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| 10月31日 No.543 けつまづいて、転んだ人を見たら、無意識に手を差しのべられる人間でありたいなぁ。 |
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| 今日、ちょっとした用事で大型スーパーに寄った。2Fの屋根つき駐車場に車を止めて入り口へ向かった。そしたら、おじいさんが車止めの縁石に気づかず、転んでしまった。後ろを歩いていた、中年の夫婦はかわすように、入り口のエスカレーターにのり、次の高校生3人ぐみは、声もかけずクスクス笑いながら横を素通りした。僕は当然、「大丈夫ぅ?」と脇を後ろから抱き抱えて立たせてあげた。おじいさんは僕を見て「この石が見えなんだ、ははは」と自分のどじをちゃかしながら照れ笑いした。正直に言わせていただく。「バチがあたるぜ」と。 | |
10月30日 No.542 自分の目で確認すれば、何が違い、何があっていて、何が求められているかなどいろんなことが観える。 |
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| 新潟は長岡市、小千谷市、川口町、山古志村、十日町市など、ボランティアで回ってきた。被災者の方々が一日でも早く、元の生活にもどれますように!と心から切に願う。今回は、ニュースで見ていた状況と、実際に現地で観た状況が大きく違った。たが情況は同じ思いだった。やっぱり自分の目で確かめに行ってよかった。一つ分かったことは、情報社会と言われるが、この時代のニュースを鵜呑みにすることは、とてもあぶないかも!?と思った。こんな時代ほど、百聞は一見にしかずを、本気で実践したい。 | |
10月29日 No.541 自分ができることをしてあげたいなぁ、と思う、その気持ちがボランティアの種。 |
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| 手べんとうで、だれかのために動けば、それは立派なボランティア!。日本中には災害で困っている人たちのために、自分が何かのお役に立てないだろうかと、思っている人たちが、たくさんいる。特に、日本人は元々情けの民だから、ニュースを見ていて、衝き動かさせられる何かが働くのだろう。稀薄な人間関係も伺える反面、日本人本来の気持ちの働きのあったかさをうかがえると、本当にまだまだ、人間、捨てたもんじゃねぇなぁとつくづく思う。ボランティアで活動しているみなさんに、心から、あなたたちは凄いです!と賞賛申し上げたい。 | |
10月28日 No.540 偶然は無くて、必然があるっていうけど、偶然と思いたい自分は確かに在る。 |
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| ふらふらりと衝動的に出かけ、腹がへってきたなぁと思っていたら、<食堂>の看板が見えたので、旨いかマズイか分からないけど入って見たら、席がガラガラで、しまったぁと思いつつ店員に、さんま定食を注文した。出てくる間に、結構、お客が入ってきて、さんま定食を食べ終わるころには、ほどよく満員!混んできたから、さぁ、席を空けてあげようと思っていたら、[ここ、空きますか?]と家族づれのお父さんに言われ、[ハイ、どうぞ!]と僕が言ってレジに向かおうとしたとき、[あきちゃん?]と言われたので振り向くと[俺、俺、ともだよ。とも逃げの智哉だょ]。[??!オォ、久しぶりやのぅ、何年振りや、中学やから、25、6年ぶりかぁ。おまえ、おっさんやん!?がははは]。15分ぐらい、話しに華が咲いた。お互いの連絡先を交換した。これが必然とは、僕は思いたくない。どうしても偶然と思いたい僕が要るし、偶然は在ると思う、もう一人の僕も要る。それでいいじゃない(笑) | |
10月27日 No.539 思いが通じないとさぁ、心が、ものすごく動くんだよなぁ。 |
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| 思いが通じると、心が、あー良かったと思って、とってもおちつく。しかし、何度いっても通じない、分かってもらえないとしたら、心は急におちつかなくなり、憤りを感じたり、いらだったり、そわそわしたり、そりゃいろんな動きをみせる。人の目には決して映らないはずの心が、動かなかったり、動いたりする。言い換えれば、心が動かないときが安定した状態、心が動くときが不安定な状態といえよう。だからこそ普段から思いが通じるよう、心がけておこう。心が動きださないように。 | |
10月26日 No.538 球には意志がないはずなのに、意志があるように見えるのは、触った人の意志をのせるのかな!? |
