡んできたために、話しがややこしくなったとか、あいつが絡むと、いつも陸(ろく)なこと起きねぇとか、「絡む」とか、「絡まる」とか、つくと悪いイメージの解釈が増えてきた。でも、人生をよく振り返ると、たった一人の素敵な出会いが、次の素敵な出会いを呼び、どんどん良縁が絡まってきたり、不注意や患い事で、入院したおかげで、自分の体への意識がずいぶん理解でき、それが機会となって、退院したのち普通の人より、医療全般に詳しくなったり、いろんなことが、いろんな場所で起きる。そして、そのそれぞれのいろんなタイミングで「絡まること」は、人生を豊かにする、とてもいい事である。そんないろんな幅があることが、次に「絡まる」のかもしれない。

2月19日 No.654
大人が格好から入るんだもん、子どもだって格好からそりゃ入るよ!
都内の有名スポーツ店に立ち寄った。野球道具の階にいった。そしたら、八列ぐらいびっしりいろんな野球道具で飾られていた。そのうちの2列の両サイドに、グラブの陳列棚があり、お父さんと小学校5,6年の男の子と3,4年の男の子の兄弟が、「これがいい」と言っている。「ばか、よく見ろ、これは大人用だろ。下手なおまえが、こんなもん使ったら、手に合わなくてボールを落としてばかりでよけいに下手になっちまう。な、だから、今回は、上手くなるまでさっきのにしろ!」と言って、少年用グラブの方へいってしまった。兄弟も納得いかずしぶしぶ着いていった。僕がどれどれと思って、そのグラブをみると色は黄色調できれいなブルーのラインが入って、とってもカッコイイ。ふーん、あの子目が高けぇーじゃん、と思いながら、ふとラベルをみた。そこには、「メジャーリーガー ☆イチロー☆モデル◎ \!!!!!」となっていた。わかるなぁー、その気持ち。

2月18日 No.653
その場を救う一言ってあるんだよねぇ!
みんなが緊張している空気で、埋め尽くされている会議室。「これだけの人間がいて、誰もこの危機を乗り越えようとする案をもっていないのかぁー。あぁーっ!誰でもいい。何でもいい。何かないのか?おまえらー!」「・・・・・・」し〜ん。みんなが、その場の空気に押しつぶされそうになっている。そのとき、たった一人、ゆっくり手を上げた人間がいた。前で怒鳴っていた進行役が、「なんだぁ、いってみろ」と言った。「あっ、はい。あのー、トイレで考えて来ていいですか?」と、お腹を押さえながら苦しそうに言った。そのセリフと格好に、みんなの緊張の糸がプツリと切れ、大爆笑。進行役も笑いながら「ははは、おまえってやつわぁー、早くいってこい。もどって来たら、いい案を聞かせてくれー」と言った。小一時間後、みんなで出し合った乗り切る案が生まれた。あの一声が、すべてを救ってくれた。本当にすべてを!

2月17日 No.652
人から人へ伝わる速度が最も早いのは、大人社会は悪口、子ども社会は楽しいこと。悲しいねぇ、大人わぁ!
大人社会ってやつぁ、悪口を聞かない日がないってくらい、誰かれと悪口をいう日々を送っていまさぁ。昔から、人の不幸は蜜の味ってぐらいだから、大人ってやつぁー、よっぽど悪口をいってる自分が好きなんだろうねぇ。まったくやになっちまう。そこへいくってーと、子ども社会ってやつぁいいねぇ。なにがいいって、そりゃおめぇさん、子どもは楽しいことに真っすぐってだけで、解りやすくっていいやね。楽しいことを、あっという間におにちゃんから、ちっちゃい坊やまで、広めちまう、あの伝達能力。伝えるってやつぁーこうでなくちゃ。あっしたちゃ、坊やたちから本気で見習わなきゃいけねぇな。あっしはつくづく思うねぇ。いつの時代も本当に大人ってやつぁー、救えねぇ悲しい生き物だねぇ。空想江戸下町文句帳 杉の本昌衛門より。

2月16日 No.651
解らないことが恐い大人。解らないことが平気な子ども。
大人は解らないことに直面すると、固まってしまう。なぜなら、解らないから教えて?と聞くことが恐いからである。子どもは、解らないことに直面しても固まることなく、「じゃ、その答え教えて?」と聞いて、前にどんどん進んでいく。ところが、子どもでも、これが教室になると、解らない箇所に直面しても、素直に聞こうとしない。ただ時間が過ぎることを願い、前に進んでいこうとする。学校の外での素直さを、教室だと自分で閉じてしまい、学校にいる間の時間を、他ごとを考えてでもやり過ごそうとする。これは、大人の背中姿の反映である。つまり、教室にいる間だけ「あたりさわりなく」いようとする。これを防ぐには、大人が人前でも、解らないとき、それを教えてほしい!と聞く姿を、あちこちで見る社会でないとなかなか防げないだろう。これにぴったりのいいことわざがある。「聞くは一度の恥。聞かぬは一生の恥」

