一日一言

7月31日
親はしんどさを先に思う。子どもはしんどさを後にも思わない!
親はしんどいことを誘われると、やりもせず断る人が多い。それを見ている我が子の心内は、ウチのお父さんなら、またはお母さんなら、断らないと信じている。それなのに、「いやぁー、今、大事な仕事かかえててさぁ、行きたいけど、ごめん‘今回は…’いけない」と親がいう姿をみる。見た子どもは、じゃあ、いつになったらいくんだよー、と思う。本来、子どもはしんどさで断ったりせず、楽しそうか、そうでないかで判断しているのさ。

7月30日
親は子どもの期待に応えてこそ、‘親である’!
今の親の多くが、我が子に、自分の思い画いた通りの期待に応えさせようとやっきになっている。つまり、母親の夢を叶えるためのシナリオを実行するために、我が子の人生を使っているみたいなものである。本来親は、我が子が将来、自分の力で、自分の道を探し、たくましく生きられるよう、成人になるまでは子どもが、親に求めてくるすべての期待や希望にできるだけ応えてあげようとするのが、本筋であるはずなのに……。

7月29日
子育ての主幹が塾に通わすことでは、子どもはたまったものではない!
今の時代の親の子育ては、我が子に直ぐ結果を求めているように感じてならない。なぜなら塾に通わせることを子育てだと思っているからである。まさか、と思う人は、事実なのでひとつのニュースとして聞いてほしい。塾に通わせ3日後に芽が出る(結果が出る)ことを望んでいる母が本当にいるのだ。それも千を軽く越える単位で。知ってほしい。子育ての主幹は、昔からもこれからも、親と子の語りあいや背中姿だということを!

7月28日
子どもの言い訳は無意識に自分を認めてほしいところからくる。だが大人は責任逃れからくる。
子どもが言い訳をしている姿をみると、自分はそんなつもりじゃなかったという気持ちを一生懸命解ってもらおうとする。本人は、なぜこれをして怒られないといけないのか解らず、自分はこういう理由があって、その行動をしたということを認めてもらいたいのだ。ところが大人は、子どもには、しつけのように「いいわけをするな」というくせに、職場では失敗の度に、言い訳を平気でしているさ。

7月27日
頼みごとをすると耳の奥から聞こえてくる。「まだかなぁ。もうそろそろいいかなぁ。いや、まだだめだろうなぁ」
その道の第一線の人に頼みごとや、お願い事をして結果がどうなのか、気になるときがある。早く結果を知りたいが、そういう人たちはたいてい忙しい人なので、なかなか「あの件、どうなりましたか?」と、聞けない。でも、早く聞きたい。その状態気持ちをおさえると、体の中から、声が聞こえだす。「まだかなぁ」と。ここで格言を添えておきたい。<頼むなら、結果がでるまで、動かない>

7月26日
世の中には何も言わないのに判ってくれる人がいる。
例えば、ある急ぎの用件で、車の移道中にFAXを流さなければならなくなり、サービスエリアにある、ガソリンスタンドの事務所にあるFAXを借りようと入っていった。「すみません。急なようなのですが、このFAXを、こちらの番号へ流させていただけないでしょうか?もちろん、お金、100円を払わせていだだきます。だめですか?」と聞いたら、男の人が直ぐ、黙って頷くとFAXをセットして流してくれた。そして一言、「これはいらねぇ」と言って100円を返された。感涙!

7月25日
どんな理由であれ、今日まで生きてきました。だからこの体、明日に活かす。
どんな理由であれ、をもう少し掘り下げてみたい。今日まで、自分が何をしたいか解らず生きてきた人。不幸を感じ続けて生きてきた人。愚痴ばかりいってきた人。人のせいにばかりしてきた人。人には決して言えぬことをしてきた人。借金で首が回らず、死にかけながらもなんとか生きてきた人など、とにかくなんとか今日まで生きてきた。だからこそ、体が資本と思って、尚のこと活かさねばならない。それを生活っていう。

7月24日
みんな、子ども助けられ、親に救けられ、仲間に援けられて生きている!
人間は誰かに必ずたすけられている。子どもは、親の救けが何度もあってようやく、一人前になる。孫が出来たら出来たで何度も救けられる。親は子どもが、一人前になると「老い足れば子に従う」のことわざ通り、何度も子どもに助けられる。そして、親は親の人間関係で、子どもは子どもの人間関係で、親や子や兄弟に相談できず、苦しいことや、一人ではどうにもならないとき、仲間に援けられる。だから、自分もだれかのために…。

