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| 8月31日 声をかけあう!これだけで大抵のエラーを防げる。
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野球で例えるなら、ピッチャーの後方にフライの打球があがる!ピッチャー、ショート、セカンドでだれがとるか声をかけあう。ショートがオーライ・オーライといえばショートにすべて任せる。それだけで三人の間に打球が落ちたり、二人が取り合いをしてボールがグラブからこぼれてしまい、エラーになる。車の事故や人間関係でも、ちょっと声をかけることが、魔を防ぐことになり、自分のしあわせが持続することを理解してほしい。
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| 8月30日 言うてもわからんときは言わず!言うてわかるときに言う!
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当たり前の事ですが、これがなかなか。常にものを言う側が相手の様子や具合を察しなければならない。親子関係や夫婦関係、師弟関係、先生と生徒など、相手がめんどくさそうだったり、不服そうだったり、なかなか聞いてくれそうもないとわかっていながら、これだけはと思い、言っていませんか。こんなとき、相手はぜんぜん聞いていないに等しい。これが言うべきときに言うとあーら不思議!
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8月29日 陰からそっと援助するかっこよさ!
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いやぁー、久しぶりに、その人に気づかせない完璧な気遣いを目のあたりにしました。これこそ、佛語の‘陰徳’なり。あまりの見事なさりげなさに感動しました。さらに、そのあとのフォローまでしている優しさ。こんな人はなかなかいないが、たった一人いるだけで、多くの人を救っている。俺もそんなかっこいい人になりたいなぁ。
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8月28日 胸を張って生きる!ただそれだけ、されどそれだけ!
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久しぶりに親父と語りあった。そのときの印象に残った言葉。これがうれしかったなぁ。それに言い終えたあとに、「おまえ見てて一つだけ言えるんは、ええ事も悪い事も胸張って言うてるとこや。それだけは認めたる」って言われた。めずらしいことに誉められました。たぶん、親父に誉められたんは今回が5回目で親になってからは2回目。親に誉められるってうれしいもんやなぁ。アハ!
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8月27日 目ってやつは、楽しいことを遮られるとくすみ、させてもらえれば耀きやがる!
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目はそれほど正直に耀きを現わす。子どもでも大人でも目が耀いている人は楽しさで満たされている場合が多い。これはもとから楽しいことが耀いているからだろう。
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8月26日 頼りにされるうれしさ。頼れるうれしさ!
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人から頼りにされることはとても力がわいてくるもの。今度は自分が頼まなければならないとき、頼れる仲間がいると言うのは格別のうれしさと別格のありがたさにつつまれるもの。この両方の狭間にたつとき、人の尊さを骨身に刻むことになる。みなさんは頼りにされる人?然り、みなさんは頼れる人がいますか?勇気をだして人に出会いにいこう!
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8月25日 みんなが笑顔。
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絵本を読みおえて子どもたちの顔をみる。みんな笑顔をかえしてくれる。あーこの瞬間は麻薬によく似た取りつかれるものがある。みなさんも、この子どもたちの笑顔という麻薬はいかが……(笑)
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8月24日 ぷッ、と笑われるぐらい、ドジなぐらいが丁度いい。
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うっかりドジ、まぬけドジ、天然ドジ、和やかドジ、チャッカリドジ、大抵はこの5つのドジの中にはいるだろう。この中で周りの人をぷッ、と吹き出させてしまい、その場を和ませてしまうドジが、和ませドジである。ドジの中で自分が唯一、救われるありがたいドジである。多くのドジは突然やってくる。ドジをしないようにしていたのにドジをふんじゃた、というタイプをドジのドジという。このドジが一番罪がない(笑)
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8月23日 子どもたちの凄いところは‘待てないところ’。
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大人は長年の経験から‘待つ’ことができる。しかし、まだ年端のいかない子どもたちには「待つことで、得ることがある」と、いうことを知る由もない。たが良く考えてみるよう。よしこうしよう!と思い、すぐ動く子どもたちの爽快な姿を。大人はすぐ、いや待てよ、失敗したらどうしようとか、無駄を怖れてなにもしないことがある。子どもたちは、結果を怖れない。しかも動くとき‘理屈ぬき’なんだなぁこれが!
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8月22日 頭にきたときほど、目をとじて耳をすませること。
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賢人は言う。頭にくる原因は本人の子どもの時分に結論がでなかったものである、と。そんなとき、目を閉じて、昔を思いうかべてほしい。必ず聞こえるから。昔は勇気がなくていえなかった自分の声が。声が聞こえたとき、頭にきた素がわかるので少しは怒気も静まり、ものごとを冷静に観ることができるようになる。みつけてほしい、いい糸口を……。
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8月21日 筋の通った生き方をしている人をみつけたら、真似をする!