2月15日 No.650
絵本の世界は、見たこともない、聞いたこともない世界を体験できるから、面白いんだょ。
新刊の絵本を開くのは、とてもわくわくする。この絵本は、どんな世界に誘(いざな)ってくれるのだろうって。感受性豊かな子どもたちなら、もっとすごい感覚で引き込まれてしまうのだろう。箱の中に海が広がっていたり、雲に手が届いたかと思えば、そこには、ライオンやゾウに出会えたり、自分の気持ちを絵本の中の主人公がいい当てたり、実際の真っ暗の部屋は怖いくせに、絵本の中の真っ暗な部屋では冒険できるほど、勇気がわいたりする。こんな体験を大人は疑似体験というが、僕は疑似だとはぜんぜん思っていない。なぜなら、ほとんどの大人は、子どものころの感覚を忘れているから。すべての子どもたちは、絵本の世界を、「今、疑似体験を、この絵本でしているんだなぁ」という意識はない。つまり、「ダイレクトに体験」している意識しかない。だから、大人と子どもとでは、面白がり方がぜんぜん違ってくる。それは、見た目も聞き方も。やっぱすごいなぁ、子どもらは!

2月14日 No.649
何度も繰り返す中に、新しい変化がある。
プロ野球の選手、サッカーの選手、プロゴルファー、将棋・囲碁の世界の聖人、代々受け継がれてきた職人技をもつ人など、超一流の人たちは皆、繰り返し繰り返し、毎日、自分がこれをしないとおちつかないと思う、何かを自分に課せている。一般の人から見れば、「同じことをやって何が楽しいんや」と思うかもしれない。だが、超一流の人ほど、自らの意志をもって、繰り返すことは、何よりも大切だということを知っている。そう言えば子どもも、気に入った絵本は、飽きることなく、何度も読んでぇーとせがんでくる。ということは、子どもは、みんな、すでに超一流の感性の持ち主なのだろう!

2月13日 No.648
なかなか上手く行かないと思うか、なかなか上手くいかないことは解っている。だけど・・・、と思うか、はあなた次第。
「なかなか何をやっても上手くいかねぇなぁ」とぼやく人がいる。その人は、本当に何でもしたのかなぁ、と思ってしまう。どんな人生も、死ぬまで上手くいく人生はないはず。また、どんな道を選んでも必ず、上手くいくことばかりは続かないことは解っていたはず。その理りを解っている人は、上手くいかないときに、そこで滞ることなく、上手く切り抜け切るまで、あの手この手を使う。結局、ぼやく人から見れば、あいつばかり上手くいきやがって!と、ぼやきを重ねることになる。上手くいかないときは、だけど、まだ何か他に打てる手があるはず、という精神で。上手くいってるときは、次なる目標に向かう精神で。

2月12日 No.647
気の合う仲間と、気の合う時間を過ごせることは、何よりの命の洗濯。
僕の一年は、その日、始めて出会う、と言う日が多い。子どもたちにしても、PTAの皆さんにしても、作家のみなさんにしても、新しい仕事上の人たちにしても、なんせ、僕らの仕事は、その日始めて出会ったというのに、意気投合させてもらえる。これは、みなさんが行く先々で恵みある機会をくださるからだと思う。だから、うちのメンバーはみんな、人と出会うこと、そのものが好き好きでたまらないらしいといった感じである。いつも、わくわくしながら会場までいくから。事実、車の中は、言葉では言い表すことができないほどいい雰囲気である。そんな日々の中、昔からの仲間とも、テーブルを囲みながら!?(^O^)、朝までわいわいという日もしばしば。気の合いつづけてきた仲間が、気の合うことをしながら、気の合う時間をともに過ごせる、ということは、何よりの命の洗濯である。本当に、みんなに、ありがたいなぁと心から思う。

2月11日 No.646
子どもたちは、大人が心配しすぎることを、心配している。
毎週毎週、目もあてられないひどいニュースが飛び込んでくる時代になった。その度に、親のみなさんは肝を冷やすことだろう。「我が子がこんな事件に巻き込まれたら・・・」と。そこを心配すればするほど、心配はつのるばかりである。でも、生きていかなきゃならない。だから、自分の子どもだけはしっかりさせなきゃ。どうやって?「・・・・・・」。自分では答えがでない。だからいつまでたっても心配しつづけなきゃならなくなる。そして、心配しなきゃならなくなることを、こんな気持ちがいつまで続くの?と心配する親を子どもが心配する。そんな親の姿を子どもたちは頭で感じず、肌で感じるから、親が心配で心配でたまらなくなる。親が心配ごとをおくびにもださないぐらい、親がしっかりしていれば、子どもは不思議としっかりした子どもになるのに。

