![]()
| 2月29日 月が真上から自分を見てくれている。
|
|
| 昔から月は自分の心の生き写しといわれる。それは月には満ち欠けがあるからである。三日月、半月、満月でそれぞれ満ちた心だけ光る。例えば今の気持ちをあらわすと、見上げた半月のように、半分だけ心が満ている様に瓜二つといった具合である。昔の人々は月の満ち欠けと心の満ち欠けを重ね合わせることによって、心を手の届かぬ月に見立てて目で計ろうとしたのだろう。今の人もそう思って月に心を照らし合わせてみれば通じる話である。 | |
2月28日 人の優しさが解らぬと痛い思いを見る。
|
|
| 人の優しさに気づくか気づかぬかで、後に痛い思いをするかしないかがきまる。気づかぬときは、それまでの人間関係が簡単に壊れてしまう。壊れたあとに残るのは心の痛みだけ。恐ろしいのは、そのとき落ち度がないかに見えるため、相手の方を悪くいってしまう。しかし、後にこちら側に落ち度があることが解るとその痛手は計り知れない。謝りたいと思っても、すでに関係が壊れているため謝らせてもらえない。常に人の優しさには素直に感謝したい。 | |
2月27日 人は自分の心でさえ自由自在に操れない。
|
|
| よーし、こうしようと決めたのに、それをいざしようと思うと、いや待てよとか、でもとか、しかしとかを自分の心が囁いてくる。よーしと決めた心も、いや待てよと思ったのも、自分の心。ホントになかなかいうことをきいてくれない。しかし、子どもを見ていると目についたもの、聞こえてきたもの、嗅いだもの、食べたいもの、触れたいものに素直に躰が反応している。そこに心と躰を一体とする応えがある。 | |
2月26日 母なる大地。父なる大空。その狭間に子どもがいる。
|
|
| 地球が弾けてなくならない限り、父と母に挟まれて子どもが次から次に生れてくる。そう、子どもとは人間はもちろん、植物、動物などすべての生命をいう。その子ども同士で食べ合う。つまり食物連鎖が始まる。ということは、たった一種が病むだけで、次々に病みが連鎖するということ。だからこそ子ども同士仲良くしなければならない。人間はウィルスに弱い。今、ウィルスに強い植物と仲良くしておかなければ生き残れないだろう。 | |
2月25日 ただ待つ。意志をもって待つ。
|
|
| ただ待っているのは本当にエネルギーのいること。大抵は辛抱できず待てなくなる。だがそこに志しが入ると意志となって何十年でも待つことができたり、何度でも達成するまで待つことができる。我が子の行く末を信じればこそとか、待ち合わせの時刻になっても相手が来ない。こんなとき、その人を愛すればこそ、何時間も待っていることができる。待つことは奥が深そうである。 | |
2月24日 気持ちが通じ合うと気持ちをくみ和える。
|
|
| 今、人間関係がどんどん希薄になっている、という嘆きの声をあちこちで聞く時代になっている。こんな時代だからこそ、話し合ったり、語り合ったりしてほしいと思う。大人が話し合いを安心してできないようでは、未来の子どもたちはさらに安心して話し合いができなくなってしまう。僕の周りにはありがたいことに安心して、話し合ったり、語り合ったりできる人たちがたくさんいる。今回ニコニコの会を開いて、それを教えてもらった。感謝! | |
2月23日 大切なものの実感の一つに‘みんなのおかげ’がある。
|
|
| みんなのおかげを感じるときは何かに向かって一生懸命しているとき。何かを苦労しながらでもみんなで、成し遂げ達成感をもったとき。一人では到底成し遂げられないことを自覚しすればこそ、みんなのありがたさが身に染みる。自分の力がいかにちっぽけであるかということを思い知らさせられることでもある。だからこそ、ありがとうございました、と言う言葉が心から出てくる。頭を下げるにしても自ずと深くなる。感謝! | |
2月22日 みんなが一つのことに力を合わせると本当に凄いことができる。
|
|
| 例えばみんなが喜んでもらえるようなイベントをしたいなぁ、と思う。そんなとき、その人が超有名でも一人では何もできない。そうならないために仲間がいる。こんなとき、仲間の力を借りられるととんでもないでかい会となる。そして心に残るいい会ができる。スタッフみんなが会の成功を願って一つになれば、お客様の空気を一つにし、一つが次の一つへ伝染し、その凄さは計り知れないものとなる。 | |