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| 久しぶりに野球をした。ガキのころの感覚に完璧にもどってしまった。それは野球の球は、生き物じゃねぇのかな!?と思っていた感覚。本来、球の道筋はだれにも分からない。当たったり、投げたり、受けたり、ころがったり、打ったり、掴んだり、飛んでったり、球はそれはそれはいろんな表現を魅せてくれる。青い空に、真っ白い球があがったりすると、このままずっと見ていたいなぁと思う。球は生き物ではないのに、生きているようだ。本当は生き物だったりして。 | |
10月25日 No.537 予定に振り回されるのは、予定を頼りにしすぎるから。 |
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| いくら予定しようが、予定通りに生きようとしたって予定通りにいかないことが起こる。なぜか?。それは、一秒後に何が起こるか分からないから。予測をしたり、予定をたてたり、予想したりしても、それは、一秒後に大地震が起きる可能性など除いたものをいう。だから、天災が起こると、そんな予定なんか、すぐすっとばす。たとえ、地震が起ころうが、その日は予定通り、進めなければならないような予定を、たてている人はほとんどいない。そんなことを言っていたら、予定などたてていられないからだ。あくまで、予定は、予め定めておくだけのものであって、頼るものではない。まして、頼りすぎるなど、もってのほか。一つ狂うとみんな狂ってしまうからである。 | |
10月24日 No.536 うき足だつと、ろくなことがないけど、ウキウキするって大切な感情だよね |
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| 「地に足をつけなさい。」と今まで何度言われただろう。僕は直ぐ、うき足だってしまうタチだ。この前、ある小説を読んでいたら、うき足だつことと、ウキウキすることの違いを主人公に言わせていた。ウキウキする感情って、うれしいことが起きた後の感情らしい。ちなみに、うれしいことが予想される感情表現はわくわく。ウキウキという感情は過去に重点をおき、わくわくは未来に重点をおく。なるほどっと思った。僕は、うれしいことが起きたとき、ウキウキしながらその後の諸事に当たり、その際、わくわくするようなことを思ってしまうから、地に足がついていないのだなぁと思った。つまり、ウキウキとわくわくと言う感情が同時にきて、ウキウキわくわくしてうわの空の状態、おちつきない状態をうき足だつという。僕はこればかりなので、反省しきりである。 | |
10月23日 No.535 少し、自分が信じられるようになったら、少し、回りくどい言い方を減らせる。 |
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| 自分を信じられれば、信じられるほど、回りくどい言い方を減らすことができる。自分が自分に信じられる部分をもてるということは、自信がついていくと言うこと。そんな部分が少しでもないと、自分でも知らないうちに、回りくどい言い方しかできないようになってしまう。結局、相手に何を伝えたいか自分でも分からなくなってしまう。つまり、回りくどい言い方をしなければ、なぜか相手に自分が嫌われてしまうのではないか、また自分に責任が降りかかってくるのではないか、という怯えみたいなものが、なかなか消えないようになるのだろう。そうならないように、自分で自分の信じられるところをもとう。 | |
10月22日 No.534 親が喜んでくれることがうれしくなったら、心が豊かになってきた証拠。 |
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| 昔からのやんちゃ友達がこんな話しを僕にしてくれた。「この前さぁ、実家に寄ったらさぁ、飯、喰ってけって言われてさぁ、普段なら、うるせぇなあと思って食べないんだけど、そんときは、なぜか、たまにはいいかって思って喰っていったのさ。そしたらさぁ、俺が喰ってるとこ、お母ん(おかん)がうれしそうに見てるわけよ。チョットだけ、仕事の話しと、俺んちの話しをしたらさぁ、喜んでやがんの。あんなことで、そんなに喜ぶなんて思わなかったよ。そんときさぁ、うちのお母んも、年だなぁと思ったわけさぁ」とうれしそう言ったので僕が「あほ、それは、お前が年くったんじゃボケぇ(笑)。まぁ、お前も、ようやくチョットだけ、お母んに目がいくようになってくるぐらい心に余裕が出てきたんやろな。そういう状態を心が豊かって言うんや。」「やかましい。おまえには、言われたないわぁ、ボケぇ(大笑い)」と。 | |
10月21日 No.533 たった一つの熱い思いやりを、人生の先輩からもらうことは、百の苦労を活かしてもらうことに価する。 |
