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| 1月31日 個人個人皆違うとはよく言うけれど、みんないっしょのように見えてしまう。 |
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アメリカから個人主義的ないろんなものが入って来て、日本人に定着してから早や50数年。だけど、自分の信じているものをもったアメリカの個人主義と自分の信じるものが何なのかわからない日本の個人主義とはまったく違う。だから‘個人主義的’といわざるを得ない。あの人があんなことをして通ってしまうなら、私だってさせてもらうわ、というのは利己主義という。今だに右ならえでは、なかなか‘的’はとれない!
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| 1月30日 つい、きのうのことのように思える過去。 |
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人は、きのうのことのように思い出す過去をもっている。それらは全て自分の体や頭に焼きつけられた出来事である。日々たくさんの出来事が起こるのに何故その出来事だけがきのうのように思いだせるのだろう。こたえは、人間の五感にある。見て聞いて嗅いで味わって触れることが同時に起こると焼きつく。良いことが起こったとき、それはいづれ良い過去となるわけだから、未来においてきのうのことのように思いだせるように、五感で捉えよう。
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1月29日 垣根を越えた向こうにそれは在る。 |
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垣根を想像してほしい。当然、木であり向こうとこちらの境目にあるものになる。それを越えるとはどういうことかというと、こちらから向こうが見えないから見たい衝動にかられる。見たいから越えなければ見えない。だから越えようとして越える。こちら側から向こう側に着地する。すると、こうだったのかああだったのかが判る世界が‘在る’。垣根を越えた向こうに在ったものは、一生忘れない。つまり、一生忘れないものが垣根の向こうに‘在る’のさ!
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1月28日 たまには、おだてにのってみよう。 |
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火中のくりを拾う!ということわざがある。おだてられて、人のためにとてもあぶないことに、手をだしてしまうことを言う。僕は人のためじゃなくても、あぶないことに手をだしていつも反省することになる。でも、そのあぶないことの中からたくさん学んだ。ぎりぎりがどこだか体が覚えている。つまり、体も知らず知らずのうちに学んでいたのだ。だから、たまに余裕があるときでいいから、意志をもっておだてにのってやると以外なことを学ぶかも。
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1月27日 役に立たないことは何ひとつない!役に立たせようとしていないことはあるけど。 |
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毎日、精一杯生きていると失敗でさえのちに役に立つことを識る。じゃ、精一杯生きていないと役に立つことを識ることができないのかというと大半のひとが、あきらめてしまうだろう。そうではない。役に立つことがあるのに、役に立つことがないと決め込んで、端から事に当たらない姿勢を正すことを、精一杯生きるという。その気持ちの在り方を少し変化させるだけで役に立つ箇所が見えるのである。
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1月26日 頭で学ぶことより、心で学ぶ! |
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頭でいくら分かっていても心が受けつけないことには足が動かない。でも、体験や経験からくる心が求めることは、いくら頭がもう辞めようと思っても辞められないということがある。それは、心で学んだことだから。心で「あっ、そうなんだ」と分かったことは、一生忘れない。何かやってみたとき、妙に心が落ち着いていたり、そわそわしてたら、自分の心が学びたがっていると思ってほしい。
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1月25日 寒いときには、あったかい絵本! |
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一冊の新刊絵本。それを読んで、じーんと心がした。しばらくして、体がなんだかさっきより、ぽかぽかしていることに気がついた。びっくりした。丁度、3階分の階段を登り終えた感じのような、立ち食いのさぬきうどんを食べ終えたあとのような感じだった。今日、僕は体がほんとうにぽかぽかする体感を、たった一冊の絵本からさせてもらうことを教わった。ティラノザウルスに感謝(^.^)
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1月24日 単純なことは単純に。複雑なことは複雑に。 |
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これを見事にやってのけているのは子どもと一流の人たちである。これが簡単のようでなかなかできない。ちょっとした会議で、単純なことなのに、ひっちゃかめっちゃかにして複雑なことになる。逆に話しをしていて、複雑なような話ぶりで言っているのだけれども、「用は、こういうことでしょ」って言うと「そうなんだよ」って言う返事が返ってくる。その間、小一時間。話す前にほんの少しでいいから単純か複雑か考えよう。
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1月23日 心が奮えたり躍る体験をしたいなら脚をつかうこと。 |
