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| 12月31日 No.604 大晦日に皆が集い、お伊勢参りに行く! |
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| 毎年、大晦日は1年間に起きたいろんなことを、語る。どう語るか。ははは。これが笑い草だが、日本の全ての神社の、頂点に立つ、その名も伊勢神宮(内宮)の宇治橋の大鳥居まで。延べ、42.195kmを13時間かけてただひたすら歩く。この歩く間の13時間に集ったメンバーが自分の一年間のトピックスを語り合うのである。これが本当に楽しい。一歩一歩、歩を進めるたびに、昔の人たちのすごさを体験する。昔の人たちはスニーカーもなくわらじで、42.195kmどころか、何百kmを何日も前から出発し、ただひたすら歩いてきたことに驚愕し、驚異する。それを毎年、大晦日に体験することが、本当に初心に返る修行となる。みなさんも機会があればいいが?(笑) | |
12月30日 No.603 人々に災いをもたらすという禍神(まががみ)が家に入り込まぬよう、しっかり注連縄(しめなわ)飾ろう! |
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| 我が一族は、毎年30日に必ず、鏡餅と注連縄を飾り、新年を迎える。なぜ30日かと言うと31日の前日は「一夜飾り」いって福神が嫌うからである。宮大工だったおじいちゃんは、日本中に残るいろんな習わしについてくわしかった。そこから、口伝によって、この習わしや慣わしを今もって、僕、五代目が継いでいるのである。今まで日本のあちこちで残っていた習わしや慣わしが、どんどん無くなろうとしている。我が一族だけでも口伝で継いでいこうと、あらためて思った。 | |
12月29日 No.602 子どもがいつも真剣になるものは、面白いものと思ってまず間違いない! |
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| 子どもが真剣になるものは、面白いものが多い。子どもが大人を見ていても、面白い大人を見つけたときは、自然体で真剣になっている。例えば面白い先生は、子どもを真剣にさせることができるが、面白くない先生は、やっぱり子どもの真剣さを引き出すことがでないので、怒ってでも真剣にさせようとする。そうすればするほど、ますます子どもは面白くなくなるので、真剣にはなかなかなれないのである。ある大人は言う。子どもと向き合うとき、いつも真剣勝負だと。当然であろう。大人はそうしなければ、子どもから簡単に見切られてしまう。そのことを体ってやつは敏感に察知するのさ。だから実は、大人たちは、いつも子どもに真剣勝負にもちこまれている、というのが本当のところだろう。 | |
12月28日 No.601 当たり前なことが何であるかを知らない大人が増えると言うことは、当たり前を知らない子どもたちが増えると言うこと! |
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| 当たり前のことを行うことの基本は、あいさつにあるとカミゥーは言った。あいさつと言う当たり前のことができないようでは、これから先の数々の当たり前のことはすべてルーズとなる。例を上げれば、朝、親に、おはようと言うあいさつができるか。人に良くしてもらった時、親の前でもありがとうと言えるか。親に言われてから言うようでは、まだあいさつ力が身についていないのである。もっぱら、あいさつを、身につけようとしている段階ではあるのだが。どんどんあいさつができない大人が増える昨今、未来の子どもたちはどうなるのだろうとつくづく思う。 | |
12月27日 No.600 頑張っていても、何も起こらないと思いながら、頑張るから何も起こらない! |
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| 私は本当に頑張っているのに、何も頑張っていない人ばかり、良いことが起こって、頑張っている私には何も起こらない。私にとって良いことが!?と。さて、この思考のどこが良くないかであるがまず、周りの人がなぜ、頑張っていないと言い切れるのだろう。人の見ていないときに、大抵の頑張りはあるというのに。次に、頑張っている私、とは、いつも頑張れば、欲しいものを、手に入れてきたのだろうか?そうではないはずである。頑張るとは、人から頑張っているね、と言われるために頑張るものではない。何にでも頑張ろうとする自分が本当に、頑張り続けたとき、思わぬ良いことが起きるのである。 | |
