一日一言

3月31日
いつも、こっからが勝負!
もう人生おしまいだぁーとなったとき、難しいだろうけど、この言葉を思いだしてほしい。だって、野球などのスポーツには、必ず試合終了があるが、人生の本当の試合終了は心臓が動かなくなったときだから。それまでは決しておしまいではない。心臓が動く限り、いつでも勝負できるはずである。この場合の勝負とはたった一度の人生との勝負。今の自分に負けることなく、次なる己を勝ちとるために、向うべく機会(明日)へ挑まなくちゃ。

3月30日
春はいろんな芽が開く時期。
新しい学年。新しい職場。新しい土地。4月は新しい気持ちになる。これは日本独特の感覚。なぜなら、日本の民には古くから桜文化が根づいていた。そこに戦後の法律での学校整備が施行される際、4月から翌年の3月までを一年度としたから。つまり、桜が咲くとともにすべての新しい年度が始まるということ。今や正月より活気があると思う。例えば引っ越し。会社員や学生、家族の引っ越しは、この時期ピークを向えその活気は民族大移動のよう。なぁ、伸ちゃん!?

3月29日
感性の精度をよくしたければ子どもをじっと観ること。
子どもの感性の精度の良さはとにかく凄い。車で道路工事の渋滞に巻き込まれた。ふと横の歩道を見ると、午前のさんぽで保育士さんの後を幼い子どもたちがとことこ歩いていた。その中の女の子が急にしゃがんでガードレールの支柱の根元から草を一本採って「よちゅばよちゅば」といった。その女の子の手にしていたものは、なんと四つ葉のクローバー!僕では多分見つけられなかっただろう。だって見る感性の精度がおちているから。参りました。

3月28日
人の優しさは凍みるから力がある。
ちょっとした手助けで駆け付けてくれる友がいる。駆け付けてくれただけで、その姿から心に凍み入って‘来るものがある。布に染料が染みるのとは訳が違う。どこが違うかというと、凍みて‘来る’感覚がちゃんと心で伝わって‘来る’ところである。凍みる感覚を想いださせてもらえるのも人の優しさの凄いところである。僕も少しでも何かの折りに凍みるような駆け付け方をしたいと思っているのだが、まだまだ前が永そうである。

3月27日
花はすぐに咲かないから魅せられる。
種から根、根から茎、茎から双葉、双葉から葉、葉からつぼみ、つぼみから花。花を咲かせるまでの期間をみれば、花を咲かしいる期間はほんのわずか。人生も同じである。スターや一流プレーヤーが活躍すれば、辛いニュースの多い中に花が咲く。そのプレーでさえ、根、茎、葉の期間があってこそ。自然はいきなり花は咲かないことを教えてくれている。だからこそ、花のある期間は色、形、大きさなど魅せられるのである。僕はまだ根をはやしかけたばかりである。

3月26日
運とツキは別もの。
運が良かったとかツキがあったとか、結果が良いときによく耳にする。運とは本来、自然のめぐりあわせ。人知が及ばぬ力をいう。この運が自分の処になかなかこないのは、自然を労っているかを問えば自ずとがこたえが解る。対してツキとは人力や知恵が介入する場合がある。ツキは付きと書く。つまり、くっつくことを意味する。戦国時代や現代でも誰に付くかを見極めなければ自らにツキを呼び込めない。云うなれば運は幸運を、ツキは好運を司る。

3月25日
百回の失敗は称賛に価いする。その上でたった一回の成功は尊敬に値いする。
百回失敗してあきらめてしまったのでは、ただ失敗重ねた価いだけで終わる。つまり百一回目にチャレンジしなければ、ただの愚行でしかないということである。たった一回の成功に値打ちがあるのは、必ず、数々の失敗を輝かせる‘魔法の布’のような力があるから。成功とは、モノに「成る」まで失敗をし続ける「巧み」な価値をいうのである。

3月24日
自分で自分の面倒をみれなくて誰がみてくれるのさ。
社会人で車を持ってる人なら当然、車の管理や維持費は自分で養わなければならない。一人ぐらしをしている人なら家賃や食事、洗濯と掃除なども同じである(生活力)。はたして2000万人の若者の内、何人が自分で自分の面倒をちゃんとみているのだろう。都合がいいところだけ、自分の面倒をみている若者の方がはるかに多いだろう。全部自分で自分の面倒をみる人は、人も自分の面倒をみるのに手いっぱいだとをいう事を知っている!

