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| 5月31日 笑顔をみたいなら絵本をひらけばいい。 |
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子どもの笑顔をみたいとき、僕はそのときの気分で、一番、気持ちにマッチした本をよんでみる。「ハイ、おしまい」といって最後のページをとじて、前をみる。そこには最高の笑顔がある。みなさんも、だまされたと思って、一度やってみてください。きっと……。
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5月30日 子どものケンカは個性と個性のぶつかり相い。 |
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ふたりの子どもがいる。目の前にバナナとリンゴとイチゴがある。ひとりの子がこっちが好いとバナナを選び、もうひとりの子がイチゴを選んだ。それを見ていた大人は残ったリンゴをめぐってケンカにかるんじゃないかと予想する。その通りケンカになる。ケンカが終わり言い分をそれぞれ聞いてみる。バナナの子は「リンゴの友だちがバナナだから」と。イチゴの子は「どっちも赤いから」と。どっちもいっしょにしてあげたい気持ちはいっしょ。だが理由が違う。これが個性!ケンカで互いの理由がわかる。
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5月29日 子どもに体裁は関係なし。
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なぜなら子どもは今で生きているから。中にはその瞬間で生きている子もいる。こんな心の状態だから、体裁を考えている隙間がないのである。今、何をしてくれるか!これにつきる。お母さんが「もう、ちょっと待って」と言っても、たいていの子どもが「いつまで?」と聞き返すほど、子どもたちは一生懸命今を、生きている。だからもう少しだけ子どもたちが「これがしたい」と言ったときは大人の方が「ちょっと待ってあげてほしい」。
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5月28日 子どもの視線はX線より恐い。
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小さな女の子がじぃーと一方を見ていた。その先にはお母さんが若いスーツをきた青年と一生懸命喋っている。ようやくお母さんがうれしそうにもどってきたとき「あの人感じわるいぃ」と女の子がいった。正解!その若いやつはよからぬスカウトマン。普段からX線より鋭い眼でとらえた話を聞いてあげてみてください。むちゃくちゃ面白いですから。
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5月27日 現実から勉強す。 |
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毎日、信じられない事が現実に起きている。さまざまな現実から何を勉強するか。それは自分の弱点や欠点と類似性をみつけ、似ている箇所からできることを実行するのである。現実に「現実から勉強している人」は、これを実践することによって自分が進化することを喜びとしている。
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5月26日 許しをもらってから動いているうちは何も得ない。 |
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怒られたくないからといって、いつも許可を求めにいき、許しがでてからしか動いていないのであれば、それは本人の自主性で何かを達成するという体験は決して得ることがないだろう。
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5月25日 本当に目が利く人は本物の眼をもっている。 |
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多くの中から値打ちのある物を見わけ、その力がすぐれている人を目が利くというが、その能力をもっている人は、その値打ちのある物の中から価値の高い物を観ぬく本物の眼の持ち主である。だから‘眼が高い’と言う。
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5月24日 人が喜んでくれるって、めっちゃうれしいこと。 |
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何かしたことで相手が喜んでくれると何がうれしいのか。それは、相手が喜ぶといった形を見せてくれたことによって‘やった甲斐がある’とわかることがうれしいのである。つまり、その人が喜んでくれることがどんな形であれ、人が喜んでくれるときには必ず、自分のしたことが無駄でなかったと、自分がわかることで元気になったり、こっちも喜べることこそ、何よりうれしいのである。この還ってきた喜びのことを「欣喜」という。
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5月23日 一冊の本を理解するために昔の学び人は‘読書三到’を実践した。 |
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読書三到とは、一に目でよく見てしっかり読み、二に声に出して読み上げ、三に気持ちをやすらかに心に集中し読み込めという意味。この三つを実践すれば、一回でかなり深く得ることが多くなるということ。僕は感動したページはもう一度声に出して読むようにしてます。これが、結構気持ちええんやんかナ。
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5月22日 こどもは何もいわなくても本の見どころや読みどころをちゃんとしっている |
