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| 4月30日 人生八十年。本当にそうですか?これからの時代のために今一度、真剣に考えてみよう |
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| 人生、八十年とよく耳にする。しかし、我が身に置き換えるとだれもが「明日は我が身」と言う格言に、どこかでぶちあたる。ならば、「今日、天に召されても悔い無し」と思えるような、真剣な瞬間を、一日一回、意識してつくってみる。その日々の繰り返しで、八十年生きたら、これまさに、大往生である。 | |
4月29日 輝く人と光ってる人。どちらもあかりがもれる人がいい。 |
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| あの人の功績は輝かしい。その人の雄姿が、のちの時代に光をあたえた。こういう形の足跡を残せた人は、まわりの人々に好かれる明かりの持ち主である。その明るさは宝石の輝きや光ではない。新緑の葉にたった一滴の水滴のような輝きであり、光をいうのである。 | |
4月28日 あきらめないと言うことがどういう事か識っている人は壁が立ちはだかっても決して停まる事がない。だから、いつでもすてきな笑顔をもっている。 |
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| 勝負ごと、人生の選択、目的に真っすぐすすむ、誓い、など成功にむけ、失敗をものともしないのは、あきらめたら、成功しないことを本当の意味で識っているから。だから腹の底からいつでも笑えるし、また、その笑顔に人が集まるのである。 | |
4月27日 通じ合うためには、お互いが心の周波数を合わせなければならない。 |
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| ラジオの周波数を合わせて聴きたい番組を聴くがごとく、人と心を通じ合わせるためには、その人の心の声を聴くために周波数を合わせて、本気で言っているか、社交事例なのか真意をみぬいてほしい。 | |
4月26日 心にはちゃんと温度がある。 |
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| あつい心、つめたい心。心は自分があるものにうちこめるか、うちこめないかで、その温度がきましる。 | |
4月25日 しかたがないと言う言葉は何かに踏ん切りをつけるためにつかうもの。 |
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| 二つの解釈があって、一つ目は、どうせ俺なんか何をやってもだめだから‘しかたがない’と言う解釈。二つ目は、次のフィールドへ向うため、いつまでもぐじゅぐじゅ過去のことに悩んでいても‘しかたがない’と言う解釈。どちらが善いかはしかたがないからいいません!?!?!?!?!?」 | |
4月24日 あきらめないことをあきらめない。 |
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| これの結果がでるまであきらめないと自分にちかう。口もかわかぬうちに、こんなはずではなかったとあきらめてしまう。こんな人がふえている。だから、あきらめないと誓ったあの日のことを思いだし、そこから、あきらめないことを普段からあきらめないように己に厳しくすることである。 | |
4月23日 たいていのことは大声ですっきりする。 |
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| あーもう、どうにでもなれーって大声で叫ぶ。なんとすっきりすることか。とすぐ、いいことがひらめいた。どうにでもなれって思っていない自分があらわれる。なんとかしたければ、大声をだして、こころを空っぽにしてみよう。」 | |
| 4月22日 おもしろさを見つける事において子どもに勝るものはない。 |
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| 遊具がおいてないただの広場に小さな男の子があっちふらふら、こっちふらふら。突然、しゃがんだ。じっと地面をみている。そっと近づいて見てみると。ナナホシテントウ虫がアイスキャンディーの棒にしがみついてわずかに残る甘みをなめていた。子どもはただ、ふらふらしているのではない。おもしろいものを見つけるために‘ふらふらしているようにみえる’のである。大人のほうが、しっかりしてるようにみえて、内心はふらふらしていて何もみつけられない。 | |
4月21日 たくさんの‘葵さ’がいろんな生を運んでくる。 |
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| 昔の人はこの季節の緑のことを‘草’が‘発芽’とかいて‘葵’といった。このあおさがいろんな樹木の芽がたち、動物や鳥の鳴き声をうみ、昆虫や爬虫類、淡水にすむ生きものなど生命の循環をよんでくる。みなさんも、今の葵葵(あおあお)とした緑を自らのパワーにとりこんでください。 | |
4月20日 がんばるということに抵抗しようとしないように、がんばりなさい! |
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| がんばれっていわれても、どうがんばったらいいかわからない・・・と人はよくいう。何をいうかというと、“がんばれっていわれても”とよくいう、次にでてくるのは「口でいうのはかんたんだと思う」とよくいう。結局、本当にがんばった体験をしたことがないからわからない。だから自分にいいわけばかりしてしまう。がんばろうとは、自分にいいわけをしないことをがんばるという。本当にがんばってる人は、「がんばるってほんとうに簡単なんだもん」って言い切る。 | |
4月19日 大人が知恵をもっているのであれば、その知恵を活かす一つの方法として「童心」に還ることである。 |
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| 「子どもは今の連続が童心である。しかし、大人はかつて子どもだったとき、今をどう捕らえ、どう吸収したのかをすでに忘れてしまっている。その感覚を取り戻すことがどれだけ、今の大人たちの日常に役に立つことか。寝る前にみなさんも、ほんのひととき童心に還ってみてください。 | |
4月18日 子どもは何でも吸収する、と大人はもっと頭の本官におくべきである。 |
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| 子どもは常に善いことも悪いことも吸収している。例えば感のいい子は感がよくなる大人から吸収した、あらわれが現れる。だから、子どもは恐いのである。 | |
4月17日 会えば会うほど合ってくる。 |
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| 人に出会う。気に入れば、また会う。さらに気に入ればまた、また会う。その内、気が合う。気がつけばなぜかしらないけど、用が無いのにいっしょにいる。これを気ごころの知れた仲間と言う。 | |
4月16日 親に叱られた記憶をちゃんと覚えておくだけでいい。 |