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心が奮える、心が躍ることを感動という。しかし、それらは脚をつかって、いろんな世界を見ようとしてこそである。何をしても‘ん?’と思ってしまう人は、それまでの自分の人生を見つめ直し、何を見ても‘ん?’となった過去の意識を拾いだし、もう一度、そのときの解釈が他にできなかったかを問うてほしい。言うなら、心をおちつけ、素直に見たり聞いたりしたものを受け入れられる心を普段から養い、培っておかねばならない。
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1月22日 ‘…たら’が起こらない人間はいない。 |
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あのとき、ああしてい‘たら’今ごろはもっと幸せだっただろうなぁ。こう思わない人生は起こらない。人はみな想像力があるために‘たら’が起きる。人生に‘たら’はないという人がいるけども、もし、一年後こうなっ‘たら’と想像し、そのイメージをたてたおかげで
一年後その通りの‘たら’にしている成功者はたくさんいる。あなたはどちらの‘たら’を選びますか。へへへ。
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1月21日 自分を困らせるプライドをきっぱり棄てること。 |
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自分の固守するそのプライドが一番の強敵。それを棄てるとはどういう具合に棄てるのか。これは簡単。それは長い時間をかけて‘固めて守ってきた’から、そのプライドを突かれたり傷つけられたりすると頭にきたり悩むのである。であればプライドのスタイルを変えればよい。どうするかというと‘柔らかく逆らわず認めるという攻めに転じる’タイプのプライドにその部分だけ変えることを、[プライドを棄てる]という。
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1月20日 人間に生まれてきた運の良さに感謝しなきゃ。 |
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人間に生まれてこれたからこそ、さまざまな感情でものごとを捉えられる。辛いと感情が捉えたときこそ、明るいことを求める感情がはたらく。悩みという感情が捉えたときこそ、楽しさを求める感情がはたらくように、人間の感情は創られている。そのままにし続けられない感情が人間にはある。この運の良さに感謝する人間が少ない。感謝したとき必ず辛さや悩みは乗り越えられる。
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1月19日 楽しい食事が一番の健康法。 |
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家族でわいわい食事する。仲間とわいわい食事する。ささいな、料理でもたまらなく美味い。片や、一流コックさんが作ってくれた一流料理を一人で食べる。そりゃ旨いと思う。だが、いくらお金があって毎日一流料理を食べることができたとしても、何か華がないような気がする。楽しい食事はちょっとした料理でもメチャクチャ美味くさせる名コックだと思う。話も巧くなり、料理の味も旨くなり、食事が美味いことは何よりの健康法。
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1月18日 人が感動することができるのは心の汚れを浄めるため。 |
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例えば、何を見ても感動する人と何を見ても何も感じない人がいたとする。それを見ながら賢者が10コ問われた。どちらの人生がたのしそうか?どちらが幸せそうか?どちらが優しそうか?どちらと友達になりたいか?どちらの子どもがほしいか?どちらの性格になりたいか?どちらと語り合いたいか?どちらを信じるか?どちらと食事をするか?最後にどちらとあの世にいきたいか?と。賢者は言った。その‘応え’を忘れてはならない、と。
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1月17日 心が満たるのは働き(仕事)ができたとき。 |
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よかったと自覚のできるいい働き(仕事)ができた後のお酒や食事は精神も肉体もどちらも満たる。たった一本のタバコでさえ、毒気など吹き飛ぶ最高の香気になる。自分の意識も他人様の意識も善い心地を自覚できるための至福のひとときとなったためである。さらに自分が自分を認め、他人様も自分を認めていただいたような、認め合いが絡まって、体がその日の働きっ(仕事っ)ぷりを容してくれたからだろう。こんな働き(仕事)を一回でも多くしたい。
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1月16日 子どもはいつも楽しいことを求めている。 |
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ファミコン、ゲームボーイ、アニメマンガ、志村けんetc…。良し悪しは別にしてほんとに好く知っていると思う。大人の中に子どもに負けないほど楽しいことを知っている人がいったいどれだけいるんだろう。子どもは10人中、10人だろう。大人は10人中はいない。100人中で数名、1000人中で十数名だと思う。ケタが2つもちがうのは事実!お酒を飲まずに子どものように楽しそうにしている大人が少しでも増えてほしい。子どもたちから学ぶことは尽きない。
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1月15日 待ってくれてる人がいるから行く。待ってくれてる人がいるから帰る。 |
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これほど気持ち良く体を動かせられることはない。行くにしても帰るにしても心が求める先のあることは心にとって当然良いことである。逆に不始末をやらかしてお詫びをするために行くことや帰ることが起こらぬよう日頃から自分を諫めるよう心がけたい。そうすることが、望んで待ってくれる人たちの意に添う体を為すのである。行くも帰るもうれしいかな!