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こどもの前で絵本を読む。あるページで笑うなどの反応がある。同じ本をおとなの前で読む。こどもたちが反応をしめしたページにさしかかる。何の反応もなく通過し、最後までいく。あとで、少しだけ解説する。おとなは「あー、なんだそういうことか」と、ようやく反応がでる。このズレが親子でもある。こどもが反応したページは、ほとんどが著者が一番苦労した箇所だったり、その物語の真相となる勘どころを的確に見抜いている。
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5月21日 初めはいい‘言葉’に出会いたい |
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僕がコーヒーをのんでいると、となりの席に右手に携帯、左手にハンバーガーセットをもった若いお母さん風の人と2、3才の男の子が座った。座るなり「ほら、喰うぇ」っていってセットについているポテトをつきだした。男の子は小さい手でポテトをつまみ口へ運んだ。そして「くうええっ、くうええっ」と言った。その子はポテトのことを「くうええっ」といいながら何本も食べた。そして食べ終えるころにはポテトのことをそう覚えてしまった。お母さんは携帯のメールを一所懸命打っていて、そのことに気づいていない。大人も子どもも初めて出会う言葉は正確に覚えたいものです。その後、男の子と目があった僕は、夢中でメールをうっているお母さんをよそに、「くうええっ」から「おイモさん」と言う言葉に出会わせてあげました。ポテトと教えるよりは、その子の年令にあった夢のある表現の方がいいんじゃないかなと思い、日本語らしくわらじ言葉の中からチョイスしておきました。ただし発音は最後まで「おイモしゃん」でしたが……。
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5月20日 辺りをよーく見る前に、周りをしっかり観る。 |
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自分の身のまわりを‘しっかり’観なさいといわれているのに本気になってしっかり自分の何がたりないか、何を学ばないといけないか、何が武器かまたは得意か、ということを踏まえ、自分をしっかり観察して、脳裏にたくさんインプットする。それから、自分がこれから進む辺りを‘よーく’見て、一歩づつ目標に近づいていく。
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5月19日 気配から気配り。 |
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気配とは感じてとらえるありようをいう。次に気配りとは、気を張り巡らしいろいろと気をつけたり、配ることをいう。気配が受信し、気配りで送信すれば気は健康に働く。それなのに、まったく反対の遣い方をして気後れしている人が多い。まったく、もったいないことです。ハイ。
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5月18日 心にやましさのない人の笑顔はステキである。 |
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この人の笑顔はいいなぁとか、あの人の笑顔はステキだと思うとき、そんな笑顔を残す人のうしろにはやっぱりステキな親がいる。その人が小さいころから親が生きることに堂々とした背中姿を見せた結果である。我が子にステキな本物の笑顔を宿すには、二代をかけて笑顔の梁(ハシ)わたしをするのである。やっぱり親が笑わなきゃ!
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5月17日 不を外せば正しいものが残る。例外は不思議の不。 |
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不正解、不満足など、不を外したり、取ったりするとあとには正しいものしか残らない。不を外せないと言う人は、意地っ張りの人が多い。意地がたいへんつまらないことであると言うことを不運にも一度も体験していないからである。体験しないかぎり、不の外し方はわからない。残念だなぁ、とても簡単なのに。
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5月16日 自分は造るもの。心は創るもの。 |
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| 自分で自分を少々のことでは壊れないように‘学んで’造っていく。そして、自らの心は‘ゆめ’をもつことで創ってゆくもの。多くの人が、学べば夢がみえ、夢がみえたら、また学べる、と言うことを知らなさすぎます。 | |
5月15日 ときには「意味がないと思うこと」に意味がある。 |
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| 意味がないことを一生懸命しているとき、本人が楽しそうであれば、意味がある。だが人のことには、とかくとやかく言う人に限って自分はたなにあがってものを言うことには、なんら意味のないことであると、本人が思えば意味が生じるので、意味があるのである。ややこしいけど、大事なことです。この事は! | |
5月14日 無くことを泣く、無くことは成く。 |
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| 利ばかりを追い、自分というものをもた無いことは、泣くほど恥ずかしいことである。はたまた自分には何も無いのだから、よーしいっちょやってみるか、と思うことこそ、成長し、心をゆたかに成らせるのである。 | |
5月13日 言葉で成長がわかる。 |
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| ちっちゃい! ちーさん! ちいさい! 小さい! チイサイを言葉にすると、はっきりだんだん大きくなっていくことがわかる。小さいのに大きく感じる。言葉でだんだん大きくなっていくのがわかる。つまりこれを言葉の成長と言う。ニコニコ! | |
5月12日 過去を心配する人と、未来を心配する人。人は心配がつきない生きもの! |