7月23日
子どもは母に怒られる恐さより、何も言わなくなる方を怖れる!
昔の母は、我が子の悪さがすぎるなぁと感じたら、急に何も言わなくなる手を使った。これは、調子にのっている我が子の気を引き締めさすには、絶大な効果があった。タイミングが合うと、これほど子どもがおどおどすることはない。子どもは、自分のどこに過ちがあったか母をチラチラ見ながら点検する。母がそれでも黙っていると、どうしよう!?と思って、一生懸命母のごきげんをとろうとする。ここで母がニコッとする。この間が絶妙に良かった。

7月22日
子どもの心配はつきない。しかし、子どもの方も親の心配はつきないと悟ってほしい!。
親は我が子の行く末を想えば、次から次へ心配はつきない。たが、子どもの心うちを想えば、お母さんの度を越す心配は、なぜ、僕のことを信用してくれないんだろう、という不安の種を植えかねない。親を想わない子どもは本来いない。しかし、親が信用してくれているか、いないかをいつも、心配しているのは子どもだということを知ってほしい。かつて、僕たちが子どもの頃そうだったように!

7月21日
子どもが帰ってきたときのお母さんの一言は笑顔でおかえりが一番!。
その日、子どもが何を体験してきたか、誰よりも聞いてほしいのが、お母さん。お母さんは、そんなことより、子どもが帰って来て顔を見るなり「いつまで遊んでいるの〓早く、宿題しなあさぁい!」と言ってしまう。もし言うなら「おかえり。今日はこんな時間まですごく楽しんできたみたいやねぇ、宿題が終わったらゆっくり話しを聞かせてねぇ」ぐらいは、せめて言ってあげてほしい。ただでさえ外で遊ぶ子どもが少なくなったのに…。

7月20日
口ごたえしだしたら、そばで見続けること。
子育てには、親の語りかけが欠かせない。子どもが幼いころは、おとなしく聞いてくれたし、聞かせられた。ところがだんだん大きくになると、聞かなくなるし、口ごたえもしだす。これは、別に親に反抗しているわけではないと思う。僕はこう解釈している。「口ごたえできるほど、多少ものが分かってきたか」と。口ごたえが出だしたら、余分な一言を控え、だんだんそばで見続ける姿勢に切り替えよう。親の余分な一言は、さらなる口ごたえを誘発させるだけ。

7月19日
いい子にさせたいのは分かるけど、何も怒りながら言わなくても!
たいていの大人や親は、子どもを将来いい人にならせようとしている。そして子どもに、叱り、怒り、注意する。その度、子どもは、もうこれ以上、叱られたり、怒られたり、注意されたくないから、自分が言いたいことをだんだんのんでしまう。そうなると、大人や親はますます、子どもの気持ちを読みとれなくなってしまう。子どもが何も言わなくなればなるほど、大人や親は、最初から怒った口調でこう言う。「聞いてるのか!」と。

7月18日
その場でみんなが悩んでいるとき、自分だけは、悩みを脇におく。それは立派な‘人のため’!
この時代、みんな悩みを抱えながら、仕事し生活している。自分も大なり小なり悩みがある。そんな時代なのに、自分だけでも、せめて元気な姿をみせ、その場の空気をなんとか和まそうと、自分の悩みは脇において一生懸命にがんばっている人を見た。いろんな方法がある中で、こんな、人に分かりにくい‘人のためになる方法’でも、しようとする、その気丈さは、本当にあっぱれである。

7月17日
あっ!と思ったときが学ぶとき。

大人になるまでに何度、あっと思ってきただろう!そのどれもが、自分を成長させてもらった箇所になっている。忘れ物をして、あっ!一言、よぶんにいって、あっ!モノを知らなくて、あっ!知ったかぶりして、まったく違って、あっ!あっと!後で思い出して、時すでに遅し。数々の恥ずかしい思いをしてきた。どれも、今、思い出しても、情けないものばかりである。これから先も、何度、あっ!て言うか、不安が残るが、そのつど学ぶことができると思って臨みたい。

7月16日
やると決めたら、やる!これができる人を匠というのさ。
職人には、納期が生じる。その中で、匠の粋で仕事をする人は、納期など気にしていないのに、納期までにすみやかに終えて、すました顔をしている。それは、自分自身への厳しい姿勢が、納期までに終えさせてしまうほどの気迫で仕上げていく事ができるからである。匠は業・技・術を巧みにあやつるため、周りの人々にはあっというまに、見事な出来栄えのものが創りだされたと感じるはず。ただ匠はやると決めたら、やる!を実行したにすぎない。