12月26日 No.599 子どもの真剣な顔ってさぁ、伝わるものが本当にあるよねぇ! |
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| 子どもがこの世で、始めて出くわしすモノは、子どもを真剣にさせてしまうパワーがあると思う。ふだん、大人の言うことを聞かない子でも、生まれて始めて、見たり、聞いたり、嗅いだり、味わったり、触れたりの、どれか一つでも出くわすと、顔が真剣になる。この顔が、どの子どももいいんだなぁ。さっきまで、騒いでいた顔もいいけど、真剣な顔は、もう一ついいんだよ。一点を見つめて、じーと、何かの獲物を捕らえようとしている肉食動物に近いオーラを感じさせる。あの真剣な顔は、大人には、悲しいかななかなかできねぇな。 | |
12月25日 No.598 人から人へ伝わることは、たくさんあるってこと、もう一度思いだそうよ。 |
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| 人が人を誉めた話しは、なかなか伝わらない。だから広まらない。それは伝えようとしないのかなぁ。ところが、人の悪口や秘密はすごい勢いで伝わるから、すごい勢いで広まる。これ以外にもいっぱいあるのになぁ。例えば、笑うことは、伝染する。泣くことも、悲しいことも、そこに涙はつきもので、その涙が流れる理由には、感動がある。だから伝わる。美味しいものを食べさせてくれるお店も、口から口へ伝わる。いい音楽コンサートは耳から耳へ伝わる。鼻から鼻へ。肌から肌へ。人が人に伝える手段は、まだまだたくさんあるのさ。 | |
12月24日 No.597 クリスマス・イブです。みんなに素敵な物語が訪れますように! |
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| ある子どもには、あきらめていたものが、手に入りますように!ある中学生には、思わぬ人から、思わぬ報らせが届きますように!ある高校生には、やるだけやってきた達成感が授かりますように!ある大学生には、よきせぬ出来事のおかげで、希望がわきますように!ある社会人には、一度失いかけたチャンスが再び訪れますように!ある年輩の人には、新たな可能性の出逢いがありますように!そして、何より大切な人に笑顔がありますように・・・ | |
12月23日 No.596 子どもって、すごいなぁと、周りの大人に感じさせてる自覚がないから、すごいんだよ。 |
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| 子どもが何かをしてて、頭の中でパッと「これをこうしてみようかな」とか、「あれをああしてみようかな」とひらめいたとき、子ども自身が「今、いいことを思いついた」と思う。そのまま、夢中になって、すぐそのひらめきに取り組む、自覚を持たない自然体のままの子どもたちがいる。そんなところが、周りの大人に、すごいなぁと感じさせてしまうオーラとなる。だから、子どもはすごいんだよ。大人なら、やる前から「これをすれば、すごいなぁって思ってもらえるかもしれない」みたいな、欲からくる計算高いヤツがいる。そんなものは、本当は何もすごくない。 | |
12月22日 No.595 今、大人が子どもが何を考えているのか分からないと言う。子どもも、大人が何を考えているのか分からないと言う。 |
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| 子どもが何を考えているか分からない大人が増えたのは、簡単!自分の子どもの頃の話しをできないほど、生活や仕事のことで頭がいっぱいだからである。そのうちに生活で必要なことばかりを覚えるために、自分の大切な子ども頃のいろんな気持ちや経験を話す前に、どんどん忘れてしまう。忘れれば忘れるほど、今の時代の子どもの気持ちや考えがますます分からなくなる。それと、いろんな意味であんまり、先を見るより、もっと今の足元を見ておく方が、いいような気がする。僕の気のせいに終わってほしいと切に願って。 | |
12月21日 No.594 絵本を一冊読むと、体がすっきりするんだよねぇ。 |
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| 子どもの前で絵本を読んだり、大人の前で絵本を読ませてもらうと、軽く運動をした後のように体がすっきりする。たぶん、カラオケが好きな人たちは、これに近い感じなんじゃないかなぁ。または、軽くキャチボールやテニス、ボーリングを楽しだ後みたいな、あの感じと思ってもらえればいい。読み終えて、「おしまい」と言ったとき、子どもの瞳が輝いているのをみると、たいへんなプレゼントをもらったような気がするんだなぁ、これが。みなさんも一度、絵本を読んで味わってみてください。 | |