3月23日
普段の心がけが、肝心なときの差となる。
普段の心がけとは、広い意味で善行のことである。例えば、列車の中で捨てられたあき缶が、コロコロ転がっているのを拾って、自分が降りる駅で捨ててあげる。これなどは、誰もが気になっているはずなのに、誰かが拾うだろうと、思っているばかりで自分たちは拾わないから、あき缶がコロコロ転がっているのである。人がいやがることを進んですることや誘惑に負けないことの心がけが、いざというときや肝心な日に我が身を救うのである。

3月22日
昔は春の足音を聞ける人たちがたくさんいた。今はそばの人のいうことも聞けない。
‘春の足音’とはなんて素敵な表現だろう。花々の芽吹き、鳥や虫のさえずり、春期をつげる暖かさ、若草などから春の近づきを、待ちに待った愛する人の足音に、たとえるが如く表現が巧いのである。それだけ情緒的だったのだろう。今はテレビに出演した女の子が平気で、春に足があるの?と聞ける世の中だし、聞かれた側も昔はあったんじゃないかな!?といった具合。これでは人の気持ちはなかなかくめない!

3月21日
弱音は自分の心を傷つける。本音は相手の心を傷ませる。
自分が弱音を吐くとき、聞いてもらう人が誰であれ、弱音を吐いているのを一番知っているのは自分自身である。それが、自分で自分の心に傷をつけることになる。もっとひどくなると、人のせいにしたために心の傷を深くしてしまう。なぜなら、本当は自分の腑甲斐なさをよく知っているからである。本音の場合は相手と語り合えばお互い心のリフレッシュになるが、相手に本音をぶつけてしまうと痛手を負わせてしまうので、ご注意下され!

3月20日
無理をしないようにして、無理をするは辛なり。
無理をしたくないのに、いつのまにか無理をしてしまい気がついたら辛くなるばかり。こうならないためにすることは、先ず無理をしなければならないことは人生、いくらでも起こるだろうと、意識する。意識したら自分にとって無理をしてでも得たいものなのか、そうでないのか決める。得たければ無理をすればいい。そうでなければ断る無理をすればいい。下手な人は、本気で得ようとせずに、断らないから無理せざるを得ないのである。

3月19日
心は通じ合うためにある。
言葉が通じ合わなくても、心が通じるときがある。ボディーランゲージで、笑い和えたりすると、本当にうれしい。こんなとき、心が通じ合えば、宗教、年令、性別、目の色、肌の色など関係ないんだなぁと感じさせてもらえる。さらに、うれしいのは肩を組んだり、手をつないだり、叫びあえる中で、‘或る域’に達するときである。或る域に達した感じは、なんとなく心がおちついて、爽快であり、和みあえる感じである。あとは想像にまかせたい。ぐふふ。

3月18日
人生は結局、一本の樹。
人生いろんな体験や経験をしていろんなことを思考する。思考するとチャレンジしたくなってくる。そして、チャレンジするという新たな体験を得る。これを繰り返す体験をする。また逆に悩んで何もしない体験をする場合もある。もっといえば、悩んで苦しんで辛くなってを繰り返す体験の場合もある。まるで一つの人生が一本の樹のように、その場所の環境や日当たりによって、いくつも枝分かれをしたり、ある部分が枯れたり、緑豊かな葉をつけたり、花を咲かしたりする!

3月17日
友達に国境はない。
国境を越えて何日もかけて逢いに来てくれる友達がいたら、当たり前だけどうれしいでしょ。そんなことが起こった。アメリカ、ユタ州はモアブから友達が来てくれた。友達といっても、はるかに年上の人だが、成田のBゲートを出てくるなり「ヘイ、アキ!お前の顔を見たら、疲れがとんだよハハハハハ」っていってくれた。こっちに気をつかってくれるナイス・ガイ。16時間飛行機に揺られて、疲れていないわけがない。でもこっちにいる間は、命をせんたくしてあげるのさ!友達だから……(^。ー)

3月16日
お腹がすいて、すいて、すききったときの物は何を食っても、うめぇ。
今の子どもたちは、お腹がすききるという体験がない。だからご飯のありがたさを味わいきれない。なぜなら、ちょっとぐずればご飯がでることをしっている。お腹がすききらなくても、すぐに満たしてもらえる時代。本来、ちょっとお腹がすきはじめ、そしてぐずりだし、次に泣きはじめ、それでも放っておく。そしてだんだん泣き止み、最後に泣きつかれて寝る。起きる頃、ホカホカのおにぎりが机の上に……ありがたや!