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1月14日 怒りにはしなやかさ!憤りには潤おしさ!が一番。 |
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生きていれば怒りがこみあげてくることに何度か出くわす。生きていれば憤りを感じずにはいられない日を迎えることもある。怒りはカッとなる短期のものから根にもつ長期までさまざまだが、心のしなやかさを養わないことには怒りは納まらない。憤りはだらだらと、ふとしたことで断続的にやってくるため、心が潤わないことには納まらない。しなやかさと潤いを養うためには自分のプライドの高さを調節できるようにすることである。
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1月13日 プラス1を積み重ねる。 |
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例えば体を使うことでいえば、腕立てを30回すると決める。そして30回目まできたらあと一回プラスしておく。次は、人への贈り物で気に入った贈り物が二種類あるとする。一つは1万円もう一つは15000円。このとき、高い方をプラス1の精神で買っておくのも善いし、1万円の方にして、プラス1は気持ちのこもった手紙をそえておくのも善い。このように何事も、たった一回プラスしておこうとする意志が自分を鍛える。プラス1は、本物の努力かもしれない。
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1月12日 耳と目はよく聞きよく見るためにふたつある。 |
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ただ聞いている。ただ見ている。それではなにも感じない。なにかを感じるようにふたつある。それはふたつの耳と目で捉えたものがいずれたったひとつの心に辿り着くためにある。たったひとつの心にいろんな情報が集まってくるのは感じることの大切さを人の体は識っている。フルに活かしてほしい。
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1月11日 人を見たら仲間だと思え。 |
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これは、南極探検隊で未到の地へ足を運ぶことに、勇気をもって行動した人の言葉。この言葉を知ってから僕も出会う人、すべて仲間と思っている。無理があるときがある。それは嫌われたとき。それで嫌われても僕はこの言葉を思うことによって、仲間の仲間が生まれることを識った。僕を嫌ったその人はやきもちをやくかもしれないが、いずれ、やっぱり仲間だったとなることも、賢者の人たちから訓わった。みなさんもだまされたと思ってやってみてほしい。
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1月10日 青空が広がったときは、自分の心を照らし合わせてみる絶好のチャンス! |
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今日の空は吸い込まれるかと思うほどの青だった。自分の心もこんな色だったらいいなぁ。こんな色になりたいなぁ。心が澄めばきっとこんな色にちがいない。いろんな照らし合わせ方があると思う。僕の場合は雲ひとつない青空に出遭うと、じーとみて、青さ頭の中に広がるまで見せてもらう。まぶたを閉じてまぶたのうらまで澄んだ青空色になればリフレッシュ完了。ほんとにスッキリさせてもらえる。
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1月9日 誰もが確実なものを求めている。求めなくても自分が持っているはずなのに! |
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確かに実る、と書いて確実。確かに、自分ではそれを成し遂げられないかもしれない。でも、確かに、自分はそれを成し遂げたいと思っている。この気持ちに正直に体を動かしてみよう。これが実を結ぶことになる。自分の心の中に確かな気持ちがいくつあるか拾いだし、拾いだしたものだけに行動していくことほど確実なものはない。確実は外より内にこそ‘確実にある’のである。
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1月8日 人に任せられないと、心が辛くなるヨ! |
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心はちょっとしたことで辛くなる。辛くなるかならないかは、人に任せられなるか、任せられないかで決まる。人に任せられる場合は自分の好きなことに時間を費やすことができるため心が安らかでいられる。しかし、人に任せることができない場合は、好きなことが一番後回しになる。つまり、任せられなかったことをやり終えてからになる。最悪の場合は何年も好きなことができなくなる。当然、心が辛くなる!そうならないために任せる勇気をもとう。