12月20日 No.593 子どもはいつもわがままばかり言う。それは、その言い分が通るか通らないか大人に問いかけて図っているのさ。 |
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| 子どもを見ていると、四六時中わがままを言っているかと言うと、そうではないことが多い。むしろ、子どもなりに気をつかいながら「こんなのほしいなぁ」と、つぶやきながら、親や大人の耳に届くように言っている。子どもなりに、そうつぶやくことで、それが手に入るかどうか、図っているのである。そのつぶやきを逃さず聞いている親や大人は、不思議なほど、子どもたちが無理を言わない成長を遂げる。何でかなぁ。多分、その親や大人は、子どもに図られている自覚がいつもあるんだろうなぁ。 | |
12月19日 No.592 頭細い柱は狭くて短い所へ、太い柱は広くて長い所へ立てるから、屋根を支えられる。 |
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| 雨、露、雪などを凌ぐために屋根がある。他にはこれはあまりしられていないが、湿気と温度調節、空調、家の強度を増す役割を持つ。その屋根を支えるのは、細い柱と太い柱である。このように適材適所に、その材木を必要な幅、必要な長さ、必要な量だけ切る。これは、人間形成の行程とまったく同じである。つまり、必要な時期に、必要な長さを、必要な量だけ学んだり、習ったりするから身についていく。それを今の知識教育は、もう、その時期、その長さ、その幅、その量を越えているから、いつまでたっても身につかない。 | |
12月18日 No.591 頭、冷やせって、言われて、よけいにカッと熱くなる!それが感情なんだよ。 |
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| 「頭、冷やして考え直して来い」とか「頭、冷やして出直して来い」とか、僕は毎年言われて、生きてきた。その度に「絶対、頭なんか冷やすもんか。何度、失敗しようが、何度、相手を怒らせようが、僕がしたいようにさせてもらうぜ」って「冷静」に思ってきた。その結果、人に迷惑をたくさんかけたし、人がどんどん離れていった。当然である。でも、頭を冷やすことなく、熱いまま、したいようにさせてもらったおかげで、ほーらみろ、やっぱり僕の言ってた通りの結果になったね、と言うことに為る。それも当然である。だって、相手には熱くなってるように見えているだけで、僕の頭の中はいたって、冷静にものを見てる感情があったんだから。へへへ。 | |
12月17日 No.590 ささいなことが、なぜか、印象に残っていることがある。それは、童心へかえるチャンス! |
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| 子どものときは、とにかく、時間がたっぷりあった感がある。今思えば、何てことない、ささいなことだらけだったのに。子ども時代のことは、ほとんど、大人になると、忘れてしまうほど、ささいなことだらけなんだろう。だから、ほとんどの大人が自分の過去なのに、覚えていない。覚えていないから、大人はなかなか童心にかえりきることができない。でも、大人をしてても、日々の生活の中で、ふとしたとき、ふとしたささいなことを思いだすときがある。そんなとき、体は、自分の子ども時代の感覚を取り戻そうとしているのかもしれない。 | |
12月16日 No.589 説得があって、納得があるんだょ。 |
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| 説得もしないうちから、納得だけしろって言う方がおかしいよねぇ。社会人だって言うんなら、まず相手に無理を聞いてもらうためには、どうやって、言わなければならないか、分からねぇ訳ないだろう。無理を聞いてもらうんだから、ゆっくり、丁寧に、分かりやすく、そして、何が目的なのかを、要点を絞って、はっきり告げること。あとは、誠実なる熱意だろうなぁ。それが出来て、それでも、もともと無理なお願いなのだから、半分以上は断られてしまう恐れが生じることを肝に命じるぐらいの心構えが必要となる。それが当たり前なのに、地位、名誉、金を得た者、一部の議員など、質の良くない人間は立場を利用するのも巧く、一方的に、無理を聞かせようとする。それで、人が動く訳がない。だが、無理を承知でお願いに上がりました的、人間は説得がうまいため、納得して無理を聞いてもらえる成果をあげる。これが本当のジェントルマン。 | |