3月15日
知らないことが多ければ、それだけ解る楽しさが在るということ。
知らないことを知らないままにしておくことは、とてももったいないこと。なぜなら、聞いたり調べたりするだけで、自分が理解したときのスッキリ感や楽しさを得ることができるからである。解るということは、ちょっとした知識欲を満たしてくれる。お金などかけなくても、自分で辞書を引いたり、図鑑でしらべたりするは、解るための楽しさとなる。解れば解るだけ心の引き出しが増える。

3月14日
困ったことが起きたら「‘まだまだ’こんなことでは困らない」と自分に10回言い聞かす。
これが不思議と効果があるんだなぁ。なぜかはやってみてもらえれば解る。やってみるも良し、やらぬも良し。困ることは自分から発する場合と向うからやってくる場合があるが、どちらも、まだまだ人生にはこれよりもっと困難なことがやってくるさ、と思って諸事にあたってみてほしい。ある変化を必ず体感することになる。僕は何度体感しても心地よい。へへへ

3月13日
人が冷たくなるのも温ったかくなるのもすべては自分次第。
あの人は冷たい!とか、あの人は温ったかい!という人は、知らないうちに自分はいつも正しい道を歩む立派な人間になっている。つまり、自分が基準。人はだれでも気づかぬうちに人のせいにしているが、実は自分のそのときの表情や態度が相手にそう言わさせている場合がほとんど。本当の自分をもっている人は相手がその地区で嫌われていようがいばっていようが関係なく、その人の優しさや温ったかさを引き出してしまう。

3月12日
人に厳しく自分に甘い人に出会ったら、自分も人のことは言えないと思ってあげてほしい。
人に厳しい人で、自分にも厳しい人は、そうそういるもんじゃない。大概は、自分には甘いもの。人間らしいといえば人間らしい。人の素振りが、はなにつく人は、その行為にがまんならない形を人にぶつけてしまうのである。ぶつけられた方はたまったもんじゃないが、自分もまた人にぶつけている場合がある。人は人だが自分もまた人なのである。

3月11日
富士山を見て心おどるなら、足るを知るも同じ。
今の世の中何もいいことがない、と思っている人は何か足らないものがあると思っている。足るを知るとは、雨露さえしのげれば、それで満足できることをいう。その境地にたててこそ、すべてのありがたみを肌で感じ、満ち足りると書く‘満足’を得ることができる。満足するために計画をたてる人は、計画通りにことが運んだとしても、心が満ち足りなければ満足は得られないという事をしらない。まさに富士山を見て足るを知る、である。

3月10日
身振りひとつでその人の人格を見られているもの。
ちょっとしたことを人はよく見ている。例えば、近所に住んでいる人にあいさつをしているか、していないか。例えば、ちょっとした事を頼んでそれをちゃんとしてくれた人にねぎらいの言葉をかけられる人と、当たり前と思って何にも言わない人。これらはほんの一例にすぎないが、こういうところを人はよく見ているんだ、と思っている人は以外に少ない。人がどこを見いるのか知っている人の人格はやっぱり素晴らしい。

3月9日
自分の行いを見つめ恥じることは善行なり。
今だに自分の過去を振りかえると恥ずかしくなる。気づかない恥、失礼な恥、取り返しのつかない恥、無知だったためにみんなに迷惑をかけた恥、恥の上塗りになった恥、恥を恥とも思っていなかった恥など、僕はあげれば切りがないほどの恥だらけの人生である。人前で話をするようになって、さらに恥をかくことが増えた。そんなとき、訓えを垂れてくれた人がいた。恥に気づけば善行、恥に気づかなければ人生の恥だと。