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1月7日 風と風がぶつかる瞬間を見ることができないのと同じく、親は子どもたちの心の葛藤を見ることができない。 |
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子どもたちの心の中では、強風が常に吹き荒れている。一見おとなしそうな子、スポーツ少年団で活躍する元気な子、どっちがどっちではない。すべての子どもたちの心の中では凄まじい心の葛藤が起こっている。大人たちの多くは、子どもの心の葛藤などたかがしれていると思っている。誤認である!想像力豊かな子どもたちの心の葛藤は、欲からくる大人の葛藤の比ではない。
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1月6日 背中で語る人、目で語る人、体で語る人。 |
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昔から親は背中で師は目で、それを見て育った子どもは体で語れ!と言われる。今の親は真正面からよけいなことばかり言い、師はうるさいほど口をだし、子どもは態度でしめさずかけ引きする。ジャン・ジックルソーは120年も前にこう言った。‘子どもをだめにしたいなら、何でも子どもがほしがるものを与えるだけでいい!’と。この名言通りにさせないことが、背中で語り、目で語り、体で語らせるのである。
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1月5日 あらためて言うことじゃないけど体ってホントに正直。 |
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たった一週間、それまでやっていたトレーニングをしなかった。そして、今日そのトレーニングをした。ものすごくしんどかった。つらかった。トレーニングをさぼったつけがちゃんとやってきた。しかし、やり終えたとき、自分しか分からぬ、ちっぽけだがしっかりした達成感を体からもらうことができた。体は動かせば動かせた分だけ応えてくれる。これをしみじみ感じた。みなさんは僕のように正直な体を騙すようなことがないように切に願う。
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1月4日 ここぞが分からなければ力がだせないでしょ。 |
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ここぞの一手を見逃してしまっては、せっかく自分に傾きかけた運が素通りしていってしまう。ではどうやってここぞを察知するかであるが、ピンチを迎えたときが全ての勝負ごとにおいて‘ここぞ(山場)’になる。あとはその山がどれだけの高さかを判断し、どれだけの力を要するのかを判断する。ピンチはチャンスという人がいるが、僕などはまだまだ、ピンチは乗り越えられるか乗り越えられないかの判断とさせてもらうのが精一杯である。
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1月3日 人生を謳歌するための第一条件は健康管理。 |
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せっかく好いチャンスがきても、病んでいたのでは、人生は謳歌できない。わかっちゃいるけど、ついつい自分を甘やかせてしまうと、結果的に健康を害することになる。人生を謳歌している人は健康を損ねそうな匂いを嗅ぎ分け損ねそうなら、自分に厳しく、損ねないなら自分の納得するまで体をつかうことに長けている。
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1月2日 元旦は、新しいことを始めたり何かを初めたりするにはもってこいの日。 |
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今日から一年僕は、呼吸法を始めようと思う。一日のどこかで必ずスキを見つけて実践したい。さらに人生で初体験となる納豆を食べようと思う。いや食べられるようになりたい。なぜこの納豆を克服したいかというと、僕の乏しい食生活に幅をもたせたいからである。関東の食生活に納豆はかかせないもの。それがあるのとないのとでは、食事の楽しさがこうも違うのかと思うほどである。それを体験したい。
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1月1日 心の中でいいから一年間お世話になった人たちに感謝を!そして、自分の体を褒めてあげよう。 |
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一年間を振り返ってみると必ずお世話になった人がいる。その人たちのお世話になったシーンをもう一度思い浮べて「ありがとうございました」と声にだしていってみたり、心の中で感謝する。それは必ず来年に活きてくる。さらに、そうやって感謝の意を表せるというのも我が身が命を宿しているから。自分を労うための一言をいってあげよう。今年もよくやった。ありがとう!と……
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