2月21日 約束を守ってしまう人。約束を守れなくなってしまう人。
|
|
| その日は、はっきりした約束できないと言っていたのに、その日、約束の日時に来て約束を守ってしまう人がいる。かと思えば、絶対その日いくからねぇ、と言っていたのに、約束の日時になっても来ないため、連絡をとると、ごめん!今、ばたばたしてて行けなくなったと言って約束を守れない人がいる。どちらも心の芯が揺れている。前者は約束というものの捉え方が深いところで後者は浅いところで揺いでいる。 | |
2月20日 子育ては長いようであっという間。
|
|
| 我が子を毎日みてきたはずなのにもう中学、もう高校、もう大学、もう就職、もう結婚、もう初孫、これをまた孫が繰り返す。親が日々の生活におわれているうちに子どもたちは確実に成長している。これをすでに体験した方は多いだろう。であるなら、子どもへの語りかけの時間はできる丁寧にもちたいものである。ほんとうにあっという間の自覚をもてば怒ってばかりいられないはずである。だからこそ、親の語りかけはとても大切になってくる。 | |
2月19日 元気はみんなの笑顔を呼ぶ。
|
|
| こっちが元気があるというだけで子どもたちが笑顔で向かえてくれる。これにはほんとうに感謝したい。子どもたちは僕に笑顔をプレゼントしてあげようと思って、笑顔になっているのではないから、よけいにうれしいのである。大人の世界には愛想笑い、作り笑い、苦笑いなど純な笑顔なのか判断しかねる人もいる。子どもから純な笑顔をプレゼントしてほしいなら、大人がもっている‘純な元気’を要するのである。 | |
2月18日 錆びた釘では使えない。同じく心が錆びていては仕えない。
|
|
| 釘はほったらかしにしていると錆びる。心も同じで自分の心をほったらかしにしていると錆びる。心が錆びるとどんなに感動するものを観ても心が震えない。心の躍動がなくて何の仕事に仕えることができるのか、考えるまでもない。心が錆びないよう、常日頃からちょっとしたことでもいいから、花の変化に気づき、鳥の渡りに気づき、雲の流れに心を同化できるような密かな楽しみをもとう。 | |
2月17日 人に得を。自分に徳を。
|
|
| 人に得があることをしてあげるなんて、どうかしているんじゃないの?と言われそうだが、自分の得になることしかしない人が増えた時代だからこそ、人に得をゆずったりする姿勢が大切なのである。その姿勢を必ず、人が見ている。子どもはより深く感じてくれることになる。これが見えない自分の徳になる。お金をいくらだしても徳は買えない。自分の姿勢を正したときのみにしか徳は授からない。子どもたちの記憶に残る徳を得なければ何も残してあげられない。 | |
2月16日 語れば語るほど、実が実る。
|
|
| 体験や感じたことを語れば語るほど、お互いのこれからの展望や希望の実が実りだす。実になるためには話に花が咲くことで種ができる。次に腹をわって、自分の情けない話や失敗談について恥ずかしいけど話してみる。そうすれば自分の身体から、邪が少しづつ消えていく。これが実となり、互いに悩みを打ち明けることによってだんだん実りだすのである。収穫のときは語りながら実をもいで、お互い味わおう。 | |
2月15日 東に手を合わせ、南の天を見つめ、西に頭べをたれ、北に座して感謝する。
|
|
| 東からは必ず陽が昇ることから、この陽の中に必ず神が宿るため手を合わす。南には闇が存在しないため、見つめていると必ず進むべき道が見つかる。西は自分の命を授けてくれたご先祖様に頭べをたれ礼に服す。最後に北は全ての基準軸が在る。それは絶対なるもの。座して軸(宿命)を感じ、心から感謝する。そうすればこの世に生をあびた理由が発せられる。人は必ず何かのために生をあびている。 | |
2月14日 子どもが子どもらしく。
|
|