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筋が通るとは、一続きとなる物事の方向や判断をすることを言う。したがって、最初から仕舞いまでを識ることが求められる。良く識りもしないうちに行動すれば、当然、筋の通らぬことがおきる。良く識るためには、筋の通った人の真似をすること。そうすれば、最初から仕舞いまでの流れや物事のしくみや、外せない所が見えくる。筋の通った生き方をしている人が、まだわずかだが、いるうちに本気で真似をさせてもらっておこう。
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8月20日 自分の立場を守るのであれば、決して人の立場を侵さない!これを‘立場’と言う。
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自分の立場を守るためならば、人がどうなろうが知ったこったゃないと言わんばかりの態度では、すぐに自分の立場がゆらぎだす。自分の立場を守りたくば、人の立場を最優先させることが、本当の自分の立場を得ることにつながるのである。立場とは、自分と人との間で双方に得るべき形をなしてこそのものである。
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8月19日 何度負けてもいい。自分に負けなければ!
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自分に負けてしまうと、何もやる気がなくなってしまう。やる気がないということは、なぜ、そうなったのかという反省もしないため、自分で自分をくさらせてしまう。それは、あまりにも悲しい。自分は今回は負けたけど、次こそは自分が勝つ、と思うぐらいの気構えが必要である。よって、せめて負ける可能性もあると用心してほしい。自分は負けたとしても次のやるべきことがはっきりわかっている、と言えるぐらいの用心が、自分に負けない気構えを生む。
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8月18日 探すもので一番難しいものはなぁーに?それは‘自分’。
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それは、の次にあてはまるものでこんなにピッタリくる探しものが他にあるだろうか、ないと思う。人が生まれて死ぬまでにしなければならないことは、実は自分探しだったりして。こりゃ、たいへんだ。僕の自分はどんなモノなのかたのしみである。
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8月17日 夏らしぃ暑さ、想像してみよう。
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セミの声、風鈴の音色、かき氷、よく冷えた飲み物、海の家、清流のせせらぎ、花火大会、高校野球、水滴のついたグラス、したたる汗、うちわ、蚊取線香。あげたらきりがない。季節、季節の風物詩にふれておく体験をおろそかにしてはいけない。それが親になって子育てをするとき、親自身にどれだけ助けになることか、計り知れないから。
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8月16日 人が人に、人を人に、人は人に……。
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| 人が人に優しくなり、人を人に清くさせ、人は人に人をみる。それすなわち、人情の許(モト)なり。自ら、優・清・人を纏めるようにすること。 | |
8月15日 自分のためになることは、習慣づけること。
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| 本をなかなか読めないとする。でも、体のどこかに、読みたいと思っている自分がいたり、できればすらすら読めるようになりたいと思う自分がいたりする。こんな状態から、それを自分ができるようにするためには、習慣づけなければならない。寝る前に2ページか起きてから2ページとか、昼休みに一章づつとかなんでもいいから、少しの量を習慣にしてしまう。気がつけば、その習慣は自分のための善い方向に働く。これを善自善示(ゼンジゼンジ)と言う。 | |
8月14日 規則、規律、規範、をその時代に遇うよう、もう一度見なおすことが本当の三規。
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規則とは、物事の一定の基準となるもの。一言できまり。規律とは、人の行いにおいての規準をいう。つまり、おきてのこと。規範とは、人が判断をしたり、評価したりするときの模範や手本となるような目指すべき基準をいう。これらのものは、その時代、その環境に拠って常に見なおさなければ、人と合わなくなる。言い換えれば、人が決めたり、やるべきことだから、見なおすことを念頭において三規を決めなければならない。
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8月13日 自分で‘選ぶ’ということを丁寧にする。 |
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食べ物屋さんに入って、自分が今、何を食べたいか自分に会話する瞬間がある。でも、考えることがめんどくさいのか、他の人の注文にかぶせてしまう。僕も、私も、それ!と。本気でそれがたべたい、本気でそれがしたいということを自分が自分に丁寧に行なわないと、自分をうやむやのままにしてしまう。どの瞬間の‘選ぶ’も丁寧に行なうことは、自分の人生を丁寧に生きることと同じである。
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8月12日 山場をむかえたときに、どれだけ自分が冷静でいられるかは、培った量に等しい。 |
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培った量とは、言い換えれば自分が自分を信じられる量のこと。多くの人が自分を信じることにおいては、練習をどれだけ積んでも、自分を信じられないでいる。例えば、「俺は今日までにすべてやるだけやった。だから、この山場を俺はぜったい乗り越えられる」と思うこともメンタル面の練習の中に入れておこう。いろんな、山場をむかえたときに‘自分が自分を信じること’を肝心な山場をむかえたとき冷静にできるから。ニッ!