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| 人生には、10年間苦労してきたことが、一瞬にしてパァーになってしまう出来事がやってきたり、何年間も辛い日々が続いていたところへ、さらなる、苦労の種がやってきたりする。すると、俺はいったい何をやってきたんだぁ。俺は何てバカなんだぁ、と自分で自分をせめてしまう。そんなとき、思わぬときに、思わぬ人から、思わぬ一言をもらったりすると、百の苦労がいっぺんに吹き飛んでしまうような気持ちになる。今までの苦労を活かせてもらう気持ちにさせてもらうと、また少しだけ、人生を前向きに歩んで行こうかなという恩恵に出逢える。 | |
10月20日 No.532 意固地になっている人には、意固地にならないよう、意固地になって欲しいものだ。 |
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| たった一人、誘わなかったためにその人がヘソを曲げてしまい意固地になったり、仲間はずれにされたと思って意固地になったり、ほんの些細な話しの食い違いから、意固地になったり、信じていたことが裏目に出たために意固地になったり、意固地になる人は、何かしらの気分を害されたことによる場合が多い。さらに周りの人が辛いのは、意固地になった本人は、自分が意固地だという自覚がないため、たいていの場合は、長引く。しかし、その人の意志を汲む態度で、話しに臨むと、固い地が水を含んだように、やわらかさを見せることをしっておいてほしい。 | |
10月19日 No.531 どこまで逃げたって、逃げた人生の壁は、形を変えてやってくる。 |
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| 日本人で生まれると、人生の最初の壁は、高校受験だろう。早ければ、有名私立幼稚園という、人生の壁を訳も分からず体験する子どもたちもいる。でも、この場合は、親側の壁といえる。このときの目標に向かう心の姿勢のあり方で、その後の壁の立ち向かい方も大きく違ってくる。ここで、逃げた自分が生まれると、一生懸命立ち向おうとする自分が生まれるまで、かなり辛くなると思う。中には、辛さに耐えきれず、いつも人のせいにしてしまう自分を生んだり、どうせ俺なんか何をやったってと自分をさげすむくせをつけてしまう自分を生んだりする。この渦から抜け出ない限り、人生の壁は容赦なく、ここでくじけるな!と気づけといわんばかりに、何度も形を変えてやってくる。抜け出るためには、壁に立ち向かおうとする、勇気ある自分を生むこと。まずたった一日でいい。自分は今日、これをする、と決め、それを何があろうが怠けず実行してみよう。この純粋な達成感こそ、渦から抜け出る種となる。 | |
10月18日 No.530 今日の夕焼けは童謡を、思わず口づさむほど[夕やけ]らしかった。 |
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| 今日は、昼から軽く済ませられると思っていた用事が長引き、次の所へ向かおうと単車に乗って、西の方角に右折したときだった。すんげぇー、夕焼けらしい夕やけだった。思わず、♪ゆうや〜け、こやけぇーえ〜の、あかとんぼぅおー♪とか、♪夕焼けこやけで日が暮れてぇー♪など、ヘルメットの中に僕が一番聞きたくない僕の声が響いた。いつもなら、僕のおんちな僕の声は、僕自身が一番キライなので聞こえないように工夫しなけりゃいけないのに、今日はどういうわけか気にならなかった。きっと、夕焼けが、僕の声をついでに焼いて香ばしくしてくれたにちがいない。今日の夕焼けに感謝! | |
10月17日 No.529 靴は片方では体を為さない。二つで一足。学習もおなじである。 |
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| 学習とは文字通り、学んだり、習ったりすることである。諺にも[文武両道]と言う、台詞がある。つまり、二つあって、始めてその体を為すことがある。これに反して、二頭おうもの一頭も得ず(獲ず)、というのがあるが、これは、欲をたしなめる諺。学習においては二頭だろうが三頭だろうが、たくさん学び、たくさん習う方がいいに決まっている。なぜなら、人生に必要な心の引き出しが増えるからである。あえて欲の延長線上で述べるなら、それを純粋な知識欲という。つまり、心から知りたいって思う気持ちを大切にしてほしいってこと。 | |
10月16日 No.528 もう一度いうよ。昔から未来に至るまで、子育てには、こうすればこうなるという答えがない!という「こたえ」がある。 |