12月15日 No.588 ワケ分からないことを言う人も、言う子も、確かにいるよ。でもさ、それも聞き手次第なんだよ。 |
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| 「あの人は、いつもワケ分かんないこと言うよね」とか「あの子が、言うことは良く分からない」など、どの地区でも聞くセリフである。そんなこと言たるなよ、と思う。なぜなら、人が人に自分の意志を伝えるには、個人差がでるものだから。じゃ、もし、その人やその子がワケの分からないことを言わなくなったとき、「あの人はいつもワケの分からないこと言うからなぁ」と思われながら、または決めつけて聞かれている状態なら、通じるものも、通じないと思う。どんな人でも、何を言おうとしているのか、聞きとろうとしてあげようよ。同じ、日本人じゃん。それに同じ日本語だもん、きっと分かるさ。 | |
12月14日 No.587 お地蔵様はさぁ、じーとしていらっしゃるから拝ませてもらうのさ。 |
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| この国は、ずーと昔から、お地蔵様をみたらさぁ、汚れを落とさせてもらって、その後に手を合わせて、拝ませてもらうとさぁ、何か、体からすーとさぁ、邪な邪気を取り祓ってもらったように気持ちよくなるんさね。やっぱり、こんなわしらでも、わけへだてなく、浄めてくださるだわなぁ。だからさぁ、いつも、前を通るときはさぁ、手ぬぐいをもって歩いてしまうんだわぁ。そして、こう願わせてもらうのさ。「どうか、みんなが、今日を精一杯生きられるよう、見護りください」ってよぉ。僕の周りには、すげぇーおばぁちゃんがいるんだょなぁ。かなわねぇ! | |
12月13日 No.586 愛と情け心が合わさって、愛情という。 |
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| これは、僕にたりない一つ。愛情を持って、人に接することができたら、どんなにいいだろう。子どもたちに絵本を読ませてもらったとき、よく思うことがある。それは、子どもたちの笑顔を引き出してしまう、絵本作家の人たちは、どの絵にも、また、どの文章にも、愛情を封じ込める能力の持ち主なんだろうなぁ、と。そうでないと、あんないい顔を引き出せるはずがない。今、親たちは、我が子にどうやって愛情を注いでいいのか解らないという。僕も、もちろん、心底、解っているわけではない。だからこそ、絵本作家の人たちが、愛情を封じ込めてくれている絵本を安心して読ませてもらっている。そこには、愛情が必ずあると、信じられるから。 | |
12月12日 No.585 はやる気持ちがミスの門を開き、冷静さの門を閉じる。結果は陸(ロク)なことが興らない。 |
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| 最近、時間に追われているなぁ、と思えるうちは、まだ、冷静さの門が開いている状態。ところが、時間に追われているときほど、余計な用事が入ったり、思わぬことが発生する。すると、とたんに気がはやる。「これもして、あれもして、その後にあれも、これもしとかなきゃなんないッ!」と言う気持ちになる。このとき、ミスの門のカギがカチッと外れる。この状態のとき、「こんなときほど、落ち着かなきゃ」と思うだけで、また、ミスの門のカギを締めることができる。師走は何かと気がはやる時期なので、みなさんも、ご用心くだされ。 | |
12月11日 No.584 難しく考える人は、難しく考えてしまう能力が発達し、簡単に考える人は、簡単に考えられる能力が発達しているのさ。 |
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| 難しく考えてしまう人は、過去にその「難しさ」に関する体験や、失敗から、かなりの影響を、自らの感覚が受けたために、難しく捉えてしまう能力を発達することになったのだろう。また、簡単にものごとを捉えることのできる人は、簡単にものごとが見えたり、聞こえたりしてきたことによって、簡単に捉えられるコツのような部分の能力が発達したのだろう。ここで誤解されやすいのは、悩んでいる人からみれば「簡単に言いやがって」的に捉えて、相手の方を悪く思ったり、簡単イコール単純なタイプ・単細胞タイプ・楽天家タイプに決めつけてしまいがちだが、悩んでいないときは、あんがい自分も簡単にものが見えるのでご注意を! | |