3月8日
みんな必死に生きてるっていうけど、暗いのね。必死で生きてたら本当は明るいんだよね。
今、必死で生きてるっていう人がかなりいるんだけど、みんな暗い感じがする。本来、必ず死ぬって書く、必死は仏語では、死をもって必ず光明が射すことを修行していく姿勢をいう。拠って、その修行中はいかなる貧しい状況においても、明るく前向きに物事の諸事にあたることで精神を高めようとするのである。つまりどんなに貧しく辛いことがあっても明るさを忘れず精進することを必死という。

3月7日
運命を感じる人。宿命を感じる人。
何をしても運命のせいにする人。そういう人は、いつも‘運命のせいにする運命’にあることに気づかずにいる。運命に逆らうことができない運命の持ち主もいれば、運命に逆らう運命の持ち主もいる。運命の中に宿命を見いだす運命の持ち主もいれば、自分の宿命を全うしようとする運命の持ち主もいる。運命は星の数ほどの運命がある。だが、宿命はその人が命がけで感じなければ決して宿すことができない。即ちその道に宿す命と書いて宿命という。

3月6日
親子の自分。夫婦の自分。どちらの自分も自分を見失わない大切な人。
自分が我が子の親になったのに、親の前ではまだまだ子どもの自分がいる。つまり、我が子を思う自分と、自分を育ててくれた親を思う自分のことである。この自分が見初めたひとと結婚し夫婦となる。相手にも、同じそういう自分がいる。自分が何のために生きているのかわからなくなったら、親に会って自分を産んだときの話を聞くがいい。夫か妻には自分が頼りになるか聞けばいい。必ず応えが見つかることだろう。

3月5日
厳しいのに優しく、怖いのにあったかい。
生きているといろんな人に出会う。人生、それがおもしろい。いろんな人に出会えば出会うだけ人を見る目がこえてくる。そんな中に、仕事にもの凄く厳しい人が、情にほだされやすかったり、どう見ても怖い人が情に熱く自分の立場より、人の誇りを守ろうとして、すぐ行動したりする人たちがいる。そんな人たちは、よーく見ないと分からないほど、ひっそりと生きているので、気をつけてみてほしいと思う。

3月4日
人を信じることを恐れてはいけない。なぜなら人を信じられなくなることの方が最も恐ろしいことだから。
人を信じられなくなることは、自分を信じられなくなったとき。人を信じることを恐がっている間はまだ、自分の中に信じようと思う気持ちが残っているから、恐さを感じるのであって、自分を見失っていない。信じられなくなってしまうことは、自分を完全に見失い何を信じていいのか、解らないため自分を含めた人間をまったく寄せつけなくなってしまうから恐ろしいのである。

3月3日
人を傷つけたくないのに人を傷つけてしまう。
傷をつけたくないのに傷をつけてしまうのは、はっきり言わないから。こう思われたらどうしようとか、こう思っているにちがいないと思ったため、相手の心に傷をつけないように配慮して言葉を並べてしまうのである。反面、そうすることで自分が傷つくことを一番恐れていることには、目を伏せる。だから、知らぬ間に相手を傷つけてしまうことになる。思ったまま聞く勇気を持つことは自分が傷つくだけですむ。これが本当のやさしさ。

3月2日
子どもの優しさには何の駆け引きもない。
子どもたちの前で絵本を読ませてもらったあと、ノドを押さえていると、「おじちゃん、どっか具合がわるいの?」とか「本、読んでくれてありがとう。でもノド大丈夫?」とか聞いてくれる子どもたちがいる。これらの子どもたちのセリフには何の駆け引きもない。本気で僕を心配し言ってくれていることが、痛い程わかる。そしてうれしい。汚れている僕の心を洗い浄めてくれるような。子どもたちに感謝!

3月1日
付加価値は人が決めるもの。値打ちは自分が決めるもの。      
例えばベストセラーの著者が、自分が意気に感じた体験を値打ちがあるものと思い小説にして、これが言いたかったというものを封じこめたとしても、読者の読後感がいまいちだと、著者と読者の間にズレが生じる。読者はベストセラー作家という付加価値で本を購入していた場合などはてき面である。自分でこれは良いと付加価値をつけ、人に値打ちを決めさせようとすると不思議なことに、思わぬ痛手を被るのはそのためである。