| 子どもなのに大人びた子どもが増えている。早く大人になっていいことがあるのだろうか。子どもの頃に純な体験をしていなくて、ふところの深い親になれるだろうか。否である。子どものときのすべての体験こそ人生の支えとなる。それを子どものときから大人びるということは、子どもの頃しか体験できない体験を知らずに大人になるということ。この大人には子どもの気持ちなどわからない。こんな大人が増えないよう子どものときに子どもらしくさせてあげたい。 | |
2月13日 怒るよりも叱ること。
|
|
| 自分の価値観では考えられないことを我が子が行なうとすぐ怒っている親をよくみかける。これらは、自分の中の自分がそれをしてほしくないという強い気持ちが怒りとなって表現される。子ども本人はなぜ?親を怒らせたのかまったくわからないまま親に怒られる形になる。これでは子どもの目に‘親の恐さ’しか焼きつかない。対して叱ることとは理由を述べてことによって、なぜ?の応えがわかるため、のちに反省するに至る! | |
2月12日 人生はわかろうとするものではない。人生は開こうとするもの。
|
|
|
永い人生には、自分がこれからどうなるのかわからなくなってしまう局面がある。これからの人生がわからなくて、一歩も動けなくなってしまっては、ますますわからなくなってしまう。こんな場合、根本から見つめ直さなければならない。いくら人生をわかろうとしてもだれでも応えはわからない。ただ自分の過去はわかることはある。だが、人生はもともと自分で自分の道を開いていくものだからである。それが人生!
|
|
2月11日 どきっ!とする中に真理がひそむ。
|
|
|
人はなぜどきっ!とするのだろう!動物の場合、ドキッとすることの大半は危険を察知したとき。確かに人間も急に、わぁって驚かされたときは、どきっとすることはある。しかし、そこには真理はなく無条件反射しかない。真理がひそむどきっとは人の道としてそうだったのかと気づく瞬間に在る。自分が探し求める応えが以外にもこんなそばにあったとは。初対面の異性の人にどきっ!本の中でしっくりくる言葉に出逢ってどきっ。そこには開眼の真理あり!
|
|
2月10日 本来、時間は捉えるもの。追われるものではない! |
|
|
時間に追われると我を見失う。何故追われるような状況がうまれるかというと‘決める’ことができないからである。どうしよう?と思っているうちに、やらなければならないことが山積みされる。‘決める’ことが遅かったために時間に追われっぱなしになる。時間は遣うためには先ず決める→次に筋道を立てる→時間がかかるものとかからないものを分別する→次に時間のかからないものを実行する→最後は時間のかかるものを集中してやる。
|
|
2月9日 人生という荒波をちゃんと船で航海しよう! |
|
|
潮に流されっぱなしではいけない。汐に揺られっぱなしでもいけない。潮の流れを予み、汐の揺らぎを読み、船をちゃんと操舵しなければならない。そうでないと簡単に転覆してしまう。自分の身ひとつでは、いずれ波に呑まれてしまう。そうならないために風と友達になり潮の問い掛けに応え、汐の唄に共鳴し、そしてオールとホロを張ってまだ見ぬ島(夢)をめざしみんなで航海しようよ。ちなみに僕の船の名は朗天狗丸!
|
|
2月8日 喜びと笑顔は兄弟! |
|
|
いつも読あそびさせてもらって思うのだが、保育園の子どもたち、幼稚園の子どもたち、小学生、中学生、高校生、大学生、みんな喜んでくれる。そして笑顔でまた読みに来てっていってくれる。こんなにうれしいことはない。僕は絵本の力を借りているだけなのに、もっといえば絵描きの先生やもの書きの先生の力をお借りしているだけである。それなのに子どもたちから、喜ぶとは笑顔がつきものなのさ!と訓えてもらった。僕も喜ぶときはちゃんと笑顔を添えたいと思う。
|
|
2月7日 自分で自分を苦しくしていないかぃ! |
|
|
自分で自分を苦しくしてしまう原因は、素直さにかかってくる。見たり聞いたりしたときの解釈が素直かそうでないか。さらに、その先を思考する際、素直な思考性が養われているかいないかにある。これがないと自分が行動すればするほど自分を苦しめてしまうことになる。そしてハタと苦しさに気づく日が来る。その日、実はまだ十分間に合うのである。それは、素直に「ごめんなさい」っていうのである。恥をかいたかわりに心の苦しみが浄化するのである!