12月10日 No.583 人の心をもて遊ぶ人たちが世の中にはいる。その人たちは、いずれ人に裁かれる。そして、もし、子どもごころをもて遊ぶ人がいたら、その人は、必ず天に裁かれる。 |
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| 親は、我が子が社会という荒波に出るまでに、たくさんの訓えを授けておいてあげようとする。その中に、ぜひ加えておいてあげてほしい。我が子が自ら、手を下さなくても、裁かれることがあるんだということを!親ごころとして、将来、我が子が、不要な危険に近づかないですむようにする、親としての知恵でもある。子どもごころをもて遊んだ報いの天の裁きは、凄まじいものになる、ということも。 | |
12月9日 No.582 長くて辛い道のように感じるときほど、真の近人生(みち)! |
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| 辛いなぁ、嫌だなぁ、もう辞めたいなぁなど、生きている間にいったい何回ぐらい思うのだろう。すべての国民にアンケートをとったら、多分、万は軽く越える平均値が出るような気がする。辛いことから一生懸命逃れたとしても、また別の辛さに出会ってしまう。またその境地からそのまま辛いことに、立ち向かえば、さらなる辛い壁に出逢う。じゃ、何をしたって辛いことに出逢うんじゃないかぁ。その通り!それが人生。人生は辛いものなのさ。でも自分でそのことをちゃんと解っている辛さの人生の人と、受け身の辛さの人生の人とでは、辛さの体感が全然異なってくるのさ。がんばれ自分!どっちが近人生(みち)か、もちろん判るよね。 | |
12月8日 No.581 いくつかある限りないものの中に、子どもたちの発想の豊かさは、間違いなく入るよ! |
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| 校庭にある鉄棒。小さな公園にあるジャングルジム。白紙の紙。絵本やものがたり、マザァーグース。海・森・山・川・がけ・木・水・土・砂・星・太陽・影・ただの棒・草など自然の名称。つまらない授業中。子どもがもの思いにふけるとき、必ず、大人がだれも想像もしたことがない想像の連続と、想像から創造、創造から想像へ目まぐるしく入れ替わる想像の関連性の中から、発想が芽生える。さらに子どもたちが凄いのは、発想の連続や発想から想像、想像から創造、創造から発想などありとあらゆる角度や隙間から、発想の連続化や発想の関連連鎖性を連続しつづける能力にある。大人は必ず、数十もいけばつまってしまい、想像の連続ができないため、なかなかイイ発想まで行かない。だが子どもたちは、いとも簡単に、毎日それができるのである。だから、無限に広がる発想の世界で遊べるんだろうなぁ。 | |
12月7日 No.580 自信過剰、自惚れ、自己陶酔。この三つのどれか一つで、自分に酔える子どもがいたら、それは立派な個性の持ち主! |
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| 今、教育現場で盛んに、子どもたちの個性を伸ばすためには、どうしたらいいか、また、個性を養うためには、どうすればいいかとヤッキになっている。僕から言わせば、簡単。子どもが「ボク、これがしたい」ということはもちろん、何かをやり遂げるまで、大人が見守るだけでいい。危なっかしく見えても、注意したり、怒ったり、叱りたい気持ちをグッと堪えて、待ってあげてほしい。いつまで待てばぁ?という声が聞こえて来そうなので、敢えて一例だけ。子どもが「ボク、これができるようになったんだぁ」という類の、一見、自分に酔っているように見えるまで、と言っておこう。 | |
12月6日 No.579 やわらかなおばあちゃんの手、家族を護りぬいてきたおじいちゃんの手。今も、みんなの手の央(なか)にぬくもりを遺す! |
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| 小さいころに、おじいちゃんと手をつないで、小学校の前にあった、よろずや(駄菓子や文房具を売っている庶民の憩いの場)に、よく散歩がてら行った。あのときのぬくもりが、今も、僕の手にちゃあーんと遺っている。職人の掌なのに、手の平は、不思議なほどやわらかかかった、あの感触。母方のおばあちゃんの手は、シワがむちゃくちゃ多いのに、ふわふわした感触の掌だった。あれから30年。掌から掌へ語られたのだろう。それは、僕だけじゃない。みなさんの掌にも必ず遺っているはず。手の央(なか)にあの大切な感触が・・・! | |