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| どうせ心配するなら、どっちがいいか考えてみる。過去か未来か。ぼくは絶対、どうせ心配するなら未来がいい。なぜなら、未来の心配はやってみなきゃーどうなるかわからないから。それに、ワクワクしたり、ソワソワさせてもらえるから。この感覚は未来の心配をすればこそ。決してすでに結果がでている過去の心配では、この感覚は得られないだろう。 | |
5月11日 よく似ているのにまったく違う感じがあり、どちらのタイプも人に好感を与えるというはなれわざをやってのけるのがこの2つのタイプ。さっぱりタイプとあっさりタイプ。 |
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| さっぱりタイプの人は爽やか感を漂わせ、あっさりタイプの人は清々(すがすが)しい感を漂わせる。どちらでもいいから会得できるものなら、習いたいものだ。 | |
5月10日 自分と対話するときは言葉で心を刺すこと。 |
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| 自分が自分につかう言葉は厳しければ厳しいほどいい。それも尖ったもので突き刺すように。なぜか! それは、常にベストの判断をするためである。ベストの判断ができるということは、振り返ったとき失わなくてすむ数が格段に多いからである。 | |
5月9日 声は腹から、知恵は頭から。 |
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| 声をださなきゃって、思う。この時点で頭をつかったわけ。声は腹の底からだすもの。知恵は自分の記憶にとどめてある中にいる。見てきたこと、授かったこと、ひらめいたりして、それらをきっかけに自分の頭の中からでてくる。それを外に落ちているかのごとく、探したり聞いたりしてるから、知恵をあてはめたとき、しっくりこない。知恵は必ずあてはめたとき、しっくりくるもの。 | |
5月8日 私考して思考したら指向がみえ志向がわかり、それは至高で、至行だった。 |
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| 自分で考え、思いをめぐらせていたら、ある方向がみえ、心が一定の目標に向かってはたらきだすことが解り、それはこの上なく高いことで、この上なく善い行いだった。これができれば、この上もない幸福。これを本物の至幸という。みなさんも僕がたまにするシコウの言葉遊びで、心を調(トトノ)えてみてください。 | |
5月7日 潜在能力って、表面に現れないため、自覚されず潜んでいるだけ。 |
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| 自分で、自分の中に何が潜んでいるか、意識して捜しさえすれば必ず現れる能力がある。あとはその能力を自覚すればいいだけ。そうすれば、一つづつ表面化し、自信につながる。潜在能力が潜んでいる人は、真剣に自分と向き合うことをさぼってたから。 | |
5月6日 反省し、次へつなげることは良いこと。次へつながらない反省なら、苦となるだけ。 |
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| 「次こそはこんな失敗はしない」や「二度とこんな恥ずかしい思いはしたくない」と思えばの反省は、次に活かせる反省だから、反省になる。しかし「どうせ俺は何をやっても・・・」や「やっぱりこうなったか・・・」という反省をする人は、我が身に次々と苦がやってくる。なぜなら、その思考そのものが反省の形でないからである。反省とはくり‘反’し己を‘省’(かえり)みることで形をなす。はずかしながら、僕は毎日、反省しております。 | |
5月5日 行動すれば解る。解れば行うがやすし。 |
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| 直ぐできないと言うのは動いてないからである。動けば、必ず動いた分だけ解る。その解ったことが次に動くときの無駄を省き、備えになる。さらに、これを繰り返し行うことで意味が生じ、精進となる。 | |
5月4日 人の道は、数々の忍耐の壁を越え、数々の精神を超えるもの。 |
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| 一つの壁を堪え忍びながら越えると、そこには、旧い精神を超えた新たな精神が宿る。つまり、壁を越えれば越えるほど、精神はますます澄みわたり、この世を超え、浄土へとむかうのである。 | |
5月3日 子どものうちから欲を満たすと意志が育たない。 |
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| 子の欲は、目にしたすべてから発する可能性がある。仮にすべてに応えれるお金があるとする。子はいずれ、成人になる。成人になって、その子にはとうていその道でしか生きられそうもないのに、自らの状況がわからず、意のないわがままをふるまってしまう。これは耐えることの体験の少なさが意志の種をもらわずに世に出たためにおこるのである。 | |
5月2日 何かをやりとげようとしなければならない刻(とき)がある。それをチャンスと言う。 |
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| その人その人で、人生のチャンスにはみなちがいがある。家庭環境、社会環境、家柄、育ち、教育環境などでのちがいを言っているのではない。この場合のチャンスとは、すべての人間に平等にやってくるチャンスを言う。それは自らの意志で、“やらなければならないすべての状況”を言う。チャンスをものにする人は、この状況に出会った‘とき’を、時間としてのときでつかうのではなく、自らの人生に刻むためのときとしてつかっているのである。 | |
5月1日 春の青空に白いちぎれ雲がひとつ。ゆっくりながれていく。自由がそこにある。 |
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| あの優美なゆっくりした速度。あのながれ方。あの雲のほどよいでかさ。その白さが映える明るさ。”本物の自由”を観て、充て、満た。ありがとうございましたって感じ。 |
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