7月15日
人が何かするたびに気になったら、自分は何をするか!を気にすること!。
人が何かしていると気になる。一度、気になると、しばらくその人を気にしてしまう。気にならなければ、よかったものを、何故か気になってしまったために、自分が本来しなければならないことが、どんどん遅れる。そんな人は、自分は今、もっと何をすべきか、すべきことが必ずあるはずだ、と思ってほしい。気にして、浮ついていた自分を見つめることにもなるし、何か!の正体も分かるから。

7月14日
子どもが子どもに語ることほど、分かりやすいものはない!。
小学一年生に、「生きるって、どういうこと?」って聞いたら、凄いこたえが、でるわでるわ!一例を上げると、女の子が男の子の左胸を指先で突きながら、「ここをー、手をパーにして、あててぇ、ドッ、ドッってしてたら、生きてることになるの!!!!!」。その通り!  男の子が男の子に「おまえが好きな、ハナクソをほじれたら、生きてるっていうことぉー」は大笑い。これも確かに!子どもどおしの表現は大人が聞くと分かりやすい。

7月13日
寄り合うことはいいことだけど、寄り掛かかりにご注意!。
寄り合いというのは、一とこに寄り集まって、気を合わせてみんなで、明日へ向う鋭気を養う性質がある。そのメンバーの中は、その寄り合いを、心の拠りどころとしている人たちで溢れ、楽しさを一人一人が持ち帰った。ところが今、どこも寄り合いで人がなかなか集まらないと、なげきの声を直接聞く。これはなぜか?こたえは簡単。寄り合いと称して、指示を伝える場に時代の流れが変えたために、楽しい空間でなくなって、寄り掛かる場になったのさ!

7月12日
子どもが「やったぁー!」と声を張り上げたら、親もいっしょにどうぞ!。
親は、我が子が何かを達成して、「やったぁ、できた!」と声を張り上げて喜んでいると、本当にうれしい気持ちになる。子どもが、できそうでできないとき、親としては、なぜ?できないのだろう!?というあのもどかしさを感じる。それでも、そばから離れず、付き合って子どもがとうとう、やり遂げて「やったぁー!」と歓喜をあげたとき、いっしょになって「やったぁー!」と喜び和えたなら、それは親子にとって、最高のメモリーになる。

7月11日
人に、「やっぱり失敗した」、と言うときは、情けをもって言ってあげてほしい。
A君が何か失敗すると、やっぱり失敗した、と鬼の首をとったように言う人がいる。その人は、そのままA君が失敗するまで見過ごすことができるひどい事をしているのに、本人は自覚がない。その人の頭の中でA君が失敗するイメージをしたなら、「ここは注意しろヨ!」と一声かけてあげるのが、情けである。反対に、「やっぱり、これを信じてきてよかった」 と自分が思えるようになるためには、失敗を怖れずイメージ通りに身体を動かそう!

7月10日
根気は根っから大好きなことをさせてあげれば身につく。
根気がない大人が増えてきた。その背中姿を見ている子どもたちは、根気がなくて当然。だが、子どもたちが大人になるまでに根気を身につけさせてあげられることは根気のない大人でもできる。それは、子どもが、それをしていればいつまでもしている、ということをさせてあげる環境を作ってあげればいいだけ。子どもは、同じことが繰り返し繰り返しできることを喜べる感性の持ち主。大人は繰り返すことができない感性の持ち主だから根気が育たない!

7月9日
分からないことが恐いとき、分からないことを怖がらない姿勢で向えうつ。
どうしていいか分からないことが起きると、人は、次の行動をどうしていいのかに、恐れの感をいだいてしまう。そしてしばらく、「どうしよう、どうしよう」と、思っているうちに次の予想もしないことが起きて、さらに動けなくなってしまう。最悪の場合はひきこもってしまう。そんなことがないよう、人生分からないことだらけだから、いつまでも怖がってなんかいられないと思って、怖じ気ず、勇気をもって一歩を踏み出そう。