12月5日 No.578 つまずいたから、そこを気をつけるようになるんだよ。つまずくのが嫌だから、すべて気をつけてどうするのさ! |
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| つまずいた個所を以後、気をつけるから、その<つまずき>が実になっていく。でも、まだつまずいてもいないことを気をつけたって、気をつけていたのに、つまずいた、ということになる。何でもかんでも気をつけなさい!じゃ、気をつける個所が増えるだけで、実になる気をつける能力が、いつまでたっても身につかないのさ。気をつける個所に、気を使うだけでエネルギーを使い切ってくたくたになっている、大人と子どもが増えている。こんな人は、いざのときにエネルギーが残っていないから大変だろうなぁ。 | |
12月4日 No.577 日々、みんな時間に追われて厳しい中で生きている。でもさ、でもだよ。みんなの中には、歳端も幼い子どもたちも入っているんだよ。何もまきこまなくったっていいんじゃないかなぁ! |
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| 子どもは風の子、大人は火の子。僕 がガキのころ、よく耳にした言葉だ。その当時の大人は<大人は大人、子どもは子ども>と認めた上で割り切ってくれていた。つまり、内面は「今のうちにちゃーんと、しっかり遊んでおけ。大人(親)になったら、もう、そうしてなかなか遊びたくても遊びにいけんからのぅ」みたいな目でみていてくれていたような気がする。今、大人が子どもたちの時間を、大人の都合で、子どもたちの大切な時間を奪っているような気がする。 | |
12月3日 No.576 数年前、親指族の青少年たちがいた。今、ぶきような中年親指族がわいている。 |
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| 僕もその一人。毎日、ぶきようながら、中年親指族をしている。かつて、青少年たちが、コンビニ、駅のホームなど、街のあちこちで、だらしなく座り込んで、携帯を片手に、親指をすばやく動かしメールを打っている姿をみて、つけられたネーミングが「親指族」。いつも大人たちは、青少年たちに何かしらのネーミングをつけては、中傷してきた。あーあ。今も、中年親指族たちは、そんなことなど忘れちまって、自分たちが親指を動かしているんだろうなぁ。すまねぇなぁ、大人はいつも身勝手で。でもさ、大人の中にいつの時代も必ずいるんだよ。ちゃーんと君たちの気持ちを、本気で解ってくれる大人がさ。あきらめず、捜してほしいなぁ。 | |
12月2日 No.575 あのピカソは、小さな子どもの絵を見てこういった。「子どもは誰もが立派な芸術家である。問題は大人になっても芸術家でいられるかどうかである」と。 |
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| 僕は、絵本を読むのではなく、ただ見るだけのときがある。僕がもし、字が読めない大人だったとして、写真を見るように見るのである。そうするとどの絵本も、すべてのページが小さな美術館になる。一例をあげれば、五味太郎さんの初期の絵本の絵から新刊の絵本の絵を一気に見ると、それはもう、すんげぇー美術館に現れた、大個展会場になる。そこにはピカソのいう、大人になっても芸術家のままの姿がある。あっそう、そう。余談だが写真家の寺崎誠三さんが新宿ゴールデン街酒場「ことじ」2F夜7時から夜中12時まで個展を開いているが、ここにもひとり、大人になっても芸術家のままの人がいる。夜、寝れない人は散歩がてら、あきちゃんから聞いた!といってくれれば写真の世界に生きる、芸術家の意外な一面を魅せてくれるだろう。みなさんはまだ、芸術家ですか? | |
12月1日 No.574 この時代の「幸せ」と呼べるものの中に新しく入るものがある。それはたった一週間、家族で、晩ご飯を食べられること。 |
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| 昔、昔といってもほんの30年前の日本の家族は、どこもみな、一週間どころか、年がら年中、晩ご飯は家族でワイワイいいながら、食べていた。外食は年に2回あれば大喜びだった。でも、この時代、家族が一週間そろって旅行にいっしょに行かけなければ、まず、家族がそろって、箸をつつく思い出となる時間は得られないだろう。子どもが、晩ご飯のときに、飯つぶを飛ばしながら話す姿は、晩ご飯時の、大切なサカナだった。子どものその日あった話しをサカナに食べる、食事は、親にとって最高の晩ご飯である。 | |