2月10日 No.645
たった一冊の本で、世界感が変わるような本が、必ずある。だから、探してみてほしい。
本を読むのが、嫌いだと言うのは、よく分かる。だって、僕も25才まで本を読むのが大嫌いだったから。でも、今はめちゃくちゃ大好きになった。こんなに好きになったのは、何でだろうって考えていたら「そうか。あの一冊の本に出会ったからだ」と、思いだした。なぜ、考えなければ思いださなかったんだろう?ということまで思い出した。その本は、そのときの僕の気持ちを、恐いほど言い当てていたため、その本のタイトルは死ぬまで、心の奥底に閉じ込めておこうと思ったからだ。だから、思い出さなければならないほど、あの本嫌いだった僕が、本を読んできたんだなぁとしみじみ思った。たった一冊の本が僕の世界観を変え、本嫌いな僕から、本好きの僕に変えた。そんなこんなで生きてきた僕が今思うのは、人の言うことは、全然聞かない僕が、本の言うことは、気がつかないうちに聞いているってこと。こんな僕が、みつけられたんだ、みなさんなら、もっと楽勝で見つけられると思う。

2月9日 No.644
人生に、勝ち組も負け組もないの。なぜなら、人生は山あり谷ありだから。
勝ち組とは、何に勝った人たちを言うのかなぁ?成功者になること?有名人になること?大金持ちになること?これはちょっと違うなぁ。だったら大金持ちの家に生まれ落ちた子どもは、それだけで勝ち組なわけ?そんなばかな。大金持ちの父の七光りで一見、勝ち組っぽいけど、息子の代で、財産を喰いつぶしたり、失敗したって話しが山ほどあるからね。だから勝ち組と成功者は必ずしもイコールじゃないからね。対して負け組は、何をやってもしくじってばかりのイメージがある。だがこれもしっくりこない。先のノーベル賞、受賞者のお二人の話しや、ど貧乏の家に生まれ落ちながら、本人の才覚で成功者になったって話しも山ほどあるからなぁ。だから、今流行っている勝ち組、負け組は、人が羨むいいくらしをしているか、していないかをイメージする。そんな組に入らなくてもいいじゃない。食卓を囲んで、笑い声のたえない家族をもっていれば。

2月8日 No.643
人間は頭脳が発達したんでしょ。だったら、自分で自分のことしなきゃ。
肉食動物は、自分のエリアをもち、そのエリアを巡回して、外敵やライバルに自分の存在をアピールし、自分で餌さを探し、自分で餌さを見つけ、自分一人で狩り、ようやく腹を満たす。すべて、自分で考え、自分で行動する。人間は、現時点ではこの地球上で、一番最後に進化した動物。それなのに自分で自分が何をするか解らなくなっている。動物にも劣るかもしれない。人間は、考えたことを言語を使って、コミュニケーションが取れ合える動物なのに。なまじっか文明を発達させすぎたために、楽を覚え、欲を覚え、自然を忘れ、何をしていくかさえ、考えようしなくなった。悲しいねぇ。

2月7日 No.642
いい言葉を聞くことも縁。いい文章に出会うのも縁。
今年に入ってから、いい言葉に出会う機会が多い。ありがたいことである。オークビレッジの稲本 正さんの話しの中で「子どもの心と、木の育ち方は同じで、放ったらかしと、放っておくことはせんぜん違う」とか、中山千夏さんの「感じたまま、書いたら、こんないい絵がついてかえってきたの」とか、筑紫 哲也さんの講演の中の言葉で「スローライフ(この時代にあえて、ゆっくり、じっくり生きてゆく)」とか、小室 等さんの授業を受けていて「今、僕の声の質で、その歌の思いを一生懸命伝えようとしている。すると歌を歌う楽しみ方が、昔と少し変わったきたんです。それを今、とても楽しんでいます」とか、いい言葉を聞かせていただける縁をもらった。さらに矢崎泰久さんの話しの特集40周年記念号の中で、たくさんのいい文章に出会える縁をいただけた。見たり、聞けたり、嗅げたり、味わったり、触れたりするのも、縁がないと、なかなか出会えないんだなぁとつくづく思う。

