一日一言

4月30日
得を一つ捨てたとき、本当の徳が一つ授かる。
昔から人は、損か得かでものごとを捉えてしまう生きもの。今は親子関係でも損か得かの時代。そんな人々の中からわずかだが、人に得をゆずることによって、訓えを垂れた善導者たちが顕れた。釈迦然り、キリスト然り、アラー、マホメット、etc。善導者の共通点は、もののみごとに欲をどうすてるかという点である。得は人にあり、徳は自分にあり、を実践することが、いつの世も、和を以て尊しである!と。その通りである。

4月29日
自分が自分のために、時間を遣うことは最高に気持ちいい。
多くの人が、自分の大切な時間を会社のためにつかい、かわりに給料として反してもらっている。自分が納得して時間を遣うことを、自分のために遣った時間という。会社は、みなさんの大切な時間を使わせて頂いたかわりに、お金という形で反すのが本筋。だが現実は会社側が、おまえたちを使ってやっている的姿勢だし、お金も払ってやっている的姿勢である。だからどこも、会社側と温度差が生じ、組合ができる。

4月28日
子どもの世界を知りたければ、子どもに遊んでもらうこと。
子ども社会には、子ども社会のルールや流行がある。子どもは、自分たちのどこを大人が見ているかを知っているため、大人をあざむくなんて当たり前。だから、どうあざむいたかを登下校で話し合うのが子どもたちの楽しみになるほどだ。そんな子どもたちに、遊び相手をしてもらうためには、大人おとなしていては、近寄ってももらえない。子どもたちの中に入れてもらい、遊びの仲間として認められたとき、子ども社会のルールが見える!

4月27日
何をするかを考えるなら、今、自分は何をしているかを考えてから。
何をするかを考えるだけで、結局、自分は何をするかを、考えてばかり‘いる状態’という人がいる。これでは、何かもったいない気もする。それならば今、自分が何をしているかをちゃんと見つめて、どんな些細なことでもいいから、やってみる。やってみて、やって‘いる状態’で、次に小さな計画でもいいから、何をするかを考えると良いのである。

4月26日
この時代に‘動かざること山のごとし!’は本当に難しい。
風林火山の山の怐である。動かないと決めたら山のように動かない。その山の下には、疾きこと風のように、いつでも動ける原動力にあたるマグマがふつふつと煮えたぎている。それでも、そのたぎる思いを押さえ込む山のような志念がいる。ああ、僕にはなかなかできない言葉である。小さいころから、じっとしていたことがないので、よけいに難しい。僕には精々、動かざることかたつむり、ぐらいだろう。

4月25日
こだわりをもってもいいけど、度を越して執着に変わらないように!
こだわることは、本人の過去に深く関係するため、一人ひとり皆ちがう形をなす。そのため、他人からは別に気にしなくても良いようなことに捉われているように映る。本人にとってはとても大事なことに思える。だが、こだわり‘すぎる’とこだわる範囲を越え、執着心に変わり、その大事に思えることに強く心をひかれ、深く思いすぎて、その事を忘れられなくなってしまう恐れがある。

4月24日
好きなことをやり続けるのも、好きなことを我慢するのも強い意志が必要!
幸せにも好きなことをやり続けると周りから、冷たい視線や「好きなことばっかりやってると、ろくな大人にならないよ」とか言われたりする。そういう人たちには、「何をいわれようがこれが好き」という本人の気持ちなど解ってもらえない。またその好きなことを、どうしても我慢しなければならないときもある。そんなとき「この好きなことを続けるためだったら、我慢でも何でもする」という強い意志が必要!

4月23日
腹が立ったときに自己点検!
腹が立ったとき、頭の中に、カチン!ときた瞬間が何度も出てくる。そして、誰だってあんな風な態度をとられたら頭にくる、というセリフがでてきて、相手の良くない点がどう良くないか検証してしまう。これでは人の嫌な面を捜してしまうクセがつくだけ。こんなときこそ、自己点検!自分はなぜ、あの人のあの態度にいつも腹が立つのだろうとか、自分が子どもの頃、こんな事で腹が立たなかったのに、いつからだろう、など点検してみると、意外な自分を取り戻す!