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| 昔のお母さんも、その時代の中で悩みながらも、子育てしてきたにちがいない。それは、未来においても永遠に変わらないだろう。これは確かなことである。でも確かなことは他にもある。それはどの時代のお母さんも、子育てに悩みをかかえながら、その想いは胸に秘め、我が子の前では、笑顔を絶やさないお母さんたちがいた。そんなお母さんが今の時代にももっと増えてほしいと思う。なぜならその子の将来において、いつの日か、友達とお互いの、母の思い出話しに華が咲いたとき、幼いころの母の顔は必ず、笑顔しかないことに気づくから。 | |
10月15日 No.527 木はつげている。杉のように心は真っすぐ、松のように皆、人生は、曲がりくねっているが、必ずどちらも陽のある方に伸びて往くんだと! |
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| 自分が悪いことだと知りながら、悪さをすると、不思議なことに、バチがあたる。僕は何度もある。このバチが当たったときが、樹医さんのやる枝払いなのだろう。誤った方向に伸びようとするとバチが当たってポキンと折れて、自然が修正してくれるのだろう。心も体も曲がりくねらないよう杉のごとく、人生は松のように曲がりくねったり、たくさんの枝分かれがあるが、どの植物も人間も、決して陽を背にしては生きられないのだと。 | |
10月14日 No.526 慎ましく生きていくって、人に迷惑をかけないで生きることとは、チョット違うんだなぁ! |
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| 人に迷惑をかけないように生きていても、気がつかないうちにかけていることってあるんだよね。そして、多くの場合本人だけが迷惑をかけていることを、知らされてないんだなぁこれが。僕は恥ずかしながらこのタイプである。そこへいくと、慎ましく生きてる人は、字の通り、「心」と「真」で生きてるから、できないことはできないとはっきり断り、自分の意見をちゃんと言っているのに、みんなに慎ましい方と思われている。多分、すべてのことを頭で考えるんじゃなくて、心で捉え真が何かわかっちゃうんだと思う。 | |
10月13日 No.525 この世代の子どもはさぁ、何も、男の子と女の子だけじゃない。だって情報社会の申し子なんだよ! |
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| 大人の中には、まだまだ、子どもって聞くと、男の子は元気で、女の子は可愛らしく、といったイメージをもった人が多いんだなぁ。まだまだ、見た目が大事ってことなのかなぁ。このイメージは昔の感覚のままなのに、他は、「考え方が古いなぁ」って言われたくないから、新しい感覚についていこうとするっていう態度はどうなのかなぁ。男の子の中には、元気な子もいるし、女の子っぽい男の子もいるし、女の子よりおとなしい男の子もいるし、ただじっとしていることが好きな男の子など、この世代には、さまざまなタイプの男の子がいる。目を見張るのは、女の子。そりゃもう、男の子の何倍も、さまざまなタイプの女の子がいる。凄い一例は今は、可愛らしい女の子ほど、親の知らない顔を10や20はもっていて当たり前。大人のみなさん、それが新しい感覚ですが、いかかでしょう。 | |
10月12日 No.524 はっきりしなさい、といっているが、本気で子どもがはっきりしたら、大抵の大人は太刀打ちできない。 |
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| 文房具屋にお母さんと子どもが入ってきた。すぐ子どもが、目当ての消しゴムを取って「これっ」といった。僕は何てはっきりした子なんだって思った。その消しゴムは青系でキャラクターの形をした消しゴムだった。お母さんはすぐ値段をチェックすると、別の消しゴムの赤と青をもって「こっちの型の赤か青のどっちかにしなさい」と。すぐ子どもが「いやだぁー」とはっきり意志をアピールした。お母さんは「無理を言わないの」といった。子どもは「じゃ、もう、何もいらない!」とはっきりといった。するとお母さんがなぜかキィッとなって「何、その態度わぁ。こっちなら買ってあげるっていってるでしょ。どっちがほしいかはっきりしなさい。赤?青?」とせまっていった。その子は半べそをかいた。当たり前である。その子は、最初からすべて、はっきりした行動のとれる、しっかりした子である。それをお母さんの都合で形と型を無視し、色やデザインを見ず、一方的にせまるやり方は、子どものはっきりを確実にうばっていくのである。 | |
10月11日 No.523 たまに分かっちゃいるけど、羽目をはずしてしまおうぜ。 |