2月6日 No.641
親が子どもの悩みを、つくっていたらいけないよ。
どうしてうちのお母さんは、Aちゃんとこのお母さんみたいに、笑っていないんだろう?何でいつも、心配そうな顔で僕をみるんだろう?どうして、今しようとしてるのに先に言ってくるんだろう?どうして、お母さんはおばあちゃんの悪口ばかり言うんだろう。僕にはあんなに優しいおばあちゃんなのに。どうして、お父さんに文句ばかり言うんだろう?どうして、僕はこのうちに生まれてきたんだろう?何でAちゃんちの子で生まれてこなかったんだろう?何で・・・なんだろう? 親は気がつかないうちに我が子に悩みの種をつくっている場合がある。知っておいてあげてほしい。子どもの心の中には、いつも切実な問いかけや悩みがあることを!そして、いつも語りかけてあげていてほしい。僕はこう言ってきた。「俺も解らないから、一緒に探そう。でも今は、解らなくてもお父さんやお母さんを信じてほしい。どんなに叱っていても、決して憎くて言ってるじゃないことを!だから、ともに一生懸命生きていこうぜ」と。

2月5日 No.640
一旦動き出したら、もう、止まらないよ。
動き始めたのに、ちょっと待って、と言えるのは、優柔不断のタイプ。これ、結構しんどいんだよ。つまり、フライングなわけ。その人以外、もう一度、モチベーションを練り直さなきゃなんないの。その人は解んないの。知らないんじゃなしに、ただそういう感覚が解んないの。いくら、その人に怒っても無駄ってやつね。だから、そういう人に合わせて、止めちゃう必要は無いわけ。つまり、その人だけ置いていけばいいわけ。あとは、その人が追いかけてくるか、追いかけてこないかは、その人の問題なわけ。それが本当のチームワーク。だって、それまでに肝を据えてスタートラインにいたわけでしょ。それを、その人がブチ壊すこと事態が、どうかしてるわけ。待たずに置いていく!それが一番、上手くいく。その人のためにも・・・・・・。

2月4日 No.639
悲しさは、乗り越えるもの。哀しいさは、暮れていくもの。
これは、僕のおばあちゃんが大好きだった詞(ことば)。慈悲なる悲しさは、自分で乗り越えていくためにある。父が逝く、母が逝くなど、悲しみを越えてこそ、真の喜びを味わえる。また哀しさとは、自分の力ではどうしようもない切なさや慕情からくるため、日が暮れるように、哀しみが暮れるまで、偲んであげることで、つながっていたい想いをいう。しかし、いずれその哀しみは喜・怒・哀・楽の順通り、人生をより楽しむための一刹那である。人として、「悲しみを知らぬは鬼、哀しみを知らぬは邪」に、なりたくないものだ。

2月3日 No.638
あなたは、チャンスを待つ人?チャンスを得る人?
チャンスを待っている人の多くが、万に一つのチャンスが、目の前にきても、掴む勇気がなかったために、せっかく何年も待ってきたのにチャンスを逃がしてしまっているように思う。これは、今が勝負だぁ、と敏感に感じる感性を、普段から錬磨していないと、なかなか手にすることができないむずかしさからくるためだろう。これに対して、チャンスを得る人は、動きながら、得ること、獲ること、選ることを常に行っているため、選別能力が長けている。そのためチャンスを逃すということがない。または逃がさないように、普段から、いろんな試みをしている。あなたは、どちらのタイプになりたいですか?

2月2日 No.637
努力って、結果がどうなるか解らないからするものなのかなぁ!?
今日、駅の構内の喫茶店で、上司が部下にぷんぷん怒りながらこういった「おまえは、努力が足りんよ。結果がどうなるか、だれも解らん。だから、みんな死ぬもの狂いでカゲで努力するんだ。おまえは、努力が足りんから、いつもこんな結果になる・・・。」と、同じことをぐちぐちいっていた。多分部下が、ミスを侵し、その上司と謝りに言って来たのだろう。努力って、結果がどうなるか解らないからするものなのかなぁ?その台詞を言っていた上司は、すごく努力をしてきたんだろうなぁとは、とても感じられない。むしろ、努力なんかしたくないと言わんばかりの表情だ(笑)。もともと努力とは、いつ報われるか解らないけど、あきらめず精を出して励みつづける己自身の心の姿勢をいう。会社や上司の欲するための結果を、取ってきてあげるために、努力があるのではないのさ。

2月1日 No.636
ある期間に集中して、その科目を学んだり、習い終えて修得することを修めるという。
博士号を修得された方は、よほどのことを体に修めたのだろう。世の中は、ものを学ぶことに困らない。英語、介護、習字、ピアノ、スイミングなど、恵まれた国、日本はありとあらゆることを修められる、学校がある。自分が進みたい道の知識を頭に修め、技術を体に修める。自分の体は、修めたいことを無限に修めることができる。でも体はとても面白くできていて、楽しくなかったり、おもしろくないと、修められなくなってしまうようだ。体は正直だなぁ。