4月22日
気持ちの通じ合いは、気持ちの通じ会いに同じ。人に会わない話は淋しいだけ。
あるおじいさんが「何年ぶりかのぅ、こんな時間を忘れて話ししとったんわ。あっという間に夕方や!」といった。僕はびっくりして「えっ!?おじいちゃん、いっぱいいろんな人と、話してるやん」と言うと、「あいつらはおまえみたいに、わしに会いに来てるんと違う。わしのもってる知恵に会いに来とるだけや。あれはただの‘話’や。会話は気持ちが通じ合わな。ようは会話か話かや。‘会う’のない話は淋しいだけ」と。

4月21日
一つからいろんなものへ。
えのぐ一色に水の量をかげんしていくと多色になる。牛乳からはバター、チーズ、ヨーグルト、生クリーム、ソフトクリームなどの形を変える。人も、自分が何色あって、いくつの変身や変化を身につけているか、把握するとよい。たった一度の人生、自分の隠された才能を発掘することは、人生の王道である。僕は音痴である。だから今度、ある絵本作家に、歌の才能があるかないか、観てもらおうと思う。でも、とても恥ずかしい。あはっ!

4月20日
間違うことは、次への足ががり。
日本人の多くは、間違い=悪いこと、と思っている。なぜそうなったか。社会人になるまで、正解を出すために費やされた時間があまりにも長いためだ。たった一問間違っただけで合格、不合格に分かれ、そのシーンがどの人の周りでも起き、間違えば何にもならないと思わす。間違いとは、人生で何度も起きる。それは神が人に間違いから、反省や次への気持ちを学び、上を目指させるための価値ある出来事だと思ってほしい。

4月19日
人生の成功は、第一に食事を大事にすること。
昔、ご飯を残さないようにと躾けられた。あの頃、なぜだろうと思いっていた。もうこれ以上お腹に入らないと思いながらも、口に運ぶ切なさを感じたことはよく覚えている。そのせいか大人になった今、少量でもおかずが残るとお腹がキュッとなる思いがする。成功者は皆、食べる事を仕事と捉え、良い仕事をすることと同じと考える。全て食べる=全て仕上げる、(食の)好き嫌いしない=(人や仕事の)好き嫌いしない、 箸の使い方=道具の使い方!

4月18日
本気で人のことを考えだすと、人は元気になる。
復興支援のためとか、国のためとか、そんな大きなことじゃなくても、人のために動ける視点はいくらでもある。朝早くから起きて、通学する児童のために、黄色い旗をさっと広げて、子どもたちに声をかけているおじさんたち。キヨスクでこれから出社するサラリーマンのために、テキパキと品物をさばくおばさんたち。そんな人たちはみんな元気である。人のためになっている自覚が元になって、気合いがはいっていることを元気という。

4月17日
行動に力強さを感じるか感じないかは、その行動に根拠があるかないかの問題。
人の行動をよく見ていると、いったいあの人は何をやってるんだろうと思う人がいる。何がやりたいのかが伝わらないため、その行動に力強さを感じにくい。職人さんや技術者が新しいことをやろうとしたり、開発したりするその行動には必ず、執念といっても過言ではない、力強さを感じる。その力強さは、本人やプロジェクトチームの一人一人が何のためにその行動をするかの根拠をちゃんともっているからである。

4月16日
臨場感とは、臨んで現場に行ったときに得られる体感のことをいう。
人は体験がすでにあってこそ、そのときの感じを思い出しやすくなる。現場に臨んで体感しに行く場合の例をあげれば、野球が好きな少年が生まれて始めてお父さんに野球場へ臨んで連れていってもらったとする。ここで野球をしたこともない人が想像する臨場感と、且つて野球少年だった人の臨場感と、臨んで連れて行ってもらった少年本人の臨場感の三者なら、その度合いは応えるまでもない。生はやっぱりいいなぁ。