7月8日
旅こそ出逢いの授業である。
旅に出ると、たくさんの出逢いがある。お店でちょっと道を訊ねたのに、店員さんが知らなくて、帰ろうとすると、店に来ていたお客さんが「俺、よく知ってるから、教えて上げるよ」と声をかけてくれた。実は、その人は向かおうとする場所の隣に住んでいる人だった。「後をついておいで」といってくれた。だが、せっかく到着したのに相手は留守。そこで「帰って来るまでウチにいなよ」となって、ひょんなことから、話がはずみ、その人の家にご厄介になる。いい出逢いの授業でした。

7月7日
妥協ばかりしているのが嫌やなら、その妥協する自分から妥協すればいい。
したいことがあっても妥協するしかない、と思う。しかし、あとになって、あのとき、妥協なんかしなけりゃあよかったと思う。そんな自分が嫌になる。だったら、妥協しなければならない出来事が次に起こったときがチャンス。いままでは、こんなとき妥協することを選択してきたが、今回だけは、一度、妥協することを妥協してみよう、と思えばいい。つまり、妥協したくないことを、そのままやってしまえばいいのさ。

7月6日
声をだして、胸を張れることは、凄く意味のあること。
今の子どもたちは、集団にまぎれたときの声は出るのに、たった一人に「君が好きなものは何?」と問い掛けると、目の前にいるのに、聞き取れないほどの声しかだせない。たった一人での発言はみんなが注目するため、それを意識する自分をよく知っているから、声が急に小さくなる。でもそれには何の意味もない。これから社会にでたとき、何度でも注目される声を張りあげなければならないだろう。だからこそ若いころから声を出すことは意味がある。

7月5日
一人一人が意志をもっているチームと、たった一人の意志で動くチームでは、ぜんぜん質が違う。
一人の意志が、みんなの意志になるためには、その人による、全員の納得を勝ち取るための、高貴な説得がいる。たった一人でも解ったような解らないような者がいたなら、必ずそこからチームに穴があくため、その者には安心して任せられない。だが、一人一人が意志をもっている場合は、自分に解らないことが起きても、解ろうとする意志が、各人で働くため、皆に安心して各ポジションを任すことができる。

7月4日
夕焼けで、朱く染まる雲で遊ぶ。
今日、日本最北端地区の稚内は納沙布岬の展望台から夕焼けを見た。!!!!!ビックリマーク五つ!のすげぇー夕焼け。何が凄いって夕焼けが北の空に沈むのを初めて見た。そのすげぇー夕焼けの左は朱く染まった利尻富士。贅沢ぅー。朱い太陽の直ぐ上に、朱くそまった雲。ガキの頃、夕焼け雲が何に見えるかでよく遊んだ。今日は何とあの伝説の鳥、朱雀が登場。まさに手塚 治の火の鳥に負けないような凄さだった。太陽が沈んでも、朱くそまった朱雀雲は、翼をいっぱいに広げていた!

7月3日
子どもたちにまた教わった。絵本は食べる心の栄養剤だと。
字の読めない子どもは、絵本の絵を見るしかない。だから彼らは、しっかり見ている。すみずみまで見ている。色をみている。形をみている。音や匂いまでみている。字が絵にかかっていることを見ている。字が絵にかかっていないのを見ている。自分の好きなとこを何度も見ている。あきるまで何度でも見ている。全体を見ながら、一つをみている。それぞれの子どもがそれぞれの見方をして、自分の心の栄養にしていく。絵本は心を選ばない。

7月2日
人間には隠れたポテンシャンがある。
例えば、火事場のクソ力がそう。これは、泳げない子どもを、流れのないプールに放りこむと、おとなしい性格の子でも、生きようとする意思がその子の火事場のクソ力を呼び覚ます。火事場のクソ力は、すべての人間の内に潜んでいる。これが自由自在に引き出すことができたなら、そうとうのチャレンジができるにちがいない。できなくても、考え方次第。「最後の最後に、自分の体には、自分でさえ知らない、火事場のクソ力が目を覚まし、きっとピンチを切り抜けるだろう」と 暗示をかけよう!

7月1日
痛い思いをした数が多い人は、それだけ優しさを秘めている。
進んで痛い思いをしたい人はいないと思う。しかし、人生では、したくないと思っている、痛い思いを何度も味わうことになる。人によって、二度とこんな思いをしたくないという思いを強め、急に萎縮して、杓子定規な人になったり、逆に、その痛い思いをすることで学び、その学びがその人の、懐の深さとなって、自然な振る舞いの中に、だれにでも優しさを、感じさせる人がいる。僕も後者のタイプになりたいなぁ。