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| 世の中にでたとき叱られていたことが役に立つ。それがまた、よくぞしっかり叱ってでも直しておいてくれました。おかげで、また人をきずつけないで、すみました、と感じることの多いこと。親はすごいなぁ、と思います。 | |
4月15日 童(ワラジ)はしたいことをさせてもらえないと地団駄ふんでぐずる。ほんとに、わかりやすい。 |
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| お母さんにあれ、ほしいと言う。ダメと言われる。すぐ、ぐずりだす。ぐずってもダメと言われる。今度は泣きだす。泣いてだめなら、地団駄をふむ。それでもダメなら寝そべる。ここまでして欲しいものやしたいことがあると言う大人がなんと少ないことか。したいことへ真っすぐにつきすすむ大人は童時代にぐずってきたのかもしれない。」 | |
4月14日 親切はできるだけさりげなく。 |
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| 親切な人と思われないようにしてるのに、相手に親切だと思われることが一番いい形の親切。これができる人は、普段から人を‘親’しみ、‘切’ない気持ちを胸に秘めることができる。 | |
4月13日 子どもは、ひとりが笑いだすといっぺんに伝染するときがある。 |
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| 僕が顔をあげた瞬間、ひとりの子どもが笑いだした。笑いだした子どもをほかの子どもたちが見て、そして僕をみて笑いだした。みんながキャハハハハと、とめどなく笑っているのを見て僕も笑えてきた。僕が笑われているのに笑いだしたのを見て、さらにテンションが上がった。ガハハハアッハハハと泪がにじむぐらいみんなで笑った。あー、何であんなにおかしかったんだろう?????????? | |
4月12日 性根の根がちゃんとのびて、養分を吸収していないと根性はつかない。 |
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| この養分は人生における養分を意味する。つまり、全ての体験や経験から辛さ、堪える、耐える、我慢、苦しさの5要素から学んだことがこの場合の養分となる。失敗から何を学んだか、成功からはどこがよかったからなのか、それは何だったのかを学び人が根性がつく。 | |
4月11日 無知を無恥と感じないことほど愚かで恥ずかしいことはない。 |
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| 聞くべきときに聞く。これは賢い人。聞くべきときに聞きそびれる。これは、凡人。聞くべきことが何かわからない。これは、愚か者。聞くことをしていない。これは、者ではなく物である。 | |
4月10日 一人もかけることなく、みんなが集まること。こんな宝物はない。 |
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| 時間に追われるこの時代。ある日ある刻ある場所に111人の仲間が集まった。死ぬほどうれしかった。この大きな恵みを旧い言葉で鴻恩(コウオン)というが、十人十色がたった一色になるためによくぞ集まった。宝ものはどの宝物も一瞬にして現れ、一瞬にして消えるもの。ただ記憶に残るために。 | |
4月9日 春の風の仲間には‘恵風ケイフウ’という風がいる。 |
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| 恵みの風が、さくらの花びらをつれていった。そのかわり、もうすぐ麗しき緑をつれてくる | |
4月8日 夢は寝てるときにも現れ、起きてるときにも現れる。 |
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| 寝てるときの夢はつかむことができない。起きてるときの夢は、もつことや、つかむことができる。夢をもつ、もたないは、心の生死にかかわるもの。 | |
4月7日 人生の交差点は十字路で考える。 |
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| 多くの人が右か左か、Yの字にさしかかり、さもどちらか一方が‘正しい’と思い、道を選んでいる。が、そのまま、今まできた真っすぐの道をちゃんとみてみる。そうするとYの字は十字路に変化する。選択肢が増え、慌てて損をすることなく、選ぶことこそが‘正しい’のである。 | |
4月6日 心は形がないのに重いときがある。 |
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| 心が重いときは大抵、悩みをもっていたり、たまらない気持ちになったりしている。悩みなどを解決できれば、心が軽くなるだろうと思う。軽くなるための一つの方法として「しかたない」とくくってみる。これ、結構つかえます。 | |
4月5日 必ず、と言う人や絶対、と言う人は、往々にしてその形にならず、やんなきかな。 |
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| 相手との信頼を手にいれんがために言ってくれてるのはわかる。だが、この時代に必ずや絶対が信用されなくなったのが不景気を招いた。明るく無駄なく結果よく、を実践している人に人はいつの時代も集まるもの。 | |
4月4日 遠くの友達に、一言書いてハガキを送った。そして、ハガキが返ってきた。そこには‘俺も会いたかったぜ’と書かれてあった。 |
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| メールが飛びかうこの時代、わざわざ手間と時間がかかるハガキで気持ちが伝わるうれしさ。さらに俺‘も’と書かれてあったのだが‘も’があるだけでたまらないうれしさになる。みなさん‘も’こんなうれしさいかが? | |
4月3日 桜満開。年に一度の晴舞台。さすが桜、咲きどころをしっている。 |
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| 桜は誰にいわれなくとも、気温や湿気、晴れか雨か、朝か夜か 風が強いか穏やかかをみな判断し、条件が整いしだい「咲く」のである。咲くための基礎は一年かけてちゃんとつくっている。今度、桜に人生の花の咲かせどころをこっそり聞いてみようか。 | |
4月2日 なにげなしに友の家に寄ってみる。友は言った。なんか、おまえが来そうな気がしたと。 |
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| これが引き合いだと思った。慕うもの同志、また親しいもの同志、しか引き合いは起こらない。血が繋がっているもの同士の引き合いも稀薄になりつつある。もう一度、引き合うものをみつけよう。 | |
4月1日 子どもからおしえられることの多くは、無心につきあたる。 |
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| おとなは無心になることが何なのか、無心のなり方をもうすでに体が忘れてしまっているから、教えられることが多いのである。無心の子どもは強いから、へとへとにさせられる。 | |