4月15日
自然に体を動かそう。
ずーっと、同じ姿勢でいるのは自然ではない。人間は木のように同じ姿勢でいる生きものではなく、ほとんどが水でできているようなものなので、まるでビニール袋の中に水を入れて、床においたような状態のときが一番、自然な姿勢といえる。ちょっと動かせば、揺らいで止まるのが自然な姿勢。つまり動いたら止まり、また動いては止まるを繰り返すのが、自然に体を動かすことになる。実は寝ているとき、無意識に人間はこれを行なっている。

4月14日
:ここで何をするかなんて、子どもたちは考えなくてもできる能力をもっている。
大人が、「ここでなんでもいいからやってみな」というと、子どもたちは、「えっ!?ほんと!?なんでもしていいの?」と言った後、体をすぐ動かす能力がある。これは凄いこと。大人に同じことをいっても、何でもといわれても!?と自らに問うて考えて、すぐ動いたり、すぐできない。考えなくてもできたり、体が動くことは、いろんな知識がじゃまをしないからである。

4月13日
:“人の命”と“テロに屈する訳にはいかない姿勢”をみんなで真剣に考えよう。
人の命は何にもかえがたいもの。だからこそ、テロによって、何の罪もない子どもの命や家族の命、老若男女問わず、命を奪うことは、決してあってはならない。自分の身になって、自分が危険な国へ行くことを決めたとき、死まで覚悟して行ったはずである。がしかし、自分が人質になる覚悟は想像していなかったのではと思う。テロと人の命、人質と要求、生死と交渉。すべて愚の行為である。それがテロである。

4月12日
何ごとも意志をもって取り組もう。
何で俺がこんなことばっかりしなきゃならないんだ?と思うことは、確かに起こる。その度に意志をどうもつか。それは、目的をしっかりもっていないと、どんな諸事にあたるとしても、きっとあの目的につながることになる、という意志をもって行動することができなくなる。意志をもって諸事にあたると何ごとも、不思議と仕事が丁寧になる。だだくさになるのは、意志をもっていないから。いい仕事をするためには意志を持たねばならない。

4月11日
本気になると利を考えない。
本当の本気モードに入ると利を考えていられない。企業家の人たちや投資家たちは、本気で利を考えているじゃないか、と言われるかもしれないが、その心内を伺うと、本気の部分は多くの方が、その会社が本気で伸びることを考えていたり、人を育てる難しさに本気でチャレンジしていたりしている。そこに利を挟んでいないのである。本気で何かに取り組むとは、これがしたい、あれがしたい、ああなれるんだったらと、純粋な目的が、利を度外視させるのである。

4月10日
善い道を進んでいると‘たまたま…’がよく起こる。
善導に入っていると、つまり善い道に導かれると‘たまたま何々していたら…’ということがよく起こる。きっと神様が、ほんの少しだけ力を借してくれるのだろう。そのたまたまが起こったおかげで、その後、まったく人生が変わることがある。たまたまが続くとき、「これでいいんだ!」と思ってほしい。そして、自分が信じた道にそのまま真っすぐ向えば、また、‘たまたま’何かがやってくる。

4月9日
細かいことと太いとこは筆のように一如である。
細かいことと太いことの関係は筆のようである。筆の毛の部分は細い毛が一本一本集まったもの。まるで細かい気配りが一つ一つ集まって気遣いとなるようである。次に、筆の握る部分だが、握り心地のよい一本の太い竹で要をなす。こちらはまるで、どっしりとした心根の太さをもった人のよう。相い合わせば、細かい気遣いができるのも、一本のしっかりとした心根の優しさを持った人が成す。毛だけでは手が汚れ、竹だけでは描けず。

4月8日
小さい子どもと満開のさくらに何思う!
小さい男の子が満開のさくらの木の下からさくらをじーと見上げている。さっきからずっと見上げたままだ。あの子をあの場所に釘づけにしているのは何なんだろう。春風にゆらぐさくらの花びらかな。はたまた、何か小さな虫でも見つけたかな。とにかく今の時代、大人がこれだけ、子どもたちをひきつけ、釘づけにすることはとても難しいと思う。だがこのさくらの木は、何も言わず、何も使わず、いとも簡単に子どもを釘づけにしたのである。

