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| 6月30日 自然はすごいなぁ。大人を簡単に、童心にもどしてしまう。 |
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森のなかに小さな切りかぶ。そこに腰をかけるだけで、どんな心の持ち主も‘童心’に還る。それは清々しいまでの空気と樹の精がいるとしか思えないほどの心への浄化が原因である。みなさんも、心を失いかけたら、お気にいりの自然(バショ)へいかれてみては……。そんな時間をとっている暇はない、と思った人は、その時点で心に余裕がないと思ってください。せめて、行ってみたいなぁ、ぐらいは思ってください。
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6月29日 親から離れたとき、子どもをどれだけ信じられるか、を常に問う。これ親心です。
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子どもを見送ったあとは、もう子ども本人に‘任せる’しかないはず。そのとき、多くの親が‘負かせる’形になっている。つまりウチの子は大丈夫、と思っている人に限ってこうなる。親と子どものキョリ感がいいところは「ちょっぴり、心配だけどまぁ、なんとかなるでしょう的」である。だから、我が子に委ねて任せられるのである。その親の気持ちは、ちゃんと子どもに伝わります。これが信じられない親がたくさんいます。
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6月28日 知ることは恐い。識ることは強い。
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ものを知れば知るほど恐さがわかりはじめる。この恐さは身についてはじめて人を知る武器となる。この武器をもって方法やしくみを識ることは人様からみれば強(コワサ)さとなり、この恐さと強さを記ることが自らの叡智となる。
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6月27日 雨の日の遊び方はちいさな子どもから学ぶこと。
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雨傘をさかさまにして雨をためたり、傘を弓のようにつかったり、もうビショ濡れ。それでもほんとにうれしい、というオーラがにじみでている。こんなにうれしい表現がおとなにできるだろうか。見てるだけで、こっちまでうれしくさせてもらった。感謝!
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6月26日 分かり和える人。解り和える人。判り和える人。
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分かり和える人は分別をもちながら話し合える人たち。次に解り和える人は理解し合いながら話し合える人たち。最後に判り和える人は互いに分別をふまえ理解して判断をくだしながら話し合える人たち。早く、僕もどの人と話しても判るようになりたいなぁ。
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6月25日 目覚めれただけで感謝する。
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眠りから目覚める。目覚めれなければ……。目覚めたということは、生きてるということ。生きてることに感謝するならば、目覚めたその瞬間(トキ)にせよ。そうすれば、その表情に変化があらわれ、福顔と成す。これは、報恩の一つです。
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6月24日 人生に近道はない。
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人生は‘道’でたとえられることがある。しかし、ほんとに道があるわけではない。目にみえない道なのに、なぜ「それを選ぶことは遠回りだ」と思う人が多いのだろう。こう思う人は、時間がかかる=(イコール)遠回りだと思っている。本当はその時間がかかる遠回りの道こそ、その本人の修行すべき人生なのに。人間が‘人生’とよぶ道には近道も遠回りもない。あるのは、死というゴールだけ。そのゴールに目標とその目標をクリヤーするための目的をもつこと。これを‘志’という。
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6月23日 思いをつのらせるのでない。ふくませること。
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思いをつのらせてばかりだと、淋しいことに人にやさしくなれない。しかし、思いをふくらませて、夢のある画をしょっちゅう頭に浮かべる人は、人に対して、おもいやりのあるふるまいができるようになる。
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6月22日 自分で自分を一生懸命プロデュースするすばらしさ。
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自分をプロデュースすること、それが本当の‘人生’。つまり、自分をプロデュースするということは人生を意味のあるものにするということ。これは深いなぁ。
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6月21日 毎日の調子を決めるのは体の調子。体の調子を極めるのは心の調子。
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一番大切なのは常に自分の心の状態がどうあるかということ。心を大切にすることが一番からだに良い。その良さが毎日の善さにつながるのである。
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6月20日 赤ちゃんが立ち上がろうとする様には、いろんなことを感じる。