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8月11日 ご先祖さまのパワーをなめたらいけません。 |
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盆と正月、春と秋のお彼岸はちゃんとお線香とお花とお水を供えよう。ただそれだけのことだが、ご先祖さまにとっては、されどお参りで、とても喜んでいられるもの、とされている。お墓参りにいっていない方は不思議と参りにきなさい、とおつげのような、お知らせが何度もきているのでは!?いかない方は病をわずらっていたりしませんか?お墓参りにいったとたん、あーら不思議、治ってしまったといった話しがあちこちにあるんだから。これほんと。
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| 8月10日 停電のときこそ、語りの灯(アカ)りをともそう。 |
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台風10号の影響でたくさんの地域で停電になった。そんなとき、クーラーもない、電気がつかない、冷蔵庫が冷えない。そんな状況でもローソクをともして、おはなしや語りの灯(アカリ)をともそう。家族の灯りをとますぜっこうのチャンスになる。我が子におはなしを語るに、こんな好いスチュエーションはない。がんばって、子どもたちに、我々親がなんでもいいから、おはなしをして語ってあげてほしい。きっとすてきな思い出になるから。
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8月9日 ひどい目にあってからでないと、人に話せないようでは、賢くなれない。 |
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人に自分のことを相談出来ない人が多すぎる。なぜ多いか。見栄や相手に煩わしく思われるのではないか、ということが怖いからである。そのうちにひどい目にあってしまう。あのとき、ほんの少しでいいから、話をしていれば、こんなことにはならなかった、と思うことになる。ちょっと話しておけば防げることを行なわないことを愚かという。賢い人はひどい目にあわないように、普段から‘ちょっと聞いておこう’ができる。
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8月8日 自分がどう思うかで幸せは現れたり消えたりする。 |
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幸せは不思議で、今、幸せがあると思えばあるし、ないと思えばないもの。では、あるとするものを見つけなければならない。家族、子ども姿、大切な人の一言などなんでもいいから、これは幸せだといえるものをみつけよう。表情が善相になっていくから。
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8月7日 子どものゆとりは大人次第。 |
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ゆとり教育という、あの‘ゆとり’、何も子どもばかりがゆとりがないとは限らない。子どもは大人の背中姿をみている。大人が時間におわれ、己を見失っていると、簡単に子どもへ伝染してしまう。そのため子どもにゆとりをもたせたいのであれば、我々大人がせめて、身近な子どもたちの前だけでも、演じてでもいいから、ゆとりがあるように振る舞う必要があると思う。少しづつ、心の成長がうかがえるようになります。
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8月6日 山と海をつなぐは川なり。天と地をつなぐは人なり。人と人をつなぐは和なり。 |
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繋ぐものと嗣なぐものと継なぐものがあるおかげで‘伝わる’ということ。繋ぐには存在が、嗣なぐには意志が、継なぐには縁が、それぞれ必要となる。伝達の何たるかはすべてこの訓えに尽きる。
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8月5日 何度も何度も気が点いたら、どん底にいた。その過去があることがありがたい。 |
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どん底がどこか知っていることが、「また、あのときのように、はいあがればいい」と思える。これが、役に立つんだよね。たいがいの人は一度もどん底を味わったことがないから、どん底にいきそうになっただけで、まだ何もなってないのに恐がりだす。だから、少し、どん底がどんな生き方をしなければ生きられないのか、周りの苦労人の話に耳をかたむけてみよう。聞いておいたことを、あとできっと、ありがたいなぁと思えるから。
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8月4日 あたたかい台詞がいえる人って、憂いが何なのかわかってる人なんだろうな。 |
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憂いとは、心をいため気遣う気持ちをいう。だから、憂いだ人が何げない一言を発しても、それがすでに相手様にはあったかく伝わるのだろう。そして、元気にしてしまう。僕は憂いだ人になれない。なぜなら、単純な気遣いができないのに、心をいためてまでの気遣いなど、もっと無理だからである。嗚呼、これもまた、僕に足らないものの一つです。情けねぇ。
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8月3日 試行錯誤の形と悩むの形がいっしょになっていませんか。 |
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試行錯誤するのに悩む人がいる。これではせっかくだした応えもごちゃごちゃになってしまうだろう。試行錯誤は悩むことではない。試行錯誤とは失敗やもう一度試みるのはどこかを繰り返す様をいう。悩むとは苦しかったり、思いわずらう様。それでは試すことさえできない状態になってしまう。あくまで、試行錯誤とは結果で失敗がでることを恐がらないことをいう。言い方を変えれば、どこが失敗になるか確認する行為だといえる。
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8月2日 困難に遭うのは、登りも降りも同じ。これまさに人生のよう。 |
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人生は山あり、谷ありという。登りは登りの辛さや困難が待ち受け、降りは降りの困難が待つ。登れば必ず降りる行程になる。登りのしんどさや危険と降りのしんどさや危険は違う。降りでいうなら、登りよりすべりやすくなり足をくじく危険は増え、くじけば、下にむかって自分の体重もかかるのでけがをすれば、たいへんなことになる。そうならないために登りも降りも‘意味のある一歩一歩’が求められる。これは人生にもいえる。
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8月1日 朝日富士、夕日富士、めったに観れないものが観れてしまう不思議。 |
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めったにないことがまた、起きた。10分早くのぼっても、10分遅くおりても観れないものが流れに身を任せているだけで出遭ってしまう。不思議だなぁ。
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