4月7日
ちゃんと伝えるために頭でまとめたことをゆっくり言おう!
ちゃんと言ったのに、全然伝わっていなかった、ということが起こる。これは、伝える側が分かっていることを、ちゃんと伝えきっていないから起こる。言ったつもりでは相手に正確に伝わらないのである。かと思えば、何も言わなくても、ちゃんと伝わる関係もある。親子関係、友人関係、師弟関係など、いろんな人間関係で伝える側と伝えられる側とで、ちゃんと伝わる関係を築きたいものである。

4月6日
我慢と思わず‘ちょっとだけ様子をみてみよう’と思うこと!
何で、私ばっかり我慢しなけれりゃいけないの?と思う人は、人のことを考えることができる性分。我慢をし続けると、いつの日か我慢の限界と思う日が来て、それまでの関係がぶち壊しになってしまうほど、我慢してきたうっぷんの貯金をいっきにおろしてしまいかねない。そんなことにならないよう、普段から我慢というキーワードではなく、もう少しだけ様子をみてあげよう!と思ってほしい。

4月5日
真っすぐ生きたいならお天様に向わなきゃ!
真っすぐ生きるためには、お天様がどこにあるのか分からなければならない。真っすぐ生きたくないという天の邪鬼の人は、天の邪鬼な生き方に真っすぐでないと中途半端な天の邪鬼になる。中途半端な天の邪鬼は、お天様の‘天’がなくなるので、ただの邪鬼である。どっちにしても、その道のお天様がどこにあるか知る必要がある。見つけ方は簡単。お天様の方向は必ず、光がある。つまり影と真反対に歩くこと。

4月4日
長い人生少しでも早く、ひとつでも多く楽しいことを見つけてほしい。
今、多くの人が自分の一番楽しいことを聞かれても、答えることができないらしい。たぶん自分が何をしてるときが一番楽しいのか、小さいころから自分自身でさえ分からないのだろう。長い人生病んでもいないのに、楽しいことを知ることがないまま、逝くことになれば、そんな悲しいことはない。楽しいことをしている真っ最中を、夢の中と書いて、夢中という。自分の過去で夢中になった瞬間を探せば見つかるはず。

4月3日
本気で Good for you! (ガンバッタネ)と言ってあげてほしい。
何かを成し遂げた人に心から、よくがんばったねぇと声をかけている人をみると、その人たちの眼差しは共通して、ほんとうに優しい。たぶんこういう人たちは、人を心の底から喜ぶことができる人たちだと思うし、逆に落ち込んでいる人たちには嫌味なく、自然に励ますことができるのだろう。誉めてあげなきゃとか、励ましてあげなきゃと考えてから声をかけるのでは、本気で喜ぶ度合いみたいなものが随分違うのである。

4月2日
それが正行(ショウギョウ)なれば証拠として神様は晴天を与えてくださる。
仙人は云う。その決断した行いが正しいか否かを知りたければ、先ず実行する日を決めればよい。そして、その実行日の朝、天に棲む神が天候で教えてくだる。雲ひとつない晴天は善行なり、晴天なれば浄行:清らかな行い:(ジョウギョウ)なり、くもりなれば順行:逆らわずに行なうこと:なり、雨なれば無言の行なり。つまり結婚式、家の建前、入学式、引っ越しなど、節目の日の行動が正しければ‘晴れ’なのさ。

4月1日
人が高みを目指すのに誰の束縛もないのさ!
僕は(私は)こうしたいのに、もし本当にしたら、あの人が絶対いい顔しないに決まってる、と思ってせっかくの高みへのチャンスを自分のしなくてもよい想像のせいでつぶしてしまう。この場合、必ずといってよいほど、あぁ、あのときに思い切って、あれを実行しとけば、こんな思いなんかしなくてすんだのに、と悔やむこととなる。こんなことにならないために、自分が高みを目指そうと思ったら、即実行!自分の人生じゃん。