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| いつも、これをしちゃ人に迷惑をかけてしまうからやめておこうと正しい選択をする自分がいる。かと思えば、今日ぐらい気を抜いたってバチは当たらないよネと自分を慰めてあげる自分がいる。もうちょっと、自分のことを考えだすと、今までずっとがまんしてきたんだもん、今日だけは思い切り羽目をはずさせてもらうぞぅって思う。そう思うときが、本能的に自分自身の限界が近づいていることを察知したといえる。だから、そんなときは本気で遊んだり、お酒に飲まれたり、自分のためにしたいことをしてあげよう。ただし、その羽目をはずしている間は「これだ、これだ。これが生きてるって感じだぁ」って実感しよう。人間はさ、そんなに気張ってばかりいられないからさ。それでいいんじゃない? | |
10月10日 No.522 嵐の中をくぐり抜けてまで、目的地へ行こうとする人を、たくましいという。 |
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| 明日は何があろうとも、ぜったいあそこへ行くぞ!と自分が決めたとする。翌朝、突然の大雨。さぁ、ここで「行こうと思っていたけど、この雨じゃだめだ」と思ってしまうタイプ。「何があろうとも、僕は行こうって、きのう決めたんだ。だからびしょぬれになったって行く」と思って出かけるタイプ。つまり、自分の決めたことを誠実に行わないか、行うかである。もちろん僕は、後者のタイプでありたいので、怠けたい自分と闘って何とか、行こうとするし、行ってきた。今日、僕の他にたくましい数名の行うタイプの人たちに出逢えた。心から感謝したい。 | |
10月9日 No.521 同じ絵本を何度読んでも、毎回、何かが違う。 |
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| 絵本を読むっていっても、たくさんのパターンがある。あまりに多いので今日は二つにしぼってみよう。聞いてくれる子どもや大人がいる場合。つまり、対象がいる場合。これは、読んでいるとき、読み手にさまざまな感覚を送り返してもらえる。おとなしく聞いてくれる子。騒ぎながら、耳をダンボにして聞いている子。じっくり聞いているようでぜんぜん他ごとを考えながら聞いている子など、本当にさまざまな聞き手の様子が読み手に伝わってくる。はたまた、対象がいない場合、自分の声を自分に語るように絵本を読んでも、これまた、さまざまな違いがある。それもこれも絵本を読まないと決して授からない感覚である。 | |
10月8日 No.520 子育てに「こうすればこうなる」と言う答えはないが「子どもの望むことはさせてあげたい」と言う応えはある。 |
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| 若いお母さんは、我が子の子育てで日々頭を悩ましている。この子をどうすれば、いい子にできるの?とか、どうすれば、この子の気持ちを解ってあげられるの?とか、あげたらきりがない。A家では、今の我が子の行動を心配し、B家では、我が子の元気がないことを心配し、C家では、テストの結果が良くなかったことを心配し、それぞれの家庭で、悩みが違い、質も違い、兄弟でも上の子と下の子で悩みが違う。どの子育ての悩みも、こうすればいい、という答えがないことが悩みとなる。だがこう考えてあげてほしい。我が子のおかげで、親として、我が子の行く末を心から心配できるという貴重な体験をさせてもらうことができた。そのお礼に、いざというときに限らず、我が子がしたいことを見つけてきたら、いつでもさせてあげたいと、心から想っているからね、と。この応えなら、どの悩みにも応えられると思う。 | |
10月7日 No.519 自分の見えていないところをちゃあんと見てくれている人を友達という。 |
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| 自分で解っていること。自分で解っているつもりで解っていないこと。全然解っていないこと。解らないと思っていたことが、実は解っていたことなど、ふとした話しのながれで、「おまえはここが解ってない」とか、「おまえのタイプは、しばらくそれでいいんじゃねぇかぁ」とか「おまえ全然物事を解っちゃいねぇ」とか「おまえ、解ってんじゃねえかょ」とか、ちゃんと自分の知らないところを見てくれている人のことを本当の友達という。さらに、そっと教えてくれる人がいたら、その人はずっと影から、自分のことを、見ていないようで見てくれていた人であり、尊い人という。 | |
10月6日 No.518 「子どもたちが何をしているか知ろうとすること」は、気をつけないと子どもを不安にさせる。 | |