|
|
2月6日 心もリフォームが必要なのさ! |
|
|
人間は三歳で心が身体に宿る。家づくりに当てはめると、身体は家を建てる土地。心は家。僕の場合は、どっから見ても数寄屋平屋建ての日本家屋。今は西洋風の人、2×4(ツーバイフォー)の人、お城風の人、さまざまな心の家をもっている。どの家も30年もすれば外壁は傷み、部屋の数や間取りに満たされなくなる。そんなとき、心の家をリフォームしてみる。いままでの外壁(価値観)を変えてみる。2間の壁(表裏2面性)をとっぱらってリビング1間(行動性)にする。おもいきってやってみよう!
|
|
2月5日 筋が通っていない口は災いを呼ぶ。逆に筋が通っていれば福を喚ぶ! |
|
|
口を慎むは賢き処世術なり。昔から言われることだが、話すなと言うことではない。お釈迦さまやキリストなど、ものを説いた歴史上の人物はすべて、口を遣って説いているのである。志をもち、その時代に荒むことを少しでも和らげられるよう、筋道をたてて説いたのである。だから、その意志は今でも受け継がれ普及を為し福を喚ぶ。だから、いくら善いことでも筋が通っていなければ、災いしか呼べないのである。
|
|
2月4日 もし、でいいからでっかいことを想像しよう。 |
|
| もし……何々だったら、と想像することからすべてが始まるといっても過言ではない。もし、の想像はたくさんの成功も失敗もうまれる。でも「もしの想像」がなければ、よーしやってみるかという気にならない。実際やってみると「もしの想像」で成功したことが失敗したり、逆も起きる。そこから、「もしの想像」で成功し実際にやってみて成功すれば幸いである。つまりイメージ通り成功したものは自分の道を切り開いて往くのである。 | |
2月3日 お茶一杯の幸せを感じられる人はいつでも幸せを見つけられる。 |
|
|
寒い日にコタツに入ってミカンを食べる。お茶を飲む。小さな幸せである。この小さな幸せに気づかない人がはたして、大きい幸せに気がつけるだろうか。僕は少ないと思っている。それは幸せの認識に違いがあるから。自分のためになることが起こらなければ幸せを感じられない人とささいなことでも、その出来事に感謝して幸せを感じる人とでは、幸せの大小、広さ狭さなどで心の幅に差がでるからである。小さな幸せに誉れあり!
|
|
2月2日 大人なら洒落で流さなきゃ。 |
|
|
子どもたちから、言われてたことで直ぐムキになって怒っている大人。その人たちは洒落で流すことができないタチだと思う。それは、大人とは見られるが、大人がもつべきフトコロをもっていない大人である。子どもたちに、あの大人には何を言っても軽くあしらわれてしまう、だからかなわねぇなぁと、思わせてしまう人こそ大人なのである。まして子どもたちの心をキズつけない洒落のわかる大人こそ、ユーモアを身につけた大人の中の大人である。
|
|
2月1日 子どもたちはかけがえのないものをもっている。 |
|
|
幼い子どもたちは親からどれだけ叱られようと、お母さんやお父さんに、何々してって、ごきげんをとってくるかのように声をかけてくれる。これは、幼いながらに親に一生懸命気を遣ってくれた証拠。これがかけがえのないもの。他にもあげれば切りがないほど子どもたちからかけがえのないものをプレゼントしてもらっている。親の私たちは、子どもたちにどれだけのかけがえのないものをプレゼントしているだろうか。せめて、親の笑顔ぐらいは届けたい。
|
|