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赤ちゃんが何度も立ち上がろうとして、ペタンとおしりで着地する。また、前にちっちゃい手をついておしりをプリプリっともちあげてくる。僕はこのとき、いつもファイトー一発!と思ってしまう。さらに僕の魂はまちがいなく僕の肉体をおきざりにして赤ちゃんを応援しにいく。還ってきた僕の魂はいろんな感じを宿している。その感じのすばらしさったら他にありゃしない。
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6月19日 欲にしばられる人は不自由にしばられるも同じ。 |
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自由になりたいのであれば、あれがほしい、これがほしいと思う自分を縛らず、逃がしてやれば、すぐに自ら、由由しきを得る。つまり何も縛らない。これが自由のおきて。
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6月18日 くりかえしくりかえし、基本をくりかえす。それが本物の実になる力となる‘実力’
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実力は就けようとしてもなかなか就かないもの。では、どうすれば就くのか。簡単!基本をくりかえす。これ、一点。基本をくりかえし行なおうとするその志しこそ、実力の種となる。あとはくりかえし行動することが、種にかける水となり、肝心なときに実るチカラとなる。
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6月17日 自分が真っすぐに生きているかを確認したいならば、子どもの前に立てばわかる。
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子どもが20人ぐらいいる前に立って60分間、子どもの視線をくぎづけにできたなら、その人は、人として子どもから敬わられ、慕われる。子どもが認める大人はいつの時代も真っすぐな心をもった人にしか向いていない。こんな大人がへりました。
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6月16日 心をおちつかせる方法は心を感じればいい。
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なぜ心がおちつかないかと言うと目先のモノの対応ばかりに負われているから。そんなとき、今の自分の心は体のどこで小さくなっているのか‘感じること’!感じようとするだけでメンタル効果バツグン。
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6月15日 ‘和’とは平和の和をイメージするのではなく‘なごみ’をイメージするもの。
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和と言う漢字はいつのまにか、和=平和になってしまった感がある。もともとは和=なごみ、であった。空気が平和になるとは言わない。空気はなごむもの。和とはバランスのとれた精神状態でないと
顕れないもの。 場を和ませたり、気持ちを和ませてもらったりできるのはすべて‘和’のおかげなのである。
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6月14日 仕事があるのではない。あることが仕事になる。
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仕事はある時もあれば無い時もある。そのことを解って、仕事が在る幸せをかみしめたならば、在ることが或る仕事にある。自分の人生が或ることに感謝している人に仕事は向こうから「君に僕をさばいてほしい」と言わんばかりにやってくる。仕事とはそういうもの。
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6月13日 勇気ある行動の前に勇気ある発言。
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発言をすれば、それが意志となり相手に届く。これが大事。すぐ行動しなくても、発言することによってかなりの振り分けが、おのずと出てくる。これこそ、発言のチカラ成り!
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6月12日 くもり空の上は‘青空’ということを忘れずに。
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目に見えているものの、さらに先を心の眼でみようとすることを佛語で透視という。今見ている目より心の眼のの方に重きをおくのはなぜか。ものごとの本質を日頃からみぬく眼を養っておかないと、決して変わらないものをみつける、真の眼はいつまでたっても授からないからである。この場合の変わらぬものとは、昼には必ず存在する‘青空’のこと。
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6月11日 子どもの寝顔ほどつみのないものはないと思う。
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辛いときや苦しいときに、横でスヤスヤ手を広げて寝られると、セカセカしている自分にイヤ気がさしてくる。正確にはその罪のない寝顔のおかげで、イヤ気をださされおちつきをとりもどさせてもらったと言うこと。お金も払っていないのに何と心を楽にしてもらえることか。ありがたいとは、このこと。
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6月10日 一生懸命の姿は何がいいって、その直向きさ。
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ひたむきな姿は周りの人に、今、話かけるのが怖いくらいの緊張感を伝えるあの空気がいい。あの空気が周りの目を肥えさせ、本人はレベルアップするために集中力をたかめる。みなさんも一生懸命に何かにとりくんで周りの人が自分を見る目を肥えさせてやってください。そうすれば世の中に目の肥えた方がたくさん増えて政治家の好きにならなくなる。