| 大人が、子どもたちはいったい昼間に何をしているのだろうとか、今の子どもたちはいったい何に興味を持っているのだろうとか、気になったり、捜そうとすることは、子どもたちの大切な宝物を奪いかねない。子どもたちは、大人が探りをいれてきたりすることをちゃんと察する。そして、大人に自分の大切にしていることを知られまいと必死に守ろうとする。なぜ、必死に守ろうとするかといえば、その子どもにとって、自分だけが大切にしていることを大人に知られることは、本能的に「ささえ」が無くなってしまいそうになり、無くなってしまったときの不安からくる想像が非常に怖いからである。 | |
10月5日 No.517 昔から森は、優しかったり、怖かったりするから、物語が生まれる。 |
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| 今までにいったいどれほどの森に関する絵本や映画が生まれたてきたのだろう。陸の海と云われるほど、本当の森は、深くて暗い。日本には、富士山周辺、離島(石垣島、屋久島、小笠原諸島など)にしかない。ヨーロッパには今だに凄い森がいくつもある。それぞれの森には、いくつもの恐ろしいうわさや、伝説、言い伝えなどあげたらきりがない。そこからたくさんの教えがうまれた。だからヨーロッパや昔の日本の親は子どもを森に連れていって多くのことを学ばせた。 | |
10月4日 No.516 大人が、これなら子どもにバレナイだろう、といくらつくろっても、子どもには必ずバレル。 |
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| 例えば大人たちが、子どもたちを集めて、何か子どもたちが喜ぶような催し物を企画したとする。その際、せっかく子どもたちのためにと、動いたにもかかわらず、「どうせ子どもたちのことだ、分かりゃしねぇよ」と予算の都合で、安物のプレゼントや手抜き個所を生じさせてしまう。ここを大人は常に気をつけねばならない点である。予算や手抜きは大人の都合で進められると言う点。つまり、子どもをバカにしている個所となる。当日を向かえ、子どもたちは、その個所を敏感に察知し、全体的に盛り上がりにイマイチかけることとなる。やはり、子どもの都合で企画されねばと切に願う。 | |
10月3日 No.515 大人は不安を抱えていても、笑顔がつくれるが、子どもは不安を抱えると笑みさえ浮かばない。そのため、子どもに近寄るときは心遣いが要る。 |
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| 大人社会では、かなり深刻な不安をかかえていても、大人は笑顔をつくれることができる。それは、笑顔の中に真実を隠す方法を身につけたからである。だから、大人は子どもたちに、そのズル賢しこさを見抜かれまいとしてハラハラする。子どもの心は、幼いがゆえ無防備である。無防備がゆえ、不安をかかえると、急に元気がなくなり、笑顔がなくなっていく。このことをもっと大人は知り得て、その子どもの前では、大人通しで使っている笑顔ではなく、同じ不安をかかえた者同士として、近寄らねばならない。 | |
10月2日 No.514 間違っても自分の過去を、人のせいにして悪く言ってはいけない。 |
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| 自分の過去に嫌な思い出をたくさん持っていたとしても、人のせいにしてはいけない。自分が今日まで生きてこれたのは確かなのだから。そのときは、頭にきたり、愚痴をいったかもしれないが、たった一度の人生の大切な過去を人のせいにすると言うことは、自分をけなすことと同じである。それが本当に人のせいにできることだとしても、自分が人のせいにした時点で、その人の人生にとりこまれてしまう。なんともったいない。自分の人生なんだから、自分の知恵がなかったせいにして、自分で自分の過去を磨こうよ。僕はいつもそうしている。 | |
10月1日 No.513 子どもたち自身が気づいていない強さの一つに、失敗を恐れない、という姿がある。 |
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| 公園でいろんな子どもたちが、遊んでいる姿を、ベンチに座ってみていると、子どもたちはよく失敗する。ブランコで落ちる子。ジャングルジムから足を踏み外して宙ブラりんになる子。ただ翔けていたのに突然こける子。などの子どもも、遊びに一生懸命だと、失敗しても泣かずにすぐ立ち上がって続きを始める。子どもたちは自分自身に、今、なぜ僕はこけたのだろう?とか、今、なぜ僕は失敗したんだろう?とか自分に問いかけない。だから失敗と思っていない。大人だったら、やる前から失敗を恐れ、何もしないが、子どもたちはやっている最中の失敗でさえ、恐れる要素を知らない強さを持っている。 | |