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6月9日 体感はすべての身体の機能を成長させる。
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体感とは身体が感じると書くが、では身体のどこで感じたのか。眼にどういう色で何が映ったのか、耳にどういう音色が聞こえたのか、どんな香りを鼻が感じたのか、食物を口に運んで噛んだのか、味わったのか、飲み込んだのか、それを触ったとき、触れてないのに熱を感じる場合もあれば、ちゃんと握って硬いのか柔らかいのか、を身体を通して伝わってきた‘感じ’をわかること。そのわかることこそが各機能を成長させる。
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6月8日 健康を手に入れたければ大声を出すこと。 |
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子どももおとなも大声をだせる人は健康な人が多い。実はこれ、健康になりたければ声を少しづつ大きくしていくといい。声の大きさに比例して健康値が不思議とあがる。また、おとなは子どもの声を聞いて健康になる人が減ったのは、それだけ不健康なおとなが減ったと思ってもらってもいい。
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6月7日 子どもの才能のすごいところは遊びの中で‘無意識に学ぶ’ところである。 |
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大人のセミナーや営業マン集中合宿などではよく、たっぷり遊ぶ人は成功するとか、遊びからものを学んだり、アイディアがうまれるといった言葉を聞く。どれも、だったら遊ばなきゃと有意識するものばかりである。有意識の遊びでは、本気でおもしろさを感じたり、楽しさは満喫できない。子どもは無意識に遊び、腹から笑い、面白さをみつけ、楽しみ、あっそうかと学んでいく。だから、遊びの天才なのである。
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6月6日 行いがわるいと、ばちがあたる。 |
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昔、よく、お母んにこう言われた。「なんべん言うても言うことをきかん子は、ほってといても‘ばち’があたるぞ」と。その言われた通り、僕は数々のばちにあたった。あのとき親の言うことを聞いていればこんな痛い思いをしなくてすんだのに、と思うことが山ほどある。そこから一つわかったことがある。ばちがあたったとすれば、それは、それまでの自分の行いのどこかに見なおすべき行いのわるさが必ずあるということ。
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6月5日 幸せが手に入ってから心が満たるのではない。心が満ちているから幸せが手に入るのである。 |
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幸せが手に入っているのに心が満ちない人はいっぱいいる。それは何故か。過去に一度もわずかな事に感謝をした体験がないからである。たった一口食べた、おにぎりのうまさ。山の頂上に辿り着いたときの晴天と絶景!こういう体験に感謝できる人はそれだけ幸せがやってくる。わかりやすくいえば、いつも心が満ちている人はそれだけ幸せに気がつくから、当然幸せがたくさんやってくる。
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6月4日 朝がここちよいと感じるだけで五感はひらくもの。 |
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これは、体のバランスがとれていないと決して感じることはない。誤解しないでほしいのはこういう朝はここちよいと思うことを感じるように錯覚していないかと言うこと。逆に言うと五感が丁度好い具合にひらいているから、ここちよいと感じているという感じであること。この感じが、五感の能力をサビないようにするから、とても大事な‘感じ’なのである。
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6月3日 イヤだなぁと思うことを10回すると、一つだけ応えがでる。 |
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人生、修行とはよく言ったもので、イヤだなぁとか、辛いだろうなぁとかいうものを、後まわしにせず、するべきことを進んでやると、それまで自分自身で情けなくてわからなかった部分の応えが必ずわかってくる。これ、ほんと。神様は、イヤな事にたちむかったご褒美に一番自分が知りたいことを一つくれると思います。
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6月2日 ハプニングとラッキーは紙一重。 |
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予定通り順調なすべり出しと思いきや、まさかが起こる。つまりハプニングが起きた。みんながあわてふためき、浮き足だっているとき、まさかが起こる。つまり、そのハプニングがなければ、もっと最悪な、取り返しのつかない事態に陥っていたにちがいないと、予測されることがラッキーにも発覚する。何がいいたいかと言うとすべての行動には‘まさか’がつきもので、それも紙一重でどっちにころぶかわからないものがあると言うことを知ってほしい。
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6月1日 ふと、これやってみたいなぁと思うときがある。それがおつげ。 |
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| 思いたったら、吉日!とも言う。今からやってみよとする人には、そのおつげが自分にとって、どういう吉となるかがわからない。そこで、ひとつの解釈。「これをやれば、どういう形かわからないが、必ず、吉が或る」と思って、一歩をふみだしてみてほしい。 |
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